アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

第一部 第三章 諸文明の衝突

2012年10月09日 00時38分06秒 | 戦争と平和
さて、数ヶ月ぶりになりますが、トフラーの「戦争と平和」を再開します。
このブログでは、極力本文を抜粋しないように心掛けますが、著作権もありますので
丸写しではアップしません。ポイントも外し、深く読みたい方は、公共図書館または
本を購入して読了してください。では、続きを。





WAR AND PEACE IN THE POST-MODERN AGE 1992
アルビン・トフラーの戦争と平和  21世紀、日本への警鐘

第一部
第三章 諸文明の衝突
明日の時代の戦争の形態は、3つの生活様式がぶつかり合う中で決定されるだろう。
現代のメディアが、民主主義や、市場主義や、民族独立の世界的広まりについて云々している間にも、はるかに深いところで何かが起こりつつある。
最新の新聞見出しの裏にあるものを見抜いたり、テレビの報道を単なる騒々しさ以上のものとして聞き取れるためには、メディアが使っているカテゴリーを超えた発想が必要である。国家、宗教、民族集団、政治的イデオロギーなどを超えて滔々と流れる歴史に目を向ければ、無視されていた事柄や、以前は見えなかった物事が見えてくる。その時、今日の世界は基本的には三つの文明、すなわち前近代、近代、脱近代文明に分かれている、ということがわかってくるだろう。
 前近代文明は、それが中国やメキシコのものであろうが、はたまたヨーロッパに見られるものであろうが、必ず大地と結びついている。場所により形態に違いがあっても、また言語や宗教・信仰がまちまちであっても、前近代文明が、あくまで歴史的変革の第一の波、つまり農業革命の産物であることに変わりはない。今日でも、前近代的農業社会の中で、何世紀も前に祖先がやっていたのと同じように、痩せた土地を掘り返しながら、生活し、そして死んでいく大勢の人びとがいるのである。
 近代文明の起源については、いろいろな説がある。中には、その源を、ルネサンスあるいはそれ以前の時代にまでたどる歴史家たちもいるほどだ。しかし、多くの人びとの生活に根本的な変化が生じたのは、大雑把に言って、330年ほど前のことと考えるのが理に適っているように思われる。ニュートン学説が生まれたのがその時代だった。また、蒸気機関が初めて生産に利用され、イギリス、フランス、イタリアで初期の工場が急増しだしたのもその頃である。農民は都市への移動を開始した。大胆な、新しい思想も広まりはじめた。進歩的思想、個人の権利に関する耳新しい理論、ルソー的な社会契約思想、世俗主義、政教分離論、そして、指導者は神権によってではなく人民の意思によって選ばれるべきだとする新思潮などが登場したのだった。
 こうした変化の多くを促進する力になったのは、富を創出する新たな方法、すなわち工場生産であった。そして、まもなく、さまざまな要素が結合し、一つのシステムを作り上げた。それは、大量生産、大量消費、大衆教育、マスメディアなどが、相互に関連する形で繋ぎ合わされたもので、学校、企業、郵便局、政党などの専門機関がそれを支えたのである。家族構成までもが変化し、数世代が共棲する農村風の世帯から、産業社会特有の小規模に分解した核家族へと移行した。
 これら多くの変化を体験した人びとには、生活はさだめし混沌としたものに思われたことだろう。しかし、じつのところ、そうした変化は、すべて相互に深い関連を持っていたのである。それらは、単に、第二の波の文明である大量産業社会、すなわち私たちの言う近代社会が成熟期へと向かうステップに過ぎなかったのだ。
 この新しい文明は、あらゆる段階で猛烈な抵抗を受けながらも、歴史に楔を打ち込んでいった。産業化しつつある国では、例外なしに、近代化を目指す人びとと前近代的な勢力との間で熾烈な闘争が起こり、幾度となく血が流された。前近代勢力の先頭に立ったのは地主たちだったが、大方、教会(自身も大地主であった)が彼らの後ろ盾となっていた。
 いつ果てるとも知れぬストライキや抵抗運動、国内動乱、国境紛争、民族主義的暴動などが噴出したのは、近代と前近代の戦いが時代の中核的紛争となったからである。つまり、その緊張を中心にして、他の紛争が派生したのである。このパターンは、産業化の道を歩む、ほとんどすべての国で繰り返された。アメリカ合衆国では、北部の産業派が南部の農業エリートを打ち破るのに、凄惨な南北戦争が必要とされたのである。かくして、近代は前近代を制圧したのだった。
 興隆する新文明は、国家間の関係も不安定なものにした。産業化の波は、国内市場の拡張とそれに伴う国家主義的イデオロギーをもたらした。国家統一の戦争が、ドイツ、イタリアなどの国を駆け抜けていった。新文明の成長度の違い、市場獲得競争、工業技術を利用した武器生産など、ありとあらゆる変化が既存の力関係を覆し、19世紀半ばから後期にかけてヨーロッパと近隣諸国を引き裂いた戦争の大きな誘因となったのである。世界の力のバランスは、オスマン帝国とツァーの支配する封建ロシアから近代化されつつあるヨーロッパへと移り始めた。大きな第二の変革の波の産物である近代文明がいち早く根を下ろしたのは、広大な大西洋の北岸であった。
 大西洋の強国は近代化するにつれ、市場と遠隔地の安価な原料が必要になった。かくして、産業先進国は植民地征服の戦いを推し進め、アジア・アフリカ中の前近代国家を支配するに至ったのである。
 こうして、近代化推進派は、国内の権力闘争に勝ったのとまったく同じように、より大規模な世界的覇権の争奪戦をも制した。一世紀以上にもわたり世界の構図を基本的に決定したのも、やはり、
近代化推進派対反近代化派の中核的紛争だったのである。これにより枠組みができあがり、それ以降の戦争は、おおむね、その枠内で行なわれることになった。
 さまざまな原始的農業集団間の部族戦争や地域戦争も、昔ながらの形態でひっきりなしに起こった。しかし、これらの戦いは大して意味のあるものではなく、結局双方の力を弱めることにしかならず、その結果、両者ともに、やすやすと産業文明化された植民地支配勢力の餌食になるということが多かった。南アフリカで、セシル・ローズ(訳注:アメリカにはセシル・ローズ資金という奨学金があり、フルブライト元上院議員やクリントン大統領はその資金でオックスフォード大学に留学した)とその軍隊が、原始的な武器で必死に戦い合っていた農業部族集団から広大な土地を奪い取ったのも、その一例である。
 世界のその他の地域でも、なんの関係もなさそうな戦争がいくつとなく起こったが、これらも、じつに、いがみ合う国家間の紛争としてではなく、勢力を競い合うふたつの文明間の世界的対決の表れとして捉えることができる。しかし、まさに近代最大の、そして最も多く血を流がした戦争は、ドイツ、イギリスなどの近代国家が激突した産業国間戦争であった。そうした戦争では、各産業国が、世界中の前近代国を配下に従えながら、世界の覇権をかけて争ったのである。
 最終的に、世界ははっきりと区分された。産業時代は、世界を、支配勢力としての近代文明圏と、不満を持ちながらも従属する多数の前近代国家とに二分したのである。私たちのほとんどは、近代と前近代とに分割された世界で成長した。そして、どちらの文明が優勢であるかは、私たちの目には歴然としていた。
 今日、世界文明の構成は変わった。現代の力の分布は、前代とは完全に異なる形へと急速に変貌しつつある。世界は二つの文明ではなく、三つの対照的で、かつ敵対し合う文明に分割されようとしているのである。その三つの文明は、それぞれ鋤、流れ作業、そしてコンピュータによって象徴される。
 この三分割された世界では、前近代的セクターが農産物と鉱産資源を供給し、近代セクター(ますます後退しているが)が安い労働力で大量生産を行い、そして、急速に拡大しつつある脱近代セクター、すなわち第三の波のセクターが全体を統括する地位に上ろうとしている。
 コンピュータ化された脱近代経済においては、大量生産はすでに時代遅れな生産形態と化している。そこでは、少量多種生産-短期稼動の高度注文生産-こそが先端的生産形態なのである。サービス業務が著しく増え、情報のような無形資産が重要資源となる。教育水準が低かったり、技術を身につけていない労働者は職を失う。産業スタイルの古い巨大産業は、自らの重みに耐えかね瓦解する。大量生産の時代に栄えたゼネラルモーターズ社、IBM社、アメリカ電話電信会社などはいまや不安定な状況下におかれている。大量生産分野の労働組合の規模は縮小される。生産部門同様、メディアも多種化され新しいチャンネルが増えることにより大テレビ局の経営はこれまた不安定なものになってきた。家族構成も非マス化される。近代の標準形態であった核家族は少数形態に転じ、父子・母子家庭、再婚夫婦、子供のない家庭、そして独り住まいの世帯が増えるのである。
 したがって、社会の構造全体が変わることになる。近代社会の均一性は、脱近代文明の不均一性に場を譲ることになるのだ。
 文化は、基準が明確に定められ、階層的に体系化されていたものから、思想、イメージ、シンボルが渦巻くものへと移行している。そして、個人は、花でも摘むかのように個々の要素を拾い上げ、それらでもって自分のモザイク画やコラージュを作り上げる。既存の価値基準は激しく攻撃されるか、さもなければ、まったく無視されることになる。
 脱近代経済は加速的な加速的なスピードで展開するため、その中にいる前近代的供給者は、なかなかそのペースについていけない。おまけに、情報が大量の原材料や労働などの代わりを務める傾向が強くなるにつれ、脱近代世界は、前近代世界に-そして市場を除けば、近代世界にすら-依存することが少なくなる。言い換えれば、こうした変化は、富める経済組織を、貧しい経済組織から切り離す恐れがあるのだ。
 しかしながら、完全な分離はあり得ない。なぜなら、汚染、病気、そして移民が脱近代国家の国境を浸透するのを防ぐわけにはいかないからだ。また、かりに貧しい国家が、世界中に害を広めることを目的に環境を操作することによって環境戦争を仕掛けてきた場合には、富める国家といえども生き残ることはできない。これらの理由から、脱近代文明と他の二つの文明間では、絶えず緊張が持ち上っているのである。したがって、新たな文明は、かつての近代文明と同じように、世界の覇権を確立するために戦うことになるだろう。
 二分割された世界から三分割された世界への移行は、地球上の最も根源的な権力闘争を引き起こす引き金となる。
 今日の武力紛争の多くと来るべき戦争とは無関係のように見えるけれども、前世紀の民族統一の戦いや植民地戦争同様、それらは、ともに、地球上に新文明が加速的に波及することによってもたらされる、とてつもない緊張関係から派生するものなのだ。
 もちろん、すべての武力衝突が、私たちが言う中核的紛争から生じるわけではない。中東紛争、イスラム教対キリスト教など他宗教との深まる対決、かつてのソビエト連邦内の極度の情勢不安、こうした事柄はすべて一触即発の危機を孕むものである。旧ソ連の各共和国間で、近い将来、ないしは中期的将来において武力衝突が起こる可能性は依然として高い。ユーゴスラビア型の民族戦争が東欧の他の地域で勃発する可能性も否定できない。テロリストの攻撃も大いに考えられるし、麻薬王、もしくは麻薬王によって間接的に支配されている国との戦いが拡大することも十分に有り得る。
 実際、これだけ多くの危険な緊迫点が現にあるからには、ハイテク列強の一つ、ないしは複数のハイテク国家を巻き込んだ戦争が、10年もしくは20年のうちに起こる可能性はきわめて高いのである。
 これら一触即発の危機を孕む引火点はすべて、なんらかの点で文明の衝突と関連があるのだが、それらが生じる原因は他にもある。まして、歴史的激動の時代である。偶然が果たす役割も平静時より大きい。見通しはますます悪くなっているのだ。
 こうした状況に、戦略家たちは大いに頭を悩ませている。世界中の国の軍部が不測事態対応計画び策定に取り組み、問題が突発する可能性のある地域を想定しながら仮想戦争のシナリオ作りをしている。ペンタゴンが最近作成した計画は、不特定の「侵略大国」を対象としているだけではない。そこでは、イラク、北朝鮮、フィリピンおよびパナマのクーデター、さらにはロシアによるリトアニアとポーランドの攻撃を含む7つの特定された仮想戦争も取り扱われている。
 次の世界的問題となる紛争の場がなかなか予想できない中で、現在、ペンタゴンの戦略家たちは包括的なシナリオも作成中だ。たとえば、アメリカ市民救難を目的とする米軍の軍事介入を想定した2000マイル・シナリオや6000マイル救難シナリオがそれである。ソビエト連邦再編シナリオさえ考えられている。
 政治家やジャーナリストの中には、将来、戦争は、起こっても「小さな戦争」、つまり「地域紛争」にかぎられる、という相変わらずの意見がある。だが、未来に対する不透明感が広がる中で、
もし従来の考えが間違っているとしたら、どうなるのか。
 政策立案者やマスコミに登場する専門家諸氏のほとんどが目を一方にのみ向けている間に、中核的紛争の展開に合わせて、他のどこかで明日の時代の鍵を握る危機的状況が持ち上がったら、どうなるのだろうか。しかも、明日の戦争が、もはや周辺地域に限定されたものではなく、世界で最も「先進的」で富裕な国を巻き込む形で繰り広げられたとしたら?日本は巻き込まれることはないのか。ドイツ、フランスはどうか。未来の中国は?
 にわかには信じがたいが、大いに起こる可能性のあるシナリオを、二つだけ検討してみよう。