2015年7月、当時参加していた研究会が企画した、福島県飯館村と南相馬市の被災地を訪れるスタディツアーに参加した。
震災と原発事故からすでに4年が経過していたが、当地には帰宅困難区域が広がり、生活感の消えた家並みを車窓から見たある女性メンバーがつぶやいた「この街には色がない」という言葉が今も耳に残る。
今日であの震災と原発事故から10年になる。しかし、未だ帰宅困難区域は存在し、廃炉の進捗も芳しくないと聞く。10年前の今日午後7時3分に政府によって発出された「原子力緊急事態宣言」は今も解除されていない。
このツアーで現地を歩き、現場を視て、「美しい国土が傷つけられた、汚された」と深く実感し、心がひどく傷んだ。これからもこの痛みを負い続け、被災された方々、復興に力を尽くす方々、そして被災した自然(海や山、生き物たち)に心を寄せていきたい。
南相馬市小高区 津波で流され土台だけとなった住居跡。 (2015年7月20日 筆者撮影)
海岸では護岸工事が行われていた。 (2015年7月20日 筆者撮影)
飯館村の除染作業現場。汚染された土壌を詰めたフルコンバッグが積まれていた。 (2015年7月20日 筆者撮影)
飯舘村役場に設置された線量計モニター。まだ放射線量は高い。
(2015年7月20日 筆者撮影)
飯館村村役場。まだ役所は再開していなかったが、作業関係者の基地となっていた。 (2015年7月20日 筆者撮影)