アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(下)014 最終章2-2

2012年05月06日 23時56分07秒 | 富の未来(下)
さて「富の未来」も今回で最終章を迎えます。
同時に昨年5月9日ブログ開始より1年を無事に迎えることが出来ます。
ジョブトレでのWさん、Tさん、Nさん、被災地のみちのく兄さん、その他
多数の愛読者の方々に感謝いたします。
5月5日現在で、トータル閲覧数22,061(PV)トータル訪問数14,351(IP)で
およそ40人学級での授業となりました。
5月9日以降の当ブログの教材は、「戦争と平和」1992年(平成4年)にフジ
テレビ出版で公開されたトフラーの書物を題材にしたいと思います。
では、本文を抜粋なしで紹介します。

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2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
終わりに ー 始まりは終わった   富の未来(下)P.340~P.351

月のエネルギー資源
それ以上に素晴らしいニュースがある。エネルギー源は尽きかけていない。エネルギーは無数の源泉から取り出すことができ、なかには一見、馬鹿げているように思えるし、現段階では確かに馬鹿げているものもある。蒸気機関も初期にはそうみえていた。きわめて大きいうえ、当時の基準では間違いなく高価な機械だったはずだが、炭鉱から水をくみだしてエネルギー供給を増やすために設計されていた。
クレイグ・ベンタ-はヒトゲノムを解読する民間企業のプロジェクトを成功に導いた人物だが、現在、汚染物質を除去し、エネルギーを生み出す人工生物の研究を進めている。「バイオ技術によって、化石燃料への依存から脱却できる」とベンターは語る。ベンターだけではない。スタンフォード大学でも教授と院生が遺伝子組み換え微生物で水素を生産することを目指して、研究を進めている。起業家のハワード・バークはポリエチレン・ラップほど薄く、携帯電話、GPS機器などの充電ができる太陽電池の開発を進めている。
波や潮の満ち干をエネルギー源として利用する動きもある。フランスのブルターニュ地方にあるランス潮力発電所は、24万キロワットの発電能力がある。ノルウェー、カナダ、ロシア、中国にも潮力発電所がある。また、太陽は原油で日量2千5百億バレルに相当する熱エネルギーを大洋に伝えており、これを電力に転換する技術もすでに開発されている。
時間と空間の両面ではるかに飛躍したところに、巨大なエネルギー源になりうるものがある。月である。月にはヘリウム3が大量にあることが分かっている。ヘリウム3と重水素があれば、「巨大な量のエネルギー」が得られると、テネシー大学地球惑星科学研究所のローレンス・テイラー所長は語る。
テイラーはさらに、「スペース・シャトルで運べる25トンのヘリウム3があれば、アメリカで1年間に使う電力をすべて賄える」と説明する。インドの大統領で宇宙科学者のアブドル・カラムもこう語っている。「月にあるヘリウム3は、地球全体の化石燃料の10倍ものエネルギー源になる」
これ以外にもエネルギー源になりうるエネルギー源になりうるものは大量にあり、人類が使えるエネルギーはまったく不足していない。必要なのは、これらのエネルギー源を利用する創造的な方法である。そしていま、歴史上のどの時期とくらべても科学者、技術者、発明家の数が多く、資金源とベンチャー・キャピタルが豊富にある。
また、おそらくは非マス化が起こって、世界のエネルギー・システムが先進的な知識経済の必要にもっと適した構造をとるようになるとみられる。つまりエネルギー源が多様化して、石炭、石油、天然ガスに大部分を依存する状況が変わっていくことになろう。エネルギー源が多様化し、技術も多様化して、参加者や生産者の多様性に見合ったものになる。たとえば生産消費者は燃料電池、風力発電設備などの個人機器を使って、自分が必要とする電力を発電するようになるだろう。
したがって最大の問題は迫りくるエネルギー危機を回避できるかどうかではなく、どれだけ早期に回避できるかである。そしてその時期がいつになるのかは、波の衝突の結果がどうなるか、つまり、工業時代のエネルギー・システムからいまでも利益を得ている既得権益集団と、画期的な代替エネルギーを研究し、設計し、その普及のために戦う先駆者との闘争の結果がどうなるかに、かなりの部分、左右されるだろう。
この波の衝突に直面して注意しておくべき点がある。悲観論者の警告を信じて、何が可能なのかについての見方を挟めてはならないのだ。やはりエネルギーに関連する以前の危機、核エネルギーの開発で起こった危機を思い起こしておけば役立つだろう。
1945年8月、日本に二発の原子爆弾が投下されて、世界全体が衝撃を受けた。この最悪の武器によって、第二次世界大戦の終幕はすさまじいものになった。この大量破壊兵器は、工業時代の大量生産に完全に見合ったものであった。だが奇跡的に、その後の半世紀、核兵器が実戦に使われることはなかった。いま、核拡散が懸念され、テロリストが核兵器を入手するのではないかと恐れられている。当然の懸念だ。だがこの危険は以前の危険とは比較にすらならない。以前にはアメリカとソ連がそれぞれ何千もの核ミサイルで相手国に狙いをつけ、いつも発射できるようにしていたのだから。

人類に希望はあるか
 どの文明でも各人が自分の命を大切にするとはかぎらないし、まして、長生きするほどいいと考えるとはかぎらない。宗教やその地域の信念体系にしたがって、命を落としかねない危険な行動をいつもとっている人は何百万人といる。死んでも生まれ変わる。あの世で処女が待っている。天国に行ける。
 とはいえ、この世での命を大切にするものにとっては前述のように、二十世紀は素晴らしい世紀であった。世界の人口は二倍以上になったが、世界の平均寿命は、「貧しい国」を含めて、1950~55年と2000~2005年とを比較して42%も長くなっている。
 貧しい国ですら、平均寿命が64歳になっている。豊かな国と比較すればまだかなり短い。だが変化の方向と速度をみれば、悲観的になる理由はどこにもない。格差が残っているのは、格差縮小のために努力する理由になる。
 豊かな国でも貧しい国でも、いま生まれる子供が長生きできる可能性が高いのは、ひとつには飲み水が安全になっているからである。国連によれば、1990年から2002年までのわずか12年間に、10億人以上が上水道を使えるようになった。残りは世界の人口の17%である。だがこの点でも状況は良く、行動をとる理由が充分にある。悲観論を言い募って問題を放置する安易な方法をとる理由はない。
 そして、寿命が長くなった分、貧困問題が悪化しているわけではない。国連の統計をみると、いまの世界にいかに悲惨な貧困があるかが分かる。しかし国連開発計画(UNDP)はこう論じている。「世界の人口のうち貧困線以下の生活をしている人の比率は過去50年に、それ以前の500年より大幅に低下した」
 この成果のすべてが過去50年に起こった第三の波によるものだとは、もちろんいえない。相関関係があっても、因果関係があるとはかぎらない。だが、いくつかの点から、確かに関連があったといえる。第一に、前述のように、まずはアメリカが、つぎに日本、台湾、韓国が低付加価値の仕事を中国など農業の比率が圧倒的に高かった国に移し、何億人もの職を生み出すという意図しない波及効果があった。
 貧しい国が前進してきた一因としてさらに、過去50年に革命的な富の体制がアメリカから世界各国に広まって、人類の知識基盤が驚くほど拡大し、農業、栄養、出産前の健康管理、病気の発見と予防に関する新しい考え方、そしてもちろん技術知識が普及してきたことがあげられる。
 豊かな国では、知識集約型経済によって奇妙な現象があらわれている。何千万人もの中産階級の知識労働者が毎日何キロも走るか、スポーツ・ジムや家庭でトレーニングをし、汗を流し疲れ果て肩で息をし、それが終われば、運動はいいと喜んでいるのだが、重要な点をひとつ忘れている。経済的に恵まれているからこそ、どういう運動をするのかを自分で選べる事実を忘れているのだ。世界各地の肉体労働者は、農民であれ工場労働者であれ、食べていくために汗を流しているのであり、選択の余地はほとんどない。
 天候と地主に泣かされながら黙々と農業を続けている人や、組み立てラインの付属物のような立場で働き続けている人なら、こうした労働がいかに非人間的になりうるかを知っている。知識労働と先進的サービス業への移行は最悪の場合でも、明るい未来に向けた第一歩になる。

ピコからヨクトへ
 生活が良くなっている人が増えている証拠として、これら以外に、保健など多数の分野での前進がいくつでもあげることができる。だが将来の世代がいまの時代について考えるとき、知識経済の幕開け以降の第一世代が世界について行ってきた並外れた発見をもっとも高く評価するかもしれない。
 そうした発見の結果、過去半世紀に、宇宙における人類の立場についての考え方が大きく変化している。
 1957年に人類はじめての人工衛星が打ち上げられてから、天体物理学者は大量の新データを入手できるようになり、宇宙に関するそれ以前の理論の一部が確認され、一部が否定された。そして新しいデータのほとんどは、宇宙が137億年前の「ビック・バン」ではじまったとする理論を裏付けている。この推定の誤差はわずか2億年とされている。
 科学的な理論はすべてそうだが、この理論もいずれ新しい事実によって改定される可能性がある。だがきわめて多数の実験がそれぞれ他の実験を裏付けているし、ビック・バン理論を裏付けてもいる。宇宙が約6千年前にはじまったと考えている人は今でもいるが、この見方は間違っているし、宇宙が変化しないという見方も間違っている。宇宙に有るもの
は全て変化する。人類も例外ではない。変化がなければ生命はない。そして宇宙もない。
 宇宙についての見方を拡大している科学者がいる一方で、宇宙を構成する物質をさらに小さな部分に分けて研究し、その知識を実用化している科学者もいる。いま、ナノメートルのレベルで、画期的な技術革新が進められている。このナノテクノロジーによって過去には考えられなかったことが、幅広く可能になるだろう。新しい建設資材の開発、薬物が正確に患部に達するようにする薬物配送システム、正確な診断、シリコンに代わる新しい材料の半導体などが実用化されようとしている。
 したがって、今後予想されるナノ生産とナノ製品への飛躍は、株式市場ではやされているが、さらに微細な物質の操作に向けた一歩にすぎないと考えておくべきだ。はるかな将来の話しではあるが、いずれはもっと小さな物質で富を生み出すことが可能になるだろう。いまはナノの単位だが、いずれ、ピコ、フェムト、アト、ゼプトの単位になり、最終的にはヨクトの単位、つまり0.000000000000000000000001メートルの単位にいきつくだろう。
 ナノのレベルはこれらにくらべればはるかに大きいわけだが、それでも興奮を呼んでいるのは、物質を微細なレベルでみていくほど、不思議な現象があらわれてくるからだ。物質のふるまいが違うのだ。ナノのレベルですら、病気の新たな治療法が生まれているのだから、さらに微細なレベルに移行したとき、良きにつけ悪しきにつけ、何が可能になるかを想像してみるべきだ。
 このように、ナノ単位というごくごく微細な現象と、宇宙というもっとも大きな現象のどちらでも、いまの世代は、過去のすべての世代よりも多くのことを、自然について、人類について学んできたのである。
 人類はフランシス・ベーコンが1603年に提起した大きな課題に取り組んできたのだ。「どれほど有益であっても、何かに役立つ発明」を行うのではなく、「自然に光をともす」ようベーコンは求めた。「いま人類がもつ知識の周囲にある境界部分のすべてに及び、それを照らし出すような光」をともすように。
 いまの世代は過去のすべての世代よりも多くのデータ、情報、知識を生み出しただけでなく、それをまとめる方法を変え、配分する方法を変えており、さらに組み合わせをさまざまに変えて一時的な新しいパターンを生み出している。そして、まったく新しい仮想空間を生み出し、そのなかで何兆ものアイデアが、素晴らしいものも恐ろしいものも、知的なピンポン球のようにぶつかりあいながら飛び交う状況を作り出している。
 予想可能な将来に、神経科学、サイバネティクス、メディア操作を組み合わせて、いまのものよりはるかに現実的な感覚が得られる仮想現実空間が作られるだろう。これを使って、個人的な点や社会的な点について、将来の出来事のシュミレーションをデジタルの世界で行い、それが実現したときに備えるようになる。そして世界各地の人びとと、仮想の世界でも現実の世界でも触れ合うようになる。犯罪者にとって絶好の活躍の場になるかもしれない。だが、心正しき人にとっても同じことがいえる。
 最後に、いまでは「生」と「死」、「人間」と「人間以外」といった言葉の意味すら変わる時期に来ているのかもしれない。地球上で、そして宇宙の植民地で、人類に新しい可能性が開けていくからである。ユートピアが実現すると約束している人はいない。いま起こっている革命によっても、戦争やテロ、病気がなくなるわけではない。自然環境がバランスが完全にとれるようになるわけでもない。
 だが、こうは言える。われわれの子供の世代は、いまの世代とは大きく違った刺激的な世界に生きることになり、いまのものとは違う利点と危険があり、違う課題に直面することになる。この新しい世界が全体的にみて良いものなのか悪いものなのかは分からない。「良い」「悪い」という言葉の意味すら変わるからであり、また、それを判断するのはいまの世代の人間ではないからだ。子や孫の世代がその世代の価値観にしたがって判断することなのだ。
 21世紀の幕開けに生きるわれわれの世代は、革命的な富の体制の中核とする新たな文明の設計に直接、間接に参加している。この過程は完成へと向かうのだろうか。それともまだ、未完成の富の革命が、どこかで突然止まることになるのだろうか。

 産業革命の歴史をみると、手掛かりがつかめる。
 産業革命が17世紀半ばにはじまり、1950年代半ばに知識経済が登場して地位を奪われるようになるまで、世界には数えきらないほどの混乱が起こっている。戦争がつぎつぎに起こった。イギリスの清教徒革命、スウェーデン・ポーランド戦争、トルコ・ベネツェア戦争、ブラジルでのポルトガルとオランダの戦争、中国での明王朝の滅亡と清王朝の成立。1650年代の10年間だけでも、これらをはじめ、多数の戦争や内乱が起こっている。
 その後、18世紀にもスペイン継承戦争、7年戦争、カンボジアの王位継承をめぐる内戦などが続く。そしてアメリカ独立戦争、フランス革命があり、ナポレオンがヨーロッパを席巻し、アメリカの南北戦争があり、第一次世界大戦、ロシア革命があり、最悪の戦争、第二次世界大戦があった。
 これらの戦争や内戦の間に、インフルエンザの大流行、株式市場の暴落、多世代大家族制度の崩壊、不況と恐慌、政治腐敗、政権交代があり、カメラや電気、自動車、飛行機、映画、ラジオが発明され、ヨーロッパの美術界はラファエル前派からロマン派、印象派、未来派、超現実主義、キュビズムへと移り変わっていった。
 このように変化と混乱が相次ぐなかで、ひとつの点が目立っている。何が起ころうと、これらが一度に起ころうと、産業革命の前進は止まらなかったし、産業革命に伴う新しい富の体制の普及は止まらなかったのだ。何が起ころうとも。

 その理由はこうだ。第二の波は技術や経済だけの動きではなかった。社会、政治、哲学の要因が絡んで生まれたものであり、波の衝突のなかで農業時代から続く支配層が徐々に新しい勢力に屈服していった結果なのだ。
 第二の波から、経済中心の考え方が生まれた。文化、宗教、芸術はすべて副次的な重要性しかもっておらず、マルクスによれば、経済によって決定される。
 だが、第三の波の革命的な富では、知識の重要性が高まっていく。その結果、経済は大きなシステムの一部という地位に戻り、良かれ悪しかれ、文化、宗教、倫理などが舞台の中心に戻ってくる。
 これらの点はいまでは、経済に従属するのではなく、経済との間でみられるフィードバックの過程の一部だとされている。
 いま起こっている革命が技術の動きのようにみえるのは、それによって登場した技術が極端に目立つからだ。しかし、工業化、近代化と呼ばれているものと同様に、第三の並みの革命も文明全体にわたる変化なのだ。株式市場の変動などの混乱はあっても、革命的な富は世界のほとんどの地域で着実に前進していく。
 未来の経済と社会が姿をあらわしてきているので、個人も企業も組織も政府もすべて、過去のどの世代も経験しなかったほど急激な未来への旅に直面している。
 何ともすさまじい時代に、われわれは生きているのである。
二十一世紀の新しい時代にようこそ。


富の未来(上)(下)終了



アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(下)013 最終章2‐1

2012年04月23日 00時57分48秒 | 富の未来(下)
最終章 終わりに-始まりは終わった を抜粋せずに全編を2回に分けて紹介します。

 2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
終わりに ー 始まりは終わった   富の未来(下)P.330~P.340
悲観論をとなえるものは、賢明さを装いたい人にとってとくに便利な方法のひとつだ。そして、悲観的になる材料は山ほどある。だが、いつも悲観論をとなえていては、考えることを放棄する結果になる。
「悲観論者が天体の神秘を解明したことはないし、地図のない土地を発見したことはないし、人間の精神に新しい地平を切り開いたことも無い」と、ヘンレ・ケラーは書いている。幼児のときに視力と聴力を失いながら、世界三十九か国を訪問し、十一点の本を書き、その人生を描いた二本の映画がオスカー賞を受賞し、視聴覚障害者の権利のために八十七歳で死ぬまで戦った人物だ。
ドワイト・アイゼンハワーは第二次世界大戦でノルマンディ上陸作戦の指揮をとり、戦後にアメリカの第三十四代大統領になったが、もっとあけすけにこう語っている。「悲観論で勝てた戦いはない」
 二十一世紀の今後、恐ろしい事態になりうる点をあげていけば、きりがないように思える。中国とアメリカが戦争に突入する可能性。1930年代型の世界的大恐慌で何千万人もが失業し、数十年にわたる経済発展が無に帰す可能性。テロリストが核兵器、炭素菌、塩素ガスを使うか、企業と政府の決定的なコンピュータ・ネットワークへのサイバー攻撃を仕掛ける可能性。メキシコからイラン、南アフリカにいたる世界各国で水不足が深刻になる可能性。対立するNGOの間で武力衝突が起こる可能性。ナノ・レベルの新たな病気が蔓延する可能性。マインド・コントロール技術が広まる可能性。クローン人間が大量に生まれる可能性。そしてこれらが組み合わされ、収斂する可能性。これら以外にもちろん、地震があり、津波があり、森林破壊があり、地球温暖化がある。
 これらはすべて、心配する価値があることだ。だが、いまの悲観論の多くは流行にすぎない。19世紀半ばに産業革命がヨーロッパ全体に波及し、反対派に恐怖を与えた時期に似ている。近代化への恐れと怒り、近代化に伴う世俗主義と合理主義の拡大への恐れと怒りから、ロマン派の悲観主義が生まれ、バイロンやハインリッヒ・ハイネの詩、リヒャルト・ワグナーの音楽、ショーペンハウワーの悲観論哲学で表現された。忘れてはならないのはマックス・シュテルナーだ。アダム・スミスの著作をドイツ語に訳した無政府主義哲学者だが、何よりも悲観論の専門家であった。母親は精神障害に苦しんだ。妻は出産の際に子供とともに死亡した。再婚した後、妻の資産を投資して全額を失った。そして二番目の妻も死んでいる。

ノスタルジア軍団
新しい文明が古い文明を浸食する時期には、二つをくらべる動きが起こるのは避けがたい。過去の文明で有利な立場にあった人や、うまく順応してきた人がノスタルジア軍団を作り、過去を称賛するか美化し、まだ十分に理解できない将来、不完全な将来との違いをいいたてる。
見慣れた社会の消滅で打撃を受け、変化のあまりの速さに未来の衝撃を受けて、何百万、何千万の欧米人が工業経済の名残が消えていくのを嘆いている。
 職の不安に脅え、アジアの勃興に脅えているうえ、とくに若者は映画、テレビ、ゲーム、インターネットで暗黒の未来のイメージにたえず接している。メディアが作り上げ、若者の憧れの的とされている「スター」は、街角のチンピラや傍若無人な歌手、禁止薬物を使うスポーツ選手などだ。宗教家からはこの世の終わりが近いと聞かされている。そしてかつては進歩的だった環境運動がいまでは大勢力となり、破局の予言をふりまいて、「ノーといおう」と繰りかえし呼びかけている。
 だが、これからの時代にはあらゆる種類の驚きが満ちあふれ、善と悪、良いものと悪いものという区分がつきにくくなるだろう。そして何よりも大きな驚きとして、本書で論じてきた革命的な富の体制と文明によって、さまざまな問題があっても、もっと素晴らしく、健康で、長生きで、社会に役立つ人生を送る機会を数十億の人類が得られるようになるだろう。
 本書で強調してきたように、通常の経済学の枠組みでは新興の富の体制は理解できず、この制度の将来をかいま見るだけのためですら、先史の昔からいままで、そして将来まで、あらゆる富の創出の土台にある基礎的条件の深部に注目する必要がある。
 これも本書でみてきたように、基礎的条件の深部には仕事の種類、分業、交換、エネルギー供給、家族制度、特徴的な自然環境などがある。だが、基礎的条件の深部にある要因のうち、ほとんど検討されていないが、将来にとってとくに重要なものに、時間、空間、知識があり、いずれも専用の図書館が必要になるほどのテーマである。
 毎日のニュースでワン・フレーズの形で取り上げられる経済学は、エコノランドでいや
というほど議論されているが、経済の現実のうちごく一部に焦点をあてているにすぎないのは明らかである。本書ですら、ひとつの本という制約があるので、富の創出というテーマで考慮すべき要因を常識的な見方よりはるかに拡張しようと試みたものの、完全な像を示すまでにはまったくなっていない。
 それでも本書では、いま仕事の場でも家庭でも、時間が極端に不足していると感じる人が多い理由を示した。毎日のスケジュールが不規則になり、企業に時間を盗まれ、無給の「第三の職」を押し付けられていることを示した。商品を市場に出し、やがて引き揚げるペースが変化していることも示した。そして本書で示したように、活動の一部を同時化することで、他の部分でかならず非同時化が起こり、そのためにどれだけのコストがかかるかは分からない。いま、富の基礎的条件の深部にある時間要因で、革命的な変化が起こっているのである。
 それと同時に、富の空間的な場所が劇的に変化し、富を生み出す企業と技術の空間的な場所も劇的に変化している。これも本書で示したように、いまの反グローバル化の活動家が全員、荷物をまとめて家に戻ったとしても、経済統合の動きは遅くなり、経済以外の面では世界的な統合の動きが速まるだろう。これも、時間と空間の接点が変化し、非同時化が起こっている例のひとつである。
 しかし、これらの変化も知識システムで起こっている革命的変化との関連でみていかなければ、いま起こっている変化がもつ革命的な変革力の全体像をかいま見ることもできない。いまの変化は経済だけに影響を与えるものでなく、企業にとって、「知識管理システム」を作ればそれで安心というわけにはいかない。
 いまの変化は決定を下すときの方法に影響を与え、決定の基礎に有る真実と嘘の見分け方にまで影響を与える。いま、真実と嘘を見分ける長年の基準すら、攻撃を受けている。そして知識のうち、経済の発展にとくに重要な自然科学が大規模な攻撃を受けている。
 自然科学は前述のように、ほとんどの人が考える以上に厄介な状況にある。基礎研究に割り当てられる資金が減っているといった目先の問題より、はるかに深刻な危機に陥っている。自然科学が生き残っているのは、それを受け入れる文化があるからだ。そしてその文化が自然科学に敵意をもつようになってきた。この点をよく示すのは、進化論に対する攻撃が強まっている事実だ。1925年のスコープス裁判で決着がついたとみられていた創造論者による攻撃が復活しているうえ、いわゆる「知的計画」運動による攻撃がくわわっている。
 自然科学はいま、ポストモダン思想の残滓と大はやりのニュー・エイジ宗教を中心とする主観主義の砂嵐を浴びている。自然科学の影響力を弱めている要因にはさらに、科学者と製薬会社などの企業との関係で不祥事が起こっている事実である。マスコミが繰り返し、科学者を悪魔として描いている事実がある。今後予想されるバイオ技術の発達で、人間とそれ以外を分ける基準が脅かされるという恐れがある。
 それ以上に重要な点として、科学的方法が攻撃されている。攻撃しているのは「真実の管理者」であり、神秘的な啓示から政治的、宗教的な権威まで、自然科学以外の基準に基づく判断を好んでいる。真実をめぐっていま起こっている戦いは、基礎的条件の深部にある知識との関係が変化していることの一部である。

生産消費者の経路
 このように時間、空間、知識の使い方が革命的に変化している事実を背景に、もうひとつ、予想されていなかった歴史的な動きが起こっている。本書で論じてきたように、「生産消費」が復活しているのだ。
 太古の昔、われわれの祖先は食料、衣料、住宅をみずから生産していたのであり、通貨が発明されたのははるかに後のことだ。当時、消費する必要のあるものは自分で生産していた。その後、何万年もの間に徐々に、人類は生産消費を減らし、通貨と市場に依存するようになった。この点を考えた人の間でも、生産消費は減少しつづけるというのが常識になっていた。市場外で非金銭的な価値を生み出す人はさらに減少し、無視できるほどになるとみられていたのだ。
 だが、正反対の動きがいま起こっている。生産消費は第一の波の形では減少しているが、新しい第三の波の方法で急速に増加しているのである。生み出す経済的価値が増え、金銭経済に提供する「タダ飯」が増え、その経路も増えている。金銭経済の生産性を高めているのであり、WWWとリナックスの例が示すように、世界でもとくに強大な政府や企業の一部にすら挑戦している。
 生産消費によっていずれ、たとえば失業という問題の扱い方が変わる可能性もある。1930年代の大恐慌とケインズ経済学の勃興以来、公的資金を金銭経済に注入し、消費需要を刺激し、それによって職を生み出すことが失業問題の典型的な解決策の一部となっている。この政策では、百万人が失業しているのなら、百万の職を創出で問題が解決するというもっともな想定が基礎になっている。
 しかし、知識集約型の経済では、この想定は成り立たない。第一に、アメリカでも他国でも、いまでは失業者が何人いるかすら分からなくなっているし、失業者という言葉の意味すら分からなくなっている。いわゆる「職」と個人事業主とを組み合わせていたり、無給の消費活動で価値を生み出したりしている人がきわめて多くなっているからだ。
 第二に、それ以上に重要な点として、たとえ五百万の職を創出しても、百万人の失業者が新しい労働市場で求められている知識やスキルをもっていなければ、失業問題は解決できない。失業は量の問題ではなく、質の問題になっているのである。職業訓練や再研修すら考えられるほど役立つわけではない。新しいスキルを学び終わったときにはすでに、経済で求められる知識が変化している可能性があるからだ。要するに、知識経済での失業は工業経済での失業と違っている。構造的なものなのだ。
 ほとんどの場合に見逃されている事実がある。失業者すら、実際には働いているのである。失業者も現代人の例にもれず忙しく、無報酬の価値を生み出している。この点も理由のひとつになって、富の体制のうち金銭セクターと非金銭セクターの関係を再検討する必要が生まれている。この二つのセクターはいってみれば、未来の頭脳経済を構成する右肺と左肺のようなものである。
 強力な新技術によって生産消費の生産性が向上する。生産消費による金銭経済への刺激の効率をもっと高めるにはどうすればいいのか。富の体制を構成する二つの部分の間で価値がもっとうまく流れるようにする方法はないのだろうか。リナックスとWWW以外にモデルはないのだろうか。報酬が支払われてこなかった貢献に報酬を支払う方法はないのだろうか。おそらくコンピュータを使った多角的なバーターか、ある種の「準通貨」が使えるのではないだろうか。

悲観論者の代表
 新しい問題を解決するには、既存の知識の限界を超える思考が必要であり、悪化を続ける世界的エネルギー危機ほど新しい思考を必要としている問題はない。
 いま、既存のエネルギー・システムは明らかに、最終的な大崩落に向かっている。エネルギー需要が増えているからというだけではない。インフラが集中型になっており、独占が行き過ぎているからである。このどちらも、工業経済には適していたし、おそらくいまでも適しているだろう。だが、無形資産への依存度を高めている分散型の知識経済には、まったく適していない。
 中国、インドなどの国で経済が発展し、エネルギー需要が増加する一方、石油掘削のコストが上昇しており、化石燃料への依存度が高まって環境問題が深刻化している。そして、原油が世界でもとくに政治的に不安定な地域で生産されているという問題にもぶつかっている。
 21世紀初めに、年に推定約40京BTU(英国熱量単位)のエネルギーが世界のエネルギー市場で取引されている。石油、天然ガス、石炭、核燃料が中心であり、このなかでもっとも多いのは石油で、全体の約40%を占める。アメリカのエネルギー省が2004年に発表した予想では、2025年には世界のエネルギー需要が62京3千兆BTUになり、54%増加するとみられている。
 需要がここまで増加しても、化石燃料価格は「比較的低い水準に止まる」とエネルギー省は予想している。ただし、京都議定書で規定された温室効果ガスの排出削減が実行された場合にはそうはならず、その場合には「原子力が、そして水力、地熱、バイオマス、太陽、風などの自然エネルギーがもっと魅力的になるだろう」という、要するに、興奮するようなことは何も起こらないとエネルギー省は予想する。
 これをエネルギー産業専門の投資銀行家として影響力があり、悲観論者の代表といえるマシュー・R・シモンズの予想と比較してみよう。シモンズはエネルギーの将来を示すものとして石油の状況を分析し、世界の主要な油田で埋蔵量の減少が「深刻」になっており、業界が発表する推定埋蔵量は信頼できず、新たな油田の発見のコストが上昇し続けていると論じる。
 そのうえ、タンカー、製油所、掘削リグ、人員がいずれも「稼働率が100%に近い」状態になっており、この問題は「解消に10年から数10年かかる」という。それだけでなく、石油会社と電力会社も他の業界の企業と同様にジャスト・イン・タイムに移行しており、供給予備力をぎりぎりまで絞っていて、大惨事が起こりかねない状況になっていると語る。
 前述のように、エネルギー危機には非同時化が生み出した劇的な結果という側面がある。業界と市場の予想よりはるかに急激にアジアの需要が増加した結果なのだ。この点で、タンカーの建造が遅れ、製油所が不足し、緊急時用の備蓄が不足している理由が説明できる。
 シモンズは説得力のある分析を示した後、この世の終わりのシナリオから離れ、楽観的にこう語る。「人類が創造力をとくに発揮するのは、深刻な危機の時代のようだ」
 だが、これらの予想は、全体像を良い方向にか悪い方向にか大きく変えうるさまざまなシナリオを適切に考慮していない。たとえば、中国やインドで社会が混乱し、経済が減速するシナリオ、感染症が蔓延して人口が大幅に減少するシナリオ、中国がマラッカ海峡など、産油地帯の中東からアジアまでの海上までの海上交通路を支配するシナリオがある。そして、ほとんど注目されていない技術変化によってエネルギー需要が減少するシナリオがある。たとえば、製品の小型化がさらに進み、重量が減り、輸送と保管の必要が低下する可能性がある。
 それ以上に重要な点は内燃機関の時代が終わり、水素を使う燃料電池に代わる時期が近づいていることである。アメリカ連邦議会下院で科学委員会の委員長をつとめたロバート・ウォーカーはこう語る「何年かたてば、中国で百万台の燃料電池車が使われるようになるだろう。アメリカとくらべて、中国では既存のガソリン流通システムの重荷がはるかに小さい。いずれ110キロワットの燃料電池を積んだ車が、補助電源としても使われるようになる。今後の道筋にはいくつもの失敗があるだろうが、化石燃料の時代は終わろうとしている。

アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(下)0012

2012年04月18日 00時41分46秒 | 富の未来(下)
2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
第10部 地殻変動 P.310~P.329

第50章 目にみえないゲームのゲーム
 革命的な富の将来は、個々人にとっても世界にとっても、市場の相互作用だけで決まるわけではない。誰が何を得て、誰が何を作るのかは、いくつかの理論でそう論じられていることはあるが、実際には市場の力だけで決まったことはない。富はどこでも権力、文化、政治、国によって形作られている。世界のレベルではこれまで数世紀にわたって、国家が基本的な要因になってきた。(中略)
 各国政府は慣れた領域で、国民国家ゲーム盤とも呼べる領域で、これまで以上に激しく争っていくが、これはどの国にとっても、勝てる望みのない戦いになる。国民国家の政府がどう思おうと、国という制度は力を失う方向にある。大国といえども、それほどの力をもたなくなっている。アメリカも例外ではない。

新しいゲーム
 その理由は、新しいゲームでもはや、国が唯一の強力な要素ではなくなっていることにある。(中略)ゲームのルールは単純な線型ではなく、個々の動きの後に変化し、その最中にすら変化する。~重要なのは国のゲームと企業のゲーム、そして両者の相互作用だけではない。国と企業は、急成長する非政府組織(NGO)など、新しい勢力にも対応しなければならない。

急成長のNGO
 多数のNGOがモンサント、マクドナルド、シェルなどの企業と戦っている。前述のように、自由貿易と再グローバル化に反対している。平和運動を行っている。クジラを守るため、森林を守るために運動している。こうした運動がマスコミに取り上げられる。
(中略)
 NGOはコンピュータ、インターネット、最新の通信機器を駆使し、弁護士や医師、科学者などの専門家の支援を受けて、国際的な勢力として急成長しており、国や企業は今後、NGOと権力を分け合わなければならなくなっていく。(以下略)

明日のNGO
 いまのところ地方か国の範囲で活動しているNGOも近く、世界の舞台で活動するようになると予想できる。環境保護運動、女性解放運動、公民権運動なども、まずは地方の運動としてはじまり、やがて全国的な運動になり、その後に世界的な課題だと主張するようになっている。(中略)間もなくあらわれてくる倫理的な問題はきわめて深刻だし、感情的になるものなので、そこから新たに狂信的な運動が生まれ、世界的なテロ組織になることも容易に想像できる。いまですらNGOは全体として、情熱、アイデア、早期警戒信号、社会的イノベーションが良いものも悪いものも煮えたぎる大鍋のようになっている。すでに、政府やその官僚制度よりも素早く組織化し、行動できる(これも非同時性の重要な例だ)。今後、世界経済での富の生産と分配に大きな影響、それも大部分が予想外の影響を与えることになろう。そこで、最大のNGOともいえる宗教についてみていくことにしよう。

宗教経済学
 世界人口の増加率は低下しているが、世界の二大宗教、キリスト教とイスラム教では信者数の伸び率が上昇している。どちらも今後数十年に、技術の進歩と世界の富の劇的な再分配から影響を受けることになる。宗教と金銭の関係でもっとも関心を集めているのは、テロリズムのコストに関する点である。オサマ・ビン・ラディンはイスラム教徒過激派による9・11の攻撃で、アメリカ経済に1兆ドルを超える打撃を与えたと自慢した。しかし、実際にアメリカが被った損失ははるかに小さい。~自然災害の場合にそうなるように、復興がはじまればコストの多くは取り戻せるのだから、損失とみえても、実際には資金が経済のある部分から別の部分に振り向けられたにすぎないものが多い。(中略)
 だが、原理主義のテロリズムが魔法のように消えたとしても、今後十数年、宗教は世界経済に大きな影響を与えるだろう。

移動する神
 アメリカはイスラム教過激派からは「信仰心がない」と非難され、ヨーロッパ人からは「宗教的すぎる」と評されているわけだが、今後の世界は、世俗主義が強まった工業時代とは逆の方向に動いていくと見られる。(中略)キリスト教でもイスラム教でも、地理的に、つまり空間要因でみて、大きな変化が起こっている。~宗教が成長し、空間的に移動していることは、歴史的な出来事であり、今後、世界全体で富が移転する動きに少なくともある程度の影響を与えるし、逆にこの動きから影響を受けるだろう。
(中略)何世紀にもわたって、世界経済でのイスラム世界の力は、中東がアジアとヨーロッパを結ぶ貿易の主要な中継点として、戦略的で高付加価値の位置を占めていることに起因していた。ヨーロッパなどの貿易商が先進的な航海術によって中東を迂回し、アフリカの南端を通る航路を開発したことから、中東は経済的に有利な立場を失った。現在、中東はふたたびもっとも重要な富の源泉を失おうとしており、それとともに、金融、文化、宗教の面でも影響力を失おうとしている。この場合の富の源泉とはもちろん、石油である。

石油の時代の終わり
 中国、インド、そしてあまり注目されていないがブラジルが経済力をつけてきたことから、2005年には原油価格が急騰し、2002年の水準の2倍になった。この結果、代替エネルギーの競争力が高まった。また、原油資源がいつまで続くのかが疑問になっている。(中略)中東各国の政府がいまの段階で、石油後の知識集約型経済に向けた計画を立てなければ、中東地域から巨額の富が流出し、貧困と絶望感がさらに深刻になって、テロがさらに活発になりかねない。(中略)サウジアラビアの支配層は巨額の石油収入を、イスラム教でもとくに戒律の厳しいワッハ-プ派の影響力を世界各地に広めるために使ってきた。この資金は、イスラム教徒の若者が経済的に価値の高いスキルを獲得できるように教育するために使えたはずだ。
 そうせず、宗教だけを教える学校に資金を注ぎ込んだ結果、アフガニスタンでタリバンが生まれ、世界各地に職がなく、希望がなく、怒れる若者が増え、いま、サウジアラビア政府の転覆を目指しているテロリストすら生まれた。外部からみれば、イスラム社会ではすでに戦争がはじまっている。ただし、この戦争では、「敵」は反イスラム教で帝国主義のアメリカではないし、他の非イスラム国でもない。欧米ですらない。中東各国の多くを長年にわたって支配してきた指導者、貪欲で偏狭で近視眼的な指導者、第三の波に乗って明るい未来を築くために石油マネーを使おうとしなかった指導者なのだ。

過去のユートピア
 中東各国の指導者がどうすべきだったか、そして意気消沈したイスラム世界の若者に希望を与えるにはどうすべきかを、エコノミストでヨルダンの元副首相、国連開発計画(UNDP)アラブ局長のリマ・ハラフ・フネイディがこうまとめている。「知識は富と貧困、能力と無力、達成と挫折を分ける要因になってきた。知識を活用でき、広められる国は開発の水準を急速に高めることができ、すべての国民が成長し繁栄できるようにすることができ、21世紀の世界の舞台で適切な地位を確保できる」(中略)概要はアラブ世界の現状を冷静に分析し、「アラブの経済活動はかなりの部分、一次産品に集中しており、たとえば農業は大部分が伝統的なものである。そして、資本財産業や高度技術を使う産業の比率が低下を続けている」と指摘する。(中略)基礎的条件の深部にある時間、空間、そして何よりも知識との関係で、イスラム教原理主義のテロリストは外部世界に殺人をもたらすだけであり、イスラム世界の内部には惨めさをもたらすだけだ。以上でイスラム教と中東に、そこで失われた機会にページを割いてきたのは、これがいま緊急の課題になっているからだが、アフリカと中南米も未来に直面しなければならない。アフリカと中南米では、大土地所有、都市の貧困、アグリビジネス、先住民族、民族性、環境をめぐって波の衝突が煮えたぎっており、人種差別とドラッグ密売組織のテロのために、問題がますます複雑になり激化している。アメリカは中東に関心を奪われて、他の火山の鳴動には無関心すぎる状況にある。とくに南アメリカでは、怒りが爆発寸前になっている。
力の脆弱さ
 いずれ避けがたい危機は、前述のゲーム盤のそれぞれで起こり、しかも、単純な線型ではなく、複雑さを増し、相互作用が深まり、変化が加速していく「メタ・ゲーム」を背景とするものになるだろう。そのため、中国、アメリカなどの国がどれほどすぐれた国家戦略を策定しても、NGOや宗教など、メタ・ゲームの他の参加者の動きを考慮していない場合には、効果が薄くなるか、逆効果になるか、意味のないものになりかねない。アメリカがイラク政策で失敗を重ねているのはかなりの部分、国の役割を重視しすぎ、反戦NGO、宗派、部族など、国以外の勢力の役割を過小評価した結果である。
(中略)
 だが、この見方は単純すぎる。もっと重要な問題は、脆弱ともいえるアメリカの富がどこまで経済的な支配的地位に依存しているのかである。(中略)アメリカはいま押し寄せてくる経済、政治、文化、宗教の強力な変化を管理できない。最善でも、自国の経済と国内の制度を変えながら、外的な脅威を防ぎ、あらゆる人が直面している共通の危険のいくつかを和らげる努力ができるだけである。

ナノ秒のいま
 陰謀論によれば、アメリカには資本主義者の秘密結社があって、世界を乗っ取り、世界経済の方向を管理する戦略を練っていることになっている。実際には、アメリカは一貫性のある戦略や長期的な戦略に近いものすらまったくもたないまま、歴史上はじめて三つの富の体制に分かれた世界に直面している。アメリカだけではない。そうした戦略は、誰ももっていない。~現在の大急ぎのながら族にとって、「いま」ははるかに短く、「ナノ秒のいま」になっている。
 アメリカの政治家もごくまれに長期的な観点から問題を指摘することがあるが、たいていは個別の制度や狭い分野の政策が対象になっていて、国全体の将来にかかわる問題は対象にしていない。任期を超える期間にわたる問題を取り上げると、頭が混乱し、夢を語るだけで、非現実的だと反対勢力に嘲笑される。アメリカ政府のある高官は、数十年先の大きな問題を考える人物だが、こう嘆いている。「議会は一年か二年の予算が戦略だと考えている」(中略)
 戦略も、欠陥のある人間が作るものなのだから、かならず欠陥がある。そしてもちろん、柔軟でなければならず、素早く改定できなければならない。戦略を賢明なものにするには、いまの変化の速さを考慮するのはもちろん、今後、変化がさらに加速することを考慮しなければならない。もちろんこれは、言うは易く行うは難しの典型のようなことだ。だが戦略を捨てて敏捷さを重視するのは、近くの空港に大慌てで駆けつけ、そのときの人の流れに乗って、行き先を確認しないまま、飛行機に乗るようなものだ。もちろん、行き先がどこでもいいのであれば、これでいい。テキサスでも東京でもテヘランでも、荷物が一緒に運ばれれば地の果てのティンプクトゥでもいいのなら。だが実際には、どこでもいいというわけにはいかない。行き先をしっかり確認すべきだ。未来を手中にできるのは、行き先をしっかり確認した人なのだから。アメリカの内部でも外部でも。



アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(下)011

2012年04月10日 10時20分52秒 | 富の未来(下)
さて、最終章に近づいてきました。第49章アメリカ国外の情勢を抜粋添付します。
第48章アメリカ国内情勢から次回紹介する第50章目に見えないゲームのゲームを
3章通して読まないと理解できないと思います。第48章に目を通した上で、今般
の第49章を読んでください。では。

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2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
第10部 地殻変動 P.283~P.309

第49章 アメリカ国外の情勢
 世界的な世論調査を行うと、アメリカの膨大な富は世界の貧乏人から搾り取ったか盗んだものだと信じている人がきわめて多いことが分かる。反米、反グローバル化の抗議運動で使われるスローガンでも、この見方が前提になっていることが多い。そして、同じ見方が前提になって、一見学術的な本や論文が大量に書かれており、アメリカは新しい「ローマ帝国」、典型的な帝国主義の最新例だと主張されている。中国が好む表現を使えば、新しい「覇権国」だとされている。
 この類推の問題は、21世紀モデルのアメリカの現状にあわないことだ。アメリカがそれほど豊かで強力な覇権国なのであれば、2004年にアメリカ国債の40パーセント近くを外国人が保有しているなどということがありうるだろうか。ローマ帝国が世界を支配していたときもそうだったのだろうか。大英帝国もそうだったのだろうか。
(中略)
 アメリカは確かに強力であり、世界中で確かに影響力を行使している。だが、アメリカを、そして世界をこのように描き、理解することにはどこかに問題がある。いまだに農業時代と工業時代の感覚で考えているのだ。知識集約性が高まるとともに、世界を舞台に戦わせるゲームは、ルールも参加者も様変わりしている。そして富の未来も様変わりしているのである。

古いゲーム
 イギリスは工業時代に「太陽の沈むことのない帝国」と呼ばれたころ、どう動いていたのだろう。遅れた農業経済の植民地、たとえばエジプトから綿花を安く買い叩く。綿花をリーズからランカスターの工場へ送り、そこで加工し、付加価値を高めた綿織物にしてエジプトに送り返し、高くつり上げた価格で売る。こうして得られた「超過利潤」をイギリスに送り返し、工場の新設に使う。イギリスの強力な海軍、陸軍、行政組織が植民地内の反乱を抑え、植民地外からの競争を排除する。もちろんこれは、はるかに複雑な過程を戯画化したものである。だが、帝国のゲームでカギになるのは、その時点での最先端技術の成果、たとえば綿紡績工場をリーズやランカスターに維持することであった。これに対していまは、先進的な経済は知識に基づくものになり、工場の意味は低下している。重要なのは工場ではなく、工場が依存している知識である。(中略)外国人留学生のうち本国に帰る人の比率が上昇しており、その際には大規模ネットワーク技術、ナノテク、遺伝子工学などの最先端の科学技術知識を本国に持ち帰っている。帝国主義や新植民地主義の国が過去に行ったこととは違っている。

「高貴な行動」
 第二次世界大戦によって、工業時代の典型的な植民地主義の終わりがはじまった。
 (中略)戦争が終わって3年の後、いまでは「帝国」と呼ばれているアメリカが変わった行動をとった。
 ドイツに賠償を要求して残された工場設備や鉄道車両、産業用機器を根こそぎ持ち去るのではなく(共産主義国家ソ連はそうしたが)、競争相手の弱みにつけこむこともなく、マーシャル・プランと呼ばれるヨーロッパ復興援助計画を開始したのだ。この計画のもと、アメリカは4年間に130億ドルをヨーロッパに注ぎ込み、うち15億ドルを西ドイツに注ぎ込んで、生産能力の再建、通貨の強化、貿易の再開を支援した。日本にはこれとは別の計画のもと、総額19億ドルを援助し、うち59%を食料、27%を産業用資材と輸送用機器の提供にあてている。第二次世界大戦期にイギリスを率いた偉大な指導者、ウィンストン・チャーチルはマーシャル・プランを「歴史上もっとも高貴な行動」と呼んだ。だが、戦争中の同盟国と敵国をともに支援したのは、慈善のためではなかった。長期的な経済戦略の一部であり、それが見事に成功している。
 (中略)
 1950年代初め、世界の人口のわずか6%を占めるに過ぎないアメリカが、世界のGDPの30%近くを占め、工業生産の半分を占めていた。そして競争に直面することはほとんどなかった。

反発と混乱
 現在の世界は当時と様変わりしている。世界のGDPは1990年基準の実質ベースでみて、1950年の5兆3千億ドルから2004年の51兆ドルに増加した。そして、世界の金銭経済におけるアメリカの役割は劇的に変化している。ヨーロッパ、中国などの地域は経済が回復するとともに、強力な競争相手になった。~だが、これは相対的にみたときの話であり、絶対ベースでは事業が大きく違っている。1950年代半ば以降、アメリカの富は金額ベースで(いうまでもなく、時代後れで不適切な経済指標でみたものだが)、急増している。実質GDPは1952年の1兆7千億ドルから2004年の11兆億ドルに増加した。知識に基づく技術、プロセス、組織、文化の寄与に関する統計は「ソフト」で異論も多いが、アメリカは工業大国というだけであれば、軍事的、経済的な競争力を維持できなかったはずだ。いまのような反発と無理解にはぶつかっていなかったはずだ。(中略)上記に関連してアメリカが浴びているもうひとつの非難、「文化帝国主義」とその背景にある経済的利益に対する非難である。~アメリカは批判者がいうように、他国に文化を押しつけているのだろうか。それとも何か別の動きが起こっているのだろうか。

均質化の反転
 その答はすでに述べたように、二つのアメリカがあるというものである。均質化を追求しているのは過去のアメリカ、大量生産のアメリカであって、未来のアメリカ、非マス化のアメリカではない。前述のように、大量生産では、画一的な製品を繰り返し製造するか販売し、製品をできるかぎり変更しないようにすることで規模の経済を確保できる。(中略)
要するにカスタム化のコストがゼロに近づいており、消費者が個性を重視するようになっているので、画一性への流れが逆転し、多様性への流れが中心になるだろう。
(中略)
 要するに、文化の均質化は、アメリカのうち、急速に衰退している大量生産部分が伝えるメッセージだ。異質性、非マス化、個人化がアメリカのうち、急速に成長している部分のメッセージであり、この部分は多様性を必要とし、多様性を作り出している。そしてこれは物理的なものやコミックだけの話ではない。 
(中略)
いまほんとうに問題になっているのは、アメリカがどこまでの均質性を作り出すのかではない。他国の政府や文化、宗教が多様性をどこまで抑圧するのかである。
アメリカが現在、世界で唯一の超大国だといえるかもしれない。しかしアメリカは、過去の超大国が直面しなかったし、想像すらしなかったほどの制約と複雑さに直面している。
アメリカは自国の利益だと考えるもの(往々にしてそう誤解しているもの)に基づいて行動しており、革命的な富の勃興とともに、新たに多層的な世界秩序を作りだしている。これは前の世代の指導者が予想したものとは大きく違っている。まずは、過去に例のない目に見えないゲームのゲームについてみていこう。

アルビン・トフラー ハイジ・トフラー 共著 富の未来(下)010

2012年04月05日 23時09分06秒 | 富の未来(下)
第48章 アメリカの国内情勢を抜粋紹介します。

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2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
第10部 地殻変動 P.283~P.309

第48章 アメリカの国内情勢
 革命的な富に基づく新しい生活様式はまだ、アメリカで完成の途上にある。モジュールのように素早く着脱される職、ギラギラで派手派手、そしてスピード。
 商業主義、1日24時間週7日の娯楽、そしてスピード。
 大気の浄化、テレビの醜悪化、学校の腐敗、そしてスピード。
 医療制度の破綻、平均寿命の伸び、そしてスピード。
 完璧な火星着陸、情報過多、複雑化、人種差別軽減、超高機能食品、天才少年少女、そしてもちろんスピード。
 この複雑さに、アメリカ社会の数々の矛盾がくわわる。バイアグラのCMと中絶反対のデモ。自由市場とアメリカ企業に有利な関税や補助金。外国語が下手で、他国文化に無関心なアメリカ人の偏狭さとグローバル化の大合唱。
 この騒々しい混乱ぶりをどう理解すべきか、外国人には分からない。(中略)
 アメリカについては、世界でもっとも強力な国だというだけでなく、社会と経済に関する世界最大の実験場でもあるという観点から眺めてゆくと理解しやすくなるかもしれない。~同時にアメリカは富の基礎的条件の深部にある3つの要因のすべてでも、実験を行っている。スピード、スピードというのはそのためだ。
 目の回る忙しさから逃れたいという人がこれほど多いのはそのためだ。
 機械がもっと速く、人はもっとゆっくりと動く必要があるのはそのためだ。
 アメリカは空間についても実験を進めており、空間をどう区切るべきかを実験している。経済的な境界の壁が低くなっている点をみればいい。そしてもちろん、何よりもでーた、情報、知識から富を生み出す無数の方法を実験している。
 アメリカは失敗が許される国であり、失敗からときに、経済的、社会的に価値の高い突破口が開かれる国である。~大実験場ではいくらでも失敗できる。失敗するリスクを恐れていては、未来を追及することができない。そしてアメリカは未来を追及しているのだ。(以下略)

波の戦争
 アメリカをはじめとする豊かな民主主義国では、波の衝突は通常、貧しい国での衝突のように激しくはならない。それでも衝突があるのは確かだ。エネルギー政策、輸送、企業の規制、そして何よりも教育など、さまざまなレベルにあらわれる。(中略)
 アメリカは先進的な知識経済を築くために急速に動いている。だが、工業時代に作られたエネルギー・システムの重荷を負わされている。世界有数の規模と政治力をもつ企業がこのシステムを守っており、基本的な変化を求める国民の不満の高まりを押さえつけている。この戦いは通常、そうは呼ばれていないが、実際には第二の波と第三の波の戦争の一例なのだ。

240億時間
 同時に、これと関連する衝突がアメリカの輸送システムをめぐって起こっている。(中略)この巨大なインフラは大衆社会に対応して作られたものである。つまり、大量生産、都市化、そして大量の労働者が同じ時間に同じコースを行き来する必要をもたらす仕事のパターンを背景としている。2000年には、1億1900万人のアメリカ人が通勤のために年間240億時間を浪費したと推定される。(中略)アメリカのインフラの主要な要素、そしてそのサブ・システムは同期がずれており、工業時代の既得権益集団と革命的な富の体制を発展させる画期的なイノベーションを起こそうとする集団の間で主導権争いが続いている。ここにも波の衝突がある。
 同様の衝突が経営慣行をめぐるさまざまな戦いにもあらわれている。~以上にあげたのはごく一部にすぎず、アメリカのほぼすべての制度で現在、技術と社会の高速の変化に対応する試みをめぐって、静かな波の戦争が起こっている。そのなかでアメリカの教育制度をめぐる戦いほど、重要な意味をもつものはない。

将来を盗む
 アメリカが世界の富の革命で最先端の地位を維持するためにも、
世界大国の地位を維持するためにも、 
貧困を減らすためにも、
工場型の教育制度を新たな制度に置き換える必要がある。改革では不十分なのだ。 
(中略)
 おそらく、アメリカの波の衝突でもっとも大きなコストを負担するのは、5千万人に近い子供たちであろう。子供が強制的に通わされている学校では、いまや存在しなくなった職につくための教育が行われており、その点ですらあまり成功していない。子供の「将来を盗む」ような教育が行われているのだ。(以下略)

名前のない連合
 いまでは大衆教育制度は評判が地に落ちているが、それが作られた時点には、工業が発達する前の時代の現実から前進したものであった。当時、学校に通うのは子供のうちごく一部にすぎず、貧乏人の間では読み書き計算できる人がほとんどいなかった。工業時代に入ってからも、子供をできるかぎり早く低賃金の工場で働かせるのではなく、学校に通わせるまでに、何世代もの時間がかかっている。
 いまでも何千万人もの子供が工場型の学校に通っているのは、少々考えにくい組み合わせの努力が作った連合、名前のない連合が、それを望んできたからだ。(中略)要するに企業にとって、工業時代の大量生産経済を築くために、画一的な教育で若い世代をマス化することが決定的な意味をもつようになったのである。
 20世紀に入って工業経済がさらに発展すると、大規模な労働組合が結成されて労働者の利益を守るようになった。労働組合は通常、公教育を強く支持した。子供たちがしっかりした教育を受けて良い生活を送られるようになることを組合員が望んだからでもあるが、それ以上に公教育を支持する裏の理由、おそらくそうとは意識していない理由があった。労働力人口が少ないほど、職をめぐる競争は緩くなり、賃金は高くなる。労働組合は児童労働の禁止を求めて戦い抜いただけでなく、義務教育期間の延長を求める運動を展開し、何百万人、何千万人もの若者を長期にわたって労働市場から排除することに成功してきた。その後に教員の大規模な労働組合が生まれ、工業時代向けに設計された公教育制度を自己利益のために強く支持するようになった。
(中略)
 サー・ケン・ロビンソンはこう語る。「公教育の仕組みはほぼすべて、工業主義の必要とイデオロギーによって作られており、労働力の需要と供給に関する古い想定に基づいている。この制度の特徴は段階性、体制順応、標準化・・・・である」

変化を求める力
 いま、新しい波の衝突が起ころうとしている。これはアメリカだけの現象ではない。今後の衝突では、既存の工場型教育機関を守ろうとする勢力と、これに代わる新しい教育制度を築こうとする運動がぶつかることになる。教育の一新を求める運動は力をつけてきており、4つの主要な勢力で構成されている。
 第一が教師である。既存の教育制度では通常、教育は機械的で、教科書と標準的な試験にしばられていて、教師と生徒の創造性をすべて奪い去ってしまう。いまの学校には燃え尽きた教師が何百万人もおり、現状に甘んじながら引退できる日を待っている。(以下略)
 第二が両親である。両親にも、古い連合から離反する動きが明らかにあらわれている。(中略)工業時代の学校制度が荒廃して、知識経済の必要に対応できなくなると共に、親の抵抗が強まっていくだろう。(以下略)
 第三が生徒である。何世紀か前の大衆教育を求める運動では、子供たちはたいした力になっていない。だが、いまの子供は工業時代の教育制度を崩壊させる動きに参加できる。すでに、教育制度に対して反乱を起こしている。反乱は二つの形をとっている。ひとつは教室外の反乱、もうひとつは教室内の反乱である。~ほとんどではなくてもかなりの生徒は、いまの学校がこれからの社会ではなく、これまでの社会に役立つ教育しかしていないことを直観的に理解している。
 まず目につく反乱は中退である。生徒は学業を放棄し、それまでにかかった経費を納税者に押し付ける。(中略)もうひとつの反乱は教室内でのものだ。(以下略)
 第四の勢力は企業だ。学校が企業に、工場での仕事のために訓練された労働力を年々送り出していた間、工業時代の学校を支持する連合は磐石だった。だが、20世紀半ば以降、新しい富の体制が普及するとともに、これまでとは違ったスキルが必要になった。既存の学校の大部分では教えられないスキルが求められるようになったのである。(
中略)
 第二の波の企業と第三の波の企業の間で、利害が大きく食い違うようになった。このため、1世紀以上にわたって不可能だったことがいま、可能になったとも思える。怒れる親、不満をかかえる教師、適切なスキルを持つ人材を求める企業、教室でイノベーションに取り組む教師、インターネット教育者、ゲーム開発者、子供が新しい連合を形成し、組み立てライン型の教育を改革するのではなく、一新する力をもつ可能性がでてきたのである。

つぎの段階
 エネルギー・システム、輸送インフラ、学校の例を取り上げてきたが、工業時代の圧力団体によって前進を阻まれている制度はこれだけではない。(中略)制度の変化がこれに歩調をあわせていかないかぎり、同時性が破壊され、アメリカが実験場の役割を果たせなくなり、今後、実験場が国外に移ることになるだろう。中国に移るのだろうか。ヨーロッパに移るのだろうか、イスラム圏に移るのだろうか。そこで、アメリカ国外の情勢をみていくことにしよう。