吉屋信子は、わたしの若い頃でももうほとんど店頭には並んでいなかった。
だが名前は聞いたことがあり、当時文庫本で「女人平家」が復刊されて平積みになっていたので、
へー、という興味で読んでみた。
そしたらこれが相当面白かったんです。
正直なところ、女くさい歴史小説であることはたしかで、平家物語を翻案する際に
だいたいの作家が付け加える政治状況などはほぼ全く見られない。
ひたすら時子と娘たちの人間関係に終始する。
わたしは当時、永井路子、塩野七生の歴史小説をせっせと読んでいて、
やっぱり歴史小説というからには人間関係だけじゃなくて政治状況も読みたい方だ。
しかし「女人平家」は、そういったものがなくても面白かった。
……宮尾登美子の「クレオパトラ」なんかはひどかったですからね。
何の新機軸もない旅館の女将さん的なクレオパトラ。
「女人平家」は人物造形や設定には甘さが見られるけれども、
「ここで私が書かなきゃ誰が書くのだ」という気概を感じた。
歴史上の人物は書く人の見方で千差万別に変わる。
もういない、歴史上の人物にいのちを吹き込んで上げられるのは
その書き手しかいないんだよ。
一般的な歴史の本を読んでも、時子と徳子以外の娘たちは存在感が薄く、
せいぜい嫁入り先がわかるくらいで、存在の輪郭はわからない。
フィクションにせよ、「こうもあり得たろう」という一つの姿を描き出すことは、
彼女たちへの鎮魂の行為になると思った。
ちなみに「女人平家」は1971年にドラマになっている。
これを見られたのは儲けものだった。なかなか見られないでしょー。よく残ってたねえ。
ほぼ50年前の良質のドラマを、全20回見られる機会なんてそうそうない。
※※※※※※※※※※※※
というのが、近年までの吉屋信子とわたしの関わり。
多分このドラマを見た時に吉屋信子の他の作品も読んでみようかと思ってリストアップしたのかな。
リストの順番が来て、今回「花物語」、本作という順番で読みました。
……「花物語」はツラかった。
こういう文体は受け付けません。まあ当時はそこが良かったんだろうけれども、
読みつけてないとツラいだろう、これは。
ちょっとそれで恐れをなして、もう少し本人の著作を読んでからにしようと思っていた
本作を早めに読みました。
本作はねー、良くも悪くも田辺聖子による吉屋信子。
田辺さんは吉屋信子が好きだろう。おそらく鍾愛の作家と言ってもいいくらいだろう。
しかも田辺さんは夢見る夢子さんであり、それが作家としての本人の原動力なんだろうから、
こういう書き方になるのはよくわかる。予想通りと言ってもいい。
ただやっぱり評伝としてはもう少し対象との距離は欲しいかな……
田辺さんは昔だいぶ読んだんだけどね。
しかしエッセイと古典物のみ。現代小説は多分1作も読んでない。
昔は読む本の範囲が今と比べてさえ相当に狭く、現代を舞台にした小説はまず読まなかった。
ミステリと歴史小説とエッセイで生きていた。
彼女の本道である現代小説を読んでないわたしが田辺さん好きとは公言出来ないと思うが、
それでも言って良ければ、当時三本の指に入る好きな作家だった。
他の二本は……時期によっても色々変わるので一概に言えないけれども(^^;)。
約50冊持ってるなあ。多分一作家としてはわたしの蔵書の中で最大派閥だ。
(わたしが本を買っていたのは大学卒業までだった。その後は図書館利用)
まあ田辺さんはものすごくたくさん書いた人だからね。
なので、本作も基本的には読んで愉しいんだよ。
愉しんで読んだけど、感想としては色々言いたいことがある。
まず最初のとっかかり、吉屋信子が美人かどうかから始めたのは是か非か。
美人かどうかが吉屋信子を形成した重要な要素なのだろうか。
最初にそのことを持ってくる以上、自分の美醜に非常に拘りを持っていた人なんだろうという
印象を持つ。が、本文の中でそうしたことは書かれない。
田辺さんの配慮で書かなかった部分なのかどうか。
配慮で書かなかったんだったらそもそも美人かどうかで始める必要はないし、
配慮というわけでもないのなら、美人かどうかから始めるというのはどちらかというと嫌な出だしだ。
逆に信子が“美人好き”なのと、“(容貌を超えた)生き生きした人”というのは、
600ページ弱上下巻のなかで繰り返し繰り返し2、30回は言われることなのだが、
それが多すぎてうるさい。
この1100ページの中で、実に数多くの人物が出て来る。
またあとがきで女流作家史という側面も視野に入れて書いたという通り、
その多くは女流作家や、女性で活躍している人である。
その人物の多くの登場シーンに、美人である・ないがかなりの確率で言及される。
「美人好きの信子は好感を持つ」
という言い方も何度も出て来る。正直言って過剰。
田辺さん本人も美人好きだろうと思う。拘りすぎなんじゃないか。
次に、あまりに対象に密着しすぎて世間的な位置が伝わってこない。
もう少しこの辺り、客観的に書いて欲しかった。男性作家から嫉視されたとか、
通俗小説と見なされて文学賞からは縁遠かったとか、そういう点は書いているのだが、
あくまで信子側から見たものであるので、もう少し外側からの視点が欲しかった。
信子の小説の内容紹介に相当の分量を割いている。引用も長い。
それはそれで面白くないわけではないけれど、少々長すぎるのではないか。
「女人平家」の紹介なんかは、途中で別なことも挿入しつつ、50ページ近い。
それが1作だけではないからね。長短とりまぜて、10作は超えている。
もうちょっと減らすべきではなかったか。
とはいえ、本作が書かれた時点で、吉屋信子の作品はおそらく本屋にはほとんどない。
そこらの図書館にもあまりないだろう。復刊されたものしか。
だからこそ内容を詳細に書く必要もあっただろうし、その魅力を伝えたかったのであろう。
仕方がなかった面もある。
これだけ外見に言及する作品で、写真の掲載が一枚もないというのは変だ。
なんでしょうか。製作費のケチリでしょうか。
朝日新聞社出版。「アサヒグラフ」に出した時にはバリバリ写真も載せてだろうに。
あとは、足利鉱毒事件とか戦争の時期の話とかが長くてツラかった。
まあこの辺りはわたしが苦手なだけだけど。
戦争時は本人が実際に動いていたのだから納得出来るとして、
足利鉱毒事件はお父さんが関わっていたとはいえ、そこまで言及しない方向もあり得た。
話をだいぶ広げてるんだよね。
女流作家史、という話もあった通り、信子からしばらく離れて別な女流のことを長く書いている
部分も多々あった。林芙美子とかね。
そのせいで信子の印象がぼやけたのかもしれない。
正直、この1100ページを読んで吉屋信子像が結べたかというと疑問。
むしろ田辺さんの思い入れがよくわかった、という作品。
それはそれで価値があると思うけど、やっぱり評伝としては次善だと思う。
というわけで吉武輝子の「女人 吉屋信子」も読んでみる。
吉屋信子本人の作品では「徳川の夫人たち」と「源氏物語」を読んでみよう。
だが名前は聞いたことがあり、当時文庫本で「女人平家」が復刊されて平積みになっていたので、
へー、という興味で読んでみた。
そしたらこれが相当面白かったんです。
正直なところ、女くさい歴史小説であることはたしかで、平家物語を翻案する際に
だいたいの作家が付け加える政治状況などはほぼ全く見られない。
ひたすら時子と娘たちの人間関係に終始する。
わたしは当時、永井路子、塩野七生の歴史小説をせっせと読んでいて、
やっぱり歴史小説というからには人間関係だけじゃなくて政治状況も読みたい方だ。
しかし「女人平家」は、そういったものがなくても面白かった。
……宮尾登美子の「クレオパトラ」なんかはひどかったですからね。
何の新機軸もない旅館の女将さん的なクレオパトラ。
「女人平家」は人物造形や設定には甘さが見られるけれども、
「ここで私が書かなきゃ誰が書くのだ」という気概を感じた。
歴史上の人物は書く人の見方で千差万別に変わる。
もういない、歴史上の人物にいのちを吹き込んで上げられるのは
その書き手しかいないんだよ。
一般的な歴史の本を読んでも、時子と徳子以外の娘たちは存在感が薄く、
せいぜい嫁入り先がわかるくらいで、存在の輪郭はわからない。
フィクションにせよ、「こうもあり得たろう」という一つの姿を描き出すことは、
彼女たちへの鎮魂の行為になると思った。
ちなみに「女人平家」は1971年にドラマになっている。
これを見られたのは儲けものだった。なかなか見られないでしょー。よく残ってたねえ。
ほぼ50年前の良質のドラマを、全20回見られる機会なんてそうそうない。
※※※※※※※※※※※※
というのが、近年までの吉屋信子とわたしの関わり。
多分このドラマを見た時に吉屋信子の他の作品も読んでみようかと思ってリストアップしたのかな。
リストの順番が来て、今回「花物語」、本作という順番で読みました。
……「花物語」はツラかった。
こういう文体は受け付けません。まあ当時はそこが良かったんだろうけれども、
読みつけてないとツラいだろう、これは。
ちょっとそれで恐れをなして、もう少し本人の著作を読んでからにしようと思っていた
本作を早めに読みました。
本作はねー、良くも悪くも田辺聖子による吉屋信子。
田辺さんは吉屋信子が好きだろう。おそらく鍾愛の作家と言ってもいいくらいだろう。
しかも田辺さんは夢見る夢子さんであり、それが作家としての本人の原動力なんだろうから、
こういう書き方になるのはよくわかる。予想通りと言ってもいい。
ただやっぱり評伝としてはもう少し対象との距離は欲しいかな……
田辺さんは昔だいぶ読んだんだけどね。
しかしエッセイと古典物のみ。現代小説は多分1作も読んでない。
昔は読む本の範囲が今と比べてさえ相当に狭く、現代を舞台にした小説はまず読まなかった。
ミステリと歴史小説とエッセイで生きていた。
彼女の本道である現代小説を読んでないわたしが田辺さん好きとは公言出来ないと思うが、
それでも言って良ければ、当時三本の指に入る好きな作家だった。
他の二本は……時期によっても色々変わるので一概に言えないけれども(^^;)。
約50冊持ってるなあ。多分一作家としてはわたしの蔵書の中で最大派閥だ。
(わたしが本を買っていたのは大学卒業までだった。その後は図書館利用)
まあ田辺さんはものすごくたくさん書いた人だからね。
なので、本作も基本的には読んで愉しいんだよ。
愉しんで読んだけど、感想としては色々言いたいことがある。
まず最初のとっかかり、吉屋信子が美人かどうかから始めたのは是か非か。
美人かどうかが吉屋信子を形成した重要な要素なのだろうか。
最初にそのことを持ってくる以上、自分の美醜に非常に拘りを持っていた人なんだろうという
印象を持つ。が、本文の中でそうしたことは書かれない。
田辺さんの配慮で書かなかった部分なのかどうか。
配慮で書かなかったんだったらそもそも美人かどうかで始める必要はないし、
配慮というわけでもないのなら、美人かどうかから始めるというのはどちらかというと嫌な出だしだ。
逆に信子が“美人好き”なのと、“(容貌を超えた)生き生きした人”というのは、
600ページ弱上下巻のなかで繰り返し繰り返し2、30回は言われることなのだが、
それが多すぎてうるさい。
この1100ページの中で、実に数多くの人物が出て来る。
またあとがきで女流作家史という側面も視野に入れて書いたという通り、
その多くは女流作家や、女性で活躍している人である。
その人物の多くの登場シーンに、美人である・ないがかなりの確率で言及される。
「美人好きの信子は好感を持つ」
という言い方も何度も出て来る。正直言って過剰。
田辺さん本人も美人好きだろうと思う。拘りすぎなんじゃないか。
次に、あまりに対象に密着しすぎて世間的な位置が伝わってこない。
もう少しこの辺り、客観的に書いて欲しかった。男性作家から嫉視されたとか、
通俗小説と見なされて文学賞からは縁遠かったとか、そういう点は書いているのだが、
あくまで信子側から見たものであるので、もう少し外側からの視点が欲しかった。
信子の小説の内容紹介に相当の分量を割いている。引用も長い。
それはそれで面白くないわけではないけれど、少々長すぎるのではないか。
「女人平家」の紹介なんかは、途中で別なことも挿入しつつ、50ページ近い。
それが1作だけではないからね。長短とりまぜて、10作は超えている。
もうちょっと減らすべきではなかったか。
とはいえ、本作が書かれた時点で、吉屋信子の作品はおそらく本屋にはほとんどない。
そこらの図書館にもあまりないだろう。復刊されたものしか。
だからこそ内容を詳細に書く必要もあっただろうし、その魅力を伝えたかったのであろう。
仕方がなかった面もある。
これだけ外見に言及する作品で、写真の掲載が一枚もないというのは変だ。
なんでしょうか。製作費のケチリでしょうか。
朝日新聞社出版。「アサヒグラフ」に出した時にはバリバリ写真も載せてだろうに。
あとは、足利鉱毒事件とか戦争の時期の話とかが長くてツラかった。
まあこの辺りはわたしが苦手なだけだけど。
戦争時は本人が実際に動いていたのだから納得出来るとして、
足利鉱毒事件はお父さんが関わっていたとはいえ、そこまで言及しない方向もあり得た。
話をだいぶ広げてるんだよね。
女流作家史、という話もあった通り、信子からしばらく離れて別な女流のことを長く書いている
部分も多々あった。林芙美子とかね。
そのせいで信子の印象がぼやけたのかもしれない。
正直、この1100ページを読んで吉屋信子像が結べたかというと疑問。
むしろ田辺さんの思い入れがよくわかった、という作品。
それはそれで価値があると思うけど、やっぱり評伝としては次善だと思う。
というわけで吉武輝子の「女人 吉屋信子」も読んでみる。
吉屋信子本人の作品では「徳川の夫人たち」と「源氏物語」を読んでみよう。
ゆめはるか吉屋信子〈上〉―秋灯(あきともし)机の上の幾山河 (朝日文庫)
posted with amazlet at 18.07.28
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