明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

読書の勧め(14)濹東綺譚、永井荷風を読む

2024-08-01 17:55:00 | 芸術・読書・外国語
ひょんな事から永井荷風の濹東綺譚を読み始め、最初に手に取ったのは今年の春先だったと思います。私は元々小説には殆ど興味が無く、それまでに読んだ小説と言えば子供の頃に家にあった日本文学全集で森鴎外の「安寿と厨子王」を読んだぐらいでしょうか。学生時代になっても小説には縁がなく、たまたま全集本で買っていた「あめりか物語・ふらんす物語」を読んだぐらいで、日本人作家には興味がありませんでした。むしろ旺盛な読書欲の対象はノンフィクション物に向かっていて、松本清張「日本の黒い霧」とか山本七平「一下級将校の見た帝国陸軍」とか、世の中の悪というものに対する義憤を燃やしていたものでした(若気の至りです)。

その中でかろうじて読んだのが海外のミステリーや刑事物で、これはわざと原書で読むことで「英語の勉強」にもなるように考えていました。一石二鳥です。何故ミステリーかと言うと筋書きが分かりやすく、使われている英語も余り微妙な描写が無くて中学英語で簡単に読める、と言うのが理由でした。読むのは安価なペーパーバック版と決めていて、大きな本屋のベストセラー棚にある物をちょっと読んでみて「これなら行けそう」と思った本を買って、3ヶ月に1冊くらいのペースで通勤の合間に読んでいました。病気をしてからは洋書を読もうとする気力が中々出なくて読んでませんが、こないだ「カササギ殺人事件」という超ベストセラーを買い込んで来て、焦らずゆるゆると読み始めています。

ところがここに来て急に荷風を読んでみようという気になりました。キッカケはテレビの番組でたまたま志賀直哉を取り上げていて彼の小説「城之崎にて」の舞台を訪ねる企画だったが、ふと「こういう作家もいいな」と思った訳です。理由は特にありません。この頃はどうも昭和ブームとか言って、古めかしい建物や情緒ある街並み、それに年代物の家具や電化製品が人気だそうです。しかし私はその昭和のど真ん中、団塊の世代ですから「昭和、昭和」と言っても何が珍しいのか、と思ってしまう口です。だから私にとってノスタルジーを覚えることと言えば、いわゆる昭和といわれている戦後の拡大成長期ではなくもっと前、名著「逝きし日の俤」に描かれているような明治末期から大正に掛けての「残照のような江戸情緒」と、それと色濃く交わっている「日本人の原風景」なのです。そしてそれを眼前に彷彿とさせてくれる作家が他ならぬ「永井荷風、志賀直哉、島崎藤村」という訳でした(一応私の好きな日本人作家の全部です。まだ全然読んでいませんが)。

この、ひっそりと独自の世界に沈潜した懐かしき日本の姿をかくも美しく儚く描ききって、その文章の中に永遠に留める事に成功した作家には、ある共通の資質があるように思います。彼らは作品の中で淡々と情景描写を続けるだけで、特に何か激しい葛藤とか人生の浮沈を描いて読む者をドラマに世界に引きずり込むような筋立てがあるようには見えませんが、静かに読み進めていると、もちろんそれは現実世界とは違う理想化されたものではあると思いますが、一瞬本の世界に入り込んで我を忘れてしまうような、まさに「小説の醍醐味ここにあり」です。珠玉の一編という言葉があるが、彼らの作品にこそ相応しいと言えるんじゃないでしょうか。

そういうことで手始めに読み始めたこの小説で初めてじっくりと味わった荷風の世界は、私にとってはとても懐かしいもののように心に染み渡って、端々に点描される江戸の名残りや以前住んでいた北千住から「白鬚橋」を渡って堀切に向かうあたりの情緒溢れる風景など、古い思い出が美しい文章の中に甦ってきて読んでいて思わず目を瞑り「昔の記憶を心の中に探る」ような、そんな時間も幾度となくあったと思います。まあ、スカイツリーなどと言う無粋な建物が出来て昔の街並みはあらかた無くなっているかも知れませんが、それでも「 地名をみて触発されるもの」はあると思うので、初冬の天気の良い頃を見計らって浅草から玉の井目指してぶらぶら散歩してみようかと計画しています。

因みに後書きの文で「幕府瓦解の際」と書かれている箇所があって、この明快至極の一文をもってしても荷風の文章の説明の潔さ・ストレートさを思って感嘆あたわざるを得ないと感じました。勿論これは何も荷風に限ったことでなくて、昭和初期ー大正ー明治と時代を遡るに従って顕著になる「昔の文語の名残り」でしょう。それが何とも直裁にして簡潔、ケレン味の無いスタイルとなって私の気持ちを高揚させ、さらには類稀なる「ノスタルジックな感傷」を呼び起こしてくれます。尚、この作品は最初脱稿した際には「玉の井双紙」という題だったそうです。しかしそれから思うところがあって。題名を「濹東綺譚」に直したというエピソードが語られています。荷風の回想だから間違い無いでしょうが、まあ濹東綺譚の方が格段に文学的であると思いました。

私はこれを読んだ後、早速柏モディのジュンク堂書店に行き、新たに「荷風随筆集(上・下)」を買って来ました。Amazon の読み放題で彼の作品は電子書籍化されており、ほぼ有名な作品は無料で読めることは知っていましたがやっぱり実際に買って本棚に置いておくのは重みがあって良いもんだなと思います。今は何でも電子書籍で充分だとは言え、本当に気に入ったものは「お金を出して買って」自分の物にしたくなる、これ人間の本能とでもいうべき所有欲のなせる技でしょうか。志賀直哉も藤村も、どれか1冊位は買っておこうかな?

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