うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

片恋

2005年11月25日 | ことばを巡る色色
もう、シーラカンスのように、マンモスのように、始祖鳥のように、アンモナイトのように、枯れた心根を持って暮らしている私だけれど、ブログは、片恋をしているような気分になる。「ねぇ、ねぇ」という気持ちが私の中にも、まだあるのだと気づく。
恋しい人のところに息せき切って駆けて行き、コメントを書いてみる。時々、お返事してくれたかと覗きに行く。お返事がないと、肩を落として、すごすごと帰ってくる。自分の記事を書いてみる。恋しいあの方が私の独り言に、ほんのちょっとでも言葉をかけてくれぬかと、心待ちにする。来てくれぬと、このお話ではだめだったのねと、違うお話を書いてみる。それもなしのつぶてだと、やっぱりわたしでは駄目なのねと、悶々とする。音沙汰が無くなってどれくらい経ったろうと、数えてしまう。何が駄目なんだろう。どうすればいいのだろう。恋人なんてものにしてくれなくっていい。友だちでいい、お話ができさえすれば、いいのに。
突然、恋しい人が私の目の前から消えてしまうことがある。お引越しの転居先を教えてもらえないのが私なのかと、悲しくなる。時々は、思いも寄らぬ人が声をかけてくれることもある。やり取りをしているうちに、長い長い間恋焦がれていたような気持ちになってしまう。
私は、シーラカンスのように、マンモスのように、恋を忘れていたのに。
コメント (14)
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