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幕末52 1857年 「虎尾の会」を結成

2013年04月08日 | 幕末

 土佐藩を推した阿部正弘が1957年に没すると、その意思を受けたかのように藩政改革を山内容堂、吉田東洋は行った。ちょうどこの頃、江戸生まれで幼少から神陰流、北辰一刀流を学んだ山岡鉄舟は、幕臣として庄内藩出身の清河八郎とともに浪士隊を結成。後に江戸無血開城に貢献し明治政府では茨城県参事などを歴任し、勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称されている。1857年には自ら発起人となって、清河八郎を盟主として尊王攘夷派とともに「虎尾の会」を結成している。いよいよ倒幕の動きが盛んになっていったのが1857年なのである。1863年には新撰組の前身である浪士組取締役となるが、清河八郎が幕府側の刺客により暗殺された後は謹慎処分となる。この時山岡鉄舟の妻は、清河八郎の首級を取り戻して保管していたという。明治維新後は徳川家達に従い、駿府で清水次郎長と意気投合。1871年、廃藩置県に伴い新政府に出仕し、西郷隆盛の依頼により1872年に宮中に出仕し、10年間の約束で侍従として明治天皇に仕えている。幼少の頃、飛騨高山ですごしたことから高山陣屋近くには青年期の鉄舟の銅像がある。

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