【15世紀中-17世紀中は大航海時代】 と言われている。その背景は
┣ルネッサンスの開花によりキリスト教が勢力を強め、世界征服(レコンキスタという宗教的情熱1492)を狙う時代に入る
┣カトリックを布教させるにあたり、大航海を行うのに必要な羅針盤が改良
┣香辛料の需要が高まる。当時の香辛料はインドから入手する必要があったが・・・。
┣オスマン帝国がシルクロードを占領(1453:ローマ帝国の首都陥落)していたために通れず、航路が開拓されたのである
┣アジアにキリスト教国(プレスター・ジョン王伝説:エチオピア)がある?? → イスラム殲滅のため提携したい
┣地球球体説:伊トスカネリ1397-1482
┃
┣イベリア半島のアラゴン:地中海航海 ┓国が無いコロンブス@1492、アメリゴはスペインの財が後ろ盾
┣カスティーリャ :イスラムと抗争中 ┛
┃ →カステラ、キャッスルの語源
┣ポルトガル :身軽 --- バスコ・ダ・ガマ1460-1524、バルトロメウ・ディアス1450-1500(喜望峰経由)
【大航海の寄港地テルセイラ島】 15世紀にポルトガル人の入植がはじまったアゾレス諸島No.3の島 島のシンボルは日本から持ち込まれた紫陽花 最大の町アングラ・ド・エロイーズモ(英雄たちの大きな入り江)にはインド航路を開拓して繁栄をもたらしたバスコ・ダ・ガマの像がある ここの出身の守護聖人で宣教師ジョアンは長崎で殉教 大航海に使われた船がカラベラ船で、15世紀にポルトガルの国家管理の下で開発された、名前は「オーク材(Carvalho)」に由来すると言われているが定かでない。伝統楽器はヴィオラという弦が15本のギターに似た楽器、世界中から様々な木(最高級の木はジャカランダ)が持ち込まれたことによって生まれたという。
また、大航海時代に船乗りの命を支えたのがワイン(水よりも長期保存が可能)そのワインを造っていたのはテルセイラ島の西に浮かぶ溶岩のピコ島、潮風を防ぐ石垣に守られた葡萄畑が一面に広がる。ポルトガル人の不屈の精神。100年前ここには多くのアメリカ人が居た。それは鯨の捕獲が目的であり多くの島民が捕鯨を手伝い、やがてアメリカへと移住した。そしてその後の農民も彼らを頼ってアメリカへ移住したのである。
1460- スペイン・カスティーリャ王国のエンリケ4世1425-1474の主導でアフリカ南部に航行
┃ ポルトガルの海洋王国の基盤をつくったエンリケ航海王子1394-460
┃ インド航路を発見してポルトガルに莫大な富をもたらしたバスコ・ダ・ガマ1469-1524
┃ ・そして彼らがもらたした富でポルトガルの黄金期を完成させた国王マヌエル1世
┃ ・ポルトガル・リスボンのテージョ川の岸辺にはこれらポルトガルの航海の偉人たちの「発見のモニュメント」がある
┃ ・こうした背景の中から生まれたのが ジェロニモス修道院 で、マヌエル1世が大航海の偉業をたたえて建造
┃ 内部はサンタマリア聖堂、ステンドガラス、柱やアーチに刻まれた装飾は全て違った形で職人の個性が現れている
┃ またマヌエル1世、王妃マリアだけではなく、バスコダガマの棺も安置されている
┃ ・テージョ川に浮かぶベレンの塔という要塞(1階には多くの大砲が並び、地下は火薬庫、政治犯の牢獄)は
┃ 1521年にマヌエル1世の命で完成、ポルトガル・リスボンのシンボルである
1451- コロンブス1451-1506はイタリア・ジェノヴァ出身
┃ ・スペイン・イザベル女王の支援の元(伊のジョアン2世の支援得られず)、インドを目指す
┃ 1492年到着したのはカリブ海の西インド諸島・サンサルバドル島
┃ インド諸島と間違えた為の命名であった
┃ ・かくしてポルトガル、スペインは北アメリカ、南アメリカ大陸の先住民を酷使・虐殺しながら
┃ (ヨーロッパの天然痘なども持ち込み)煙草、銀、砂糖などを持ち帰り大繁栄をする
┃ ・滅ぼされた北アメリカ(1497年Byカボット)・メキシコ高原の国はアステカ王国
┃ ここには紀元前にはオルメカ文明が、2世紀から6世紀にはテオティクカン文明が栄えて居た
┃ ・ユカタン半島には紀元前20世紀には鉄器を持たないマヤ文明が繁栄していた
┃ グアテマラのティカル遺跡
┃ 全盛期は6万人の大河無き都市、最大級で高さ70mの神殿ピラミッドがある
┃ 天を目指して高いものを作ろうとするとピラミッドになる 漆喰で塗られ貯水池を作っていた
┃ セイバル遺跡
┃ 紀元前800年とされていたが、紀元前1000年と判明
┃ ・グアテマラの人口は約1600万人で、そのうちの半数以上がマヤ人
┃ 王家、貴族は衰退したものの、一般の農民は生き残っている
┃ ・南アメリカ・アンデス高地にはインカ文明が15世紀後半に栄えて居たが、当時の文明は大航海時代に姿を消したという
ブラジルだけはポルトガル語:1494 トルデシリャス条約 この時南アメリカ大陸の存在は誰も知らない
1500 ポルトガル人・カブラルが難破---今のブラジルに上陸
1529 サラゴサ条約----フィリピンがスペイン領
1492- イスラムのナスル朝を滅ぼしてグラナダを占領したことによって、スペイン王国は成立
ローマ=カトリックの信仰を統一国家理念として絶対王政が成立
アラゴン王・フェルナンド2世1452-1516の治世、妻のイザベル1世1451-1504は王権による新大陸侵略を可能にした。
(二人は1469年に結婚し、1479年にイザベルはカスティリア女王に、フェルナンド2世はアラゴン王に即位した)
ローマ教皇が1496年に二人に「カトリック両王」の称号を与えた
それは、レコンキスタの完了及び新大陸へのカトリック布教を評価したからである。
【スペインに住んでいたユダヤ人(セファルディ:ラディーノ語)の立ち位置】
・イスラム教の支配下
・税金払えば自由
・イスラムとの混血進む:アラブ人に近い顔
・レコンキスタ最中はユダヤ人を味方につける(イスラムとの切り離し)
・スペイン王国の財務長官に採用
・レコンキスタ終盤になるとユダヤ迫害が始まる
・キリスト教に改宗したユダヤ人:コンベルソ 大商人、銀行家
セルバンテス1547-1616@ドン・キホーテ
ベラスケス 1599-1660 @宮廷画家
トルケマダ 1420-1498 @ドミニコ修道会 異端審問長官----1万人を火炙り
「カラマーゾフの兄弟」@ドストエフスキーに登場
・キリスト教に偽装したユダヤ人:マラーノ(豚野郎の意味)----拷問、火炙り、異端審問
【ユダヤ人追放令】@1492
・カトリックへの改宗強制
・猶予は4年
・ユダヤ人は世界に逃げるtoモロッコ、オスマントルコ、オランダ
・オランダがスペインから独立@1568(カルヴァン派:真面目に働くこと)
・オランダがユダヤ人の避難場所:アムステルダムが金融の中心地
1494/4 西インド航路(マゼラン海峡の西)はスペインが、
・東インド航路(マゼラン海峡の東)はポルトガルが占領するという分担がトルネシア条約で結ばれている。
・当時のスペイン国王はフェリベ2世、
・マゼラン(セブ島で死亡して部下が世界一周を達成)が発見したフィリッピンは国王の名にちなんでつけられた。
・一方でラス・カサス1484-1566(スペイン人の司教)のように植民・征服事業にたいする残虐行為を告発し、
・スペインの支配の不当性を訴え続けた人もいた。
【コロンブス:伊ジェノバ出身】
・当初イザベルはコロンブス(東洋に黄金、シルク、胡椒)の話を信用せず
・レコンキスタで金ないし・・・
・ユダヤ人大富豪サンタンヘル1448-1498(アラゴンの財務大臣でコンベルソ)が援助
【援助の目的のひとつ】
・イベリア半島に取り残されたユダヤ人たちの新天地探し
・出航2週間後に新大陸到達
【ユダヤ人の50%がニューヨークに住む理由】
・ユダヤ人は金融、情報、メディアを仕切っている
・そんなユダヤ人は元々NYにいなかった
・日本の鎖国時代末期に唯一貿易をしていたのはオランダ
・1600-4-19オランダ・リーフデ号が大分に漂着
・餓死寸前の乗組員を助けたのが徳川家康
・その中にヤン・ヨーステン1556-1623、ウイリアム・アダムス1564-1620がいた
・ヤン・ヨーステン :侍名・八重洲 八重洲口はヨーステンの屋敷跡
・ウイリアム・アダムス:侍名・
・1604オランダはアムステルダムに東インド会社設立:初の株式会社
・株式会社:多くでで航海のリスクを負う仕組み(預かり証発行)
財宝発見したら利益を配当金として分配
この仕組みを作ったのはカルヴァン派の商工業者+スペインから追われたユダヤ人
・日本航路は遠いBy英ヘンリー・ハドソン1565-1611
・1608モスクワ経由:北極海は凍っていたので無理だった
・アイスランド経由:セントローレンス川は行き止まり
:1609ハドソン川(ヘンリー・ハドソンが由来)は行き止まり
アメリカ先住民と交易:カワウソ毛皮
:1610ハドソン湾行き止まり
1611乗組員反乱--ハドソン置き去り、行方不明
・反乱者は英に帰国--逮捕--放免--情報周知
・1625ハドソン川河口のマンハッタン島にニューアムステルダム建設(オランダ植民地)
・マンハッタン先住民はマナハッタ族
・マナハッタ族と戦争、領土拡大
・最初の境界---今はウオールストリート(ちなみに南北の道はアヴェニュー)
・材木の取引所が今の株式市場
・スペイン弱体で英蘭東インド会社が競合
・1607英はバージニアを植民地(エリザベス1世1533-1603から命名)
・1620英はボストンを植民地
・1623アンボイナ事件(蘭勝利:東南アジアでは蘭が生き残る)
・1652英蘭戦争 (英軍がニューアムステルダムを占領)
・英軍ヨーク公ジェームズ1633-1701の名をとってニューヨークに変名(チャールズ2世1630-1685治世)
・元々の大商人、ユダヤ人は残す
・金融商業の中心地として変わらない
1500- ポルトガルはインドの金・銀・香辛料を目指して航海をしたが、南アメリカ大陸のブラジルに偶然漂着した。これを機に300年以上ブラジルはポルトガルの植民地となった。ナポレオンに攻められたポルトガル王・ジョアン6世1767-1826は、王室とともに総勢15000人を引き連れて、1808年にリオ・デジャネイロへやってきた。19世紀半ばにはポルトガル王室は本国に戻るが、さまざまな移民がリオへやってくるようになる。
1532- スペイン人によるインカ帝国の征服が行われ、1万年以上続いたモンゴロイドのみによって発達してきたアンデス文明は終焉となる。
1543- ポルトガル船が日本の種子島に漂着し鉄砲が伝えられた。この時日本が北米/南米のように武力をほとんど持っていなかったら、酷使、虐殺されていたであろう。ところが当時の日本は戦国時代、世界最強の武勇を誇る国であった。しかも種子島の砂浜では豊富な砂鉄が採れたために刀鍛冶など鋳造技術が発達していた。これによって日本は堺、根来、国友の鍛冶集団の手により鉄砲の大量生産がなされ、ヨーロッパ諸国の植民地になることはなかった。
1602- イギリスによる東インド会社設立(インド、アジア航路の交易特権会社)1858年解散
1621- オランダによる西インド会社設立(アメリカ、アフリカ大陸の交易特権会社)1784年の英蘭戦争で終結
【17世紀の交易縮小時代】 日本では鎖国、中国では海禁政策、ヨーロッパでは重商主義政策(自分の産業を守る為に他国の貿易品に関税をかける)がとられる一方で大西洋三角貿易が行われる。黒人奴隷がアフリカから中南米へ送られ、中南米から砂糖がヨーロッパへ送られ、ヨーロッパからアフリカへ武器が送られた。これが英の産業革命を支えた。