明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

中国語の勉強(4)新しく4月から始まったNHKの中国語講座

2024-04-11 22:02:08 | 芸術・読書・外国語

NHKテレビの中国語講座はゲスト生徒が新しくなって、今度は私の好みの女優「 檀れい」が登場です(ラッキー!)。これから一年一緒に勉強しようというのだから、誰が出るのかは大変に重要ですねぇ。去年はダンサーの橘ケンチで悪くはなかったけど、まあどっちかと言うとそれほど親近感は感じなかったかも。しかし「檀れい」なら中国語の勉強も相当に身が入るってわけで、これから欠かさず放送をチェックしようという「モチベーション」が全然違う気がします。やっぱ美人は得だね〜。

番組の中身も4月だからか知らないけど今年は「初歩から」始める人向きになっているようで、私にとっては願ったり叶ったりです。始まりはまず定番の「ニーハオ」の発音からキチンと練習しようという構成は、私みたいなズブの素人の視聴者にとって大変に安心感がありますね、流石です。

一方、ラジオの方は「おとなりさんと会話しよう」がテーマということで、去年やってた宇宙船がどうたらこうたらみたいな「面白くもなんともない」ドラマを1年聞かされるよりは、普通の日常生活にシフトした会話主体のカリキュラムは大正解だと私は思います。そもそも我々はドラマなんかを楽しみたいなんて全然思ってなくて、ただ中国語を基本からキチンと学びたいだけなのである。そこんとこが分かってくれると、中国語の勉強も大いに捗るってわけ。この内容であれば、何とか1年間続けられる気がジワジワして来ました。今年こそ頑張るぞ〜!。

1週目を始めたばっかりでこんな事いうのも何なんですが、中国語ってのは発音が難しいですねぇ。まあ、音読みも訓読みもない「ただ一つの読み方」があるだけという、言語としては実にシンプル・実に単純明快です(素晴らしい!)。一つの文字に何種類も発音がある日本語とは「えらい違い」だと思いました(日本語はこの点は無茶苦茶で、むしろ「ひらがな」に漢字でルビを振るほうが良いかも、と思ってしますくらい異常です)。これは中国語のような最初っから言葉を作り上げた国と日本のように「外国から文字を導入」して自国の言葉に「無理矢理組み込んだ当て字文化の国」との、言語の完成度の差なんだなぁと思いました(割と真剣にそう思ってます)。要するに日本語の問題点は全て、その「当て字」という所にモロに出ていますねぇ(これ、マジです)。

ただ逆に言えば中国語を学ぶという点では、文字を見れば「発音は分からなくても意味」はおおよその見当が付く点は助かりますです。まあ、これは何処の言葉でも似たようなもので、基本的には何でも「慣れ」ですか。慣れてしまえば中国語でもアラビア語でも、さらに言えばアフリカのスワヒリ語だって同じようなもんじゃないでしょうか?(それにしては12年もやってるのに一向に喋れない英語教育はどうなってるのかな?、これ学校教育の大問題だと思うけど文科省に強く言いたいです。まあ、英語を大学入試問題に使った事が「一番の間違いだ」と断言出来るけどお偉いさんには分かんないだろうな・・・これ私の考えでした。)

さて今回は、ラジオで「他」という文字を「ター」と発音しているのを聞いて、案外中国語って「日本語と似てる」なぁなんて一瞬思ってしまったわけです。英語みたいに何から何まで日本語と違っている言語と比べると、当たり前だけど日本語も「漢字」を使っているので、中には発音も意味や用法も同じという単語が結構あると思っています。そう言う点では、中国語は馴染みのある言語だと言えます(これが結構安心感が出たりして)。が、似てるとは言え、所詮は全くの「別言語」です(がビィ〜ん)。この点は勘違いしやすいので十分に気を付けたいと思います。

例えば中国語の難しさを一つ挙げるなら、文字が発音記号としてじゃなく「意味」を表しているって事なんですねぇ。英語では Apple と書いても文字自体には意味はなくて、単に「発音をする」為の記号に過ぎないわけです。Map と書いて地図を意味しますが、Cap なら帽子ですし Tap は電源差込口、Lap は膝の上で、文字自体には意味がありません。「耳で聞いて」初めて意味が伝わる言語なんですね、英語は(世界の殆どの国がそういう言語を使っています)。つまり「耳語」です。

ところが中国語は発音を聞かなくても「目で見れば意味が通じる」言語です。だから日本人が全く中国語を知らなくても「筆談」で何となく通じる、というのも多分あり得るわけです。これは言うならば「眼語」ですか。日本語で言えば「ひらがな」が発音言語(耳語)で、漢字かな混じり文だをと意味言語(眼語)といったところでしょうか。普段日本人が使っている文章は漢字とかなとカナとアルファベットが混在していて、世界でもかなり複雑で独特な言語の部類に入ると思います(ひらがなだけなら普通ですけど)。

4種類の文字を自由自在に操って言葉をやりとりしてるなんて、「日本人すご〜い」・・・などと持ち上げてはいけません。カナは外国の言葉を日本人でも発音できるように分かりやすく表記した文字なのですから意味は英語(あるいはその類)です。ところが日本人の「何でも日本化する悪い癖」のお蔭で短縮したり変化させたり「やりたい放題やって」変化したお蔭で、今や海外では全く通用しない「純然たる日本語」になってしまった、という経緯があります。困ったもんです。

まあ日本語のことはちょっと置いといて、中国語は基本「新しい物」が出てきたら今までの文字を組み合わせて単語を増やすのではなく、「新しい文字」を作って対応していく傾向にある様な気がします(私の感想)。それで殆どの単語が「一文字」で出来ていて、文字の種類が何万字という数に膨れ上がったわけです(漢和辞典の厚さを見れば判ると思う)。まあこれも民族の「変な癖」ですね。何でも「1音」です。

所がこの癖のせいで同音異義語が「これまた天文学的な数」になるという弊害が出てしまいました。スマホの文字変換で試しに「シ」とか入れると「恐ろしい数」の文字が選択画面に出てきます(私でも頭がクラクラします)。第一、文字変換など使ったことが無い人(例えば英国人)には何故こんなに変換対象が多いのか理解不能でしょうねぇ。英語は発音できればそれで意味が伝わる言語なので、こんな「自国語内で文字変換が必要」というのは全く理解出来ないと思います。勿論英語や他の言語の共通の特徴として、発音できれば同時に書くことが出来ます(何て素晴らしい!)。まあ、言語としては「当たり前の機能」ですが、残念なことに日本語ではそうなってはいません(勿論中国語も)。

つまり中国語は(日本語も)発音して伝える側面と別に「目で見て内容を理解する側面」との2重の言語なんです・・・ここが問題!。

中国語も出来た最初は「発音だけ」の言葉だった筈です(文字がなかった時代)。しかし発音をそのまま記録する日本語で言うところの「ひらがな」に該当する文字は、中国語にはありません。つまり何かしら漢字を並べるしか「思っている事を表現する」ことは出来ない民族なんです、大変です(中国の小学生は、普通に文章書くのにエラい苦労するんだろうねぇ、お察しします)。

まあダラダラと中国語と日本語の「恨みつらみ」を書いてきましたが、とにかく耳で聞いて「耳語」としてまず中国語を覚えて行くのが早道なんだろな、と思ってます。だからラジオが主ですね。それでテレビは檀れいの進歩具合を眺めることで「やる気を出す」という、いわば発奮材料にしたいですね。・・・今週は2回目、もうついて行けないんだけど、どうしましょ?



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