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幕末53 1857年 久坂玄瑞に嫁いだのは松蔭の妹

2013年04月09日 | 幕末

 1857年は吉田松陰が自分の妹・文を久坂義助越智通武に嫁がせた年である。久坂義助越智通武とは久坂玄瑞の別名である。 萩藩医の父を持つ玄瑞は幼少の頃から城下の吉松塾で学び、藩の医学所・好生館に入学する。 15歳の春に藩医・久坂家の当主となり、医者・玄瑞と改めた。熊本の宮部鼎蔵から吉田松陰に従学することを強く勧められた久坂は、強硬な外国排撃の手紙を吉田松陰に送り、松陰の賛を得ようとした。 しかし松陰は、アメリカの使節を斬るよりも至誠を積み蓄えるがよいと、痛烈手紙を返したという。書簡の往復を通して、松陰の実践と思索に裏付けられた強い言葉に玄瑞傾倒していき、1857年正式に松門に弟子入りした。松下村塾では高杉晋作と共に「村塾の双璧」、高杉・吉田稔麿・入江九一と共に「松門の四天王」といわれた。松陰は久坂を長州第一の俊才であるとして、高杉と争わせて才能を開花させるようつとめ、1857年松陰は自分の妹・文を久坂に嫁がせるのである。

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