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勝海舟の助言で大豪商となった生島四郎

2010年03月06日 | 幕末

 神戸から有馬に向かう街道(有馬街道)は 平安時代の終わりに平家が都を置いた頃の名残のある場所が数多い。 また、その北側には祇園神社という牛頭天王を祭神とする社がある。 「牛頭天王由来記」によると、869年播州広峰神社から京都祇園の八坂神社に牛頭天王の分霊を移すときに、神輿がこの地に1泊したことから縁ができて祀ったと伝わる。 社への石段の中腹に小さな石灯籠があり、明治初期の豪商・生島四郎が寄贈した。 生島四郎は、1805年にこの地近くで乾八左衛門の次男として生まれた。 24歳で神戸村の庄屋 松屋 生島家の養子となり、松屋を継いで、酒造業、回船業で財をなした。 そして幕末、江戸から神戸村の視察に来ていた勝海舟に偶然出会い、意気投合して知己となり、1864年、神戸に海軍操練所を設立するときに財力で協力したという。 また、兵庫開港に際して外国人居留地の造成を請け負い、「当港市中取締方」となり、新政府から「当港市中取締方取扱」を拝命し、開港場の警備を取り仕切ると、京都府物産取引立会所の御用達となり、京都の生島居宅が京都物産売捌所となった。 こうして生島四郎は、開国した新政府の信任を得て、一大政商となった。
勝海舟は、兵庫開港以前には西国街道沿いの村にすぎなかった神戸の地の将来性を見抜き、生島四郎にできるだけ地所を購入しておくことを勧めたという。この助言のお蔭で、生島四郎は、不動産投資においても大成功を納め、巨額の利益を得たのである。 

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