うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

二律背反ってとこ

2005年11月24日 | ことばを巡る色色
今月は、一人投稿強化月間だぞ!!と心の中に叫び(エ、この投稿数でですかと突っ込まないでね)、月末も間近になってまいりました。ここで、私はちょっと、考え込んでいるのです。
拙ブログ(私は大人なのでこういう謙譲表現を知っていますよ)にお訪ねくださる方々、ここにいたり、半数は「私」が何者であるかをご存知の方(ぎふてぃのお仲間の優しい方々です)と、私はどこの誰ぞということをご存じない方々がほぼ同数になってきたように思っています。
秋のせいもあり、私は最近、メランコリック(!)です。だから、本当は、リリックな、センチメンタルな、なよなよな記事をすっごく投稿したくなってしまっているのです。なんせ、投稿強化月間なんで、「さあ、書くぞ、投稿するぞ!」という意気込み満点なんですが、浮かんでくるのが、シェリー酒にお砂糖ザボザボみたいなものばっかしなんですよね。実「私」を知ってる人が読んだら、AHAAHA物の、読ませる私も恥ずかしいものばっかしなんですよね。例えばね、

秋が深くなってくると、山に囲まれた町で歩いた夜を思い出す。あれは独立公演の日で、私は、あの子がカーテンコールにもらった花束を、胸いっぱいに抱えていた。
世界のすべての花が私にささげられ、私は世界のすべての花を抱いていると思った。
あの町の秋の夜は、混ぜ物のない、透明な空気に満ちていて、
それまで、寄り道ばかりで見えなくなっていたものなど、何にもなかったようだった。
きっと、世界には、二人だけしか歩いていなかった。銀河系の中でこの道だけが、ただ一つの道だった。
いろいろな、質問や、誤解や、そういうものはどうでもいいと思った。
そんな夜が、いただけることもあるんだなあって、思った。
このまま、どこまでも二人だけで歩いていけたなら、世界全部がなくなってもいいかもしれないと、思った。
でも、それも終電までだとわかっていたのかもしれない。
夜が明ければ、私はまた、遠い町のあの子がわからなくなるんだろうと、知っていたけど。
私は、あれから、何度も、何度も、秋の夜を迎えたけれど、
あの夜だけを信じているのかもしれない。だから、もうそれでいいのかもしれない。



なーんてのをあれよあれよという間に、自動書記のように指がタイピングしてしまう。恥ずかしすぎる!なのに、出来上がってしまうと、読んでほしいぞ!と思ってしまう。ね、Ahaahahaでしょ。前世語られた上に、次は乙女だしてこられたら、ねえ。これは、読んでる私もやっぱ、恥ずかしい。節度も謙譲表現もちゃんと知ってる大人としては。特に実「私」を知ってる人に、どう顔をあわせればいいかわからない。
こっそり、も一つブログを持つしかないのかぁ・・・
コメント (12)
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