この時間帯にこういうハートフルなドラマをやっていてくれることが嬉しい。
私はドラマなどを見て感動した時、決まって「よかったねぇ~
」と言ってしまいます。今日は2回言ってしまいました。寝る前に心穏やかになったり、ちょっと「意味」を考えたり、私にとってこういう時間は貴重でありがたい。
そして、自然と必ず最後には自分に結び付けて考えているのです。
気になっていたこのドラマ。なかなか時間帯が合わなくてずっと見逃していましたが(その間、きんくまさんの“日々衝撃”を当てにして粗筋をチェック・オイオイ
)今日!やっと!合いました!!
そしてなんとまさしく今日は!
私のためですか?
という、まさに
神はサイコロを振らない状態(?)
教師の回なんてさー…。
うう、身に詰まされるぅ。苦しいよぉ。先生の一言ってとっても大事なんだなぁ~。かく言う自分も小学校の1・2年生のとき受け持ってくれた先生の言葉、忘れてないもんね~!うお~!!!ど・どうしよう!!
ブログでは、なんかいい先生っぽい事を書いていたりしますが、自己満足的なこともあって、そんなにいい教師だと思った事は一度だってないです。「主義や信念」のようなものはあってもそれが合わない子どもや保護者がいて当然。
私が担任であることが「苦痛」であると思っている子どもが声には出さないにしろ、そう感じている子どもがいてもおかしくないでしょう。だって人間同士なんですもん、相性というものもあります。
しかしそれが現実。だと思うんだけどなぁ。
中には全ての子どもから「先生大好き」と思ってもらいたい人もいますが(それを私たちの間では“学級王国”と言っている。決していい意味ではない)そんなことに使う体力や気力もないです。だって不自然と思うから。
自然と子どもたちが好きになっていく先生、そういうのだったら分かりますが。
さて…。10年前の仕事と今の仕事…か。…。く・苦しい(笑)
それこそ今日、10年前に教えた子どもたちが書いた「新聞」を学級の子どもたちに見せて紹介したところ。
「10年前の4年生にできて、君らにできないはずはない。(ふと)…今この子達って何してるんだろ?もう大人よねぇ」
「先生!もう20歳だよ!」
…そーなんだ!もうそれぐらいになってるんだ!年取ったよなぁ~自分…
今年教えた子どもたちには、「野球好きの変な担任」としてだけしか記憶に残らないだろうなぁ…。実際そうなんですよね…。ガクッ
反省しきりの自分です。