ひだまりーん

むだばなし。

楽器。

2024年03月21日 | 私。
入院、手術があったため、少し前からギターも太鼓のお稽古もお休みさせてもらっている。
暫くの間お稽古に行かなくていいんだと思うとちょっとほっとしていたが、
これだけ休んでいるとさすがにやりたくなる。
暫く練習していないので全部忘れてしまっただろうな。
また練習を始めたら大変だー。
 
 


 
 
 
 

ユキヤナギ。

2024年03月20日 | 植物・生物
街のあちこちに白い小さな花がたくさん咲いている。
花の名前がわからないので
「花 白 小さい」で検索したら「ユキヤナギ」ということが分かった。
名前は聞いたことがあったがこの花がそうだったのか。
 
本当に雪のようだ。
 
 






 
 
 
 

機種変更。

2024年03月18日 | 子ども
4年使った携帯電話。
今回は結構頑張って使った。
減りが早くなったので途中で1回バッテリーを交換した。
それでも最近はバッテリーが少なくなって来てしまった。
 
ここで思い切って機種変更をすることにした。
みんな頑張ったからご褒美だ。
 
新しい携帯電話はカメラの機能がすごい。
綺麗に写真が撮れる。
ところが私はピントが合わず、ボケた写真ばかり。
あれー、慣れないぞ。
 
 


 
 
 
 

10日ぶりに。

2024年03月17日 | 私。
手術の日から10日が経った。
近所のお店には歩いて買い物に行ったりしたが
どうしても少し遠くに行く用事があり、自転車に乗ってみた。
久しぶりの自転車は何だか不安定だった。
少し漕いだだけで手足が疲れた。
体力が落ちているのではないかなと思わされた。
 
仕事に戻ったら毎日自転車通勤になる。
大丈夫かなー。
不安になった。
 
 


 
 
 
 

終了。

2024年03月15日 | 私。
手術は無事に終わった。
「がん」ではなく、「炎症性の肺結節」だということが分かった。
取ったものを培養して何の病気なのかを詳しく探るそうだ。
 
手術した夜はICUで一晩を過ごし、次の日病室に戻った。
昼ごはんからは普通食だった。
やっとご飯が食べられると思い、嬉しかったのだが
傷口が痛くてあまり食べられなかった。
 
2日後、身体中の管が全て取れた。
管が取れたら退院とのことだった。
3月7日まで入院するつもりでいたのに
急遽3月3日で退院となった。
 
上の子どもが迎えに来てくれ、荷物を持ってくれた。
家に帰っても子ども達が手分けして家事をやってくれた。
いつも殆ど何もしないのにいざとなればやってくれるもんなんだなあと思った。
 
その日の夜は、「こんなに早くまたみんなで夕飯が食べられてよかったね」と笑い合った。
 
 


 
 
 
 

手術。

2024年03月14日 | 私。
手術は午後からだった。
食事は食べられず、水分も10:00までと決められていた。
 
家族は12:00に来てと言われ、子ども達が病室までやって来た。
病室でおしゃべりをしながら呼ばれるのを待った。
 
子ども達と看護師さんと一緒にみんなで歩いて手術室の前まで行き、別れた。
子ども達は家族控え室に入って行った。
手術室には初めて入った。
ステンレスの部屋という感じだった。
ドラマでよく見る風景のようだった。
 
最初に麻酔医に背中から麻酔を入れてもらった。
その後、口にマスクをかけられた。
「だんだんふわっとしてきます」と言われた。
暫くすると本当にふわっとして来たのだった。
 
手術前の記憶はそこまでだった。
 
 


 
 
 
 

前日入院。

2024年03月13日 | 私。
当初の予定通り、前日に入院した。
ひとりで荷物を持って元気に病院に行った。
なんの症状もなく、禁止事項もないので至って元気だった。
 
入院してからは採血をして昼食を食べ、しばらくのんびりと過ごしていたが、
前日は必ずシャワーに入ってと言われ、入った。
その後、執刀医から手術と入院生活についての説明、
麻酔科の医師との面談、歯科検診などがあり、急に忙しくなった。
職場に提出する診断書の申し込みにも行った。
 
これだけ忙しかったのだから夜はぐっすり眠れるだろうと思っていたが
全然眠れなかった。
本当に眠れなかった。
今までこんなに眠れないことはなかったと思うくらい眠れなかった。
 
 


 
 
 
 

入院準備。

2024年03月12日 | 私。
入院の数日前から仕事を休ませてもらった。
 
それから入院準備が始まった。
病院に持って行くものの準備、
自宅の食料や消耗品の備蓄、
一応遺言書も書いた。
 
エンディングノートの更新作業に結構時間がかかった。
どのページにも日付が書いてあり、その日付の更新作業が結構大変だった。
 
入院の3日前からは「みんなで夕飯を食べよう!」と言って毎日家族で夕飯を食べた。