1、視聴者の共感
CSテレ朝2の女子ゴルフの放送を聞いていて、ちょっと気になったので一言。解説の茂木宏美と戸張捷ディレクターの「しゃべり」が、我々試合を楽しもうとワクワクしている視聴者の「気分」をダダ下がりさせていたのである。専門的な解説を行うのはいいとして、もう少し「気分を盛り上げる」ようなことを言えないのかな?、と思う。我々は何も YouTube でレッスン動画を見ようというんじゃ「無い」のである。まずゲームとしての面白さ、登場する選手たちの真剣な戦いに華やかなウェア、随所に見られる彼女たちの表情や仕草、それと隠されたエピソードトーク、それらが上手く混じり合って「一つのコンテンツ」なのである。馬鹿の一つ覚えみたいに〇〇世代がどうのこうのと紹介するアナウンサーもウザったいが、いつまでも渋野日向子ばっかりを映すカメラワークも気に入らない。しかも茂木宏美の解説は参考にならない一般論ばかりで、「明日、早速やってみよう」と思うTIPSがまるで無いから面白く無い。例えば「前傾をキープして振ると真っ直ぐ飛ぶ」と解説するが、そんなことはちょっとゴルフを齧った人なら先刻承知、分かりきっていてうんざりするのだ。テレビ解説者なら「どうやったら前傾をキープ出来るか?」をサラッと言えなきゃ、わざわざ出てくる意味がない。戸張も「今ヒールに当たってましたね」と如何にも物知り顔に言っているが、どうも視聴者から見ていると「偉そうな言い方」に聞こえてしまう。これらは全て「彼等のスタンスが、我々とは全然違う」ことを意味している。彼等の解説が楽しい、という視聴者も勿論多いのだろう。テレビ局は「視聴者命」だから、そのへんは必死でリサーチを掛けているだろうと思う。が、それにしても気分が盛り下がる話が延々と続いて、つまらないこと夥しい。やはり岡本綾子のように、真面目な解説の合間に「ちょっとジョークを挟む」のが最上だと私は思う。特に声のトーンや言葉のスピードも大変重要だ。考え考え詰まりながら話す解説者は、それだけでもういらない。何より「日本語が喋れなければ、テレビに出てくるべきでは無い」と思う。最低限ストレスなく会話が成り立って、その上で、語り口の軽さが「気分を楽しくさせ」てくれる解説者がいいのだ。この理屈を日常会話の中に応用すると、なるほどと思う情報が3割、真面目な意見が3割、馬鹿なエピソードトークが2割、そして「心をときほぐす、笑えるジョークが2割」、というのがベストじゃないだろうか。こういう会話が出来ている人は、当然相手の人もなごやかになるから「また会いたく」なるのだと思う。つまり我々の人生、目指すのは会話上手である(私のブログは、それが全然できていないのだ、ああ残念の極み!)。
2、SHUREのワイヤレス
こないだSHUREのワイヤレス・アダプターRMCE−TW1を激賞したのだが、しばらく使ってみた感想は「ちょっと疑問符」がついている。同時購入のイヤホンAONIC5の良さが、ワイヤレスにすると「どうしても劣化している」ような気がしてならないのだ。それにコード部分が「太すぎて」、メガネとマスクを着用する場合、どうしても装着感が余り良くない。それにそれに、これは慣れだろうが、「耳に付けるのが大変難しく」て、サッと取り外しが出来るとは言えない面倒臭さがあるのが難点である。肝心の「音」はどうかと言うと、実は装着した初日から「それほど素晴らしい」とは感じられなくて、SHUREらしくない音だった。それで昨日出かける時に、試しに「元の通常の有線に戻し」てみたのだ。そしたら何と何と「ガラリと変わって」極上の音に聞こえてきたではないか!。これだ、これだよ!、と小躍りした。その時たまたまラジオで、プレスリーの「好きにならずにいられない」が流れてきて、よく知っているポピュラーの名曲だが、私はカラオケで歌うスタンダードと思っていて、実はそれほど「じっくりと聞き入った」記憶は無かった。それが有線のAONIC5で聞いた瞬間、「プレスリーって、こんなに歌が上手かったのか!」と感動したのである。彼の微細な歌い方の抑揚と見事なまでの声の感情表現に、あれ程の絶大な人気歌手の秘密が「歌の巧さにあった」のだな、と改めて感嘆した。つまり、同じ曲を聞いていても「イヤホンが違えば全然別の曲に聞こえる」ということを実感した瞬間である(これでようやく、8万円払った価値が実感できた、良かった!)。やはりSHUREは最高!、である。しかしワイヤレスに関しては、SHUREがどうこうではなく、まだまだ再現力のキャパが小さいと言わざるを得ないようだ。
3、吉田類の酒場放浪記
この前放送してた吉田類の酒場放浪記を録画で見たら、小田急線の「生田」をやっていた。生田は私が大分から東京に出てきて、まだ右も左も分からない時に「何故か友達と通った、英語の先生の家」がある懐かしい場所である。その家は駅から歩いて20分ぐらいの高台にあった記憶があって、当時は柿の木畠やザリガニのいる田ンボなどが点在する、典型的な農村だった。昔々昭和36年の頃、小学校5、6年生のまだ世間知らずの子供同士で、経堂からはるばる電車に乗って生田まで英語の個人レッスンに通うなんて、今にして思うと私の親も相当な教育ママだったなと驚く。まあ英語の勉強はその後の学業に殆ど役に立たなかった訳だが、テレビで見る生田の駅前の映像には、「全く往時の面影を想像できない変わりよう」で驚愕してしまった。生田は私にとっては、先生の家に行く途中の畑で「柿を盗んだり」して農家の人に追いかけられたり、ザリガニを取ろうとして泥だらけの用水路に落ちたりした「懐かしい田舎」の風景だった。それが今見ると、ビルが立ち並ぶお洒落な東京近郊のベッドタウンに変貌しているではないか。「ありゃあ、生田ってこんなじゃなかったんだけどなぁ・・・」。私も随分長く生きたものである。ちなみにその友達は、その後エレキバンドを組むことになったIK氏である。IK氏、覚えているかなぁ。・・・懐かしい昭和の思い出である。
CSテレ朝2の女子ゴルフの放送を聞いていて、ちょっと気になったので一言。解説の茂木宏美と戸張捷ディレクターの「しゃべり」が、我々試合を楽しもうとワクワクしている視聴者の「気分」をダダ下がりさせていたのである。専門的な解説を行うのはいいとして、もう少し「気分を盛り上げる」ようなことを言えないのかな?、と思う。我々は何も YouTube でレッスン動画を見ようというんじゃ「無い」のである。まずゲームとしての面白さ、登場する選手たちの真剣な戦いに華やかなウェア、随所に見られる彼女たちの表情や仕草、それと隠されたエピソードトーク、それらが上手く混じり合って「一つのコンテンツ」なのである。馬鹿の一つ覚えみたいに〇〇世代がどうのこうのと紹介するアナウンサーもウザったいが、いつまでも渋野日向子ばっかりを映すカメラワークも気に入らない。しかも茂木宏美の解説は参考にならない一般論ばかりで、「明日、早速やってみよう」と思うTIPSがまるで無いから面白く無い。例えば「前傾をキープして振ると真っ直ぐ飛ぶ」と解説するが、そんなことはちょっとゴルフを齧った人なら先刻承知、分かりきっていてうんざりするのだ。テレビ解説者なら「どうやったら前傾をキープ出来るか?」をサラッと言えなきゃ、わざわざ出てくる意味がない。戸張も「今ヒールに当たってましたね」と如何にも物知り顔に言っているが、どうも視聴者から見ていると「偉そうな言い方」に聞こえてしまう。これらは全て「彼等のスタンスが、我々とは全然違う」ことを意味している。彼等の解説が楽しい、という視聴者も勿論多いのだろう。テレビ局は「視聴者命」だから、そのへんは必死でリサーチを掛けているだろうと思う。が、それにしても気分が盛り下がる話が延々と続いて、つまらないこと夥しい。やはり岡本綾子のように、真面目な解説の合間に「ちょっとジョークを挟む」のが最上だと私は思う。特に声のトーンや言葉のスピードも大変重要だ。考え考え詰まりながら話す解説者は、それだけでもういらない。何より「日本語が喋れなければ、テレビに出てくるべきでは無い」と思う。最低限ストレスなく会話が成り立って、その上で、語り口の軽さが「気分を楽しくさせ」てくれる解説者がいいのだ。この理屈を日常会話の中に応用すると、なるほどと思う情報が3割、真面目な意見が3割、馬鹿なエピソードトークが2割、そして「心をときほぐす、笑えるジョークが2割」、というのがベストじゃないだろうか。こういう会話が出来ている人は、当然相手の人もなごやかになるから「また会いたく」なるのだと思う。つまり我々の人生、目指すのは会話上手である(私のブログは、それが全然できていないのだ、ああ残念の極み!)。
2、SHUREのワイヤレス
こないだSHUREのワイヤレス・アダプターRMCE−TW1を激賞したのだが、しばらく使ってみた感想は「ちょっと疑問符」がついている。同時購入のイヤホンAONIC5の良さが、ワイヤレスにすると「どうしても劣化している」ような気がしてならないのだ。それにコード部分が「太すぎて」、メガネとマスクを着用する場合、どうしても装着感が余り良くない。それにそれに、これは慣れだろうが、「耳に付けるのが大変難しく」て、サッと取り外しが出来るとは言えない面倒臭さがあるのが難点である。肝心の「音」はどうかと言うと、実は装着した初日から「それほど素晴らしい」とは感じられなくて、SHUREらしくない音だった。それで昨日出かける時に、試しに「元の通常の有線に戻し」てみたのだ。そしたら何と何と「ガラリと変わって」極上の音に聞こえてきたではないか!。これだ、これだよ!、と小躍りした。その時たまたまラジオで、プレスリーの「好きにならずにいられない」が流れてきて、よく知っているポピュラーの名曲だが、私はカラオケで歌うスタンダードと思っていて、実はそれほど「じっくりと聞き入った」記憶は無かった。それが有線のAONIC5で聞いた瞬間、「プレスリーって、こんなに歌が上手かったのか!」と感動したのである。彼の微細な歌い方の抑揚と見事なまでの声の感情表現に、あれ程の絶大な人気歌手の秘密が「歌の巧さにあった」のだな、と改めて感嘆した。つまり、同じ曲を聞いていても「イヤホンが違えば全然別の曲に聞こえる」ということを実感した瞬間である(これでようやく、8万円払った価値が実感できた、良かった!)。やはりSHUREは最高!、である。しかしワイヤレスに関しては、SHUREがどうこうではなく、まだまだ再現力のキャパが小さいと言わざるを得ないようだ。
3、吉田類の酒場放浪記
この前放送してた吉田類の酒場放浪記を録画で見たら、小田急線の「生田」をやっていた。生田は私が大分から東京に出てきて、まだ右も左も分からない時に「何故か友達と通った、英語の先生の家」がある懐かしい場所である。その家は駅から歩いて20分ぐらいの高台にあった記憶があって、当時は柿の木畠やザリガニのいる田ンボなどが点在する、典型的な農村だった。昔々昭和36年の頃、小学校5、6年生のまだ世間知らずの子供同士で、経堂からはるばる電車に乗って生田まで英語の個人レッスンに通うなんて、今にして思うと私の親も相当な教育ママだったなと驚く。まあ英語の勉強はその後の学業に殆ど役に立たなかった訳だが、テレビで見る生田の駅前の映像には、「全く往時の面影を想像できない変わりよう」で驚愕してしまった。生田は私にとっては、先生の家に行く途中の畑で「柿を盗んだり」して農家の人に追いかけられたり、ザリガニを取ろうとして泥だらけの用水路に落ちたりした「懐かしい田舎」の風景だった。それが今見ると、ビルが立ち並ぶお洒落な東京近郊のベッドタウンに変貌しているではないか。「ありゃあ、生田ってこんなじゃなかったんだけどなぁ・・・」。私も随分長く生きたものである。ちなみにその友達は、その後エレキバンドを組むことになったIK氏である。IK氏、覚えているかなぁ。・・・懐かしい昭和の思い出である。
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