今日は懐かしの名画をDVDで観た。ジェニファー・ジョーンズとロック・ハドソンの「武器よさらば」である。原作は言わずと知れた文豪アーネスト・ヘミングウェイ。彼の作品は映画にも多くなっていて、イングリッド・バーグマンとゲーリー・クーパーの「誰が為に鐘はなる」やエヴァ・ガードナーとタイロン・パワーの「陽はまた昇る」など、往年のハリウッドスターが繰り広げるドラマの数々が、DVDで見られるのはありがたい。
この映画は、昔私が腕時計のルート販売つまりカバン営業時代に仕事をサボって観た洋画二本立てのうちの一本なのだが、もう一本は何だったのかもう記憶にない。映画館は観客もまばらであったが、映画自体の出来は素晴らしく良いものだった。随分前なので筋書きはうろ覚えだったが、ラストでジェニファー・ジョーンズが難産で死んでしまい、茫然自失したロック・ハドソンが一人フラフラと歩くシーンで終わる、という風だった。前回は筋を知らずに見たのでラストの悲しい結末に思わず涙したものだったが今回は何て事なく・・・「ではなくて」・・・、やっぱり泣いてしまったのは映画が良かったせいであろう。
大学時代はテレビでお昼の洋画劇場をやっていたし、毎日ハリウッドの名画や二流の作品を流していて、フランスやイタリアの映画もやっていた。私はベータのビデオデッキに片っ端から録画して、ちょっとしたライブラリーを溜め込んでいたものである。デボラ・カーとケーリー・グラントの「めぐりあい」、エスター・ウィリアムスとフランク・シナトラの「私を野球に連れてって」、ジュディ・ガーランドとフレッド・アステアの「イースターパレード」、キム・ノバクとジェームズ・スチュアートの「媚薬」(これはジャックレモンが弟役で出ていていい味出してたな)、とまあキリが無い。ビデオは病気をして断捨離処分してしまったが、出来ればもう一度見直して感動を味わってみたいと思っていた。
そういう気分も後押しして、久々にDVDを引っ張り出して見たわけだが、やはり昔の映画だけにモッサリしていて、今のドラマを見慣れているせいかテンポが遅く、途中は随分我慢を強いられた。しかし前線の傷病兵と看護婦の愛というありふれた情景を描くにしても表現がストレートで分かりやすく、昔の映画の良さは複雑さや屈折した心理よりも、純粋で一途な愛を「疑う事なくまっすぐに」表現していることだろう。男が陽気でスポーツマンの美男子アメリカ人とくれば、ハリウッドお得意の「ハチャメチャにモテモテの作品」となるのが決まりなのだが、この映画はヘミングウェイの文藝作品、ラスト10分で涙が止まらない。
ジェニファージョーンズは「終着駅」でも名演技を見せてくれたが、「君さりし後」「女狐」「黄昏」「慕情」と、軽い作品からなかなか重たい作品までムラなく出ている。この頃は、演技派女優として既にしっかりと実力を発揮していたのである。「慕情」の丘の上のシーンは皆さんもご記憶されていると思うが、私の会社の先輩で恋愛にはトンと縁が無い部長が香港に社員旅行に行った時の一日、例の丘に登って映画の1シーンを想像してはロマンチックな気分に浸ったという思い出話を、つい最近の出来事のように懐かしむ姿を見ては、青春は誰にでもあるんだなと感心した。ちなみにジェニファーのご主人はデビッド・O・セルズニックであるが、大いに奥さんを売り出した遣り手でもある。ま、あまり関係ないが。
この映画に限らず昔の映画の特徴と言えることだが、登場人物の心理を観客にくどくど説明的に描くことが無い。それは作り手と観る側とが登場人物については完全に理解し合っていて、そんなことを説明しなければ分かってもらえないとは考えてもいないという事である。映画の目的は「人間」を描くことではなく、誰もが知っている明るい陽気なアメリカ人の典型的人間が想像もしなかった不幸に見舞われて茫然自失するドラマ、その不幸な現実に翻弄される姿を銀幕の中に見て「その悲しみに同調して」自分も泣くのである。分からないことは無い、全て理解した上で「運命のいたずら」を受け止めざるを得ない人間の悲しさに涙するのである。映画はこうでなくっちゃ。
最近のテレビドラマは主人公の心理の内側に入り込んで、その人間像を描くことに注目しているようだが、映画の本質は素晴らしい純愛でもなければ悶々とした不倫でも無い。私たちが見たいのは本当の意味の「ドラマ」である。ドラマをきちんと描くこと・演じることで、登場人物が際立つのである。私は次はブリジット・バルドーの「裸でご免なさい」なんか見ようかと思ってるんだけど、DVD出てるかなぁ。フランソワーズ・アルヌールの「大運河」なんていうのも、悪く無いけどね。
〇
この映画は、昔私が腕時計のルート販売つまりカバン営業時代に仕事をサボって観た洋画二本立てのうちの一本なのだが、もう一本は何だったのかもう記憶にない。映画館は観客もまばらであったが、映画自体の出来は素晴らしく良いものだった。随分前なので筋書きはうろ覚えだったが、ラストでジェニファー・ジョーンズが難産で死んでしまい、茫然自失したロック・ハドソンが一人フラフラと歩くシーンで終わる、という風だった。前回は筋を知らずに見たのでラストの悲しい結末に思わず涙したものだったが今回は何て事なく・・・「ではなくて」・・・、やっぱり泣いてしまったのは映画が良かったせいであろう。
大学時代はテレビでお昼の洋画劇場をやっていたし、毎日ハリウッドの名画や二流の作品を流していて、フランスやイタリアの映画もやっていた。私はベータのビデオデッキに片っ端から録画して、ちょっとしたライブラリーを溜め込んでいたものである。デボラ・カーとケーリー・グラントの「めぐりあい」、エスター・ウィリアムスとフランク・シナトラの「私を野球に連れてって」、ジュディ・ガーランドとフレッド・アステアの「イースターパレード」、キム・ノバクとジェームズ・スチュアートの「媚薬」(これはジャックレモンが弟役で出ていていい味出してたな)、とまあキリが無い。ビデオは病気をして断捨離処分してしまったが、出来ればもう一度見直して感動を味わってみたいと思っていた。
そういう気分も後押しして、久々にDVDを引っ張り出して見たわけだが、やはり昔の映画だけにモッサリしていて、今のドラマを見慣れているせいかテンポが遅く、途中は随分我慢を強いられた。しかし前線の傷病兵と看護婦の愛というありふれた情景を描くにしても表現がストレートで分かりやすく、昔の映画の良さは複雑さや屈折した心理よりも、純粋で一途な愛を「疑う事なくまっすぐに」表現していることだろう。男が陽気でスポーツマンの美男子アメリカ人とくれば、ハリウッドお得意の「ハチャメチャにモテモテの作品」となるのが決まりなのだが、この映画はヘミングウェイの文藝作品、ラスト10分で涙が止まらない。
ジェニファージョーンズは「終着駅」でも名演技を見せてくれたが、「君さりし後」「女狐」「黄昏」「慕情」と、軽い作品からなかなか重たい作品までムラなく出ている。この頃は、演技派女優として既にしっかりと実力を発揮していたのである。「慕情」の丘の上のシーンは皆さんもご記憶されていると思うが、私の会社の先輩で恋愛にはトンと縁が無い部長が香港に社員旅行に行った時の一日、例の丘に登って映画の1シーンを想像してはロマンチックな気分に浸ったという思い出話を、つい最近の出来事のように懐かしむ姿を見ては、青春は誰にでもあるんだなと感心した。ちなみにジェニファーのご主人はデビッド・O・セルズニックであるが、大いに奥さんを売り出した遣り手でもある。ま、あまり関係ないが。
この映画に限らず昔の映画の特徴と言えることだが、登場人物の心理を観客にくどくど説明的に描くことが無い。それは作り手と観る側とが登場人物については完全に理解し合っていて、そんなことを説明しなければ分かってもらえないとは考えてもいないという事である。映画の目的は「人間」を描くことではなく、誰もが知っている明るい陽気なアメリカ人の典型的人間が想像もしなかった不幸に見舞われて茫然自失するドラマ、その不幸な現実に翻弄される姿を銀幕の中に見て「その悲しみに同調して」自分も泣くのである。分からないことは無い、全て理解した上で「運命のいたずら」を受け止めざるを得ない人間の悲しさに涙するのである。映画はこうでなくっちゃ。
最近のテレビドラマは主人公の心理の内側に入り込んで、その人間像を描くことに注目しているようだが、映画の本質は素晴らしい純愛でもなければ悶々とした不倫でも無い。私たちが見たいのは本当の意味の「ドラマ」である。ドラマをきちんと描くこと・演じることで、登場人物が際立つのである。私は次はブリジット・バルドーの「裸でご免なさい」なんか見ようかと思ってるんだけど、DVD出てるかなぁ。フランソワーズ・アルヌールの「大運河」なんていうのも、悪く無いけどね。
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