調子こいて3カ月の間に2回も海外に行ってしまいました。たまたま休みがとれたためで、より安く行くことがミッションでありました。行き先としては、四国内高松からLCCとして就航している HONGKONG EXPRESS の利用としました。ン年前には関空からピーチで飛びましたが、移動・前泊やら大阪観光も盛り込んだため、まあまあ費用がかかりました。今回はなるべく安くというより、6月中の旅程とすることが優先されるため、年に何回かやってる片道10円セールにはのれませんでした。お一人様22900円でのフライトとなりました。それでもお安いですかね。時期的には雨期というか梅雨どきのため、最もよろしくないのではありますが、これまた致し方ありません。今回は子どもを置いて家人と2人で行くことにしました。実は2人で旅行したことがなく、とにかくあまり予定を入れずのんびりするのが目的です。
香港は和気入道的には海外旅行の原点であります。はや30年も前になりますが、中国大陸を目指すためのゲータウエイだったのです。当時は個人で中国に行くことは非常に困難でありました。中国大使館でのビザの発給には手間と時間がかかり、まず無理だったと記憶しています。そのため、いったん香港に入り、旅行社でビザを申請して行くスタイルが貧乏旅行者・バックパッカーの常識でした。そのため、中国前後には香港を通り、ビザを受け取るのに何日かかかるため滞在することになるのでした。重慶マンションという化物のような安宿の巣窟に泊まり、インド料理ファストフードを食べ、夜景を観たり買い物したり、とそれはそれは楽しい時間がありました。まだ、九龍城もありましたよ。そういうノスタルジーに浸れればいいなあ、と。
夕刻のフライトですが、早めに家を出て節約のため一般道で高松まで移動しようかな、と午前中に出発です。めちゃくちゃ時間があるにもかかわらず、川内インターからなんとなく高速道に上がる気になりまして、高松を目指します。この根拠のない決断が大きくモノをいうことになりました。
それほど急ぐこともなく走らせておりますと、ナビゲーターの画面に見たことがない表示が突然出ていました。
大至急、車を止めてください。ハイブリッドシステムの異常です!(たぶんこんな意味)
青天の霹靂とは、まさにこの状態を指すのでしょう。あせりますよねえ、なにしろ高速道路だし、これまで故障らしい故障もしたことがない優秀な愛車でしたし、どうすればいいのか。とりあえず路肩に寄せてハザード点けて止まります。エンジンを1回切って再始動。アカン、同じ表示が出る。画面にインフォメーションボタンが出てるので、タッチすると………………
販売店に連絡してください。(そんな意味)
はいはい、そりゃそうでしょう。で、後続車がビュンビュン追い抜いていく中、電話しましたよ。担当が言うには「1回、エンジンをきって、もう1回エンジンをかけてください」「さっき、やったけど同じ」「もう1回やってみてください」エンジンきってかけても変わらず「おんなじ」「………………行けることまで行ってみてください。最悪の場合、また電話してください」
最悪の場合ってなあ、死んだら電話出来へんやんかないジャン……………
高速の路肩に止まるのも初めてですが、鬼のようなスピードで追い越していくクルマを見ながら、こんな状態で外に出たら、まず死ぬだろうなあ、と。さて、どうするか。意を決して下した結論は………………………
前進あるのみ! さあ、どこまで行けるか? いざ、勝負
アクセルを踏み、どこまで進めるか判らないが、road for 香港、あきらめない。トンネルの中は路肩がないので、止まったらうまく避けてね♡ と後ろが気になるのですが、前しか視えない目玉をつけておりますので、ひたすら車を走らせます。ちょっと冷静になってみると、スピードも出るし、異音や臭い振動はありません。意外といけるかも。モーターも作動してるみたいだし。まあ、ハイブリッドなので、電気系統がぶっ飛んでも、1500ccのガソリン車なわけで。インターチェンジまでもう少し。止まんなよ!
家人にスマホで系列のディーラーを探してもらいつつ、一般道になんとか脱出。10分か15分かもっとか、えらく永く感じる時間でした。偶然にも、我が愛車「ブラックマンバ」の担当(当時)が店長をやってるディーラー新居浜店がすぐそこに。おお、めちゃくちゃラッキー、ついてる? 店内から携帯を鳴らしてみると「いま、松山です」ですと。入れ違いでしたか。手短に要件を伝え、コンピュータ診断を受けます。コーヒーなんか飲みながらまったりしています。
40分くらい時間が経過して結果が判明。バッテリーの冷却ポンプが逝かれたとのことで、致命的な故障ではないことが判明。「で、どれくらいで直ります?」「部品が夕方には入ってきます」「げ」「代車ってある?」「ありません」「げげ」「駅までおくってもらえる?」「手配します」
ということで、第2ラウンド「電車の旅」に突入です。これからは時間との戦いか、のんびりしていたのが命取りになりかねません。駅に到着し、確認する間もなく、刹那に来た特急に駆け込みます。なにしろ、予讃線は1時間に1本しか特急がありません。これを逃せば、OUTだったのであります。ほどなく高松駅に到着。さて、リムジンバスでの空港までの連絡が松山に比べるとやや心もとない感じです。結論的には just on time で、やっと落ち着くことができました。やれやれ、そういや昼ごはんも食べてなかったなあ~と、そこには。
おお~! と声が出ました。イヤー、懐かしいですねえ。遠い時代のレガシーですねえ。瀬戸大橋が架るまでは、本州と四国を結ぶのは宇高連絡船であったのです。その船内後部デッキにうどん屋があり、毎度毎度利用するのが、当時の旅の流儀でした。めちゃくちゃおいしかったわけではありませんでしたが、やっぱり食ってましたねえ。そんな話を家人にしながら、いただきます。冷やし肉は脂が固まってイマイチだったとのことですが、全然おいしくなってますよ。
高松空港では、前回の教訓から、液体等については引っかかるものは持ち込みませんでした。車もないので駐車券もお願いすることもありません。話は前後しますが、今回利用した HONGKONG EXPRESS は2日前くらいにチェックインできます。専用アプリを使います。座席も自宅にいる段階で判り、空港でバタバタしなくてすみます。
かくして香港に到着。まあ、予想外の展開で翻弄されましたが、想定外の大出費も涙モノですが、着いてしまえばコッチのもの。さあ〜、和気入道流に香港旅行です。
宿はミラドーマンションというジェニーベーカリーなるクッキーの有名店が入ってる建物にあるホテルをagodaで予約決済してました。前回の上海では2重決済臭い払いを強いられたので、事前決済物件にしました。
夕食はこちらで探そう、いや〜、重慶大厦は変わってないですねえ。南アジア系が当時より幅を利かせているような。片言の日本語ができる謎の老人がやっていた、世界的ヒマ人がたむろして世界を動かすホラ話をかましていたフルーツスタンドはなくなってました。注射器が床に転がっていたインドファストフード屋は確かココだったか? 家人はその異様な空間に圧倒されてたようですが。遅めの夕食は、和気の香港のふるさとである重慶大厦の2Fにあるインドレストランです。めんどくさいので220ドルのコースにしたら、量が多いこと多いこと。
やや薄暗い店内はインド系と欧米系の客がチラホラ。あちらの方が居流れるのはチョイスとしてハズレなし、です。
なにも言わないと、現地人の辛さで出てくるのですが、ここは日本の中辛ほどでもないような食べやすさ。子どもでもいけそう。カレーは美味かったっすよ。でも、一番なのはチャツネでした(笑)。
翌朝の、風景です。特に意味のない画像です。
さて、玉器(翡翠)市を軽く物色して、昼ごはんを探し求める歩いていると、オオ! ここは……………!
日本人一見さんは、絶対的に入らないであろう、源記海鮮飯店。ン十年振りかなあ。吸い込まれるように入って行きます。
当時はエアコンなんてかかってなかったはず。ビニールカーテン以外は変わってないなあ。ってことは、床とか掃除してるんでしょうね。これでも。
この翁、フェイマスグラウス(多分)というスコッチウイスキーをボトルで持ち込み、ボールに山盛りの氷を洗って、グラスに戻して呑んでました。渋すぎやろ。ほかの方も昼間っからアルコール全開とお見受けです。
美味そうな風景(オッサンを除く)ですねえ。和気入道としては、香港で上半身ハダカの男たちが調理してる店はハズレなしの法則あり。
我々はグラスに注ぐと、氷るくらいにギンギンに冷えたサンミゲル(生力)ビール。エロっぽいシェイプのボトル。
このために今迄生きてきた、大袈裟に言えばそんな感じ。湯気立つ、アサリ。身もでかい。
エビがぶりぶり、セロリとカシューナッツと絶妙。
これらは残骸。どんどん積み上がっていきます。揚げたての蝦蛄は東南アジア産のでかさには程遠いですが、近海物? の新鮮さがよい。
前半編はこんな流れでした。まあ、悪運が強いというか、引きが強いというか。今年のツキを全部突っ込んだ感じでした。