マリの朗読と作詞作曲

古典や小説などの朗読と自作曲を紹介するブログです。
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うどんや

2022年06月06日 | 私の昔

 

うどんや

 

駅ビルを堂々と従える現在の荻窪駅からは、

50数年前を思い浮かべるのはとても難しい。

当時、駅の西口にあったのは、

西友ストアの

こじんまりしたビルだけであった。

地階は食品売り場だったが、

ある時、一角にうどん屋ができた。

調理場を囲むカウンターに

丸椅子を10個ほど置いただけのもので、

間仕切りものれんも見当たらない。

それだけなら珍しくもなんともないのだが,

めっぽう旨いとなると話は別である。

母は買い物帰りに、

高校生だった私は学校帰りに、

週1,2回はその窮屈なカウンター席に座った。

 

湯気を背に采配を振るうのは、

40がらみのひっつめ髪のおかみである。

銀色に鈍く光る寸胴鍋の周りには、

真っ白な上っ張りの若い衆が三人。

いづれも、

てきぱきとわき目もふらずに手を動かす。

狭いが清潔な調理場には、

一糸乱れぬ手際の良さがあった。

 

 

食事時ではなくとも、

客は次々と現れた。

手間と費用をかけただろう

ツユのいい匂いが、

さして空腹ではなくとも、

ちょっと一杯食べて行こうか

という気を起させる。

スーパーの片隅のうどんやにしておくには

惜しい味であった。

 

夕飯の支度をしながら母が言った。

「あれはただもんじゃないよ、きっと。

もとをただせば

名のある店の人たちじゃあないのかしらねえ。

今はよんどころない事情で

あんな商売してるけど・・・」

「よんどころない事情?」

「そう。

元は大きな店を張ってたんだろうけどさ、

自家火を出すとか、お家騒動とか、

なんか不名誉なことがあって

世をしのぶ仮の姿って事。

店の名に傷がつくといけないから、

のれんも何も出してないのよ。

だいたい、

ああいう店に四人もの手をかけるなんて、

普通はしないね。

店を再建するまでの間、

職人を遊ばせておいてもいけない

ってわけなのよ。」

母は想像力の人である。

世間しらずの私は、

「まさかぁ」と笑い流しながらも内心、

母の洞察力に感じ入っていた。

そういえば、

不本意な場ではあっても

プロの誇りにかけて

誠心誠意やりぬいているというような気迫が、

確かに彼らにはある。

 

店の人々が本当は何者であるのか、

だれしも好奇心のわくところであろう。

ある日、

満員のカウンターに座っていた中年の主婦が、

こんなお値段でこんなにおいしいなんて、

と愛想よく褒めちぎり出した。

にこりともせずに聞いていたおかみさんは

ただ一言、「ありがとうございます」と

慇懃だがピシャリと言い切った。

次の言葉を飲み込んだ客の前に、

熱々のうどんがすっと運ばれてきた。

 

 

 

 

一年(?)いや半年するかしないうちに、

店は突然なくなった。

大学生になって

うどんやから足の遠のいていた私は、

母から聞かされて初めて知った。

母は

「きっと店の再建のめどが立ったのよ。

新しい店の場所がわかってたら

食べに行くんだけどね。」と勝手に決め込み、

一人で残念がっている。

閉店お知らせの張り紙なども

一切なかったそうな。

 

 

数週間後、

西友ストアに行ったついでに

地階まで下りてみた。

うどん屋だったあたりは

大幅に模様替えされ、

焼きそばコーナーになっていた。

カウンターの中には

アルバイト風の若い店員が

二人控えていたけれど、

客の姿はまるでなく

閑散としていた。

暫く見るともなく見ていたら、

買い物袋をたくさん下げた主婦が一人、

店の丸椅子にのろのろと腰を下ろした。

食べることにはしたけれど

あまり気乗りしてないように見えたのは

わたしの贔屓目か。

そりゃそうだよね、

あのうどん屋の味を知ってる人ならば・・・。

わたしはわたしでその場をあとにすると、

あのかっこいいおかみさん、

今頃は新しい店で奮闘してるのか

などと勝手に思いをはせながら、

エスカレータで地上へと運ばれて行く。

そして、

新しい店ってどこなんだろう、

値段が高くても一度行ってみたい・・・と、

さらに妄想を膨らませながらビルを出る。

わたしも母の娘なのであった。

 



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