「小さい」やつと思われそうですが、テレビなどを聞いていてずっと気になっていることがあります。
>レバニラ炒めの作り方を教えていただくのは、金萬福(なつかしのあの人、私と誕生日が同じらしいです。)先生です。
なんていってるアナウンサーがいる。結構しばしば、聞きます。
これは間違ってます。これだと、金先生がレバニラの作り方を教えてもらうという意味になってしまいます。正しく伝えるなら、
>私がレバニラ炒めの作り方を教えていただくのは、金萬福先生です。
>レバニラ炒めの作り方を教えてくださるのは、金萬福先生です。
ではないでしょうか。とっても気になります。日本語は、主語目的語を省略してしまう言語です。
英語だと >I hate you. と言わなければいけないものも
>あんたなんか嫌い とか>嫌いさ。
で済んでしまう言語です。だから、動詞・補助動詞・助動詞の部分をしっかりさせておかないと、関係性が崩れてしまいます。
英語(中国語もそうです)は、順序でその関係性を示します。
>I hate you. >You hate me. は順序によって、まったく逆の意味だと言うことを示しますが、
>嫌いさ。 >嫌われてる。
のように、主語目的語がなくても、日本語では関係性を示すことができます。
ですから、「くださる」と「いただく」を使い間違えると、関係性も間違ってしまうのです。
昔の日本人にとって、関係性を間違えることは死活問題だったことでしょうに。
なぜ、かくも日本語の敬語表現は揺れてしまっているのか。
ちょっと考えてみました
①尊敬に値する人物がいなくなってしまっている。
②身分制度の名残も完全に消滅した。
③敬語を使う場が、経済活動(接客・営業・面接試験等)の中でしか行われず、尊敬の心情が伴う場が経験されない。
③英語教育が行われ続けたため、主語が省略されることが少なくなった。それゆえ、敬語で関係性を指し示す必要が減った。
言葉も±0 となりつつあるのかもしれない。それはそれで寂しいことでございます。
>レバニラ炒めの作り方を教えていただくのは、金萬福(なつかしのあの人、私と誕生日が同じらしいです。)先生です。
なんていってるアナウンサーがいる。結構しばしば、聞きます。
これは間違ってます。これだと、金先生がレバニラの作り方を教えてもらうという意味になってしまいます。正しく伝えるなら、
>私がレバニラ炒めの作り方を教えていただくのは、金萬福先生です。
>レバニラ炒めの作り方を教えてくださるのは、金萬福先生です。
ではないでしょうか。とっても気になります。日本語は、主語目的語を省略してしまう言語です。
英語だと >I hate you. と言わなければいけないものも
>あんたなんか嫌い とか>嫌いさ。
で済んでしまう言語です。だから、動詞・補助動詞・助動詞の部分をしっかりさせておかないと、関係性が崩れてしまいます。
英語(中国語もそうです)は、順序でその関係性を示します。
>I hate you. >You hate me. は順序によって、まったく逆の意味だと言うことを示しますが、
>嫌いさ。 >嫌われてる。
のように、主語目的語がなくても、日本語では関係性を示すことができます。
ですから、「くださる」と「いただく」を使い間違えると、関係性も間違ってしまうのです。
昔の日本人にとって、関係性を間違えることは死活問題だったことでしょうに。
なぜ、かくも日本語の敬語表現は揺れてしまっているのか。
ちょっと考えてみました
①尊敬に値する人物がいなくなってしまっている。
②身分制度の名残も完全に消滅した。
③敬語を使う場が、経済活動(接客・営業・面接試験等)の中でしか行われず、尊敬の心情が伴う場が経験されない。
③英語教育が行われ続けたため、主語が省略されることが少なくなった。それゆえ、敬語で関係性を指し示す必要が減った。
言葉も±0 となりつつあるのかもしれない。それはそれで寂しいことでございます。