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西園寺女吉子・粟田山陵

2007年11月25日 | 陵 古墳 墓 遺跡

西園寺姞子・粟田山陵

 西園寺姞子・粟田山陵は南禅寺境内の水路閣の奥にあります。 南禅寺中門を南に行った天授庵近辺の紅葉に彩られた様子は絶景です。

 

 後嵯峨天皇中宮1225-1292の西園寺姞子の父は太政大臣・西園寺実氏、母は四条貞子(四条天皇の乳母)。 18才で後嵯峨天皇(23才)に入内し、女御宣下を受け、中宮となる。19才で久仁親王(後深草天皇)を生み生後2ヵ月で立太子させる。 ほかには、 綜子内親王(1247~1269月華門院)、 恒仁親王(1249~1305亀山天皇)、雅尊親王(1254~1256)、恒尊親王、貞良親王、理子内親王(亀山天皇皇女)、西園寺嬉子(亀山中宮・今出川院)等がいる。

 

 1147年に後嵯峨上皇より筑前宗像社を伝領するなどに加えて、上皇没後の遺詔による分配では亀山殿・大和曾我荘・若狭国富荘などを伝領しました。関東申次である西園寺家を後ろ盾に、二代の国母たる権勢があり、後嵯峨上皇の遺詔で幕府に任された治天の君の決定について、幕府は大宮院の意向を聞き、亀山天皇を治天の君とし院政を開かせました。これが持明院統・大覚寺統の両統迭立の発端となります。

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