明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

日大アメフト部の対応について

2018-05-19 15:00:00 | スポーツ・ゴルフ
日大アメフト部選手のラフプレーでニュースも取り上られているが、日本人の受け取り方には非常に「疑問・違和感」を覚えた。日本人は何かと「本人の意図」を重要視して、どういうつもりでやったのか?というのを事故が起きた時に最初に確認するが、これは事故そのものの「事実を見る」ことから「本人の心の問題」にすり替えてしまい、物事をうやむやにしてしまう悪弊である。日大のやったことは明らかで、ある意味ではゲームの名を借りた犯罪である。日大アメフト監督の内田は傷害教唆・犯行を行った選手は傷害でそれぞれ起訴、というのが適当であると考える。だが日本人の特徴として、真相究明といいながら「本人が自白して罪を認める」ことを期待しているのである。日本人は「自白を求めている」のだ。自白偏重の違法性が叫ばれて久しいが、いつまで経っても自白を求める国民性が「問題を歪めている」としか思えない。

事件の推移は概ね次の通りだ

1 QBが投げ終わってタックルした選手もそれを認識した段階で「レイトタックル」になるのがアメフトのルールである。だからタックルした側が「いつボールを投げたと認識したか」が大事なポイントで、投げ終わる前にタックル行為に入っていれば正当なアクションとして認められる。それでもその時に姿勢であるとかタックルする身体の部位とかによって、「ケガをさせるためのタックルかどうか」は判断されるし、選手も区別はついている筈である。NBAでのクワイ・レナードを怪我させたパチューカの例が「意図的に足を出したかどうか」で問題になったことがある。これはポポビッチが不問に付したことで解決したが、悪意があったかどうかは「事実とは関係ない」のである。事実は、怪我をさせたパチューカの足の位置が「不自然に」クワイ・レナードの降りてくる場所にあったかどうかで決まる。ポポビッチは不自然だとは言わなかった。今回の日大の場合は「ボールを投げてからタックルするまで4、5秒も全力疾走している」のだから、完全にケガさせるためのタックルであることは「明らか」である。実際にその通りになった。

2 この事件は「ゲーム開始後最初のプレー」であるから個人的な報復でなく、開始前からあらかじめ意図したものであることは「明らか」である。その後もこの選手は交代したQBも反則タックルしているから、最初っから反則タックルが目的で試合に出場したことが見て取れる。

3 この選手の行為が「監督やコーチの考えと違っていた」のであれば、即座に選手を呼び「ゲームに対する考え方を問い正す」のが普通である。アメリカンフットボールは、監督またはコーチの指示で「すべてプラン通りに動く」ことで成り立つゲームである。そこには監督と選手の意思疎通がなければ、「試合にならない」のだ。だから選手が勝手にやったというのなら、そういう選手は即ゲームから外さなければ「試合は続行」できない、それほどゲームプランということを大事にするのがアメリカンフットボールなのである。この選手の反則に対して監督が「何も言わなかった」ということがすなわち、「彼の行為が監督の意図に沿っていた」ということは「明らか」である。

つまり日大アメフト部はゲーム後に即座に関西大学に対して「謝罪」と、そして「監督・コーチ・選手の処分」を申し伝えて、それで何とかチームとしての存在を続けられる、という重大事件だと思う。それが関西大学からの抗議文がくるのを待っていて、しかも「監督は悪くない」という声明文まで発表するに至っては、もう廃部するしかないであろう。日大の反応は危機管理の面で、それほど狂っている対応だと言える。

ついでに関係者ということで言えば審判にも責任の一端がある。

4 審判がイエローフラッグを投げて反則を取ったが、テレビに出てくるコメンテイターが「有り得ない行動」と言っているのにも関わらず(私の見たのは18日の「ひるおび」だったが)普通に試合を続けているから、この審判には「有り得ない行動」という認識がないのは「明らか」だ。こういうような怪我させることが目的のプレーは特別に処置して、選手の安全を確保するのが審判の役目であるのに適切な処理をしなかったのは審判として失格であり、この審判は「不適格者として再度研修からやり直す」べきである。

これは日本人全体のメンタリティに関わることでもあるが、テキパキと事件を処理する能力が「まるで無い」と思うときがある。

5 この問題は刑事事件として処理するのが適当であると考える。本人の気持ちとか、謝罪がどうかとか、日大アメフト部の存続とかはすべて、「刑事事件として関係者を告発する」ことで解決する問題である。関係者への聞き取り捜査などは専門家がやれば良いのであって、テレビのワイドショーで取り上げるのは「スポーツマンシップとはどういうものなのか」でいいのではないだろうか。何のために学生がスポーツをやるのかと言えば、スポーツを通して「スポーツマンシップ」を学ぶことが一つの目的である。それは試合に勝つことよりも大事な「原点」では無いだろうか。それを忘れたことが、この事件を「スポーツではなく刑事事件」に貶めた本質である。それなのに面白おかしく「いつまで経っても、監督の指示だったかどうか」にこだわるのは、日本人の自白偏重体質に阿って、テレビもそれを引きずっている証拠である。炎上しようが何だろうが正しい判断を主張する、ということが社会を良い方に導くと私は考える。もう一度言わせてもらうと、「自白は全く必要ない」。自白は、とどのつまりは言いわけでしかないからだ。言い訳を言わないことこそ、日本人が大事にして来た精神では無いだろうか。それが自分にとって不利になろうとも、である。

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