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【ドイツ-5】 第二次世界大戦後のベルリン封鎖~ベルリンの壁~現在

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

【ヤルタ会談】   1945年2月、ソ連クリミアのヤルタ・リヴァディア宮殿(ロマノフ王朝の離宮)で米・ルーズベルト、ソ・スターリン、英・チャーチルが集まって戦後処理会議を行った。まずはポーランド問題、ソ連にとってポーランドはソ連の要塞的立場である。

   【ヤルタ会談の主題はポーランド分割】   1939年ソ連はポーランドに侵攻、1941年には独が独ソ不可侵条約を破ってポーランドからソ連に侵攻してポーランドの東半分を取得した。1943/4月ソ連領カチンの杜でポーランドの捕虜4000人の虐殺死体が発見され、ポーランドの英亡命政権とソ連は外交断絶。1944年再びソ連が独を破ってポーランドに侵攻してポーランドの英亡命政権に対抗すべく、1944/7 ルブリン政権を組織(ポーランド国民解放委員会、ソ連の傀儡)し、首都ワルシャワに迫った。かくしてワルシャワ市民が蜂起して独と戦うのであるが、ソ連は何故か戦闘停止、これにて独軍の報復爆撃が始まりワルシャワは壊滅し兵士、市民15万人が死亡した。この時にソ連はワルシャワに進軍して独軍を制圧、1945/1月ルブリン政権を伴ってワルシャワに入場してポーランドの支配権を得た。このポーランドの解体交渉はヤルタ会談で認められたものの、チャーチル主張の英亡命政権とスターリン主張のルブリン政権の選択は戦後、ポーランド市民に委ねられた。

 

   【ソ連の裏切り】   しかし結果はソ連によるポーランドの完全共産化であった。そしてポーランドに帰ってきた英亡命政権は逮捕拘束された。直後の4月ルーズベルトが死去、5月独は降伏した。ルーズベルトに代わって大統領になったトルーマンは、ヤルタ会談での約束を破ったソ連の横暴を許せず米ソの関係は次第に悪化していくのである。この頃米では原爆完成が秒読み段階にはいっており、ソ連の侵攻が必ずしも必要という状況ではなくなっていた。かくしてWW"終結に向けてのポツダム(ベルリン近郊)会議は、ソ連を除いて英米で草案した資料を基に行われた。もはや米ソ関係は冷戦に突入していたのである。

   【バルカン密約】   英ソが利権を争うバルカン半島に侵攻したソ連は、1944年ルーマニアに次いでブルガリアを占領した。英チャーチルはスターリンにルーマニア、ギリシャなどバルカン全域の統治権割合を提案、これにて英ソの勢力配分が決まった。そして英はインドへの地中海航路確保のためギリシャに於ける統治を強め、ギリシャの共産党系パルチザンを排除した。

   【極東密約】   英を除いて米ソ会談が行われた。このとき硫黄島での日本軍の奮闘で米兵の死者は2万人、米ルーズベルトは米損害を少なくするために、ソ連に日本侵攻を持ち掛けたのである。この時日ソは不可侵条約を結んでおりソ連が日本の侵攻を行う理由をソ連国民に納得させるのは困難であった。スターリンは見返りにサハリン、千島列島の割譲、満州鉄道の権益を要求した(ポーレン覚書)。台湾の中国返還、朝鮮半島の米英統治、1945年2月11日にヤルタ会談は終了した。4月ルーズベルトが死去、5月独が降伏すると、ソ連は密約通り日本に侵攻した。ヤルタの密約通り米の原爆投下とともにソ連は日本に侵攻、日本兵約60万人がソ連に連行され、シベリア収容所などで強制労働させられて6万人が死亡したという。またアジア太平洋には600万人の兵士が取り残されて、中国残留孤児などの悲劇が起きた。そしてビキニ環礁に日本の艦隊70隻が集められて原爆実験も行われた。艦隊70隻は瞬時に破壊され、米はソ連に対して圧倒的優位な兵力を見せつけた。

【ソ連による鉄道・道路封鎖】   1945年、第二次世界大戦が終結直後、ほとんど戦争の影響を受けなかったアメリカは兵士の住宅、車、高速道路など繁栄に沸き立つが、戦火に見舞われて壊滅したヨーロッパ東側諸国ではソ連の支配下となって権力者が粛清され難民が溢れて居た。欧州移民のドイツ人1400万人が難民となってユトランド半島へ移動。途中迫害をうけたために200万人が死亡したという。こうした中でドイツ全土及び首都の西ベルリンも分割されたが、ソ連は西ベルリンに向かう全ての鉄道と道路を封鎖した。西ベルリンはソ連の分割地内にあり、ソ連はドイツとの戦争で甚大な被害が出ていたため取れるものは全てとるという方針をとったことから、早期復興を目指す英、米、仏3か国と対立したのが理由である。チャーチルによるソ連を非難した鉄のカーテン演説はこのときのものである。

【東側の通貨改革失敗に伴う西ベルリン完全封鎖】   ソ連が東側共産主義領域においてドイツマルク発行を実施すると、すかさず西側も新通貨を発行すると公表した。この結果、マーシャルプラン(米による復興支援:マーシャル提唱)に保障される西側通貨が力を持つようになり、東側の通貨改革は失敗する。反発を強めたソ連側は、西ベルリンへの陸路の完全封鎖、4本の鉄道は閉鎖され、東ベルリンとの間を結んでいた地下鉄も運休し、運河を経由した船舶輸送も停止され、アウトバーンも閉鎖され、電力供給も停止となり物流を完全に停止させた。ソ連による恐ろしい行動である。これに立ち上がったのがチャーチルである。

【1948年、ベルリンへの空輸作戦】   かくして1948/6空輸による物資輸送が開始された。C46輸送機、民間航空機、B29による輸送量は4500トン/日。15ヶ月で183万トンにのぼる。この空輸作戦の成功により、さすがのソ連もベルリン封鎖の失敗を認めざるを得なくなり、1949年5月12日に封鎖は解除された。ドイツでは、この空輸作戦を称し「ベルリンへの空の架け橋」といい、空輸作戦の記念碑が建てられている。空輸作戦に要した費用は、当時の金額で約2億2400万ドルである。また、作戦期間中に17機のアメリカ軍機と8機のイギリス軍機が事故を起こしたことで、70名が殉職している。かくしてヒトラーのベルリン(アメリカが爆撃していた)が自由なベルリン(アメリカが物資を供給する)へと変貌したのである。

【1954年パリ協定】   西ドイツの主権は回復が決定、再軍備も始まってNATO(北大西洋条約機構)に加入する。西ドイツはドイツ連邦共和国(初代首相・アデナウアー)、東ドイツはドイツ民主共和国(形だけの民主であり実態は社会主義 首相・グローテウオール)。西側はどんどん経済発展するが社会主義的影響下にある東側の発展はないことから、市民は東から西へどんどん逃げる。これを防ぐために1961年に建設されたのがベルリンの壁である。やがてこの壁は1989年に崩壊する。東側は1955年にワルシャワ機構に加盟する。   

現在:ドイツでのクーデター By反グローバリスト
 ・2022 石油、電気代高騰 
 ・2022 移民による治安悪化  
     -12月 トルコ移民殺害
     ドイツ連邦検察3000人が殺害犯を検挙
 ・殺害犯は極右によるクーデター計画
   極右勢力はライヒスビュルガー運動を実施
    →・中世連合国を取り戻す運動
     ・ビスマルク第二帝国が目標
     ・今の国家は認めない
     ・ディープステート(DS)は認めない
     ・会員は約2万人
     ・中心人物はロイス公爵ハインリッヒ13世 
   極右の計画
    →・政治に入り込む
     ・ドイツ軍に入り込む:爆弾等々も調達済であった
     ・国会議事堂襲撃 
     ・ショルツ首相1958-暗殺
     ・第二帝政復活宣言 
     ・ロイス家から国王を立てる
     ・AFD(極右ポピュリスト政党 EU懐疑的 移民反対)前議員を法務大臣とする 
     ・ロシアからの支援あり 

コメント

【ドイツ-4-3】 独ソ不可侵条約後にポーランド侵攻したドイツ:第二次世界大戦

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

【1918年11月11日、ドイツ兵士の革命@キール軍港 :兵士の集会--レーテ】    社会主義革命 ロシア10月革命の影響 兵士の暴動によりヴィルヘルム二世はオランダに亡命し、第一次世界大戦が終わるきっかけとなる

 1919/1 スパルタスク団蜂起(指導者ローザ・ルクセンブルク1871-1919---逮捕撲殺)
               レーニンとともに社会主義者
 1919/2 ヴァイマル憲法制定

【1919年1月~6月、パリ講和会議 敗戦条約】 独は1320億マルクの賠償金:

   米:ウイルソン民主党  14か条の平和原則---理想主義 
   英:ロイド・ジョージ 
   仏:クレマンソー    賠償金多額!! ---現実主義 → 独封じ:ベルサイユ条約

【アドルフ・ヒトラー1889-1945】

    1889 オーストリア生まれ
        父方の祖父は不明
        父方の祖母は某ユダヤ人の家政婦として働いていた
        某ユダヤ人の息子と関係を持って生まれたのが父・アロイス・ヒトラー1837-1903
        1/4はユダヤ人であった可能性があると認識
        当時ウイーンの1/3はユダヤ人
    1895 バイエルンに移住 By父の事業
    1900 オーストリアに戻った後実技課程に進む
    1903 父病死
    1906 ウイーン美術アカデミー不合格後は住所不定
    1913 オーストリア兵役回避逃亡--強制送還
    1914 第一次世界大戦に義勇兵志願
    1918 ガスで一時失明、野戦病院収監
    1919 兵士集会レーテに参加 政府軍の諜報機関員としてドイツ労働者党に潜入 By ドレクスラー1884-1942
    1920 ドイツ労働者党に傾倒:ナショナリズム(ベルサイユ条約への反発)
 
   1921 第一議長就任
    1923 ミュンヘン一揆@ドイツはハイパーインフレ で失敗逮捕、ナチス解散 1年後仮釈放
        → 首謀者はルーデンドルフ1865-1937(WW1での潜水艦無制限攻撃の発案者)
          伊ローマ進軍@1922 Byムッソリーニ  
    1925 ナチス復活
        ナチ親衛隊創設:ホロコースト実行部隊
        ・指導者 ハインリッヒ・ヒムラー1900-1945/5/23
        ・大将  ラインハルト・ハイドリッヒ1904-1942
             妻はリナ :死ぬまでナチスを愛す 反省なし
        ・秘密警察ゲシュタポ
        ・良き血を求める
        ・レーベンス・ボルン生命の泉

    1926 我が闘争出版
    1928 ナチ党議席確保
    1929 金融恐慌@米 : ドイツ世界恐慌@1931 失業者600万人
                 国民は自由よりも生活の安定を望む:全体主義 ファシズム
    1932 ドイツ国籍取得、大統領選で落選するが第一党に躍進
        ヒンデンブルク大統領1847-1934(タンネンベルクの英雄)が指名した首相はパーペン1879-1969
        1932-11月の選挙で躍進したのは共産党(労働者基盤)→これを嫌ったのが資本家 
        資本家バックのヒンデンブルクは躍進のためにヒトラーを首相にする道を選んだ
    1933  1月 ヒトラー内閣:ヒンデンブルク大統領から首相指名、独裁開始
           ダッハウ強制収容所創設@ミュンヘン
        2月 国会議事堂放火事件 By 共産党員??
           → ドイツ共産党は非合法化:議会から追い出される
        3月 全権委任法 : ドイツ共産党解散
        
    1934 ヒンデンブルク大統領老衰死、 ヒトラーが大統領、首相を兼任する国家元首(ヒューラー)となる
    1935 多額の公共投資により完全雇用達成

 

かぎ十字 : 古代インドアーリア人の紋章

ヨーロッパに派生したアーリア人がゲルマン民族

    1936 ラインラント進駐、ベルリン五輪開催
    1938 オーストリア併合、ズデーデン地方獲得
 
   1939 チェコスロバキア占拠
    ゲーリング1893-1946 :航空大臣 秘密警察ゲシュタポ創設者
    ヒムラー 1900-1945 :親衛隊SS指導者 ゲシュタポリーダー ユダヤ人虐殺リーダー
    ゲッベルス1897-1945 :宣伝大臣 
    ヘス   1894-1987 :親衛隊大将 無期懲役 自殺?
 1920 国際連盟:機能しない
 1921 ワシントン会議:軍備縮小 ---主力艦規制 米英日:553 → 日本封じ:ワシントン体制
 1923 ルール工業地域占領(仏白)---独政府は単に金を刷るのみ → ハイパーインフレ
     ヒトラーのミュンヘン一揆---失敗

 1924 ドーズ案採用(賠償金支払いに米から借りる)
 1925 ロカルノ条約---仏独同盟 By 仏外務大臣ブリアン1862-1932
     ゲッペルス----ナチ党ベルリン地区指導者
 1928 不戦条約(65か国)@パリ By 仏外務大臣ブリアン、米国務長官ケロッグ1856-1937---誰も守らない
                   → フリーメーソン ⇔ カトリック
 1930 ロンドン軍縮会議    ---補助艦規制  米英日:10107
 1931 満州事変
     スペイン王国(ブルボン朝) → スペイン共和国
 1932 ヒトラーはドイツ国籍取得
 1933 ヒトラー首相
     ゲッペルス----ナチス宣伝相大臣
           小児麻痺で生まれる
           文筆家目指すが出版社(ユダヤ系多い)から却下
 1935 ザール地方(石炭採掘有数の地 1920以降国際連盟が管理)はドイツ領 By住民投票
     再軍備宣言(国際法違反 ベルサイユ条約違反)
 1936 仏ソ相互援助条約(独を挟み撃ち)
     非武装地帯のラインラントに進駐:ロカルノ条約違反
     スペイン内戦 :アサーニャ人民戦線内閣(バックにソ連)✖ VS 〇軍人フランコ(バックに独、伊)
                                   ベルリン-ローマ枢軸結成@1936
           ナチスの横暴を阻止したい:労働者        資本家、教会、大地主
    米(モンロー宣言で中立法)、英(ゲルマン共同体?)、仏 : 不干渉政策 
 1938/3 オーストリア併合
 
1938/9 チェコスロヴァキア:ズデーデン地方狙い

------第二次世界大戦------------------------------------------------------------------

1939/8   独ソ不可侵条約

1939/9  独 & ソ連がポーランドに侵攻
     
英・ネヴィル・チェンバレン首相は宣戦布告したが・・・・動かず :奇妙な戦争
      ハイドリッヒは国家公安本部長
      ユダヤ人200万人をゲットーに収容    
      独がデンマーク、ノルウエーに侵攻

1939/12   ソ連〇-✖フィンランド戦争(冬戦争) :ソ連はポーランド侵攻の途中でフィンランドに方向転換
        フィンランドはロシア革命の時にロシアから独立したが・・・
        バルト三国はロシア革命の時にロシアから逃げて第一次世界大戦後に独立したが・・・

1940/5     ナチス独は蘭、ベルギーに侵攻
       
ダンケルクの戦い --- やっと英仏白(ベルギー)は戦う:西部戦線 
                  英は撤退
                  仏は無防備  

1940/6   ソ連はバルト三国にも侵攻    :三国併合 独ソ間にポーランド分割の密約があった
       ソ連は各国から非難---国際連盟除名
       フィンランドは後の独ソ戦では独ロシア側について戦ったことで、戦後ソ連の脅威にさらされる       

1940/6   伊はエジプト侵攻 :エジプトに駐留する英軍への宣戦布告
       これを見た独は、英伊に挟み撃ちにされることはないとして、仏侵攻してパリ陥落に成功
       以降1年間はヨーロッパ諸国での戦闘は行われていない ---  第二次世界大戦は一端終了
       北仏---独の完全占領地
       南仏---独による傀儡政権・ヴィシー政府樹立:フィリップ・ペタン主席1856-1951

          ヴィシー政府を嫌ったシャルル・ドゴール1890-1970
           ・1940/5--ナチス侵攻、仏降伏 
           ・1940/6--英に亡命して、ロンドンに自由フランス政府立ち上げ、ナチスドイツに対抗した
           ・1944/6--ドゴールは英チャーチルに働きかけたことで、米ノルマンディー上陸
                 英大嫌いな仏が英を頼る・・・・
           ・1944/8--パリ帰還、臨時政府首相
           ・1945/5--無条件降伏
                 ドゴールはこれを自分の手柄にする・・・・
           ・結果、仏は戦勝国 国連安保理事国入り 

   ポーランドを分割して西側はドイツ、東側はソ連 次に訪れるのは独ソ戦
   そのために行った侵攻が以下   

1941/6   独によるルーマニア侵攻+独ソ戦 : ルーマニアの北はソ連、いよいよ独ソ不可侵条約が終焉 
        
1941/7    ラトビア侵攻 :ユダヤ人70万人銃殺 
1941/9    アウシュビッツ収容所で毒ガス使用               

       スターリングラードの戦い :スターリングラードはソ連ボルガ川西岸の工業都市
                     独+伊+白+ルーマニア✖ VS 〇ソ連・スターリン 
                     独はウクライナ経由ソ連へ --- ここでウクライナは独ナチスに味方
       
現在プーチンが「ウクライナはナチスだ」 という理由がここにある---完全な誤解
       ウクライナには「大祖国戦争記念館」というのがある(ソビエト連邦が一致団結してドイツと戦った証)
       つまりウクライナは祖国(ソ連)のためにドイツと戦った人たちの記念館だという
       ウクライナ-ソ連間には何もひびがはいってないかのよう・・・どっちが正しいんだ?
       2023-9現在、ウクライナ戦争は1年以上続いている。
        
1942/5    ハイドリッヒ暗殺 Byチェコ工作員
       チェコ・リディツェ村の村民200人以上虐殺 村全体を破壊
1943/2    スターリングラードでソ連に大敗                 

1943/9   イタリア戦線 :米による伊侵攻 --- 伊降伏

       1941/12 真珠湾攻撃で米は宣戦布告

       伊降伏および日本劣勢を機会に米は 対 独へ乗り出す       

1944/6   ノルマンディー上陸作戦(ネプチューン作戦) 
1945/4    ヒムラーが連合側と和平交渉
        ・ヒトラーより処刑命令 
        ・ヒムラー逃亡するが自殺        

1945    第二次世界大戦終焉 --- 冷戦の始まり            

 

 

                           

【1923年、ルール占領とハイパーインフレ】    第一次世界大戦に敗れたドイツは、多額の賠償金に苦しめられ、インフレ経済状況の悪化により、賠償金の支払いはやがて不能になる。ドイツの猶予要求にたいして、連合国側はこれに応じず、1923年にはフランスとベルギーがドイツの工業地帯であるルール地方に侵攻し、占領する。これを受けてドイツは、ルール地方の炭坑や鉄道に勤める労働者に対して不服従やストライキを呼びかけたが、賃金支払いのために紙幣を増刷したことでハイパーインフレが進行する。生活が苦しくなった国民は不満の声をあげ、ナチスの前身であるドイツ労働者党が1919年にミュンヘンで設立され、1923年時点では3万名の党員を抱えるに至る。

【ミュンヘン一揆により捕らえられたヒトラー】    当時の政治は、州総督カール、司令官オットー、州警察長官のハンスによる「三頭政治」、かくしてナチスは、1923年、ドイツの軍人エーリッヒ・ルーデンドルフ大将や、ヒトラーらが参加する「ドイツ闘争連盟」は「ミュンヘン一揆」を起こす。舞台はミュンヘン、ドイツが統一前はバイエルン王国の首都であった。この一揆の目的は、ヒトラーがバイエルン州政府の主導権を掌握し、ワイマール共和国政府を倒して自らの政権を樹立することであった。しかし一揆は半日で鎮圧され失敗、ヒトラーら首謀者は逮捕された。このとき、ヒトラーは独房で『我が闘争』を著している。

【ファシズムが社会不安を背景に台頭】    1929年の世界恐慌をきっかけに、植民地を持たないドイツはブロック経済対策(本国と植民地の間で自給自足をして経済を回す)ができない。従って、国民は従属させて近隣国に侵略して経済を活性化するしかない。(イタリアや日本も同じ) このような背景から、ファシズム(全体主義とか集団主義ともいい、民主主義や自由主義を批判するものである)が、社会不安を背景に支持を拡大し国民から大きな期待を持たれるようになる。この頃、ヒトラー率いるナチスは、かつて三頭政治を行っていた州総督カールなどを粛清している。

【1933年にヒトラー内閣が誕生(@ワイマール共和国)】    1938年アドルフヒトラーによってオーストリアがドイツに併合された。それは第一次世界大戦後のベルサイユ条約で禁止されていたことであったが、オーストリアのドルフス首相1892-1934は、ナチスにより暗殺され、新首相も半ば脅迫される形で併合されたのである。ドイツ軍が1938/3/15オーストリアに侵入してきた時、何も知らされていない国民は歓迎したという。なぜならドイツと組めば豊かになると思ったからである。因みにこの時にヒトラーが演説した場所は、オーストリア・ハプスブルグ王宮のバルコニーで、エルジー、エリザベート、フランツ皇帝が市民を眺めた場所であったという。ヒトラーが最初に逮捕したのは、サラエボ事件で暗殺されたフランツ・フィルディナント大公1863-1914の遺児、ハプスブルグ家の血は許せなかったようである。

【日独伊三国防共協定と独、伊、英、仏が参加のミュンヘン会議】    この頃、日本は満州事変を起こし他の国々から睨まれた存在であった。一方、日独伊三国防共協定によってソ連を挟み込むことによって社会主義を倒す意味を持っていたことから、英仏もこれに期待したとも言える。これに気づいたヒトラーは勢い付き、さらにドイツ人地域以外の進出も行った。それがチェコスロバキア。しかしチェコは英仏が後ろ盾になってくれることを期待して拒否した。かくして開かれたのがミュンヘン会議1938で、独、伊、英、仏が参加(ソ連とチェコスロバキアは外された)。英仏の弱腰の結果、チェコスロバキアのズデーデン地方は独に割譲。かくして英仏は、ソ連を警戒するという日独伊三国同盟を盾に、ヒトラーの要求を次々と飲んだのである。チェコの都市ヘプは独との国境にある街、そこにあるドイツ人墓地は第二次世界大戦後に破壊された。ナチスドイツの侵略によりヘプ(かつてはドイツ系住民が90%)を拠点にチェコ全土が侵略された歴史があるからである。1945年になると逆にチェコはドイツ系住民を強制追放、その過程で20万人ものドイツ人が亡くなった。近年チェコとドイツは和解して墓地も修復されたという。

1938年8月から12月にかけてヒトラー・ユーゲント(ドイツ青少年団30人)が来日し、日本全国を訪問、熱烈な歓迎をうけた。来日の目的は日独防共協定の強化である。この時に、なんと「万歳ヒトラー・ユーゲント」という歌を作詞したのが北原白秋である。「輝くハーゲン・クロイツ よこそ遥々西なる盟友・・・ 万歳ヒトラー 万歳ナチス」である。翌年の1939年1月には、150両の戦車が靖国神社に向けて行進。なかには日中戦争で中国国民党から奪った戦車に「鹵獲品」と記した布を貼り付けた戦車もあった。これは日本軍の強大さをアピールする狙いがあったというから驚くばかりである。ところが実際には日中戦争は泥沼化しており、戦費調達のために日本国民は国債の購入が推奨され節約(すいとんや日の丸弁当)が義務付けられていたのである。そしてやがて食事は配給制となり、配給所では戦死者のための黙祷を行う光景が増えたのである。ここにはもはや日本軍の強大さといった面影はかけらもない。戦死者の遺児たちは、集められると靖国参拝をさせられて「神様となられたお父さんも大喜びであろう」と言うような映像を流すようなプロパガンダまで用いられたのである。【答辞:私どもの父は聖戦に召され、男子の本懐として出兵し戦死致しましたが、天皇陛下の御為に身を捧げたことを誇りに思っているでしょう】 これを小学生に読ませるということを日本軍部は行っていたのでる。1940年、皇紀2600年が盛大に祝われ、「天皇陛下万歳」の万歳三唱などは、ナチスドイツや北朝鮮の独裁を彷彿とさせる光景である。じつはこの年東京オリンピック開催が決まっていたが返上し(史上初)、1941年12月8日真珠湾奇襲攻撃が始まった。 空襲に備えた演習では逃げることよりも消火が優先されたことが、東京大空襲での多数の死者を出した原因である。

【独によるポーランド侵攻】    さらに独ソ不可侵条約1939(ソ連は英仏に不信感を抱いていた)を結んで、1939/9/1にドイツ軍はポーランドに侵攻したのである。ドイツ軍は爆撃機と戦車中心の電撃戦を展開、一方騎兵を中心としたポーランド軍は1週間で壊滅した。ただワルシャワだけが抵抗を続けていたため、ワルシャワ市民に対する無差別爆撃が行われていた。9月27日にワルシャワは降伏した。ポーランドと同盟を結んでいた英仏は、不可侵条約の陰謀にやっと気づいて、1939/9/3に独に宣戦布告したのである。ロンドン市民は毒ガスマスクで顔を覆うという異様な風景が広がった。仏ではマジノ要塞と言われる総延長750kmにも及ぶ近代的な地下設備が建造され、仏軍はここに立て籠もった

第一次世界大戦後に誕生したポーランドは僅か20年後に姿を消した。ポーランド難民は4000kmの道のりを経てイラクの砂漠地帯にまでたどり着いた。ポーランド西部には数多くのドイツ人が暮らしていたが、彼らはポーランド人の家を奪うようにして暮らした。ヒトラーはユーゴスラビアのドイツ人をオーストリアに呼ぶなど、ヨーロッパ各地に居たドイツ人を呼び戻し、熱狂的な支持を得ていた。

この頃、ヨーロッパ各地に散らばっていたユダヤ人はナチスの迫害から逃れるためにパレスチナに集まってきた。1920年代のパレスチナには国家を持たないアラブ民族とユダヤ民族が共存していた。両者を統治していたのが第一次世界大戦後に進駐したイギリスである(植民地大臣はチャーチル)。チャーチルは両者に国家独立の支援を約束していた。ところが1930年代なるとユダヤ人は急増しアラブ人の危機感を煽るようになった。両者が衝突するようになると英はユダヤ人のイスラエルへの入植を厳しく制限した。1938年にはユダヤ人集会@テルアビブで開かれ、ワイズマン博士はユダヤの正義を訴えた。

  【独により西欧全土占領とユダヤ人虐殺】    1940年5月ドイツ軍はオランダに奇襲攻撃をかけ、パラシュート部隊が空から襲い掛かり、橋などを占領すると機械化部隊がなだれこんだ。このようにしてヒトラーはベルギー、デンマーク、ノルウエー、オランダ(アンネ・フランクはこの時蘭に居た)に次々と侵攻、ドイツ軍はアルデンヌの杜を戦車部隊で襲い、1960/6には仏迄をも降伏させるとヒトラーはパリへ入場、かくして西欧の多くがヒトラーの支配下に行かれた。ドイツ帝国復活と人種差別を掲げるナチスは各地域でユダヤ人の迫害を強め、まずは移住させた。ワルシャワでも一番荒廃したユダヤ人隔離地域がゲットーである。慢性的な食糧不足と疫病が蔓延し悲惨絶望この上ない地域である。毎日100人近い餓死者がでていたという。これらのユダヤ人は1942年には強制的に収容所へ送りこまれた。ナチスは1942年から組織的なユダヤ人殺戮を行い始めた。そこはアウシュビッツなどの強制収容所1000カ所以上、アウシュビッツだけで160万人以上が虐殺された

ところでアウシュビッツ強制収容所は1940年に独政府によって建設されたが、1000ヵ所にも及ぶ強制収容所の初建設は1933年、ナチスが独裁政治を行った頃である。当時の目的はユダヤ人虐殺ではなく、ナチスに反する勢力、家を持たない人、同性愛者、身障者などを隔離するのが目的であった。そして第二次世界大戦がはじまると、ユダヤ人への虐殺の勢いが増していった。

虐殺はユダヤ人だけではなく、自閉症の子供たちへも向けられた。アスペルガー症候群というコミュニケーション能力が欠如した症状が代表的のようであるが、この中にとびぬけた才能を持つ人が居る。そこでナチスはアスペルガー症候群の研究をして、有用な人間を見出そうとした。しかし有用ではなかった場合には虐殺するのである。この研究を行ったのがアスペルガーという医者である。そして、 アスペルガー症候群だったと言われた有名人には、シュリニヴァーサ・ラマヌジャン:タクシー数で知られる数学者、 アイザック・ニュートン、万有引力や光のプリズムで知られる数学者、 アルベルト・アインシュタイン:相対性理論の物理学者、 ミケランジェロ:ルネッサンスの天才 、 フィンセント・ファン・ゴッホ:ひまわりで知られる画家などの天才が数多く居る。

  【独の敗戦】    1940年ドイツと戦い続けていたのはイギリスのみで、ロンドンの地下には巨大な防空壕があり、そこには1940年5月に首相となったチャーチルが居て絶対に降伏はしないと演説している。8月にはドイツ空軍による英空襲が始まり、地下鉄の構内が人々の避難所となった。この時に活躍したのがレーダ、情報は英空軍基地に伝えられて英軍は迎撃できるようになっていた。これにより独軍は1700機もの航空機を失い、英本土上陸を諦めた。次に独が狙ったのはソ連、1941年6月22日独軍はソ連に侵攻、初戦の勝利で200万人もの捕虜を得た。次はモスクワ陥落を目指して1941年10月に迫ったが、やがて来る本格的な寒波がそれを防いだ。一個連隊につき500人が凍傷でやられ機関銃は打てず、37mm対戦車砲もソ連のP34戦車には無力であった。そしていよいよ12月に入るとソ連極東軍による反撃が始まった。雪中で孤立していた独軍は次々と撃破され、12月8日には退却を始めた。この時無敵ドイツが敗れたのである。

  【独の崩壊】    体制を立て直したドイツが再びソ連を侵攻したのは1942年夏。南ロシアのほとんどが占領破壊されソ連の犠牲者は700万人と言われる。これらスターリングラードの戦いでソ連の中心都市を占領し、9月には市街戦が展開。ソ連市民や農民が銃をとって立ち上がり共産党はこれをパルチザンというゲリラ部隊に仕立てた。やがて冬になると独軍の10万人が捕虜となり降伏したが、生きて祖国に帰った捕虜は6000人。1945年3月ソ連軍はベルリンに迫ると、首都防衛のためにヒトラーは15才前後の少年兵を組織した。4月にソ連は総攻撃を開始し30日ベルリンは陥落した。ヒトラーの片腕ヨーゼフ・ゲッペルス1897-1945は6人の子供に青酸カリを与えて夫婦ともに焼身自殺した。ヒトラーも地下で自殺。その頃イタリアのムッソリーニも愛人とともに惨殺された。

 

  【一方日本は】    ちょうどこの時日本は真珠湾攻撃を開始、米大統領ルーズベルト率いる米世論は目をさまして次々と軍隊に志願、日米の参戦により世界大戦となっていった。西海岸のアメリカ日系人が強制的に収容所に送られたのは116000人。日本は東南味アジアに侵攻し英蘭植民地を占領した。4月にはマニラ占領、78000人が捕虜となった。彼らの後方輸送では多くが病死し死の行進と呼ばれた。東南アジアの各地で日本語の教育が強制され歌わ0された。中国では既に1937年から日本軍による無差別爆撃が行われるという日中戦争が始まっていた。

ポーランド侵攻の為に、独ソ不可侵条約を結んでいた独ではあるが、ゲルマン民族主義のヒトラーがスラブ主義のソ連を受け入れられるはずもなく、ナチス独は1941/6に独ソ不可侵条約を破棄、かくして独ソ戦争がはじまりバルカン半島の奪い合いが始まった。この時からドイツの衰退は始まっていた。

【第二次世界大戦を描いた映画】    有名なのは「プライベート・ライアン」。太平洋戦争終盤になり、米連合軍はその兵力をのドイツ占領下の北西ヨーロッパに向けた。そして1944年6月ノルマンディー上陸作戦を行った(正式にはネプチューン作戦)。この上陸時の戦闘シーンが戦争の激しさをリアルに伝えていることで評判になった。また非常にマイナーではあるが、「ハクソーリッジ」は沖縄戦に於いて日本とアメリカが高田高地(急峻な崖のある激戦地)での戦闘で、米軍衛生兵が多くの負傷兵を救出する映画である。「火垂るの墓」「日本のいちばん長い日」なども有名。

【第二次世界大戦の戦後処理】

  

 

【ポーランドは欧州随一の親日国】

18世紀 ポーランド混乱弱体

    露、独、オーストリアが侵攻、分裂消滅

1830  11月蜂起

1846  クラクフ蜂起

1848  諸国民の春

1863  1月蜂起   → 住民が露に対して攻撃するも惨敗

             20万人がシベリア送り

1920  WW1後の露革命で露内戦の結果ポーランド独立

    シベリアの孤児が日本軍+日本赤十字により救出されて敦賀経由帰国

コメント

【ドイツ-4-2】 WW1 勃発の理由はドイツ・ビルヘルム2世

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

第一次世界大戦が勃発した理由には数多くの要因が輻輳しているが、それらを順を追って解説してみる。

① 19世紀後半からイギリスは3C政策と称して、カイロ、カルカッタ、ケープタウンを鉄道で結び、産業革命で大量生産した物資を輸出しようとした。産業革命で拡大した供給能力に見合った需要を求めた政策である。

② 一方ロシアは南下政策をとって黒海から地中海での航路を確保しようとする。

③ 英と露がそれぞれ①②の政策に於いて衝突したのがクリミア半島である。かくしてクリミア戦争が勃発1583-1856

④⑤ この頃、ドイツではビルヘルム1世が死去し、重用していた鉄血宰相ビスマルクも79歳。

   ビスマルクが考えていたことは、  
     ┃  
     ┣フランスの孤立化 (戴冠式@ベルサイユ宮殿)
     ┗ヨーロッパの均衡
       ┣独-露-オーストリアとの三国協商@1873
       ┣ベルリン会議@1878(露南下に仲介)
       ┣独-伊-オーストリアとの三国同盟@1882 -- 不安定 → 伊は独を裏切る@WW1
       ┃    ┣伊VS仏@チュニジアで不安定
       ┃    ┗伊VS墺不安定@未回収のイタリア  
       ┃   
       ┣アフリカ分割仲裁(ベルギーVSポルトガル)@1884  
       ┃   
       ┣英-独の婚姻(ビルヘルム1世の息子とビクトリア女王の娘)@1880(英:光栄ある孤立)
       ┃         ┗ビルヘルム2世誕生1859-1918
       ┃ 1888 ビルヘルム2世即位  
       ┃ 1889 ビルヘルム1世死去
       ┃ 1890 ビスマルク引退  → ビルヘルム2世の世界政策開始(3B)
       ┃                          ┃
       ┗露(スラブ)-独(ゲルマン)の再保証条約        ┃
           ┗元々スラブはゲルマン民族の奴隷       ┃   
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃ 
独露協商を解消@1890                   ┓
┣露仏同盟を結ぶ@
1891                   ┃ 
┣日英同盟が結ぶ@1902                   ┃
┃  ┗1904年に日露戦争が起きる -- ポーツマス条約@1905 ┃ ⇒ 第一次世界大戦勃発
┣英仏協商を結ぶ@1904                   ┃

┗英露協商を結ぶ@1907 --- イラン分割           ┃
  ┗英仏露-三国協商成立                  ┛

 

   次に即位@1888したビルヘルム2世がロシアとの独露協商を解消したことで均衡が崩れた1878@ベルリン会議

   ビルヘルム2世 : 反スラブ主義、黄禍論、ドイツ帝国の3B政策 

   ビスマルク辞任@1890 露-独の再保証条約解消@1890

   ここで英を恐れるロシアは仏と露仏同盟を結ぶ1891

   そしてロシアの南下を阻止すべく日英同盟が結ばれてた1902

   この直後の1904年に日露戦争が起きる -- ポーツマス条約@1905

   日英同盟を結んでいた英と露仏同盟を結んでいた仏は日露戦争いよる対抗を避けるために英仏協商を結ぶ1904

   英露協商@1907

   これによって英仏露の三国協商と独墺伊の三国同盟が対立する。

          ⑧フリードリヒ3世1831-1888
       独:  ┣⑨ビルヘルム2世1859-1941 母英                   
           ┃   ┣ビルヘルム1882-1951    
           ┃ ビクトリア1858-1921    
          ヴィクトリア英王女--母:⑥ヴィクトリア女王

           ⑬アレクサンドル3世 
       露:         ┣⑭ニコライ2世 1868-1918 母デンマーク     
         クリスチャン9世 ┃ 
         (デンマーク王)   ┃
      
           ┣マリア・フョードロヴナ       
           ┃          
           ┣
アレクサンドラ・オブ・デンマーク       
         ルイーゼ       ┃
              
       英:        ┣ジョージ5世 1865-1936 母デンマーク 父英       
           ①エドワード7世--母:⑥ヴィクトリア女王

       

 

ドイツ・ヴィルヘルム2世による独露協商解消の目的はパン-ゲルマン主義(ゲルマン人国家統合)の拡大である。そしてベルリン-ビザンチウム-バグダッドを鉄道で結ぶドイツ帝国の3B政策を掲げた1889-。1905年の第一次モロッコ事件ではヴィルヘルム2世がフランスの植民地であったモロッコに侵攻する。これにより独は英仏と益々対立する。そして1908年青年トルコ革命によりブルガリアが独立し、その混乱に乗じて墺がボスニア・ヘルツェゴビナを併合する。

⑥ 一方ロシアはパン-スラブ主義(スラブ人国家統合)を掲げてルーマニア、セルビア、モンテネグロなどとバルカン同盟を結び、独側のオスマン帝国と独立を目指す戦いを繰り広げている中、墺がアルバニアを独立させた。(第一次バルカン戦争1912/10-)

⑦ またブルガリアは土地を要求してきたセルビア/ギリシャと戦っている。結果ブルガリアは敗北して墺に接近する(第二次バルカン戦争1913/6-)英露仏の三国協商側にセルビア/ギリシャ/モンテネグロ、独墺の三国同盟側にブルガリア/オスマン帝国がつくという構図である。

⑩ こうした中で勃発したのがサラエボ事件(1914/6)。オーストリアの皇太子・フランツ・フェルディナント夫妻がオーストリア領内のボスニア・ヘルツェゴビナ・サラエボ訪問の時にセルビア人青年に暗殺されたのである。これでオーストリア・フランツ・ヨーゼフ1世はセルビアに対して宣戦布告するとともに、同盟相手のドイツに助けを求めた。

⑪ セルビアはパン-スラブ政策を掲げるロシアに援助を求めた。かくして第一次世界大戦は始まった。

⑫⑬⑭⑮⑯ 西部戦線、東部戦線は塹壕戦により膠着状態。英は戦車を始めて投入するが故障が多く、イーペル戦では毒ガスが使用され5000人が死亡したといわれる。また飛行船による空爆や独によるUボート(潜水艦)が登場する。ここで独のUボートが米船を攻撃したことからアメリカが参戦することとなる。西部戦線を描いた映画「ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド」は、イギリス軍がドイツ軍と戦う様子を、200人の退役軍人の600時間のインタビューと100時間のフィルム映像を精査して作ったものである。尚WW1に於いて英国兵900万人の内戦死者は100万人に及んだ。

 

【1914/7/28開戦後の英仏独】    この日、ドイツ帝国は宣戦布告し、450万人の兵士が動員された。ヨーロッパは50年に渡って戦争から遠ざかり動員された兵士は意気揚々としていたようだ。国民や祖国のことを考える人間が強い人間であるという意識である。1914/8/2開戦の知らせに熱狂する群集@ミュンヘンの中に失業中のヒトラーも居た。(WW1の発端はオーストリア皇太子の暗殺ですよ) 当時の英では徴兵制は無く、愛国心に訴えるポスターのもと、一般から兵士を募ったことで一か月で50万人が集まった。かくして一か月でヨーロッパ全土で1000万人以上の兵士が集められた。ロマンに溢れた冒険は犠牲者を出すこともなく3週間で終わると誰もが思っていた。(50年の間に兵器の殺傷能力は飛躍的に上がっていますよ)戦争開始直後、100万人以上の独兵士が仏へ向かった。その手段は馬と徒歩である。破壊力の大きな武器・大砲を打ち込んだ後、歩兵と騎兵で突撃をするというのがナポレオン以来の伝統的攻撃方法である。独兵突撃の花形(栄誉)は馬、兵士全員にビルヘルム2世のたばこ入れが与えられ、装備は旧式である。戦場で待ち受けていた兵器は新式の機関銃(英製ビッカーズ機関銃 745発/分 及び仏製ホッチキス機関銃)、当初は数少なかったがその威力は絶大で、ひとつの部隊に匹敵した。昔ながらの突撃を命令された独兵士はすざまじい勢いで死んでいくのである。

【植民地からの兵士動員】    一方ロシアは領土であったポーランドを独に奪われ、東部戦線では膠着状態が続いた。戦争が長引くと世界各地の植民地から物資と人員が動員が始まった。仏領インドシナ(今のベトナム)からは15万人が送りこまれ、仏領セネガル(アフリカ)の兵士も軍人に教育した。英領インドからの兵士など英兵の25%は本国以外の人であった。また中国の豊富な労働力を戦争に投入するために募集会社をつくっていた。中国内での報酬の数倍の給料に惹かれて10万人以上があつまったという。このようにして植民地兵の数は300万人を超えたという。仏や露では初めて女性兵士が誕生し、これがやがて女性の参政権獲得に繋がる。また初めて飛行船による空襲(独がロンドン、パリを爆撃)が行われ、郊外や中立国への疎開も始まった。

【塹壕戦】    戦争開始1か月後に戦法が大きく変わり、塹壕戦が始まった。敵の銃弾を避けながら敵に近づくために塹壕を掘る。深さは2m、幅は1m、ジグザグに掘り進めて敵からの砲撃による犠牲を少なくする。そして歩兵突撃ではなく塹壕に向けて砲撃を繰り返す消耗戦に様相を変えた。味方の足並みを揃えるために腕時計がこの時に普及する。僅か2か月で塹壕は仏独の国境をすべてカバーするまでに至った。その距離は700km。塹壕戦での敵は、雨、凍傷、水虫。塹壕の撮影をするカメラマンも命懸けである。当時死体の撮影は禁止で、それを守らなければ死刑だったらしいが、死体を処理する隠し撮りフィルムは数多くの残っている。クリスマスまでに終わると思っていた戦争は、冬服の支給がないままに雪の中での塹壕戦を強いられた。

西部戦線に於ける塹壕戦を描いた映画「They shall not grow old」は2018年ニュージーランドとイギリス合作のドキュメンタリー映画である。またNHK-BSプレミアムで放送された「大量虐殺の完成~塹壕の兵士たちはすざまじい兵器を見た」でも塹壕戦の恐怖や戦後に発覚した兵士たちの精神的後遺症などを紹介している。「西部戦線異状なし」は、1929年にドイツ人小説家レマルクによって出版され、1930年にアメリカで映画化されたもの。ドイツ志願兵の戦場での色々な思いを描いたものである。

1918年 全世界に流行ったスペイン風邪 死亡率は以下 

    インド 5%

    日本 10%

    タヒチ 15%

    全世界 5%

 

 

 

【戦争背後にある軍需景気】    アラブ独立を目指したファイサル1世とともに戦った英雄・アラビアのロレンスは、トルコをかく乱する任務を持った英情報部工作員である。数十人のアラブの部下とラクダを連れてトルコ人の襲撃を行った。英領インドで志願兵募集に当たっていたのはガンジー、英に協力することがインドの利益になる・・・と自叙伝に記している。移民の国アメリカは中立を守り軍需景気に沸いていた。兵器・缶詰食料を英仏に輸出しその貿易額は一気に4倍、ハリウッドが急速に発展するのもこの時期である。この時ハリウッドにやってきたチャップリンの契約金は年間67万ドル、米大統領の7倍である。日本では大正天皇が即位、首相は大隈重信、日本の人口は7000万人であった。日本はドイツに宣戦布告し青島に出兵して中国での権益拡大を狙った。また日本艦隊は英の求めに応じて地中海へ向かった。かくして日本も米についで世界第二位の軍需景気に沸いた。成金が流行したのはこの時期である。

毒ガス(イープルの戦い)戦車(タンク:ソンムの戦い)空爆、潜水艦などの新兵器】    1915年の西部戦線では戦争の早期終結に向けて新兵器が投入された。毒ガスは3千種が開発され、独が初めて実戦で使用した。1915/4/22に塩素ガスを150トン使用して5000人の死傷者を出した。ドイツ人科学者オットー・ハーンは毒物使用禁止を知って居ながら開発したのである。そして翌年登場した決定的な兵器が戦車(世界初は英製マーク1)である。開発を指揮したのは英海軍大臣・チャーチル、農業用トラクターを防弾化したもので、塹壕を時速6kmで突破した。仏はスナイダーを、独はA7Vを、米はフォード3トン戦車開発、独のベンツ社は大型のトラック、英ロールスロイス社は装甲車を開発した。また飛行機に初めて爆弾(自動落下式も)が搭載され、機関銃が搭載されると空中戦が行われた。当時独の飛行隊長として名を馳せたヘルマン・ゲーリングは後にナチスの空軍大臣となる。砲弾の飛距離を伸ばすために大砲は巨大化し、大きな砲弾は1トンもあった。このように大量殺戮の度合いもエスカレートしていった。WW1で使われた砲弾は13億発、これは日露戦争で使われた砲弾の500倍にあたる。前線での負傷者は1万人/日を越え、兵士に体の麻痺・意味不明な言動などシェルショックと呼ばれる症状が現れた(英で12万人)。

毒ガス研究で知られるのはフリッツ・ハーバー1868-1934、窒素肥料の開発で飢餓に苦しむ人々を助けノーベル賞を受賞している。第一次世界大戦がはじまると博士は極秘研究に取り組み、カイザー・ウイルヘルム研究所で毒ガスを開発した。この兵器が初めて戦争で使われたのがベルギーでの塹壕戦。600人の兵士が犠牲になったという。妻のクララ・イマーヴァール1870-1915はユダヤ系ドイツ科学者であったが、ハーバーの開発を責め立てたが、やめることはなく6600万発の毒ガス弾によって100万人以上の死傷者を出した。1915年5月2日、毒ガス戦での勝利を祝うパーティーに於いてクララは銃で自らの命を絶った。後にハーバーが開発に関わったチクロンBという毒薬はユダヤ人の大量虐殺に使用された。ハーバーはユダヤ人であったため、プロテスタントに改宗したもののナチスに迫害され、亡命先のスイスで死去する。ナチスに迫害されて初めて身の程知らずを知ったようであるが、哀れな科学者である。しかもハーバーが開発した毒ガスはその後も、ベトナム戦争での枯葉剤、イランイラク戦争でのクルド人殺害など今も尚多くの犠牲を出し続けているのである。 

 

ヴェルダン要塞:ペタン元帥1856-1951  弟子がド・ゴール ヴィシー政権主席(ヒトラーの傀儡)@WW2

 

第一次世界大戦で初めて登場したのが爆撃機、この時の撃墜王がリヒトホーフェン1892-1918で、ドイツの貴族でありレッド・バロン(赤い男爵)と呼ばれて敵機80機を撃墜、皇帝ヴィルヘルム2世からプール・ル・メリット勲章を授与された。しかし1918年連合軍に撃墜され24歳で死亡、連合軍は彼の栄誉をたたえて祝砲を挙げたという。

【食料補給路を絶ったUボート】    1916/5/3 ユトランド沖海戦は英独最大の海戦で物資の補給路を断つのが目的である。これで独は敗北して物資の補給に苦しみ、巻き返しに投入したのが潜水艦・Uボートである。灰色の狼と呼ばれ民間船をも無差別攻撃を行った。戦争に参加していなかった米民間船は軍事物資を積んでいたために攻撃されて沈没、これが米参戦の理由となる。かくして各国は食料の不足が深刻化する。

【ロシア革命と戦線離脱】    工業化が遅れていたロシアは開戦後まもなく武器弾薬が不足し、1917年には100万を超す兵士が戦線を放棄し人々の不満はロシア皇帝に向けられた。1917/2/23、ペトログラードでは女性労働者のデモをきっかけに人々はニコライ2世の退位を要求、これがロシア2月革命である。数千人の犠牲者を出しながらも機関銃武装の軍隊に勝利すると政府は脆くも瓦解、その後ニコライ2世とその家族はシベリアに移されて全員銃殺刑に処されてロマノフ王朝は滅亡した。1917/10/24にはペトログラードでは戦争の中止を求めて10月革命が起こった。これで史上初の社会主義政権を打ち立てたレーニンは内外に戦争の中止を訴えて戦線を離脱した。これに乗じて日本(7万人)を含む7カ国がシベリアに出兵、戦争終結後も日本はシベリアに留まったために国際批判を受けた。

【アメリカ参戦と終結】    ロシアの離脱とともにアメリカが参戦、これは英仏が負ければ巨額の貸付金が取り戻せなくなるからだと言われている。全米各地で独を攻撃するキャンペーンが行われ、ハリウッドも反独に動員された。米は選抜徴兵を行い兵数は志願兵の10万人から400万人に増大した。黒人兵は白人から隔離され、物資の運搬や塹壕堀を担う。戦争資金は市民から募り(公債)、戦争を反対することは違法であるとの法案もできた。当時海軍次官であったフランクリン・ルーズベルトは物資や資金調達の責任者で、チャップリンなどのハリウッドスターも公債に一役になった。1917/5米軍はニューヨークを出発してパリへ向かった。史上初の海外出兵である。米軍には600人という多数のカメラマン部隊が同行し西部戦線には現像処理を行う施設がつくられた。この歩兵のなかにはダグラス・マッカーサーがいる。掘削機で塹壕を掘り、無線機が伝書鳩にかわって情報を伝達し、ガス弾銃、火炎放射器に対抗すべく、独は東部戦線部隊を西部戦線につぎ込み総攻撃にでた。しかし英仏は米軍と共に反撃して独軍を壊滅させた。1918/11 独で革命が起こりビルヘルム2世は退位した。この時の独兵の死は200万人、全世界の兵士の死者は900万人、負傷者2000万人、1918/11/11休戦パレードがパリ凱旋門で行われ、オーストリア・ハンガリー帝国は崩壊した。そしてチェコスロバキア、ハンガリーが独立。

【1919年、第一次世界大戦終結】    米英仏伊日の5カ国によってベルサイユ条約が結ばれて①調印国は国際連盟に加盟 ②ブレスト・リトフスク条約破棄 ③アルザス・ロレーヌ地方はフランスへ返還 ④墺独合併禁止 ⑤賠償金:払える見込みがないのでルール工業地帯を占領 ⑥軍備制限@ワシントン会議:主力艦制限(5:3:1.67)、日英同盟破棄、中国の独立尊重・領土保全 ⑦ドイツ国内ではワイマール憲法:女性の参政権、人民投票、労働者の権利

    

⑤に対して経済的に大発展した米はドーズ案を出して支払いの猶予を与えた。また米が独に貸した金で独は立ち直りをはかるとともに独は英仏に借金を返しそれが米に戻る(英仏は戦費を米から借金した)という仕組みをつくった。ロカルノ条約やパリ不戦条約でヨーロッパは安定する。

 

 

【潜水艦】   1970年代米・ロサンゼルス級潜水艦はソ連・アクラ級潜水艦に凌駕された。アクラ級は最も深く潜り、静かであった。そこで米はシーウルフを開発、600m以上(一般は300-500m)の深さまで潜る性能を持たせた。またスクリューではなくウオータージェットによる推進力(20ノットで無音)を得て、キャビテーションによるスクリュー破損を防いだ。

⑰ 日本も日英同盟を結んでいたことから艦隊を派遣し、米英露の守備に回った。かくして日本は物資を供給することで好景気を迎えることとなる。

⑲ 英はスエズ運河の利権獲得やアラビアの石油獲得、またユダヤの資金を目当てにパレスチナ周辺をユダヤとするバルフォア宣言を行う。一方ロシアはユダヤを迫害する。ドイツはロシアの内部崩壊を狙って亡命していたレーニンをロシアに送り込むと、1917/10にはロシア革命が起こり、この戦争からロシアは離脱する。1918米が本格参戦すると、1918/9にはブルガリアが脱落、1918/10にオスマン帝国が脱落するとドイツのビルヘルム二世がキールに追放され、1919/6/28のパリ-ベルサイユ講和条約でこの対戦は集結した。これによってドイツは軍備を持つことができなくなり、1320億マルクの賠償金が課せられる。因みにこの賠償金の返金が終わったのは2010/10というから92年もかかっている。

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【ドイツ-4-1】 ビスマルクによるドイツ帝国統一

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

【神聖ローマ帝国は事実上解体】    19世紀初頭、神聖ローマ帝国はオーストリア、プロイセンを2強とする数多く(約300)の諸侯から成り立っていた。しかし神聖ローマ帝国は無実化し(1648年のウエストハリア条約で事実上解体)、オーストリアはハプスブルグ家の伝統を中心にNo.1の地位に居た。No.2はプロイセンで、ブランデンブルク選帝侯(辺境伯 ポーランドの一部 12世紀に起こりホーエンツォレルン家が支配)とプロイセン公国(13世紀成立のドイツ騎士団領が16世紀にルター派を支持し、やがてハプスブルグ帝国を築く)が合体し、神聖ローマ皇帝から王国の称号を得てフリードリッヒ・ヴィルヘルム1世1688-1740を国王とした。

【1740年、プロイセンとオーストリア】   両国は、マリーテレジア1717-1780とフリードリッヒ2世1712-1786の時代に、オーストリア継承戦争(1740-1748)や7年戦争(1754-1763)に於いて戦い、プロイセンが勝利した。オーストリア継承戦争では、オーストリア・シュレージェン地方(鉄、石炭採掘地方)や北イタリアの一部を失ったが、ハプスブルグ家は維持し神聖ローマ皇帝の座も確保していた。因みにフリードリッヒ2世1712-1786は、啓蒙専制君主と言われ、啓蒙思想家ボルテールと親交を深め、エルベ川東の貴族ユンカーに、農業領主制を敷いて農業を推進させた。また、ポツダムにサンスーシ宮殿を建設し、第1回ポーランド分割では領土を広げた。

【1754年、7年戦争】   7年戦争は、奪われたオーストリア・シュレージェン地方(鉄、石炭採掘地方)を取り戻そうとして勃発したが、奪回はできずに終わったが、マリーテレジアの発言権は取り戻しハプスブルグ家の優位性は維持された。しかしプロイセンの威信は大いに高まっていった。

【1807年、シュタイン・ハルデンベルク改革】   1806年のライン同盟で神聖ローマ帝国は名実ともに解体となり、1807年、ナポレオンによるティルジット条約でプロイセンは大幅に領土を縮小、ナポレオンの大陸支配が成立した。これを受けてシュタイン1750-1831とハルデンベルク1750-1822(プロイセン王国の宰相・公爵)が農奴解放、ギルド廃止、ベルリン大学創設などのシュタイン・ハルデンベルク改革を行った。

【1815年、宰相ビスマルクの出自】   後に鉄血宰相と言われるオットー・フォン・ビスマルク1815-1898は シェーンハウゼンという田舎街で生まれた。ビスマルクの父・フェルディナントはプロイセン王国に仕えるユンカーという田舎貴族だった。母はヴィルヘルミーネ、ビスマルクは嫌っていたという。この頃のドイツは、オーストリア、プロイセンを2強とする35の諸侯と4つの自由都市(ハンブルク、リューベック、ブレーメン、フランクフルト)からなる連邦組織だった。幼いころからエリート教育を受けたが、ゲッティンゲン大学に入った頃は歴史学に興味を持ったという。20才になると官僚の道にすすむが、すぐに放棄して農場で働いた。やがてキリスト教に芽生えると政治家の後押しもあって議員になった。この頃に7才年下のマリーと結婚するがマリーは病死。そしてマリーの親友ヨハナと結婚(32才)。4年後に外交官になり、オーストリアの巨大な権威に圧倒されることとなる。1862年に首相となったビスマルクはオーストリアに挑戦を挑むこととなる。当時プロイセン国王(君主主義)と議会(自由主義が多く国王に否定的)は対立しており、国王に忠誠を見せるビスマルクが抜擢されて首相になったのである。

【1815年頃のドイツ:ウイーン会議によるドイツ連邦統一は失敗】 
        ┣35の諸侯   (オーストリア、プロイセンが2強)
        ┗4つの自由都市(ハンブルク、リューベック、ブレーメン、フランクフルト)   

1817   ブルシェンシャフト運動(多くの諸侯を一つにしよう)
        ┗学生中心の自由主義運動が起こった---メッテルニヒにより弾圧(諸侯は反対)
     

         この頃に、ラインライトを工業地帯として産業資本家が台頭する。

         この結果イギリス製品(安すぎる)に対して経済的な統一関税をかけるドイツ関税同盟@1834がつくられた 
1834 仏七月革命の影響  →  ┣18諸侯:プロイセン中心
              ┗
高い関税をかけてドイツ国内の産業流通を活発化

1848 仏二月革命の影響 → フランクフルト国民会議が開かれてドイツ帝国を建国しようとする →3月革命
              ┣
オーストリアを含める (大ドイツ主義)✖
              ┗
オーストリアを含めない(小ドイツ主義)〇
                ┗
プロイセン王国のフリードリッヒ・ヴィルヘルム4世の拒否によって統一は頓挫
                  ┗普墺戦争でオーストリアに勝利して北ドイツ連邦@1866
                   ビスマルクによる軍事力強化後
                    ナポレオン3世--プロイセンに対して宣戦布告--普仏戦争@1870
                     →
スペイン王位継承問題が発端
                      ┗1871 ドイツ帝国成立:ビルヘルム1世の戴冠式@仏ベルサイユ宮殿
                                   ┗仏の復讐に対して孤立化政策実施 Byビスマルク

【1862年、シュレジェンの工業力】    ここから鉄血政策、軍備拡張を打ち出した。議会は反発したが、これを無視して軍備拡張したという。それにはまずは工業化、先の戦いでオーストリアから奪ったシュレジェン地方の豊富な石炭を使った製鉄会社を作り、鉄道網を整備した。国力の充実を図った4年後にオーストリアに戦いを挑んだ。連保会議から議長国であるオーストリアを除外しようとした。かくして普墺戦争が勃発した。

【1866年、オーストリア大敗の普墺戦争】    普墺戦争:プロイセン王国(兵32万)とオーストリア帝国(兵40万)との戦争をいう。オーストリアを盟主とするドイツ連邦が、脱退したプロイセンに宣戦。その後ドイツ連邦内にもプロイセン側につく領邦が相次ぎ、連邦を二分しての統一主導権争いとなる。オーストリアは大敗する。この時に活躍したのが軍参謀長・モルトケ1800-1891、7月のケーニッヒグレーツの戦いでは、既に備えていたドイツ鉄道を使って、ケーニッヒ要塞迄膨大な兵や大砲を送りこんで奇襲攻撃を仕掛けた。戦いは僅か半日で決着しプロイセンの圧勝であったが、国王の意に反してビスマルクは講和を結んで他国の介入を防いだ。

このように鉄道網を整備して迅速に軍・武器・食料を運搬できるということは、兵力が何倍も存在することと等しい。これはナポレオン・ボナパルトの先方から学んだことに違いない。ナポレオンが快進撃をしていた頃、1790年頃は鉄道は存在しないが、とにかく足の速い兵隊を揃えたという。兵隊の移動能力が高いという事は兵力倍増に繋がる。

  【1866年のバイエルン国王】 それはルートヴィッヒ2世1845-1886である。プロイセンからの申し出で南ドイツの支配権をバイエルンに認めると示唆してくるも・・国王ルートヴィッヒ2世は関与を拒みベルク宮に引きこもる。1866-5-22国会を召集すべきであったが、この日はワグナーの誕生日を優先してスイスへ逃げたという。

【1867年、普墺戦争の戦後処理】    プロイセンはドイツ東西のプロイセン領の統合を達成し、オーストリアを統一ドイツから排除。オーストリアはイタリア王国と講和条約(ウィーン条約)を結び、ヴェネト地方をイタリアに割譲した。プロイセンはこの後、北ドイツ連邦を結成。これまで反発していた議会もビスマルクを支持し一枚岩となった。一方、オーストリアはオーストリア・ハンガリー帝国を成立させ、ドナウ河流域の統治に専念する。

 次の狙いは抵抗していた南ドイツ4か国(カトリックが主流のバイエルンなど ⇔ ルター派)との融和。特に反発していたバイエルン王国のルートヴィッヒ2世1845-1886(オーストリア皇太子妃・エリザベートの甥にあたる) そして、フランスのナポレオン3世である。

   【ナポレオン3世1808-1873】 の父はナポレオン1世の弟ルイ・ボナパルト1778-1846、母はナポレオン1世の皇后ジョセフィーヌの娘オルタンス1783-1837。フランス第二帝政時代1852-1870の皇帝で、前半は権威帝政、後半は自由帝政。普仏戦争@1870では捕虜となって失脚した。ところでナポレオン3世のDNA鑑定を行ったところ、ナポレオン1世との同じ染色体がないらしい。社交的で美人のオルタンスは陰気なルイとの間に二児を設けたが、その後1807年迄は夫の元に戻らなかったという。その間多くの愛人と暮らしていたため3男・ナポレオン3世の出生は疑問視された。 

【1870年、スペイン王位継承問題が勃発】    継承の候補がホーエンツォレルン家・レオポルト1835-1905。これに危機感を持ったのがナポレオン3世である。彼がスペイン王になれば、フランスは、ドイツとスペインに挟み撃ちとなるからである。かくしてナポレオン3世は、プロイセン国王・ヴィルヘルム1世に猛抗議した。これはビスマルクの想定内であり、ナポレオン3世から戦争を仕掛けてくるように仕組んだ。フランス大使からプロイセン国王に対する手紙の内容を新聞報道することで、国民はフランスに反発、南ドイツ諸国ですら国王を支持した。かくしてフランスはプロイセンに対して宣戦布告した。かくして始まったのが普仏戦争

 先の戦いに比べて3倍の輸送能力を備えた鉄道や、最新鋭のクルップ砲台(フランス軍の青銅製にくらべて、この大砲は鋼鉄製)を使ったモルトケ軍参謀長の作戦により、ナポレオン3世1808-1873をセダンの戦いで捕虜にして勝利、ドイツ統一を実現する@ベルサイユ宮殿。結果フランスの工業地帯であるアルザス・ロレーヌ地方を取得した。これによりフランスとドイツは一生涯の敵として相対することとなる。

 次は南ドイツの統一である。当時バイエルン王国のルートヴィッヒ2世は芸術に造詣が深く、多くの建築物を残している。なかでもノイシュバンシュタイン城(年間150万人が訪れる)は有名であるが、これは財政難の国王の弱みに付け込んで、ビスマルクの資金援助により建てた城であったつまりバイエルン王国は多額の資金援助を受ける代わりにドイツ帝国の統一に同意していたのである

【1871年、ドイツ帝国--ビスマルクによるドイツ皇帝ビルヘルム1世の即位式】   これは、ベルサイユ宮殿の鏡の間で行った。フランスにとっては屈辱である。この数か月後には、ドイツ帝国はフランスと講和を結んで、普仏戦争はおわった。以降ビスマルクは、フランスからの莫大な賠償金を得て、最高裁判所や、中央銀行、貨幣のマルク統一、経済・法律の整備を行い好景気となった。この頃、岩倉具視を代表とする日本の使節団がドイツ帝国を訪問している。ビスマルクは彼らを歓迎し、後に大久保利通はビスマルクやモルトケを産んだドイツを理想の国とするのである。 1888年ドイツ皇帝・ビルヘルム1世は90歳で死去、やがてドイツは有る方向にかじを切ることとなる。

【1890年、ドイツの領土拡大路線】    この頃、ドイツ帝国の鉱工業は統一直後に比べて倍増し、世界有数の工業大国になった。また、イタリア、オーストリアと三国同盟を結び、ロシア、オーストリアとも三国同盟をむすんで、ビスマルク体制を築いた。やがてプロイセンでは宰相ビスマルクは辞任し、ヴィルヘルム2世1859-1941が第3代ドイツ帝国皇帝として即位していた。それから4年後にはビスマルクを支えた妻・ヨハナが70歳で死去した。そしてその4年後にビスマルクも83歳で死去したが、この頃、ヴィルヘルム2世が早速実施したのはロシアとの再保証条約を拒否したことだ。これによってロシアは孤立していたフランスと露仏同盟を結ぶ1894。イタリア北部はオーストリア-ハンガリーとの敵対関係は未回収であったが一旦棚上げとして両者は近づいた。

一方1884年、ベルリン・コンゴ会議ではアフリカ先占権が決められる。スコットランドの探検家リビングストーン1813-1873によりアフリカ大陸を横断、英のジャーナリストで遭難したリビングストーンを探しに行ったスタンリー1841-1904らの探検でアフリカの資源の豊富さが明らかになったのがきっかけである。エチオピアとリベリア以外はすべて植民地化される。

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【ドイツ-3】 マイセン白磁 ツゥインガー宮殿が佐賀県有田市にある

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

【佐賀県のツゥインガー宮殿】   佐賀県には何もないと良く言われるが、幕末英雄、呼子の烏賊、有田焼などがあるが、中でも佐賀県西松浦郡有田町にあるツゥインガー宮殿は圧巻である。あまり知られていないが「ブラタモリ」という番組でタモリさんが訪れていたので少しは知られるようになったと思われる。二年前に行った時は、何故こんなところに洋館があるのだろう・・・と思っていたが。世界史の勉強をやっていてその理由がわかった。

ところで何故佐賀有田町で有田焼が栄えたのか。豊臣秀吉による朝鮮出兵@1592文禄の役 @1597慶長の役 によって多くの朝鮮人を殺害、戦利品として首を持ち帰る。やがて耳を切り落として戦利品とするようになる。こうした中、人質として日本に連れ帰るようにもなる。秀吉はこれを「乱取り禁止」していたが、各大名はそれを無視して奴隷として持ち帰った。やがて彼らは北九州各地に根付いて種々の産業を生む。その一つが白磁器・有田焼である。

有田町にあるツゥインガー宮殿 2018/11撮影

 

1701-11-28 アウグスト2世王がベトガーを宮殿に呼ぶ アルブレヒト城@ザクセンが白磁器研究の場:監禁場所となる

      城の壁画には開発に悩むベトガーがいる

1703-6   王への

1706    ザクセン VS スウエーデン アウグスト2世はケーニッヒシュタイン城・要塞へ貴重品を移設

      ベトガーもこの要塞に移設 脱走失敗 

1707    

1708    カオリン+石灰調合 : 白磁器完成 ベトガー26歳 → 解放懇願却下

1710    王立マイセン磁器工房設立@マイセンの下町 : 現在も工房として900人の職人がいる    

1717    ドレスデンの貴族の館を日本宮殿とする :全時期をここに収納 

         柿右衛門        ---秀吉の朝鮮出兵時の朝鮮人奴隷が開発@有田

         竜騎兵の壺(中国景徳鎮)---ザクセン軍竜騎兵600人と交換

1719    ベトガー病死 色付けを求めるアウグスト : 中国では酸化コバルトの染付

      この頃絵付け師ヘロルトをウイーンから向かい入れ、ピルニッツ城(愛人用の城)を工房にする          

      王立マイセン磁器工房では次々と絵付け実施 : シノワズリ + 日本の剣:ザクセン王家の紋章

       → マイセンに注文が相次ぐ

      柿右衛門の赤の再現要請 : 有田焼の祖は李参平?-1655

1723    マイセンの絵付け師ケーラー病死 : 秘密の製法受け継ぐ@ケーラーのノート      

 

 

【ドレスデン地方にあるツゥインガー宮殿とマイセン】   そもそもツゥインガー宮殿はどこにあるのか?というとドイツ・ザクセン州のドレスデンにある。王宮の壁には24000枚の磁器タイルで飾られ、ザクセンを治めた君主35人が描かれている。実はここで「マイセン」という西洋白磁の頂点に君臨する名窯が生まれた。

【白磁に魅せられたアウグスト2世と磁器開発者・ベトガー】   正確にはドリスデンから北西に20kmほど離れたマイセン地方のマイセン磁器製作所で生産された。マイセン地方は12世紀に、アウグスト2世の家系ベッティン家の統治した地であり、15世紀に築かれたアルブレヒト城は、当時の居城。王の広間には代々の君主像が置かれている。やがて繁栄はマイセンからドレスデンに移りアルブレヒト城は忘れられた。そして再び脚光を浴びたのは17世紀、アウグスト2世の登場の時である。24歳でザクセンの君主となったアルブレヒト2世は愛人をつくっては飽きていく。そうした時、マイセン磁器製作所は1710年に建てられ、硬質磁器制作の独占権が与えられた。その以前、磁器工場は機密保持の理由でアルブレヒト城にあり、白磁の開発にはヨハン・フリードリッヒ・ベトガー1682-1719(チューリンゲンの錬金術師で、父は貨幣鋳造所の職人)が19才の時に選ばれた。開発の命を出したのはザクセン選帝侯・アウグスト2世1670-1733(ザクセン王でありポーランド王)である。1709年に開発は成功したことで西洋磁器が発展することとなる。アウグスト2世は忘れ去られたかつての都マイセンにある中世の城・アルブレヒト城を監禁場所としてベトガーに研究させた。1706年、ザクセン-スウエーデン戦争の時、すべての磁器設備は難攻不落の要塞ケーニッヒシュタイン城に移された。存在が極秘だったベトガーは王族のための牢獄で暮らした。こうしてベトガー自身は白磁の開発に成功するものの、アルブレヒト城からの外出は許されず、結婚もすることなく37歳で非業の死を遂げた。

【80人の愛人が居たアウグスト2世と絵付師・ロヘルト】   アウグスト2世が磁器に魅了され、磁器で埋め尽くされた日本宮殿(1717年2万点の磁器を移して完成させた@ドレスデン)建設を夢見るきっかけになったのは、プロイセンの国王に招待されて1696年に首都ベルリンに行ったときのこと、東洋の磁器を目にした。それは13世紀に初めてヨーロッパにもたらされた中国の景徳鎮であり、また17世紀には東インド会社によって輸入された有田焼(伊万里焼とも言われる柿右衛門)がもたらされた。因みに有田焼の技術は1610年に始まり、1660年代には柿右衛門様式の磁器が完成している。日本宮殿の竜騎兵のツボは、プロイセンに送りこんだ屈強な竜騎兵と交換したもの。アウグスト2世はベトガーに景徳鎮に見られる青色の紋様(13世紀の中国では1400℃にも耐える酸化コバルトが開発されていた)などの絵付けを要求したという。そして絵付けの開発段階でベトガーは失望の中で亡くなった。そうしたときに、シノワズリの絵付けが得意なヨハン・グレゴリウス・ヘロルト1696-1776という画家が呼ばれた。そして有田焼の青、柿右衛門の赤などを参考にして多彩な色を生み出した。ヘロルトは1724年には宮殿画家という栄光を掴んだ。

ドレスデンからほど近いピルニッツ城には二つの宮殿がありアウグスト2世が愛人に贈った城であったが、飽きた愛人を追い出して中国風の紋様絵・シノワズリに作り替えた。これほどまでにシノワズリに傾倒していたアウグスト2世は、ヘロルトをすぐに採用し、その直後からシノワズリ作品がつくられた。そしてすべての作品にはザクセン王家の紋章である二本の剣を染付の青を使って入れさせた。かくして貴族たちの間でマイセンが人気となった。そして次は柿右衛門の赤をロヘルトに絵付けするように命じた。かくして柿右衛門の赤を手に入れたアウグスト2世はピルニッツ城に東洋の美を蘇らせた。前任のケーラーの死後技術を受け継いだヘロルトだったが、ケーラーのノートには赤色の技法のレシピは無く、柿右衛門の赤が独自の開発だったと言われているが不明である。ともかくピルニッツ城は現在では、ザクセンで最も有名で美しいシノワズリの城となっている。そして1918年迄はマイセン工房以外での赤使用は禁止されていたという。これら赤を使った龍が描かれた磁器セットは高値がつくほどに人気が上がりザクセンの財政は潤った。

アウグスト2世1670-1733
 ┃ ┣アウグスト3世1696-1763
 ┃ ┃ ┣マリア・アマリア1724-1760     スペイン王カルロス3世妃
 ┃ ┃ ┣マリア・アンナ・ゾフィア1728-1798 マクシミリアン3世ヨーゼフ_(バイエルン選帝侯)妃
 ┃ ┃ ┣マリー=ジョゼフ1731-1768     フランス王ルイ15世の長男ルイ・フェルディナンと結婚、ルイ16世の母
 ┃ ┃ ┣その他11人
 ┃ ┃正妃マリア・ヨーゼファ1699-1757 
 ┃クリスティアーネ1671-1727
 ┗愛妾アウローラ1662-17267 修道院長@1704
 ┗愛妾アンナ        アウローラの侍女
 ┗愛妾ウルスラ       王宮追放・復帰 商工業発展に寄与
 ┗愛妾アンナ・コスタンティア 反逆罪で後半生50年近く投獄
 ┗愛妾その他大勢:約80人

 

【ドレスデンの日本宮殿を飾る動物像と彫刻家・ケンドラー】   アウグスト2世は白磁の食器、シワノズリや柿右衛門などに満足することはなく、次に追い求めたのは白磁による彫刻であった。このときに現れたのは、ドレスデン生まれ、動物を白磁で製作する彫刻家・ヨハン・ケンドラー1706-1775である。ドレスデンから北西に15kmいったところにあるのはアウグスト2世が建てた狩りの城・モーリッツブルク城がある。城は池の中に洲をつくりその上に建っている。ここには全部で230点もの鹿の角が飾られている。狩人は鹿の先端の数の多さで競った。彼はモーリッツブルク城を動物の磁器で満たそうとしたのである。磁器は焼くことで16%収縮することから立体的な磁器像には高度な秘術が必要であった。呼び寄せられたケンドラー26才(父は牧師)は、磁器の動物園を作るためにモーリッツブルク城にやってきた。かくしてドレスデンの日本宮殿を飾る動物像や東洋人の胸像などは430点近く残っている。アウグスト2世の寵愛がケンドラーに移ったことを快く思わないヘロルトとは対立する。絵付けを望むヘロルトは白磁のままが良いとするケンドラーの作品に彩色を残している。

そしてアウグスト2世亡き後(ポーランド遠征中に死亡)遺体はポーランドに残り心臓だけがドレスデンに帰り、ツゥインガー宮殿に隣接したホーフ教会の地下に安置されている。ツゥインガー宮殿はドイツバロック建築の傑作といわれ、アウグスト1世が1709年に建築を開始しアウグスト2世が最も多く滞在した城である。アウグスト2世の死後は息子・アウグスト3世が日本宮殿の完成をしぶしぶ継承した。3世はツゥインガー宮殿の中庭にアウグスト2世の騎馬像をつくらせた。そしてケンドラーはアウグスト3世の騎馬像を磁器で造る提案をする。1745年に、プロイセンがザクセンに攻め込み、あの竜騎兵たちがザクセンを落とした。この時プロイセンは多くの磁器を戦利品として持ち帰った。1765年プロイセンは再びザクセンに侵攻、占領した。多くが逃げ落ちるなか、ケンドラーだけは工房に残り騎馬像の完成を目指した。しかし完成することはなかった。

ツゥインガー宮殿の地下には磁器修復の工房がある。ここでは、1945年の空襲により破壊されたケンドラーの像が修復されている。WW2戦火でドレスデンは空爆を受け、宮殿は廃墟となり、日本宮殿も幻となったのである。

 

【セーヴル焼というフランスの磁器】   ちなみに、セーヴル焼といってフランスのセーヴルで生産される磁器がある。ヨーロッパではじめての硬質磁器はマイセンであるが、シャンティイの窯で軟質磁器に柿右衛門風の写しを施していたデュポア兄弟は、1738年、パリの東端・ヴァンセンヌに窯を構えた。その後デュポア兄弟を追放する形で陶工のフランソワ・グラヴァンが組織を再編成し、貴族たちの関心を集めた。後にルイ15世や、その公妾ポンパドゥール夫人などの出資を受けて、パリとヴェルサイユの中間に位置するセーヴルの町に移って王立窯となった。ロシアのエカチェリーナ2世(1729-1796の女帝)は列強ロシアを誇示するために、1777年セブールを23億円分発注したという。

そしてデンマークの陶磁器王室御用達といえば「ロイヤルコペンハーゲン」。1773年にフランツ・ヘンリック・ミューラーが硬質磁器を完成させたというから、有田焼よりも100年以上、マイセンよりも60年以上後に開発されている。しかも東洋の青い染付の影響を受けているというから驚きだ。1775年に王室御用達になり1779年にマイセンより技術者を集めてデンマーク磁器製陶所を開設した。ここでもロシアの女帝・エカチェリーナ2世はフローラ・ダニカという豪華なディナーセットを発注しているが、エカチェリーナの死亡により制作は中断、完成はしなかった。

ところで、今まで記載した有田焼、マイセン、セブールのコーヒーカップ(赤い紋様が絵付けされたもの)の値段を調べてみた。有田焼は一脚が約3万円(真右エ門作)、マイセンは約10万円-最高峰古マイセンで約40万円、セブールは18世紀の彩色地花紋様柄が約95万円ロイコペのフローラ・ダニカモデルは25万円。やはりドイツやフランス王宮御用達というブランドは強いようです。

 

 

佐賀県有田町にある有田焼ゆかりの場所を紹介

有田焼の赤色付けにゆかりの地区

有田焼窯元

有田焼の橋

有田町のすぐ北側の唐津にいけば、呼子の烏賊がおいしい

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【ドイツ-2】 ロマンチック街道とノイシュバンシュタイン城

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

【バイエルンはドイツ南部】スイスとの国境近くを含む地域。バイエルン王国の初代王はマクシミリアン1世1756-1825。1805年にプレスブルグ条約によってバイエルン選帝侯から国王に昇格したのであるが、実のところビスマルクの支配下になったに等しい。1806年フランス皇帝ナポレオン1世の圧力により全ドイツ諸侯はフランス帝国と同盟を結んだ(ライン同盟)。これら諸侯の最も重要な一員であった。二番目の王妃カロリーネ1776-1841との間にもうけたが、長女・ルドヴィカ1788-1851は、オーストリア王妃・エリザベート1837-1839を産んだ。当時のオーストリア皇帝・ヨーゼフ1世は、長女ヘレーネ1834-1890と結婚する予定であったが、付き添いに来た妹のエリザベートに一目ぼれをしたのは有名な話である。そしてマクシミリアン1世の長男がルートヴィッヒ1世1831-1920。

ルートヴィッヒ1世の治世、1848年に君主に対する反乱がおこり、ヨーロッパ全土に広がった。バイエルンのルートヴィッヒ1世も風前の灯。ルートヴィッヒ1世にはローラ・モンテス1821-1861という愛人がいたが、群衆の標的となり国外追放された。そしてルートヴィッヒ1世は1848-3月に退位する。

   【ルートヴィッヒ1世の愛人ローラ・モンテス1821-1841というのは芸名】  本名はエリザベス・ロザンナ・ギルバート、彼女は芸名ローラ・モンテスとして異国風の踊りを見せるダンサーとして働き出し、1843年にロンドンでデビュー。1846年、バイエルン王国のミュンヘンへ旅行中、国王ルートヴィヒ1世に見いだされ愛人となった。王から1万フローリンの年金と、ランツフェルト伯爵夫人の称号を与えられた。これに国民が反発。1848年、暴徒はローラの国外追放を要求。これに屈したルートヴィヒはローラ追放に同意し翌3月に自身も退位した。以降ロンドンやアメリカで資産家と関係を持ち、ゴールドラッシュで沸くオーストラリアではスパイダー・ダンスというエキゾチックな踊りを披露していた(下着を着けずにスカートを捲り上げる)が、やがて落ちぶれて39歳で病死。

 

その子がマクシミリアン2世1811-1864で、妻マリー1825-1889は登山家の美女として名を馳せた。エリザベート1837-1839とマクシミリアン2世1811-1864はいとこ同士、マクシミリアン2世の長男・ルートヴィッヒ2世1845-1886は叔母と甥の関係ではあるが、年の差は8歳。絶世の美女と美男子はお互いに乗馬が得意。幼いころには山野を駆け巡ってよく遊んでいたという。この楽しい生活が、エリザベートの結婚によってなくなり、やがてルートヴィッヒ2世はうつ状態になる。「映画:ルートヴィッヒ神々の黄昏」

このマクシミリアン2世の長男・ルートヴィッヒ2世1845-1886は第4代バイエルン国王としての建築と音楽に浪費を繰り返し破滅した。音楽的にはバイロイト祝祭劇場をを建設。設計はワグナー、1876年に完成した。美貌に恵まれ多くの画家により描かれたルートヴィッヒ2世はどんどん政界から遠ざかっていった。またノイシュバインシュタイン城を建設、ノイ=新しい、シュバンガウ=白鳥地域、現在は世界遺産暫定リストに登録され、ロマンチック街道の終点にもなっている。因みにこの城、ディズニーのシンデレラ城のモデルになった城である。また姫路の白鳥地区の太陽公園には、ノイシュバンシュタイン城の設計図通りに真似て建てた城がある。

イシュバンシュタイン城】

意味:新しき白鳥の石 深い断崖に隔たれた頂きに建てられた ルートヴィッヒ2世が23歳の時に着工 工事期間は20年 ルートヴィッヒ2世の死によって途中工事は中断 現在も尚未完成のままだという  5階建ての城、5本の塔 エッフェル塔と同じ様式の建築 電源は電池 窓枠はすべて鉄枠、二重ガラス この城が政治に使われたことはない   

 

ノイシュバンシュタイン城の設計図を元に復元したもの@姫路

【ルートヴィッヒ2世は1886年に謎の死を遂げる】  前述のようにエリザベートとは心を許したようだ。というのもエリザベートも宮廷を嫌い逃避行を繰り返したからである。エリザベートは自分の妹ゾフィーを推薦してルートヴィッヒ2世と1864年に婚約した。しかしルートヴィッヒ2世はは挙式を延期、終いには破棄したため、エリザベートは彼と絶縁したという。1866年のプロイセンとの戦争で敗れ(多額の賠償金発生)、1870年のフランスとの戦争で弟・オットーが精神異常を起こし、かくしてルートヴィッヒ2世は異常行動を繰り返すようになった。1886年6月、家臣たちはルートヴィッヒ2世の廃位を決め1886年にベルク城に軟禁された。そして翌日シュテルンベルク湖で水死体で発見された。死因詳細は不明というが、敗戦による賠償金で財政が苦しい状況下で劇場や城の建設を続けたことで、オーストリア政府の怒りをかって半ば暗殺されたも等しい。

 

   【森鴎外1862-1922は、1882年に軍医本部付となる】   プロイセン王国の陸軍衛生制度に関する文献調査に従事した。この4年後にルートヴィッヒ2世の謎の死に出くわしたことがきっかけで、後に「うたかたの記」を発表している。あらすじは次である。

『日本画学生の巨勢は、ミュンヘンで出会った花売り娘マリイ・ハンスルと再会。巨勢は、自分のアトリエにマリーを呼び彼女への熱い思いを伝える。マリーには高名な画家の父スタインバハと彼女と同名の美しい母親がいた。母はバイエルン国王ルートヴィッヒ2世に慕われている。父は怪我が原因で死に、母も悲しみのあまり後を追う。孤児となったマリイはミュンヘン郊外のスタルンベルヒ湖の漁師に引き取られた。マリーに誘われるまま巨勢はスタインベルヒ湖に向かう。愛を確認した二人は、村外れの岸辺に漕ぎ寄せると、狂人となっていた国王がいた。国王は、マリーの姿に母の幻影を見て、湖に足を踏み入れ没する。国王も止めようとした侍医グッデンもろとも湖に沈む。』

 

当時、森鴎外1862-1922と仲良くしていた人物が、原田直次郎1863-1899という洋画家。かれは「うたかたの記」の主人公・巨勢である。原田直次郎は1887年に帰国するが、そのとき同棲していた妊娠中のマリーを残して帰国。後にマリーの父親から子供の教育費・慰謝料を払うように訴えられているが、病気を理由に払わず仕舞いである。

森鴎外はドイツで青春を謳歌していた原田直次郎を真似てミュンヘンで暮らし、ドイツ人女性・テチーリエ(後に画家となる)と暮らしている。この女性は1909年にミュンヘンで開かれた「美術における日本と東洋展」を主催したという。

このときの生活を「舞姫」として発表した。一方帰国した原田直次郎は1889年に発足した明治美術会にはいって西洋画を目指すが「脚気」に苦しむ。脚気に効果があるのはビタミンDであるが、これを多く含む麦食を嫌って米食を推奨したのは陸軍軍医・森鴎外である。今もなお自衛隊で人気の陸軍カレーは森鴎外の発案だとか。原田直次郎は、森鴎外のアドバイスでビタミンD不足になったのだろうか。

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【ドイツ-1-3】 プロセインはプロイセン公国とブランデンブルク辺境伯領は同君連合だった

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

  プロイセンとは??  
     ┣英語読みではプロシア  
     ┣19世紀後半にあった国  
     ┃ ヴィスワ川@ポーランドの河口に住むプルーセン人が語源
     ┃ ドイツ騎士団領とブランデンブルク辺境伯領(ホーエンツォレルン家) 
     ┃  ┗第3回十字軍運動で結成:バルト三国方面に東方植民:布教@13世紀 
     ┃   ポーランド・リトアニア連合との戦争大敗し、ポーランドの属国化@16世紀
     ┃   騎士団総長・アルブレヒト1490-1568(ホーエンツォレルン家)
     ┃          ┗プロイセン公国建国(初プロテスタント)
     ┃            ┃  当時の①ポ
ーランドはカトリックの大国 
     ┃            ┃     ②スウエーデンはプロテスタントの大国  
     ┃            ┃     ①②は戦闘状態 
     ┃            ┃  狭間にあるプロイセン公国とブランデンブルク辺境伯領は同君連合 
     ┃            ┃  首都はベルリン 
     ┃            ┃  注)プロイセン公国---男子断絶
     ┃            ┃    ブランデンブルク辺境伯・ジギスムントが両方のトップとなる  
     ┃            ┃     ┗◇-フリードリヒ・ヴィルヘルム1620-1688
     ┃            ┃        ┣領土を繋げるためスウエーデン侵攻→惨敗→属国化
     ┃            ┃        ┣スウエーデン支援@ポーランド戦 
     ┃            ┃        ┣属国化解消→困ったのはポーランド 
     ┃            ┃        ┗プロイセンをポーランドの味方につけようBy神聖ローマ皇帝 
     ┃            ┃         プロイセンは二重属国を脱出 →完全独立
     ┃            ┣首都:ケーニヒスベルク(現在のカリーニングラード:ロシアの飛び地)
     ┃            ┣フリードリッヒ3世1657-1713のとき王国に昇格@1701
     ┃            ┃ ┗フリードリッヒ・ヴィルヘルム1世1688-1740軍人王
     ┃            ┃    ┃ 領主層:ユンカーを官僚、軍人に採用 → 行政軍事体制強化
     ┃            ┃    ┣フリードリッヒ2世1712-1786 →プロイセン強大化--名君
     ┃            ┃    ┃ 君主は国家第一のしもべ ⇔ 朕は国家なりByルイ14世
     ┃            ┃    ┃ 作曲家
     ┃            ┃    ┃ 啓蒙専制君主思想家
     ┃            ┃    ┃ 近代化 : ユンカーが阻害していた
     ┃            ┃    ┃ 拷問検閲の禁止 信教自由
     ┃            ┃    ┃ ポーランドの分割 →プロイセン公国とブランデンブルク辺境伯領繋がる
     ┃            ┃    ┃ 
     ┃            ┃    ┗シュレジェン(現在ポーランド領)奪取@オーストリア継承戦争1740-1748
     ┃            ┃       ┗7年戦争勃発@ 1756-1763 プロイセン苦戦By外交革命   
     ┃            ┗         ロシアの裏切りでプロイセン勝利  
     ┗ナポレオン台頭→大敗→ラインラント獲得@ウイーン議定書  

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【ドイツ-1-2】 神聖ローマ帝国は衰えを隠すために「神聖」を冠した

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

 神聖ローマ帝国とは??  
     ┃・395 ローマ帝国分裂  
     ┃・フランク王国Byゲルマン民族 
     ┃・ローマ教皇がランゴバルドに圧迫される→フランク王国・カール大帝に救援要請 
     ┃
     ┃・ローマ教皇が認めた皇帝をトップとした国家集合体:現在のUSAと同形態 
     ┃・神聖ローマ帝国の始まりは800説(カール戴冠:西ローマ帝国の冠)
     ┃・西ローマ帝国分割---冠は中フランク王家→断絶
     ┃            東フランク王家→断絶→選挙王政 
     ┃                        ┗2台目オットー1世→マジャール人、スラブ人撃退  
     ┃                                    ┃      ┗ロシア人の先祖
     ┃                                    ┗ハンガリーの先祖
     ┃・イタリア紛争でローマ教皇巻き込まれる→オットー1世に救援要請
     ┃・神聖ローマ帝国の始まりは962説(オットー戴冠) 終焉は1806 Byナポレオン   
     ┃        ┗ザクセン朝@962:オットー1世    
     ┃          ┗ザーリア朝@1024:ハインリッヒ4世   
     ┃            ┗ホーエンシュタウフェン朝@1138:フリードリヒ1世赤髭王  
     ┃              ┗大空位時代約20年:事実上皇帝不在 →この時代に神聖ローマ帝国と言い出す 
     ┃                ┗ルドルフ1世1218-1291;ハプスブルク家 
     ┃                  ┗レンゼ協定Byルートヴィッヒ4世:選帝侯による皇帝選出
     ┃・現在のドイツ、スイス、オーストリア、オランダ、ベルギー、チェコ(ボヘミア)など  
     ┃   

     ┣ローマというがローマがない→イタリア侵攻するが撃退される→ローマ帝国内混乱    
     ┣ローマ教皇の権限が大きくなる   
     ┃・カノッサの屈辱@1077 
     ┃

     ┣金印勅書Byカール4世@1356:選帝侯は7人と定める公式文書   
     ┃                ┗裁判権、貨幣発行権  
     ┃ 選帝侯        : ブランデンブルク辺境伯+ドイツ騎士団 ---プロイセン公国  
     ┃ 選帝侯になれなかった : オーストリア   
     ┃               ┗ルドルフ4世1339-1365;ハプスブルク家→大公創設
     ┃
     ┃ →アヴィニオン捕囚中(1309-1377)だったのでローマ教皇の意思を無視して実施 
     ┃ 
     ┣マクシミリアン1世1459-1519 :帝国改造計画 自由に即位 ---ハプスブルグ家が世襲
     ┃  ┗カール5世1500-1558(フィリップとファナの子)
     ┃
     ┃ この頃ルターの宗教改革→ドイツ30年戦争1618-1648(カトリックvsプロテスタント)
     ┃
     ┃ ヴェストファーレン条約@1648   
     ┃  ┣スイス、オランダ独立
     ┃  ┣各領邦の宗教の自由
     ┃  ┣領邦国家の独立主権 
     ┃  ┗神聖ローマ帝国は実質上壊滅
     ┃
     ┗1806 神聖ローマ帝国滅亡Byナポレオン   
        ┣ライン同盟
        ┣解体勅書Byフランツ2世1768-1835(オーストリア皇帝フランツ1世として君臨)  
        ┗ライン同盟

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【ドイツ-1-1】 ドイツ(神聖ローマ帝国) ロマンチック街道と中世最盛の都市アウクスブルグ ハプスブルグ家の祖

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

【870】 東フランク成立(カロリング家断絶)By フランク王国分裂

【919】 ザクセン朝:カロリング家より

     第二代オットー1世:マジャール人、スラブ人排斥 

【962】 オットー戴冠 BYローマ教皇ヨハネス2世:神聖ローマ帝国成立 --- ナポレオン戴冠@1806迄続く

 

【11C】 ザリアー朝 ハインリッヒ4世1050-1106---カノッサの屈辱---皇帝の権威は次第に低下

【12C】 シュタウフェン朝 フリードリッヒ1世1122-1190の時代を経て、王権が不安定であった空位時代を迎える。              

        フリードリッヒ1世:赤ひげバルバロッサ 第3回十字軍遠征で川に溺れて死ぬ:諸説有   
           ┗ハインリッヒ6世1165-1197
              ┗フリードリッヒ2世:ローマ教皇が後見 シチリアで育つ 第5回十字軍では一人で話し合い勝利
                 ┗コンラート4世1228-1254 

【1250-1273年頃迄】 空位時代 コンラート4世---跡継ぎなく死亡 ドイツ王を世襲する有力な家門はなく、選帝侯などの有力諸侯が帝国の直轄領を蚕食し、帝国の権利の多くを奪った。というのも皇帝がローマ・伊へも侵略しドイツに変えることなく伊に居続けたからである。

【1273】 諸侯の中から選ばれた ルドルフ1世1218-1291(ハプスブルク家)が傀儡国王となりオーストリアの地を獲得。   
                     ┗アルブレヒト1世   
                     ┗アルブレヒト2世1298-1358

 

【14世紀】城塞都市ネルトリンゲン : 城壁@1327建設、旧市街@1215建設がすべて残っている

                   城壁内に2万人

                   聖ゲオルク教会@15世紀 H90m

                   交易ルートの交差点

                   帝国自由都市 :領主や貴族からの支配を受けない自治権を持つ

                           しかし皇帝が守ってくれるわけではない---自ら城壁建設--2.5km

                           かつては80都市

                           今では城壁祭

                   五か所の入場門には帝国自由都市の紋章

                   マルチン・ルターやクラーナハも帝国自由都市にいた

                   豚は幸運の女神

 

【1356】 金印勅書 :  皇帝は選帝侯(7人)によって選ばれる側に落ちぶれた。

              諸侯の言いなりの王が選ばれる

              By ルクセンブルグ家のカール4世1316-1378 プラハのカレル橋建造@14C  

 

【ハプスブルク家】 

    アルブレヒト2世  1298-1358    
     ┣ルドルフ4世  1339-1365    
     ┣カタリーナ    1342-1381   
     ┣フリードリヒ3世     1347-1362 
     ┣アルブレヒト3世     1349-1395   
     ┃  ┗アルブレヒト4世       1377-1404
【1438】 ┃     ┗アルブレヒト5世1397-1439 : 神聖ローマ皇帝としてはアルブレヒト2世    
     ┃  
     ┗レオポルト3世 1351-1386   
        ┗エルンスト1377-1424オーストリア公
【1440】       ┗フリードリッヒ3世1415-1493は帝位を独占してハプスブルク家の繁栄に寄与。各国との政略結婚勢力拡大 
              ┗マクシミリアン1世1459-1519 
                 ┗フィリップ美公1478-1506

【1492】 ハプスブルグ家が神聖ローマ皇帝に君臨---皇帝の権力安定

【1508】 マクシミリアン1世1459-1519の時にスペイン王女、ブルゴーニュ公王女と結婚し、スペイン、オランダ、ベルギーの資源を独占することでさらなる繁栄をもたらした。

【1519】 カール5世の時にイタリア戦争、宗教改革がある。かくしてハプスブルク家はオーストリア系とスペイン系に分かれる。

【1546】 カトリック派 VS ルター派 --- アウクスブルクの和議@1555 領邦君主の宗派を認める

     領邦の代表格がオーストリアとプロイセン

     プロイセン---ドイツ騎士団領がルーツ:プロイセン公国建国 ホーエンツォレルン家が引き継ぐ

     

【スペイン系ハプスブルク家】---By カール5世

【1556】 フェリペ2世のときに正解の多くに入植して銀など膨大な収益を上げてさらなる入植化のたけの軍事費にあてた。

【1571】 レパントの戦い

 

【オランダの歴史】

【1581】 ネーデルランドの独立宣言(フェリペ2世によるカルバン派への重税 カトリック強制)

【1585】 スペイン軍率いるパルマ公1545-1592(アレッサンドロ・ファルネーゼ)がアントワープ陥落

     フェリペ2世にしてみればネーデルランドは収入源だったが。。。

     ドイツ帝国・マクシミリアン1世1459-1519はブルゴーニュ公系マリーと結婚
              ┣フィリップ美公1478-1506
            マリー1457-1482 ┣カルロス1世
            仏ブルゴーニュ公     ┃  ┗フェリペ2世       --- スペイン&ネーデルランド:甘い蜜を継承
          (ネーデルランド所有)  ┣フェルディナンド1世--- 独皇帝         :いざこざのドイツを継承
           毛織物&国際金融      ┃
                   ファナ1479-1555

     マリーが所有するネーデルランドがドイツ皇帝マクシミリアン1世所有のものとなる

     やがてマクシミリアン1世を継いだカルロス1世(カール5世)は、息子のフェリペ2世にネーデルランドを与える

     (ネーデルランド:今のオランダ、ベルギーの毛織物、海運など資源豊かな地 カルヴァン派)

     (北側7州はカルバン派の地:ユトレヒト同盟)--- 重税、改宗強制→独立宣言@1581:ネーデルランド連邦共和国

                             リーダーはアムステルダム/ホラント州のホラニエ家・ウイレム氏)

                                  英:オレンジ公ウイリアム1533-1584 

     (南側10州はカトリック:アラス同盟      --- 降伏--スペイン領--オーストリア--蘭--ベルギー王国@1815

     フェリペ2世(強カトリック)はカルバン派に重税 カトリック強制 → 独立運動

【1588】 アルマダの海戦で英に敗れてネーデルランド(プロテスタントが多い)が独立

      英海賊・フランシス・ドレイク1543-1596---世界一周航海達成

【1648】 蘭独立国際承認@ウエストファーレン条約

    【オランダの覇権】       
      ┣ニューアムステルダム---英圧力により放棄:ニューヨーク
      ┣ガイアナ---英圧力により放棄
      ┣スリナム---今は独立 オランダ語圏
      ┣南アフリカ
      ┣スリランカ
      ┣インドネシア:オランダ領東インド
      ┣台湾
      ┣長崎:出島

 

 

 

【1618】 30年戦争で敗北

     三大宗教戦争 
      ┣
ユグノー戦争 
      ┣
オランダ独立戦争 
      ┗
ドイツ30年戦争  : プロテスタント〇   VS   ✖カトリック     
                   ┣デンマーク          ┗ハプスブルグ家
                   ┣スウエーデン    
                   ┗フランス    
 17世紀の混乱--30年戦争 
   ┣急速寒冷化--不況  
   ┣疫病ペスト--反乱 
   ┣銀流入  --価格革命、困窮 
   ┣世界的危機--経済成長停止 
   ┣ベーメン王国のフェルディナンド2世1578-1637がプロテスタント領域でカトリックを強要 
   ┣プラハ窓外放出事件@1618---ボヘミア王国の反乱 
   ┗30年戦争1618-1648@全ヨーロッパ --1000万死亡
      ┣第一段階:ベーメン-プハルツ戦争@1618 
      ┃     プラハ大学教授が異端として火刑@1419
      ┃     プラハ窓外放出事件      @1618
      ┃     ファルツ選帝侯フリードリッヒ5世を王に擁立
      ┃     オーストリア◎ VS ✖ベーメン王国 
      ┃                フェルディナント(ハプスブルグ家)
      ┃     白山の戦い@1620で終結  
      ┃    
      ┣第二段階:デンマーク参戦
      ┃     カトリック             プロテスタント
      ┃     神聖ローマ帝国ワレンシュタイン VS デンマーク・クリスチャン4世 @1629和平条約
      ┃ 
      ┃  
      ┣第三段階:スウエーデン参戦 --- リュッツェンの戦い@1632
      ┃     カトリック        プロテスタント 
      ┃     神聖ローマ帝国✖ VS ◎スウエーデン・グスタフ・アドルフ2世@1630 
      ┃                        勝利するが戦死   
      ┃     ワレンシュタイン暗殺@1634(神聖ローマ帝国内紛--強い奴は消す)
      ┃ 
      ┣第四段階:神聖ローマ帝国内紛を見て仏ルイ13世参戦---ハプスブルグ家の弱体化狙い  
      ┃     仏(プロテスタント支援) VS ハプスブルグ家 @1640年代和平交渉 
      ┃ 
      ┃ 
      ┣ウエストファリア条約@1648 
      ┃ ┣スウエーデン:北独ポンメルン(ポメラニアン原産地)奪取
      ┃ ┃       バルト海支配
      ┃ ┣フランス  :西独アルザス-ロレーヌ地方奪取 現在は仏領
      ┃ ┃       鉄鋼資源 
      ┃ ┣スイス   :独立承認
      ┃ ┣オランダ  :独立承認
      ┃ ┣カルバン派 :公認
      ┃ ┗各諸侯   :独立主権取得---領邦国家化 神聖ローマ帝国実質壊滅  
      ┃ 
      ┣神聖ローマ帝国弱体---オーストリアは自国強化 
      ┣ブランデンブルク辺境伯---プロイセン誕生 
      ┗フランスは絶対王権時代 BYルイ14世1638-1715 

 

【1688】 仏がアルザスロレーヌ地方に侵攻

     仏✖ VS ◎ハプスブルグ家同盟軍(スペイン、英)

【1700】 カルロス2世の時に断絶となることでスペイン継承戦争が勃発、フェリペ5世のもとでブルボン王朝ができる。

【1740】 プロイセン成立しオーストリア継承戦争

     シュレジェン争奪戦---1745講和

     仏との講和 Byマリア・テレジア---娘のマリーアントワネットを仏に嫁がせる;外交革命

【1756】 7年戦争---オーストリア(+仏+露)✖ VS ◎プロイセン

          ペチコート作戦

     シュレジェン奪還を狙うが露が戦線離脱、仏は英との戦争に傾注

【1789】 フランス革命

【1860】 北独連邦成立後に普仏戦争勃発ナポレオン3世を破りドイツ帝国成立する。ビルヘルム1世時代にビスマルク政治が安定する。

【オーストリア系ハプスブルク家】   フェルディナンド2世がオーストリア系の発祥で30年戦争のきっかけとなる。最盛期にはマリア・テレジアの治世でプロイセンと抗争しシュレジェンを取られ、7年戦争では仏を手を組んでプロイセンを牽制するとともにシュレジェン奪回をはかった。ヨーゼフ2世の治世、ヨーゼフ1世の治世が抑え処である。

 

【ロマンチック街道】   南ドイツのベルツブルグからノイシュヴァンシュタイン城を経由してフュッセンまでの約500kmをロマンチック街道という。1950年代にWW2からの復興を目指して街をつないでできた街道である。そのほぼ中央に位置する都市アウクスブルグに、クリスマスにはサンタクロースではなく、天使(クリストキント)がやってくるという。NHK-BSプレミアム放送の内容を抜粋してみた。舞い降りるのはどこだろう。湖畔にたつノイシュヴァンシュタイン城はいつも霧に囲まれて幻想的。中世の面影を残す交易路であるロマンチック街道の最南端はここ。古い街並みや美しい城が点在しているという。アウクスブルグはかつて最も栄えた町で、ルネッサンス期には多くの芸術家が活躍した。モーツアルトゆかりのこの街にあるアウクスブルグ大聖堂は中世14世紀の典型的なゴシック建築、敬虔なカトリックのゴシック様式は、9世紀から11世紀にかけてのロマネスク様式と併存している。

   【ベルツブルグ】  ロマンチック街道なかでも第二の大都市。マイン川沿いには13世紀に築かれたマリエンベルク要塞はカトリック司教の住居。この地域の領主であり宗教、政治をつかさどる。中世からワインを作りマイン川による交易で発展した。中心には聖キリアン大聖堂、ノイミュンスター教会、マリア礼拝堂(市民が建てた教会)がある。16世紀に起こったドイツ農民戦争では、司教は市民に鎮圧を命令したが、農民側に付いた市民は司教を追い出したという。市民の中心になったのが市長を務めたこともあった彫刻家ティルマン・リーメンシュナイダー1460-1531。ところが1525年司教の圧倒的な軍の前に市民は屈服、リーメンシュナイダーは逮捕されて数年後に亡くなったという。

   【ヴァイカースハイム&ローテンブルク】  ベルツブルグから南へ約120km、ヴァイカースハイム城、クレクリンゲン・ヘルゴット教会でリーメンシュナイダーによる彫刻・聖母マリアの昇天が19世紀に見つかった。宗教戦争の時代に祭壇は隠されて、次第に忘れられること300年。近くには城壁で囲まれたローテンブルクの街がある。宗教戦争、農民戦争、領主戦争が絶えず、どの家も屋根裏は備蓄倉庫。カトリックとプロテスタントによる宗教戦争・30年戦争では、プロテスタント側に就いた。そのシンボルとなったのがゴシック様式の聖ヤコブ教会、完成したのは15世紀。ここの祭壇を作ったのもリーメンシュナイダーである。が、やがてカトリックに降伏したという。街を厄払い市の幹部は処刑と宣言するが、ワインを一気に飲み干せば許そうという。時の市長はワインを飲み干したことから街の破壊は免れたとか。しかし街はその後発展はなく取り残された。しかし中世の街並みは今もそのまま残っている。

   【アウクスブルグ】    はハンス・ホルバイン1497-1543という画家の一族が暮らしていた街でもある。ドイツの大画家ハンス・ホルバインに因んだ日本の絵具メーカが存在する(ホルベインの固形水彩セット)くらいである。ハンス・ホルバインは後にイギリスの宮廷画家としてヘンリー8世(6人の妻を持ち、イギリス国教会を作る)に仕えたことでも知られる。ユートピアで知られるトーマス・モアの紹介で宮廷画家となったが、トーマス・モアはイギリス国教会の設立に異を唱えたからヘンリー8世に睨まれて処刑されている。従ってハンス・ホルバインはびくびくしていたに違いない。

作品で有名なのが、「大使たち」。描かれているのはフランスの外交官、手前に歪んで見えるのは骸骨。騙し絵(アナモルフォーシス)である。メメント・モリ(死を忘れるな  Memento:記憶 Mori:死)、カルペ・ディエム(今を精一杯生きろ) また当時大ヒットした「死の舞踏」(ペスト流行時代から有る画題:死は平等--ある種の救い)木版画は色々な職業(司教、医者、裁判官、商人、農民)の人が髑髏に連れていかれるもの。

  Memento----Memory Memoの語源:ラテン語

  西洋画の伝統的な画題

  枯れる花と髑髏 消えるロウソクと髑髏 時間を示す時計と髑髏 若者肖像画と髑髏

 

  CarpeDiem----今を精一杯生きろ

 

 

また、木版画シリーズ「死の舞踏」が大ヒット、色々な職業の人を髑髏が連れていく。つまり誰もが死ぬ、死は平等であるという意味があった。(階級社会では身分の低い者にとっては救いでもある)

「大使たち」 ハンス・ホルバイン2世

アナモルフォシス:だまし絵

ドイツでは クリスマス迄の一か月はアドベント待降節と呼ばれる期間、クリスマスに待ち焦がれるのはサンタではなく天使であり、街のいたるところに天使が施されている。天使は神の使い、守護天使は生涯人々を見守るという。最終日の23日はクリストキント(キリストが天使の格好をする)とともに天使は舞い降りる。街の中心にある広場を望むアウクスブルグ市庁舎(ドイツ・ルネッサンス建築の最高峰)に、その天使は舞い降りる。エンゲルシュピールと呼ばれ、その広場には100もの店舗がたち並び、ドイツ各地から人が訪れる。WW2では、ナチスの本拠地であったアウクスブルグは空襲を受けて壊滅。市民は失意にあったが、1977年にエンゲルシュピールを再開。再開した市の職員のフリツ・クライバー氏だという。

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【アメリカ-6-3】 現代アメリカ史 共和党・トランプ再選で変わるアメリカ

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

2020 バイデン政権       
   ・米マスメディア支配       
   ・日本のマスメディア情報源は米マスメディア ⇔ トランプは「X」で対抗  

    

   2025-トランプ政権でのメディアの動き       
   ・バイデン・ハリス支援の動きは無くなった        
   ・ワシントンポスト(ジェフペゾス傘下)は民主党支持は止めると公表   

2021 【司法省の改革】       
   ・1/6 議事堂襲撃事件       
   ・トランプは群衆に向かって「暴力は駄目」とスピーチ+X投稿       
   ・当時のツイッター社(CEOジャック・ドーシー)はこの投稿を削除      
     -これはFBI、CIAからの指示であったと公表 By CEOジャック・ドーシー       
   ・Google、Amazon、METAすべて民主党支持だった      
   ・司法の武器化      
     -FBIは「トランプが襲撃を命令した」と吹聴       
     -FBIは「トランプ退任後、機密書類を持ち出した」と吹聴      
     -上記によってトランプを強制捜査、起訴した  → 2025-1-トランプ当選で起訴を取り下げた      
     -主導はFBIレイ長官1966-           → 2025-1-カシュ・パテル、副長官ダン・ボンジーノに交代       
     -発展途上国に於ける手口
    
2022 【国土安全保障省】       
   ・9.11同時多発テロのときにブッシュ政権が発足させた       
   ・2021-2025 長官はマヨルカス1959-   → 2025-1-クリスティー・ノーム1971-に交代      
      国境からの不法移民を放置       
      南部国境から入る麻薬・人身売買組織(カルテル:メキシコマフィア)を放置       
      トランプの警護をしない :バトラー事件発生       
   
2022 【国防総省ペンタゴン】       
   ・長官ロイド・オースティン1953-は失職  → 2025-1-ピート・ヘグセス1980-
      陸軍大将
      RTX(米武器メーカー)に天下り

       ------戦争大歓迎---→ 
      
   ・2014マイダン革命(選挙で選ばれた親ロ派のウクライナ大統領を打倒)を支援 
      オバマ政権下のビクトリア・ヌーランド国務次官が黒幕         → 早々に退任 
         
      同じくブリンケン国務長官                      → 失職  
         2025-1-21~マルコ・ルビオ72代が就任
      二人の共通点はウクライナ系ユダヤ人(帝政ロシア時代に虐殺されている)
      ラーム・エマニュエル駐日大使(LGBT法案を岸田政権に押し付けた黒幕) → 失職@2025-1-14  
      
 
2022 【薬産業】        
   ・米保険福祉省(HHS)と癒着            
   ・疾病管理予防センター(CDC)と癒着           
   ・アンソニー・ファウチ博士1940-がクリントン政権から保健行政を仕切る        
      コロナワクチン接種などパンデミック対処           
                
    -----政府癒着の薬産業を非難---→  

 

トランプ大統領の言うDSとは

巨大企業(製薬・武器)と官僚機構(政府・CIA・FBI)の癒着システムが ディープステート(DS)

                      
         
2022 【言論の自由化】       
   ・1/31 イーロン・マスクがツイッター買収開始        
   ・情報統制社員を解雇        
   ・民主党の全体主義に対抗       
          
2024 7/13 トランプ暗殺事件@バトラー      
   10/  トランプ選挙集会にイーロン・マスク登場        
         

2025 トランプ政権の政策      
  【パナマ運河の歴史について】      
   1880 仏が建設開始----パナマ運河会社倒産----建設放棄    
   1903 パナマ独立 By米支援   
   1905 米がパナマ運河建設開始      
       ・パナマ運河条約締結   
   1914 パナマ運河開通     
       ・建設費用:3憶$
       ・通行収入はパナマ
       ・管理・施政権(中南米に於ける軍事拠点)は米
   1940 拡張工事完成
   1977 新パナマ運河条約
       ・永久中立運行保障が条件
       ・通行料は低く抑えること
   1999 パナマ運河を全面的にパナマに返還
   2006 運河拡張とともに通行料が激増し始める  
       ・2006年の運河収入は1.7億$
       ・2024年の運河収入は50億$
       ・18年間で30倍
       ・国別貨物量 :上位五か国
         米  :1.6億トン
         中国 :0.4億トン
         日本 :0.3億トン 
         韓国 :0.2億トン
         チリ :0.2億トン
   2017 中国とパナマ間で「パナマ・中国覚書」を交わす
       ・中国と国交
       ・台湾と断交
       ・パナマ支援
       ・中国の「一帯一路計画」に協力 → 1977の新パナマ運河条約違反    
       ・香港のCKハチソン・ホールディングスが運河を管理開始
   2025 米ルビオ国務長官が中米パナマを訪問
       ・パナマのムリノ大統領(2024/7~)と会談して以下とする
       ・「一帯一路計画」解除 
       ・運河の主権は中国からパナマ
       ・米軍艦の自由な自由な運河通行

  【不法移民禁止について】  
       ・「移民反対」ではない、「不法移民禁止」である
       ・バイデン政権下での不法移民は300万から1100万人に激増----不法移民達の貧困問題発生
       ・バイデン政権ですら、「不法移民強制送還」する法律を施行している
       ・日本のマスメディアの意図的な誘導が目立つ

  【LGBT法案について】  
       ・LGBTを認めない、などとは言っていない  
       ・性転換した男性が五輪女子種目で優勝する、などは許さなと言っている
       ・日本の場合はLGBTに対する差別は少ない(多くが活躍している)
   参考 同性愛者に対して差別を行ってきたのはキリスト教徒、イスラム教徒
       ・19世紀迄は同性愛者は死刑
       ・日本では死刑など聞いたことが無い
         同性愛者の戦国武将が数多くいた
         日本には差別する文化は存在しない : LGBT法案を日本に持ち込む必要などはない
         運動家はラーム・エマニエル(シカゴ出身 在日米大使)
         政府は「LGBT理解増進法」を強硬裁決・施行@2023 

  【ネットゼロ運動】 
       ・トランプは「地球温暖化詐欺」と主張 
       ・2050年までにCO2ぜロ運動から、米六大銀行全銀行が離脱
       ・大企業も運動離脱傾向
       ・モルガン、ブラックロックなどの投資会社も運動離脱した
       ・2025-2-13付 日経新聞には「進む脱炭素」「進むEV」とあるが馬鹿か?
               →米民主党から金が流れている、利権構造にしがみ付く日経新聞
       ・日本はGX投資(脱炭素)10年で150兆円・・・・大馬鹿野郎

 

  【関税】  
       ・関税報復措置@2025-2-13
         カナダ、メキシコに対して関税25%----2025-3-4発動 :不法移民、合成麻薬
         中国に対して関税10+10%    ----2025-3-4発動 :上記合成麻薬ほう助2025-3-4発動 :不法移民、合成麻薬
         鉄鋼・アルミニウム輸入には関税25%        :2025-3-12発動
         
       ・日本の消費税批判 (トランプは激怒)
         輸出補助金 :4000億円還付@トヨタ(元々は仏がルノーを助けるために考案)
            
       ・日本の消費税は非正規雇用を生み出す仕組み
       ・導入言い出したのは経団連
       ・儲かっていない中小企業からは法人税は取れないが、消費税は取れる By財務省
       ・中曽根時代の売上税(大反発)→消費税(名だけ変更)
       ・
       ・
       ・


   
   
   
   
   

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【アメリカ-6-2】 現代アメリカ史 共和党による保守思想と民主党によるリベラル思想 1961年-第35代 民主党 ケネディー以降

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

【1961年-第35代 民主党 ケネディー】    この時代は政府の介入を認めた自由を求めるリベラリズムの時代(民主党が多い)キューバ危機、公民権運動(政府が介入して差別を是正する)に関してはローザ・パークス1913-2005が有名。特にアメリカ南部では白人と黒人を分離するジム・クロウ法があった。バスの後部黒人専用席に座っていた彼女は、バスの運転手から白人に席を譲るように言われたが従わずに逮捕されて、これをきっかけに公民権運動が巻き起こった。「My Story」という著書がある。   
   
  ・1962年-10:キューバ危機 :米偵察機が核ミサイル設備を発見  
         ・フルシチョフ--ケネディ対談でミサイル撤収  
         ・米のキューバ侵攻は止める  
         ・カストロは元々社会主義ではなかったが、米と戦うために社会主義ソ連と連携 
         ・ゲバラは、社会主義と連携するカストロからは離脱、ゲリラ活動で死亡@1967 ボリビア   
       【カストロ独裁共産政権1965-2011】 
         ・全企業国有化  
         ・医療教育は無償
         ・自由を求めて富裕層は国外亡命To米フロリダ(共和党) 
         ・民主党はフロリダのキューバ人に投資 
         ・ソ連崩壊後のキューバ支援は中国? 
         ・キューバの貿易相手は中国、ベネズエラ 
         ・キューバはIT制限@2021 システムは中国ファーウエイ

         
          
  ・1963年   :東海村で原子力初発電  
  ・1963年-08:ワシントン大行進(人種差別撤廃25万人)  
  ・1963年-11:ケネディ暗殺 
         ・米南部テキサス州ダラスで暗殺される 
           犯人は共産主義者オズワルド?犯人複数説  
           オズワルドは暗殺される 暗殺犯ルビーは獄中死 
         ・暗殺事件詳細を記したウオーレン報告公開は2038 
           FOXキャスターがJFK暗殺犯人はCIAとTVで発言 
           甥のロバートJr曰く「FOXキャスターの発言は最も勇気あるもの」
         ●黒人差別反対 
           キング牧師の演説  
         ●FRBドル発行権を取り上げ、政府紙幣グリーンバック発行発言?     
         ●ピッグス湾事件でCIAの怒りを買った?     
           CIA支援のもとでフロリダ亡命キューバ人部隊がカストロ政権を打倒する計画があった     
           亡命キューバ人は砂糖で富を得た資産家(資産は全部カストロ政権が没収)     
           ケネディはその計画を中止させた     
        
         

【1963年-第36代 民主党 ジョンソン】      
  ・保守の時代。  
  ・ケネディ暗殺の後を受けて、ベトナム戦争介入、  
  ・公民権法成立などは民主党の時のほうが行われやすい。  
  ・黒人の地位向上に努めたマルコムX、キング牧師はいずれも暗殺される。  
  ・1964年:東京五輪

【1969年-第37代 共和党 ニクソン】      
  ・ベトナム戦争は泥沼化し、この時に撤兵が決まる。  
  ・財政不安、冷戦の時代に核を保有するのも困難な時代となりドル・ショック(金・ドル交換停止してドルの変動相場制に移行)が起こる。  
     ----1960以降日本は大復興 :特に自動車産業  
     ----米の金は大きく流出  
     ----ニクソンショック:金固定相場から変動相場制に変更     
     ----ドルから金交換を停止   
     ----1$360円(金35オンスの価格)が308円になる:円高  
     ----結果米製品は安くなる 360万円(1万ドル)の日本車は100万円(1万ドル)  
     ----米製造業は復活  
      
  ・民主党に盗聴器を仕掛けて起きたウオーターゲート事件で辞職する。  
  ・キッシンジャーと中国・毛沢東訪問(台湾抹殺)   
     ----1970年:大阪万博   
     ----1971年:ニクソンショック   
     ----1972年:日中国交正常化 沖縄返還   
     ----1973年:オイルショック

【1974年-第38代 共和党 フォード】1913-2006 ミシガン大学
       ・副大統領はネルソン・ロックフェラー1908-1979      
         ・ジョン・ロックフェラー2世の次男      
         ・共和党保守派     
         ・ベネズエラ石油採掘      
         ・32代ルーズベルト、     
         ・33代トルーマンと繋がる    
         ・34代アイゼンハワー大統領の側近     
         ・愛人宅で腹上死

【1977年-第39代 民主党 カーター1924-2024/10/1】 
       ・1980 日本車が市場で20%
       ・白人の高い労働力から海外の安い労働力に移行 
       ・デトロイトは廃墟化 :ラストベルト
       ・大統領長寿記録保持者
       ・ノーベル平和賞@2002
       ・ソ連との融和外交を行ったため、ユダヤ人移民が民主党から離れる
          ユダヤ移民にとってはソ連は敵  
       ・国葬@2025-1-9には菅義偉元首相が参列        
       ・新パナマ運河条約(返却に同意)@1977 ----返却は1999クリントン 
        

【1981年-第40代 共和党 レーガン1911-2004】      
       ・共和党による保守思想の時代でリベラル思想とは相反する。 
       ・雇用保障政策
       ・日本への自主規制要求
         ----プラザ合意@1985 
         ----米の貿易赤字解消目的
         ----各国は$売り
         ----1$250円が120円 :円高
         ----日本は円高不況
       ・GM復活するが、その原因は機械化 :約30万人は雇用削減   
       ・Make America Great Again を旗印に 政府の介入による自由獲得には反対。     
       ・自ら自由を望み軍事力を強化する国際連合やTPPなどは反対で、     
         プロテスタント色(アメリカの元々の独立の時からの保守主義)が強い。     
       ・この頃中東戦争が起こり、イスラエルに味方すれば石油制限するというアラブ諸国のやり方によってオイルショックが起きた。     
       ・これは福祉国家の行き詰まりを生じさせる。かくして政府の力を弱めるリバタリアニズムが台頭する。     
       ・暗殺未遂@1981で助かる     
         手術台で医師団に対して「君たちが共和党員でないのが残念だ」と言ったのは有名
       ・ハリウッドと繋がりが深く、シオニスト政策
       ・

【1989年-第41代 共和党 父ブッシュ】
       ・イスラエル:リクード    
       ・湾岸戦争、
       ・マルタ会議
       ・1989年:ベルリンの壁崩壊 
       ・1990年;クエート侵攻 湾岸戦争
       ・1991年:ソビエト連邦の崩壊

【1993年-第42代 民主党 クリントン】
       ・イスラエル:労働党 ラビン、ペレス 
       ・イスラエル:リクード メタニヤフ   
       ・オスロ合意@1993        
       ・新パナマ運河条約(返却)@1999 :香港企業が管理 通行料が高い

【2001年-第43代 共和党 子ブッシュ】    
       ・イスラエル:リクード      
       ・同時多発テロ、イラク戦争でわかるように、自分の國で軍事力強化を行い戦争を行ってくる保守主義である。    
       ・新保守主義拡大@2000代 

  2003年:イラク戦争(第二次湾岸戦争)
      ・大量破壊兵器の廃棄、フセイン政権の排除 
      ・武力行使に反対した国 :アラブ、ロシア、フランス、ドイツ(理由:兵器保有証拠が不十分) 
      ・日本とイギリスがバックアップ :日本はサマワに自衛隊派遣@2003-2009
      ・英の対応 :ブレア元首相は誤りであったと謝罪@2015-10
      ・日本の対応:間違いではなかったと岸田首相は国会答弁で回答 
  2008年:リーマンショック 
      ・リーマン・ブラザーズ 
       ヘンリー・リーマン1822-1855
            ドイツ出身@バイエルン:アシュケナージ
            ドイツ革命で渡米@1848
            リーマン商会:日用品@アラバマ
              綿花取引:代金の代わりに綿花
              南北戦争で南部敗退→北部NYへ移住
            クーン・ローブ商会を買収統合
            住宅バブルで経営拡大@2000年代@ブッシュ息子
              サブプライムローン:貧困層(一般銀行は貸さない)向けに低金利のローン設置
              バブル崩壊で破産 :多くがローン払えず貧民層は自己破産
              リーマン商会は64兆円の負債で破綻(リーマンショック)
              サブプライムローン実施の他の銀行も株価暴落----世界金融危機 

【2009年-第44代 民主党 オバマ】    
       ・イスラエル:リクード ネタニヤフ    
  2008年:リーマンショックにより不景気を反映して民主党に変わる。    
      これは世界恐慌の時の保守党フーバーから民主党ローズベルトに変わったときと同じである。    
      社会保障の充実(日本の国民皆保険のようなことを政府が介入して実施)、    
      このようなインフラ整備も含めた政策に力を入れるので、民主党は軍事力強化は力を入れない。    
      キューバ・イランとの国交回復    
      シリア・アサド政権の転覆    
      オレンジ服を着た捕虜殺害影像
  2009年:GM倒産
  2013年:デトロイト市財政破綻
  2016年:トランプ共和党政権誕生 :MAGA宣言@ウイスコンシン州、ミシガン州、ペンシルベニア州 
      MAGA :哀れな白人、惨めな黒人、故郷なき先住民、希望を求める移民の為の強いアメリカを再び   
      関税アップ
      雇用アップ@ラストベルト
      

【2017年-第45代 共和党 ドナルド・トランプ】1946-    
     :コロナウイルスによる不景気により共和党のトランプから、バイデン民主党政権に変わったのも、これまでと同じ。    
      保護主義、孤立主義政策を実施    
      自国中心主義、愛国主義    
      シリアの反政府組織(ISIS,アルカイダ)の基地を根絶----シリア内戦が収束、安定    
      平和外交で戦争は起きず    
      28代ウイルソン大統領が破ったモンロー主義を再び実施しようとしているが・・・    
      戦争が起きなければ困る勢力がトランプを非難する    
      戦争に介入した方が莫大な富を生むという考えの勢力が強い    
      現在米4スター大将は40人を超える(1950年頃は7人)

【2021年-第46代 民主党 ジョー・バイデン】1942-     
      :ペンシルベニア州出身    
       上院議員36年 副大統領@2008
      
      「アメリカ民主党の欺瞞2020-2024」By渡辺惣樹
      「公文書が明かすアメリカの巨悪」~フェイクニュースにされた陰謀論の真実~ By渡辺惣樹

      :民主党:バイデン大統領の支持母体は超資本家(親ユダヤ)、移民黒人等の貧困層
       南北戦争では南部の奴隷制を守る派
       北部資本家に対抗
       移民歓迎(不法移民も放置していたが2024/6に取り締まる法律発動)
       重税、統制----社会主義的
       戦争推進派
       ハンターバイデン--親中賄賂@2019、中国企業に投資:ハンター事件
                親ウクライナ賄賂@2009:トランプが暴露
                ドラッグ中毒@2014暴露
                各種疑惑隠蔽@2023:イーロン・マスクが暴露
               【台湾有事】
                の際にアメリカは日本を援護することはない。日本人は認識すべ
                中国は福建省に7~15万人収容可能な病院、軍施設建設中 
       
       イーロン・マスク--@twitter(ジャック・ドーシーCEO)を買収、Xとする
                twitterの言論統制(対共和党)を回避する目的 
                ジャック・ドーシーはbluesky開始      
       テカムセの呪い----末尾0年の大統領は不審死する
       金のばらまきで経済破綻
       中国勢力大(習近平はグローバリスト)----周辺諸国危ない----日本人の目覚め?
       
      
  2021-1-6:米議会乱入事件800人----バイデン大統領正式決定前    
       ・ドナルド・トランプの支持者らが、「2020年のアメリカ合衆国大統領選挙で選挙不正があった」と訴     
         トランプ演説の以前から議事堂乱入を煽っている不思議     
         議事堂警察が自らバリケードを開放している不思議(動画多数)   
       ・日本メディアは「根拠のない不正選挙」と断定している      
         米ではこれら不思議な事象を検証しているが、日本は民主党寄り情報一辺倒    
       ・アリゾナ州での選挙@2020で民主党ケイティ・ホップス州務長官が不正疑惑   
         共和党からのクレームによる再開票実施すると、おかしな票が多数発見   
         裁判になったが・・・結局民主党の勝利   
         2022年のアリゾナ州知事選挙では僅差で民主党ケイティ勝利(共和党のケリー・レイク敗北)  

    
         
  2023-- :コロナワクチンの闇@日本 
       ・100兆円に及ぶ支出(海外製薬メーカーへの財産流出)
        ワクチン接種直後の死亡者に対する検証はしない日本      
        ワクチンの効果に関する検証は一切しない日本    
  2021  :コロナ朗報@米フロリダ州        
       共和党の州知事デサンティスは以下実施 するとコロナ早期に終息、他の州から数多く移住、活気を取り戻した  
       ・町のロックダウンはしない    
       ・マスクは自由   
       ・ワクチン自由   
       ・ワクチンパス不要  
      
 2024-7-26 トランプ前大統領銃撃事件  
       ・26代セオドア・ローズベルト以来のタフな大統領と絶賛したのはイーロン・マスク ByX   
         →選挙演説中に撃たれるが、胸ポケットの手帳のおかげで助かったものの  
          弾は心臓の近くまで到達していた  
          その状態で演説は続けたのがセオドア  
       ・バイデンは選挙戦から退くことを決定     
       ・政務は事実上不可能?(老害?)     
        奥さん事を隠して政務にあたっている? 28代ウイルソン大統領と同じ
      【襲撃原因】 
       ・戦争を好まない 
       ・FRBに対立的  
       ・大きな権力下にあるCIA、FBIを弱体化   

 2024-10-30 トランプ応援団@マディソン・スクエアー・ガーデン     

 2024-11-05 トランプ第47代大統領1946-就任   
       ・対ハリス1964-民主党   
       ・共和党   
       ・不法移民追放 :民主党でさえ不法移民取締法制定@2024/6月 
       ・DS対抗      :CIA-FBI-金融・産業の秘密ネットワーク 
                権力を行使する政府に対抗する

【不法移民の問題@バイデン政権】   
       ・不法移民の増加数は730万人 :これ以上増やすべきではない     
       ・合計の不法移民数は1100万人
       ・不法移民の多くは大都市へ流入(NY,LAなど)   
           ・不法移民の失業者は約300万人(不法移民の27%)   
           ・不法移民の給料は米峰低水準の1/3    
           ・ホームレス生活者が激増  
           ・犯罪(強盗、殺人、レイプ)が激増----警察の対応不能 
       ・民主党が移民を歓迎するのは票集め(有権者登録は簡単なため)  
       ・その民主党でさえ不法入国規制を厳格化した@2024-6  
           ・2022年の中間選挙でバイデン人気急落  
           ・ヒスパニック系移民でさえも不法移民反対
           ・不法入国者は強制送還
           ・5年の入国禁止 
           ・現実には警備員不足で対応不十分 
         

【トランプが勝利した理由、政策】           
       ・不法移民問題解決   (民主党派でさえも望んでいる政策)
       ・チップ、残業代は非課税(低所得者救済 分かり易い政策) 
       ・イスラエル-ハマス戦争を終わらせる
           ・「クリントン政権によるオスロ合意」(パレスチナ・イスラエル和平合意)のような解決策??
              ・ノーベル平和賞を狙っている??
           ・ユダヤ系アメリカ人 (人口の1.7%)の票は減った模様
           ・イスラム系アメリカ人(人口の3.3%)の票は増えた模様
       ・ウクライナ戦争終わらせる
           ・ハンターバイデンがウクライナ企業と癒着している場合ではない
           ・物価高騰の最中にウクライナ支援は止めるべき
           ・米の 支援:10兆円
           ・EUの 支援:5兆円 
           ・日本の支援:1.2兆円
           ・「クリントン政権によるオスロ合意」のような解決策??
              ・ゼレンスキー大統領の合意条件は?
              ・プーチン大統領の合意条件は?
              ・ウクライナ・ドンバス地方(ロシア人が多数で独立希望)は独立??
              ・ノーベル平和賞を狙っている??
       ・関税引き上げ策 ---- 米の景気向上政策  
          関税とは米国民に対する税金---だから米国民は購入しない→売れない 
          代わりに所得税減税する?         
           ・対中国  :60%   ----経済衰退(@1985プラザ合意後の日本のようになる) 
           ・対カナダ : 
           ・対メキシコ: 
                  以上3か国は輸入額上位
           ・対ドイツ :10~20%
           ・対日本  :10~20% ----日本製品売れにくい(日本不景気) 
                  以上5か国は輸入額上位
       ・海外派兵縮小  ---- 共産圏の脅威が増す策       
           ・軍事費削減(GDP比5%)
           ・世界200か所の米兵引き上げ政策
           ・米兵数  :約143万人--4.3%(日本の自衛隊は約15万人--0.12%) 
           ・どこまで減らす? 9万人減? 
           ・雇用はどうする? 
           ・在日米軍はどうする? :8年前と同じく変わらない?自主防衛を考える? 
       ・対日      ---- 対石破首相     
           ・在日米軍撤退   
           ・日本よ独立せよ(元安倍首相へ何度も示唆)   
           ・日米安保条約は破棄  
           ・ロシア、中国など共産圏からの脅威は増す  
           ・石破総理はどう対応する?  
       ・イーロン・マスク  
           ・科学技術担当  
           ・電池、オプティマス(人型ロボット)  
           ・予算78兆円削減  
       ・ロバート・ケネディー・ジュニア  
           ・健康・衛星担当  
           ・コロナ、ワクチン開発の闇を暴いた(対ディープ・ステート)
           ・    
【トランプ就任前】  
       ・US-Steelの買収 → 従業員、市民ともに買収に賛成    
           ・「従業員の95%が日本製鉄(生産は世界4位 生産量2000万トン)による買収に賛成」 従業員談   
           ・「反対するのなら名案を出してほしい」従業員談  
           ・「バイデン大統領、買収阻止は止めて欲しい」ペンシルベニア州ケリー町長談     
              バイデン大統領に手紙を出したが回答無し     
          クリーブランド・クリフスのゴンカルベスCEOは猛烈に日本批判      
           ・クリーブランドにある鉄鋼メーカー     
           ・生産は世界25位     
           ・日本製鉄と競合して買収額で敗北     
           ・ゴンカルベスCEOはブラジル人、票集めのバイデン側に政治介入      
           ・中国はブラジル・マラニョン州に製鉄所建設計画@2004:80億ドル 370万トン               
           ・CEOは「日本は中国より悪だ」と批判       
           ・CEO年収は36億 :独裁CEO             
           ・             
           ・                     
           ・          
     石破総理 ----以下の事象でSNS炎上中@2024-12-15
       ・トランプ1946-は石破を無視
         ・話もしてもらえない
         ・どころか、安倍元首相の妻明恵さんと面会@フロリダ2024-12-15
         ・その後会談に応じる主旨のトランプ発言を無視?(即渡米して会談しない石破)
         ・トランプ会談には適任者を検討中という石破(自分が行く気はない模様)
         ・中国並みに関税掛けられたらどうするの?
         ・反米親中の石破を総理にしたことが大誤算
       ・APEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議での石破の無礼---外交問題 資質問題 日本の恥
         ・集合写真撮影に遅刻
         ・座ったまま他国首脳と握手
         ・スマホいじり
       ・第一から第三列島線という中国脅威
         ・この脅威を感じない石破
                    
     安倍元総理、妻昭恵夫人
       ・安倍元総理は大統領就任前のトランプに会いに行っている@2016
       ・世界の首脳はトランプの考えを安倍元首相に聞きにくる
       ・共にゴルフを楽しむ家族ぐるみの付き合い
       ・安倍暗殺後、折に触れてトランプは昭恵夫人に連絡
       ・トランプ夫妻から招待
       ・面会して会食@フロリダ州自宅マル・ア・ラーゴ 2024-12-15
       ・メラニア夫人1970-がSNSに投稿
       ・両者の私的面会に批判的な意見を発するコメンテータ → 親中派
       ・石破が反米、親中で、安倍とは犬猿の仲

【トランプ就任後2025-1-20】副大統領はバンス 
       ・ハマスに警告@2025-1-7                  
       ・イスラエル/ハマス停戦・人質解放合意@2025-1-15 @ガザ地区
       ・ヨルダン川西岸では無秩序
          イスラエル人入植多発
          国際法違反ではない       Byトランプ
          何千年前からイスラエルの土地だ Byイスラエル人
          極右シオニズム派は共存には反対 
                                                   
       ・就任式等々の費用は税金ではなく「就任式実行委員会」への寄付400億円で賄われている By米ABCニュース         
         寄付した企業はGAFAM大手IT5社----はトランプとは犬猿であったが・・・100万ドル寄付     
                                 
         ■アップル--ティム・クック        
         ■Metaザッカーバーグ    :2021-1議会襲撃を受けてトランプのアカウントを凍結       
                        「トランプは暴動を煽るためにSNSを利用した」との理由       
                        トランプは「保守的投稿を検閲した」と批判        
         ■Google--スンダ―・ピチャイ:上記と同様トランプを非難      
                        トランプ支持者のSNSアプリを凍結        
         ■アマゾン--ジェフ・ペゾス :上記と同様トランプを非難      
                        トランプはペゾス所有のワシントンポストを批判     
                        ワシントン・ポストがハリス候補支持表明取り消す     
                        LAタイムズ(スン・シオン オーナー)でも同じ        
         ■イーロン・マスク     :ツイッターを買収@2024-11        
                        FBはファクトチェック廃止宣言        
         →マスメディアは萎縮     
         →市民はマスメディアへの信頼低下:31%                                      
                                
       ・@ワシントン        
       ・元大統領多数出席 :クリントン、ブッシュ、オバマ、バイデン  
       ・100-大統領令に署名
         不法移民の強制送還     :バイデン政権下で300万から100万人に増加 治安悪化
         出生地に基づく国籍付与廃止
         国境の壁建設
         関税強化                   
           ・円安加速との報道あるが間違い    (反トランプの発言報道)         
           ・投資家は「不透明の塊」と言っていると(反トランプの発言報道)         
           ・25%検討 対カナダ、メキシコ
         外国歳入庁創設
         トランスジェンダー参加禁止@スポーツ
         パリ協定再離脱       :地球温暖化対策協定など離脱 石油資源掘削拡大
         議事堂占拠事件恩赦
         TikTok禁止猶予
         ケネディー暗殺等の機密文書公開
       ・他国の利益の為に蹂躙されることを防止  
                 
         アメリカファースト
         世界の警察は止める
         司法省の武器化停止
         リベラル化防止
       
       ・大統領令発布の内容(以下26項目)         
         ■「100項目以上に渡る大統領令」の報道は間違い       
         ■「トランプ独裁政権」の主張は間違い     :今までの大統領も「大統領令」を発布      
                                 反対であれば議会で覆せばよい 

        
                 
         説明追記       
         ■「全検閲廃止・・・」   :GAFA列席者の前で発言 
                         権利と自由の為に戦った愛国者が米人
                         野心とは知(米は冒険者、開拓者)
                         ファシズム、共産主義に勝った米人       
         ■「武器化を終わらせる」  :戦争勝利ではなく、戦争終結を測定する----戦争に巻き込まれない米      
         ■「パリ協定離脱」     :地球温暖化対策協定など離脱 石油資源掘削拡大 
                         総拠出額:103億ドル
                         日本  :15億ドル
                         46億年の地球の歴史の中で気温の高低に人類が影響与えれる?
                         クリーン利権?
                             
         ■「TikTok禁止法の猶予」   :中国系動画配信アプリなど 米国事業を事実上禁止する法律を75日間施行しない       
                         情報が中国に流出する懸念ありだが・・・       
                         米ではTikTok使用者が50%・・・             
         ■「WHO脱会」        :コロナワクチンなど煽る機関には援助しない パンデミック回避
                         コロナワクチン拒否で退役させられた軍人を復活       
         ■「連邦政府職員の責任回復」:兵士に対する過激な縛りを禁止     
         ■「選挙妨害や・・・・・: :過去の選挙違反改善      
         ■「米領土を守る軍役割明確化:パナマ運河(米資本--建設 38000人が殉職)取り返す :帝国主義の米に戻る        
                         通行料が高すぎる:1.39$/1Ton         
                         1隻平均600万円        
                         総収入は7634億円@2024----スエズ運河は11240億円@2024    
                         中国がパナマを支援して実効支配しようとしているのを阻止        
                        グリーンランド(デンマーク自治政府)買収        
                         中国資本の介入多発        
                         デンマークからの補助不足:2300億円と発表@2024-12-24        
                         米からの補助は13億円@2020        
                         デンマーク政府は乗り気か?        
                         米潜水艦の基地にしたい       
                        火星に宇宙飛行士を送る :不可能など無い              
         ■「グリーンニューディール廃止」:電気自動車義務化廃止 :米自動車業界繁栄         
         ■「移民の受入見直し」   :バイデン政権下で300万から1100万人に増加
                         不法移民強制送還
                         治安悪化(不法移民の低賃金労働・虐待・人身売買→犯罪・殺人)
                         
                        ハイチ移民問題
                         人口の25%が移民@オハイオ州スプリングフィールド
                         ハイチ移民はペットを食べる、犯罪多発  
                             
         ■「出生地国籍付与廃止」  :親が米国籍を持っていることが必要
                         22州が提訴@2025-1-21      
         ■「国境管理」       :国境警備強化---バイデンが不法入国者強制送還令を発布しても埒があかない      
         ■「死刑制度復活」     :子どもに対するレイプや麻薬・人身売買で有罪者、警官を殺害した移民なども死刑対象  
         ■「エネルギー非常宣言発令」:エネルギー価格抑制 エネルギー備蓄        
         ■「米の対外援助見直し」  :90日間の援助停止----範囲は不明確       
         ■「国民を侵略から守る」  :何者かにのっとられてきた100年を終わらせる
                         米の凋落は食い止める        
                         食品添加物やめて子供の健康重視 ----ロバートケネディーJの政策      
         ■「アラスカ資源開発規制撤廃:      
         ■「外国のテロリスト・・・」:外国から国内に潜入しているギャング追放       
         ■「関税・アメリカ第一主義」:関税による米国民保護 :外国歳入庁新設 資金は財務省へ   
                         中国への関税緩和?----中国韓正副主席と米副大統領が会見@2025-1-19  
                         カナダ・メキシコ関税25%は2-1から?  
                         米貿易システム改革       
                         自然災害への支援増大       
                         国を愛する教育システム改善 
         ■「政府効率化省・・・」  :無駄な支出を削る      
         ■「性別は男女のみ・・・」 :トランスジェンダーが五輪女子競技で金メダル獲得は認めない      
         ■「行き過ぎたDEI廃止」    :ポリコレ(偏見差別の無い社会を目指す主義)は止めて実力主義       
         ■「連邦政府職員雇用PGM見直:連邦政府職員に週5日オフィス勤務を求める    
         ■「麻薬カルテル・・・」  :メキシコ麻薬・人身売買カルテルは国際テロ組織と断定する      
         ■「マッキンリー山を復活・」:マッキンリー大統領を讃えた(米スペイン戦争@1898)

  ・石破総理の所感         
         ■岩屋外相が就任式に参加して地ならしした         
           重要な会合、発言何もしていないですよ!        
         ■トランプの就任演説に関して        
           トランプ発言を言っただけで、日本政府代表としての見解無し         
         ■トランプ-石破会談未定  --- 2025-2早々に会談計画だったのでは?何も言わないぞ        
           真摯な議論を行う予定 ---- 対関税、対防衛費などなど全く具体性無し        
           信頼関係確立したい  ---- 信頼関係ないことを前提に発言しているな
                         石油エネルギー政策に便乗? :脱石油と強調するきなし 
         ■最新の注意でかじ取り?    今回も上から目線の石破・・・・
                         

       ・各国の反応         
         ゼレンスキー :歓迎         
         中国国民   :仲良くしようよ         
         イスラエル  :

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【アメリカ-6-1】 現代アメリカ史 共和党による保守思想と民主党によるリベラル思想 1953年-第34代 共和党 アイゼンハワー迄

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

【1829年-第7代 民主党 アンドリュー・ジャクソン】
  ・西部開拓 インディアン虐殺
        その子孫は現在地主になって豊か
        リベラルから保守に転身
        →米共和党の基盤 
        →ルーズベルトは、「分配主張がリベラル」と変化
  ・移民の歴史 
        中国、アイルランド、独、英等@1840-  
        伊、ロシア、バルト諸国   @1880- 
        →開拓地が無い、土地財産分配主張 
        →米民主党の基盤  
        →放置による革命を防止するために「社会保障制度導入」  
          ドイツではビスマルクによる「国家社会主義」 
          日本では北一輝が理論化@大正、岸信介が実践@昭和 
          保守----国家による統制を嫌う
    
  1832年:マセソン商会、サッスーン商会設立(ユダヤ商人)

     

【1837年-第8代 民主党 マーチン・ビューレン】     
  1840年:第一次アヘン戦争by英国 
  1842 :終結:南京条約
  1842年:松下村塾

【1845年-第11代 民主党 ジェームズ・ノックス・ポーク】 
  1848年:フランス2月革命
  1851年:太平天国の乱 

【1853年-第14代 民主党 フランクリン・ピアース】 1853年:ペリー来航(米の東インド会社の艦隊)
                               クリミア戦争:英仏トルコVS露
                          1854年:日米和親条約 日英和親条約
                          1855年:日露和親条約  
                          1856年-1860年:第二次アヘン戦争by英国・仏
                          1857年:東インド会社ゼボイの反乱
                          1858年:ムガール帝国滅亡 安政の大獄
                          1859年:マセソン商会横浜支店開設 支店長吉田健三 吉田松陰斬首刑
                          1860年:桜田門外の変 英仏が北京占領:北京条約
  

【1861年-第16代 共和党 リンカーン】       
  1861年:南北戦争 グラバー商会設立
  1862年:高杉晋作上海留学
  1863年:長州ファイブ英留学:マセソン商会の船で渡航
  1863年:薩英戦争
  1864年:神戸海軍操練所開設 禁門の変 第一次長州征伐
  1866年:薩長同盟
  ・南北戦争の資金はNY金融資本(スポンサー)
   見返りに従属を要求されるが拒否
   通貨発行(グリーンバック)@1861 総額4.5億$
  ・やがてNY金融資本と対立
   暗殺される@1965-4-15 @フォード劇場

【1865年-第17代 民主党 アンドリュー・ジョンソン】 1868年:明治維新
  ・西部開拓
  ・インディアン虐殺
  ・中央銀行反対
  ・トランプ大統領はジョンソン流:DS反対

【1869年-第18代 共和党 グラント】         1870年:普仏戦争

【1893年-第24代 民主党 グロバー・クリーブランド】 日清戦争:1894-1895 勝因:清はアヘン中毒

【1897年-第25代 共和党 ウイリアム・マッキンリー】
  ・1898 米スペイン戦争@キューバ問題
      キューバ独立運動@ホセ・マルティ指導者----独立は1902
      メイン号事件:米軍艦@ハバナ湾沖が爆沈
      フィリピン、プエルトルコ、グアムを占有
      米はキューバに民主的憲法作る
      米軍駐留@キューバ・グアンタナモ基地(現在も)----日本と全く同じ
  ・1940 砂糖工場、鉄道資本は全て米支配下----キューバ反乱を取り締まるのはバティスタ独裁政権(米の傀儡)
      カストロ1926-2016放棄失敗逃亡----チェ・ゲバラ1928-1967(富豪、医者)と出会う
  ・1953 キューバ革命 ゲバラ&カストロ武装蜂起でバティスタ1901-1973打倒
      カストロ政権:米資本を奪取国有化分配
       

【1901年-第26代 共和党 セオドア・ローズベルト1858-1919】    
  ・全米万国博 :NY州バッファローを世界にアピール    
          25代ウイリアム・マッキンリー大統領暗殺   
  ・数百万の移民が五大湖周辺に流入   
      鉄鋼業が成長   
       ・JPモルガン       :1837-1913金融王    
       ・ジョン・ロックフェラー :1810-1906石油王 起原は独プロテスタント   
       ・アンドリュー・カーネギー:1835-1919鉄鋼王 スコットランド移民 ユダヤ人ではない 財閥作らず  
  ・日露戦争(1904-1905)を軟着陸終結できるように日本が頼った大統領。  
  ・若いときに西部へ行ってカウボーイから生き方を学んでいたルーズベルトは、新渡戸稲造の「武士道」に感銘を受けた人物。  
  ・名誉、真実、規範が重要と考えていた。彼はロシア皇帝と交渉して日露戦争終結に導いた。  
  ・会場はポーツマス、ロシアのウイッテと日本の小村寿太郎(ハーバード)、  
    アメリカ人が小村という日本人を見たのは初めて、一方ロシアは世界最大の国、  
    143cmの小さな寿太郎は堂々と28日間の交渉に臨んだ。  
  ・選挙演説中に撃たれるが、胸ポケットの手帳のおかげで助かったものの  
    弾は心臓の近くまで到達していた

  カルテル  :同種協定 企業が結託して生産を抑制しつつ価格をあげて儲ける  独占禁止法で禁止
  トラスト  :合併併合 大企業が中小を飲み込む M&A  ---
                       セオドア・ローズベルトは反トラスト法制定  
                       独占禁止法で禁止
         三井住友銀行
  コンツェルン:財閥大企業が子会社・孫会社を作る
         三菱----商事、重工、化学、自動車  
  ・1903 フォードモーター設立 :1920年代に普及 
      日給はそれまでの2倍で5$(約10円)@1914 :因みに日本の日給は2.5円 
  ・1908 GM設立 
  ・1925 クライスラー設立

【1909年-第27代 共和党 ウイリアム・タフト】
  ・1910 ジキル島秘密会談 中央銀行設立計画
       ネルソン・オルドリッチ1841-1915 他6名
       ロックフェラー財団、モルガン家

1913年-第28代 民主党 ウイルソン】 
  ・世界を改革 マンデル・ハウス(ロスチャイルド)が指導    
       今までモンロー主義(相互不干渉)だったものが破壊された    
       自らヨーロッパの紛争に介入 
       英に金を貸していたNYウオール街の国債金融資本は英が独に負けたら損する(貸した金が帰ってこない) 
       そこで米ウイルソン大統領は参戦を決意 
       参戦モチベーションアップ方法 
       ⇒独は潜水艦で民間客船を撃沈!(米国民の多くが犠牲になった!)と吹聴 
                
  ・1913 FRB(連邦準備制度)設立  
       100%民間銀行 : JPモルガン、ロックフェラー財団、ロスチャイルド 
       政府要人不在中にウイルソン大統領単独で承認
       反対勢力の多くがタイタニック号沈没で死亡@1912-4-15  
  ・1914 第一次世界大戦勃発  
       中国医療財団設立   
         多くの宣教師が中国へ渡航  
         入り込みやすい窓口は「医療」 
  ・1919 パリ和平会議では民族自立を提唱した。
       このときベトナムのホーチミンは解放の直訴状を渡そうとしている。
  ・1917 第一次世界大戦参戦
       女性参政権 禁酒法 --- マフィア
  ・1917 ロシア革命:ロシア打倒に加担した勢力
       ・日本  ---- 日本陸軍
       ・ドイツ ---- レーニンを送り込む 
       ・ユダヤ ---- ロシアによるユダヤ迫害 ユダヤ系銀行が革命資金援助
  ・1919 脳梗塞で倒れる@コロラド州     
       以降政務は事実上不可能となる(左半身不随、言語障害)     
       奥さんイーディスが事を隠して政務にあたった         
  ・1920 国際連盟---ノーベル平和賞---無賠償---反感 
       ・アジア、アフリカなどの植民地は参加できない
       ・日本は黒人差別撤廃を提言する
       ・国連で多数決で勝利するが、ウイルソン議長は「全員一致必要」と言い出して却下 
         米国内では激しい人種差別が行われていた 
         英はインドなど多くを植民地にして差別を行っていた 
         かくして「何が世界平和だ!?」という日本は英米から恨まれることになる  
         「日本が侵入する中国(山東省など)は、民族自立せよ」Byウイルソン 
         が、米の植民地フィリピンは開放しない 
         日米外交で登場したのが石井菊次郎 :米&中南米の利害関係=日中利害関係である 相互理解しませんか? 
                           ⇒ウイルソン大統領は納得した 
                           ⇒何故堂々と渡り合えたのか? 
                           ⇒日露戦争に勝利した日本軍に対して米は一目置いていたから
         
  ・1921 北京連合医科大学創設、開校  
        1914年の渡航で中国市場の圧倒的大きさを実感したはず
        宣教師派遣 300以上の病院に資金援助、
        医学教育徹底
        医療伝伝道事業を一強化
        農業改革
        揚子江経済開発
        明朝陵墓の修復
        目的は中国市場なのに、中国に進出してきた日本は邪魔 

                                日米の援助が裏目に出た中国の経済成長 

        

【1915年-第29代 共和党 ハーディング】 1914年:第一次世界大戦

  1920 民主党ウイルソン政策の逆
  
     WASP (White Anglo-saxon Protestant) + 移民法(アジア人排斥:反日)
       共和党---アメリカ一番、高関税、大企業優遇 → 市場縮小 → 貧困化
       国際連盟(英仏日伊)に未加入(共和党)  
       トラストOK---弱い者が悪い:自己責任
       大量生産、大量消費 クレジットカード、CM       
                  バブルの前兆 (デフレスパイラル→金融恐慌→世界恐慌)
  
     作りすぎ→物が余る→物価下落→売上低下→会社倒産→失業 
  1921 ワシントン会議By米ハーディング大統領    
     日本の石井菊次郎にやり込められたお返しに
       ・日英同盟破断を目論む----四か国条約締結@1921⇒日英同盟解消
       ・海軍軍縮@1922   ---日本を抑制: 米:英:日=5:5:3 ⇒丸め込まれた   

  1880-1920 この頃ロシア・ポグロム(ユダヤ人迫害)により多くのユダヤ人がNYへ亡命
  1917-1923 ロシア革命
        レーニン1870-1924指導のポリシェヴィキ(ロシア共産党)にトロツキー1879-1940加入  
  1924    レーニン死亡
  1929    スターリン独裁体制
        トロツキーはソ連追放となると、多くのユダヤ人支援者はNYへ亡命する
        NYでのユダヤ人移民はWASPにより差別される
        NYでのユダヤ人移民は移民に寛容な民主党を支持する
        ところがカーター政権の頃に支持を民主党から共和党に変更(新保守主義
        打倒スターリン(社会主義)を目指すユダヤ移民にとっては「ソ連に甘いカーター民政権」は許せない
        一方、独などの欧ユダヤ移民はNYでWASP同等の扱いを受けてきたため伝統的に共和党支持               

 

【1923年-第30代 共和党 クーリッジ】
  1928 米ケロッグ・仏ブリアン協定(パリ不戦条約)  
      ⇒戦争は非 戦争放棄  
      ⇒英独ソもサイン  
      ⇒米の南米軍事行動は除外  
      ⇒英の国益軍事行動は除外  
      ⇒日本も中に対する侵攻は除外と言えば良かった ----破ったのは日本  
  1929 エンパイアステートビル竣工

【1929年-第31代 共和党 フーバー】
      「裏切られた自由」Byフーバー 翻訳:渡辺惣樹
       民主党政権の批判     
  1929年:世界恐慌
       数年すれば経済は立ち直る   :アダムスミス1723-1790
       国が手を貸して立て直す必要あり:ケインズ1883-1946 
       デトロイト経済急落下     :労働者の30%が失業
  1932年:515事件
  1919年:フーバー研究所:自由主義研究

【1933年-第32代 民主党 フランクリン・ルーズベルト】
        民族差別主義者
       「ルーズベルトの開戦責任」Byハミルトン・フィッシュ
        ルーズベルトは何が何でも戦争したかった
  1930年代:ニューディール政策(ワグナー法など アメリカ-3参照)
       ・米のソ連承認
         ・1933 ソ連に米大使館設置
         ・1945 スターリンとはズブズブのヤルタ会談
              米ルーズベルトはスターリンに日本侵攻を密約(日ソ不可侵条約無視)
              ソ連による千島・樺太侵攻を米は支援
              戦後GHQメンバはルーズベルト/トルーマン配下の共産主義者
           【脱線】  日本の教育ではルーズベルトを賞賛する ---- 何故?
                 教育者が大学で学ぶ授業を統括しているのは共産主義系が多いのが理由
                 1945年以降の占領下では「悪いのは日本」とした教育者は重宝された
                 意義を唱えた教育者は公職追放された
                 共産主義的思想者が教授会を握る
                 意義を唱える若い教育者は育たない
       ・生産統制
         ・1933 農業調整法:AAA 
         ・1933 全国産業復興法:NIRA 
       ・ダム建設等の公共事業
       ・パブリックアート@公共事業
        芸術家村Byグラント・ウッド1891-1942@アイオワ州
            →リージョナリズム:地域密着主義 
       ウオルター・ルーサーによるストライキ 
        ・GMに勝利@1937/2
        ・クライスラーに勝利
        ・フォードに勝利@1937/5
       Let America be America Again :アメリカよアメリカであれ
  1936年:226事件 スペイン内戦
  1937年:支那事変 
  1939年:第二次世界大戦
       ウオルター・ルーサー1907-1970の提言でデトロイトのフォードの工場で軍用機。軍用車両生産
        ・500機生産/月
        ・雇用確保
        ・連合国勝利
        ・ルーサーは全米自動車労働組合UAWの会長に就任
        ・1949 GEがキャデラック発表@1949
        ・1949 Big-3の生産台数は年500万台@1949
        ・1949 労働者の年収は4000$(150万円)@1949
        ・1960 JFK(民主党)僅差で勝利 対ニクソン
        ・1963 UAW公民権行進 :キング牧師と共に
        ・1970 飛行機墜落事故で死亡

【1945年-第33代 民主党 トルーマン】  
  1945年:原子力に関する研究が全面的に禁止
       アメリカ復員兵による結婚ブーム@8-12月----By大量の復員兵
         コルレオーネ家(アメリカマフィア)の娘・コニーが結婚
       コルレオーネ家の3男・マイケルがWW2から復員、普通の結婚をする予定が・・・跡を継ぐことに
                                                  全く知らない土地シチリアに移住By暗殺事件
                  シチリア:世界から争奪に巻き込まれた地 

  1948年:朝鮮戦争

【1953年-第34代 共和党 アイゼンハワー】 
  ・1953 キューバ革命 ゲバラ&カストロ武装蜂起でバティスタ1901-1973打倒
      カストロ政権:米資本を奪取国有化分配  
      米はキューバ侵攻決定  
      それに呼応してソ連フルシチョフはカストロ政権をバックアップ  
  ・1962 ソ連により核ミサイル基地建設発覚@キューバ 10月22日  
   
  ・1950年代、それは第二次世界大戦で沸いた景気に支えられたアメリカの黄金時代である。一方東ヨーロッパやアジア・中国が共産革命を達成した。第二次世界大戦中の連合軍最高司令官アイゼンハワーは共産主義に対抗することを宣言してアメリカ大統領となった。そして共産主義に対抗する力が核兵器であった。原爆だけではなく中部太平洋・エニウエトク環礁での水爆実験が1952年11月に行われた。威力は広島に投下された原爆の550倍だという。これらの核実験に参加した米兵士は25-50万人、現在もその多くは被ばくによる健康問題を抱えているという。核開発が人類、地球環境に悪影響を及ぼすことをようやく理解しはじめた頃でもある。

  ・1955-1975年:ベトナム戦争
  ・1956年:原子力委員会設置  
       原子力の平和利用を掲げて核開発推進  
       第五福竜丸がビキニ環礁で被爆@1953 →マグロ汚染廃棄→水爆反対運動  
       柴田秀利読売記者:GHQ担当 原子力の平和利用推進(吉田茂、アイゼンハワーと懇意)
                     産業活性化のため正力松太郎に打診   
                     正力松太郎衆院選で当選@1955   

このころソ連ではスターリンが軍事力増強を図りフルシチョフが引き継いだ。現在のカザフスタンに核開発のための秘密都市が建設された。1953年8月ソ連もセミパラチンスク実験場で水爆実験を初めて行い、ソ連はアメリカに追い付いたと同時に戦争はもはや不可能になった宣言、核兵器は戦争を抑止する力となった。。しかしこの頃スターリンは死亡、再びソ連に危機が訪れた。米ソ冷戦を象徴したのがベルリン分割、西ベルリンの豊かな経済は東ベルリンの人々をひきつけた。東ベルリン市民の不満が暴動へ発展1953/6し、それを抑えたのがソ連の戦車。その後フルシチョフは平和による人類共存を訴え、スターリン批判をしたことで東ヨーロッパは揺さぶられ、1956/10、ハンガリー・ブダペストでは民主化を求めてデモ行進が行われた。これはソ連の支配から独立する運動へと発展したが、ソ連軍との武力衝突となり、ブダペスト市民は完全に制圧された。この戦闘の死者は3千人、西への亡命者は20万人。かくして東西の緊張は再び高まった。

  
  ・1957/10/4 ソ連はスプートニック1号(直径58cm 重さ80kgの人工衛星)打ち上げに成功した。これは地球を96分で一周し世界を驚かせた(スプートニックショック)。さらに2号1957/11では犬を搭載した500kg以上の衛星打ち上げをも成功させた。アメリカも少し遅れて1957/2ウインガード打ち上げを行ったが失敗、ソ連の優位を証明してしまった。そしてこの年ソ連では革命40周年の記念式典が催されて毛沢東、ホーチミンなど世界64カ国の共産党指導者が集まった。フルシチョフがソ連首相に就任したのはこの時である。

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【アメリカ-5】 NATO&ワルシャワ機構

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

NATO-North Atlantic Treaty Organization (北大西洋条約機構)は1949/4/4に設立された集団的自衛権を行使するための軍事同盟である。第二次世界大戦終結後、1948/6にソ連は西ベルリンに向かうすべての鉄道、道路を封鎖した。西欧諸国は西ベルリン市民を救うべく大空輸作戦が行われ、この成功によりソ連はベルリン封鎖の失敗を認め、19495/12封鎖は解除された。これとほぼ時を同じくしてNATOは設立され、その後西側諸国の経済成長を脅かす行為があれば、つまり域内いずれかの国が攻撃された場合は、集団的自衛権を行使して共同で対処することができるというものである。当初の加盟国は12カ国であったが、現在は30カ国に増加している。尚、加盟国は、2024年までにGDPの2%以上の国防費を目標とする必要があるため、日本は加盟していない。2020年、日本の防衛費は約5兆円(これはGDP比約1%である)。

これに対してソ連を代表とする東側諸国は、1955/5/14にワルシャワ条約機構を設立して冷戦時代のNATOに対抗した。しかしながら1989年には冷戦は終了し、1991年のソ連崩壊によって1991/7/1にワルシャワ条約機構は解散した。そして平和のためのパートナーシップが1994年に設立されて東側諸国が次々と加盟した。1999年には中欧3カ国(ポーランド、チェコ、ハンガリー)、2004年には中東欧7カ国(バルト3国、ルーマニア、スロバキア、ブルガリア、スロベニア)、2009年にはクロアチアとアルバニアが、2017年にはモンテネグロが加盟した。NATOによる攻撃は、1995年、1999年のユーゴスラビア・セルビア軍を空爆したのは最近のことである。

【日米豪印戦略対話QUAD】      四カ国戦略対話:Quadrilateral Security Dialogue)は、日、米、豪、印の四カ国間における会談で、通称はQuad。これは、日本の首相であった安倍晋三によって提唱された。アジア太平洋地域における米中の緊張が増す中で、成長を続ける中華人民共和国の経済力と政治力に対応した外交的取り決めである。

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【アメリカ-4】 スペイン、米、ソ連に翻弄されて起こったキューバ危機

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

【キューバとパナマ運河】 1902年に独立したキューバについてはアメリカ資本が数多く入り、実質上はアメリカの支配下にあった。アメリカ資本によるパナマ運河が開通したのは1914年(パナマに完全返還されたのは1999年)、これによって太平洋航路の利便性は飛躍的に高まった。因みに1999年までの通航料金は収益を目指しているわけではないという理念から非常に低価格であったが、1999年以降パナマ政府は収益の最大化を目指したため、利用各国から反発を受けている。因みに通航料金は毎年値上がり3.5%しており、豪華客船の場合3000万円にもなるという。ところで、パナマ運河の建設を目指して最初に調査を行ったのは神聖ローマ帝国のカール5世で、1534年のことだったというが、当時は実現させる技術力もなく断念したらしい。19世紀になって海上交通量が激増すると、1880年にフランスにより建設を開始したが1889年に中止している。これはスエズ運河の経営難も相まってのことのようだ。因みに太平洋戦争当時、日本は潜水艦・伊400にてパナマ運河を攻撃する計画を立てていたが、晴嵐の開発が遅れたために計画は実行されなかった。

【第二次キューバ独立運動:1895年】   スエズ運河建設の機運が高まっていた頃、キューバでは独立運動が起こっていた。植民地政策を敷いていたのはスペイン、周りのラテンアメリカの独立から取り残されていたのである。そして1868年に第一次独立戦争が起こったが1878年に鎮圧された。そして1895年に第二次独立運動が勃発、指導者のホセマルティ1853-1895は先の独立運動にも参加していたが、周辺諸国の独立を応援していたアメリカがこの運動に支援したことで、1898年に米西戦争に発展した(米:マッキンリー大統領)かくしてアメリカの支援を受けたキューバは勝利して独立し、バチスタ政権が誕生する。しかしこのバチスタ政権はアメリカの傀儡政権とも言われた独裁政治を行うのである。キューバの産業は石油とサトウキビ、もちろん米企業が数多く参入して利権を優位に利用することとなる。

【キューバ革命:1953年】     キューバにはアメリカ資本が入りパティスタ政権は米の傀儡であった。かくしてパティスタ政権打倒のためにフィデル・カストロ1926-2016は、1953年に7/26革命を起こした。バチスタ政権の軍基地を攻撃するも失敗してメキシコに逃亡すると体制を立て直して1956年にはメキシコからグランマ号(キューバ博物館に展示されている)に乗って再びキューバに着くと、軍基地を攻撃したが再び失敗。こうしているうちに、カストロ側に就く人々がどんどん集まり、革命家のチェ・ゲバラと合流すると、1959年にはバチスタは亡命して米傀儡政権を倒した。そしてカストロはキューバを社会主義国家に変えて最高指導者・首相に就任した。するとカストロは石油やサトウキビの米資本によって牛耳られていた部分をすべて国有化したのである。これに対してアメリカはキューバに経済制裁を加えることとなる。するとやはり登場するのはソ連、キューバの支援を行うことでやがてキューバは共産化していくのである。

【1961第一次キューバ危機 1962第二次キューバ危機】   この頃の米大統領はアイゼンハワーであったが、1960年にケネディー大統領政権に交代すると、キューバ政権を打倒すべくピッグス湾事件1961(第一次キューバ危機ともいう)を起こした。米CIAは、カストロに追いやられた元キューバ・バチスタ政権側の人を支援して起こした事件である。英国と同じく自らの手は汚さずに戦争を仕掛けるCIAの常套手段が発動された。これによりカストロ政権はアメリカとの関係回復は不可能として、接近していたソ連との関係もあり、社会主義宣言を行った。この直後1962年に第二次キューバ危機が発生。これはソ連が核ミサイル基地の建設をキューバで行っていることを知ったアメリカが、カリブ海でキューバの海上封鎖(基地建設のための資材、ミサイル運搬船の運航封鎖)を実施したものである。ところで、このアメリカであるが実はトルコに於いてミサイル基地を設置しており、それの報復建設措置とも言える。

これに対してソ連のフルシチョフは艦隊を派遣して海上封鎖を解こうとした。米軍海兵隊はキューバの上陸しするし、キューバ軍は米偵察機をミサイル攻撃で撃墜するし・・・かくして米ソの緊張が高まり核戦争寸前まで達したが、米ソ首脳の自制によって危機は回避され、ソ連は撤退した。つまり米ミサイル基地のトルコ撤退の交換条件で危機は回避されたのである。この時の様子は、後に映画「13-days」でケネディー大統領の苦悩が描かれている。

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【アメリカ-3】 20世紀 世界恐慌とニューディール政策から第二次世界大戦迄

2020年12月04日 | 世界史-欧米・ロシア

【1914 第一次世界大戦中のアメリカは大繁栄】     
  ・当時のアメリカはWW1によって多くの武器を英仏などに提供したことで大繁栄する。  
  ・クーリッジ、ハーディング、フーバー共和党大統領の時代に永遠の繁栄が訪れ、  
  ・皆は色んなものに投資を行い株価は上昇

【1914第一次世界大戦中に軍用機は異常に発達】   
  ・それまで軍関係者で飛行機に注目した人はほとんどいない  
  ・1903 ライト兄弟の動力飛行機----偵察機として売り込むことでアメリカ軍は2機購入  
  ・1914 フランス保有機30機----世界最多  
      日本は3機  
  ・カプローニCA4:伊が三葉の爆撃機制作@1917 
  ・すると戦闘機製作が始まる:爆撃機を守るため 
  ・複葉機による空戦が始まる 
  ・かくして航空機の大産業となる  
    仏:20万人が7万機製造 
    英:5.5万機
    独:4.8万機  
    伊:2.0万機 
   合計:約20万機 ---- 10億ドルのスポンサーは全て米モルガン商会(バックにはロックフェラー財団)
  ・1916 航空学校建設  ----- 先生が居ないので、今の生徒が来週は先生
   1917 英パイロットの平均余命は6日、死亡保険はいれない  
       航空学校での死者15000人 (WW1での死者は40000人)
       1916 飛行機を見たことのある米軍人はゼロ
       1917 陸軍航空隊1300人、飛行場2か所 飛行機225機
       1918 陸軍航空隊20万人、飛行場50か所 飛行機17000機
       ルフトハンザ誕生(パリ-ロンドン)
  ・WW1最悪の遺産:鉄条網、機関銃、戦車
       
【1917 ロシア革命 共産主義革命】
       
【1918 戦後の各国事情】
  ・世界中の航空軍関係者は失業
  ・1918の米 終戦で米は飛行機製造キャンセル料が1億ドル】
         
  ・1918の独 GNP 20年分の賠償金要求Byモルガン銀行 :支払い終了は2020年
         ドイツの物価は20億倍
  ・1918の伊 戦争に勝ったが金はない伊
         紅の豚:空賊は飛行機を襲って生活する(宮崎駿の空想)
             ポルコとフィオがクロアチアに行ってガソリン買おうとすると3倍の値に驚く(宮崎駿の知的ギャグ)
             伊は貧乏過ぎて、1929の世界恐慌を知らなかった    
         伊カプローニ1886-1957は爆撃機を旅客機に改造して試験飛行したが墜落事故 全員死亡で民営化失敗
         貧乏過ぎて、1929の世界恐慌では影響受けず
  ・1918の仏 パリのデパート企画:屋上に飛行機着陸出来たら10000フラン
         多くの貧乏人が挑戦して失敗、死亡
         ひとりだけ成功して10000フラン ゲットした
       
【1919 パリ講和会議】

【1919ドイツのハイパーインフレ】   
  第一次世界大戦で敗戦したドイツは多額の賠償金1320億マルクを背負った。  
  因みに返済ができたのは2010年だというから90年に渡って返し続けている。  
  当初、返済に困ったドイツは英、仏に賠償金を返済するために、米に借金をする。  
  アメリカは国内で生産した物資を英、仏に提供することでその金を得ている。  
  以上の米⇔英・仏⇔独の関係が保たれているうちは良いが、  
   フランスとベルギー軍が賠償金の担保としてドイツ有数の工業地帯であり石炭の採掘地でもあったルール地方を占領することになり、  
   ドイツは天然資源を輸入に頼らなければならなくなった。  
  市場に恒常的に品不足だったことでインフレ状態だったドイツは、1923年に空前のハイパーインフレが発生した。  
  結果、パン1個が1兆マルクとなるほどの状況下。  
  後に、レンテンマルクという紙幣が発行されたこと、フーバーモラトリアム(賠償金支払い猶予)によって、  
   当時の超ハイパーインフレーションは収まることになるが民衆の不満は解消されず、  
   こうした状況の中で1933年にヒトラーが人々を引き付けてナチスが政権を握り国際連盟を脱退する。

  ヒトラー政権が人々を引き付けた政策:財政出動して以下を実施。これによって   
  
WW1(始めたのはドイツではない)の責任すべてがドイツ・・・という国民の不満を解消  
   
・アウトバーン建設で多くの失業者を救済  
   ・
高齢者、母子福祉強化  
   
・農地減税  
   
・小売店保護  
        
【1927 リンドバーグ1902-1974大西洋単独無着陸飛行】のきっかけは       
【1919 NY-パリ間を往復出来たら25000$の賞金が懸けられた】 期限は5年 世界中で話題
    世界中の飛行機乗りが準備開始
    当時の飛行時間はせいぜい1時間から3時間
    NY-パリ往復のための技術開発
  ・1926:ロシア・シコロスキー(ヘリ開発者)がルネフォンク(撃墜王)と挑戦:失敗
       40時間分の燃料が重すぎて飛べず
  ・1927:米:コロンビア号----試運転で墜落、
       米:アメリカ号----失敗、
       米:リージョン機----墜落即死失敗
       仏:仏白い鳥号 ナンジュッセル&コリー----行方不明 
       米:25歳郵便飛行のリンドバーグ成功で大騒ぎ
         5810km、33.5時間
         ・シンプルに単発機
         ・大燃料タンク1700リッターはエンジンの後ろ
         ・燃料計、ブレーキ無し
         ・機体はほぼ木と布
      【大騒ぎとなった背景】
       ・マスメディアが煽る
         当時は夢中になって活字を読む時代 :1930以降はラジオ     
         米人の平均新聞購読数は1.4部
         新聞の売り子少年がNYに大勢
         タブロイド誌(大きさ半分):ゴシップばかり----英から輸入 バカ売れ
          ・NYデーリーミラー
          ・デイリーニュース
          ・NYイブニンググラフィック(フェイク文章、写真のみ)
       ・モルガン商会に戦費支払いを急き立てられていたフランスさえ米青年に喝采      
       ・NYパレード----紙吹雪(ティッカーテープ他) :当時のNY人口800万人 高層ビル500棟     
       ・      
    

1919  第一次世界大戦で勝利したアメリカ・ニューヨークでは連日、帰還兵による凱旋パレードが行われた。  
     ところが連合国を勝利に導いたウイルソン大統領はヨーロッパには人気があったが国内では戦争反対の世論があるなか、  
     黒人だけの369連隊は「ジャズでフランスを制圧した」などともてはやされたという。

     黒人部隊が好んで演奏したのは「セントルイスブルース:作曲はW・C・ハンディ」   
     彼らは活気ある黒人たちのハーレムに住み、黒人にとっては憧れの町だった。  
    
1920  年代のこの頃、黒人はジャズで街を盛り上げていた。  
     Cotton-Clubで踊るキャブ・キャロウエイ、デューク・エリントンなどがそれである。  
     若者に流行ったチャールストンは、ラジオ放送が流行の原因である。  
     1920年代には、マンハッタンの摩天楼は最盛期である。  
    
     かくして荒廃したヨーロッパからは、アメリカ・マンハッタンを目指して多くの移民が押し寄せた。  
     しかしイタリア移民地区など・・・仕事はあるが賃金は安い。実態は苦しいのである。  
     その一方で、伝説のボクサー:ジャック・デンプシー、ベーブルースやルー・ゲーリックなどのプロ野球界のヒーローも誕生する。  
     ブロードウエイがミュージカルの中心となり全盛期を迎えたのもこの頃。  
     ガーシュリンはこのミュージカルで育ったのである。

【1920 大繁栄の一方で差別活動も盛り上がる】  
     年に起きたウオール街のテロ事件をきっかけに、ミッチェル・パーマー司法長官は先頭に立ってレッドパージを始める  
     (赤狩りともいう共産主義者追放)  
     テネシーで生まれた秘密結社KKK(クークラックスクランという白人プロテスタント)の会員は500万人にも膨れ上がり、  
     黒人だけではなく、ユダヤ人、共産主義者、移民をも強烈に迫害する。  
     オクラホマ州タルサで発生した白人による黒人の虐殺をきっかけに黒人による暴動が発生する。  
     サッコ、バンゼッティというイタリア移民が強盗殺人事件を犯したという不当逮捕によって、電気椅子による処刑が執行された。  
     これをきっかけにアメリカの人道主義が問われる。
       
【移民差別@アメリカ 世界中の貧困者が米に移住 18世紀末~20世紀初】
   アメリカ的生き方を選んだ人たちの移民国家:人工国家 ⇔ 国民国家
   理念の違う南北のアメリカが統合される国  
    ・関所はエリス島 
    ・英入植
    ・仏入植      :英仏戦争
    ・アイルランド人入植:⇔英仏 問題起きたらアイルランド人のせいにして縛り首 職は卑しい警官
    ・伊入植      :⇔アイルランド人警官による伊差別      
1920  ドイツ移民差別
     不道徳な酒は要らないとした禁酒法(3/4の州)
       この背景には穀物節約、
       ビール製造業者に敵国ドイツ出身者が多かった  
       これもやはり排他主義から生まれた問題であり、かくして密造酒が流行る。
       アメリカ憲法にも組み込まれる
       ホルステッド法:酒とは何か---0.5%以上の酒は禁止 
       
       酒税収入がゼロ(国家財政の10%) 
       国民全員が法律を守らなくなる
       10%は闇社会に流れる:麻薬、銃 税収減で警備不十分
                 
     イタリア移民差別(最初の移民は18世紀)            
       そして闇の世界が暗躍するが、その代表がイタリア移民の家に生まれたアルカポネ(ボルサリーノ帽+葉巻)。            
       警官不足、低賃金----ギャング(元の意味は仲間)からの賄賂が蔓延  
       1927夏:1920年代は生き延びたが所得税法違反で追い詰める:エリオット・ネスの手柄            
       1931年に逮捕。脱税、禁酒法違反の罪である。            
       
     日本からも多くの移民がアメリカへ行くが、やがて全面禁止となる。  
     ジョセフィン・ベーカー・・・レーニン死去でスターリン ヒトラー支持、ムッソリーニ独裁体制確立、  
     土地・株・スキャンダル・・・1927年のNYは慌ただしい・・・、あらゆる人が株を買う。  
     これは好景気への信頼から銀行による根拠もない信用貸しが起こる・・・まさにバブルである。  
     一方農村は過剰な設備投資と作物下落で悲惨に・・・農家は離農・・・。

1926  また奇妙な現象も起きた。ラジオが過剰に煽ったせいか、ハリウッド俳優の死亡で群集10万人が葬儀に参列・・  
     後に好奇心から民衆が集まったものだという分析がある。        
    
1925  ケンタッキー青年が落盤事故を起こすが・・・衰弱の様子を中継放送したことで、全国からやじうまが殺到するという始末。  
     また1925年、デネシーデイトンが、(聖書宗教か進化論科学か?)進化論を主張して有名になるイヴェントが開かれた。  
     その裁判が全米中継されて進化論は有罪となり、  
     その40年後の1968年に進化論を学校で教えてはいけないということになったとか。       
     
1927  リンドバーグ(無名の郵便パイロット)  
     スピリット・セントルイス号でルーズベルト空港を出発して太平洋横断無着陸飛行を成功させた。  
     33時間30分後にパリ到着。ル・ブルージェ飛行場で熱狂的な歓迎を受けた。  
     彼の帰国には米クーリッジ大統領は巡洋艦を差し向けた。  
     そして1929年の半ばを過ぎてもまだなお好景気は続き、人々は株を買い続けていた。  
     このバブル経済は永遠に続くと思われていたのである。  
    【アメリカを変えた夏1927;ビル・ブライソン著】 

【1929年、世界恐慌】      
    1929/10/24、やがて一気に株価が暴落。5日後にはそれを上回る株価の総崩れが始まった。  
    1929/10/30取り付け騒ぎで大混乱するNY。アメリカの破綻である。  
    銀行から現金を引き出そうとしても金は無い(信用創造)。  
    かくして銀行・会社倒産、失業者増加、消費低迷、生産低迷した。  
    こうした状況の中で1929年に全世界で起こったのが世界恐慌である。  
    
    1790年以降1910年頃迄500倍もの経済成長を続けていたアメリカの株式は  
    1924年中頃から投機を中心とした資金の流入によって上昇トレンド、ダウ平均株価は1924-29年の5年間で5倍に高騰。  
    1927年の世界経済会議では恐慌に備えて多くの決議が採択された。  
    商業では関税引き下げ、工業ではコストダウン目的の産業国有化、農業では方法の改良と資金の貸付。  
    フロリダでは空前の勢いで不動産への投機が流行し、泡のように土地の価格が上昇していた。  
    それらにより1927年に主な不動産会社は倒産、1928年フロリダで31件の銀行が倒産した。

【世界恐慌の対策】      
  世界恐慌の対策として英、仏など多くの植民地を所有していた国は、ブロック政策  
  (自国と植民地の間だけで自給自足を行い、他の貿易は制限する)  
  これに対して米は第32代ルーズベルト大統領1882-1945は(前のフーバーは4年間何もできなかった)、  
  ニューディール政策(自由主義経済政策から、政府が市場経済に積極的に関与する政策へと転換した:修正資本主義)を実施した。  
  その政策は、ソ連の承認(ソ連を市場にするため)、  
  AAA(農業調整法)、NIRA(全国産業復興法)、TVA(テネシー渓谷開発公社)、ワグナー法。あまり効果はなかったが。  
  やがて第二次世界大戦に突入すると軍需景気が再び訪れて経済は回復していくこととなる。

  アメリカ・ネバダ州のラスベガスの南東30kmのところにフーバーダムという巨大なダムがある。  
  これはコロラド川を制御した水力発電装置であるが、この建設を加速させたのもニューディール政策である。  
  ところで、ラスベガスの中心地シーザーズパレスの前に人々がコインを投げ入れる噴水がある。  
  この風習は神への捧げものの意味がある。  
  その昔、ゲルマン民族やケルト人は泉や井戸を神聖なものとみなし鎧や武器を投げ入れて神に願いをしたという。  
  イタリア・ローマにあるトレヴィの泉でも多くのコインが投げ入れられており、同じ意味を持つ。

本国-植民地間で原材料(木、羊毛、砂糖、小麦、茶)を輸入し製品(機械、鉄材、衣服)を輸出する ⇒ ブロック政策

【金の回収と紙幣の増刷@アメリカによる経済回復】      
  完全な金本位制の場合、中央銀行が持つ金と流通している貨幣の価値が同じになる。  
  そこで経済が成長すると流通する貨幣を増やすことになるから、前述のバランスは崩れる。  
  どんどん経済が成長して流通貨幣量を増やすと経済は不安定な状況となる。  
1929年 の世界恐慌の後、アメリカはドルの価値が下がり金利が跳ね上がり、失業者も溢れていた。  
1933年 にフランクリン・ルーズベルト大統領は大統領令により金の保有を禁止した。  
     そして1974年まで金や金塊を所有することは違法となった。  
     かくしてアメリカ国内のすべての金を現金で買い取り、回収した後、貨幣を増刷することでアメリカ経済を助けたのである。  
     つまりアメリカ国民がより多くの現金を持てるようにするための緊急措置であった。

【日本に於ける世界恐慌対策】      
  ところで、日本はというと、アメリカよりも早く、1931年に金本位制から離脱した。  
  紙幣に記載されていた金貨引換文言は消されて日本銀行券となった。  
  高橋是清が政府の経済介入を行い満州事変よって景気を取り戻していく。  
  つまり資源が多く、国民党と共産党で内乱状態の中国・満州に目をつけてチャンスとみた  
  (ところが内乱は休止、国共が合体して日中戦争がはじまる。)  
  また資源を求めて東南アジアに目をつけ大東亜共栄圏(日本をリーダーに、ヨーロッパ支配下のアジアを統一する)を唱える。  
  本来の統治は、東南アジアとの資源と製品の相互供給バランスがうまくいくことが条件であるが  
  当時はそんな余裕はなく資源の搾取ばかりであった。

  これら修正資本主義はケインズの考え方でもある。  
1931年 の柳条湖事件で満州鉄道を爆破という自作自演による満州制圧の理由をつくり、関東軍が満州を制圧する。  
     愛新覚羅溥儀を王様に据えて満州国を建国するが、  
1932年 リットン調査団が満州鉄道爆破の実態を調査、満州建国を認めないことで日本は不満を持ち  
1933年 に国際連盟を脱退する。因みに  
1935年 イタリアはエチオピア出兵、  
1937年 に国際連盟を脱退する。

1937年 に盧溝橋事件(北京に居た日本軍が中国側へ進軍)が起き、  
     これに対して中国国民党と共産党が融合(国共合作)して日中戦争がはじまる。  
     当初日本はこれを支那事変(戦争ではないという意味)と呼んでいた。

【日独伊の接近とスペイン内乱】     
1933年 に日・独、1937年に伊が国際連盟を脱退した頃、  
1935年 にコミンテルンが人民戦線戦術(ファシズムと対抗するためなら共産党員は誰と組んでも良い)を呼び掛ける。  
     これによって仏ではブルム人民戦線内閣、スペインではアサーニャ人民戦線内閣が誕生したことで、  
     日独伊は共産主義への危機感を募らせる。  
     そして1936年にスペイン内乱が起きる。  
     これはアサーニャ人民戦線内閣の政策(ソ連が応援)に対してフランコ将軍1892-1975(独伊が応援)が  
     反乱を起こすことで起きた内乱である。  
     結果フランコ将軍側が勝利して、1936年にベルリン・ローマ枢軸が独伊の間で結ばれた。  
     これに誘われた日本はアメリカの反発を恐れて、1936年日独防共協定に落ち着き、1937年には日独伊防共協定が成立する。  
     この時英仏は不干渉の宥和政策をとった。
  
1938  ドイツは墺(ドイツ人)を併合、チェコスロバキアにズデーテン地方(ドイツ人多い)を要求すると、  
     英仏独伊でミュンヘン会談が行われてズデーテン割譲を認めた。  
     これはヒトラーを恐れた宥和政策とも言える。  
1939  独ソ不可侵条約が結ばれ、独がポーランド侵攻を行ったことで英仏露が参戦した第二次世界大戦が勃発する。  

                     スペイン内乱を描いたピカソ1881-1973のゲルニカ

大塚国際美術館で撮影 :ゲルニカ

現在2020/12、日本の経済は疲弊している。1929年の世界恐慌と違ってコロナウイルスによるものであるが、対処法は当時と同じく、貨幣を増刷して国民がより多くの現金を持てるようにすればよい。(MMT理論)後で増税をして取り戻す・・というようなことは不要なのである。

【英仏によるブロック政策】      
  英によるスターリング・ブロック、仏によるフラン・ブロックは多くの植民地を持つ国が可能な政策である。  
  自国と植民地間で原料-製品の流通を活発にすることによって経済を活性化させるものである。

  ところで、1929年世界恐慌の年に生まれた人物といえば、オードリ・ヘップバーン1929-1993やアンネ・フランク1929-1945。  
  二人は第二次世界大戦中はオランダでドイツ兵から身を隠して過ごしている。  
  オードリーは母方の故郷がオランダだったが祖父母の領地がナチスに占領され、  
  アンネはドイツからオランダに避難移住するという悲惨な幼少期を過ごしている。

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