映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
【映画】しゃべれどもしゃべれども
2007年 日本 109分 監督 平山秀幸 原作 佐藤多佳子
出演 国分太一 香里奈 伊東四朗 八千草薫
鑑賞@島根県民会館名画劇場(当日2回のみ上映)
つい3ヶ月前、大阪千里セルシーで見たばかりだが、とにかく劇場で映画を見たいばかりに、また見てしまった。
二つ目落語家で、志は高いが、素人の耳にも下手だし才能がない気がする主人公が、ひょんなことで「話し方教室」を持つことになり、美貌だが無愛想な若い女性、関西から転校したばかりで、クラスになじめない男子小学生、野球解説者だが話が苦手の男性の3人の生徒が集まる。表現がぶっきらぼうなため傷つけあう3人(4人)だが、次第に心が通じていって、という人情話みたいなもの。
中では伊東四朗、八千草薫、そして小学生の話はまあ聞けるが、アトの人は聞くのが苦痛。特に主人公より、香里奈の方が明らかに落語の才能がありそうなのはつらい。
端的に言って、落語は東京の方が好きだが、日常会話の水準は断然西が上。江戸の「粋」といわれてもピンと来ない。CMの表現にしろ、一般人の会話能力にしろ、東は西の3割くらいしかないという気がする。そんなわけで大阪で見たときは、これほどコミュニケーション能力の低い人間が現実にいるものかという違和感でいっぱいだった。
今回、かなり共感の雰囲気が場内に漂うのは、松江の文化は大阪よりは東京に近いのだろうか。相方やその兄弟にしてもつねに東の方を向いているし・・・それに香里奈のような顔立ちの子は当地でよく見る。
つかぬことだが、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」をふと連想もした。アマチュア楽団の下手なチェロ奏者が、夜な夜な訪れる狸や猫やカッコウのおかげで腕を上げて行き、ついには立派な一人前の演奏家になる。それで行けば、この二つ目も遠からず真打になれるかもしれない。
会場はいつになく7~8割の入り。きもの姿が多いのは、どうやら、和服の来客は料金割引き&記念品進呈という「着物でシネマ」企画のせいらしい。純粋な映画ファンではなくても、殺風景な上映会場に突如あでやかな空気が漂い、なかなかよろしい。うそ寒い中をやって来た客に、唐辛子入り梅茶のサービスもしていた。体が温まって、これも良い趣向。ただし、上映前に着物普及会?の若い女性が「簡単な帯の結び方を伝授します」と始めた時、客席から「映画のアトにしろーっ」と怒声が飛んだのが、興ざめだった。すわ、声の主は定年後の全共闘世代か、否ただのイラチおじさんと見たが、「わずかな遅れをそんなにとがめなくても」といいたくなった。
出演 国分太一 香里奈 伊東四朗 八千草薫
鑑賞@島根県民会館名画劇場(当日2回のみ上映)
つい3ヶ月前、大阪千里セルシーで見たばかりだが、とにかく劇場で映画を見たいばかりに、また見てしまった。
二つ目落語家で、志は高いが、素人の耳にも下手だし才能がない気がする主人公が、ひょんなことで「話し方教室」を持つことになり、美貌だが無愛想な若い女性、関西から転校したばかりで、クラスになじめない男子小学生、野球解説者だが話が苦手の男性の3人の生徒が集まる。表現がぶっきらぼうなため傷つけあう3人(4人)だが、次第に心が通じていって、という人情話みたいなもの。
中では伊東四朗、八千草薫、そして小学生の話はまあ聞けるが、アトの人は聞くのが苦痛。特に主人公より、香里奈の方が明らかに落語の才能がありそうなのはつらい。
端的に言って、落語は東京の方が好きだが、日常会話の水準は断然西が上。江戸の「粋」といわれてもピンと来ない。CMの表現にしろ、一般人の会話能力にしろ、東は西の3割くらいしかないという気がする。そんなわけで大阪で見たときは、これほどコミュニケーション能力の低い人間が現実にいるものかという違和感でいっぱいだった。
今回、かなり共感の雰囲気が場内に漂うのは、松江の文化は大阪よりは東京に近いのだろうか。相方やその兄弟にしてもつねに東の方を向いているし・・・それに香里奈のような顔立ちの子は当地でよく見る。
つかぬことだが、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」をふと連想もした。アマチュア楽団の下手なチェロ奏者が、夜な夜な訪れる狸や猫やカッコウのおかげで腕を上げて行き、ついには立派な一人前の演奏家になる。それで行けば、この二つ目も遠からず真打になれるかもしれない。
会場はいつになく7~8割の入り。きもの姿が多いのは、どうやら、和服の来客は料金割引き&記念品進呈という「着物でシネマ」企画のせいらしい。純粋な映画ファンではなくても、殺風景な上映会場に突如あでやかな空気が漂い、なかなかよろしい。うそ寒い中をやって来た客に、唐辛子入り梅茶のサービスもしていた。体が温まって、これも良い趣向。ただし、上映前に着物普及会?の若い女性が「簡単な帯の結び方を伝授します」と始めた時、客席から「映画のアトにしろーっ」と怒声が飛んだのが、興ざめだった。すわ、声の主は定年後の全共闘世代か、否ただのイラチおじさんと見たが、「わずかな遅れをそんなにとがめなくても」といいたくなった。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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それにしてもコミュニケーション能力の違いって土地によってあるんですねぇ。私の経験だと、西の方というか大阪出身の人とのコミュニケーションはよくけむに巻かれる感じがします、というか冗談が多いからなんでしょうねぇ。
結局、商売人ですから、事を荒立てないで、相手との関係を断絶しないために、そういう風にいうのでしょうね。私はこの技術を習得することなく、今日に至っておりますが。
落語家の上達の得策として「セロ弾きのゴーシュ」を引用されるなんて、いつもながら引出しの多さに感心させられます。
それにしても、コミュニケーションの量の話ですが、確かにそうかも。なにかのTV番組でやってましたが、大阪の人は擬音が多いとか言ってました。道案内でも「ここを、ビューと行って!」とかね。
あんまり気持ちを溜め込まないで話す習慣が身についてるんでしょうかー
世代にも寄るんでしょうね。
東京でもしゃべる人はほんと良くしゃべります。
”しゃべれどもしゃべれども、とまらず”(笑)
もちろん、量も大阪の人は多いですが、質も高いような気がします。電車を窓の外から見ているだけで、大阪か東京かはすぐ分かりますね。声が聞こえなくても、お互い同士何か話しているのは大阪です。初対面であろうとお構いなし。アメリカ人もそういうところがありますね。特に飛行機の中など、会った途端に話に熱中する乗客も。天候不順で2時間ほど機内に足止めになった時はすごかったです。立ち上がらないのは日本と中国人の家族だけ。殆んど全員コーヒー片手にそれぞれ輪を作って、ディスカッションに余念がなく、このひと時を有効活用していました。