またも狂った愛憎のもつれが悲劇を呼んでしまった。とにかく男女のこじれた関係から飛躍して犯罪に至るプロセスを途中で止めるには、どっちかと言うと警察より「心理カウンセラー」が介入して処理するべきだと私は思う。犯人は家から刃物を持ち出した時点で、既に「常識が通用しない世界」に入り込んでいるのだ。彼には自分の考え出した解決方法、つまり「相手を殺すこと」が今抱えている苦しみから解放してくれる「最適な答え」である思い込んで、ひたすら「計画を実行する」ことのみに頭がいっている状態ではないだろうか。そんな「狂った状態」の人間には、他人があれこれ言っても全く無駄である。刃物を持ち出すような状態から本人が「ハッと我に帰る」ので無ければ、例え行動を止めさせ注意したとしても「また同じことを繰り返す」に違いない。それは解決方法が同じで「ちっとも変わっていない」からである。
要するに、一度狂ってしまった人間(=他者への「異常な執着心」に取り憑かれた状態)の病んだ心を「狂気から平常に」戻すためには、説得ではなく「自分で考える」時間と静かな環境が必要なのだ。
今回のような殺人事件と言う痛ましい結末に至る前に何とか本人を「国の医療チーム」が事前拘束・確保し、心理カウンセラー同席の下で「心理状態回復プログラム」を行う、というのが私の提案である。これには両親・学校の先生・会社の上司や同僚・友達など、本人を物心両面から今後とも支えて貰えるような人々にも「プログラムに参加」してもらい、これは「誰もがかかる病気」だとしっかり「本人に分からせて」治療することが大事である。悪い事をしたのではなく、「悪い病気にかかってしまった」との理解だ。例えるなら「重度の腎臓病」みたいな結構な病気である。治る為には本人が自分の出した解決方法は決して最善のものでは無く、「むしろ最悪な結末」をもたらすものでしか無かった、という事実に「ハタと気が付く」ことが必要である。その為に長期間のリハビリと辛抱強いサポートが不可欠なのだ。
そうは言っても、この程度の罪(事件を起こすかも?という恐れの段階)で長期間刑務所に入れるのは法的に問題があるし、周りのサポートといってもそれらの人にも自分の生活がある。更には、社会生活を送りながら「定期的にカウンセラーに通う」と言っても、その間にまた「自分の考え」が頭をもたげて来て、今回のように「相手を襲って」刺したりしないとも限らない。じゃあどうする?、どうする家康?(ちょっとフザケ過ぎたかも・・・)。そこで出した私の提案は、
「お寺に預ける」である。
僧侶の指導の下で「厳しい戒律」と規則正しい生活環境に自分を置き、粗食で欲望を抑え早寝早起きでリズムを正しくする。そして、ひたすら「自分の心を澄ませる」ことに集中し、修行・鍛錬すれば必ずや「真人間」になって、実社会に戻って来れるものと私は確信している。・・・何より過ちを悔いて正しい人間に生まれ変わる事、それが「宗教の望むところ」だと私は思っているのだ。そういうことであれば「両手を挙げて大賛成する」というお寺は、相当数あるんじゃないだろうか?。一遍アンケートでも取ってみたらいいと思う。
問題あるストーカーを隔離してついでに「お寺の社会参加と活用」を目指すアイディアである。一石二鳥のこの素晴らしい提案、早速やって見たらどうでしょうか?、世間の役に立つこと請け合いだと私は思います。まあ、岸田首相はこんなこと「絶対思いつかない」だろうけど、ね?
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