2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(上)
第二部 基礎的条件の深部
第三章 富の波
人類は何千年にもわたって富を作ってきた。地球上に貧困が蔓延しているのは事実だが、歴史をみるなら、人類は明らかに富を作り出す能力を高めてきている。そうでなければ、地球上に六十五億もの人が生活できるようになっているはずがない。いまのように長生きできるはずがない。そして、良かれ悪しかれ、世界全体でみて太りすぎの人が栄養不足の人より多いという状態にならなかったはずだ。
これを偉業と呼ぶのであれば、人類がこの偉業を達成できたのは、鋤や馬車、蒸気機関、ビッグマックの発明以上のことをしたからである。人類は本書で「富の体制」と呼ぶものをつぎつぎに生み出した。これらの体制は、人類の歴史でとりわけ重要な発明であった。
有史以前のアインシュタイン
富とは、もっとも広い意味では、必要や欲望を満たすすべてのものである。富の体制とは、金のためであろうがなかろうが、富を作り出す方法である。~人類が経済的な余裕を生み出せるようになってはじめて、富の体制と呼べるものが作られるようになった。それ以降、経済的余裕を生み出すために、きわめて多数の方法が試されてきたが、人類の歴史の全体を通して、この方法は大きく三つに分類できる。
第一の富の体制が登場したのは、おそらく一万年ほど前、有史以前のアインシュタインともいうべき人物(おそらくは女性)が、現在のトルコにあるカラジャダ山の近くではじめて種を蒔き、富を生み出す方法を発明したときである。これによって、自然が食料を生み出すのを待つのではなく、かぎられた範囲内でではあるが、求めるものを自然が生産するようにすることが可能になった。~要するに、富の第一の波が世界各地に広がって、農業文明と呼ばれるようになるものが生まれたのである。
自分の肉を食べる
~しかし、現在でも第一の波の人口が過半数を占める国は多い。食人はめったにないだろうが、カンポレージが描いた恐怖の多くは、いまでも後進的な農業地域、農民が何世紀も前と変わらない生活をしている地域に残っている。
夢想すらできなかった富
第二の革命的な富の体制と社会として、工業社会が十七世紀後半に登場し、地球上のかなりの地域に変容と混乱の第二の波をもたらすことになった。~第二の波の富の体制がこれらの新しい思想とともに登場し、~大量生産、大衆教育、マス・メディア、大州文化が生まれた。~工業化は環境汚染をもたらした。植民地主義と戦争、惨状を伴った。だが、同時に、都市の工業文明が拡大を続け、農業で暮らしていた祖先が夢想すらできなかったほどの富を生み出すことになった。~どの形態でも、当初は生産に重点をおき、やがて消費を重視するようになる。
今日の富の波
最新の第三の富の波は現在まさに爆発的に広まっており、工業時代の生産要素であった土地と労働と資本に代えて、進歩しつづける知識を基盤にすることで、工業社会のすべての原則に挑戦している。
第二の富の波の体制が大規模化をもたらしたのに対して、第三の富の波は生産、市場、社会の脱大規模化、細分化をもたらしている。
第一の波の農業社会で一般的だった大家族に代わって、第二の波の工業社会では画一的な核家族制度がとられたが、第三の波では多様な家族形態を認め、受け入れる。
第二の波では垂直的な階層組織が作られ、高くそびえるようになったが、第三の波では組織が水平になり、ネットワーク型など、いくつもの違った構造が使われるようになる。
(中略)
以上の大まかな説明は、三つの富の体制とそれに付随する三大文明の違いをごくわずかに取り上げたものにすぎない。だが、この説明だけでも、中心テーマが浮かび上がってくるはずだ。第一の波の富の体制は、主に栽培に基づいており、第二の波の富の体制は製造に基づいていた。これに対して第三の波の富の体制は、サービス、思考、知識、実験に基づくものという性格を強めているのである。
第4章 基礎的条件の深部
~だが「基礎的条件」という言葉が何を意味しているかは、まったく不明確だ。
この言葉は誰が使うかによって「インフレ率の低さ」や「信用力の健全性」、「金と銅の世界価格」を意味する場合もあるし、意味しない場合もある。~だが、これらの要因に関心を奪われて、それ以上に重要な点を見落としているとすればどうだろうか。これらの要因を直接間接に動かす力がもっと深い部分にあり、この「基礎的条件の深部」ともいえるものが、表面近くにある基礎的条件を形作っているとすればどうだろうか。
いわゆる基礎的条件が示すものと、基礎的条件の深部が示すものが違っていればどうだろうか。そして、もっと基礎的でもっと強力な要因が急速に変化しているとすれば、どうなるだろうか。
無謬説
キリスト教神学には「無謬説」という言葉がある。この説を信じる人は、二千年にわたって解釈と翻訳にさまざまな問題があったにもかかわらず、聖書には誤りはなくその言葉のひとつひとつを字義通りに理解しなければならないと主張する。
経済学にも無謬論者がいる。経済理論では説明がつかない事実、不思議な事実、矛盾する事実がさまざまにあるにもかかわらず、実際には何も変わっていないと主張する。
(中略)
だが、表面にみえる基礎的条件から、もっと深い部分にある基礎的条件に視点を移すと、こうした幻想はすぐに吹飛ぶ。経済が「以前と変わっていない」という見方の誤りをもっとも説得力ある形で示しているのは、この深い水準での動きである。現在、富を生み出す構造の全体が揺さぶられており、今後、さらに大きな変化がくることが示されているのである。
時代後れの基礎的条件
表面の下の深い部分にはそうした基礎があるし、それがどういうものなのかを見極める一貫した方法もある。
地球上には現在、前述のように性格が大きく違う富の体制が三つあり、少々乱暴な言い方ではあるが、鋤、組み立てライン、コンピュータがそれぞれを象徴している。
まず知っておくべき点は、いま「基礎的条件」とされているものの大部分が、三つの体制に共通したものではないことである。
たとえば、「強力な製造業」は工業時代の富の体制では決定的な意味をもつが、工業化以前の農業社会にはほとんどないに等しい。そしていまでも、世界のなかにはそういう地域が多数ある。(中略)要するにいわゆる基礎的条件のなかには、社会の発展段階のうちひとつの段階では重要だが、他の段階では重要性をもたないものがある。
これに対して、基礎的条件のなかには富の生成に不可欠であり、どのような経済でも、過去、現在を問わずどの文化、どの文明のどの発展段階でも重要なものがある。
これらが、基礎的条件の深部である。
職の将来
基礎的条件の深部には明白な要因にある。たとえば仕事がそうだ。
農業労働に代わって工場労働が主流になるまで、昔の人たちのほとんどは職についたことがなかったというと、驚く人が多いかもしれない。金持ちだから職につかなかったのではない。絶望的なほど貧しい人がほとんどだった。職につかなかったのは、「職」がまだ発明されていなかったからだ(いまの感覚での職、つまり決められた仕事をして、決まった給与を支払われる仕組みはなかった)。蒸気機関などの産業技術もそうだが、職と賃金労働が普及したのも、たかだか過去三世紀のことなのである。
仕事自体も、野外から屋内に移り、時間が日の出と日の入りで決まるのではなく、タイム・カードで決められるようになった。仕事の報酬の大部分が、働いた時間に基づく賃金として支払われるようになった。そして、この取り決めこそが「職」という言葉の意味なのである。
だが、職は仕事の方法のうちひとつにすぎない。そして、知識に基づく最新の富の体制が本格化するとともに、後に論じるように、「仕事」をする人が増える一方で、「職」につく人が少なくなる将来の姿に近づいていくだろう。その結果、労使関係、人事部門、労働法規、そして労働市場全体が劇的に変化する。現在の形の労働組合にとって、将来は暗いだろう。仕事に関する基礎的条件の基礎が、産業革命以降のどの時期とくらべても大きく変化しているのである。
分業も仕事と同じように、狩猟と採取の時代にすでに行なわれており、当時は主に男女間のものであった。
(中略)
アダム・スミスは1776年に、の生産分業が「労働性の飛躍的な向上」の源泉だと論じた。それ以降、スミスが論じた通りになってきた。だが、作業の細分化と専門化が進むとともに、それらを統合するのがむずかしくなり、コスト高になってきた。イノベーション主導型の経済、競争が熾烈な経済ではとくにそうだ。
どこかの段階で、統合のコストが超専門化の利点を上回るようになる。それに、狭い分野に関心を絞った専門家は、小幅な改良を積み重ねていくことは得意かもしれないが、画期的なイノベーションは専門分野の壁を超えた臨時チームによることが多い。しかも、各分野での画期的な革新によって、専門分野の壁自体が曖昧になっているときにあらわれていることが多い。これは、科学者や研究者だけにいえることではない。
新たな富の体制では経済全体にわたって、各人の技能も仕事の目的も一時的なものという性格を強めているので、適切な人材を組織して目的を達成する方法を根本から見直すことが必要になっている。富の創出という観点からは、これほど基礎的な問題はほかにない。
仕事と分業の基本が変化しているだけでなく、所得配分が、誰が何を得るのかが、長い時間をかけてまさに革命的に変化しようとしているのかもしれない。
相互作用
これらは、いわゆる基礎的条件の基礎にある要因のうち、ごく少数の例にすぎない。そしてこれらの要因はひとつの体系になっているので、表面からみえるものよりはるかに重要である。
基礎的条件の深部にある要因は、相互作用を起こしながら変化している。そして、ここまでに取り上げた例は、まさに限定的なものにすぎない。基礎的条件の深部にはさらに、環境、家族構造などの要因があり、これらすべてが、猛烈な速度で変化し、もっと表面に近い部分にあって話題になることが多い基礎的条件の基礎を揺るがしている。
基礎的条件の基礎にある要因のいくつかが、くわしく検討されることもあった。たとえば、1970年代以降、生物圏と富の創出の関係が世界的に懸念と論争の焦点になってきた。だが、現在の富の革命でとくに重要な要因は、ほとんど注目されていない。
そこで、基礎的条件の深部のうち、現在、とくに急速に変化し、とくに強力で、とくに魅力的な要因を探るために、ほとんど知られていない奇妙な領域を探検する旅に出発することにしよう。以下で扱う要因が間違いなく、富の将来を形作ることになるだろう。
第二部 基礎的条件の深部
第三章 富の波
人類は何千年にもわたって富を作ってきた。地球上に貧困が蔓延しているのは事実だが、歴史をみるなら、人類は明らかに富を作り出す能力を高めてきている。そうでなければ、地球上に六十五億もの人が生活できるようになっているはずがない。いまのように長生きできるはずがない。そして、良かれ悪しかれ、世界全体でみて太りすぎの人が栄養不足の人より多いという状態にならなかったはずだ。
これを偉業と呼ぶのであれば、人類がこの偉業を達成できたのは、鋤や馬車、蒸気機関、ビッグマックの発明以上のことをしたからである。人類は本書で「富の体制」と呼ぶものをつぎつぎに生み出した。これらの体制は、人類の歴史でとりわけ重要な発明であった。
有史以前のアインシュタイン
富とは、もっとも広い意味では、必要や欲望を満たすすべてのものである。富の体制とは、金のためであろうがなかろうが、富を作り出す方法である。~人類が経済的な余裕を生み出せるようになってはじめて、富の体制と呼べるものが作られるようになった。それ以降、経済的余裕を生み出すために、きわめて多数の方法が試されてきたが、人類の歴史の全体を通して、この方法は大きく三つに分類できる。
第一の富の体制が登場したのは、おそらく一万年ほど前、有史以前のアインシュタインともいうべき人物(おそらくは女性)が、現在のトルコにあるカラジャダ山の近くではじめて種を蒔き、富を生み出す方法を発明したときである。これによって、自然が食料を生み出すのを待つのではなく、かぎられた範囲内でではあるが、求めるものを自然が生産するようにすることが可能になった。~要するに、富の第一の波が世界各地に広がって、農業文明と呼ばれるようになるものが生まれたのである。
自分の肉を食べる
~しかし、現在でも第一の波の人口が過半数を占める国は多い。食人はめったにないだろうが、カンポレージが描いた恐怖の多くは、いまでも後進的な農業地域、農民が何世紀も前と変わらない生活をしている地域に残っている。
夢想すらできなかった富
第二の革命的な富の体制と社会として、工業社会が十七世紀後半に登場し、地球上のかなりの地域に変容と混乱の第二の波をもたらすことになった。~第二の波の富の体制がこれらの新しい思想とともに登場し、~大量生産、大衆教育、マス・メディア、大州文化が生まれた。~工業化は環境汚染をもたらした。植民地主義と戦争、惨状を伴った。だが、同時に、都市の工業文明が拡大を続け、農業で暮らしていた祖先が夢想すらできなかったほどの富を生み出すことになった。~どの形態でも、当初は生産に重点をおき、やがて消費を重視するようになる。
今日の富の波
最新の第三の富の波は現在まさに爆発的に広まっており、工業時代の生産要素であった土地と労働と資本に代えて、進歩しつづける知識を基盤にすることで、工業社会のすべての原則に挑戦している。
第二の富の波の体制が大規模化をもたらしたのに対して、第三の富の波は生産、市場、社会の脱大規模化、細分化をもたらしている。
第一の波の農業社会で一般的だった大家族に代わって、第二の波の工業社会では画一的な核家族制度がとられたが、第三の波では多様な家族形態を認め、受け入れる。
第二の波では垂直的な階層組織が作られ、高くそびえるようになったが、第三の波では組織が水平になり、ネットワーク型など、いくつもの違った構造が使われるようになる。
(中略)
以上の大まかな説明は、三つの富の体制とそれに付随する三大文明の違いをごくわずかに取り上げたものにすぎない。だが、この説明だけでも、中心テーマが浮かび上がってくるはずだ。第一の波の富の体制は、主に栽培に基づいており、第二の波の富の体制は製造に基づいていた。これに対して第三の波の富の体制は、サービス、思考、知識、実験に基づくものという性格を強めているのである。
第4章 基礎的条件の深部
~だが「基礎的条件」という言葉が何を意味しているかは、まったく不明確だ。
この言葉は誰が使うかによって「インフレ率の低さ」や「信用力の健全性」、「金と銅の世界価格」を意味する場合もあるし、意味しない場合もある。~だが、これらの要因に関心を奪われて、それ以上に重要な点を見落としているとすればどうだろうか。これらの要因を直接間接に動かす力がもっと深い部分にあり、この「基礎的条件の深部」ともいえるものが、表面近くにある基礎的条件を形作っているとすればどうだろうか。
いわゆる基礎的条件が示すものと、基礎的条件の深部が示すものが違っていればどうだろうか。そして、もっと基礎的でもっと強力な要因が急速に変化しているとすれば、どうなるだろうか。
無謬説
キリスト教神学には「無謬説」という言葉がある。この説を信じる人は、二千年にわたって解釈と翻訳にさまざまな問題があったにもかかわらず、聖書には誤りはなくその言葉のひとつひとつを字義通りに理解しなければならないと主張する。
経済学にも無謬論者がいる。経済理論では説明がつかない事実、不思議な事実、矛盾する事実がさまざまにあるにもかかわらず、実際には何も変わっていないと主張する。
(中略)
だが、表面にみえる基礎的条件から、もっと深い部分にある基礎的条件に視点を移すと、こうした幻想はすぐに吹飛ぶ。経済が「以前と変わっていない」という見方の誤りをもっとも説得力ある形で示しているのは、この深い水準での動きである。現在、富を生み出す構造の全体が揺さぶられており、今後、さらに大きな変化がくることが示されているのである。
時代後れの基礎的条件
表面の下の深い部分にはそうした基礎があるし、それがどういうものなのかを見極める一貫した方法もある。
地球上には現在、前述のように性格が大きく違う富の体制が三つあり、少々乱暴な言い方ではあるが、鋤、組み立てライン、コンピュータがそれぞれを象徴している。
まず知っておくべき点は、いま「基礎的条件」とされているものの大部分が、三つの体制に共通したものではないことである。
たとえば、「強力な製造業」は工業時代の富の体制では決定的な意味をもつが、工業化以前の農業社会にはほとんどないに等しい。そしていまでも、世界のなかにはそういう地域が多数ある。(中略)要するにいわゆる基礎的条件のなかには、社会の発展段階のうちひとつの段階では重要だが、他の段階では重要性をもたないものがある。
これに対して、基礎的条件のなかには富の生成に不可欠であり、どのような経済でも、過去、現在を問わずどの文化、どの文明のどの発展段階でも重要なものがある。
これらが、基礎的条件の深部である。
職の将来
基礎的条件の深部には明白な要因にある。たとえば仕事がそうだ。
農業労働に代わって工場労働が主流になるまで、昔の人たちのほとんどは職についたことがなかったというと、驚く人が多いかもしれない。金持ちだから職につかなかったのではない。絶望的なほど貧しい人がほとんどだった。職につかなかったのは、「職」がまだ発明されていなかったからだ(いまの感覚での職、つまり決められた仕事をして、決まった給与を支払われる仕組みはなかった)。蒸気機関などの産業技術もそうだが、職と賃金労働が普及したのも、たかだか過去三世紀のことなのである。
仕事自体も、野外から屋内に移り、時間が日の出と日の入りで決まるのではなく、タイム・カードで決められるようになった。仕事の報酬の大部分が、働いた時間に基づく賃金として支払われるようになった。そして、この取り決めこそが「職」という言葉の意味なのである。
だが、職は仕事の方法のうちひとつにすぎない。そして、知識に基づく最新の富の体制が本格化するとともに、後に論じるように、「仕事」をする人が増える一方で、「職」につく人が少なくなる将来の姿に近づいていくだろう。その結果、労使関係、人事部門、労働法規、そして労働市場全体が劇的に変化する。現在の形の労働組合にとって、将来は暗いだろう。仕事に関する基礎的条件の基礎が、産業革命以降のどの時期とくらべても大きく変化しているのである。
分業も仕事と同じように、狩猟と採取の時代にすでに行なわれており、当時は主に男女間のものであった。
(中略)
アダム・スミスは1776年に、の生産分業が「労働性の飛躍的な向上」の源泉だと論じた。それ以降、スミスが論じた通りになってきた。だが、作業の細分化と専門化が進むとともに、それらを統合するのがむずかしくなり、コスト高になってきた。イノベーション主導型の経済、競争が熾烈な経済ではとくにそうだ。
どこかの段階で、統合のコストが超専門化の利点を上回るようになる。それに、狭い分野に関心を絞った専門家は、小幅な改良を積み重ねていくことは得意かもしれないが、画期的なイノベーションは専門分野の壁を超えた臨時チームによることが多い。しかも、各分野での画期的な革新によって、専門分野の壁自体が曖昧になっているときにあらわれていることが多い。これは、科学者や研究者だけにいえることではない。
新たな富の体制では経済全体にわたって、各人の技能も仕事の目的も一時的なものという性格を強めているので、適切な人材を組織して目的を達成する方法を根本から見直すことが必要になっている。富の創出という観点からは、これほど基礎的な問題はほかにない。
仕事と分業の基本が変化しているだけでなく、所得配分が、誰が何を得るのかが、長い時間をかけてまさに革命的に変化しようとしているのかもしれない。
相互作用
これらは、いわゆる基礎的条件の基礎にある要因のうち、ごく少数の例にすぎない。そしてこれらの要因はひとつの体系になっているので、表面からみえるものよりはるかに重要である。
基礎的条件の深部にある要因は、相互作用を起こしながら変化している。そして、ここまでに取り上げた例は、まさに限定的なものにすぎない。基礎的条件の深部にはさらに、環境、家族構造などの要因があり、これらすべてが、猛烈な速度で変化し、もっと表面に近い部分にあって話題になることが多い基礎的条件の基礎を揺るがしている。
基礎的条件の基礎にある要因のいくつかが、くわしく検討されることもあった。たとえば、1970年代以降、生物圏と富の創出の関係が世界的に懸念と論争の焦点になってきた。だが、現在の富の革命でとくに重要な要因は、ほとんど注目されていない。
そこで、基礎的条件の深部のうち、現在、とくに急速に変化し、とくに強力で、とくに魅力的な要因を探るために、ほとんど知られていない奇妙な領域を探検する旅に出発することにしよう。以下で扱う要因が間違いなく、富の将来を形作ることになるだろう。