2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(上)
第6部 生産消費者P.320~376
第26章 来るべき爆発的成長
今後予想される生産消費の爆発的成長は、経営・金融関係のマスコミで過小評価されているし、学者や研究者、政府にも過小評価されている。生産消費者が世界を支配するようになるわけではない。だが、新しい経済がどのようなものになるかに、大きな影響を与えるだろう。そして、世界の巨大企業や巨大産業に挑戦することになろう。実際のところ、その動きはすでにはじまっている。
これまでの章では、生産消費者の「第三の仕事」が銀行や航空会社など、無数の企業にとって「タダ飯」になっていることをみてきた。また、医療と保健の面で生産消費者が生み出す経済的価値が高まっていることをみてきた。だが、以上はほんの出発点にすぎない。
ギターとゴルフ・クラブ
生産消費者はいま、さまざまな道具や機器を買って健康と医療の「産出」を増やしているといえるするなら、他の分野でも同じような動きをとっている。
(中略)
男女を問わず、もっとむずかしいDIYに挑戦したい生産消費者のために、電気ギターやパソコン、ゴルフ・クラブ、ヨット、四寝室のログ・ハウスなどを自作できるキットが売られており、航空ショーに参加できるほどの飛行機すら自作できる。
際限のない消費癖なのか
経済学では通常、これらの購入を消費だとみている。しかし、まったく違った見方をとることができる。実際には生産消費者が資本財に大規模に投資しており、その結果、いまのところほとんど統計がないが、生産消費で産出される価値が増加しているのである。
(中略)
これらの機器が売れている現状を「際限のない消費癖」だと批判する人は、自分でも多数の機器をもっているはずだが、その点はさておいても、機器を買うことの意味を理解できていない。貪欲さを示すこれ見よがしの消費ではない。生産消費の能力を高めるための投資である。自分自身と家族のために生産消費を行う能力を高め、少なくとも部分的に市場から撤退している。そのような意味で、消費癖とは反対の動きなのだ。普通なら人を雇って金銭を支払わなければならないか、金では買えないことを、市場の外で行えるようにしているのだから。
(中略)
有給の仕事と無給の仕事の境界線、生産者が産出する統計対象の価値と生産者が産出して大部分が統計対象にならない価値の境界線は、定義が生み出した虚構にすぎず、誤解を招くものである。一方に金銭経済があり、他方に非金銭経済がある。この二つがあってこそ、現在の富の体制は機能しているのである。将来を計画しようとするものは誰でも、この富の体制の全体像を理解しなければならない。
クッキーとシュミレーション
生産消費者はこの虚構の境界線など端から無視して、自由に移動している。世界各地で無数の小企業が、それまで趣味の生産消費活動として、自分のため、友人や隣人のために作ってものを売るようになって生まれている。
(中略)
生産消費者が技術と関心を磨き、試した後、小さな企業を作って販売するようになり、金銭経済の生産に寄与するようになっている。
生産消費者がはじめた事業は、小規模で専門的なものだとはかぎらない。ハリウッドのエージェント、ウォリー・エイモスの例をみてみよう。高校を中退し、後に俳優のエージェントになり、1960年代にはサイモン&ガーファンクルを売り出し、ダイアナ・ロスやマービン・ゲイらの有名な歌手のエージェントとして活躍するようになった。
叔母のデラに教えられて、趣味としてクッキーを焼き、友人や家族に配るようになった。
「そのうち、知人にあうと、こんにちはでもこんばんはでもなく、『クッキーをもらえるかい』と挨拶されるようになった」とエイモスは語る。
「クッキーを事業にすればいいのにとみなにいわれたが、そのころは真剣に考えることはなかった」
ついに事業化を真剣に考えるようになったとき、ウォリー・エイモスはフェイマス・エイモス・チョコレート・チップ・クッキーを発売した。いまではこれがアメリカでもとくに有名なクッキーのブランドになり、グルメ・クッキーという新しい分野を切り開くまでになった。だがこれすら、小さな事業にすぎない。
ハリウッドを超える
生産消費者は趣味を活かして企業を作るだけではない。大きな産業を生み出すか、その一助になることもある。(中略)
要するに、市販のゲームは生産消費者にソフトを自在に変更し、複雑にし、豊かにするよう促しているのである。その結果、「技術革新という点で、民間のゲーム産業は軍よりはるかに進んでいる。・・・・何百万人ものゲームの愛好者がきわめて熱心で、世界的なネットワークで結ばれ、自由に組織を作って、みな、自分が一番になろうと必死になっているからだ」。
このように、非金銭経済での生産消費者の技術革新が一因になって、コンピューター・ゲーム産業はいまでは200億ドルの規模にまで成長している。はじめて聞いたときの驚いた人が多いはずだが、いまではハリウッドの映画産業よりも規模が大きくなっているのだ。
集団的な生産消費
だが、現代の生産消費活動のなかで、21歳の大学生が楽しみではじめたプロジェクトほど、産業界と国際関係に爆発的な影響を与えたものはない。ソフトウェアの世界に衝撃を与えており、資本主義そのものを揺るがしていると考える人すらいる。
ヘルシンキ大学の学生だった21歳のとき、リーナス・トーバルズは大型コンピュータ用のUNIXをパソコン用にしたミニックスを使っていた。だが満足できず、パソコン用の新しいOS(基本ソフト)を開発しようと考えた。これを長期の目標にして無給で取り組んだ結果、三年後の1994年、今のリナックスの主要部分が発表されるまでになった。
(中略)
したがって、トーバルズらのプログラマーによる生産消費活動は、金銭経済に大きな影響を与えたのである。リナックスは資本主義の終わりを意味するわけではない。(熱心な支持者はそう主張しているが)。それでも生産消費活動が金銭経済にいかに大きな影響を与えるかを示す好例になっている。
そして、リナックスもはるかに大きな動きの一部でしかない。
階層組織をぶち壊す
知識が確かに、富の体制を支える基礎的条件の深部の要因として一層重要になってきているのであれば、知識をどのように入手し、どのように整理するかは、目に見える経済の成長に直接に関係する要因だといえる。いまでは、インターネットのない世界は考えられないし、ワールド・ワイド・ウェイブ(WWW)のないインターネットは考えられない。
インターネットとWWWは、人類が発明した思考のツールのなかでも最強のものである。
(中略)
インターネットは、基礎的条件の深部にある空間と知識との関係に革命を起こしており、(以下略)拡大を続けるインターネットの情報内容のうち一部は、人類の歴史でも最大級のボランティア活動によって作られている。(中略)
目に見える経済と、目に見えない経済という二つの経済の全体をあわせたときにはじめて、本書でいう「富を生み出す体制」になる。このような視点をもつと、新しい事実が明らかになる。金銭経済は劇的に拡大する勢いにある。そして、非金銭経済での活動が金銭経済に与える影響は、ますます大きくなっていく。生産消費者は功績を認められていないが、今後の経済に貢献する英雄なのである。
第27章 さらにあるタダ飯
(略)
日本には地域のボランティア組織である消防団があり、2000年には95万1069人が所属していた。同様の組織はオーストリア、カナダ、フィンランド、ドイツ、イタリア、ポルトガル、南アフリカなどの世界各国にもある。隊員は命懸けの仕事をしており、実際に命を失うことも少なくない。
経済的には、ボランティアは生産消費者であり、時間、スキル、リスクに対する報酬を受けることなく、貴重なサービスを提供している。(中略)
日本では、国内の緊急時に対応する組織が極端に不足していたが、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起こって、大きく変わった。この大災害に全国から延べ135万人のボランティアが駆けつけ、建設、医療、食料と水の供給、カウンセリングなどの活動を行った。この活動が日本経済にもたらした価値を金銭に換算すれば、いくらになるのだろうか。こうした活動の価値は日本のGDPを算出する際に考慮されているのだろうか。もっと重要な点として、こうした活動の人間的な価値はどれくらいあるのだろうか。
(中略)
これらの活動はすべて、各国の富の体制のうち、隠れた半分であり、大部分が「簿外」扱いになっている部分である。この部分の価値がすべて適切に算出されていれば、企業経営者や政治家が下す決定の多くが違ったものになるだろう。
教師と看護師と馬
(略)
国際的なボランティア活動の例はいくらでもある。1989年、サンフランシスコ地震が起こったとき、日本緊急援助隊が大学生を太平洋の対岸に派遣して、救援活動にあたった。2002年にジンバブエ政府が農民に立ち退きを命じ、多数の馬が飢え死にしそうになったとき、隣国の南アフリカや遠くはスコットランド、スイスなどからボランティアが駆けつけて、やせさらばえた馬を救っている。
はるかに大きな活動としては、赤十字社と赤新月社が世界各国で活躍している。世界178ヵ国に1億5百万人のボランティアが登録されており、医師、監護師、教師、農業技術者などの専門家を世界中に派遣し、専門サービスを提供している。(中略)
要するに、金銭の寄付以外に、目に見えない富がひとつの国から他の国に、地球のある部分から別の部分に移転されているのである。
素人は重要
現在の世界では専門化が高度になっているので、「素人」が活躍しているというと、経営者や経済専門家に無視されかねない。だが、人類の歴史を通じて、無給の素人が自分のため、家族のため、地域社会のために行ったことから、科学技術などの広範囲は分野で素晴らしい成果が多数生まれている。
(中略)
研究用の機器が小さく、安く、精密で、強力になっており、基礎的条件の深部にある知識との関係がさらに変化しうるようになっているので、素人が新たな分野に進出するようになるのは疑う余地がない。この点を考えると、生産消費者の貢献のうち、もうひとつ見逃されてきたことに注目したくなる。
経済学の問題を暴く
(略)
生産消費者は無給の仕事に時間を費やすことで金銭経済にタダ飯を提供しているだけでなく、「生産消費の資本財」といえる自動車を提供して、他人のために価値を作りだせるようにするか、価値を高めているのである。これもタダ飯である(なお、アメリカではボランティア活動に参加した人は、少し手間をかければ、経費を申告してその一部を税額控除という形で取り戻せる場合がある。だが現実の問題として、ほとんどの人はそのような手間をかけていないとみられる)。
(中略)
多忙な生産消費者が労働ではなく、機器を無料で提供する動きがあらわれているのだ。こうした動きを考慮にいれてはじめて、経済学の問題を明らかにすることができる。
実際的な動き
なかでも有名なのはSETI(地球外知的生命体探査)だ。地球外の生命を見つけ出せる可能性は低く、まして「知的」な生命体を見つけられる可能性はきわめて低いが、そうした発見があれば、科学、哲学、文化に与える影響は予想がつかないほど大きくなりうる。そこで、ボランティアが協力することになった。
この探査では、電波望遠鏡で集めた大量のデータを解析する必要がある。だが解析にはどれほどの能力をもったスーパーコンピューターでも追いつかないほどの演算が必要になる。そこでシアトルのコンピューター科学者、クレイグ・カスノフとデービッド・ゲディは、何台のスーパーコンピューターが使えないのなら、仮想スーパーコンピューターを構築すればいいと考えた。
(以下略)
炭疽菌と戦う
このSETTの方式がその後、他の分野でも使われるようになった。オックスフォード大学の科学者は天然痘、癌、エイズ、地球環境の変化の研究のために、世界各地のインターネット・ユーザーから協力を得ている。
(中略)
マイクロソフトとインテルという巨大企業の支援があっても、生産消費者のボランティアが貢献していなければ、ここまで画期的なプロジェクトは成り立たなかっただろう。炭疽菌に関する研究で利用したのは、それ以前から続けられてきた癌研究のために募ったコンピューターであり、そのネットワークを追加の研究に利用した。全体で135万人を超えるボランティアが参加している。
(中略)
この変化の背景には、社会的要因、文化的要因、人口動態要因がそれぞれ相互に補強し、あう形で変化している事実であり、その結果、新しい生産消費技術が爆発的に発展しようとしている。アメリカでは社会の高齢化とともに、これまでとは違った種類の引退者が生まれている。
(中略)
さらに、インターネットによって、いままでまったく知られていなかった各種生産消費活動のために、一時的なグループが多数作られていく。それとともに、新しい技術製品の市場など、新しい市場が一時的にできることが少なくない。こうした新技術によって、生産消費活動がさらに多角化し、力をつけていく。この好循環がまさにはじまろうとしている。この好循環の勢いが強まっていけば、新しい富の体制の隠れた半分を認識せざるを得なくなる。そして、新しい富の体制に伴う深刻なリスクと素晴らしい機会とを認識せざるを得なくなる。怪しいものだと思うのなら、つぎに音楽の世界で起こっている変化をみてみるべきだ。
第28章 音楽の嵐
アメリカでドラッグと長髪のヒッピーの全盛期だった1970年、アビー・ホフマンの『この本を盗め』が多数の書店の店頭に並んだ。なかには腹を立てて、扱わなかった書店もある。この挑発的な題名は、財産や所有はそもそも邪悪だという考え方を伝えており、19世紀の無政府主義の表現を盗んだものだ。それでも、一部の読者に熱狂的に支持された。
当時、『未来の衝撃』も書店に並んでいた。ある日の午前、ヒッピーの聖地だったグリニッチ・ビレッジの書店を訪れたとき、ひとりの若者が『未来の衝撃』を手にとって、やはり若い店員に値段を聞いた。「8ドル95セント」と。店員が答えた。
若者はうなだれて本を棚に戻し、金が足りないといった。
店員は明るい声でこう応じた。「この先にもうひとつ本屋があるから、そこに行ってこの本を盗め」。この話を聞けば、ホフマンは喜んだだろう。だがこれは、知的所有権絡みの盗みという点では、旧石器時代の話だ。アビー・ホフマンがいま生きていれば、本の題名は『この本を盗み、インターネットで8千万人に無料でばらまけ』になっていたはずだ。
現在、知的所有権の将来をめぐって、世界的な論争が起こっている。着実に給与が支払われる仕事を何とか続け、子供が社会にでて苦労しないように教育しておこうと考えている庶民にとって、何とも抽象的で小さな問題だと思えるかもしれない。だが、この問題にはすでに何十億ドルもの金がかかっているのであり、多数の職ととくに重要な産業の将来がこれに左右されるのである。こうした問題については、以下でくわしく検討していく。
だが、もっと重要な点がある。それは生産消費者と生産消費活動がこの世界的な戦いで決定的な役割を果たすことである。この点を理解すれば、富の創出について、驚くような未来像が浮かび上がってくる。
エストニアのオタク
音楽が大好きで、丸い頭に野球帽を乗せた18歳の少年が新しいコンピューター・ソフトを作りはじめたとき、本人も周囲の人も、大嵐が起こるなどとは考えていなかった。
(中略)
~オタクが開発したナップスター、カザー、スカイプというソフトというソフトを開発し、パソコンを使った無料電話が可能になった。(略)
基礎的条件の深部にある各種要因の変化が重なり、時間的要因では変化が加速し、空間要因ではグローバル化が進み、知識要因では技術知識がすぐに広まって、若者すら強い力をもつようになった。これを「市場破壊兵器」と呼ぶ人もいる。これらの動きはまだ前兆にすぎず、今後、さらに独創的な方法があらわれて、財やサービスが金銭経済の市場から引き揚げられるようになるだろう。(以下略)
生産消費電力
この点を考えていけば、他の分野にははるかに大きな可能性があることがみえてくる。パソコンの演算能力を少なくとも理屈のうえでは顧客が企業に販売できるのであれば、電力を電力会社に販売することも可能ではないだろうか。
(中略)
ここで、将来の先端技術によって、無数の家庭が生産消費にも生産にも使える機器を購入するようになると想定してみよう。どのような機器ならそうなるだろうか。安くて強力な太陽電池ならそうなりうる。だが、多数のエネルギー専門家の予想が正しければ、次の大きな飛躍をもたらすのは燃料電池であろう。燃料電池を備えた自動車や住宅から、余った電力が電力会社に販売されるようになる。大手の自動車会社はすでに20億ドルを燃料電池の研究開発に投じている。(中略)このシナリオでは、駐車中の車は建物への電力供給に使われる。車が発電する電力は電力需要のピーク時に電力会社に販売する。いずれ、ガソリンをがぶ飲みする重い車が燃料電池で動く軽量の車に置き換えられれば、アメリカ全体の発電所の「五倍から六倍」にのぼる発電能力をもつようになる可能性があるとロビンスは指摘する。(以下略)
幼児の生産消費者
以下に論じる点は馬鹿げた話だと思えるかもしれない。そしていまの段階では確かに馬鹿げている。だが、現在では生産消費活動によって、各人の好みにしたがって、多様な素材を組み合わせて音楽や映画、年賀状やカード、デジタル写真など、大量のものを制作できるのだし、自分で電力を生産消費し生産することすら考えられるのだから、それ以上のことができるようになると考えていけない理由があるだろうか。
(中略)
~3Dシステムズのマービン・ラジェリーは語る。「孫の代になれば、自分のおもちゃを自分で作るようになる」デスクトップ製造はそれに止まらない意味をもっているという。
(中略)
デスクトップ製造機が家庭に普及するようになる前に、写真の現像と焼き付けと同様の動きが起こると予想できる。コダックや富士写真フィルムの工場で集中的に行われていた処理が、街の写真屋で一時間以内に行われるようになり、最後にはデジタル・カメラの普及で、生産消費者が行うようになった。自宅で自作できるようになる前に、街にワークショップができ、街角の店でコピーをとるように、DIYを楽しむ人たちが製造機を使うようになるだろう。
手術不要の脂肪吸引
いまはこの技術が一歩ずつ開発されているが、今後、ナノテクノロジーの進歩と組み合わせるようになって、大きく飛躍する可能性がある。
(中略)
ナノテクが発達してもしなくても、将来の経済が劇的に変化し、はるかに分散型になって、無数の人たちがファイルを交換し、自分のための生産消費活動と、他人のための生産を行うようになる可能性がある。先進的な機器を使って特注品の生産と生産消費を行う小企業が無数にできるだろう。(略)
将来の歴史は驚くようなものになる。世界の貧困層のうち金銭経済に引き寄せられていく人がますます増えているので、第一の波の貧困に基づく生産消費は重要性が低下していくだろう。だが、第三の波のハイテク型生産消費は増加していくだろう。強力で用途の広い新たな機器が、先進国の庶民に普及していくからだ。経済専門家の多くはこの歴史的な変化をまだ認識できていないために、富の将来とそれがいまの世代に、そして子供たちの世代に与える影響を理解しようと最善をつくしても、失敗を重ねる結果になっている。
第29章 「生産消費性」ホルモン
生産能力性は、生産消費者による生産性への寄与と定義する。
生産消費者の力を示す例には、現代の歴史でもとりわけ驚くべき動きであり、この動きは世界全体の人たちの仕事と遊び、生活、思考のあり方を文字通り変えている。そして、そのことに、ほとんど誰も気づいていない。
前章まででは、生産消費者が非金銭経済で富を生み出し、金銭経済に「タダ飯」を提供してきたことを示してきた。だが生産消費者はときに、それ以上のことをしている。金銭経済に成長ホルモンを注入して、速く成長できるようにしている。もっと正式な表現を使うなら、生産を増やしているだけでなく、生産性を高めているのである。
主流派の経済学者のなかで、生産性の向上が経済のほとんどの問題を解決する良薬になることを否定する人はまずいない。しかし、生産消費が生産性に与える影響を検討した経済専門家はほとんどいない。
実のところ、この点にはほとんど誰も関心をもっていないので、どの分野とくらべても専門用語が多い経済学に、この現象を表現する適切な用語がない。このため新しい用語を作り、これを「生産能力性」と呼ぶことにする。生産消費者が支払いの対象にならない価値を生み出し、それを金銭経済に振り向けるに止まらず、金銭経済の成長率を高めているとき、この刺激を「生産能力性」と呼ぶ。
教育を超えて
現在、企業経営者と経済専門家のほとんどは、労働者の教育を改善すれば生産性が向上するとの見方に賛成する。だがほとんどの先進国では、「近代的」制度のうち公教育と呼ばれているものほど時代後れで、機能不全に陥っている部分はない。
(中略)
このパソコン学習の過程は、誰も管理していない。誰も指導していない。誰も組織していない。ほとんど誰も報酬を得ないまま、巨大な学習運動が起こり、教育者も経済専門家もほとんど気づかない間にアメリカ金銭経済を変え、企業組織を根本から変え、言葉から生活スタイルまで、ありとあらゆることに影響を与えていった。企業が多数のユーザーを教育するようになったのは、かなり後のことだ。グルという生産消費者は、パソコン革命の隠れた英雄であった。
ラジェンダーのゲーム
この学習運動はいまでも続いており、インターネットの利用者とそのグルの間で行われている学習によって加速し、はるかに大規模になっている。(中略)
これはインドのニューデリーで、ソフトウェアを開発しコンピューター学校を経営するNIIT社の科学者、スガタ・ミトラが実際に行ったことである。使い方は書かれておらず、教える大人もいない。
(中略)
ミトラによれば、子供たちの好奇心と学習能力をうまく利用すれば、いわゆる情報格差を解消するためのコストを劇的に引き下げられる。そうできれば、数千万人、数億人が悲惨な貧困から抜け出す一助となり、生産能力性の原則によって、インド経済の成長率と可能性が劇的に高まる。
(中略)
この大学習運動によって、富の基礎的条件の深部にある多数の要因との関係が変化した。時間を使う方法と時が変わった。仕事をする場所が変わり、空間との関係が変わった。社会のなかの共通知識の性格が変わった。
生産消費者は生産を行うだけではない。生産能力を高めてもいる。そして、明日の革命的な富の体制を成長させる一助になっているのである。
第30章 結論 - みえない経路
ここでふたたび、これまでに解きほぐしてきた多数の要素を総合して、一貫した全体像を確認しておくべきだろう。以上では三つの主要な考えを示してきた。
第一に、世界ではいま、富を生み出す方法の歴史的な変化が起こっている。
これは新しい生活様式、新しい文明の誕生という大きな動きの一部であり、いまのところ、アメリカがこの動きの最先端に位置している。
第二に、企業や投資家、経済専門家が詳細にわたって検討している「基礎的条件」は表面に近い部分にあるものであり、そのはるかに下に「基礎的条件の深部」がある。
そして、時間、空間、知識を中心に、基礎的条件の深部にある要因との関係をわれわれは革命的に変化させている。
今日では変化が加速していることから、経済のなかで「同時性のズレ」が起こる部分が増え続けている。経済ではグローバル化の時代が終わる可能性がある一方で、他の分野で再グローバル化が進む状況になっている。そして何よりも、富の創出の基礎にある知識基盤が急速に変化し、知識の多くが「死知識」になって重要性を失う一方、科学に挑戦し、さらには真実の定義と基準に挑戦する動きすら起こっている。
第三に、金銭経済はもっと大きな富の体制の一部でしかなく、ほとんど注目されていないが、「生産消費活動」と呼ぶものに基づく世界的で巨大な非金銭経済から提供される価値に依存している。
(中略)
このため本書では、いくつかの間違った想定を捨てるよう主張してきた。経済統計の対象になっているものだけから富が生み出されているという想定、「価値」が生み出されるのは金銭のやりとりがあったときだとする想定などである。これらの想定を捨てて、もっと大きな「富の体制」に注意を向けるべきである。金銭経済が生産消費者の提供する「タダ飯」に支えられて存続しており、生産消費者には金銭経済に挑戦する力すらあることに注目すべきだ。
生産消費の影響
これまでにみてきたように、実際には少なくとも12の重要な経路があって、生産消費者と生産消費活動が金銭経済と影響を与えあい、価値を移行しあっている。これらの経路は今後、ますます重要になるだろう。このため、とくに単純なものから順に、これらの経路をまとめておく意味があるだろう。
第一に、生産消費者は「第三の仕事」とセルフ・サービスの活動によって、無報酬の仕事を行っている。ATMを使い、スーパーでセルフ・レジを使って、金銭経済の労働コストを削減し、単純労働の職を減らしている。(以下略)
第二に、生産消費者は金銭経済から「資本財」を購入している。(以下略)
第三に、生産消費者は自分の機器や資本財を金銭経済のユーザーに貸している。(以下略)
第四に、生産消費者は住宅を改良している。(以下略)
第五に、生産消費者は製品やサービス、スキルを「市場化」している。(以下略)
第六に、生産消費者はさらに、製品やサービスを「非市場化」している。(以下略)
第七に、生産消費者はボランティアとして価値を生み出している。(以下略)
第八に、生産消費者は貴重な情報を無料で営利企業に提供している。(以下略)
第九に、生産消費者は金銭経済で消費者の力を強めている。(以下略)
第十に、生産消費者はイノベーションを加速している。(以下略)
第十一に、生産消費者はインターネットで急速に知識を生み出し、広め、蓄積して、知識経済が利用できるようにしている。(以下略)
第十二に、生産消費者は子供を育て、労働力を再生産している。(以下略)
気づかれていない治療
以上に指摘してのは、富の体制を構成する二つの部分の相互作用のうちごく一部にすぎない。以上にあげた十二の経路だけでも、それぞれが相互に影響を与えあうことを考えれば、今後の革命的な富について、新たな疑問が生まれてくる。(中略)
職のない人は非生産的なのだろうか。福祉に頼っている人は非生産的なのだろうか。四肢が麻痺した人が電話で友人に貴重な助言を与えたとき、報酬を受け取らなくても、精神科医が一時間百ドルで行う治療と変わらない価値をもつのではないだろうか。その友人が自殺を思い止まったとしれば、電話での助言で救った命の価値をどう考えるべきなのか。助言には一時間二百ドルの価値があったのだろうか。
革命的な富は金銭だけではないのだ。
(上巻終了 下巻につづく)
第6部 生産消費者P.320~376
第26章 来るべき爆発的成長
今後予想される生産消費の爆発的成長は、経営・金融関係のマスコミで過小評価されているし、学者や研究者、政府にも過小評価されている。生産消費者が世界を支配するようになるわけではない。だが、新しい経済がどのようなものになるかに、大きな影響を与えるだろう。そして、世界の巨大企業や巨大産業に挑戦することになろう。実際のところ、その動きはすでにはじまっている。
これまでの章では、生産消費者の「第三の仕事」が銀行や航空会社など、無数の企業にとって「タダ飯」になっていることをみてきた。また、医療と保健の面で生産消費者が生み出す経済的価値が高まっていることをみてきた。だが、以上はほんの出発点にすぎない。
ギターとゴルフ・クラブ
生産消費者はいま、さまざまな道具や機器を買って健康と医療の「産出」を増やしているといえるするなら、他の分野でも同じような動きをとっている。
(中略)
男女を問わず、もっとむずかしいDIYに挑戦したい生産消費者のために、電気ギターやパソコン、ゴルフ・クラブ、ヨット、四寝室のログ・ハウスなどを自作できるキットが売られており、航空ショーに参加できるほどの飛行機すら自作できる。
際限のない消費癖なのか
経済学では通常、これらの購入を消費だとみている。しかし、まったく違った見方をとることができる。実際には生産消費者が資本財に大規模に投資しており、その結果、いまのところほとんど統計がないが、生産消費で産出される価値が増加しているのである。
(中略)
これらの機器が売れている現状を「際限のない消費癖」だと批判する人は、自分でも多数の機器をもっているはずだが、その点はさておいても、機器を買うことの意味を理解できていない。貪欲さを示すこれ見よがしの消費ではない。生産消費の能力を高めるための投資である。自分自身と家族のために生産消費を行う能力を高め、少なくとも部分的に市場から撤退している。そのような意味で、消費癖とは反対の動きなのだ。普通なら人を雇って金銭を支払わなければならないか、金では買えないことを、市場の外で行えるようにしているのだから。
(中略)
有給の仕事と無給の仕事の境界線、生産者が産出する統計対象の価値と生産者が産出して大部分が統計対象にならない価値の境界線は、定義が生み出した虚構にすぎず、誤解を招くものである。一方に金銭経済があり、他方に非金銭経済がある。この二つがあってこそ、現在の富の体制は機能しているのである。将来を計画しようとするものは誰でも、この富の体制の全体像を理解しなければならない。
クッキーとシュミレーション
生産消費者はこの虚構の境界線など端から無視して、自由に移動している。世界各地で無数の小企業が、それまで趣味の生産消費活動として、自分のため、友人や隣人のために作ってものを売るようになって生まれている。
(中略)
生産消費者が技術と関心を磨き、試した後、小さな企業を作って販売するようになり、金銭経済の生産に寄与するようになっている。
生産消費者がはじめた事業は、小規模で専門的なものだとはかぎらない。ハリウッドのエージェント、ウォリー・エイモスの例をみてみよう。高校を中退し、後に俳優のエージェントになり、1960年代にはサイモン&ガーファンクルを売り出し、ダイアナ・ロスやマービン・ゲイらの有名な歌手のエージェントとして活躍するようになった。
叔母のデラに教えられて、趣味としてクッキーを焼き、友人や家族に配るようになった。
「そのうち、知人にあうと、こんにちはでもこんばんはでもなく、『クッキーをもらえるかい』と挨拶されるようになった」とエイモスは語る。
「クッキーを事業にすればいいのにとみなにいわれたが、そのころは真剣に考えることはなかった」
ついに事業化を真剣に考えるようになったとき、ウォリー・エイモスはフェイマス・エイモス・チョコレート・チップ・クッキーを発売した。いまではこれがアメリカでもとくに有名なクッキーのブランドになり、グルメ・クッキーという新しい分野を切り開くまでになった。だがこれすら、小さな事業にすぎない。
ハリウッドを超える
生産消費者は趣味を活かして企業を作るだけではない。大きな産業を生み出すか、その一助になることもある。(中略)
要するに、市販のゲームは生産消費者にソフトを自在に変更し、複雑にし、豊かにするよう促しているのである。その結果、「技術革新という点で、民間のゲーム産業は軍よりはるかに進んでいる。・・・・何百万人ものゲームの愛好者がきわめて熱心で、世界的なネットワークで結ばれ、自由に組織を作って、みな、自分が一番になろうと必死になっているからだ」。
このように、非金銭経済での生産消費者の技術革新が一因になって、コンピューター・ゲーム産業はいまでは200億ドルの規模にまで成長している。はじめて聞いたときの驚いた人が多いはずだが、いまではハリウッドの映画産業よりも規模が大きくなっているのだ。
集団的な生産消費
だが、現代の生産消費活動のなかで、21歳の大学生が楽しみではじめたプロジェクトほど、産業界と国際関係に爆発的な影響を与えたものはない。ソフトウェアの世界に衝撃を与えており、資本主義そのものを揺るがしていると考える人すらいる。
ヘルシンキ大学の学生だった21歳のとき、リーナス・トーバルズは大型コンピュータ用のUNIXをパソコン用にしたミニックスを使っていた。だが満足できず、パソコン用の新しいOS(基本ソフト)を開発しようと考えた。これを長期の目標にして無給で取り組んだ結果、三年後の1994年、今のリナックスの主要部分が発表されるまでになった。
(中略)
したがって、トーバルズらのプログラマーによる生産消費活動は、金銭経済に大きな影響を与えたのである。リナックスは資本主義の終わりを意味するわけではない。(熱心な支持者はそう主張しているが)。それでも生産消費活動が金銭経済にいかに大きな影響を与えるかを示す好例になっている。
そして、リナックスもはるかに大きな動きの一部でしかない。
階層組織をぶち壊す
知識が確かに、富の体制を支える基礎的条件の深部の要因として一層重要になってきているのであれば、知識をどのように入手し、どのように整理するかは、目に見える経済の成長に直接に関係する要因だといえる。いまでは、インターネットのない世界は考えられないし、ワールド・ワイド・ウェイブ(WWW)のないインターネットは考えられない。
インターネットとWWWは、人類が発明した思考のツールのなかでも最強のものである。
(中略)
インターネットは、基礎的条件の深部にある空間と知識との関係に革命を起こしており、(以下略)拡大を続けるインターネットの情報内容のうち一部は、人類の歴史でも最大級のボランティア活動によって作られている。(中略)
目に見える経済と、目に見えない経済という二つの経済の全体をあわせたときにはじめて、本書でいう「富を生み出す体制」になる。このような視点をもつと、新しい事実が明らかになる。金銭経済は劇的に拡大する勢いにある。そして、非金銭経済での活動が金銭経済に与える影響は、ますます大きくなっていく。生産消費者は功績を認められていないが、今後の経済に貢献する英雄なのである。
第27章 さらにあるタダ飯
(略)
日本には地域のボランティア組織である消防団があり、2000年には95万1069人が所属していた。同様の組織はオーストリア、カナダ、フィンランド、ドイツ、イタリア、ポルトガル、南アフリカなどの世界各国にもある。隊員は命懸けの仕事をしており、実際に命を失うことも少なくない。
経済的には、ボランティアは生産消費者であり、時間、スキル、リスクに対する報酬を受けることなく、貴重なサービスを提供している。(中略)
日本では、国内の緊急時に対応する組織が極端に不足していたが、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起こって、大きく変わった。この大災害に全国から延べ135万人のボランティアが駆けつけ、建設、医療、食料と水の供給、カウンセリングなどの活動を行った。この活動が日本経済にもたらした価値を金銭に換算すれば、いくらになるのだろうか。こうした活動の価値は日本のGDPを算出する際に考慮されているのだろうか。もっと重要な点として、こうした活動の人間的な価値はどれくらいあるのだろうか。
(中略)
これらの活動はすべて、各国の富の体制のうち、隠れた半分であり、大部分が「簿外」扱いになっている部分である。この部分の価値がすべて適切に算出されていれば、企業経営者や政治家が下す決定の多くが違ったものになるだろう。
教師と看護師と馬
(略)
国際的なボランティア活動の例はいくらでもある。1989年、サンフランシスコ地震が起こったとき、日本緊急援助隊が大学生を太平洋の対岸に派遣して、救援活動にあたった。2002年にジンバブエ政府が農民に立ち退きを命じ、多数の馬が飢え死にしそうになったとき、隣国の南アフリカや遠くはスコットランド、スイスなどからボランティアが駆けつけて、やせさらばえた馬を救っている。
はるかに大きな活動としては、赤十字社と赤新月社が世界各国で活躍している。世界178ヵ国に1億5百万人のボランティアが登録されており、医師、監護師、教師、農業技術者などの専門家を世界中に派遣し、専門サービスを提供している。(中略)
要するに、金銭の寄付以外に、目に見えない富がひとつの国から他の国に、地球のある部分から別の部分に移転されているのである。
素人は重要
現在の世界では専門化が高度になっているので、「素人」が活躍しているというと、経営者や経済専門家に無視されかねない。だが、人類の歴史を通じて、無給の素人が自分のため、家族のため、地域社会のために行ったことから、科学技術などの広範囲は分野で素晴らしい成果が多数生まれている。
(中略)
研究用の機器が小さく、安く、精密で、強力になっており、基礎的条件の深部にある知識との関係がさらに変化しうるようになっているので、素人が新たな分野に進出するようになるのは疑う余地がない。この点を考えると、生産消費者の貢献のうち、もうひとつ見逃されてきたことに注目したくなる。
経済学の問題を暴く
(略)
生産消費者は無給の仕事に時間を費やすことで金銭経済にタダ飯を提供しているだけでなく、「生産消費の資本財」といえる自動車を提供して、他人のために価値を作りだせるようにするか、価値を高めているのである。これもタダ飯である(なお、アメリカではボランティア活動に参加した人は、少し手間をかければ、経費を申告してその一部を税額控除という形で取り戻せる場合がある。だが現実の問題として、ほとんどの人はそのような手間をかけていないとみられる)。
(中略)
多忙な生産消費者が労働ではなく、機器を無料で提供する動きがあらわれているのだ。こうした動きを考慮にいれてはじめて、経済学の問題を明らかにすることができる。
実際的な動き
なかでも有名なのはSETI(地球外知的生命体探査)だ。地球外の生命を見つけ出せる可能性は低く、まして「知的」な生命体を見つけられる可能性はきわめて低いが、そうした発見があれば、科学、哲学、文化に与える影響は予想がつかないほど大きくなりうる。そこで、ボランティアが協力することになった。
この探査では、電波望遠鏡で集めた大量のデータを解析する必要がある。だが解析にはどれほどの能力をもったスーパーコンピューターでも追いつかないほどの演算が必要になる。そこでシアトルのコンピューター科学者、クレイグ・カスノフとデービッド・ゲディは、何台のスーパーコンピューターが使えないのなら、仮想スーパーコンピューターを構築すればいいと考えた。
(以下略)
炭疽菌と戦う
このSETTの方式がその後、他の分野でも使われるようになった。オックスフォード大学の科学者は天然痘、癌、エイズ、地球環境の変化の研究のために、世界各地のインターネット・ユーザーから協力を得ている。
(中略)
マイクロソフトとインテルという巨大企業の支援があっても、生産消費者のボランティアが貢献していなければ、ここまで画期的なプロジェクトは成り立たなかっただろう。炭疽菌に関する研究で利用したのは、それ以前から続けられてきた癌研究のために募ったコンピューターであり、そのネットワークを追加の研究に利用した。全体で135万人を超えるボランティアが参加している。
(中略)
この変化の背景には、社会的要因、文化的要因、人口動態要因がそれぞれ相互に補強し、あう形で変化している事実であり、その結果、新しい生産消費技術が爆発的に発展しようとしている。アメリカでは社会の高齢化とともに、これまでとは違った種類の引退者が生まれている。
(中略)
さらに、インターネットによって、いままでまったく知られていなかった各種生産消費活動のために、一時的なグループが多数作られていく。それとともに、新しい技術製品の市場など、新しい市場が一時的にできることが少なくない。こうした新技術によって、生産消費活動がさらに多角化し、力をつけていく。この好循環がまさにはじまろうとしている。この好循環の勢いが強まっていけば、新しい富の体制の隠れた半分を認識せざるを得なくなる。そして、新しい富の体制に伴う深刻なリスクと素晴らしい機会とを認識せざるを得なくなる。怪しいものだと思うのなら、つぎに音楽の世界で起こっている変化をみてみるべきだ。
第28章 音楽の嵐
アメリカでドラッグと長髪のヒッピーの全盛期だった1970年、アビー・ホフマンの『この本を盗め』が多数の書店の店頭に並んだ。なかには腹を立てて、扱わなかった書店もある。この挑発的な題名は、財産や所有はそもそも邪悪だという考え方を伝えており、19世紀の無政府主義の表現を盗んだものだ。それでも、一部の読者に熱狂的に支持された。
当時、『未来の衝撃』も書店に並んでいた。ある日の午前、ヒッピーの聖地だったグリニッチ・ビレッジの書店を訪れたとき、ひとりの若者が『未来の衝撃』を手にとって、やはり若い店員に値段を聞いた。「8ドル95セント」と。店員が答えた。
若者はうなだれて本を棚に戻し、金が足りないといった。
店員は明るい声でこう応じた。「この先にもうひとつ本屋があるから、そこに行ってこの本を盗め」。この話を聞けば、ホフマンは喜んだだろう。だがこれは、知的所有権絡みの盗みという点では、旧石器時代の話だ。アビー・ホフマンがいま生きていれば、本の題名は『この本を盗み、インターネットで8千万人に無料でばらまけ』になっていたはずだ。
現在、知的所有権の将来をめぐって、世界的な論争が起こっている。着実に給与が支払われる仕事を何とか続け、子供が社会にでて苦労しないように教育しておこうと考えている庶民にとって、何とも抽象的で小さな問題だと思えるかもしれない。だが、この問題にはすでに何十億ドルもの金がかかっているのであり、多数の職ととくに重要な産業の将来がこれに左右されるのである。こうした問題については、以下でくわしく検討していく。
だが、もっと重要な点がある。それは生産消費者と生産消費活動がこの世界的な戦いで決定的な役割を果たすことである。この点を理解すれば、富の創出について、驚くような未来像が浮かび上がってくる。
エストニアのオタク
音楽が大好きで、丸い頭に野球帽を乗せた18歳の少年が新しいコンピューター・ソフトを作りはじめたとき、本人も周囲の人も、大嵐が起こるなどとは考えていなかった。
(中略)
~オタクが開発したナップスター、カザー、スカイプというソフトというソフトを開発し、パソコンを使った無料電話が可能になった。(略)
基礎的条件の深部にある各種要因の変化が重なり、時間的要因では変化が加速し、空間要因ではグローバル化が進み、知識要因では技術知識がすぐに広まって、若者すら強い力をもつようになった。これを「市場破壊兵器」と呼ぶ人もいる。これらの動きはまだ前兆にすぎず、今後、さらに独創的な方法があらわれて、財やサービスが金銭経済の市場から引き揚げられるようになるだろう。(以下略)
生産消費電力
この点を考えていけば、他の分野にははるかに大きな可能性があることがみえてくる。パソコンの演算能力を少なくとも理屈のうえでは顧客が企業に販売できるのであれば、電力を電力会社に販売することも可能ではないだろうか。
(中略)
ここで、将来の先端技術によって、無数の家庭が生産消費にも生産にも使える機器を購入するようになると想定してみよう。どのような機器ならそうなるだろうか。安くて強力な太陽電池ならそうなりうる。だが、多数のエネルギー専門家の予想が正しければ、次の大きな飛躍をもたらすのは燃料電池であろう。燃料電池を備えた自動車や住宅から、余った電力が電力会社に販売されるようになる。大手の自動車会社はすでに20億ドルを燃料電池の研究開発に投じている。(中略)このシナリオでは、駐車中の車は建物への電力供給に使われる。車が発電する電力は電力需要のピーク時に電力会社に販売する。いずれ、ガソリンをがぶ飲みする重い車が燃料電池で動く軽量の車に置き換えられれば、アメリカ全体の発電所の「五倍から六倍」にのぼる発電能力をもつようになる可能性があるとロビンスは指摘する。(以下略)
幼児の生産消費者
以下に論じる点は馬鹿げた話だと思えるかもしれない。そしていまの段階では確かに馬鹿げている。だが、現在では生産消費活動によって、各人の好みにしたがって、多様な素材を組み合わせて音楽や映画、年賀状やカード、デジタル写真など、大量のものを制作できるのだし、自分で電力を生産消費し生産することすら考えられるのだから、それ以上のことができるようになると考えていけない理由があるだろうか。
(中略)
~3Dシステムズのマービン・ラジェリーは語る。「孫の代になれば、自分のおもちゃを自分で作るようになる」デスクトップ製造はそれに止まらない意味をもっているという。
(中略)
デスクトップ製造機が家庭に普及するようになる前に、写真の現像と焼き付けと同様の動きが起こると予想できる。コダックや富士写真フィルムの工場で集中的に行われていた処理が、街の写真屋で一時間以内に行われるようになり、最後にはデジタル・カメラの普及で、生産消費者が行うようになった。自宅で自作できるようになる前に、街にワークショップができ、街角の店でコピーをとるように、DIYを楽しむ人たちが製造機を使うようになるだろう。
手術不要の脂肪吸引
いまはこの技術が一歩ずつ開発されているが、今後、ナノテクノロジーの進歩と組み合わせるようになって、大きく飛躍する可能性がある。
(中略)
ナノテクが発達してもしなくても、将来の経済が劇的に変化し、はるかに分散型になって、無数の人たちがファイルを交換し、自分のための生産消費活動と、他人のための生産を行うようになる可能性がある。先進的な機器を使って特注品の生産と生産消費を行う小企業が無数にできるだろう。(略)
将来の歴史は驚くようなものになる。世界の貧困層のうち金銭経済に引き寄せられていく人がますます増えているので、第一の波の貧困に基づく生産消費は重要性が低下していくだろう。だが、第三の波のハイテク型生産消費は増加していくだろう。強力で用途の広い新たな機器が、先進国の庶民に普及していくからだ。経済専門家の多くはこの歴史的な変化をまだ認識できていないために、富の将来とそれがいまの世代に、そして子供たちの世代に与える影響を理解しようと最善をつくしても、失敗を重ねる結果になっている。
第29章 「生産消費性」ホルモン
生産能力性は、生産消費者による生産性への寄与と定義する。
生産消費者の力を示す例には、現代の歴史でもとりわけ驚くべき動きであり、この動きは世界全体の人たちの仕事と遊び、生活、思考のあり方を文字通り変えている。そして、そのことに、ほとんど誰も気づいていない。
前章まででは、生産消費者が非金銭経済で富を生み出し、金銭経済に「タダ飯」を提供してきたことを示してきた。だが生産消費者はときに、それ以上のことをしている。金銭経済に成長ホルモンを注入して、速く成長できるようにしている。もっと正式な表現を使うなら、生産を増やしているだけでなく、生産性を高めているのである。
主流派の経済学者のなかで、生産性の向上が経済のほとんどの問題を解決する良薬になることを否定する人はまずいない。しかし、生産消費が生産性に与える影響を検討した経済専門家はほとんどいない。
実のところ、この点にはほとんど誰も関心をもっていないので、どの分野とくらべても専門用語が多い経済学に、この現象を表現する適切な用語がない。このため新しい用語を作り、これを「生産能力性」と呼ぶことにする。生産消費者が支払いの対象にならない価値を生み出し、それを金銭経済に振り向けるに止まらず、金銭経済の成長率を高めているとき、この刺激を「生産能力性」と呼ぶ。
教育を超えて
現在、企業経営者と経済専門家のほとんどは、労働者の教育を改善すれば生産性が向上するとの見方に賛成する。だがほとんどの先進国では、「近代的」制度のうち公教育と呼ばれているものほど時代後れで、機能不全に陥っている部分はない。
(中略)
このパソコン学習の過程は、誰も管理していない。誰も指導していない。誰も組織していない。ほとんど誰も報酬を得ないまま、巨大な学習運動が起こり、教育者も経済専門家もほとんど気づかない間にアメリカ金銭経済を変え、企業組織を根本から変え、言葉から生活スタイルまで、ありとあらゆることに影響を与えていった。企業が多数のユーザーを教育するようになったのは、かなり後のことだ。グルという生産消費者は、パソコン革命の隠れた英雄であった。
ラジェンダーのゲーム
この学習運動はいまでも続いており、インターネットの利用者とそのグルの間で行われている学習によって加速し、はるかに大規模になっている。(中略)
これはインドのニューデリーで、ソフトウェアを開発しコンピューター学校を経営するNIIT社の科学者、スガタ・ミトラが実際に行ったことである。使い方は書かれておらず、教える大人もいない。
(中略)
ミトラによれば、子供たちの好奇心と学習能力をうまく利用すれば、いわゆる情報格差を解消するためのコストを劇的に引き下げられる。そうできれば、数千万人、数億人が悲惨な貧困から抜け出す一助となり、生産能力性の原則によって、インド経済の成長率と可能性が劇的に高まる。
(中略)
この大学習運動によって、富の基礎的条件の深部にある多数の要因との関係が変化した。時間を使う方法と時が変わった。仕事をする場所が変わり、空間との関係が変わった。社会のなかの共通知識の性格が変わった。
生産消費者は生産を行うだけではない。生産能力を高めてもいる。そして、明日の革命的な富の体制を成長させる一助になっているのである。
第30章 結論 - みえない経路
ここでふたたび、これまでに解きほぐしてきた多数の要素を総合して、一貫した全体像を確認しておくべきだろう。以上では三つの主要な考えを示してきた。
第一に、世界ではいま、富を生み出す方法の歴史的な変化が起こっている。
これは新しい生活様式、新しい文明の誕生という大きな動きの一部であり、いまのところ、アメリカがこの動きの最先端に位置している。
第二に、企業や投資家、経済専門家が詳細にわたって検討している「基礎的条件」は表面に近い部分にあるものであり、そのはるかに下に「基礎的条件の深部」がある。
そして、時間、空間、知識を中心に、基礎的条件の深部にある要因との関係をわれわれは革命的に変化させている。
今日では変化が加速していることから、経済のなかで「同時性のズレ」が起こる部分が増え続けている。経済ではグローバル化の時代が終わる可能性がある一方で、他の分野で再グローバル化が進む状況になっている。そして何よりも、富の創出の基礎にある知識基盤が急速に変化し、知識の多くが「死知識」になって重要性を失う一方、科学に挑戦し、さらには真実の定義と基準に挑戦する動きすら起こっている。
第三に、金銭経済はもっと大きな富の体制の一部でしかなく、ほとんど注目されていないが、「生産消費活動」と呼ぶものに基づく世界的で巨大な非金銭経済から提供される価値に依存している。
(中略)
このため本書では、いくつかの間違った想定を捨てるよう主張してきた。経済統計の対象になっているものだけから富が生み出されているという想定、「価値」が生み出されるのは金銭のやりとりがあったときだとする想定などである。これらの想定を捨てて、もっと大きな「富の体制」に注意を向けるべきである。金銭経済が生産消費者の提供する「タダ飯」に支えられて存続しており、生産消費者には金銭経済に挑戦する力すらあることに注目すべきだ。
生産消費の影響
これまでにみてきたように、実際には少なくとも12の重要な経路があって、生産消費者と生産消費活動が金銭経済と影響を与えあい、価値を移行しあっている。これらの経路は今後、ますます重要になるだろう。このため、とくに単純なものから順に、これらの経路をまとめておく意味があるだろう。
第一に、生産消費者は「第三の仕事」とセルフ・サービスの活動によって、無報酬の仕事を行っている。ATMを使い、スーパーでセルフ・レジを使って、金銭経済の労働コストを削減し、単純労働の職を減らしている。(以下略)
第二に、生産消費者は金銭経済から「資本財」を購入している。(以下略)
第三に、生産消費者は自分の機器や資本財を金銭経済のユーザーに貸している。(以下略)
第四に、生産消費者は住宅を改良している。(以下略)
第五に、生産消費者は製品やサービス、スキルを「市場化」している。(以下略)
第六に、生産消費者はさらに、製品やサービスを「非市場化」している。(以下略)
第七に、生産消費者はボランティアとして価値を生み出している。(以下略)
第八に、生産消費者は貴重な情報を無料で営利企業に提供している。(以下略)
第九に、生産消費者は金銭経済で消費者の力を強めている。(以下略)
第十に、生産消費者はイノベーションを加速している。(以下略)
第十一に、生産消費者はインターネットで急速に知識を生み出し、広め、蓄積して、知識経済が利用できるようにしている。(以下略)
第十二に、生産消費者は子供を育て、労働力を再生産している。(以下略)
気づかれていない治療
以上に指摘してのは、富の体制を構成する二つの部分の相互作用のうちごく一部にすぎない。以上にあげた十二の経路だけでも、それぞれが相互に影響を与えあうことを考えれば、今後の革命的な富について、新たな疑問が生まれてくる。(中略)
職のない人は非生産的なのだろうか。福祉に頼っている人は非生産的なのだろうか。四肢が麻痺した人が電話で友人に貴重な助言を与えたとき、報酬を受け取らなくても、精神科医が一時間百ドルで行う治療と変わらない価値をもつのではないだろうか。その友人が自殺を思い止まったとしれば、電話での助言で救った命の価値をどう考えるべきなのか。助言には一時間二百ドルの価値があったのだろうか。
革命的な富は金銭だけではないのだ。
(上巻終了 下巻につづく)