アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

トフラー対談(過去から)その6 長州一二

2011年10月30日 18時17分02秒 | トフラー対談1982
●トフラー対談6 1982.5.1NHK出版 写真でみる第三の波P.148~ 
市民コントロールを採り入れた民主政治
長洲一二(神奈川県知事)

地方の時代
トフラー 長洲知事は中央集権的な日本の中で地方分権を主張しておられますが、政治的にみて、地方分権はどのくらいまで進めばよいとお考えなのでしょうか。

長 洲  日本は明治のはじめから100年余り、西洋に追いつこうと近代化をはかってきました。その過程では、中央集権化されたシステムが効率的に働いたわけです。しかし、この目標が達成され、しかもかなりの程度成熟社会になった今の日本にとっては、政治、経済、文化、あるいは街づくりまで含めて、もっと「地方の時代」にした方がより効果的ではないか。
私が数年前に、この「地方の時代」という考え方を提唱したところ、予想以上に広い、深い反響がありました。機運が熱していたのだと思います。これから21世紀へ向かう10年か15年ぐらいをかけて、もう少し各地域を表情豊かに育て、そういう地域の集合体に日本の国をつくり変えていく。まさに、社会システム全体の歴史的な大転換期に、日本はさしかかっている。それだけに、そう一朝一夕に実現できるはずはないのですが、しかし「地方の時代」は着実に進むのではないでしょうか。

トフラー ご承知のように私の本の中で、政治が地方分権化へ向かう風潮は、新しい社会への革命的な変化の一部をなしているのだと述べております。カナダ、西ヨーロッパ、アメリカで分権化への多くの運動があり、また草の根運動について、大きな議論がわき起こっております。しかし、分権化を支えるために必要な経済的基盤に対する注意が、あまり払われていないようです。そこで、第三の波の時代に地方分権化されたシステムを作っていくためには、経済的・技術的構造にどのような変化が必要と考えられますか。

長 洲  トフラーさんのご本は、共鳴する点が多かったのですが、私も、政治的な地方分権だけを主張しているのではありません。もっと根本のところで、画一、集権、巨大、管理といったこれまでの価値が問われ、多様、分権、適正、自立などへ、人々の目が向かい始めている。みんながアイデンティティを大事にする時代になっていると言ってもいいでしょう。産業化が進んで成熟期に達した国々では、一種の共鳴現象で、どこにも同じような動きがでていますね。
 お話しの経済的、技術的な分野でも「地方の時代」への胎動がみられます。民間の企業は、だんだんと、地域に根をおろすことを考えるようになってきている。神奈川は、もともと技術水準も高く、未来を担っていける活力ある中堅、中小企業がぶ厚く蓄積されているところですが、東京に本社のある大企業も、環境問題、市民との交流を含めて、各地域でどう生きていくのかを模索せざるをえない。世界企業、多国籍企業でも同様ではないか。具体的には、世界のある「地方」へ進出していくわけですから。
 これに対応して、自治体も地域政策、特に街づくりとの関連で独自の産業政策をもたなければならず、現にそういう試みが盛んです。これを私は、「地方の時代」に肉体、ボディを与えるといっているのですが。


多様化する教育・政治

トフラー 新しい社会へ転進していくに当っての問題の一つは、教育と文化の問題であります。伝統的な産業社会と第三の波の文化との間には、文化、ライフスタイル、生活態度、多様性を受け容れる態度に違いがあります。かつての古い社会では、すぐれた習慣とか生活態度とみられたものが、新しい社会では適合しないわけです。知事としては、神奈川県の教育システムを、どのようにしたらよいとお考えでしょうか。

長 洲  教育についても、もっと地方が個性をもつべきでしょう。子供たちに多彩な人生の道筋を用意しておく。そのためには教育自体がもっと多彩なものにならなければならない。そんな気持ちから、今神奈川県では「騒然たる」教育論議を県民の皆さんにお願いしています。

トフラー 例えば、ヴァーチヤーシステムと呼ばれるものがあります。親は子供のために学校を選ぶことができるシステムです。これは増大する教育システムの多様化を目的としたもので、大変議論の多い提案なんです。この問題に関して、同様の議論がおありでしょうか。

長 洲  そういう具体的な話はまだです。アメリカで起こっていることですか。

トフラー アメリカだけでなく、イギリスでもそうです。各々の地域社会が自らの教育を創出するという考えです。多くの同じタイプの学校をもつ代わりに、環境問題に焦点を合わせた学校、あるいは伝統的な教育をする学校ができる。芸術に重点を置く学校、ビジネスに重点を置く学校もあります。そして子供が自動的に割り振りされるのではなく、両親が学校を選ぶことができるというものなのです。
 ところで、多くの先進興業国では政治権力が巨大企業、巨大な政治、巨大な労働組合に集中する傾向があります。日本ではここ15年、20年のうちに、大きな政治的混乱なしに、この3つの巨大組織の統制を断ち切ることができるのでしょうか。

長 洲  確かにあらゆるパワーは、企業にしろ政治組織にしろ、絶えず巨大になり、集権制を強め、官僚化する傾向をもっています。行政だけでなく、市民の側の組織も、利益集団、あるいは圧力集団として大きくなっていく。
しかし、民主主義の下で選挙による一種の取引が保証されているところでは、同時に多元化も進みます。生産者集団だけでなく生活者集団もどんどん声をあげる。そういう諸階層の多元的な要求にどういう体系と優先順位で応えていくかというのが、今の私の仕事です。
もちろん経済的にも、実践的にもまだまだ解かなければならない課題は多く、そういう意味で、これは多少期待と希望をこめて申し上げるのですが、市民によるコントロールが働く余地は閉ざされているわけではない。いろいろ実験を進めるべきでしょう。


3つの大量死

トフラー 社会の多様化が進む中で、政治はどう変わっていかなければならないのでしょうか。

長 洲  コミュニケーション手段の発達によって、一方的でなく双方向、多方向のやりとりが可能になる。そうした技術的基礎が出来始めているようで、大変興味深く思っております。いずれにせよ、単純な代表制民主主義で全て動くというわけにはいかなくなった。代表制民主主義を古典的な姿で守っているだけでは機能麻痺に陥ってしまう。神奈川でも、県民討論会のようなチャンネルを設け、半分直接民主制みたいな市民コントロールの形を作ろうとしています。
 ところで、現代文明は空前の繁栄のもとで、実は“Triple mass death”3つの大量死の方向へ歩んでいるのではないか。1つには核による大量死、2つめは公害、環境破壊と資源枯渇による緩慢な大量死、3つめは管理社会による人格と精神の大量死。この3つの大量死は、ある意味では「歴史は絶えず進歩する」という考え方が生み出したものと言えるでしょう。しかし、これに対するコントロール機能もいろいろな形で考えられ、ためされてきている。核に対する平和運動、環境問題での市民運動、それから管理社会に対する青年の、あるいは最近ではもっと若い世代の反乱。必ずしも多数を制しているわけではないが、いずれも今の文明のあり方に鋭い問題提起をしていることは否定できません。
 ここで興味深く、しかも賛成なのは、第二の波が生み出したものを乗り越えていく可能性もまた第二の波の中で作り上げられていくのだという、トフラーさんの指摘です。危機を生み出した文明は危機を乗り越える可能性をもうちにはらんでいるのであり、その両方を見ないと正しくないと思います。


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以上で、1982年のNHK出版掲載の対談は終了です。
11月より、「第三の波の政治」(1995年発行)『第6章社会主義と未来との衝突』をスタートします。
急激な円高、破綻寸前のユーロー圏経済、TPPによるアメリカ主導の輸出経済思想は、まさに金銭経済の
行き詰まりを見せ付けています。アメリカは、再び第二の波の煙突産業に回帰しようとしているようで、
まさに「変化の教え」を「可逆の教え」にすり替えているように思います。
無償の労働力を無視し続け、拝金主義に突き進んでいるから、いつまでも1%の富裕層が批判されているよう
に思えるのですが・・・。
被災地でのボランティア労働の非金銭経済を無視(家庭内の主婦家事労働も同じ)し続けた金満経済学が
もたらした結果でしょうか。

ということで、第三の波シリーズを突き進んでいきましょう。 





トフラー対談(過去から)その5 鶴見和子

2011年10月28日 00時09分25秒 | トフラー対談1982
トフラー対談5 1982.5.1NHK出版 写真でみる第三の波P.140~ 

バラエティに富んだ家族形態

鶴見和子(上智大学教授)

日本の社会的特性
トフラー 日本はホモジニアスな社会と言われておりますが、それがヘテロジニアスな社会へと向かった場合、どのようなことが起こるのでしょうか。

鶴 見  日本の社会は単一民族、単一言語、単一文化と言われていますが、日本がそういう一枚岩の単一民族にされたのは明治以降だと思うのです。明治以前の日本では、例えば侍の人口は1割以下で、いちばん多かったのが農民です。しかし農民にしても商工・工人にしても、それぞれがそれぞれの慣習と文化とをもっていたんです。それが明治の時に下級武士が先頭に立って日本の近代化をしてきた。つまり侍文化を全体に押しつけたということが言えるのです。ですから、日本はホモジニアスカルチャーではなく、むしろさまざまな文化をもっていたわけで、トフラーさんのおっしゃる第三の波が押しよせてきた時、もう一度多元的な文化が復興するというふうに考えられているのです。

トフラー もし価値観、生活スタイルの多様化が進み、地方の文化、地方分権が推進される傾向が続いた場合、日本では産業体制側の人々の抵抗が大きくなるのではないでしょうか。

鶴 見  そう思います。日本では第二の波のレジスタンスは非常に強いと思います。それは今まで明治以来、国家中央集権ということで成功してきたわけです。経済成長が成功したのも、遅れてきた日本が早く近代化したのもそのためです。しかし、そのために押しつぶされたものがある。けれども、今でもその手柄の方が強く考えられているから、やはり中央集権でいかなければだめだという考えが強いと思います。ですから、地域主義とか地方自治ということが言われているのですが、財政的にもそれぞれの自治体の独立ということがむずかしくされていますね。

多様な家族の形態
トフラー ところが、社会がそのエネルギー資源とか科学技術とか通信システムなどを急速に多元化した場合、こうした多様性の洪水に直面して、家族制度はそのままでありうるでしょうか。

鶴 見  いいえ、家族だけが変化しないということはありえないですね。私は社会の変化に一番敏捷に対応していく、あるいはじかんてきには多少ずれるかもしれないけれども、いちばん敏感に対応していく、あるいは時間的には多少ずれるかもしれないけれども、いちばん敏感に反応していくのは家族の形態だと思います。地上に、広い意味での家族をもたなかった社会というのは今までなかったのですから、これからも家族の定義自身を変えなければ、家族というものは存続すると思います。1人だって家族なわけですから。

トフラー 奥さんと子供がいて、ご主人が外で働くという日本のいわゆる核家族はどのくらいの比率を占めていますか。

鶴 見  それはとても難しい問題なんです。というのは、核家族という言葉自身の定義が非常に多くのものを含んでいるからです。今おっしゃったような夫婦と未成年の子供とが一緒に家の中に住んでいるのを核家族だと言えば、日本は大体80%がそうだということになります。しかし形態的にそうであっても、内容はさまざまなものがあるのですから、単に核家族とは言えないと思います。
 近代化が進めば拡大家族から核家族になってくると一般的に言われておりますが、ここ2,3年の統計を見ると、拡大家族が減っていないという状態にある。ということは、核家族化の進行が緩慢になっている、核家族と外から見て言われるものが非常に多様化しているということです。老人の場合、特に女の人の寿命が長いので1人で住む人が多くなっています。それに母子家庭、父子家庭もふえてきているのです。
 恐らくアメリカにはないことでしょうが、日本には単身赴任というのがあるんです。また、独身というのは結婚していない人のことを言うのですが、政治学者の神島二郎さんが作った単身(者)主義という言葉があります。それは結婚しているけれども、1人者であるかのごとく振る舞うということなんです。これは日本の社会では、ことに明治以降非常に多くなったと述べています。ですから、統計的にみれば核家族になるけれど、実際は核家族ではなく単身者であるわけです。

トフラー 家で仕事をしている家族の数が増大しているように思えます。しかも夫婦一緒に生産チームとして家で働くというような、一見拡大家族に似た新しいタイプの家族を創り出すようになると信じています。その場合、テレコミュニケーションなどといった技術の助けをかりることになるわけですが、日本ではこうしたことに対して、家が小さいとか現在の家族システムのゆえに抵抗があるのではないでしょうか。

鶴 見  まず家の作り方を、これから変えなくてはならないのではないかということが出てくる。というのは、日本はアメリカと同じように老人化社会です。老齢化していくので、その人たちが1人で住まなくてはならないという問題が起こっています。日本は特に社会福祉が遅れているため、その人たちを収容する施設も、経済的援助も遅れています。しかしやはりその人たちは、家族と一緒に住みたいということがあります。経済的にたとえ独立していても、家族と一緒に住む方が人間らしい生活ですね。ですから、これからはなるべく2世代、3世代同居ができるような家を作ろうということが今言われているのです。それはなかなかできないけれども、家の作り方をこれから変えていくことは可能だと思います。
 それから人間関係についても言えば、かつて農村では男も女も一緒に働いていた。それが男女が一緒に働くことがなくなったのは、工場誘致を始めてからのことです。前近代の侍の場合には、男と女の役割が離れていたけれども、庶民の間では一緒に仕事をしていたわけです。ですから私は、そのように一緒に仕事をするという方向になっても、二歩の伝統と葛藤をきたすということはないと思います。
 むしろ単身赴任のように、夫が1人でどこかへ行って妻子が東京に残るということもなくなり、問題が解決されることになるでしょう。
 ただ1人で生きる人がアメリカでも日本でもふえている。また結婚して、コンピュータを備えた同じ家に住んで仕事をしていくということもあるけれでも、違うところにいて仕事をしなければならない場合もあるでしょうし、一緒に住んでいたくない夫婦もあるかと思うのです。そうすると今度は、別に住んでいて時々会う方がいいという「通い婚」が出てくるのではないかと私は思うのです。
 それについておもしろいことがあるのです。中国で昨年、新婚姻法ができ、夫婦同居の義務をやめたのです。同居しなくてもいいという夫婦を作った。これは妻が仕事をもったために別々の生活を始めるという、やはり現代化の波だと思うのです。これも多様化のおもしろいところではないでしょうか。

トフラー しかし、日本では、まだ見合い結婚というのがあるそうですが、それは減っているのか、それともふえているのでしょうか。

鶴 見  もともと日本では、見合い結婚というのは前近代では櫻井のものだったのです。農村では若者宿、娘宿で交際をした中から、恋愛が生まれていくんです。それが近代になってから、すべて階級に見合い結婚が浸透してきたという歴史があるわけです。ところが今見合い結婚というものをもう一度考え直してみると、内容は恋愛結婚であっても実は見合い結婚であるということがあるわけです。つまり結婚を前提としないで紹介する。昔だったら紹介してから2、3回会って断わるとか合意するとかで決めたんですが、今はそれが付き合いの始まりで、その間に恋愛が芽生えるかもしれない。見合いと恋愛の境目がぼやけてきたわけです。



トフラー対談(過去から)その4 永井道雄

2011年10月10日 00時53分03秒 | トフラー対談1982
● トフラー対談4 1982.5.1NHK出版 写真でみる第三の波P.134~ 
生涯教育に向かう多様な社会
永井道雄(国連大学学長特別顧問)
現行教育制度の問題
トフラー 第二の波の産業社会の時期に、先進工業国の多くが大衆教育の制度を導入しました。それらに共通のカリキュラムは時間厳守、服従、それに単調な繰り返し作業に慣れさせるということだったのです。日本やアメリカ、ヨーロッパの学校の多くは、教育工場なわけです。ところが、現在の急激な技術的・社会的変化は、教育についても当然、革命的変化を必要とすると思います。これまで当然と考えられていた教育の前提を、見直す必要が出てきていると思うのです。また、日本では教育制度への不満と批判が高まっていて、永井さんがそのもっとも有力な批判者の1人であるとも聞いておりますが。

永 井  ほかに多くの人がいます。しかし実は、日本では明治の初めに産業革命をやった時、儒教や仏教といったアジア大陸からの影響が強いものと、西洋から入ってきた学校教育とをどのように調和させるか、非常に盛んな議論がありました。ある意味では今もその議論が続いていると言えます。また、昔から大切にされていた日本の家庭での教育を残しておいたらどうかという議論があります。一般社会や学校や家庭において、それぞれどのような教育をやるかという議論があるわけです。
 だいたい日本の文化の潮流は4つぎらいあります。西洋、儒教、仏教、それに古くからの日本文化 - これらをどのように結びつけていくかということを、今まで100年以上も議論してきたわけです。

トフラー 日本では試験地獄があると聞いています。子供の時から東大や大企業に入るために、一生懸命勉強しなければならない。そのため、親は子にプレッシャーをかけることになるわけでしょうが、社会が急激に多様化の方向に変化している現在、現行の画一的な教育制度を子供に押しつける意味があるのでしょうか。

永 井  その原因は今、東京が中心になっているからでしょう。徳川時代には東京に政府があったけれど、京都からみればローカルタウンだった。東京が中心になったのは100年前からです。
 ところが、明治時代になると西欧諸国に対抗して独立を保っていかなければならないし、戦争に負けてからは、もう1度独立しなければならないということになった。早く立ち直らなければいけないということで、東京が重要になったわけですね。日本が後進国で、独立をどうやって達成するかという場合には、東京中心主義もある程度避けがたいことだったと思います。しかし、今では独立してから大分時間がたちましたから、もう1回、徳川時代の地方の時代の形に戻ってもよいように思いますし、その可能性も出てきたと思いますね。

教育の規格化と多様化
トフラー 日本の教育は、規格化されたカリキュラム重点主義から、もっと創造力の向上ということに焦点を合わせた教育に変わるべきだという批判が高まっているようですが、現行の教育制度はいったいいつ変わるのでしょうか。

永 井  これは大変にむずかしい問題です。私が初めてアメリカへ行った時は、ニューヨークの先生の給料が年3000ドル、ミシシッピーの先生は700ドルでした。その後、アメリカで、世界でも有名なHEW(教育保健福祉省)という役所を作って、一種の規格化をはかった。日本にも同様の問題があったわけです。しかし、この規格化と多様化をどのように組み合わせるかは、非常にむずかしい問題です。私はアメリカのHEWの長官と何回か話をしたことがあるんですが、アメリカでは地域差だけではなく、人種のちがいがありますから、平等を国家規模で行なう場合、どうしてもこの問題にぶつかるわけです。日本がいつ教育の規格化をやめるかと言われれば、私は簡単にやめられないと思いますよ。多分、アメリカもなかなかやめられないでしょう。中央政府にひきつづき責任があるでしょうが、これを自由、多様性、創造性という原則と、どのように組み合わせるかという問題です。

トフラー しかし、国の教育制度というものは、その国の特徴を反映すると思うのです。今、技術、エネルギー、あるいはライフスタイルなどがますます多様化の方向に向かっているとすれば、教育制度もこれらの変化に何らかの形で対応すべきであると思うのです。近い将来、教育が教室の外に出るという傾向が現われ始めるのではないでしょうか。例えば、教育の一部がコミュニティ活動と結びついたり、直接家庭に戻るということもあるかと思います。家庭での教育は、多分コンピュータその他の機器の助けをかりて行われることになるでしょう。そこで、この変化を促進するために、日本ではこのようなことができるとお考えでしょうか。

永 井  実は今、生涯教育の研究を、日本のいろいろなところでしているのです。生涯教育を重視するということは、学校が教育の一部に過ぎず、家庭や地域社会、テレビなどが大切になってくるということです。
 今、日本では3000万人が学校に行っており、それは金額でいうと公私の負担を合わせると20兆円使うことになります。そうすると、学校が非常に官僚的になってしまうわけです。ですから、こうした面からも学校以外の教育が必要になってくる。現に日本では学校以外の学校がふえているわけで、テレビとか家庭とかを通した教育が行われることにもなる。日本の場合、儒教は家庭というものが大事であると教えていたわけで、明治以降、その意味では今もあまり変わらない考え方があると思います。

情報に対処する社会システム
トフラー 日本その他の国で同時に起こっている変化は、情報量の膨大な増加です。情報の多様化という傾向は、社会の多様化と関係があると思います。というのは、多様化の進んでいる社会は、多量の情報交換を必要としているからです。しかし、そのために情報公害を受けるということも起こるわけです。しかし、ケーブルテレビやコンピュータなどの新しい技術は、情報を増加させる手段であるばかりでなく、逆に情報を選択する手段として利用するためにも利用できるでしょう。つまり、自分の必要とする情報だけを受けることができるわけです。

永 井  トフラーさんの本にあるように、新しいライフスタイルによって世界は変わると思います。しかし、科学技術による変化が出てきた時、人間がそれに適応できるかという問題があると思います。つまり、人間が意識して社会システムを変えられるかというと、それがなかなかできない。そこでいろいろむずかしい問題が出てくるということがあるのです。
 確かに今、人間社会のシステムを作っておかないと、情報過多になってしまうという問題があります。情報を制御し、積極的に自分の考えを構築するという方向にもっていくためには、私は今の教育のあり方、情報のダイジェストのやり方を検討しなければならないと思います。

トフラー 確かに私たちは、単に技術だけでは解決できない問題に直面しています。これからは、創造性を単に技術的な面に働かせるだけではなく、新しい政治的・社会的機構を生み出すために、創造性を働かせる必要があります。

永 井  学校教育の問題に戻りますが、第三の波が起こった時に、学校がなくなり、自分で勉強すればよいのだということにはならないでしょう。やはり、学校そのものの考え方が変わり、それが外側の組織とどのように協力するかということでしょう。
 情報のシステム化についても、社会・経済全体についての重要なデータベースを作る必要があります。ただし、このデータベースの作り方についても、なるべく大勢の人が参加する必要がある。そうしたシステムを作ってゆく過程で非常に大きなデータベースができ、最終的に国際的なデータベースとなる。そして、それをみんながどのように利用するかということについてのシステムも必要です。多様で自由な使用を確保するものでなければなりません。こういうデータベースを完全に使いこなしうる社会システムをどのように作るか、それは、学校、社会、政府をどう変えていくかと関連しており、もっと意識的な努力が必要だと思います。





トフラー対談(過去から)その3 小松左京

2011年09月18日 00時46分57秒 | トフラー対談1982
● トフラー対談3 1982.5.1NHK出版 写真でみる第三の波P.112~ 
情報はコンピュータに乗って
小松左京(作家)
コンピュータデモクラシー
トフラー 小松さんは作品の中に最新の科学技術を採り入れたものが多いと聞いていますが、私が第三の波の文明と呼んだものの中で、コンピュータはどんな影響を与えると思いますか。

小 松  日本では、コンピュータはかなり前から使われていました。しかし昨年あたりから、また新しい変化が起こり始めたと思います。それはマイクロコンピュータが一般のビジネスマンとか、私のような小説家、出版社の編集者などに使われる傾向が出てきたからです。マイクロコンピュータが安くなり、また性能がよくなって使いやすくなったから、一般の人でも使えるようになったわけです。
 これまでは政府や大企業が大型のコンピュータをもって、そこに権力が集中してしまうと思われていたのですが、マイクロコンピュータを一般の人たちが使い始めるとなると、まず自分のために小さなところで使い始め、自分たちの間でマイクロデータベースを作り始める。ひょっとすると、コンピュータデモクラシーというものが可能になるのではないかという気がします。ちょうどすべての人たちが読み書きができて、電話がかけられるようになったように、すべての人がコンピュータを使い始めるのではないでしょうか。
 ところで、私はヨーロッパの状況がよくわからないのですが、ヨーロッパでも、第三の波は同じような形で進展しつつあるのでしょうか。

トフラー ヨーロッパが困難な状況に陥っていることは、ご承知のとおりです。しかし、今回取材で訪れたエディンバラ近郊の町など、かつては石炭で有名なところですが、今ではエレクトロニクス産業が起こっている。こういった意味での第三の波は、ヨーロッパにも来ていると言えると思いますが、しかし、東欧やソビエト連邦では、もっと困難な問題が大きいのではないでしょうか。

小 松  非常に小さな芽は、ソビエト連邦でも出てきていると思います。しかし、民衆のそういう新しい芽を、政府は育てるのかどうか、例えば、この人は地方から出てきたけれども、ちゃんと教育すれば立派な市民になるんだという民主主義の基本が第二の波の時に築かれて、それが第三の波の時代に花開こうとしているのではないかと思うんです。共産圏の大きな問題は、政府が基本的に民衆を信じていないということではないかと思います。

トフラー まったくそのとおりです。ソビエト連邦は民衆に思想の自由・創造の理由を許すべきなんです。官僚たちは技術を高度化すれば第三の波の文明が到来すると思っていますが、ビデオカセットなど、情報や言論の自由を前提とするものです。それを阻害しては、第三の波はやって来ないでしょう。

小 松  そうです。日本の場合は逆に、第二の波の時代に国家独占というのをやったわけです。国家が、産業、軍事、防衛、それに鉄道や通信体系まで握ってしまい、民間には勝手に使わせないという基本姿勢ができてしまった。しかし、実は80年くらい前の第二の波時代に作られた古いシステムが、現在非常に非効率になってしまい、将来に対する発展が阻害されているのです。
 テレビやラジオのネットワーク・システムにも、日本ではライセンスが必要であり、しかも巨大ないくつかのネットワークが、電波を全部おさせている。ところがビデオカセットができ、ホームVTRが出回ってきたため、いろんな放送局の番組をカセットにとってみることができるようになりました。日本では、ケーブルテレビとか民間のサテライトを使った放送などはこれからの問題ですが、アメリカの状況をみていると、そういう多様な情報に対して日本人もパニックになったりせず、その中からもっとも必要な情報を選択して、自分の生活を充実させることになると思います。

プロシューマー
小 松  ところで、トフラーさんはプロシューマー(生産消費者)という概念をお出しになりました。まさにこれは、第三の波の人びとの一つの特徴だと思うのですが、そのようなプロシューマーがふえていったら困る事態も出てくるのか、あるいはそういう人たちこそ人類の新時代を作っていく人たちだから、彼らをサポートしなければならないのか、どうお考えでしょうか。

トフラー プロシューマーというのは、どんな経済学者も考えつかなかった概念でしょう。今ロボット時代に入り、各国が失業問題をかかえています。このような時に、労働の機会をふやすことのできる生産=消費活動は、経済学的にもきわめて有用な概念だと思います。プロシューマーというのは、より人間的な、疎外感のない人たちになると思います。
 また、生産=消費活動が巨大企業をつぶすとは思いません。むしろ、生産=消費活動は社会の緊張を緩和するだろうと思います。ミッテランのフランスやオランダで、興味深い提案がなされています。労働時間を減らして、雇用機会をふやそうとしていうのです。いろいろの取り決めが必要でしょうが、こうした考えは、エレクトロニクス住宅ともうまく合致します。第三の波の文明は経済の根本的変化で、それが一般化するには相当長い期間を要するでしょうが、大企業をつぶすようなものではないと思います。

思考のスピード
小 松  宇宙空間から地球をみることができたのは、1960年代以降だったですね。あの時、私は大変なショックを受け、それまで引き出しにマリリン・モンローの写真を入れていたんですが、それからは地球の写真を入れて、時々見るようにしているんです。
 結局、宇宙を媒介にして初めて、われわれが地球という惑星の上に住む人類だということが深く印象づけられたんですね。私はスペースシャトルが使われ始めたら、世界中のリーダーに宇宙空間に集まってもらい、地球を目の前にみながら自分たちはこの地球に責任があるんだぞ、と自覚しながら話をさせれば、いろいろとよい考えが出てくるのではないかと思うんです。

トフラー 1973年に衛星通信が導入されて以来、アメリカ社会は大きな影響を受けました。それまではせいぜい、ケーブルテレビをどうするかなどと話し合っていたにすぎなかったんです。しかし1973年から1974年に衛星通信によるいろいろな計画が一挙に実現すると、アメリカのマイクロ回線のシステムは、急激に整備されました。確かに、通信衛星は土地資源開発地図や環境生態地図を作るのに使えるばかりでなく、情報が国境を越えて入手できる結果、ある点で軍隊の力を無効にし、民族国家に変わる世界的な政治体制を作り出すことにもつながるだろうと思います。
ところで、情報産業もコンピュータ産業も始まったばかりです。この2つはますます密接な関係をもつようになるでしょうが、どこまでがコミュニケーションで、どこからがデーターベースの操作かは区別がつきにくくなる。小松さんは、この2つの相互関係の将来がどうなり、われわれの精神にどんな影響を及ぼすと思われますか。

小 松  人間の思考のスピードを早めるのに、コンピュータとコミュニケーションが結びついた仕掛けがあれば、一生のうちにはとても考えられなかったようなことが可能になるのではないかと思うのです。例えば、百科事典やほんの必要なページを写していた。それがコピー機械を使うようになって、必要な部分がいっぺんにコピーできて、目の前にくるようになったわけです。またあるときの確認をしたい時、自分の書庫か図書館まで行かなければならないので、めんどうだから明日にしようということになる。翌日になると、いったい自分はなぜそんなことまで考えていたのかがわからなくなってしまう。アイデアが出てきた時、確認がすぐできたら次のステップへ行くわけです。一晩のうちでステップが10でも20でも進める。そうすると、創造性は非常に高くなるだろうという気がします。

 
   

トフラー対談(過去から)その2 森田昭夫氏

2011年09月09日 23時52分24秒 | トフラー対談1982
● トフラー対談2 1982.5.1NHK出版 写真でみる第三の波P.74~ 

新しい技術の吸収が早い日本人
森田昭夫(ソニー会長)

エレクトロニクスを早く吸収した日本

トフラー 日本をはじめとする主要な科学技術国で、現代社会を変革する経済上・科学技術上の変革が起こっております。これらの先進技術国が新しい科学技術、新しい文明の競争をしている時、日本がこの挑戦に打ち勝つための最も強力な武器は何だと考えておられますか。

盛 田  日本のいちばん強い産業はエレクトロニクスだと思います。現在のエレクトロニクスというのはハードウェアだけではなしに、ソフトウェアが入っていかないとエレクトロニクスの本当の価値が出てこない。エレクトロニクスというものが、ハードウェアとソフトウェアと一緒になった産業であることは、日本にとって非常に有利な産業だと言えると思います。

トフラー 日本が特にこのような根本的変革をなしとげるのに有利な文化的背景と生活慣習があるのでしょうか。

盛 田  エレクトロニクスのハードウェアから発生してきた新しいソフトウェアを含め、新しい情報産業といったようなものの文化を、日本人は早く吸収し、新しい文化を作っていく能力をもっています。そういう点で、日本人は非常に適応能力のある国民だと思うんです。

トフラー 従来の工業社会から高度技術に支えられた情報文化社会へ転換する過渡期に、多くの国で失業とインフレ問題が起きています。今回のような大規模な構造変化から生まれる衝撃から日本の労働者を守るため、どんな社会政策、経済政策の変革が必要だとお考えですか。

盛 田  歴史的にみると、日本は新しい社会に入って、われわれの生活が大きく変わっても、そのためにインフレとか失業問題が起きたことは、まずないんです。日本人は、むしろロボットとか新しいコミュニケーションテクノロジーとかいうものを、もっと吸収することによって、自分たちでたくさんの仕事を作り出していく。だからロボットが来たから失業がふえるという考え方はないわけです。

トフラー ロンドンタイムズがコンピュータ化をはかった時、1年におよぶストライキが起きたというのに、なぜ日本の労働組合はロボットの採用に異議を申し立てないのですか。

盛 田  日本人の先天的に新しい知識を進んで自ら吸収していこうとする、非常なフレキシビリティをもっている。あらゆる階層が頑固に自説を固持しようと思っていない。いつも新しいものに向かっていこうという意欲があります。
これは日本の強みだと思います。

新しい波に対する適応力

トフラー 強力な変革が経済上の効果を生じさせると、それがさらに政治的、社会的効果を生み出すに違いありません。そのような場合、日本の経済構造の中で、どのような対応策が必要でしょうか。

盛 田  日本はこれだけ狭い国土にたくさんの人が住んでいる。しかも高い生活水準に達している。それゆえ、ある意味では構造的変化がむずかしい面があるわけです。しかしその一方で、みんなの教育水準が高いから、新しい知識を吸収していこうという意欲がある。そこから構造的変化がやさしいのではないかとも言えるわけです。その証拠に私はよく外国の家族経営の商店で買い物をするのですが、そこでは新しいコンピュータは使っていない。ところが日本の商店には新しいキャッシュレジスターなどをどんどん吸収しようとしている。そういう意味では、中小企業を含めて、技術吸収能力は日本の方がはるかに高いと思うんです。

トフラー 新しい波に対する適応力は、日本人の文化的・心理的特性によるのか、あるいは日本の経済組織が少し違った経済環境の組み合わせのうえに成り立っているからでしょうか。

盛 田  それは確かに環境の違いというものがあるんです。日本の場合、会社の経営者も、従業員も1つの家族として、利益も苦しみも同じに分けあっていくという概念があります。ところが外国の場合、労使の関係がはっきりしていて、労働者と使用者はいつまでも敵対関係にある。私は日本の社会がうまくいっているのは、お互いに一体感をもっているという点ではないかと思います。

トフラー 盛田さんは現在の教育制度について批判的なことを言われておりますが、あなたの会社では工場従業員を雇用する場合、高い学歴を要求されますか。

盛 田  私のところは学歴無用です。その人がどこの学校を出ていようが、出ていまいが、そのことは全然問題にならない。必要な能力と知識があればいいわけではなくて、むしろ社会にある。一般社会の方が変わっていくべきだと思います。会社の私たちの場合を言いますと、同じラインワーカーでも、絶えず勉強していかなければ仕事に追いついて生きていかれないというのが仕事の性格です。私たちの会社では、すべての人が新しい技術、新しい知識を勉強しようとしていますし、そうしなければならないという1つのムードができています。ですから新しい変化がきてもいつでも、対応できる態勢ができていると思います。

政府の姿勢はどうあるべきか。

トフラー ところで、従来型の産業経済、つまり自動車、鉄鋼あるいは繊維などの工業を基盤とした経済から、コンピュータや新しい通信技術、海洋技術、資源のリサイクリングなど新技術を基盤とした経済への転換をするには、国がどのような体制を整え、施策を行ったらよいとお考えですか。またその場合、従来の産業が滅んでゆくこともあると思うのですが、従業員はどうなるのでしょうか。

盛 田  日本の会社は要するに運命共同体だということをよく知っていますから、もしも自分たちの産業が滅びていく産業だということになったら、マネジメントも社員も一体となって、どうした自分たちが新しい産業に生まれ変われるかということを本気になって考える。私もそういう点からみると、アメリカの経営者も労働者も、少しわがままがすぎるのではないかと思うんですが・・・。

トフラー その点で、今欧米での問題は、自由経済社会の根本原理である競争ということを忘れてしまったら、自由経済そのものがつぶれるんだぞということを、忘れてしまったことではないかと思うのです。欧米諸国では民間企業と政府との間に規制があるのに、日本は株式会社日本というイメージがあり、実際に政府と会社が単一の巨大会社のような様相があります。しかし盛田さんは、企業と政府の姿勢とは違うと言われましたが・・・・。

盛 田  会社は利益を出せば利益の半分以上を政府に納める、いわば政府は会社の50%以上のパートナーなんですね。株は1株ももっていないけれども、半分以上の利益をもっていくんだから、政府と会社とはジョイントベンチャーなんです。ですから、政府の方は会社がうまくいくように希望するのが当然だし、会社も政府に対してそれだけの期待をしてもいいのではないか。企業と政府がいつでも論争しているような関係にある方がおかしいんです。

トフラー 日本の一般市民、アメリカの平均的な国民、西欧の一般的な大衆にとって、第三の波の時代はどんなものになるのでしょうか。

盛 田  あなたの「第三の波」で言う次の社会の変化は、大変大きな変化だと思います。私は今ビジュアルなイメージは浮かばないんですが、これから10年の変化というのは、私たちが想像する以上の変化ではないでしょうか。しかし、この次の変化というのは非常に大きいという気はするけれども、むしろ人間の考え方がいかに早く社会的変化を吸収できるかということにかかってくる。それが1つの発展が可能か不可能かを分ける大きなキーポイントになってくると思います。そういう点では、日本人にはいつも勉強しようという意欲があるので、非常に有利だと思います。私がとても心配するのは、欧米の人たちがなかなかこの変化に乗り切れないのではないかということです。特にヨーロッパの場合、新しい変化の波を受け入れにくいのではないでしょうか。