東京2020オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長による女性蔑視発言が大きな波紋を呼び、進退問題に発展する様相であるが、少し立ち止まって考えてみたい。
いったい森会長は何を考えているのだろう。
テレビで森会長の会見の姿を見ていると、もしかしたら戦時中、敵に撃沈される軍艦の司令官や艦長はこんな面持ちで艦と最後を共にしていったのかもしれない、と感じた。
新型コロナウイルス感染症のワクチン接種がようやく日本でも始まろうとしているが、世界全体では新型コロナウイルス感染症の拡大・蔓延は一向に収束する見通しが立っていないなかで、政府やマスコミはオリンピック・パラリンピックの開催を盛んに喧伝するが、これは敗色が誰の目にも明らかになりつつあった先の大戦の終戦間際になっても戦争継続を唱えた大本営や報道機関の姿勢と通じるように思う。そして当時の軍首脳と同じように、始めてしまった事業(戦争)をやめざるを得ない(敗北を認めざるを得ない)と誰も言い出せない状況に似ているのではないか。
実は、森会長はオリンピック・パラリンピックを開催できないことを悟ったのではないだろうか。森会長が「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と言ったのは、口を滑らしたのではなく、「もういいや、どうにでもなれ!」となげやりの気持ちで本音を言ったと勘ぐってしまう。そして、「俺が辞めたって、オリンピック・パラリンピックのしりぬぐい(開催中止決定と事後処理)なんか誰もやりたくはないだろう、それだったら、俺が悪者になってやるよ。『森のせいでオリンピック・パラリンピックができなくなった』とでもいえばいい」なんて思ったんじゃないだろうか。もしも自分が森会長の立場だったら、きっとそう考えるんだろうと思う。
もちろん、今回顕在化した「女性蔑視」の問題は、我々日本人は言葉だけ(うわべだけ)を改めるだけではなく本質的な態度として改めるべき問題であるが、始めてしまったことをやめなければならないような状況になったときに、「やめよう」と誰も言い出せない日本人の態度や風潮も改めて見直し、変えていくべきではないだろうか。