日本国憲法第25条は国民の生存権を保障し福祉国家を宣言している。この第25条に基づき生活保護法が制定されたが、この法律は、国民の最低限の生活を国家責任で保障することとともに、要保護者の自立の助長も目的としている。また、憲法第27条第1項で国民の勤労の権利と義務が規定されているが、生活保護制度における「自立」は、勤労の義務の側面のみが強調され「『自立助長』とは結局、生活保護利用者のお尻を叩いて働かせ、生活保護制度から排除することが目的なのではないか」(注1)という批判がある。この義務としての「自立」とは、「独立」であり、他者の力を借りずに生きていくという、近代社会を生きる市民の基本的な生活原理であり価値である生活自助の思想に立脚している。
この生活自助の思想は、自由権的基本権に基づく近代国家と自由競争に基づく資本主義社会の礎となったが、全ての人々がこの思想の恩恵を享受しているわけではない。多くの人々が差別や偏見などさまざまな理由で社会から排除され、物質的や社会的剥奪を被った結果、生活に困窮し、貧困・低所得層という社会の最底辺に位置する階層に追いやられた。
このような人々は、競争社会における敗者であり弱者である。その貧困ゆえに、周囲は彼らを「汚い、臭い、怖い」というマイナスイメージで見、施しを受けて生活していることを「怠けている」と蔑む。そして、近代社会は、彼らに「社会的落伍者」、あるいは「惰民」をいう烙印(スティグマ)を押して一層社会から排除していく。このスティグマは現代社会においても綿々と引き継がれている。日本の捕捉率は、厚生労働省の調査で20~30%程度に留まっているといわれている。生活保護を受給すべき所得水準であっても、この烙印を押されること厭い扶助を受けない人が少なくないことがその主な原因ではなかろうか。
このような状況から脱却し、より豊かな生活保護を実践していくためには「公私の扶助を受けず自分の力で社会生活に適応した生活を営むこと」から「制度や他者からの援助を受けながらも、利用者自らが主役となって生きること」へと大きく転換した社会福祉における「自立」の概念を生活保護においても広く適用していく必要がある。さらに、要保護者と直接かかわるワーカーは、要保護者の最低限度の生活の保障と同時に自立の助長を実現するために、「依存」の対極にある「自立」を追求していくだけではなく、健康で文化的な生活を営む主体としての要保護者の「自律」を援助し支援していくことが求められているのではないだろうか。ここでいう「自律」とは、単に「主体的、自立的に自分が選び取る」(注2)という意味ではなく、要保護者が、「自己の生の意味を生きる」(注3)ことを意味する。要保護者が、自己の人格を育み自己実現していくことを、ワーカーが共に生きていくものとして支援していくことは、ワーカーが要支援者と共に成長していくということなのである。
〔引用文献〕
(注1) 貧困の現場から社会を変える」稲葉剛著 堀之内出版、2016年 p.131
(注2) 新・社会福祉士養成講座16「低所得者に対する支援と生活保護制度」第4版第3刷 中央法規、2018年 p.230
(注3)「ケアの本質 生きることの意味」 ミルトン・メイヤロフ著 田村 真・向野 宜之訳 ゆるみ出版、1987年 p.161
〔参考文献〕
1. 新・社会福祉士養成講座4「現代社会と福祉」第4版第4刷 中央法規、2018年
2. 新・社会福祉士養成講座7「相談援助の理論と方法Ⅰ」第3版第4刷 中央法規、2018年
3. 新・社会福祉士養成講座16「低所得者に対する支援と生活保護制度」第4版第3刷 中央法規、2018年
4. 新・社会福祉士養成講座 18 「就労支援サービス」第4版第3刷 中央法規 2018年
5. 「貧困の現場から社会を変える」稲葉剛著 堀之内出版、2016年
6. 「ひとりも殺させない:それでも生活保護を否定しますか」藤田孝典 堀之内出版、2013年
7. 「ケアの本質 生きることの意味」 ミルトン・メイヤロフ著 田村 真・向野 宜之訳 ゆるみ出版、1987年