まず現在、国の予算の大半を占めて足を引っ張っている「社会保障費」を劇的に改善する方法を書いてみたい。
0、資本主義と個人の権利
人は生きるために食べる。そして食べるために働く。昔はこれだけで一生を終えた。動物ならばこれで十分である。しかしエサを取るのにリスクがなく、簡単に飽食出来るまで環境が整っている現代では、食べて生きているだけでは人間とは言えない。衣食住の衣と住はもとより、音楽・ゲーム・スポーツ・SNSなどのエンタテイメントが人生の目的の大半を占めるようになった。人は食べるために生きるから、遊ぶために生きるとなったのだ。これは別に悪いことじゃない。但し、お金があれば、なのである。すべては金があるか無いかに掛かっている。
現代では大抵の人が欲しい物を買うためにお金を欲しがっている。勿論、お金はあればあるほど欲しくなる。そうして経済活動に精を出した結果、寿命を全うする頃には「多かれ少なかれ」財産を残すわけである。高齢者になると物欲は減退して余り欲しい物もなくなってくるが、子供や孫には財産を残したくなるようだ(私は子供がいないので、そういう気持ちはよく分からないが)。それが「遺産」である。それ以外にも、自分のために使う金額とは別に、子供を育て・教育を受けさせ、または人に分け与えたり医療や介護に役立てたりと「贈与・寄付」行為でもお金を使っている。
最初は自分のことで頭が一杯だったのが歳を重ねるごとに恋人にもお金を使い、親孝行をして子育て・教育に使う様になり、そしてマイホームとお金は幾らでも掛かってくる。そしてようやく子供も一人前に巣立って行き、家のローンも終わってほっと一息ついた頃、少しは自由になるかと思えば次々と襲ってくる身体の不調。そう、体を蝕む病気に「医療費」が追いつかないのだ。特に高度医療費などは保険に入っていないと、情け容赦も無く「残った財産を根こそぎ」持っていかれる羽目になる。世の中上手く出来てるよねぇ。これならいっそこのまま死んで、出来るだけ遺産を残したほうが子供のためだ、と思ってしまう。これが普通の人の一生である。
つまり、お金は「需要と供給」のバランスである。明日のことを考えなければ、基本的には「供給に応じて」需要は増大する。要は、収入に応じて「いくらでも使い道は出てくる」もんなのだ。しかし突然の出来事に備えて誰でも多少の「貯蓄」はしている。日本の平均的な高齢者の貯蓄額は厚労省によると、世帯当たりで2000万円必要だそうだ。しかしこれは使う予定の金額である。中には何十億と残す人もいるはずだ。では残って相続される総金額はというと、死亡者数140万人✕平均相続額2000万円=28兆円だそうである(私は正直、もっと多いかと思っていた)。これは相続税を支払った後の金額だ。まあこれは私の想像だが相続以外にも税金があるし、贈与や寄付や投資やもろもろを足していくと、大体「50兆円くらい」は使わずに次世代に繰り越して行くんじゃないかとざっくり計算してみた。
これって毎年予算審議でもめてる「社会保障費」の金額ぐらいじゃないの?
日本の最高税率は、所得4000万円以上で45%である。この他に住民税・健康保険・車・酒・タバコ等など、何だかんだ言って国は取っていく。この遺産相続額を上手く活用すれば、我々の生活も「もっと幸せに満ち足りたもの」になるんじゃないか?。これが発送の原点である。人は死んだら土に帰る。子供の成長は老後の楽しみではあろうが、いつまでも見続けていくには人間の寿命はあまりに短い。せめて孫が成人するまではと思っている人が大半だと思うが、自分が死んだら孫たちに少しでも遺産を残してやりたい、というのが「人生最後の希望」かも知れない。他人の子より自分の子、というのが人間一般の「家族愛」であろう。これは時代が移っても「変わらない」と言われている。
自分は裕福だが他の人は貧乏で構わない、というのが「いわゆる個人主義」である。共産主義社会では、構成員は皆「財産平等」だ。一人が「すごく裕福」になるのではなく、全員が「ちょっとずつ豊かになる」のが共産主義の理想であろう。一方でアメリカは当然だが日本でも富裕層が生まれ、「格差社会」が定着してきた。お金があると比例して自由が生まれる。それに引き換え貧乏だと「悪いことしか」思いつかない。これは格差社会の生み出す「闇」である。だから、小さいうちから競争に打ち勝つように必死に努力を積み重ね、成人する頃には「明確な差」が付いている。これが学歴偏重の社会である。韓国・中国は日本よりよっぽど熾烈だそうだ。
この、「個人競争社会」とそれに備えた「英才教育」に子や孫を自分の分身とみなす「家族愛」が合わさると、現代の日本社会が出来上がるわけだ。それが格差社会を生み、必然的に社会保障費の増大を生み、予算を圧迫して更なる増税を生む「負のスパイラル」に落ちていく。すべての根本的原因は「少子化」にあるのだ。高齢者が医療の進歩でなかなか死ねなくなり、自由恋愛とかLGBTとかで新生児がなかなか増えない。結果として社会全体が「老人偏重」になっている。これが現代日本の一番の病だ。
スウェーデンでは80歳以上の高齢者には、延命するだけの治療はしないそうだ。基本的には医療費は無料みたいだが、80歳以上の治療費は「有料になる」らしい。まあこれについては、疑問があれば詳しいことは別途ネットで調べてください。私は何もスウェーデンの医療問題を取り上げているつもりは毛頭ないので、あくまで「例」として書いた。とにかく老年に入ると「癌・心筋梗塞・脳卒中・糖尿病・肺疾患・腎臓病」・・・、数え上げたら切りが無い。が、要は「何かあったら観念して死ぬ」のである。自然界の摂理に従って、身体が悪くなれば治療を受けずに死んでゆく。これはこれで素晴らしい考えだと思う。スウェーデンの人々がどのように人間の一生や家族を考えているか知らないが、どこまでも増大する医療・介護費を考えると、どこかで「もういいよ、ありがとう」という線引は、しなくてはならないだろうと私は思う。それを社会全体・民族全体で共有できれば、少子高齢化への「一つの答え」だ、と言えるだろう。スウェーデンではそれと並行して、教育の完全無料化も行っているようだ。これらすべてを賄っているのが「高額な税金」である。この「高額な」ということが足枷となって、日本で導入できないのだ(日本人はケチなのだけかも?)。良いシステムなんだけど「税率がねぇ・・」と二の足を踏んでもうかれこれ数十年。戦後の伸び盛り社会の余裕のある時に考えておかねばならなかったのだが、今になって「首筋に剣」を突きつけられているわけ。この日本社会、「絶体絶命のピンチ」を打開する秘策はないのか?
ということで、鍵は「個人主義と人生観と家族愛」の3つである。
・・・続きは来週のお楽しみ!
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