本当の人間関係を学び続ける学徒のつぶやき

人間関係学を学び続ける学徒の試行錯誤

心理療法 三大流派の概要

2019-11-04 08:28:45 | コラム

 以下に、心理療法の大きな三つの流派の概要を述べる。

 先ず、精神分析について。「精神分析は、その発達の初期においては、医学の一分野であり、その目標は病気の治療であった」(注1)とあるように、19世紀末にフロイトによって創始された心理療法である。精神分析治療の目的は、「抑圧を除き無意識的過程を再び意識させるというやり方で患者を精神症から解放すること」(注2)である。相談援助の場面では、治療者は、クライエントの面談時の応答の仕方や態度、行動等からクライエントの抑圧や退行などの防衛機制を感知し、クライエントとの対話を通じてクライエントの無意識を意識化させ、精神症から解放させ、社会的適応ができるよう援助する。

 次に、行動療法について。1950年代末から心理学者アイゼンク等によって体系化された行動療法は、実験心理学の学習理論を礎とする、精神分析に対立する心理療法である。行動療法では、クライエントの不適応行動はその行動自体が問題であり、その行動は誤った学習の結果であるので、条件づけによってその行動を消去し、社会的に望ましい適応行動に変容させることが可能であるとした。行動療法は後に認知療法を取り入れ認知行動療法となる。認知行動療法は、保護観察における処遇プログラムなど取り組むべき課題がはっきりしている場合に有効とされている。

 最後に来訪者中心療法について。心理療法家であるロジャーズは、従来の心理慮法では患者でとされていた来訪者を「自発的に援助を受ける人」と位置付け、1940年代に来訪者中心療法を提唱した。ロジャーズは、治療者とクライエントの関係を重視し、「①治療者における(in)自己一致、すなわち体験と行動の調和、②共感の正確さ、③無条件の積極的関心」(注3)を強調し、非指示的療法を推奨した。治療者の基本的態度である積極的傾聴は、相談援助においては、特にインテークなど面談の初期の展開過程でクライエントとのラポールを形成するために有効である。

 

 〔引用文献〕

(注1)  現代社会科学叢書「精神分析と宗教」エーリッヒ・フロム著、谷口隆之介・早坂泰次郎訳、東京創元社、1971年(新版) p.84

(注2)  フランクル著作集3「時代精神の病理学」ヴィクトル・E・フランクル著、宮本忠雄訳、みすず書房 1961年p.11

(注3) 「人間関係学序説 現象学的社会心理学の展開」早坂泰次郎著、川島書店、1991年 p.262(太字は、原文では傍点)

 

〔参考文献〕

1. 「柔らかアカデミズム・〈わかる〉シリーズ よくわかる臨床心理学 改定新版」 下山晴彦編、 ミネルヴァ書房 2009年

2.  新・社会福祉士養成講座 2 「心理学理論と心理的支援」第3版 第4 中央法規、2018年

3.  新・社会福祉士養成講座7「相談援助の理論と方法Ⅰ」第3版第4刷 中央法規、2018年 

4.  新・社会福祉士養成講座 20 「更生保護制度」第4版第2刷 中央法規、2018年  

 


日本人の「他者との違い」についての感覚

2019-10-06 07:13:52 | コラム

 以前、ドイツを旅行する機会があった。すべての旅程を終え、フランクフルト国際空港の日本航空搭乗ゲート前のベンチに座り、成田行きの便の搭乗ゲートが開くのを待っていると、近くの席に座っていた20代と思しき二人連れの女性客の会話が耳に飛び込んできた。「もう、日本に戻らなくちゃなんない。わたし、日本にいると人の目が気になって、いやでしょうがない。海外にいるときは気にしなくてすむんで楽なんだけど・・・」こう話した女性は夏のボーナスを使ってで友人とドイツ旅行を楽しんできた、少し神経質っぽい感じはするが、東京のオフィス街でよく見かけるごく普通のOLといったふうである。彼女の言葉は、われわれ日本人の多くが生活の中で感じている当たり前の空気のような居心地の悪さが、異国から日本に戻るときに、ふと、口に出てきたように聞こえた。このような日本人の居心地の悪さの底には何があるのだろうか。

 日本人には視線恐怖症の傾向が強いといわれるが、なぜ、他者の視線が気になるのだろうか。先ほどの女性が「人の目が気になってしょうがない」と感じたことは、われわれが日常の人間関係で感じる「他者との違い」の感覚に関わることと思われる。われわれは和気あいあいとした居心地のよい「良い人間関係」を重視し、「一心同体」が人間関係の理想とする傾向が強い。もしも何かの拍子に、「みんなとは違う自分」という自己の存在に気づいてしまうと、他者からその違いを見られるのではないか、そしてその違いを他者から排除されるのではないかということが気になるのである。短期間滞在する旅行者として、フランクフルトやベルリンのような大都市を観光しているぶんには、街ゆく人々は多種多様な肌の色、髪の毛の色、体形で、ビジネススーツやカジュアルウェア、あるいは民族衣装などを身にまとっていて、「他者との違い」が当たり前に感じられる。そのような環境で彼女は、自分と「他者との違い」を意識する必要がなくなり、居心地が良いと感じていたが、いよいよ日本に帰る飛行機に乗る段になると、日本では否が応にも「他者との違い」をまた意識せざるを得ないと憂鬱になって、友人に嘆息混じりにこぼしたのだろう。

 この「他者との違い」についての感覚は、決して彼女固有の感覚ではなく、日本人一般に共通する感覚であり、日本人を特徴づける大きな要因になっているのではないだろうか。

 


生きることに困っている人を支えるということ

2019-09-06 21:33:48 | コラム

   日本国憲法第25条は国民の生存権を保障し福祉国家を宣言している。この第25条に基づき生活保護法が制定されたが、この法律は、国民の最低限の生活を国家責任で保障することとともに、要保護者の自立の助長も目的としている。また、憲法第27条第1項で国民の勤労の権利と義務が規定されているが、生活保護制度における「自立」は、勤労の義務の側面のみが強調され「『自立助長』とは結局、生活保護利用者のお尻を叩いて働かせ、生活保護制度から排除することが目的なのではないか」(注1)という批判がある。この義務としての「自立」とは、「独立」であり、他者の力を借りずに生きていくという、近代社会を生きる市民の基本的な生活原理であり価値である生活自助の思想に立脚している。

  この生活自助の思想は、自由権的基本権に基づく近代国家と自由競争に基づく資本主義社会の礎となったが、全ての人々がこの思想の恩恵を享受しているわけではない。多くの人々が差別や偏見などさまざまな理由で社会から排除され、物質的や社会的剥奪を被った結果、生活に困窮し、貧困・低所得層という社会の最底辺に位置する階層に追いやられた。

  このような人々は、競争社会における敗者であり弱者である。その貧困ゆえに、周囲は彼らを「汚い、臭い、怖い」というマイナスイメージで見、施しを受けて生活していることを「怠けている」と蔑む。そして、近代社会は、彼らに「社会的落伍者」、あるいは「惰民」をいう烙印(スティグマ)を押して一層社会から排除していく。このスティグマは現代社会においても綿々と引き継がれている。日本の捕捉率は、厚生労働省の調査で20~30%程度に留まっているといわれている。生活保護を受給すべき所得水準であっても、この烙印を押されること厭い扶助を受けない人が少なくないことがその主な原因ではなかろうか。   

  このような状況から脱却し、より豊かな生活保護を実践していくためには「公私の扶助を受けず自分の力で社会生活に適応した生活を営むこと」から「制度や他者からの援助を受けながらも、利用者自らが主役となって生きること」へと大きく転換した社会福祉における「自立」の概念を生活保護においても広く適用していく必要がある。さらに、要保護者と直接かかわるワーカーは、要保護者の最低限度の生活の保障と同時に自立の助長を実現するために、「依存」の対極にある「自立」を追求していくだけではなく、健康で文化的な生活を営む主体としての要保護者の「自律」を援助し支援していくことが求められているのではないだろうか。ここでいう「自律」とは、単に「主体的、自立的に自分が選び取る」(注2)という意味ではなく、要保護者が、「自己の生の意味を生きる」(注3)ことを意味する。要保護者が、自己の人格を育み自己実現していくことを、ワーカーが共に生きていくものとして支援していくことは、ワーカーが要支援者と共に成長していくということなのである。

〔引用文献〕

(1) 貧困の現場から社会を変える」稲葉剛著 堀之内出版、2016年 p.131

(2)   新・社会福祉士養成講座16「低所得者に対する支援と生活保護制度」第4版第3刷 中央法規、2018年  p.230

(3)「ケアの本質 生きることの意味」 ミルトン・メイヤロフ著 田村 真・向野 宜之訳 ゆるみ出版、1987年 p.161

 

〔参考文献〕

1. 新・社会福祉士養成講座4「現代社会と福祉」第4版第4刷  中央法規、2018

2.  新・社会福祉士養成講座7「相談援助の理論と方法Ⅰ」第3版第4刷 中央法規、2018

3.  新・社会福祉士養成講座16「低所得者に対する支援と生活保護制度」第4版第3刷 中央法規、2018

4.  新・社会福祉士養成講座 18  「就労支援サービス」第4版第3刷 中央法規 2018

5. 「貧困の現場から社会を変える」稲葉剛著 堀之内出版、2016

6. 「ひとりも殺させない:それでも生活保護を否定しますか」藤田孝典  堀之内出版、2013

7.  「ケアの本質 生きることの意味」 ミルトン・メイヤロフ著  田村 真・向野 宜之訳 ゆるみ出版、1987

 


脱 「お父さんが一家の大黒柱」モデル

2019-07-23 09:03:47 | コラム

 総務省の最新の公表データによれば日本の人口は12,622万人という。(出展:令和元年71日現在、総務省統計局ホームページ) また、20194月の就業者数は6,708万人、ここから自営業主・家族従業者を除いた雇用者は5,959万人である。(出展:令和元年531日総務省統計局「労働力調査(基本集計)平成31(2019)4月分(速報))実に、日本の総人口の47.2%、ほぼ半数近くの人々が何らかの形で他者である事業主と契約を結び、他者に雇われ報酬(給与等)を得て生計を立てているのである。40年ほど前に早坂泰次郎が「現代の産業化された社会にあっては、人々の生活様式はもはや自営業や自由業によっては代表されず、被雇用者あるいはサラリーマンによって代表される」と述べたが、現代の状況は、当時と比べ男女雇用機会均等、若年層の減少や就業意識の変化、非正規労働の増加、シニア世代の定年後再雇用(定年延長)など雇用環境は大きく変化たが、被雇用者やサラリーマンが日本の生活様式を代表しているという点については変わっていない。

 日本は戦後、年金保険や医療保険、介護保険、雇用保険などの社会保険と、社会扶助の社会保障システムを整え、その規模を急速に拡大してきた。財務省「財政制度分科会(平成31423日開催)資料によれば、平成28年度の全ての社会保障の給付費合計は116.9兆円に上るが、その財源の内訳は被保険者負担(会社等に努めている人の負担)36.5兆円、事業主負担(会社等の負担)32.4兆円、公費(国や地方自治体の負担)47.7兆円となっている。平成2年度と比べると公費負担の割合は増加傾向が続いているが、社会保険料(被保険者負担と事業主負担)は依然として全体の58.9%を占めており、民間企業の社員の懸命な営利追求活動が、現代も日本の社会保障制度を支えていることは確かである。

 また、日本の社会は、成人した男性が民間企業に就職し、定収入を得て家族を養うことを前提に社会保障を制度化してきた。企業に勤務する男性が女性と結婚すると、その妻は専業主婦となり家事一切を担当し、子ども産み育て、自分や子どもが病気になれば夫の健康保険をつかい、高齢になり夫が定年を迎えれば夫の厚生年金と自身の基礎年金(3号被保険者として受給)とで生計を立て、老親の世話を看ることが世間の常識とみなされてきた。このように日本は伝統的に男性中心社会であり、企業に勤める男性を中心にした家庭生活が営まれてきた。日本の男性は、さまざまな局面で男性優位が認められてきたと同時に社会を支える大きな責任と経済的かつ精神的な負担が掛かっていたといえよう。

 しかし、少子超高齢化や共稼ぎ世帯数の増加、グローバル化など産業構造の変化、生産年齢人口の減少などさまざまな社会の変化に伴い、父親が一家の大黒柱モデルという家族形態はすでに過去のものとなりつつある。そのようななかで、「企業で働くこと」について管理(経営)者や従業員(社員)だけではなく従業員(社員)の家族や、医療や福祉、教育や行政など彼らの傍らにいるさまざまな人々も考え直してみる必要がある。

 

 参考文献

1.       『人間関係学』早坂泰次郎著、同文書院、1987年、p.223


最近の痛ましい児童虐待の報道に接して

2019-06-20 21:38:58 | コラム

 児童虐待は閉ざされた家庭内という空間で起こるため、事態が深刻化するまで顕在化しにくい。また、顕在化したとしても虐待者である親は児童相談所などの「介入」を嫌い、被虐待児も親をかばう傾向があるため、事態はますます悪化していく。最近の事例でいえば、千葉県野田市の小学4年生の女児の虐待死はまさにこうして起こった。このような児童に虐待死の危機が差し迫っている状況では、もはやソーシャルワーク介入ではなく警察の介入が必要で、公権力を行使して虐待死を阻止しなければならない。

 ソーシャルワーカーは、児童虐待がまだ起こるか起こらないかの状態を察知して、対象の家族にソーシャルワーク介入を行い、虐待を未然に防いでいかなければならない。そのためにはまず、小中学校の職員や民生委員・児童委員と連携してその地域に暮らす児童の状況を把握する。そして被虐待児となる可能性のある児童がいれば、その児童の家族構成や生活環境についての情報を収集し、その地域の特性を理解した上で児童や家族と地域環境へのエコロジカルアプローチを行い、親や児童に対する学習会を開催するなど虐待を予防するための啓もう活動を展開していく。

 虐待予防のために最も重要なのは、虐待をする可能性のある親に対する援助と介入である。最近の理化学研究所の調査によれば、「子どもを虐待したとして有罪判決を受け、服役した親や同居の大人25人のうち、72%にあたる18人が自身の子供時代に虐待を受けていた」、「本人が精神的問題を抱えるケースや、子供に健康や発達の問題があり子育てが難しい環境におかれていた例も目立った」(注1)という。虐待者となった親は、さまざまな課題を抱えていたのである。児童虐待を単に家庭内の問題としてではなく社会福祉の課題として捉え、児童だけではなくその親も社会的に支援してインクルージョン(包摂)していかなければならない。

 対象となりうる親の多くは「虐待」の重大さに対する認識が弱く、社会的援助の必要性を認めないインボランタリー・クライエントと思われる。また、子育てや仕事が忙しく、時間をとって面談を実施するのは難しいが、粘り強くアウトリーチしていき、子育ての大変さや生活の苦労に共感しながら傾聴して、ラポールを形成し、クライエントが不安を除去できるように支援していく。このようなケースでは、例えばクライエント中心アプローチが有効であろう。

 そして、その親が子供を、別の人格として大切に育てていくことを阻害する問題、例えばその親が固執する優生的な価値観や、親自身が親から受けた虐待などの経験、職場などでのストレスや、子供の健康や発達上の問題、あるいは困窮などの医学モデルに基づく課題、その子とその親が暮らす環境・地域社会との接点に着目する生活モデルの観点から注意深く感知し、エンパワメントとストレングスの視点から、親子がさまざまな困難を乗り越え、虐待に陥らずに子供を大切に育てていけるよう支援してこと、そして、万が一、そのような状況に親子が陥ったときも、社会的なセーフティネットが機能していくようにしていくことが喫緊の課題である。

 

〔引用文献〕

(1) 神奈川新聞 2019331日 朝刊

    「児童虐待 加害者の親 7割 自らも被害 受刑者調査」 

 

〔参考文献〕

1.  新・社会福祉士養成講座7相談援助の理論と方法Ⅰ」第3第4刷、中央法規、2018

2.  新・社会福祉士養成講座8「相談援助の理論と方法Ⅱ」第3版第4刷、中央法規、2018

3.  「児童虐待への対応における警察との連携の強化について」子家発07202号 平成30720

  厚生労働省子ども家庭局家庭福祉課長

  http://www.pref.okayama.jp/uploaded/attachment/236773.pdf  

4.  朝日新聞 201928日 朝刊

  「虐待対応『指標』生かせず 児相、リスク『増』でも帰宅容認」

5.  朝日新聞 201929日 朝刊

  「虐待の恐れ 全事案確認へ 政府、情報の取り扱いも厳格化」

6.  朝日新聞 2019217日 朝刊

  「『介入』ためらう児相 昨年度の『親権停止』30件」

7.   朝日新聞 2019217日 朝刊

  「社説 虐待と児相 見逃した背景にも目を」

8.   朝日新聞 2019325日 朝刊

  「フォーラム 児童福祉司の専門性」