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驚くということ

7月22日の皆既日蝕の日、TV中継で、子どものように純真に、感動を言葉にしている高齢者を見た。私は日蝕自体よりも、このような感受性にむしろ感動した。

中学2年の夏、初めて上京したとき、銀座に連れて行かれたけれど、郷里の繁華街と違うのは、天文館は太い通りが一本なのに、銀座は縦横に多くの道が走っているのと、柳が生えていることぐらいで、後は暑くて埃っぽい町だと思い、別に感心もしなかった。むしろ今の年齢のほうが銀座の美を感じている。

また同様に、日本にやって来たリビア人の若者に、向うに無いような進んだ文明(新幹線など)の数々を経験させても、平気な顔をしており、感動も尊敬もしないと、ぼやいている人にあったことがある。

「驚く」又は感動するということは、知識や経験が少ない人より、多い人に起きるのではないだろうか。赤ん坊は、多分、何ごとにも驚かない。

こんなことを考えたのは、ゆうべの義弟との会食で、いまアメリカに行っている13歳の姪の話が出たからだ。私「何か学ぶ所があったでしょうか」かれ「いえ、何も無いでしょう。もともと何も持っていないのですから」

驚かないことには利点もある。テネシー州ナッシュビルの空港で、国内線の乗り継ぎ時間にひとりで歩き回っていた私は、いつの間にか国際線のロビーに迷いこんでしまった。見つかって、金属探知機をくぐってもとに戻るハメになったが、その時私に応対した2人の空港職員のうち、中年の男性は、私の英語が全く分らないようだった。(まあ、発音が悪かったことも一因だろうが)けれども20代くらいの若い男性は易々と聞き取った。つまりこの場合は、突如として現われた東洋の女に、中年の耳がパニックを起こし、驚かない若者が冷静に聞けたと言うことで、こういう場合には驚かないと言う若さが強みを発揮する。

→「アメリカに旅立つ姪」9-7-20



コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (おキヨ)
2009-08-15 12:21:01
じつにおっしゃる通りだと思います。
先日北海道へ旅行した私の友人が無感動で帰ってきたというのも旅行の経験が少ないから。。。
私の姉妹も美術館など一度も行ったことがなく、したがって私の描く絵など”○ソ食らえ”てなもんです^^

ことさらの感動がなくても生きていけるという方結構居るものです。


コメントが煩すぎたらごめんなさいね^^ゞ
 
 
 
驚くということ (ひろよ)
2009-08-15 14:22:55
感動することは、経験をするからではないでしょうか。私は自分では感動するほうだと思っていますが、他人さんから見たら、そうも思わないかもしれませんが、感性豊かな私になるように、心がけなければと思っています。
 
 
 
おキヨさま (Bianca)
2009-08-16 08:37:30
お盆で何かと多用で、遅い返事ごめんなさい。
>コメントが煩すぎーそんなことは絶対ないです。
>感動が無くても生きていける人はいる・・・
日蝕の時も、いましたね、そういう人。「何をテレビは騒いでいるのかね。月が満ち欠けするのと一緒だろう」それはそうなんですよね。物事の本質を見極めて世間に同調しないと言うことも大事だとは思います。熱い心臓と冷たい頭を持ちたいものです。
 
 
 
ひろよさま (Bianca)
2009-08-16 08:51:34
いやお久し振りですね。何年になりますか。当時は「映画のブログ」と言ってもいいくらいでしたが、幸か不幸か、松江に越してきて、大阪の20分の1(東京の200分の1)位しか映画を見る機会がないので、この通り内容が変りました。それが1部の友人には好評のようです。
ひろよ様はよく感動なさる方だと思います。そして、文章教室でそれを表現する方法を学ぶ・・・・・・「鬼に金棒」です。
 
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