わけししょうロケ【愛媛】Matsuyama Ehime

日常から非日常まで、独特な人生の渡り方。不安定な安定の求め方。非正規上等、「いざ」という時のためにも。

華人街/横浜中華街 巡行2024 古(いにしえ)の残り香を探して

2024年04月21日 | 旅行

昭和のおじさん、わけししょうのノスタルジック旅。いや~、面白いとも思えない。といいながら、展開します。

 

中国武術家である、わけししょう。中国とは縁もゆかりもあります。台湾来訪はありませんが、香港を含めて大陸には数え切れないほど行ってます。すでに30年以上前からですので、文化大革命の匂いが消えて天安門事件から経済勃興の歴史を実感してきたのであります。

#松田隆智世代には、実は中国って近くて遠い国だったのです。田中角栄が日中国交を成し得ていたのですが、文化的な交流や民間レベルでの渡航も難しかったのです。

ということで、台湾や香港に伝承を求めるのが通常でした。しかし、それでもハードルが低いわけではありません。時間やコスト、言語やコネクションの問題もあります。どうしても、お客さん扱いになりがちです。

 

ということで、もう少し近しいゲータウエイはないのか? あります。それは日本の中国人街/華僑町です。そう、横浜中華街&神戸南京町です。

その歴史はペリー来航後の横浜&神戸開港に始まるのです。また、日本産の乾物が中国で珍重されているのも華僑が日中でもたらした文化です。アワビにフカヒレ、ナマコ、ホタテ、昆布などは華僑の手により広東省・香港を通して大陸に伝わったはずです。

中国の武術に触れることができるかもしれない、という望みを持った人も少なくなかったと思われます。

結果的にはほとんど成果はなかったんじゃないかなあ。

 

とはいえ、日本で中国武術の匂いを感じるお店もあったのです。

中国武術専門誌「う~しゅ」誌面でモデルもされていた社長さん。気さくなお人柄で、多くの武術愛好家が来店したでしょうねえ。年々、武術用品の種類が減っていったように記憶しています。品は香港経由のものばかりだったと思います。

 

時代は流れて、現在に至ります。大陸との交流は深まり、武術についても伝承が盛んにおこなわれるようになりました。

そして、横浜中華街は食と観光の街として今の繁栄に至ります。

 

2024年の首都圏来訪で、2日間ほど予定が空きまして。どうしようかなあ、と思案した挙句に中華街を訪れることにしました。おそらく、30年以上ぶりです。

 

 

派手な横浜媽祖廟。2006年の建立なので、わけししょうも初めて観た。

 

看板が看板を隠してしまっている、香港の風景を彷彿とさせる感じですかねえ。密集度もすごい。

 

中華街での老舗である萬珍楼。日本人の中国料理の基準かなあ。聘珍樓や重慶飯店本館はなくなったようです。店舗も入れ替わったねえ。

 

 

たぶん、誰も買わない。でも、昔の中華街はこんな空気感でした。

 

中国アニメの黎明作品のオマージュかな。日本よりも歴史は古いはず。

 

何軒かのクリニックは中日混成。ここならでは。たぶん、歴史も永いのでは。

 

金融機関もあります。中華街の経済を担ってきたんでしょうねえ。

 

 

県人会的なものでしょうか。同郷の絆が外国での困難を乗り切る原動力になるしね。

 

横浜中華学院もきれいにリニューアルされてました。その塀に飾られてた展示。孫文にゆかりがあるとのこと。

 

 

中山とは孫文のことです。でも、なんの施設は判らない。

 

かなり強引だけど、香港っぽい風景。本場はもっとどぎつい感じです。

 



てな感じで歩き回りました。何も食べることなく飲むことなく。もう、胸が躍ることもないなあ。独りだったし。

自分用のTシャツを2枚買って終了。店舗の2Fが「武器屋」となってました。Tシャツ屋のお姉さんによると、午後からの営業とのこと。今回は来訪できませんでした。

 

時代は流れるんですねえ。当たり前ですが。横浜中華街は完全に観光地と化してました。それはそれで全然いいことだと思います。相当な人/金が動いています。

もう、来ることもないだろうなあ。

 



ここから番外編。

そのまま、ねぐらの赤羽に戻る途中、さらに古の残り香を探して、新宿で下車。はっきり言って、横浜中華街で美味しいものって難しい。昔からね。

 

台南担仔麺(タイナンターミー)新宿店へ。やってましたよ。ランチタイムぎりでした。

 

円卓を相席前提で座るスタイル。他に客がいないので、相席とはなりませんでしたが。

 

牡蠣の唐揚げ。台湾って牡蠣料理多め。

 

香菜(パクチー)の肉味噌乗せ。サイコー。ビールに合います。

 

かくして担仔麺。こんな味だったっけ? たぶん変わってないんだろうけど。舌が変わったかなあ。辣椒(とうがらし)は非常に強烈。

小皿料理が中心なので、1人でも安心。何品かは食える。

 

わけししょうが渋谷道玄坂で働いてたとき、1号店があって、よく行きました。初めての本格的な中国料理だったかも。台湾人スタッフが働いていたんだけど、夜の営業が終わるとテーブルと椅子をかたずけて、南拳(南方の中国武術)を練習してたとか聞いたなあ。武術修行を始めた頃だったので、ときめいたもんです。かっこいいじゃないですか。

 

実はもう一軒、行きたいところがありまして。思い出横丁の「朝立」。

初めて来たのは、大学生のときで、武術の練習の帰りに先輩と1杯呑んで帰ろうってときの来訪でした。3000円しかないけどいいですか?って女将みに訊いたら、やさくしくカウンターの奥へ案内してくれました。ただし、出てくるものがすごかった。牛の金玉・ペニス・脳みそ・ヴァギナの刺身。薬味がネギじゃなくて刻んだニラ。自家製の腸詰、サンショウ魚の黒焼き、大将が昼間に釣ってきた鮎、同じく釣ってきたナマズの頭のスープとか。ヤツメウナギの蒲焼きとかもあったねえ。酒もすごくて、いわゆる猿酒の類いなんだけど、アロエにキンモクセイ、ハブに大ヤモリに、カマキリの卵鞘(卵が入ったあわあわのやつ)などを焼酎に漬けているんです。旨いのも不味いのもあったけどね。とにかく、わけしししょうにとって東京時代の大きな思い出です。

営業時間を確認したんだけど、開店してませんでした。ここもご縁がなかったと。

なんか、歩いてるのがインバウンドの外国人風情ばかり。両替所にずらっと並んでた。昔の労務者系はぜんぜんいなかった。これも時代だ。

 



そんな感じで1日の時間を費やしました。東京時代みたくよく歩きました。

残念ながら懐かしさは少なく、でもマアマア楽しかった。時間の隔たりを感じました。

独りでよかったと思います。誰かが昔話を聞かされるのは、うっとしいでしょうし。爺さん婆さんが孫たちに昔話をする気持ちは解ったね。

わけししょうでした。