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木梨軽皇子と軽大娘皇女

2007年11月04日 | 陵 古墳 墓 遺跡

木梨軽皇子と軽大娘皇女

 允恭天皇治世の5世紀頃の悲恋物語です。 場所は長谷寺がある奈良・桜井市で、その昔泊瀬、初瀬、始瀬、終瀬と云われていたところでもあります。 二人が育った初瀬は三方を山に囲まれ西方のみが開けた「隠国(こもりく)の里」であり、雄略天皇は次のような雄渾な国褒めの歌を歌っています。 【隠国の 泊瀬の山は 出で立ちの よろしき山 走りでの よろしき山の 隠国の 泊瀬の山は あやにうら麗し あやにうら麗し】

 木梨軽皇子(嫡男であり皇太子)と軽大娘皇女軽皇子はともに允恭天皇の皇子・皇女で母は忍坂大中姫ですから、雄略天皇の兄と姉になります。 二人の母方の叔母は美しい女性で、その美しさが衣を通してあらわれるようだという意味を込めて「衣通姫」と呼ばれていました。 そして軽大娘皇女もまた叔母に似て美しかったため、「衣通姫」と呼ばれていました。 当時異母兄弟の婚姻も認められていましたが、同母兄弟の恋愛は禁忌です。 しかし木梨軽皇子は同母妹の軽大娘皇女に思慕し、やがてその思いを遂げてしまいます。 【小竹葉に 打つや霰の たしだしに 率寝てむ後は 人は離ゆとも 愛しと さ寝しさ寝てば 刈薦の乱れば乱れ さ寝しさ寝てば 】   これは木梨軽皇子が詠んだ歌で、笹の葉にあられが打つように、人が何を言おうと私は気にしない、こうして寝てしまったからには、薦を刈った後のように何が乱れてしまっても構わない、というような意味になります。 やがて二人の仲は周囲に発覚し、禁忌を知った群臣は木梨軽皇子から離れて行き、その弟である穴穂皇子(後の安康天皇)につきます。 允恭天皇崩御後、嫡男である木梨軽皇子が即位するはずでしたが、木梨軽皇子を支持する者はおらず、穴穂皇子を討とうとしますが、逆に追いつめられ、木梨軽皇子は捕えられます。 その時に木梨軽皇子はこのような歌を詠んでいます。 軽の乙女よ、そのように泣いては人に知られてしまうだろう、波佐の山の鳩のようにもっと静かに忍んで泣きなさい、という意。 【天だむ 軽の乙女 いた泣かば 人知りぬべし 波佐の山の鳩の 下泣きに泣く】 

 その後、木梨軽皇子は四国へ流罪となり、「私は必ず戻ってくるから待っていなさい」 と言い残し流刑地・伊予へ去る時に次の歌を詠みます。 寂しくなったら空を行く鳥に私の名を訊ねなさい、そうすればきっとその鳥が私たちの間で言葉を運んでくれるから、との意。 【天飛ぶ 鳥も使ひぞ 鶴が音の 聞こえむ時は 我が名問はさね 】  そして軽大娘皇女は、旅立つ兄に次の歌を返しています。 夜の浜で貝を踏んで足を怪我せぬよう、夜が明けてからお通りください、との意。 【夏草の あいねの浜の 蠣貝に 足踏ますな 明かして通れ 】 それからしばらくは兄を待ち続けていた軽大娘皇女であったが、やがて次の歌を詠みます。 【君が行き 気長くなりぬ やまたづの 迎えは行かむ 待つには待たじ 】 

 『恋する兄の帰りを待ちきれずに、軽大娘皇女は「立てた弓が倒れ、また立ち上がり、再び倒れるように」して兄の元へたどり着きます。 こもりくの 泊瀬の山の 大峰には 幡張り立て さ小峰には 幡張り立て 大峰よし 仲定める 思い妻あはれ 槻弓の 臥やり臥やりも 梓弓 起てりてりも 後も取り見る 思い妻あはれ』   『こもりくの 泊瀬の河の 上つ瀬に 斎杙を打ち 下つ瀬に 真杙を打ち 斎杙には 鏡をかけ 真杙には 真玉をかけ 真玉如す 我が思う妹 鏡如す 我が思う妻 ありと言はばこそよ 家にも行かめ 国をも偲ばめ 』

 木梨軽皇子は再会を喜び、二人はわずかな時間を愛し合いますが、やがて二人は自害します。 大阪羽曳野市にある峯ヶ塚古墳(日本武尊白鳥陵と来目皇子墓の中間あたりにある) は木梨軽皇子の墓との伝承があります。 また、愛媛の松山城のすぐ北には姫原という二人に縁のある地があり、姫池の畔にある軽之神社には二人が祀られています。

軽之神社と二人の塚

 

                                                                                   春日大娘皇女
           宮主宅媛                  ┣橘仲皇女 
葛城高額媛       ┣雌鳥皇女    荑媛(葛城蟻臣娘)    ┣白香皇女 
 ┣神功皇后170-269   ┣菟道稚郎子皇子   ┣ 飯豊青皇女440-484┣武列天皇 
息長宿禰王┃      ┣矢田皇女      ┣ 億計王(24代仁賢天皇)袁祁命449-498 
       ┣ 15代応神天皇-394(誉田別尊) 黒媛 ┣ 弘計王(23代顕宗天皇)意祀命450-487
1414代仲哀天皇┣ 荒田皇女         ┣ 市辺押磐皇子(忍歯王)-456
 ┣ 坂皇子  ┣ 16代仁徳天皇257-399    ┣ 御馬皇子
 ┃      ┣ 根鳥皇女┃       ┃
 
 ┣ 忍熊皇子┏仲姫命   ┣ 17代履中天皇319-405(阿智使主、平群、物部が舎人)
 
大中姫     ┣高城入媛   ┣ 住吉仲皇子(安曇連、倭直の海人族が舎人)
 品陀真若王┛┣大山守   ┣ 18代反正天皇336-410
  
         応神天皇   ┣ 19代允恭天皇  -453
  
         ┏━   磐之媛命   ┣ 木梨軽皇子━━━━━━━━━━┓
 
 
          ┃ 仁徳天皇      ┃長田大郎女                     ┃
 
 
         ┃   ┃        ┏ ┃┻眉輪王┣-                    ┃ 
   
         ┃   ┣ 大草香皇子┣ 20代安康天皇(穴穂皇子)401-456 ┃
 
          ┃   ┣ 若日下部命┣ 軽大娘皇女━━━━━━━━━━┛
         ┃  日向髪長媛 ┃ ┃       和珥童女君

甘美内宿禰   ┃       ┗ ┃━┓       ┣ 春日大娘皇女
武内宿禰
   ┣ 葛城葦田宿禰   ┣ 21代雄略天皇(大長谷王)418-479
  ┣葛城襲津彦-347┃      ┃ ┣ 磐城皇子  ┃
  ┣巨勢小柄宿禰 ┃      ┃ ┣ 星川稚宮皇子┃
 ┣蘇我石川宿禰 
┣葛城玉田宿禰┃ 吉備稚媛      ┣ 22代清寧天皇444-484
 ┣平群木菟宿禰  ┃ ┣葛城円 ┣ 八釣白彦皇子  ┣ 稚足姫皇女
 ┣紀角宿禰      ┃ ┗毛媛  ┃        ┣葛城韓姫
 ┗羽田矢代宿禰
  ┣黒媛    ┣ 坂合黒彦皇子
 葛城円  
            ┣葛城蟻臣  ┏忍坂大中姫      
                   ┗荑媛  ┗衣通姫(そとおりひめ

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