アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

第12章 変貌する主要産業(2-2)

2015年02月19日 23時55分15秒 | 第三の波
March,1980
Alvin Toffler, The Third Wave, William Morrow, New York, 1980
第三の波 昭和55年10月1日 第1刷発行 アルビン・トフラー著 徳山二郎 監修
鈴木建次 菅間 昭 桜井元雄 小林千鶴子 小林昭美 上田千秋 野水瑞穂 安藤都紫雄 訳

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第12章 変貌する主要産業(2-2)
 明日の道具
 石炭、鉄道、繊維、鉄鋼、自動車、ゴム、工作機械製造・・これらは第二の波の古典的産業である。基本的には単純な電気メカニックの応用であり、大量のエネルギーを消費し、巨大な産業廃棄物を吐き出し、公害をもたらす。その特色は、長時間労働、非熟練労働、反復作業、規格化された製品、高度に集中化された管理体制などである。
 先進工業国では、1950年代の中頃から、これらの産業が明らかに時代おくれのものとなり、衰退しはじめた。アメリカを例にとると、1965年から74年までの10年間に、労働人口は21%増加したにもかかわらず、繊維産業の従業員数はわずか6%しか増えず、鉄鋼産業の従業員は逆に10%減となったのである。スウェーデン、チェコスロバキア、日本などの第二の波の国家でも、こういうパターンが顕著である。
 これらの時代遅れの産業は、安い労働力を持ち技術水準の低い、いわゆる「開発途上国」へ移っていき、それとともに、社会におよぼす影響力も弱まった。その代わりに、もっとダイナミックな、新しい産業がつぎつぎに出現したのである。
 新しい産業は、いくつかの点で、前の時代の産業と著しく異なっている。新しい産業は、まず第一に電気メカニックではないし、第二の波の時代の古典的科学理論にもとづいたものでもない。量子電子工学、情報理論、分子生物学、海洋学、原子核工学、社会生態学、宇宙科学といったような、ここ四半世紀の間に生まれ育った新しい学問の最先端で開発された産業なのである。これらの新しい学問のおかげで、われわれは第二の波の時代の産業が尺度としていた時間や空間より、はるかに微小な単位を手にするようになった。ソ連の物理学者B・G・クズネツォフが書いているように、「極小な空間(原子核の直径は10-13cm)
と10-23秒というような極めて短い時間」を計測できるようになった。
 これらの新しい科学と現代の急速に進んだ計測技術が、コンピュータとデータ処理、航空宇宙産業、合成石油化学、半導体、革新的な通信産業など、新しい産業を産み出したのである。
 技術の分野で、第二の波から第三の波への以降がいちばん早く訪れたのはアメリカで、1950年代の中頃であった。東部、ニューイングランドのメリマック・バレーのような旧産業の町は不況の底に沈む一方、ボストン郊外の国道128号線沿いや、カリフォルニア州の「シリコン・バレー」と呼ばれる地帯は一躍脚光を浴びるようになった。郊外には、ソリッド・ステートのトランジスターなどを研究する物理学者とか、システム・エンジニアリング、人工頭脳、高分子化学などの専門家がどんどん移り住んだ。
 技術の移動を追うように、仕事と富が移動した。南の「サンベルト地帯」の各州には、大口の軍需産業の受注によって最新の技術施設が次から次へと建設され、一方、東北部や五大湖周辺の旧産業地帯は疲弊し、破産しかねない状況に落ち込んだ。ニューヨーク市の長期的な財政危機は、まさに、この技術変動を反映するものだった。フランスの鉄鋼業の中心地だったロレーヌ地方の不況も同様である。そして、やや次元を異にするが、イギリス社会主義の衰退についても、同じことが言えるのである。第二次大戦後、イギリス労働党政府は、産業のとりでを確保すると発表し、かつ、実行した。ところが労働党政府が国有化したとりでは、石炭、鉄道、鉄鋼と、いずれも後日、技術革新が迂回してしまうものばかりで、言ってみれば前時代のとりでだったのである。
 第三の波の産業を持つ地域は栄え、第二の波の産業地域は衰えた。しかし、この変換はいまはじまったばかりである。今日、多くの国で、政府は以降に伴う弊害を最小限におさえながら、意識的にこの構造改革を促進している。たとえば、日本の通産省の企画担当の役人は将来のサービス業の発展に役立つ新しい技術を研究しているし、西ドイツのシュミット首相と彼の顧問は、「構造的政治」を唱え、ヨーロッパ投資銀行の協力によって、将来の大量生産型の産業からの脱皮をはかっている。
 今後、大幅に成長し、第三の波の時代のバックボーンになろうとしている産業は、相互に関連を持つ四つのグループに大別できる。これらの産業の成長に伴って、ふたたび、経済界や社会の権力構造に変動が起こり、政治の地図が塗り変えられることは必至である。
 相互に関連の深い四つのグループの第一は、言うまでも無くコンピュータとエレクトロニクスである。
エレクトロニクス産業がこの世界に登場したのは比較的最近のことであるが、現在、すでに年間10億ドルの売上があり、1980年代後半には、3250億ドルから4000億ドルに達するのではないかとよ予測されている。この数字は、鉄鋼、自動車、化学工業についで、世界の第四位の産業になるということなのだ。コンピュータの急速な普及については周知の事実であり、ここであらためて説明するまでもなかろう。コンピュータの生産コストは急激に低下、容量は驚異的に大きくなっている。雑誌『コンピュータ・ワールド』は次のような記事を載せている。「この30年間にコンピュータ産業が成し遂げたことを、自動車産業がやれたとしたら、ロールスロイスは1台2ドル50セントで製造できただろうし、1ガロンのガソリンで200万マイル走ることができただろう。」
 いまでは、安価なミニ・コンピュータがアメリカの家庭にどんどん入り込もうとしている。1979年6月には、家庭用コンピュータを製造する会社がおよそ100を数え、このなかには、テキサス・インスツルメンツのような巨大企業も含まれている。シアーズ・ローバックやモンゴメリー・ウォードなどのスーパー・チェーンが、家庭用品売場にコンピュータを並べるようになった。ダラス市のマイクロ・コンピュータ小売業者の言葉を借りれば、「もうじきコンピュータは全家庭に普及して、トイレと同じようにコンピュータ付き住宅があたり前になるであろう。」
 家庭用コンピュータが銀行や商店、官庁、近所の家、自分の職場などと連結されれば、製造業から小売業にいたるまで、企業の形態も必然的に変わってくるだろう。労働の質や家族の構造にも変革が起こるにちがいない。
 コンピュータ産業と切っても切れない関係にあるエレクトロニクス産業も、また爆発的に成長した。小型計算機、電子時計、テレビゲームなどが消費者を幻惑しているが、これはほんの序の口である。小型で安価な農業用の気候感知器、土壌検知器とか、衣服に取り付けて心臓の鼓動やストレスを探知する極小型の医療機器など、エレクトロニクスを応用した製品は、今後、無数に登場するだろう。
 また、第三の波の産業への移行は、エネルギー危機によって、その時期が大幅に早められるであろう。というのは、第三の波の産業の生産工程や製品は、エネルギー消費量が少なくてすむからである。電話を例にとると、第二の波の時代には、道路の下は、曲がりくねった電話ケーブルや導管、継電器、スイッチなど各種の銅製品が埋め込まれていて、まるで銅山のようであった。しかしいまや、電話線は、毛髪のように細く、光を伝達する繊維を使った光ファイバー方式に切り替えれようとしている。この切り替えによる消費エネルギーの節減は驚くべきもので、光ファイバーの製造に要するエネルギー量は、銅を採掘し、精錬し、銅線に加工するエネルギー量の、わずか1000分の1ですむのである。90マイル分の銅線をつくるのに要する石炭で、光ファイバーは、なんと8万マイルもつくれるという。
 エレクトロニクスの分野で、ソリッドステート物理学が主流に変わってきたことも、同じ方向を示すものである。生産される機器をみると、必要とする入力エネルギー量は着実に減少している。IBMが最近開発したLSI(高密度集積回路)による機器の消費電力は、わずか50マイクロワットである。
 エレクトロニクス革命が持つこうした特色を考えると、エネルギー不足に悩む高度テクノロジー経済にとって、エネルギー浪費型の第二の波の時代の産業から第三の波のもたらした産業への方向転換こそ、資源節約の最上策だと言えるのである。
 一般論として、雑誌『サイエンス』が書いているとおり、「エレクトロニクスの発展によって、国家経済は根本的に変わるであろう。新しい予期せぬエレクトロニクス機器が出現するたびに、フィクションが現実に置き換えられていくのである。」
 しかし、エレクトロニクスの隆盛は、まったく新しい技術体系を切り拓く、ほんの第一歩にすぎない。
 
宇宙の富の活用
宇宙と海洋の開発についても、同じことが言えよう。ここでも第二の波の古典的テクノロジーを、はるかに越えた冒険が行なわれる。
今後の技術体系を構成する第二のグループは、宇宙産業である。当初の計画よりは遅れているが、近い将来、毎週五基の「宇宙連絡船」が人間や貨物を積んで、宇宙空間を往復する時代がくるだろう。こう書いても、一般の人びとにはあまり実感がわいてこないだろうが、欧米では多くの企業が「宇宙の辺境」こそ、来るべき高度の技術革命の舞台になるだろうと予測し、しかるべく策を錬っているのである。
グラマン、ボーイングの二社は、エネルギー生産用の衛星と宇宙基地を研究中である。『ビジネス・ウィーク』誌は次のように書いている。「いくつかの企業が人工衛星の重要性にやっと気づき始めた。半導体から薬品に至る様々な製品を、人工衛星で製造し加工することが出来るのである。高度のテクノロジーを使って作り出す物質は微妙な制御操作を必要とする場合が多く、重力が邪魔になることもある。宇宙空間では重力を気にする必要がないし、容器も不要である。有毒物質や放射性物質を扱う場合も、問題が起こらない。真空状態にも不自由しないし、超高温も超低温も自在である。」
こういうわけで、「宇宙工場」は、科学者、技術者、高度テクノロジー企業の経営陣などの間で、ホットな話題になっている。マグダネル・ダグラス社は、いくつかの製薬会社に対して、人体細胞から希酵素を分離するのに、宇宙連絡船を使ってはどうかと持ちかけている。ガラス業界は、レーザーや光ファイバーの原料を、宇宙で製造する方法を調査中である。宇宙空間でつくられた単結晶の半導体にくらべると、地上でつくられたものは、非常に初歩的なものだということになってしまう。また、ある種の血液疾患に使う凝血溶解剤は、現在、一回投与するたびに2500ドルもかかるが、NASAの宇宙工業研究部長ジェスコ・フォン・パットカマー氏によれば、これを宇宙空間で製造すれば、コストが5分の一で済むということである。
さらに重要なのは、地球上ではどんなに経費をかけても絶対に製造不可能な、まったく新しい製品である。航空宇宙開発とエレクトロニクスのTRW社の発表によれば、重力があるために地球上ではつくれない合金が400種もあるという。ゼネラル・エレクトリック社は宇宙溶鉱炉の設計をはじめているし、西ドイツのダイムラー・ベンツ社とMAN社では、宇宙ボールベアリング工場について研究している。欧州共同体宇宙局、それにブリティッシュ・エアクラフトなど特定の企業がひとつならず、宇宙空間での事業が商業ベースにのるように、さまざまな製品や設備を考案中である。『ビジネス・ウィーク』は次のように書いている。「これらの計画はSFではない。ますます多くの会社が、真面目に研究課題として取り組んでいる。」
「宇宙工場」におとらず真面目で、あるいはそれ以上熱心な支持者を獲得しているのが、ジェラルド・オニール博士の「宇宙都市」計画である。プリンストン大学の物理学者であるオニール博士は、宇宙に大規模な基地か島を浮かべて、何千人もの人口を持つ町を建設することができるのではないかと考え、あちこちで熱心に講演していた。いまでは、NASAやカリフォルニア州知事(カリフォルニア州の経済は宇宙産業への依存度が高い)ばかりか、なんと、『地球のカタログ』をつくった、スチュワート・ブランドの率いる、元ヒッピーの一派にまで支持されるにいたった。
オニール博士のアイディアは、月にはじめ天体から採掘する物質を使って、少しずつ宇宙に都市を建設しようというものであるが、同僚のブライアン・オレアリー博士は、アポロやアモールなど小惑星から、鉱物を採掘する可能性を研究している。NASA、ゼネラル・エレクトリック社、連邦政府の資源関係機関などの専門家は、定期的にブリストン大学に集まり、月など天体鉱物の化学処理に関する論文や、宇宙住宅の設計と建築、そこでの生態システムなどについて、情報交換を行なっている。
地球外での工業生産まで包括するひろい宇宙計画と、進んだエレクトロニクスを結合することによって、技術体系は、第二の波が持つ多くの束縛から解放され、新しい段階をむかえるだろう。

海底への進出
宇宙空間と方向がまったく逆だが、深海の開発は、宇宙開発と同様に重要である。海洋開発は、新しい技術体系の主要部門の第三グループになろうとしている。われわれの祖先が略奪と狩猟中心の生活をやめて農耕と牧畜をはじめたのが、地上最初の社会変革の波であったとすれば、現在のわれわれは、海に関して、まったく同じ局面に立っているといってよいだろう。
飢饉に直面している地域では、生みが食糧問題の解決の鍵を握っている。海を農場や牧場のように利用することによって、人体の栄養に欠かすことのできない蛋白質を無限に供給することができるのである。高度に産業化が進んだ現代の営利漁業は、日本やソビエトのまるで工場のような漁船が魚を根こそぎとっている姿に見られるとおり、過剰虐殺であり、さまざまな海洋生物を全滅させる恐れがある。これに反して、魚の養殖や海藻の栽培など、頭を使って「海洋農業」を行なえば、われわれの生命に深くかかわる微妙な生物環境を破壊することなく、世界の食糧危機を救うことができるであろう。
一方、海中で「油を育てる」可能性は、最近の海底油田採掘ラッシュのかげにかくれてしまった感があるが、バッテール記念研究所のローレンス・レイモンド博士は、石油成分の含有率が高い海藻を栽培できることを照明し、目下、経済的に採算のとれる栽培法を研究中である。
さらに重要なのは、海に眠る無尽蔵の鉱物資源である。銅、亜鉛、錫、銀、金、白金、そして農業用の肥料をつくる燐酸エステル鉱も忘れてはならない。水温の高い紅海には、34億ドル相当の亜鉛、銀、鉛、金などがあると考えられており、いくつかの鉱山会社が早くも目をつけている。世界最大の鉱山会社を含む100以上の企業が、じゃがいものような形をした海底マンガン団塊を採掘する準備を進めている。(マンガン団塊は自然再生する資源で、ハワイのすぐ南で発見されたマンガン帯だけでも、1年に600万トンから1,000万トンのマンガン団塊が形成されている。)
現在、4つの国際的なコンソーシアム(合弁企業)が、1980年代の中期から数十億ドルの規模で海底採鉱をはじめるべく、準備を進めている。第一のコンソーシアムには23の日本企業を始め、西ドイツのAMRグループや、カナダ・インターナショナル・ニッケルのアメリカにおける子会社などが入っており、第二コンソーシアムにはベルギーのユニオン・ミニエール、USスチール、サン社、などの名が並んでいる。第三グループには、カナダのノランダ社、日本の三菱、リオ・ティント・ジンク社、イギリスのコンソリデーデッド・ゴールド・フィールズ社が、そして第四コンソーシアムには、ロッキードとロイヤル・ダッチ・シェル・グループが参加している。ロンドンの『ファイナンシャル・タイムズ』は「こうした企画は、精選された数種の鉱物をめぐる世界の採鉱活動に革命的変化をもたらすものである」と書いている。
鉱山会社ばかりでなく、製薬会社ホフマン・ラ・ロッシュなどは、抗菌剤とか鎮静剤、検査薬、止血剤など、海中に新しい薬品を求めて調査を行なっている。
これらの技術が発展すれば、やがて、半分、場合によっては全体が海中にある「海洋農村」や、海上工場が実現するだろう。少なくとも現状では不動産価格がゼロであることと、海洋資源(風、潮流、波など)から現場で安くエネルギーが供給できることを考えれば、これらの施設は、地上の施設と十分競争していけるはずである。
海洋技術誌「マリン・ポリシー」はこう書いている。「海上建設技術は比較的単純なもので経費もさしてかからないから、近い将来、世界各国の政府や企業、団体が実際に手をつけるようになるであろう。現在のところ、いちばん可能性のあるのは、人口過剰の工業社会がつくる海上住宅街である。また、多国籍企業にとっては、貿易活動の動くターミナルとして、あるいは工場船として利用価値がある。食品会社は海上都市をつくって「海洋農業」を行なうだろうし、税金を払いたくない会社や新生活を求める冒険家は、新国家を樹立するかもしれない。やがて海上都市も外交上正式に承認されるようになるだろう。また、少数民族が海上国家をつくって独立するのも一案であろう。」
現在、海底油田の掘削機械は錨で海底に固定されているものがあるが、多くは、プロペラとかパラストとか浮力装置などを使って海上に浮かんでいる。この海底油田採掘機の建設に関するテクノロジーは急速に進歩しつつあり、将来の海上都市とそれを支える巨大な新しい産業の基盤をつくっているのである。
総体的に見て、海への進出をうながす商業的必然性は急速に増大しており、経済学者D・M・ライプザイガーが言うとおり「かつて、西部で入植者が農地を獲得した時と同じように、多くの大企業は少しでも広い海を獲得しようと、スタート・ラインに並んでピストルの合図を待っている。」こういう背景があればこそ、非産業国は、海洋資源を高める国ぐにに独占させず、人類の「共通の財産」として確保しようと闘っているのである。
こうした諸分野での進歩をそれぞれ独立したものと考えずに、相互に関連し合い、効果を高めるものだと考えれば、すなわち、ひとつの科学技術の進歩がほかの発展をうながすのだと考えれば、われわれの前に展開するのは第二の波のテクノロジーとはまったく次元を異にするものだということが、明白になるであろう。われわれは、きわめて新しいエネルギーシステムと、きわめて新しい技術システムへ向かって進んでいるのである。
しかし、これまで述べてきた進歩も、現在、分子生物学の研究で起こっている激しい変化にくらべれば、小規模なものと言わざるをえない。生物学産業こそ、明日の経済の第四グループであり、四つのグループの中で最大のインパクトを持っているのである。

遺伝子産業
遺伝子の働きが倍増したのかどうか、遺伝学に関する情報は2年ごとに2倍になっていると言う。雑誌『ニュー・サイエンティスト』は「遺伝子工学は現在、生産設備の基本的な準備を整えている段階で、やがて営業を開始するだろう」と書いている。著名な科学評論家リッチー・コルダーはこう語っている。「プラスティックや金属を扱ってきたのと同じように、生命ある物質を製造する時代がきた。」
大企業はすでに、新しい生物学の成果を商業的に応用できないものかと、必死の追求を行なっている。かれらの夢は、酵素を使って自動車の排気ガスを測定させ、空気の汚染度のデータをエンジンに取り付けた小型処理器に送って自動処理させる、といったようなことである。『ニューヨーク・タイムズ』は「金属を食べる微生物を使って、海水からたとえ微量でも、貴重な金属をとり出すことができる」と書いているが、このことも大企業の間で話題になっている。大企業は、新しい生物を特許の対象とするよう要求し、すでに特許権をとったものもでている。この競争に参加している会社はゼネラル・エレクトリック社をはじめエリ・リリー社、ホフマン・ラロッシュ社、G・D・シアール社、アップジョーン社、メルク社などである。
評論家や科学者は、はたして競争など許されてよいものか神経をとがらせているが、それは至極もっともなことである。かれらが懸念しているのは、油もれのような単純なことではなく、病気をまき散らし、多数の地域住民の生命を奪いかねない「細菌もれ」なのである。猛毒を持つ細菌を培養し、事故でそれが放出されたら-と考えただけでも恐怖がわくが、これは現代社会に対する警告のほんの一例にすぎない。立派な科学者が真面目に語り合っていることのなかにも、身の毛がよだつようなことが起こる可能性がたくさんあるのだ。
たとえば、牛のような胃袋を持ち、野に生えている草や干し草を食べる人間をつくれば、人間を含めた食物連鎖を変えることが可能になるから、食糧問題がおのずと緩和されるのではないか。労働者を仕事に応じて生物学的に変えることははたして許されるのか。たとえば、人並みはずれた速い反射神経を持ったパイロットをつくるとか、単純労働に向くように、神経学的に改造された組立工をつくるといった試みである。「劣った人間」を抹殺して「すぐれた人種」をつくってみるのはどうか。(ヒトラーと同じ試みだが、ヒトラーが持っていなかった遺伝子上の兵器が、やがて研究室から提供されるであろう。)戦争に向いた人間を、無性生殖的に発生させて兵士の役をさせるのはどうか。遺伝の法則を利用して、あらかじめ「不適応児」を排除することは許されるのだろうか。腎臓とか肝臓、肺などの「貯蓄銀行」をつくって、予備の内蔵器官を用意したらどうか。
このような考えは狂気の沙汰と思われるかもしれないが、科学者の間でそれぞれに対する賛同者もいれば反対意見をとなえる者もいるし、こういう考えを応用した商業的な計画も生まれているのである。遺伝子工学の評論家、ジェレミー・リフキンとテッド・ハワードの共著『神の役を演ずるのはだれか』には、次のような一節がある。「流れ作業による組み立て工程、自動車、ワクチン、コンピュータなどの技術と同じように、大規模な遺伝子工学もアメリカに導入されるであろう。遺伝子が進歩し新しい成果が商業的に実用化されると、それに伴って新しい消費者のニーズが開拓され、新しいテクノロジーのための市場がつくりだされていくであろう。」潜在的な応用法は無数にあるのだ。
たとえば、新しい生物学はエネルギー問題の解決に役立つ。科学者は、いま、太陽光線を電気化学エネルギーに変える働きをするバクテリアを利用するというアイデアを研究している。かれらは「生物学的太陽電池」などと称している。われわれは、原子力発電所にとって代わる生物をつくれないであろうか。もっともそうなれば、放射能もれの危険に代わって、生物もれの危険が生じるかもしれない。
健康の分野でいえば、現在のところ医学では直すことのできない多くの病気の予防や治療が可能になるのは確かだ。しかし、不注意とか悪意によって、もっと悪い病気が発生するかもしれない。(利潤の追求ばかり考えている会社が、自社の製品でしか治療できない新しい病気をつくって、ひそかに伝染させたらどうなるか。軽い風邪のような症状でも、治療薬や治療法が独占されていれば、巨大な市場をつくれるのである。)
多くの国際的に有名な遺伝学者と提携して仕事をしているカリフォルニアのセタス社の社長は、30年いないに「生物学は化学よりも重要な学問になるだろう」と語っている。またモスクワで発表されたソビエト政府のステートメントのなかでも「国家経済における微生物の広範な利用をはかり・・・」という言葉がみられる。
生物学の進歩によって、プラステックや肥料、衣料品、塗料、殺虫剤、その他多くの製品の生産に石油をまったく使う必要がなくなるか、あるいは消費量を減少させる結果となるだろう。木材とか毛のような「自然」商品の生産にも大きな変化が起こるであろう。すでに、USスチール、フィアット、日立製作所、ASEA,IBMなどは、独自の生物学研究所を持っているにちがいない。われわれは、そのうちに、想像もつかないような商品を、製造する時代から、“生造”する時代へと移行するのである。ザ・フューチャーズ・グループの指導者セオドア・J・ゴードンは次のように言っている。「いったん生物学に手をつけたならば、やがては『人間の組織と変わらないシャツ』とか、人間の乳房と同じ物質でつくった『乳房と同じ感触のマットレス』をつくれないものか、などと考えるところまでいってしまう。」
しかしそうなるよりはるか前に、遺伝子工学は農業面に活用されて、世界の食糧供給を増すのに役立つであろう。1960年代には、品種改良による農作物の増産をめざす「緑色革命」が大いに喧伝されるものだが、結局のところ、それは第一の波の世界の農民にとって、大きなワナでしかなかった。外国から石油合成肥料を大量に買って、畑にまかなければならなかったからである。来るべき生物学的農業革命の眼目は、まさに、この化学肥料への過剰依存を改めることなのである。遺伝子工学は、生産性の高い作物、砂地でも塩分の多い土地にでもよく育つ作物、病気に強い作物などを目指している。まったく新しい食料や繊維を創り出すと同時に、食料の保存や加工についても、簡略化、コスト低下、省エネをはかろうとしているのである。遺伝子工学は、おそるべき危険をはらんでいる反面、世界各地の飢饉に終止符を打つ可能性をもたらすのである。
こういy、良いことずくめの予想には疑問を抱く人も有るに違いない。しかし、たとえ遺伝子学農業を唱導する人びとの言うことが半分しか当らないとしても、それが農業に与えるインパクトは非常に大きく、他のもろもろの変化と同時に、究極的には、富める国と貧しい国の関係を変えていくであろう。緑色革命は、貧しい国が富める国に依存する度合いを弱めるどころか強める働きをしたが、生物学的農業革命はこの逆の結果をもたらすであろう。
生物学的テクノロジーが今後どんなふうに発展するのか、それ確言するには時期尚早であるが、ゼロへ逆戻りしようとしても、もはや手遅れである。すでに発見したことを伏せておくことはできない。われわれにできることは、その利用を正しく管理し、性急な開発を防ぐことである。一国に独占させることを許さず、この分野で企業や国家や科学者同士が競争するのを最小限に食い止めるよう、手遅れにならないうちに努力することである。
ひとつだけ確かなことがある。それは、われわれが、もはや、300年を経た第二の波のテクノロジーである電気・機械的な伝統的枠に縛られてはいない、ということである。そして、この歴史的事実の意義をようやくわれわれが理解しはじめたばかりだということである。
第二の波は、石炭、鉄、電気、鉄道による輸送などを統合して、自動車をはじめ生活を一新させた数々の製品をつくった。それとまったく同じように、われわれがコンピュータ、エレクトロニクス、宇宙や海洋からもたらされる新しい原料など、新しいテクノロジーを遺伝子と統合させ、さらにそれと新しいエネルギー体系とを結合させたときに、はじめて新たな変革の真のインパクトを感じることになるだろう。これらすべての要素を結合することによって、人類の歴史上かつてなかった技術革新の巨大な波がわき起こるだろう。われわれは、第三の波の文明の、劇的とも言える新しい技術体系を切り拓いているのである。

技術に対する反逆者たち
これらの技術の進歩が持つ重要性と、それが人類の進化に将来どれほど重要な影響をおよぼすかを考えると、技術の進歩を正しい方向にもっていくことが、どうしても必要になってくる。手をこまねいて傍観しているのも、また、たいしたことはないと楽観しているにも、われわれ自身と子孫の運命を破壊に導くことになろう。現在起こっている変化は、規模といい強さといい、またその速度においても、歴史上経験したことのないものである。危うく大災害になるところだったスリーマイル島の原発事故、悲劇的なDC10の墜落事故、メキシコ海岸の手のつけようのない大量の油もれなど、技術開発に伴う数々の恐るべき事件は、われわれの記憶に新しい。こうした災害を目の前にして、将来のもっと強力なテクノロジーの進歩や結合を、第二の波の時代の近視眼的で利己的な判断基準によって決定してよいものだろうか。
過去300年間、資本主義国、社会主義国を問わず、新しい技術が生まれるたびに問われたのは、経済的な利益があるか、あるいは軍備に役立つか、という二点だけであった。しかし、今後はこの二つの判断基準だけでは不十分である。新しい技術は、経済と軍備の二つの面からではなく、生態環境や社会性の面からも、きびしく審査されなければならない。
全米科学財団に提出されたある報告書のなかに「技術が社会に与えた衝撃」という一項があって、最近の技術災害が列挙されている。このリストを子細に調べると、そのほとんどが第二の波の技術が起こした災害で、第三の波の技術に起因するものはあまり見られない。理由ははっきりしている。第三の波のテクノロジーは、まだそれほど大規模に開発されていないからである。第三の波のテクノロジーの大半は、まだ幼児期にある。それにもかかわらず、すでに多くの危険をかいま見ることができる。たとえば、エレクトロニクス時代のスモッグ、情報公害、宇宙開発戦争、細菌の漏出、気象干渉、遠隔地で地殻振動を発生させて故意に地震を起こすような、いわゆる「環境戦争」などである。新しいテクノロジーの体系に向かって前進するにつれて、さらに多くの危険性が待ち構えていることであろう。
こういう状況のもとで、近年、新しいテクノロジーに対する、ほとんど無差別といってもよい大規模な民衆の抵抗が起こっているのは、当然のことである。新しい技術を押し留めようという試みは、第二の波の初期にも見られた。すでに1663年、ロンドンの労働者は、生活をおびやかされるという理由で製材所に新しく据えつけられた製材機械を破壊し、1676年には、リボン製造工が自分たちの機械を破壊している。1710年には、メリヤス機械の導入に抗議する運動が起こった。そののち、紡績工場で使う飛び梭を発明したジョン・ケイは、怒り狂った群衆に自宅をこわされ、とうとうイギリスから逃げ出してしまった。この種の事件でいちばん有名なのは、産業革命のさなか、1811年から16年にかけて、「ラッダイト」と名乗る機械破壊主義者たちが、ノッチンガムの紡績機をこわした事件である。
しかし、これら初期の機械反対運動はばらばらでまとまりに欠け、自然発生的なものだった。ある歴史家が指摘しているように、「事件の多くは機械そのものにたいする敵意から起こったというより、気にそまない雇用者を威圧する手段として発生した。」無学で貧しく、空腹と絶望に打ちひしがれた労働者の目に、機械は、生存そのものを脅かすものとして写ったのである。
とめどなく進むテクノロジーに対する現代の反抗は、これとは異質なものである。どう見ても貧しいとは言えず、無学でもない人びと、必ずしも反技術でもなく、経済成長に反対しているわけでもないが、野放図な技術革新が自分自身と世界全体の生存を脅かすと考える人びとが、この反抗に加わっている。そして、こうした人びとの数が、急速に増加しているのだ。
このなかの過激派は、機会があれば、ラッダイトと同じ手段に訴えるかもしれない。コンピュータ装置や、遺伝学研究室、建設中の原子炉などが爆破される可能性は十分にありうる。なにか特に恐ろしい技術災害が起こった場合、それが引き金になって、「諸悪の根源」である白衣の科学者が魔女狩りの対象になるだろうということは、容易に創造できる。未来の扇動政治家のなかには、「ケンブリッジ大学の不穏分子10人」とか「オークリッジ原子力発電所の7人」などと勝手に命名したうえ、その周辺を調べて名をあげようとする者も出てくるだろう。
しかし、現代の反技術集団の大半は、爆弾を投げたり、ラッダイトのように機械をこわしたりはしない。このなかには、何百万という普通の市民とならんで、原子力技術者、物理学者、公衆衛生関係の公務員、遺伝学者など、科学者自身が何千人も参加している。ラッダイトとは違って、きちんと組織され、発言力を持った人びとである。自分たちの手で科学雑誌や広報誌を刊行し、訴訟記録や法案をファイルしておく。同時に、ピケや行進やデモも実行する。
こういう運動は、しばしば反動的だと非難されるが、実は、台頭しつつある第三の波の重要な一部なのである。技術の分野で、エネルギーをめぐって三つの集団の間で闘争が行なわれることは、すでに本章で書いたとおりだが、技術の分野の闘争と並行して、政治、経済の分野でも三つ巴の闘いが起こる。そしてこうした運動に参加している人は、三つの集団の中でも、もっとも未来に近いところにいるのである。
ここでもまた、一方には第二の波の勢力があり、他方には第一の波の時代逆行派があって、第三の波の陣営は、その双方と闘わなければならない。第二の波の勢力は、技術に対する古い、愚かな考えに固執している。「役に立つなら、建設しよう。売れるなら、生産しよう。軍事力強化につながるなら、つくろう。」第二の波の支持者の多くは、進歩について時代おくれな、産業主義時代そのままの進歩の概念に凝り固まって、技術を無責任なやりかたで実用化しようとして利権を漁っている。かれらは危険性について、まったく無関心なのである。
一方、少数だが口うるさい超ロマンチストの一団がいる。この集団は原始的な第一の波のテクノロジー以外のすべてに敵意を持ち、中世の工芸や手工業に戻ろうとしている人びとである。多くは中産階級に属して、飢饉などとおよそ縁の無い有利な立場から発言している。第二の波の人びとが無差別に技術革新を支持したのと同じように、無差別に技術革新に抵抗している。われわれはもちろん、かれら自身でもとうてい我慢できないような世界へ戻りたいという、幻想を抱いているに過ぎないのである。
この両極端の二者の間に、各国で、技術への反乱の核となる人びとが、徐々にその数を増やしている。かれらは、自分では意識していないが、第三の波の代理人なのである。かれらは、いきなりはじめから技術を論ずるようなことはしない。われわれが将来どんな社会を望むのか、という難問から議論を始める。
かれらの論点は次のようなものである。いまや技術の進歩はあまりにも多岐にわたっているので、すべてに資金を出し、開発を進め、実用化するのは無理なことである。したがって、もっと慎重な選択を行なって、長期にわたって社会や環境に役立つ技術を選び出す必要がある。技術がわれわれの目的を定めるというようなことではなく、テクノロジーの大きな流れの方向を、社会が管理しなければならない。とかれらは主張している。
 技術に対する反逆者たちは、まだ、はっきりとした包括的な計画を持っていない。しかし、これまでに出た数多くの声明、誓願、宣言、調査報告などを読むと、考え方にいくつかの傾向があることがわかる。これらの考え方が総合されて、技術に対するひとつの新しい見方、将来、第三の波へ推移するための、ひとつの積極的な方針が生まれていくのである。
 かれらの考え方の出発点となるのは、地球の生物体系はもろくこわれやすいものだから、新しいテクノロジーが強力になるにつれて、それが地球全体にとりかえしのつかない損傷を与える危険性も大きくなる、という考えである。したがって、すべての新しい技術は、目的と反対の結果を惹起せぬよう事前に審査し、危険なものは計画のやり直しをするとか、開発を中止すべきであると主張する。一言で言えば、未来の技術には第二の波の時代にくらべて、よりきびしい生物環境上の制約を課すべきである、というのである。
 技術に反対する人びとは、われわれが技術を支配しなければ、技術がわれわれを支配するだろうと言う。
この場合「われわれ」というのは、科学者、技術者、政治家、ビジネスマンなど、少数のエリートに留まらない。西ドイツ、フランス、スウェーデン、日本、アメリカなどに起こった核禁止運動や、コンコルド就航反対闘争、高まりつつある細菌研究制限要求などが、どのような功績を果たしたかは別として、こうした動きは、技術における決定過程を民主化すべきだという、強い要求がひろがりつつあることを反映している。
 「すぐれた」技術というのは、必ずしも、大がかりで複雑で金のかかる技術である必要はない、と言うのがかれらの主張である。高圧的な第二の波のテクノロジーは、一見、「効率的」であるように見えるが、実際はそれほどではない。なぜかと言えば、西側で言えば企業、社会主義国で言えば各種事業体に共通して言えることだが、公害、失業、労働災害などに要する膨大な対策経費を、社会全体に肩代わりさせているからである。これも一種の「生産コスト」だと考えれば、一見「高い効率」を持ついろいろな機械も、実はまったく非効率なものだということになる。
 テクノロジーの総合的な計画をたてて、もっと人間味ある仕事を用意し、公害をなくし、環境を保護し、国家とか世界の市場よりも地域や個人の消費を目的とする生産を行なうように、「適切なテクノロジー」を発展させなければならない。以上のような考え方にもとづいて、技術に対する反逆者たちは、世界各国で多くの実験を行なっている。いまのところ、技術の規模は小さいが、魚の養殖や食品加工から、エネルギー生産、ごみの再生、安い住宅建築、簡便な交通機関など、各方面で実験の火花が散っている。
 これらの実験のなかには、あまりに素朴なものや時代逆行のようなものもあるが、実用的なものも多い。実験のなかには、最新の原料と科学的な装置を、新しいやりかたで、昔の技術と組み合わせたものもある。たとえば、中世技術史の研究家であるジーン・ジンベルがつくっている単純だが美しい道具類は、非工業国で大いに役に立つと思われる。これは新しい原料と古い技法を使ったものである。もうひとつの例は、最近、大きな関心をよんでいる飛行船である。飛行船の技術はいったん省みられなくなったが、最近は繊維そのほかの材料の進歩によって、有効積載量が大幅に増した。飛行船は、環境問題の面からも害がなく、ブラジルとかナイジェリアのように道路事情の悪い地域で、多少スピードには欠けるが、安くて安全な輸送手段として最適である。なにがいちばん妥当な技術か、あるいは、なにか代替技術はないかを調べる実験をしていくと、とくにエネルギーの分野では、簡単で小規模な技術でも、機械が作業目的にぴったり合っており、技術が持つ副次的効果まですべて計算に入れれば、複雑で大規模な技術に劣らず、「性能が高い」ものがあることがわかる。
 技術に対する反逆者たちが心を痛めているのは、この地球上に科学技術のひどい不均衡があるということである。世界の総人口の75%を占める国ぐにの科学者の数は、世界の科学者総数のわずか3%にすぎない。貧しい国ぐにのために、もっと技術をふり向けなければならないし、宇宙資源や海洋資源も、もっと公平に分配しなければならない、とかれらは考えている。人類の共通の遺産は海や空だけではない。進んだ技術そのものが、インド人、アラビア人、古代中国人など、多くの民族の歴史的貢献によって今日のような発展を見たのである。
 かれらの主張の最後は、第三の波へ移行するに当って、われわれは、第二の波の時代の資源を浪費し公害を伴う生産システムから、もっと「新陳代謝性能の高い」システムへ、一歩一歩、前進してゆかなければならない、ということである。「新陳代謝性能が高いシステム」というのは、生産のアウトプットと副産物が必ず次の生産のインプットになって、廃棄物や公害が出ない生産システムのことである。次の生産過程のインプットにならないものは生産しないようなシステムが、最終の目標である。こういうシステムができれば、生産性が高いばかりでなく、生物体系へ与える損害をゼロ、ないしは最小限におさえることができるであろう。以上が、現代技術に対する反逆者たちの意見である。
 総体的に見ると、技術に対する反逆者たちの考え方は、激しい勢いで進んでいくテクノロジーを、もっと人間味のあるものにするための基準をつくる、ということだと言うことができるだろう。
 かれらは、自分たちで自覚していようといまいと、第三の波の代理人なのである。かれらは将来、その数を増すことはあっても減ることはないであろう。金星探検、驚異的なコンピュータ、生物学上の発見、あるいは深海探検などが、すべて次の文明へ向かっての前進であるならば、技術への反逆者たちもまた、次の文明の先導者なのである。
 第一の波の幻想家と第二の波のテクノロジーの擁護者と、この技術への反逆者との相克の中から、新しい永続きのするエネルギー体系にふさわしい、賢明なテクノロジーが生まれる。そうしたテクノロジーは、いまやわれわれの目前まできているのである。この新しいエネルギー体系と新しいテクノロジーを接続させるとき、われわれの文明全体が、まったく新しい次元へ引き上げられるであろう。この文明の根底には、厳重な環境規制と社会管理の枠の中で営まれる、科学に基礎を置きながらも洗練された「激しい流れ」の産業と、同じように洗練されてはいるが、小規模で人間味あふれる「ゆるやかな流れ」の産業が渾然一体となって存在することになるだろう。そして、この二つの産業が、相たずさえて明日の主要産業になるのである。
 しかしここで述べたことは、もっと広大な展望の、ほんの一部分にすぎない。われわれは技術体系を変革しながら、同時に、情報体系をも変革しつつあるからだ。

第12章 変貌する主要産業(2-1)

2015年01月04日 21時00分43秒 | 第三の波
March,1980
Alvin Toffler, The Third Wave, William Morrow, New York, 1980
第三の波 昭和55年10月1日 第1刷発行 アルビン・トフラー著 徳山二郎 監修
鈴木建次 菅間 昭 桜井元雄 小林千鶴子 小林昭美 上田千秋 野水瑞穂 安藤都紫雄 訳

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第12章 変貌する主要産業(2-1)
 1960年8月8日、ウエストバージニア州生まれの化学技師モンロー・ラスボーンは、ニューヨークのマンハッタン、ロックフェラープラザを見おろすオフィスで、ひとつの決定をくだした。後世の歴史家たちは、この決定こそ、第二の波の時代の終焉を象徴するものだったと言うかもしれない。
 巨大石油会社エクソンの筆頭重役ラスボーンは、この日、エクソンが産油国政府に支払っていた税金を削減するための行動を起こしたのだ。当時、そのことに注目した者はほとんどいなかった。西側のマスコミはこれを取り上げもしなかった。しかし、彼の行動は産油国政府に電撃的な衝撃を与えた。これらの国の財政は、事実上、全面的に石油社会から取り立てる税金でまかなわれていたからである。
 数日のうちに、ほかのメジャー国際石油会社がそろって、エクソンにならって税金削減を働きかけた。そして一ヶ月後の9月9日、もっともひどい痛手をこうむったいくつかの産油国の代表が、アラビアンナイトの都バグダッドに集まって、緊急評議会を開くにいたった。追いつめられて会議に集まったかれらは、ここで石油輸出国政府による、ひとつの委員会を結成したのである。しかしその後13年間、この委員会の活動はむろんのこと、その名称すら、完全に黙殺されたままだった。わずかな例外は、一部の石油業界誌だった。13年後の1973年ユダヤ暦1月10日、第四次中東戦争の勃発とともに、石油輸出国機構(OPEC)は、突如、暗闇からその姿をあわらし、世界への原油供給を停止するという手段に訴えて、第二の波の経済をいっきょに転落の恐怖へつき落としたのであった。
 OPECは産油国の歳入を4倍に増大させたばかりではない。第二の波の技術体系にくすぶりはじめていた革命の火に、油をそそぐ結果となったのだった。

 太陽エネルギー、そのほかの代替エネルギー
 石油ショックによってエネルギー危機が起きたが、それをめぐって侃々諤々の大騒ぎとなった。その騒ぎのなかで、数多くの計画、提案、意見、それに対する反論などが飛び交った。あまりにも多種多様な議論が起こり、どれが正しいのか選択に困るほどであった。政府の混乱ぶりも、一介の市民となんら変わるところはなかったのである。
 こうした混沌を突き破るひとつの方法は、個々の技術や政策にとらわれず、それらの根底にある、いくつかの基本問題を把握することである。そうすれば、現在行なわれている議論の中には、第二の波の時代のエネルギー体系を前提にして、それを継続、維持しようとする立場と、まったく新しい原則を見出そうとする立場の、二つの考え方があることに気がつくだろう。それを理解すれば、エネルギー問題の全貌が、根本から明快になる。
 さきに述べたとおり、第二の波のエネルギー体系は、再生不可能な資源を前提にしている。エネルギー源は高度に集中化した有限の鉱床から、同じく集中化したカネのかかる技術によって掘り出されている。その種類は限られていて、採掘方法も、採掘場所も、限定されている。これが、産業時代を通じて第二の波の国家が使っていたエネルギー源の特徴である。
 こうした特長を考えた上で、石油危機が生んだいろいろな計画や提案を検討してみれば、どれが古い体系の延長線上にあるか、どれが根本的に新しいエネルギーの先駆となるかは、一目瞭然であろう。石油を1バーレル40ドルで売るべきか否か、原子力発電所をシーブルックにつくるべきかグロンデにつくるべきか、などといったことは基本的な問題ではないのである。産業社会のために開発され、第二の波の特性を前提としている古いエネルギー体系が、はたして将来も通用するかどうかということが、もっと大事な問題なのである。こうした形で問題が投げかけられれば、それに対する答えを考えざるをえない。
 過去50年間、全世界のエネルギー供給源の3分の2は石油とガスであった。しかし、地下に眠る化石燃料に依存する状態が、今後多少の油田が発見されたところで、永久に続くはずがない。これは衆目の一致するところである。この点では、狂信的な天然資源保護論者や追放されたイラン国王まで、太陽熱利用を熱心に唱える人やサウジアラビアの王族から、スマートななりをして書類鞄をかかえた諸国政府の高官にいたるまで、意見は同じであろう。
 統計が示す数字は、まちまちである。世界が暗礁にのりあげるまであと何年もつのか、さまざまな論議が行なわれている。予測は複雑をきわめているし、過去の予言の多くはいまでも馬鹿げて見えるが、ただひとつだけ確かなことがある。もはや石油やガスを油田に新しく補給することはできないということだ。
 結局はどのような形で到来するのか。急激な噴出の後に石油がぱったり止まってしまうのか、何度か石油不足によるひどい社会不安が続いたのちに終局がくるのか、短期間の石油過剰状態と深刻な石油不足の連続の末に終わるのか。いずれにせよ石油時代は終末に近づいているのである。イラン人もクウェート人もそれを知っている。ナイジェリア人もベネゼイラ人サウジアラビア人もこのことに気づいている。だからこそ、石油収入以外の経済基盤を固めようと競い合っているのである。一方、石油会社も石油時代が終わりに近づいていることを知っている。だからこそかれらは石油以外の投資対象に殺到するのである。
(つい先頃、東京である石油会社の社長と会食した際、彼は大石油会社は、ちょうど鉄道会社が現在そうであるように、死滅した恐竜のような存在になるだろうと語った。しかも、それが何十年後というわけではなく、数年のうちにそうなるだろう、と予測していた。)
 しかし、物理的な意味でのみ石油の枯渇を論じるのは、ピントはずれであると言ってよい。なぜかと言えば、今日の世界では、石油の供給量よりも石油の価格の方が、直接的な強いインパクトを持っているからである。しかし、この点から考えても、結論は同じことである。
 このさき何十年間かの間には、ひょっとすると、驚異的な技術革新とか経済変動が起こって、ふたたびエネルギーが豊富に、しかも廉価で入手できる事態が生ずるかもしれない。しかしたとえ、何事が起ころうとも、相対的な石油価格は上昇の一途をたどるであろう。採掘パイプはますます深く掘り下げなければならなくなるし、油田の開発はますます辺境の地へ移り、また石油の買い手が増加して競争が激化するからである。OPECは別として、この5年間にもうひとつの歴史的変化が起こっている。メキシコなどに新たな大型油田が発見されたり、石油の価格がうなぎのぼりに上がったりしているにもかかわらず、確認された、商業的に採算のとれる原油保有量は、増加するどころか減少していることである。こんなことは、過去数十年間見られなかった。この事実が、石油時代にブレーキがかかっていることを示すもうひとつの証拠である。
 一方、世界の全エネルギー源の3分の1は石炭である。石炭も、いつかは、必ず掘りつくされてしまうことに変わりは無いが、現在のところまだかなりの埋蔵量がある。しかし、石炭の大量消費は、大気汚染をもたらし、(空気中の炭酸ガスの増大によって)世界の気候を悪化させ、結局は地球を荒廃させることになるだろう。今後十数年間、これらの弊害を必要として許容したとしても、石炭を自動車のガソリンタンクに入れるわけにはいかないし、現在石油やガスを使っているすべての分野で、すぐ石炭に代役をつとめさせることもできない。一方、石炭をガス化したりするための工程は、莫大な資本と、農業用水が不足するほどの大量の水を必要とするので、結局、経費がかさむ割には効率が悪いということになる。石炭のガス化や液化は、不経済で、非能率であり、一時の便法にしかならないのである。
 原子力技術も、現在の開発段階では、よりいっそうむずかしい問題をかかえている。現在使われている原子炉はウラニウムを利用しているが、ウラニウムそのものが限りある資源である。また、安全性にも問題があり、たとえこの問題を完全に克服できるとしても、そのためには極端な経費がかかる。核燃料廃棄物の処理の問題も、完全に解決されてはいない。いまのところ、原子力は非常に高価なものであり、他のエネルギー源と競争していくためには、政府の補助金が不可欠である。
 高速増殖炉は、それ自体としては、非常にすぐれた技術である。核反応によって出てくるプルトニウムがそのまま燃料として使えるという話をはじめて聞いた人は、永久に運動を続ける機械だと思い込んでしまう。しかし、これも所詮は世界でほんの少量しか埋蔵されていない、再生不可能な資源、ウラニウムに依存しているのである。高速増殖炉は高度に集中管理された、おそろしく経費のかかるしろもので、危険物質がもれる恐れもある。その上、核戦争の可能性、テロリストによる核物質の盗難の危険性をもはらんでいる。
 エネルギ-問題が困難な状況にあるからといって、ふたたび中世の生活に戻らねばならないとか、経済進歩がこれ以上望めないなどと考える必要はない。ただ、人類がひとつの発展路線の終点に到達してしまっており、これまでとは違う、新しい路線で出直さなければならないことは確かである。第二の波のエネルギー体系を維持することができなくなったということである。
 世界が、まったく新しいエネルギー体系へ移行する必要性は、もっと根本的な原因によっても明らかである。エネルギーというものは、農村経済であれ産業経済であれ、その社会の技術水準や生産様式、市場や人口の分布、そのほかいくつかの条件に見合ったものでなければならない、というのがその理由である。
 第二の波のエネルギー体系は、技術上のまったく新しい発展段階に即してでき上がったものである。石炭や石油という化石燃料が技術発展を促進させたのは事実だが、その逆もまた真なり、ということが言える。産業時代に開発された、常に大量のエネルギー源を必要とする貪欲なテクノロジーが、急ピッチで石炭や石油を採掘させたのである。たとえば、石油を例にとると、石油企業が急速に成長したのはまったく自動車産業の発展の影響であり、一時は、石油会社はデトロイトの付属品のようなものだった。かつてある石油会社の調査部長だったドナルド・E・カーは、その著書『エネルギーと地球の仕組み』のなかで、「石油産業は、“ある種の内燃機関の奴隷”になった」と述べている。
 われわれは、いま、ふたたびテクノロジーの歴史的飛躍を迎えようとしている。来るべき新しい生産システムは、全エネルギー産業の抜本的な再構成を必要とするであろう。OPECがテントをたたんで、静かに歴史の舞台から退場することを余儀なくされる、といった事態も予想されるのだ。
 なぜならわれわれが見落としている重大な事実は、エネルギー問題は量の問題だけではなく、エネルギー体系の構造の問題であるということである。われわれが必要としているのは、一定量のエネルギーだけではない。いま、必要とされているのは、もっと多様な形で、さまざまな場所(あるいは変化する地点)で、昼夜を分かたず、一年をとおしてさまざまな時刻に、思いもよらぬ目的のために入手できるエネルギーである。
 世界中の人びとが従来のエネルギー体系にとって代わるエネルギーを探し求めているのは、まさにこういう理由からであった、OPECの価格決定がすべてではないのである。新しいエネルギーの探求は、巨額の金と想像力を駆使して休息に進められているが、その結果、多くの驚異的な可能性がつぎつぎと検討されるようになった。もちろん、経済変動そのほかの混乱が、エネルギー体系の移行をおくらせるマイナス要因になることも考えられるが、より大きなプラス要因も存在する。それは、歴史上かつてなかったほど多くの人びとがエネルギー探求に熱中しているということ、そしてかつてなかったほど多くの斬新で、関心をそそる可能性が眼前に開けているということである。
 現段階では、どんなテクノロジーを組み合わせればどの目的にもっとも効果的であるかを判断するのはどう見ても困難であるが、利用しうる道具立てと燃料は、膨大になるにちがいない。そして、石油の価格が上昇するにつれて、かなり風変わりなエネルギーでも十分商業的に成り立つ見込みが出てくる。
 現在、可能性のあるものとしては、太陽光線を電気に転換する光電池(テキサス・インスツルメンツ社、ソラレックス社、エネルギー・コンバージョン・デバイス社など多数の企業が研究開発中である)とか、ソ連で計画中の、対流圏と成層圏の境界に風車つきの風船を打ち上げて地上に向けてケーブルで電気を送る方法などがある。ニューヨーク市は町中から出るごみをある会社に燃料として売却しているし、フィリピンではヤシの殻で発電するプラントを建設中である。イタリア、アイスランド、ニュージーランドでは
地熱発電を行なっているし、日本では、本州の沖合いに500トンの箱舟を浮かべて、波力発電を実験中である。屋根に据えつける太陽熱温水器は全世界に普及しているが、南カリフォルニア・エジソン社では太陽熱をコンピュータで操作する多数の鏡で受け、それを蒸気ボイラーに送って発電して、同社と契約している家庭へ送電する計画を進めている。目下、「発電タワー」を建設中である。西ドイツのシュツットガルトでは、ダイムラー・ベンツ社が開発した水素を動力に使ったバスが街を走っている。ロッキード社のカリフォルニア工場では、水素燃料で飛ぶ航空機の研究が進められている。新しい手段がこのように、次から次へと開発されており、枚挙にいとまがない。
 これらの新しいエネルギーを開発する技術は、それを貯蔵し、輸送する新しい手段を開発することによって、さらに輝かしい将来を拓いてくれるだろう。ゼネラル・モーターズ社が最近発表したところによれば、同社は電気自動車用の高性能バッテリーを開発したと言う。NASAの研究所では、従来の鉛と硫酸を使ったバッテリーの3分の1のコストで製造できる「レドックス」という蓄電装置を完成した。さらに長期的な展望にたてば、超伝導の探究も行なわれているし、「まともな」科学の領域を超えたものと言われる、最小限のロスでエネルギーを伝導するテスラ波の研究も行なわれている。
 これらのテクノロジーは、大部分まだ初期の開発段階にあって、なかには実用化にほど遠いものも多い。しかし、いますぐにでも商業化できるものや、10年、20年先に商業ベースにのるものもある。この場合、飛躍的な進歩はひとつの独立した技術から生まれるというより、むしろ、いくつかの技術を併用したり組み合わせたりする、豊かな創造力によって生み出されるものだということを忘れてはならない。このことは、しばしば、見過ごされているようだ。たとえば、太陽光電池によって電気を起こし、その電気で水から水素を抽出し、それを自動車に使う、といった具合に考えねばならないであろう。残念ながら、われわれはまだ次の時代へ向かって離陸したとは言えない。しかし、以上述べたような多くの新しい技術を結合することによって、さらに多くの潜在的な可能性が陽の目を見ることとなり、第三の波のエネルギー体系の構築が急速に進展することになるであろう。
 第三の波のエネルギー体系は、第二の波のそれとはまったく異質な、いくつかの特徴を備えている。まず第一に、供給源は枯渇せず、再生可能なものが多くなる。また、高度に集中化された燃料にたよらず、広い範囲に散在する、バラエティに富んだエネルギーになるだろう。エネルギーの生産技術も、いまほど厳密に集中化されたものでなく、集中化した技術と拡散した技術とを、組み合わせたものになるだろう。
限られた生産方法と資源に過度に依存しているという危険な状態を脱して、エネルギー形態は極端なほど多様化するにちがいない。エネルギーの多様化によって、われわれは、ますます多様化する需要に合致した、エネルギーの種類と量を選択することができるようになり、その結果、エネルギーの浪費を防止することも可能になるだろう。
 一言で言えば、いまはじめて、過去300年間のエネルギー体系から180度転換した原則に立脚する体系が、われわれの眼前にその姿をあらわしはじめたのである。しかし、第三の波のエネルギー体系が確立するまでには、厳しい闘いが待っている。
 すでに高度の技術を持った国ぐにで、始まっているこの闘いは、アイデアと巨大な資本を要し、敵味方、二つの陣営で闘われているのではなく、まさに三つ巴の闘いとなっているようである。まず第一グループは、古い、第二の波のエネルギー体系に投資している人びとである。かれらは、石炭、石油、ガス、原子力、およびその代替品など、従来のエネルギー源と技術を支持しているから、第二の波の“現状維持”のために闘うのである。かれらは石油会社とか公共事業体、原子力委員会、鉱山会社、それにいま述べた組織、団体に働く労働組合のメンバーなどを砦として立て篭もっているので、第二の波の勢力は、難攻不落の陣をしいているように見える。
 これにくらべて、第三の波のエネルギー体系を推進しようとする勢力は、消費者グループ、環境保護運動家、科学者、産業界の最先端をゆく企業家やその同調者で構成されているが、かれらは散り散りばらばらで、資金も乏しく、政治的にも無力な場合が多い。第二の波のための宣伝に力を入れている人びとによれば、あまりに素朴で、経済観念が乏しく、空想的な技術に目がくらんでいるのがこの第三の波を支持する人びとだということになる。
 不幸なことに、第三の波の支持派は、第三の勢力の代弁者と誤解されがちである。第三の陣営とは、第一の波の支持者で、新しい高度の知識と科学にもとづく永続的なエネルギー体系を求めて前進しようとはせず、産業革命以前への回帰を主張する人びとである。その立場を極端におし進めれば、技術はほとんど排除され、人間の行動範囲は限定され、都市は縮小してやがて滅び、自然保護という名のもとに禁欲生活を強いられることになってしまう。つまり、第三の波の支持者たちはこのように誤解されがちなのだ。
 第二の波の陣営に属するロビイストや、広報担当者、政治家たちは、第三の波の勢力と第一の波の支持者とを意識的に同一視することによって世論を混乱させ、第三の波の勢力を不利な立場へ追い込んでいる。
 しかし、最後に勝利をおさめるのは、第一の波でもなければ第二の波でもない。前者は幻想を追い求め、後者は難問、というより解決方法のない問題をかかえた古いエネルギー体系にしがみついているのだ。
容赦なく上昇する第二の波のエネルギーのコストは、第二の波にはなはだしく不利に作用している。このほかにも第二の波の立場を不利にしている要素はたくさんある。たとえば第二の波のエネルギー技術の投資コストの急騰である。第二の波の技術では、ほんのすこしの「純」エネルギーをとり出すために、大量のエネルギーを消費するという事実がある。ますますエスカレートする公害問題も不利である。核利用
に伴う危険もある。多くの国で、自分たちの利益に反する原子炉、露天掘り鉱山、大発電所の建設に反対して、民衆は警察権力と闘うことも辞さない姿勢を示している。非産業世界に増大する自分自身のエネルギーを持ちたいという欲求、そして、自国の資源をより高く売りつけたいという欲求、これらのすべてが、第二の波のエネルギー体系にとって不利な要因となっているのである。
 要約すれば、原子炉とか石炭ガス化、石炭液化などの技術は、一見、「進んだ」「未来型」のものに見えるため、「革新的」な技術であると思われがちだが、実は、致命的な矛盾にしばられて身動きできなくなった、第二の波の過去の産物にすぎないのである。なかには、一時の便法として有用なものもあるだろうが、本質的には時代逆行の技術なのである。同様に、第二の波の勢力がいかに、強大に見え、それに対抗する第三の波の支持者が弱小に見えようとも、過去に多くを賭けるのは愚かなことである。問題は、第二の波のエネルギー体系が崩壊するか否か、新しい体系にとって代わられるかどうか、ということではなく、その時期がいつかということである。エネルギーをめぐる闘争は、それに劣らず重要なもうひとつの変革・・・第二の波のテクノロジーの崩壊・・・と複雑にからみ合っているからである。(2-1) 

第11章 新しい統合

2015年01月01日 00時11分18秒 | 第三の波
March,1980
Alvin Toffler, The Third Wave, William Morrow, New York, 1980
第三の波 昭和55年10月1日 第1刷発行 アルビン・トフラー著 徳山二郎 監修
鈴木建次 菅間 昭 桜井元雄 小林千鶴子 小林昭美 上田千秋 野水瑞穂 安藤都紫雄 訳

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第三の波
第十一章 新しい統合
 ちょうど20世紀後半の幕があがった1950年1月、22歳の痩身の青年でだった私は、インクの香りも新しい大学卒業証書を手にし、実社会の荒波のなかに乗り出すべく、夜どおしバスに乗っていた。隣席にガールフレンドを座らせ、座席の下にはぎっしり本のつまった安物のスーツケースを置いて、私は雨に洗われた窓の外を眺めていた。紫がかった暗灰色の夜明け・・そこには、行けども行けどもアメリカ中西部の工場群が続いていた。
 当時のアメリカは、世界の心臓部と言ってよかった。五大湖で知られるこの地帯は、そのアメリカの産業の中心であった。そして、工場こそ、この心臓のなかの心臓とも言える地域の、鼓動の源であった。製鋼工場、アルミニウム工場、工作機械工場や圧穿工場、製油所、自動車工場などのすすけた建物が立ち並んでいた。そしてその工場のなかでは、鉄板の打ち抜き、パンチやドリルによる穿孔、プレス、溶接、鍛冶、鋳造などの巨大な機械がうなりをたてて作動していた。工場は産業時代全体のシンボルであった。ほどほどに安楽な中流の下といった家庭で育ち、大学の四年間、プラトンやT・S・エリオット、美術史、抽象的な社会科学理論などを学んでいた青年にとって、工場に代表される世界は、エキゾチックだという点では、ウズベク共和国の首都タシケントや、南米大陸南端のフエゴ諸島と変わらなかった。
 私はそれから5年間、これらの工場ですごした。事務員でもなく、人事担当者のアシスタントでもなく、組立工、機械の据えつけ工、溶接工、フォークリフトの運転手、パンチプレス機のオペレーターとして働き、送風機のファンを打ち抜き、工場に機械を据えつけ、アフリカの炭鉱向けの巨大な粉塵制御装置をつくり、アッセンブリーラインの上をガタガタ、キーキー音を立てながら流れていく軽トラックの、最後の仕上げをしたりした。産業時代の工場労働者がいかに苦労しながら生計を立てているか、私はそれを肌で学んだのである。
 私は工場の粉塵や煙を吸った。耳は蒸気のシューシューいう音やチェーンのガチャガチャいう音、それにコンクリートミキサーのうなりで、鼓膜も破れんばかりであった。白熱した鋼鉄を注ぐ時のあの熱気。足には、アセチレンの火花でやけどした跡が残っている。私は交代時間がくるまで、心も筋肉もきしみ出すほど、まったく同じ動作をくりかえし、何千という部品を生産した。私は、労働者が持ち場を離れないように監督しているマネージャーを観察した。ホワイトカラーもまた、上役によって絶え間なく追いまくられ、はっぱを掛けられているのだった。機械に指を四本もぎとられて、血まみれになっている65歳の女性を助け出す手伝いをしたこともある。「畜生、これじゃもう、働けやしない。」その時の老女の叫び声は、いまでも私の耳にこびりついて離れない。

 工場、 ・・なんとその時代の長かったことか。しかし、今日では、建築中の新工場もないわけではないが、工場を聖堂とするような文明は滅びつつある。そして、いま現在、世界のどこかで、また別の青年男女が、姿をあらわしつつある第三の波の文明の心臓部に向かって、一晩中車を運転しているのだ。かれらの「明日への探究」とでも言うべきものに参加することこそ、本書のこの章以下の作業である。
 もし、かれらの後を目的地まで追っていくことができたとしたら、いったいわれわれはどこに行き着くことになるのだろうか。炎に包まれて大気圏外に突進していく、ロケットの発射台に行き着くのだろうか。それとも、海洋学の改訂実験室であろうか。原始生活を営む家族が集まったコンミューンなのか、人工頭脳の研究集団なのか。それとも狂信的な新興宗教の教団なのか。そうした青年たちは、自ら求めて簡素な生活を送っているのか。かれらは原始共同体のような生活をしているのだろうか。それとも、テロリストに銃を運んでいるのだろうか。いったいどこで、未来はつくられているのだろうか。
 もし、われわれ自身の手で同じような未来への探究を計画するとしたら、その地図をどうやって準備したらよいのだろうか。未来はすでに現在のなかではじまっている、などと言うのは簡単だ。しかし、いったいどの現在なのか。われわれの時代、現在は矛盾に満ちあふれ、散り散りに分裂している。
 現代のこどもは、麻薬とかセックス、宇宙ロケットの発射などについて、すっかり慣れっこになってしまっている。こどもによっては、コンピュータについて、親よりよほど知識が豊かだ。にもかかわらず、学校の試験はかれらの上に重苦しくのしかかっている。離婚率は依然上昇を続けており、しかしその一方で、再婚率も上昇している。反フェミニストさえ支持する女性の権利拡大が実現してきたかと思っていると、もうそれと時を同じくして、ほかならぬ反フェミニストたちの発言力も増してきている。ホモも自分たちの権利を主張しはじめ、勢いよく密室から出てくる。すると、それを待っていたかのように、突如、同性愛者に対する差別撤廃条令の制定に反対して、フロリダ州に住むアニタ・ブライアントという女性が、「ホモの手からこどもを救え」と叫びはじめる。
 手のほどこしようもないインフレが、第二の波に属するすべての国を襲っている。にもかかわらず、失業問題は深刻の度を加える一方で、古典的経済学理論ではどうにもならなくなってきている。そしてこの失業問題の深刻な時代に、需要と供給の論理を無視して、何百万という人間が、単に生活に困らなければよいというだけではなく、創造的な、心理的にも充足感があり、社会的にも責任ある仕事を求めているのだ。経済学だけでは、どうにもわかならないことがふえるばかりである。
 政治の世界では、たとえばテクノロジーといった、世の中の主要な問題がかつてないほど政治色を強めた時点で、政党は逆に、忠誠心の厚い党員から見放されてしまった。また、地球上の広範囲にわたって、グローバリズムの名のもとに国民国家が攻撃にさらされている時代に、逆にナショナリストの運動が勢力を強めている。
 こうした矛盾に直面して、われわれは世の中の動向とその背後にあるものを、どうやって見分けることができるだろうか。残念ながら、この問いに対して、魔法の答えの持主などひとりもいない。コンピュータがはじき出すさまざまな解答、さまざまな図表、未来学者がもっともらしく活用する数理的モデルやマトリックスにもかかわらず、われわれの未来を予測したいという欲求は、当然のことながら、客観的な科学というよりは、むしろ想像力の産物といった域を出ていない。さらに言えば、今日の状況の理解ですら、そうした段階にとどまっているのだ。
 体系的な研究は、われわれに多くを教えてくれる。しかし、いくら論理的にやってみても矛盾はある。推量をし、空想力をはばたかせ、そして大胆な(仮説としての)統合に頼らざるをえない。
 したがって、以下各章で未来を探究していくにあたっては、単に世の中の動向を知るだけでは十分でない。いかに困難であろうと、われわれは直線的思考の誘惑に抵抗する必要がある。多くの人びとは、大方の未来学者まで含めて、明日は単なる今日の延長と考えている。時代の趨勢というものが一見いかに強力に思えても、単純に、直線的に継続するものではない、ということを忘れてしまっている。こうした流れは頂点に達すると分裂を起こし、さまざまな新しい現象が生まれる。流れの方向が逆になることもあるのだ。流れが止まったり、また動き出したりする。なにかがいま起こっているからといって、あるいは過去300年続いて起こってきたからといって、今後も続いて起こるという保証はなにもない。そこで以下各章では、こうした矛盾、相克、方向転換、そして断絶点といった、未来を常に番狂わせなものにする要素を、正確に見つめていくことにしたい。
 さらに重要なことは、表面的には相互に無関係に見えるさまざまな出来事の間の、かくれた関係を発見していく、ということである。半導体やエネルギーの未来を予測しようと、(自分自身の家族も含めて)家族関係の将来を予測しようと、それ以外のものは不変だという前提に立っての予測であれば、ほとんど役に立たない。世の中に、不変なものなど存在しないからだ。未来は流動的であって、凍結状態にあるわけではない。未来はわれわれが毎日の決定をどう変えていくかにかかっており、ひとつひとつの出来事が、ほかのすべてに影響する。
 第二の波の文明は、われわれが問題をその構成要素に分解する能力を、極端なまでに重視してきた。それに対し、ばらばらに分解された部分を再構成する能力の方は、それほど重視しなかったのである。大多数の人間は、文化的には、統合より分析の方に手慣れている。われわれの未来に対するイメージ、そして未来におけるわれわれ自身のイメージが、非常に断片的で一貫性に欠け、したがって誤っているのは、このためである。本書の使命は、スペシャリストとしてではなく、ゼネラリストとして未来を考察していくことにある。
 今日、われわれは新しい統合の時代のスタートラインに身を置いている、と私は考える。自然科学から社会学、心理学、そして経済学と、学問のあらゆる分野で、ふたたびスケールの大きい考え方、総括的な学説、ばらばらになった部分の再編成に回帰する傾向が出てきているように思われる。とくに経済学にその傾向が強い。なぜなら、全体としての脈絡なしに細部を数量化することばかり重視し、次第に重箱の隅をつつくような問題に目を奪われてしまったからだ。しかも、ひたすらそれを上品な手つきで扱うことだけにこだわっていたのだ。そのようなやり方だと、われわれの知識そのものが次第に限定されてしまうということに、いま、ようやく気がつきはじめたのである。
 したがって、次章以下の概論は、われわれの生活をゆさぶっている変化の流れを探り出し、それらの流れの相互関係を明らかにすることになろう。流れのひとつひとつがそれ自体重要なこともさることながら、こうした変化の流れが合流して、より大きな、より深い、より早い変化の大河を形成し、そして今度はその大河が合流を重ねながら、次第により大きな流れ、つまり第三の波を形成する過程を明らかにしたいのである。
 今世紀のちょうど折り返し点で、当時の世界の心臓部を見ようと旅立った青年と同じように、われわれもいま、未来への探究の旅をはじめるわけである。この探究は、われわれの一生のうちでも、もっとも意味あることになるはずである。

第十章 鉄砲水

2014年12月24日 02時04分46秒 | 第三の波
March,1980
Alvin Toffler, The Third Wave, William Morrow, New York, 1980
第三の波 昭和55年10月1日 第1刷発行 アルビン・トフラー著 徳山二郎 監修
鈴木建次 菅間 昭 桜井元雄 小林千鶴子 小林昭美 上田千秋 野水瑞穂 安藤都紫雄 訳

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第十章 鉄砲水
 産業時代は、悠久の歴史のなかでみると、わずかに三世紀という短い期間の、鉄砲水のような出来事であった。産業革命はなぜ起こったのか。第二の波はなぜ全世界を席巻しえたのか。それは、まだ謎である。 小さな変化の流れが、たまたまこの時期に合流し、大河となった。新世界の発見は、産業革命前夜のヨーロッパに、文化の面でも経済の面でも、大きな刺激を与えた。人口の増大は都市への人口流入をうながした。イギリスでは森林資源が枯渇したため、燃料を石炭に切り換えざるをえなかった。このため、炭鉱の坑道はますます深くなって、従来の馬が動かしていた揚水機では、坑内に湧き出る水を排水しきれなくなってきた。この問題に対処するために開発されたのが蒸気機関である。蒸気機関の完成は、新しい科学技術のすばらしい可能性を、いっせいに開花させることになった。やがて、産業を中心にすえた考え方がひろがり、教会や政治の権力を脅かすことになる。文盲率が低下し、道路が改善され、交通機関が発達すると、これらの変化は一点に集中し、歴史の堰をきっておとす力となったのである。
 産業革命の原因はなにかという問いは、不毛である。原因はひとつにしぼることができないし、ほかにくらべてとくに有力な原因をあげることもむずかしい。歴史は工業技術の発展だけで展開するわけではない。理念とか価値観といったものも、単独で原動力になるとは考えられない。歴史を動かす力を階級闘争にだけ求めるのも、間違いである。生態的変化や人口の動態、通信技術上の発明といったものを記録するだけが歴史ではない。産業革命にしても、ほかの歴史上の出来事にしても、経済学的視点からだけでは説明ができない。原因をひとつだけにしぼって、あとはみな従属的な要員だと言い切れるようなものがあるわけではない。さまざまな要因が際限なく、複雑にからみあっているのである。
 迷路のように入りくんだ原因を解明しようとしても、それらの相互作用をつきとめることすら不可能である。せいぜいできることと言えば、それぞれの目的にいちばん合致した要因に焦点をあててみることになる。しかし、それとても、なぜその要因だけをとりたてて選ぶのかを説明するのは、無理だということを認識する必要がある。そうした前提をふまえたうえで、第二の波の文明を形成する力となった諸要因のなかで、生産者と消費者とが分断され、その間の亀裂がひろがったこと、資本主義国においても、社会主義国においても、市場と呼ばれる網の目のような流通網が形成されたことが、もっとも影響力のはっきりしている点だと言うことができよう。
 生産者と消費者が分断され、時間的にも空間的にも、社会的にも心理的にも、その距離がひろがればひろがるほど、市場が現実の社会で果たす役割は重要になった。市場は驚くほど複雑になり、人びとの一連の価値観にも影響をおよぼし、市場というものの持つ比喩的な意味や、それを成り立たせている暗黙の前提が、社会全体を支配するようになった。
 すでに見てきたように、近代の貨幣制度は、この生産者と消費者との間に打ち込まれた見えない楔によって生まれた。中央銀行の制度も、株式市場も、世界貿易も、政策を立案する官僚も、すべてを量でとらえる計量主義的な考え方も、契約至上主義の倫理も、物質主義的傾向も、狭い意味の立身出世主義も、信賞必罰主義も、みな生産と消費の分離と貨幣制度の確立がもたらしたものである。性能の高い計算機がうまれたのもそのためである。計算機の文化的意味を、われわれは軽視しているきらいがある。生産者と消費者との分離は、規格化、分業化、同時化、そして中央集権化に向かって、さまざまな面から拍車をかけた。男性と女性の役割分担や気質のちがいも、この生産と消費の分離に負うところが多い。第二の波をよびさました要因は、ほかにもたくさんある。しかし、大昔から一体であった生産と消費の間に楔を打ち込んだという事実は、それらの要因のなかでも、とくに重視しなければならない。この分裂の余波は、今日なお続いている。
 第二の波の文明によって技術革新が起こり、自然や文化が変わったばかりではない。人間そのものが変わり、その結果、新しい性格を帯びた社会が生まれることになった。もちろん、女やこどもも第二の波の文明を形成するのに寄与し、また第二の波は逆に、女やこどもにも影響を与えた。しかし、男性は女性より直接に市場にかかわりを持ち、新しい仕事のやり方を経験したので、はっきりと産業主義的性格を身につけた。したがってこの場合は、こうした新しい性格を要約して産業的人間=インダスリアル・マンという言葉を用いても、女性の読者に許していただけるのではないかと思う。
 産業的人間は歴史上のいかなるタイプの人間とも違っている。エネルギーという奴隷を支配し、その上に君臨することによって、自分の微弱な力を極度に強化した。反面、産業的人間は、工場と似たり寄ったりの環境のなかで、機械と組織を相手に生涯の大半を過ごすことになり、そこでは、個人がまるでちっぽけな存在になってしまった。幼い頃から、生きていくためには金銭が必要だということを教え込まれるようになったが、こんな事態は歴史上はじめてであった。彼は核家族の一員として育ち、工場に似せてつくられた学校に通うのが普通である。そして、世の中のことは、だいたいマスコミをとおして知る。彼は大会社に勤めるか官庁に勤務し、労働組合とか教会などの組織に所属して、自分の力をそれらに按分しながら生きている。自分の住む町や村への帰属意識はうすれ、国家への帰属意識が強くなった。自然と対峙して生活し、日頃から自然を荒廃させる仕事をしている場合が多い。それにもかかわらず、終末になると自然を求めて旅に出かける。(逆説的ではあるが、自然を痛めつければ痛めつけるほど、自然をロマンチックに謳いあげ、言葉の上だけで自然を賛美するのである。)産業的人間は自分自身を、巨大化した経済、社会、政治体系のからみあいの中のほんの一部と考えるようになり、それらの諸体系のあまりの複雑さに、そのひろがりを見失ってしまうのである。
 こうした現実に直面して、産業的人間はしばしば反抗を試みたが、失敗に終わった。生活のために闘い、社会から要請されている自分の役割を演じる術を心得るようになった。与えられた役割には不満なことが多かったが、やがて順応してゆく。生活水準は向上したが、自分自身では豊かな社会の犠牲者だと思っている。産業中心の社会では、時間は直線であり、自分自身は、過去から未来に向かって秒きざみで、ひたすら走り続け、行き着く先は墓場だと感じている。死が近づくにしたがって、この大地も、そこに住む人間も、広大な宇宙の中の一点に過ぎないことを悟るのだった。宇宙の運行は機械のように正確で、また冷酷なのだ。
 産業的人間は、それまでの人間がさまざまな意味でまったく知ることのできなかった世界に、身を置くことになった。人間の五感に訴えるものまで変わってしまったのである。
 第二の波は、音の世界も変えた。雄鶏の時をつくる声は工場のサイレンにとって代わられ、こおろぎの声はタイヤのきしむ音にかき消された。夜は昼のごとく明るくなり、就寝時間が遅くなった。これまでだれも目にしたことのない、視覚の世界もひらけた。宇宙から、人間の目では見ることができない地球の写真が送られてくるようになり、一部の映画には、シュールレアリズム的モンタージュがあらわれた。電子顕微鏡は、生命の神秘を解明してくれた。下肥のにおいはしなくなり、代わってガソリンやフェノールのにおいが鼻につくようになった。肉や野菜の味も変わった。五感に訴えるすべての世界が変わったのである。
 人間の体さえ、変化があらわれた。標準的身長が現在のように高くなったのも、この時代に入ってからである。何代にもわたって、こどもが親の身長を追い越し続けてきた。人間の身長に対する考え方にも、変化があらわれた。ノーバート・エライアスは『文明化の過程』のなかで、「16世紀までは、ドイツでもほかのヨーロッパ諸国でも、全裸の人間を目にすることはごく当たり前のことであった」と述べている。裸を恥ずかしいと思うようになったのは第二の波がひろまって以後のことである。夜は寝間着を着て寝るようになり、寝室でのふるまいも変わってきた。食卓用のフォークやナイフが普及した結果、食事まで作法がとやかく言われるようになった。動物の死体を食卓にのせることをめでたい、楽しいことだと考えていた文化から、「肉料理でも、動物の死を連想させる盛り付けは極力避ける」文化へと移行したのである。
 結婚は、経済的な便宜以上の意味を持つようになった。戦争も機械化され、流れ作業のような様相をみせるようになった。親子関係が変わり、社会階層の下から上へ上昇できる可能性が高くなるなど、人間関係がすべての面で変わってきた。そうなると、何百万という人びとの自意識にも、重大な変化があらわれた。
 経済的にも心理的にも、社会的にも政治的にも、その変化はあまりに広範囲にわたるので、人間の頭脳はそれをどうとらえていいのか、戸惑ってしまった。ひとつの文明を評価するには、なにを基準にしたらよいのか。その文明のなかで生きている、大衆の生活水準を基準に評価すべきだろうか。その文明の周辺に生きている人びとに、どのような影響を与えたかという尺度で評価するのはどうだろうか。それとも、生態系に与えた影響も考慮すべきなのだろうか。すぐれた芸術作品を生んだかどうかという基準は成り立つだろうか。その文明が人間の寿命をどのくらい伸ばしたか、科学的成果がどのくらいあがったか、個人にどれほど自由が保証されているか、などを評価の基準にしてはどうだろうか。
 第二の波をかぶった地域には、大恐慌もあり、おそるべき人命の浪費もあった。それにもかかわらず、普通一般の人びとの物質的生活水準が向上したことは確かである。産業中心主義の批判者たちは、18世紀から19世紀にかけてのイギリスにおける労働者階級の悲惨な生活をとりあげ、第一の波の時代をしばしばロマンチックに理想化して描くことが多い。昔の田園生活は心暖まるもので、互いに仲むつまじく、堅い絆で結ばれていた。そして、単なる物質的価値よりも、精神的価値を重んじる時代であったというのである。しかし、歴史的にふりかえって調べてみると、美しい田舎の村も、実際には栄養不良や病気、貧困、浮浪者のはきだめであり、暴虐の温床であったことがわかる。人びとは飢えと寒さに対してまったく無防備で、地主や親方の鞭からのがれる術さえ知らなかった。
 大都会またはその周辺に発生した忌まわしいスラム街については、すでに語り尽くされてきた。粗悪な食べ物、病気を蔓延させる不衛生な水道、みじめな救貧院、絶え間ない暴力沙汰などである。たしかにそれは、ひどい暮らしぶりであったにちがいない。しかし、これも産業革命以前に同じ人びとが経験していた生活条件にくらべれば、大方の人にとって、かなり良くなっていたのは明らかである。イギリスの著述家ジョン・ベイジーは、「イギリスの農村が牧歌的だというのは誇張である」と述べている。かなりの人にとって、農村から、スラム街といえでも都市へ移動するということは、実際には、平均寿命を指標として見ても、住宅条件や食べ物の量や質の点から見ても、飛躍的な生活水準の向上を意味したのである。
 保健医療についても、ガイ・ウィリアムズの『苦悩の時代』やL・A・クラークソンの『産業革命以前のイギリスにおける死・病・飢饉』を一読すれば、第一の波の文明を讃美して、第二の波の時代を批判するのが誤りであることは、すぐわかる。クリスティーナ・ラーナーは、これらの書物に対する批評の中で述べている。「社会史研究家や人口統計学者の研究によって、ひろびろとした農村にも、不健全な都会と同じように、病気や苦悩、死などが蔓延していたことが明らかになっている。平均寿命は短かった。
16世紀には40歳くらいであり、17世紀になると疫病が流行し、35,6歳まで低下した。ようやく40代のはじめまで回復したのは、18世紀に入ってからのことである。・・・結婚しても、夫婦で長い間いっしょに暮らせるのは稀で、幼児の死亡率は極めて高かった。」現在の保健医療行政は間違っており、危機的であるという声を聞く。たしかに現在の保健医療にも問題があるだろうが、産業革命以前には、公的医療は皆無であり、放血が治療として行なわれ、手術は麻酔なしに行なわれていたのである。
 その時代の主な死因は、ペスト、チフス、インフルエンザ、赤痢、天然痘、結核であった。ラーナーは、冷徹な調子でこう書いている。「保健医療の進歩といっても、たかだか死因が少しばかり入れ替わっただけではないかという識者もいる。しかし、そのおかげで、われわれは多少とも長生きができるようになったのである。産業革命以前には、伝染病が年寄りばかりでなく、若者をも無差別に死に追いやっていたのだ」
 さて、保健医療や経済の問題から、芸術やイデオロギーの問題に目を転じてみよう。産業化の時代は物質主義一辺倒の時代だとも言われる。しかし、この時代はそれ以前の封建時代にくらべて、精神的により不毛な時代だったのだろうか。工業を重視し、機械を中心にすえた発想は、前の時代にくらべて新しいものの考え方を、より積極的に受け入れなかっただろうか。たとえば、中世の教会や専制君主にくらべて、どちらが異端に対して寛容だっただろうか。現代の肥大化した官僚機構はうとましいが、それとて、何世紀も前の中国や古代エジプトの官僚制とくらべれば、どちらがより硬直しているだろうか。芸術の面では、ここ300年ほどの間、西欧の小説や詩、絵画などは、それ以前の時代の芸術、あるいは西欧以外の地域の芸術にくらべて、活力がなかったと言えるだろうか。深みがなく、新しい境地を切り開くことがなかった、単純な作品だと言い切れるだろうか。
 第二の波の文明は、われわれの父や母の世代の生活条件を工場させるのに大いに貢献した反面、もちろん、暗い面のあることも事実である。それははじめから予定されていたというよりも、副作用とでも呼ぶべきものであろう。そのひとつは、地球上の生態系をおそらく修復不能なまでめちゃくちゃに破壊してしまったことである。自然を軽視する産業的現実像、人口の増加、科学技術の非人間性、それからまた、第二の波の文明自体が常に拡大再生産を必要としていたことなどが原因となって、歴史上かつてない決定的な自然破壊が起こった。産業化以前の都市には、馬の糞が落ちていたというような話を読んだことがある。
汚染というのはなにも目新しいものではないという証拠として、よくもちだされる例である。たしかに、昔の都市では、道路が下水からあふれ出た汚物でいっぱいになることもめずらしくなかった。しかし、産業時代に入ると、生態系の汚染とか資源の極端な利用という問題はまったく新しい段階に入り、いままでと同じ尺度では律しきれなくなった。
 都市を破壊するというような次元ではなく、地球全体を文字通り存亡の危機にさらすような手段を文明が持つなどということは、歴史上かつてなかったことである。人間の貪欲や不注意の結果、海洋全体が汚染され、種が一夜にして絶滅するというようなことが起こっている。鉱山の発掘は地球の表面を傷だらけにし、ヘアー・スプレーのエアゾールはオゾン層を枯渇させた。熱汚染は、地球全体の気象条件を変えてしまうばかりの勢いである。
 もっとやっかいな問題に、帝国主義の問題がある。南アメリカでは、インディアンが鉱山発掘のために奴隷として使われ、アジア、アフリカ地域では、各地にプランテーション農業が導入されるなど、植民地の経済は工業国のニーズに応えるため、ひどくゆがんでしまった。これらすべてが、結果として、かつての植民地に苦悩、飢饉、疾病、荒廃といった傷跡を残している。第二の波の文明は人種差別を生み、自給自足の小規模経済を、むりやりに世界的な貿易体系にまきこんだ。傷口は、いまだに膿を出しており、癒える様子がない。
 それにもかかわらず、ここでもまた、昔の貧しい自給自足の経済を讃美することは誤りであろう。地球上の、今日なお工業化の進んでいない地域の人びとの生活さえ、300年前にくらべて悪化しているとは言えないのではないか。平均寿命、食糧事情、乳幼児死亡率、文盲率、人間の尊厳といった点からみて、まだまだサハラ砂漠周辺や中央アメリカでは、何百万、何千万という人びとが、筆舌につくしがたい悲惨な生活をおくっている。現状を批判するのに急なあまり、過去を美化し、ロマンチックな昔話をつくりあげてしまうのは罪なことである。未来への道は、過去のいっそう悲惨な生活に逆もどりすることではない。
 第二の波の文明を生んだ原因がひとつだけではないのと同じように、その功罪も一面的にとらえることはできない。私は第二の波の文明を、欠点も含めて描き出そうとしてきた。私は一方でこの文明を非難し、他方でこれを是認するという矛盾をおかしていると思われるかもしれない。しかし、単純な評価は誤解を招く。全面的に讃美することも正しいとは言えないし、全面的に否定し、非難することも的を射た評価とは言いがたい。産業主義が第一の波と、その波のもとで暮らしていた原始的な人びとの生活を瓦解させたさまは、直視できないものがある。第二の波は戦争まで大量生産の一環に組み込んで、アウシュビッツを生み、原子爆弾を用いて広島を灰塵に帰した。これも消すことのできない事実である。第二の波は自己の文化に対して尊大であり、地球上のほかの地域に対して恥ずべき略奪行為を行なった。また、都会のスラムにおける人間のエネルギーの浪費、創造的精神の喪失はおぞましいばかりである。
 しかし、自分たちの時代や同時代人に対する理不尽な嫌悪は、未来を築き上げる最上の基礎とはなりえない。産業主義は、はたして心地よい文明にまどろむ人びとを襲う悪夢だったのだろうか。あるいはまた、広漠とした荒野であり、まったくの恐怖の世界にすぎなかったと言うのだろうか。果たして、科学や科学技術に反対する人びとが主張するように、悪一色に塗りつぶされた世界だったのであろうか。そうした面のあったことは否めない。しかし、すぐれた成果も数多く、けっして悪い面ばかりでなかったことも事実である。悠久の歴史の流れのなかでみると、産業時代もまた、人生そのものと同じように、苦もあり楽もある、長いようで短い時代だったのである。

 暮れなずむ現代という時代を、歴史のなかにどう位置づけるかは別として、産業化の時代は終わったのだということを、明確に理解しなくてはならない。次なる変化が胎動しはじめると、第二の波はエネルギーを使い果たし、力を失って消えて行く。新しい波の到来によって二つの変化が起こり、産業文明は、もはやこのままでは存続しえなくなってくる。
 第一にまず、われわれは自然に対する挑戦の転機にさしかかっているということがあげられる。生態系が、もはや産業主義の攻勢に耐えられない、限界まできてしまっているのである。第二に、これまで産業の発展を支える主要な助成金の役割りを果たしてきた、再生不能のエネルギーに依存することが、もはや出来なくなってしまったということである。
 だからといって、科学技術に支えられた社会がもう終わったとか、エネルギー源がなくなってしまう、ということではない。ただ、これからの科学技術の進歩は、環境問題によって、これまでにない制約をうけざるをえない、ということである。そして、新しい代替エネルギーが開発されるまでの間、産業国家は、おそらく何回も激しい退潮のきざしに苦しむだろう。そして古いエネルギー形態に代わるものを探し出すために苦闘することになるが、それはまた、われわれに社会的、政治的変革をせまることになるだろう。
 ひとつだけ明確に言えることは、少なくともここ何十年間は、安いエネルギーは得られないということである。第二の波の文明は、この文明の発展を支えてきた、二種類の重要な助成金と言うべきものの、ひとつを失ってしまったのである。
 同時に、第二の波にとって、もうひとつの隠れた助成金であった、安い原材料もなくなりつつある。植民地主義あるいは新帝国主義の時代は終わり、産業先進国の進む道は二つしかない。ひとつは代替エネルギーや新しい原材料を、産業先進国相互の貿易によって産業化諸国のなかに求め、非産業国との絆を次第に弱めていく道である。さもなければ、非産業国との貿易を続けるにしても、いままでとはまったく違った条件で貿易をすることになるであろう。どちらの場合にしても、コストはかなり高いものになり、文明の基盤を支える資源事情全体が、エネルギー事情同様、まったく変わってしまうにちがいない。
 産業社会は、外部からの力で変革をせまられるばかりでなく、内部からのちからによっても瓦解せざるをえない。アメリカでは、家族制度そのものが、崩壊の危機に瀕している。フランスでは、電話が問題になっている。(中南米の小さな開発途上国よりも悪い状態におかれている)東京では、通勤電車の混在がひどい。(乗客が駅に押しかけて、駅員を人質に抗議する事件まで起こっている)家族制度、通信体系、交通体系など問題はみな同じで、人間とシステムの緊張関係が、すでに限界点に達しているのである。
 第二の波の体系全体が、危機に瀕している。社会福祉制度の危機があり、郵便制度の危機があり、学校制度の危機があり、保健医療制度の危機があり、都市体系の危機があり、世界の財政制度も危機に直面している。国民国家の存在そのものが問われている。第二の波の価値体系が、崩壊の危機に瀕しているのである。
 産業中心の文明を維持する基盤となっていた役割分担、義務と責任も問い直されている。男女の役割分担に変革を迫る運動は、そのもっともドラマチックなあらわれである。ウーマンリブの運動や、同性愛を法律で公認させようという運動があり、ファッションの世界でもユニセックスの傾向が強まるなど、伝統的な男女の役割分担は、徐々に不明瞭になってきている。職業における役割分担も崩れはじめている。たとえば、看護士と患者はいずれも医療との関係を見直そうとしている。警察官や教師も定められた役割を捨てて、違法とされているストライキをするようになった。法律問題に直面している人びとは、弁護士の役割を問い直している。労働者は次第に経営参加の要求をエスカレートさせ、従来の経営者の役割を侵害しつつある。産業社会を維持する基盤となっていた役割分担にひびが入るということは、毎日の新聞紙面をにぎわす政治的抗議やデモなど、表面にあらわれた変化よりもその意味するところは深く、社会全体に与える影響も大きい。
 産業中心の社会は、その主な助成金の出所を失い、その生命を維持するシステムがうまく機能しなくなった。そして役割分担は崩れていく。こうした圧力がいちばん基本的な、しかもいちばん弱い部分に集中する。それが人格の危機である。第二の波の文明の崩壊は、人格の危機を蔓延させた。
 今日、自分の生き方に自信を失ってしまった何百万という人間が、自分自身の失われた影を求めて映画館に殺到し、芝居を見、小説や、自分のことは自分でやろうという自助の思想を説く本などをむさぼり読んでいる。いかにあいまいであってもアイデンティティーを見出すのに役立つものなら、必死に追い求めているのだ。アメリカにおける人格の危機は、のちに触れるように、目をおおうばかりである。
 人格の危機の犠牲者たちは、精神科医のグループ療法に殺到し、神秘主義の虜となり、性的猟奇に走る。かれらは変革を渇望しながら、来るべき変化に恐怖の念を抱いているのだ。なんとかして現状から抜け出し、新しい生活に飛び込みたい、今の自分とは違った自分になりたいと必死にもがいている。仕事を変え、夫や妻を変え、役割分担を変え、責任分担を変えてみたいと、みんなが願っている。
 思慮ぶかく、愛想がよくて満足しきっているように見えるアメリカのビジネスマンも、現状に不満を持っているという点では例外ではない。アメリカ経営者協会の最近の調査によれば、中間管理職の40%以上が現在の仕事に不満があり、三分の一以上の人びとが、もっと生甲斐のある仕事に変わりたいと願っているのである。不満はそのまま行動となってあらわれることもある。ドロップアウトして農業をはじめたり、放浪の旅に出る人もいる。新しい生活様式を求めているのだ。ふたたび学校へ戻る人もいるし、自分の影を追いかけてぐるぐるまわりをはじめ、少しずつ輪をせばめながらだんだん速度をあげて、ついに倒れてしまう人もいる。
 自分の心のなかの不満の原因を突き詰めていくと、謂れの無い罪の意識にとらわれて悩むことになる。自分の心の中の悩みや不満が、実はもっと大きな社会的危機の個人への反映であるということに、なかなか気がつかないようである。実は、かれらは無意識のうちに、社会の病根を反映した劇中劇を演じているのではないだろうか。
 現在のさまざまな危機は、それぞればらばらの現象だと見ることもできよう。エネルギー危機と人格の危機との関係を、無視することもできるだろう。新しい工業技術と男女の役割分担の変化の関係を、無視することもできるだろう。そのほか、これに類する表面にはあらわれない相互関係に、目をつぶっていることも可能だろう。しかし、そうすることによって、自分自身が崩壊の危機に瀕してしまうのだ。なぜなら、これらの出来事は、いずれもより大きな歴史の流れのなかに位置づけられているからである。われわれの時代を、互いに関係のある二つの変化の波に結びつけ、その二つの波が大きくぶつかりあっているということに気がついてみると、この時代の事象の本質が理解できるようになる。産業化の時代は過去のものとなりつつあり、真の意味で新しい、産業時代に続く時代が始まりつつあるということであり、われわれはそのさきがけとなる、さまざまな変化のきざしを、探り出すことが可能である。われわれは第三の波を確認することができるのだ。
 これからのわれわれの生活の枠組みとなるのは、この変革の第三の波である。滅びゆく古い文明から、いま、その姿をあらわしはじめた新しい文明へ円滑に乗りかえ、しかも自分自身を見失わずに、これから追ってくる、いよいよ激しい危機を乗り切るためには、第三の波の変革を正しくとらえ、むしろ積極的にその変革を推し進めていかなければならない。
 注意深くわれわれの身のまわりに目を向かれば、さまざまな失敗や崩壊現象が交錯するなかに、すでに新しいものが生まれてくる兆し、新しい可能性を見出すことができるのである。
 第三の波は、もはや遠くの浜に打ち寄せる波ではなく、耳をそばだてれば波音がすぐそばに聞こえるほど、身近におし寄せているのだ。

「ぶつかり合う波(完)」





第九章 産業的現実像(インダスト・リアリティ)2-2

2014年12月19日 22時25分54秒 | 第三の波
March,1980
Alvin Toffler, The Third Wave, William Morrow, New York, 1980
第三の波 昭和55年10月1日 第1刷発行 アルビン・トフラー著 徳山二郎 監修
鈴木建次 菅間 昭 桜井元雄 小林千鶴子 小林昭美 上田千秋 野水瑞穂 安藤都紫雄 訳

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第九章 産業的現実像(インダスト・リアリティ)(2-2)
 現実像の本質
 第二の波の文明は、新しい時間像と空間像を打ち立て、それによって、われわれの日常の行動を規定したにとどまらず、人類積年の問いに対する、独自の解答を組み立てた。物はなにから成り立っているのか。この疑問に解答を与えようとして、あらゆる文化は、それぞれ独自の神話や比喩を生み出してきた。ある文化にとって、宇宙はあらゆるものを巻き込む「統一体(ワンネス)」だと考えられている。そこでは、人間は自然の一部とみなされ、祖先や子孫の生活と不可分に連帯し、動物や樹木、岩石、河川にまで自分たちと同じ「生気」を感じ取るほど、自然界にとけ込んで生活している。また、多くの社会で、個人は、自分を一個の独立した存在としてではなく、むしろ、家族、氏族、部族あるいは地域社会といった、もっと大きな、有機的組織体に属する存在としてとらえている。
 また、別の社会では、宇宙の全体性あるいは一体性ではなくて、宇宙がいくつもの要素に分類できるという面を強調してきた。現実を、ひとつに融合した存在としてではなく、多くの個別の部分から組み立てられた構成体と考えてきたのである。
 産業主義が出現するおよそ2000年前、デモクリトスは、当時としては驚異的な説を発表した。宇宙は縫い目のない完全な単一体ではなく、微分子から成り、その微分子はおのおの別個で、それ以上破壊できない、不可変、不可分の微小物体だ、と言うのである。かれはこの微小物体を「原子(アトモス)」と名づけた。そののち何世紀もの間、不可変の微小物体が集まって宇宙を構成するという宇宙観は、消長の歴史をたどる。中国では、デモクリトスの時代からわずかにおくれてまとめられた『墨子』のなかで、「点」をはっきり定義して、これ以上分割できない、短い一片に切断された線、としている。インドでも、原子、すなわち不可変の現実を構成する単位という考え方が、西暦紀元後ほどなく、忽然と起こっている。古代ローマの詩人ルクレチウスは、原子論の哲学をきめ細かに展開した。しかし、こうした物質像は召集意見の域を出ず、往々にして嘲笑を浴びるか無視された。
 第二の波の時代が幕を開け、さまざまな主張が入り混じった思想の流れが、何本も合流してわれわれの物質観を変革すると、ようやく原子論は支配的な思想に成長した。
 17世紀半ば、フランス人神父でコレージュ・ド・フランスの前身パリ王立学院の天文学者であり哲学者でもあったピエール・ガッサンディは、物質は「超微粒子」によって構成されていると主張した。ルクレチウスに影響を受けたガッサンディは、原始的物質観のきわめて有力な擁護者となり、その思想はまもなくイギリス海峡を渡って、気体の圧縮性を研究していた若い科学者ロバート・ボイルの知るところとなった。ボイルは、この原子論を観念の領域から実験室に移し、空気さえも微粒子によって構成されている、という結論をくだした。ガッサンディの死から6年後、ボイルは論文を発表して、いかなる物質も、・・たとえば土と言えども・・より単純な物質に分解できるかぎり元素ではありえない、と論じた。
 一方、イエズス会で教育を受けた数学者ルネ・デカルトは、ガッサンディに批判されたこともあったが、現実を理解するためには、それをより小さな部分に分解していくよりほかはない、と主張した。かれ自身の言葉によれば、「検討中の難問はひとつひとつ、可能なかぎり、多数の部分に分割すること」が、それを解くために必須だと言う。第二の波が高まると、物質についての原子論に並行して、哲学的原子論が発達したのである。
 こうして「統一体」という概念に対して、つぎつぎに反論が加えられた。この攻撃には、たちまち科学者や数学者、哲学者が参加し、かれらは宇宙をさらに小さな断片に分割し続け、画期的な成果を上げた。
デカルトが『方法叙説』を発表すると、「ただちにそれを医学に応用することによって、無数の発見がなされた」と微生物学者ルネ・デュポスは書いている。原子論とデカルトの原子論的方法論の結合は、化学そのほかの分野に驚くべき進歩をもたらした。1700年半ばには、宇宙を独立の部分から部分へと、どんどん分割していくことができるという概念は、常識となっていた。それは、形成されつつあった産業的現実像の一部となったのである。
 新しい文明が発生する時には、常に、過去から思想が抽出し、それを再構築して、周囲の世界との関連においてみずからの特質を明確にしようとする。ばらばらの部品を寄せ集めて、機械製品の量産体制にまさに移行しはじめたばかりの、萌芽期の産業社会にとって、宇宙を個別の構成要素から成る集合体であるとする考え方は、おそらく表裏一体のものだったにちがいない。
 現実に対する原子論的解釈が受け入れられた背景には、政治的ならびに社会的理由もあった。第二の波は、第一の波に属する既存の旧体制に激突した時、人びとを拡大家族、全能の教会、君主政体から力づくでも解放しなければならなかった。産業資本主義は、個人主義を擁護するための論拠を求めていたのである。古い農業文明が凋落し、産業主義の夜明けを待つ一、二世紀の間に、商業活動が拡大し都市の数が増すと、新興の商人階級は取り引きや融資、師情拡大の自由を求めて、新たな個人観を打ち出した。原子として、ひとりひとりの人間が集まって、はじめて社会が成立するという考え方である。
 人間はもはや部族、カースト、氏族の受動的な従属物ではなく、自由かつ自立的な個人であった。各個人は、財産を私有し、商品を買い、自分の思うままにどんどん事を運び、本人の積極的努力いかんによって金持ちにもなれば飢えもする権利を持つことになった。これに呼応して、宗教の選択、個人的幸福の追求という権利も手にした。要するに、産業的現実像は、原子に酷似する個人、つまり社会の基本的構成要素として、それ以上細分化できない、構成単位としての個人という考え方を生み出したのである。
 すでに見たように、原子論は政治の世界にもあらわれ、そこでは、投票が最小の構成要素になった。また、国際社会を考えてみても、それが、自己充足的な不可侵の、独立した国家と呼ばれる単位から成り立っているととらえるとき、同じ原子論が姿を見せていた。つまり、物質的問題にかぎらず、社会的、政治的な問題も、ちょうど、れんがを積み重ねていくように自立的な単位、つまり原子から成り立っていると考えられるようになったのである。原子論は生活のあらゆる領域に浸透した。
 現実がばらばらな個別の単位を組織化することによって成立するという概念は、また、新しい時間像にも空間像にも完全に適合した。時間と空間そのものが、次第に細かく分割され、定義づけられることの可能な単位に分割できると考えられるようになっていたからである。こうして第二の波の文明は勢力を拡大し、いわゆる「未開」社会と第一の波の文明の双方を制圧し、同時に、論理性、首尾一貫性を次第に強化しつつ、人間や政治、社会に対する、この産業主義的概念を世の中にひろめていった。
 しかし、この論理体系を完成するためには、さらにひとつ、最後の問題が残っていた。
 窮極の“なぜ”
 なぜさまざまな事象は起こるのか。文明にはこの「なぜ」に対して、なんらかの説明が必要である。たとえ分析が1割で残りの9割が謎のままであったとしても、なんらかの説明を容易しないかぎり、その文明は効果的な生活のプログラムを用意することはできない。文化的要請にしたがって行動を起こすにあたって、人間は自分の行為が「結果」を生むのだという、なんらかの確信を必要とする。そして、そのことがひいては、人類積年の「なぜ」に対して、ある種の解答を意味することになる。第二の波の文明は、すべてを説明できるかに見える、強力な理論を武器に登場した。
 池のおもてに石が投ぜられる、波紋が速やかに水面に広がる。なぜか。なにがこの現象をひき起こすのか。産業時代の子らなら、たぶん、こう答えるであろう。「だれかが石を投げたからさ」と。
 この問題に解答を試みるとして、それが12,3世紀のヨーロッパの学識豊かな紳士であれば、われわれとは著しく異なる考え方をしたであろう。彼はおそらくアリストテレスの運動の四原因という考え方によって、質料因、形相因、動力因、目的因を求めたであろう。しかし、四原因のいずれも、それ自体では何事も説明できなかったのである。また、中世の中国の賢者であれば、陰陽を語り、神秘的な力の相互作用について語ったであろう。かれらはそれによって、あらゆる現象を説明できると信じていたのである。
 第二の波の文明は、因果の謎に対する解答を、ニュートンの画期的な発見である万有引力の法則に見出した。ニュートンにとって原因とは、「運動を起こす物体に加えられる力」であった。ニュートン的因果論を説明する例としてよく挙げられるのが、つぎつぎに衝突してはそれに反応して運動するビリアードの球である。計測可能で、直ちに確認しうる外的力だけに注目したこの変化の概念は、時間と空間を直線的にとらえる新しい産業的現実像に完全に合致するところから、きわめて有力になった。事実、ニュートン的、力学的因果論は、産業革命がヨーロッパ全土にひろがるとともに受け入れられていき、それにつれて産業的現実像も、完全に確立したのである。
 もし世界がビリアードの球のミニチュアのような個別の微粒子から成り立っているとすれば、あらゆる原因は、これらの球の相互作用から生じることになる。ひとつの微粒子、つまり原子が第二の原子にぶつかる。第一の原子が第二の原子の運動の原因になり、第二の原子の動きは第一の原子の運動の結果であった。空間には運動のない行為は存在しなかったし、原子は同時にひとつ以上の場所には存在しえなかった。
 複雑で雑然とした予測不能の世界、過密で神秘的で混沌とした宇宙が、にわかに整然と秩序正しい姿を見せはじめた。人間の細胞中の原子から、はるかな夜空に凍てついた星に至るまで、あらゆる現象が、運動する物質として理解されるようになった。各微粒子が隣接する微粒子を活性化させ、それを動かして永遠の生命の踊りを躍らせている、と解釈されるようになったのである。この思想は、のちにラプラスが主張したように、神という仮説を必要とせずに、無神論者が生命を説明することを可能にした。しかし、信仰深い人にとっては、依然として神の座は残されていた。神を最初に動きを起こしたものと考えることができたからである。つまり、神は最初に撞球棒で球を突いてから、おそらくゲームを降りてしまったのだ、と考えることができたわけである。
 現実に関するこの比喩は、興隆期にあった産業主義の文化に対して、知的アドレナリン注射のような役割を果たした。フランス革命の土壌をつくりあげるのに力のあった急進的哲学者のひとり、ドルバック男爵は意気軒昂として言い放った。「この世に存在するもろもろの大集合である宇宙は、物質と運動以外のなにものでもない。われわれがその全体を熟視する時、すべては原因と結果の、限りない不断の連続にほかならないことがはっきりする。
 この言葉が、すべてを物語っている。すべてがこの短い、勝利感に満ちた言葉に含まれている。すなわち、宇宙とは、ひとつの「集合体」にまとめあげられた個別の部分から成り、組み立てられたひとつの現実だ、という考え方である。物質は、運動すなわち空間における移動という観点からのみ理解された。事象は直線的に連続して起こり、過去から現在、現在から未来へと、時間の直線の上に並んでいく。ドルバックによれば、憎悪、利己心、愛など、人間の情念もまた反発力、慣性、静止摩擦のような物理的な力にたとえられ、ちょうど科学が物理的な力を公益のためにうまく利用するように、賢明な国家は、それらの人間的情念を大衆の福利のために操作することができる、と言うのである。
 この産業社会の現実をふまえた宇宙像から、そしてそこに内蔵されたさまざまな仮説から、われわれを動かすもっとも強い私的行動様式、社会的、政治的行動様式が生まれた。そこには、宇宙や自然にかぎらず、社会や人間もある一定の予測可能な法則に従って行動するという、無言の前提が隠されている。たしかに、第二の波の思想家としてもっとも偉大と目される人びとは、もっとも首尾一貫して、強力に宇宙の法則性を論じた人びとであった。
 ニュートンは、天体の運行プログラムを説明する法則を発見したかに見えた。ダーウィンは、社会的進化のプログラムをも説明することになる法則を発見した。そして、フロイトは心理の動きのプログラムを説明する法則を探りあてたかに見えた。ほかにも大勢の学者、技術者、社会科学者、心理学者が、こうした分野、あるいはまったく別な分野の法則をつぎつぎに追い求めた。
 第二の波の文明は、いまや奇跡的と言ってよいほど強力で、幅広い応用性を持った因果論を、意のままに駆使するにいたった。それまで複雑に見えていたものも、多くは簡単な公式に還元して説明することが可能になった。こうした法則ないし通則は、ニュートンにしろマルクスにしろ、名のとおっただれかれが法則を定めたというだけで受け入れられたわけではない。実験や経験的テストがくりかえされ、そのうえで、妥当性が実証されたのである。こうした法則にしたがって動くことにより、橋を架け、空中に電波を送り出すこともできたし、生物学的変化を予知することもできた。経済を動かし、政治運動や政治機構を組織し、さらに、個人という究極的固体の行動まで、予測、形象化することが可能であると言われた。
 必要とされたのは、いかなる現象をも説明できる方程式の変数を発見することだけであった。もし格好の「ビリアードの球」を見出し、それをもっとも適切な角度から打つことさえできれば、不可能なことはなにもなかった。
 この新しい因果論は、新しい時間像、空間像、物質像と結びつくことによって、人類の大多数を、古い偶像の圧政から解き放った。それは、科学や技術の分野において輝かしい偉業をなしとげることを可能にするとともに、すべてをはっきりした概念でとらえ、実践上でも多くの業績を挙げるという、奇跡とも言うべき成果をもたらした。権威主義に挑戦し、人間の精神を幾千年にもわたる拘禁状態から解放したのである。
 だが、産業的現実像もまた、みずからの新しい桎梏を生んだ。数量化できないものを蔑視するか、さもなければ無視し、しばしば分析の厳密のみを重視して、想像力をしりぞける産業主義的精神構造がそれで、人間をあまりに単純化し、原形質から成る個体としか考えず、いかなる問題に対しても、最終的には技術的解決しか求めようとしなくなった。
 産業的現実像はまた、一見道徳的中立を装っていたが、実際にはそうではなかった。すでに見たように、それは第二の波の文明の好戦的スーパー・イデオロギーであり、自己を正当化する論拠であった。産業時代特有のイデオロギーは、左翼思想であれ右翼思想であれ、一様にそこから派生している。ほかの文化の場合も同じではあるが、第二の波の文明も歪んだフィルターをつくりあげ、この文明に属する人びとは、そのフィルターをとおして自分自身や宇宙を見ることになった。このフィルターをとおした一連の思想、観念、仮説、そしてそこから生まれたさまざまな類推が、歴史上かつてないほど強力な文化体系を形成したのである。
 最終的に、産業主義の文化的側面とも言うべき産業的現実像は、みずからが建設の一翼を担った社会に適合した。それは資本主義社会、社会主義社会の別なく、大組織、大都市、中央集権的官僚制、すべてを巻き込む市場から成る社会をつくりあげる推進力となった。産業的現実像は、新しいエネルギー体系、家族体系、科学技術体系、経済体系、政治体系、価値体系と非常に密接なつながりを持ち、それらと手をたずさえて第二の波の文明を形成したのである。
 第二の波に代わって第三の波が地球上をあまねくうねりはじめた現在、急激な変化のもとに崩壊しようとしているのは、この文明のすべてである。制度も、科学技術も、文化も含めて、この文明がそっくり崩壊しようとしているのだ。われわれは、もはや逆転することのない、産業主義の決定的危機のなかで生きている。そして、産業化時代が歴史のなかに組み込まれてしまうとき、新しい時代が誕生することになる。