能年玲奈がレプロとの契約問題で未だにもめているという。そうこうしている間に能年玲奈の才能が失われてゆくのは如何なものか。先ほどSMAPのジャニーズ退団問題でも、芸能事務所がどれ程影響力があるか如実に表れて驚愕した。芸能事務所ってそんなに力があるというのが驚きである。あのSMAPですらジャニーズの前には従順にならざるをえないのであるから、能年玲奈などは推して知るべし。もとより、デビューから売れ出すまでのプロモーションには芸能事務所の力が大きく左右しているのは間違いないのだから、売れたからといって好きなようにやらせろというスターの側の勝手な振る舞いもどうかと思うが、この問題は日本の芸能界のあり方が問題の根源にあると私は思う。これは何も芸能人に限らず一般のサラリーマンにも当てはまることだから、「自分の生き方と背負っている会社・組織の間にある問題」と捉えることには意味があると思う。
1 デビュー前はこれと言った自分があるわけでもなく、どこでも良いから早く芸能界に入りたい。
一般のサラリーマンで言えば社会人になって何をやりたいとか将来の自分というものが見えてない状況で、それなりの年齢になったから独り立ちしなきゃという程度の中途半端な考えで就職活動して入社した(かく言う私もその一人であるが)人々、実は社会人としての自覚すら無い見習いである。このような見習い期間を22歳という大人の年齢で経験すること自体が無理がある。私の経験から言えば中学でたら「社会人見習い」として働く練習をし、6年間は研修期間をとってそれからいっぱしの社会人デビューするというのが理想的だ。所詮高等学校や大学で学んだことは、大概社会に出るとすっかり忘れて役に立ってないのだから、必要なら会社で研修中に覚えれば、いまの教育より余程身につくことは私が約束する。だいたい勉強とは目的があって初めて役に立つのであって、無目的で基礎学力を高めるだけのトレーニングなどスポーツ選手を見れば無駄だということが一発でわかりそうなものだが。もし本当に学問に打ち込みたいというのなら、研修を切り上げて学問の道に戻れば良い。それが本当の自分の将来を自分で決めるという事である。やっても見ないで自分の職業を決める今のシステムの方が、余程子供達には大変な選択を強いている。ちなみに研修を途中で辞めた場合、学問も途中でやめてもう一度社会人に戻るという手もあるが、その場合は研修を最初っからやり直さなければならないので、メリットより損する方が多い。参考までに言っておく。
2 入ったら周りの先輩達と仲良くして、早く有名になって一流芸能人の仲間入りしたいから文句も言わず頑張る
つまり自分の人格や思考はひとまず置いといて、言われた通りのレールを走らされるわけだ。多くの芸能人が何をやってもダメな社会人落ちこぼれだったという話は、昔の大スターに良くある波乱万丈物語である。今の若い子がグループデビューして同年代のアイドルからスタートするのは理由がある。売れるパターンが先にあり、それに合わせて新人を発掘するという芸能事務所の思惑とファン層の嗜好がピタリと合ってジャニーズのような売り出し方が効果を上げているのである。少年隊からSMAPやTOKIOそしてV6から嵐と来ていやはや続々と綿々と連なるグループシリーズである。これだけ型にはめられると、いくら個性的と言っても「グループの中の個性」でしか無い。独り立ちしたくなるのも無理は無いが、だからと言って一人でやっていけるかというとそれも難しいのである。所詮はグループ、AKBから卒業してみんな苦労しているのは当然で、一人でやるのは東山紀之くらいになって初めて通用する(私の個人的好みである)と思う。事務所もやる気が無いのは、個人個人の魅力が無いからに過ぎない。
3 一流になったら段々と自分の好き嫌いや好みが強くなり、やりたく無い役は蹴っ飛ばし、好きな役ばかり選ぶようになって事務所と意見が食い違ってくる
一体に、芸能人として売れに売れている時に起きやすいが、売れているのは自分の力であると本人が勘違いしている例がほとんどであるという。主に若い頃スカウトされて事務所の引いたレールを一直線に走って来たアイドルほど、この一種甘美な勘違いに走るという。昔SMAPにいてオートレースに転身した森且行が思い出されるが、彼はオートレース界で活躍し、年収も◯千万稼ぐ一流選手になっているらしい。ビートルズの元ドラマーは辞めた後どうなっているか知らないが、全く違う世界というのが良かったんじゃ無いかな。一般のサラリーマンでも辞めた後は同じ業界とは限らないが、概して同業他社よりは全然別の業界の方が案外うまくいくような気がする。まあ、それも辞める理由によるけど。要は自分の能力をどこまで正確に捉えるかでは無いだろうか。その能力を正しく評価してくれれば事務所とも上手くやれるし、プロモーションの力ばっかり持ち上げて個人の能力を正当に評価してくれないのであれば、辞めようという気がどんどん膨らんできて我慢も限界に来るかもしれない。何れにしても、我慢はストレスのもと。ストレスって、人生の最大の難問である。それがちょっとした考え方の違いだけだったりするからややこしい。ストレスの中で人間関係が一番難しいという人がいるが、私は幸運にも人に頼らないで生きる道を選んだせいか余り人間関係に悩んだ事は無い。だがもちろん、意外にこういう人こそ友人の有り難みに感動し「やはり持つべきは友達だ」なんて涙を流す事があるから不思議である。
4 自分の生き方や芸術的方向性と事務所の考え方が相容れなくなり、力関係が強ければ独立するし弱ければ事務所の言いなりになってストレスがたまり酒や女に走ったりする
自暴自棄というのは精神障害いわゆる「脳の機能の偏り」だという。というか精神障害に限らず偏執的な感情や躁鬱の入り混じったコントロール不能の思考は全て、脳内の物質が偏ったりすることから起きるという。治すには理屈を展開するより薬を飲んだりするのが一番いいらしい。人間はロボットとどこが違うかというと、今の段階ではロボットは予測通りの行動をするが人間は予測不可能だということ「だけ」らしい。要は本質的な違いは無いという事だ。人間の思考の過程を全てロジックで解明すれば、同じ結果に至るのは当たり前。プログラムで選択しようと高邁な理論から導き出そうと、やる事に変わりがなければ誰もその裏に潜んでいる人間性などに想いを馳せる酔狂人はいない。しかも結論に至った考えが全く一致しているのなら「君は僕と考えが同じだ!」などと喜んで友情を結ぶ事も充分あり得る。と同時に、考えが違うロボットも作れるので「君は間違っている!話にならない!」などと怒らせる事も自由自在になるのだ。将来自分の周りにいる人間の実は半分以上がロボットという時代がやってくるかも知れない。勿論そんな事は秘密にされているから分からないが、その時「民主主義」何て言うのはどうなっちゃうのかな。選挙で当選する人は、ロボットの選ぶ人だったりして。ま、人間であるからって、思考がロボットのように他人のプログラムによって動かされ、マスコミの勝手な恣意的報道に左右されて誘導される時代は「ロボットと同じ」とも言えるけど。芸能人や有名人に麻薬が蔓延し一般市民にも危険ドラッグがジワジワと浸透している現状は、幸せというものが分からなくなってきたという事のようでもあるが一面は、感情は薬でどうにでもなることを端なくも証明していると思う。まあいいけど。
5 ある日突然ブチ切れて大喧嘩のあげく、グループなら脱退、一人なら契約破棄・逃亡・引退。それまで溜まりに溜まった我慢の限界がそのような事件を引き起こす。しかしソフトな交渉の末に円満な契約終了という話はあまり聞かないから、芸能事務所との契約問題というのは極論すれば日本の場合は「擬似親子関係のもつれ」という変則に、そもそも根本の問題があるように思う。
ようやく結論めいたことを書ける段階に来たが、やはりアメリカのように「代理人システム」がいいんじゃ無いかと考えた。芸能人になるには「研修学校」に所属して勉強と子役や端役をこなしつつ芸能界のあり方を知り、人気より「実力」を大切にする事を覚え、社会人としても立派な大人になるチャンスを逃さないようにする事である。テレビの「しくじり先生」を見れば、どれほど売れっ子が稼いでいるかがわかって為になる。ビジネスなのだ。アメリカの有名俳優などは、1作品50億円などという巨額の出演料を貰うというが、これなどは代理人制度が生み出した悪弊と言える。しかし代理人制度は「俳優組合」があっての制度だから、俳優は全て組合という組織に属し、俳優の基本的権利を守ってくれる団体があってこその自由であるから、普通の俳優には有難い組織である。MLBにも選手組合があって、傷病対策や失業保険・年金制度などが日本などよりたいそう優遇されているという。いい事があれば悪いことも同時にあるのが世の常だから何とも言えないが、考えてもいいような気もする。
日本の芸能界は「芸能プロダクションが、昔の人足屋」みたいな形で力を持っており、有名スターを多く抱えるプロダクションは「うるさいくらいにゴリ押し」してくるという。結局視聴者や観客が「実力のあるなしに関係なく、出てくるだけでキャーキャー言う」のだからそうなるのであり、媒体側が作りたいものを作る事から始めなければ何も始まらないとも言える。そこで問題となるのがスポンサーである。
我々はテレビを「番組で」見ていると思っているが、実は「コマーシャルとコマーシャルの合間」に番組があるというのが正解なのである。興行と言われる映画・コンサート・舞台・スポーツ・展覧会などとテレビは全然違う。開催目的が最初っから違うのである。視聴率第一主義からいつまでたっても脱出できないのがその証拠、テレビ局はもう「何をどう放送するか」というより「とにかくチャンネルを合わせてくれれば内容など知ったこっちゃ無い」のである。そうなれば各局同じようなスタイルの番組が並ぶのも当たり前で、どのチャンネルを合わせても「舛添会見だとか参院選勝敗予測」がずらりと並ぶ事になる。私は柏に引っ越してからCSを契約し、録画を活用しながら見たい番組を厳選しているつもりである。結果は視聴率のランキングに全く関係の無い番組が、録画リストに並ぶ事になった。選択肢が増えれば当然の成り行きである。NHKの視聴料を受信設備に関係なく取ろうなんて悪徳最低不健全な安倍政権の謀略は断固反対、とんでもない!取れるところから全部取ろうとする弱者いじめには、腹がたつのを通り越して「いっぺん火ぃつけたろか」ぐらいに、はらわたが煮えくり返った。こんな党に投票する日本人というのは、どうしようも無いくらいの馬鹿揃いである。
話の筋が横道に逸れたので元に戻すと、小学校の発表会レベルのAKBや嵐は今のままで構わないが、大人が見て楽しめる番組を作れる能力のあるプロデューサーが実力を発揮できるような「作品作り」をやれる環境こそ、是非後押しして欲しいものである。そしてそれは、実際に劇場やコンサートホールへ足を運ぶ事で実現される。そうすればNHKなんてくだらん放送局は雲散霧消して、ネットの藻屑と消え去ること請け合いであろう。CSもいずれネットのユーチューブのようにオンデマンドになって、テレビ自体が過去の遺産になる日も近い。テレビの人気者も近いうちに失業するような気がするから、稼ぐのは今のうちである。芸能プロダクションが「育ててやった」などと、たいそうな事を言える時代もそう長くは無い。観客が本当の実力を見極める目を養えるかどうか、日本人の「芸を楽しむ力」が問われているのである。そういえば昔は、踊りや歌舞伎や浮世絵など人気実力を競った時代があった。もっと昔で言えば、和歌や笛琴・焼物などに多くの名人を輩出した日本人である。これからの大スターが生まれるのは、きっとネットの中だろう。果たして誰が次代のスティーブ・ジョブスになるのか、お楽しみ。
1 デビュー前はこれと言った自分があるわけでもなく、どこでも良いから早く芸能界に入りたい。
一般のサラリーマンで言えば社会人になって何をやりたいとか将来の自分というものが見えてない状況で、それなりの年齢になったから独り立ちしなきゃという程度の中途半端な考えで就職活動して入社した(かく言う私もその一人であるが)人々、実は社会人としての自覚すら無い見習いである。このような見習い期間を22歳という大人の年齢で経験すること自体が無理がある。私の経験から言えば中学でたら「社会人見習い」として働く練習をし、6年間は研修期間をとってそれからいっぱしの社会人デビューするというのが理想的だ。所詮高等学校や大学で学んだことは、大概社会に出るとすっかり忘れて役に立ってないのだから、必要なら会社で研修中に覚えれば、いまの教育より余程身につくことは私が約束する。だいたい勉強とは目的があって初めて役に立つのであって、無目的で基礎学力を高めるだけのトレーニングなどスポーツ選手を見れば無駄だということが一発でわかりそうなものだが。もし本当に学問に打ち込みたいというのなら、研修を切り上げて学問の道に戻れば良い。それが本当の自分の将来を自分で決めるという事である。やっても見ないで自分の職業を決める今のシステムの方が、余程子供達には大変な選択を強いている。ちなみに研修を途中で辞めた場合、学問も途中でやめてもう一度社会人に戻るという手もあるが、その場合は研修を最初っからやり直さなければならないので、メリットより損する方が多い。参考までに言っておく。
2 入ったら周りの先輩達と仲良くして、早く有名になって一流芸能人の仲間入りしたいから文句も言わず頑張る
つまり自分の人格や思考はひとまず置いといて、言われた通りのレールを走らされるわけだ。多くの芸能人が何をやってもダメな社会人落ちこぼれだったという話は、昔の大スターに良くある波乱万丈物語である。今の若い子がグループデビューして同年代のアイドルからスタートするのは理由がある。売れるパターンが先にあり、それに合わせて新人を発掘するという芸能事務所の思惑とファン層の嗜好がピタリと合ってジャニーズのような売り出し方が効果を上げているのである。少年隊からSMAPやTOKIOそしてV6から嵐と来ていやはや続々と綿々と連なるグループシリーズである。これだけ型にはめられると、いくら個性的と言っても「グループの中の個性」でしか無い。独り立ちしたくなるのも無理は無いが、だからと言って一人でやっていけるかというとそれも難しいのである。所詮はグループ、AKBから卒業してみんな苦労しているのは当然で、一人でやるのは東山紀之くらいになって初めて通用する(私の個人的好みである)と思う。事務所もやる気が無いのは、個人個人の魅力が無いからに過ぎない。
3 一流になったら段々と自分の好き嫌いや好みが強くなり、やりたく無い役は蹴っ飛ばし、好きな役ばかり選ぶようになって事務所と意見が食い違ってくる
一体に、芸能人として売れに売れている時に起きやすいが、売れているのは自分の力であると本人が勘違いしている例がほとんどであるという。主に若い頃スカウトされて事務所の引いたレールを一直線に走って来たアイドルほど、この一種甘美な勘違いに走るという。昔SMAPにいてオートレースに転身した森且行が思い出されるが、彼はオートレース界で活躍し、年収も◯千万稼ぐ一流選手になっているらしい。ビートルズの元ドラマーは辞めた後どうなっているか知らないが、全く違う世界というのが良かったんじゃ無いかな。一般のサラリーマンでも辞めた後は同じ業界とは限らないが、概して同業他社よりは全然別の業界の方が案外うまくいくような気がする。まあ、それも辞める理由によるけど。要は自分の能力をどこまで正確に捉えるかでは無いだろうか。その能力を正しく評価してくれれば事務所とも上手くやれるし、プロモーションの力ばっかり持ち上げて個人の能力を正当に評価してくれないのであれば、辞めようという気がどんどん膨らんできて我慢も限界に来るかもしれない。何れにしても、我慢はストレスのもと。ストレスって、人生の最大の難問である。それがちょっとした考え方の違いだけだったりするからややこしい。ストレスの中で人間関係が一番難しいという人がいるが、私は幸運にも人に頼らないで生きる道を選んだせいか余り人間関係に悩んだ事は無い。だがもちろん、意外にこういう人こそ友人の有り難みに感動し「やはり持つべきは友達だ」なんて涙を流す事があるから不思議である。
4 自分の生き方や芸術的方向性と事務所の考え方が相容れなくなり、力関係が強ければ独立するし弱ければ事務所の言いなりになってストレスがたまり酒や女に走ったりする
自暴自棄というのは精神障害いわゆる「脳の機能の偏り」だという。というか精神障害に限らず偏執的な感情や躁鬱の入り混じったコントロール不能の思考は全て、脳内の物質が偏ったりすることから起きるという。治すには理屈を展開するより薬を飲んだりするのが一番いいらしい。人間はロボットとどこが違うかというと、今の段階ではロボットは予測通りの行動をするが人間は予測不可能だということ「だけ」らしい。要は本質的な違いは無いという事だ。人間の思考の過程を全てロジックで解明すれば、同じ結果に至るのは当たり前。プログラムで選択しようと高邁な理論から導き出そうと、やる事に変わりがなければ誰もその裏に潜んでいる人間性などに想いを馳せる酔狂人はいない。しかも結論に至った考えが全く一致しているのなら「君は僕と考えが同じだ!」などと喜んで友情を結ぶ事も充分あり得る。と同時に、考えが違うロボットも作れるので「君は間違っている!話にならない!」などと怒らせる事も自由自在になるのだ。将来自分の周りにいる人間の実は半分以上がロボットという時代がやってくるかも知れない。勿論そんな事は秘密にされているから分からないが、その時「民主主義」何て言うのはどうなっちゃうのかな。選挙で当選する人は、ロボットの選ぶ人だったりして。ま、人間であるからって、思考がロボットのように他人のプログラムによって動かされ、マスコミの勝手な恣意的報道に左右されて誘導される時代は「ロボットと同じ」とも言えるけど。芸能人や有名人に麻薬が蔓延し一般市民にも危険ドラッグがジワジワと浸透している現状は、幸せというものが分からなくなってきたという事のようでもあるが一面は、感情は薬でどうにでもなることを端なくも証明していると思う。まあいいけど。
5 ある日突然ブチ切れて大喧嘩のあげく、グループなら脱退、一人なら契約破棄・逃亡・引退。それまで溜まりに溜まった我慢の限界がそのような事件を引き起こす。しかしソフトな交渉の末に円満な契約終了という話はあまり聞かないから、芸能事務所との契約問題というのは極論すれば日本の場合は「擬似親子関係のもつれ」という変則に、そもそも根本の問題があるように思う。
ようやく結論めいたことを書ける段階に来たが、やはりアメリカのように「代理人システム」がいいんじゃ無いかと考えた。芸能人になるには「研修学校」に所属して勉強と子役や端役をこなしつつ芸能界のあり方を知り、人気より「実力」を大切にする事を覚え、社会人としても立派な大人になるチャンスを逃さないようにする事である。テレビの「しくじり先生」を見れば、どれほど売れっ子が稼いでいるかがわかって為になる。ビジネスなのだ。アメリカの有名俳優などは、1作品50億円などという巨額の出演料を貰うというが、これなどは代理人制度が生み出した悪弊と言える。しかし代理人制度は「俳優組合」があっての制度だから、俳優は全て組合という組織に属し、俳優の基本的権利を守ってくれる団体があってこその自由であるから、普通の俳優には有難い組織である。MLBにも選手組合があって、傷病対策や失業保険・年金制度などが日本などよりたいそう優遇されているという。いい事があれば悪いことも同時にあるのが世の常だから何とも言えないが、考えてもいいような気もする。
日本の芸能界は「芸能プロダクションが、昔の人足屋」みたいな形で力を持っており、有名スターを多く抱えるプロダクションは「うるさいくらいにゴリ押し」してくるという。結局視聴者や観客が「実力のあるなしに関係なく、出てくるだけでキャーキャー言う」のだからそうなるのであり、媒体側が作りたいものを作る事から始めなければ何も始まらないとも言える。そこで問題となるのがスポンサーである。
我々はテレビを「番組で」見ていると思っているが、実は「コマーシャルとコマーシャルの合間」に番組があるというのが正解なのである。興行と言われる映画・コンサート・舞台・スポーツ・展覧会などとテレビは全然違う。開催目的が最初っから違うのである。視聴率第一主義からいつまでたっても脱出できないのがその証拠、テレビ局はもう「何をどう放送するか」というより「とにかくチャンネルを合わせてくれれば内容など知ったこっちゃ無い」のである。そうなれば各局同じようなスタイルの番組が並ぶのも当たり前で、どのチャンネルを合わせても「舛添会見だとか参院選勝敗予測」がずらりと並ぶ事になる。私は柏に引っ越してからCSを契約し、録画を活用しながら見たい番組を厳選しているつもりである。結果は視聴率のランキングに全く関係の無い番組が、録画リストに並ぶ事になった。選択肢が増えれば当然の成り行きである。NHKの視聴料を受信設備に関係なく取ろうなんて悪徳最低不健全な安倍政権の謀略は断固反対、とんでもない!取れるところから全部取ろうとする弱者いじめには、腹がたつのを通り越して「いっぺん火ぃつけたろか」ぐらいに、はらわたが煮えくり返った。こんな党に投票する日本人というのは、どうしようも無いくらいの馬鹿揃いである。
話の筋が横道に逸れたので元に戻すと、小学校の発表会レベルのAKBや嵐は今のままで構わないが、大人が見て楽しめる番組を作れる能力のあるプロデューサーが実力を発揮できるような「作品作り」をやれる環境こそ、是非後押しして欲しいものである。そしてそれは、実際に劇場やコンサートホールへ足を運ぶ事で実現される。そうすればNHKなんてくだらん放送局は雲散霧消して、ネットの藻屑と消え去ること請け合いであろう。CSもいずれネットのユーチューブのようにオンデマンドになって、テレビ自体が過去の遺産になる日も近い。テレビの人気者も近いうちに失業するような気がするから、稼ぐのは今のうちである。芸能プロダクションが「育ててやった」などと、たいそうな事を言える時代もそう長くは無い。観客が本当の実力を見極める目を養えるかどうか、日本人の「芸を楽しむ力」が問われているのである。そういえば昔は、踊りや歌舞伎や浮世絵など人気実力を競った時代があった。もっと昔で言えば、和歌や笛琴・焼物などに多くの名人を輩出した日本人である。これからの大スターが生まれるのは、きっとネットの中だろう。果たして誰が次代のスティーブ・ジョブスになるのか、お楽しみ。
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