アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

第三の波の政治 第9章 二十一世紀の民主主義

2011年12月02日 23時42分08秒 | 第三の波の政治
さて、第三の波の政治も、最終章です。
この章は、ご存知の通り、「第三の波」から引用・補足されたものです。
1980年に、このような言論を発表したトフラーは、本当にすごい!
今、読んでみても、未来への深い洞察力を読み取ることができます。
大阪維新の会は、第三の波の政治を実行できるか、創造者たるべき運命
を担い、旧体制の利権に組みする既成政党(自民~共産:思想的暗殺者)
を排除する闘いが可能か、どうか、よく見ていきましょう。

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第三の波の政治 中央公論社刊 19975.7.7発行
P.155~P.192
第9章 二十一世紀の民主主義
建国の両親へ
  いまは亡き革命家の方々。あなたがたは男も女も、農民、商人、職人、弁護士、印刷業者、時事論文の執筆者、商店主、兵士もみんな力を合わせ、祖国を遠く離れたアメリカの海岸に、新しい国を建設した。1787年、ともにアメリカの地へやってきてフィラデルフィアのあの焼け付くような夏に、合衆国憲法と呼ばれる驚くべき公文書を書き上げた五十五人も、あなた方の仲間だ。あなた方は未来の創造者であり、その未来がいま、私どもの現在となっている。遠くに未来の音を聞き、一つの文明が死んでゆき、もう一つの新しい文明が生まれてきつつあるのを感じる。・・・・・・・・・・・・・・私たちは、ジェファソン氏のこの見識に対して、とりわけ感謝している。彼は、かくも長いあいだわれわれアメリカ人の役に立ち、そしていま役目を終え、新しい制度に場を譲ろうとしている現在の制度を作り上げることに尽力してくれたのだ。                                    アルビン・トフラー
                                                                      ハイジ・トフラー
これは架空の手紙であるが、機会があれば同様の所感を述べる人たちが、多くの国にいるにちがいない。というのは、今日の政府が時代おくれだということは、私ひとりが発見した秘密ではないからである。またそれは、アメリカだけの病弊でもない。
 要するに、古い第二の波の文明の残骸のうえに新しい第三の波の文明を築くということは、とりもなおさず、多くの国々において、いっせいに新しい、より適切な政治構造を設計するということである。これは、困難だが必要欠くべからざる事業であり、気も遠くなるほど広範囲にわたり、おそらく完成に何十年もかかる事業であろう。
  アメリカ合衆国議会、英連邦諸国の下院と上院、フランスの下院、西ドイツ連邦議会、日本の国会、多くの国々の巨大な省庁と自己保身的な行政事務、憲法、裁判制度など、いわゆる代議制政体といわれるものの多くが肥大化して、ますます融通がきかなくなっている現在、これらの機構を徹底的に解体修理するか、或いはスクラップにしてしまうには、どう考えても、かなりの長期戦を覚悟する必要があろう。
  政治闘争のこうしたうねりは、国家のレベルにとどまることはない。これからさき何年間、何十年間にわたって、国際連合から地域の市議会や町議会にいたるまで、「地球上のすべての立法機関」が、高まりつつある再建への、抗いがたい要求に直面することになろう。これらすべての機構は、根本的に改造されなければならない。それは、その機構が本来、弊害を伴っているからではなく、また特定の階級や集団によって支配されているからでもない。硬直化が進んだために、様相が一変してしまった世界の、さし迫った欲求に、もはや対応できなくなっているからである。
  新たに柔軟な政府を築き、われわれの生涯でもっとも重要だと思われる政治的課題を達成するためには、第二の波の時代に累積された、常套的発想を払拭しなければならない。さらにわれわれは、次にあげる三つの主要な原理に照らして、政治を考え直さなければならないだろう。

マイノリティ・パワー
  現在の考え方からすると異端ともいえるが、第三の波の政治体制を支える第一の原理は、マイノリティ・パワーの重視である。多数決という、第二の波の時代の正統的な基本原理は、日に日に時代遅れとなっている。考慮しなければならないのは多数派ではなく、少数意見なのである。現行の政治体系は、こうした事実について反省を深めていかなければならない。 
  アメリカ合衆国の独立に携わった世代の信条はどうかといえば、ふたたびジェファソンの話になるが、政府は「過半数の決定には絶対服従しなければならない」というのが彼の主張であった。これは、独立革命に携わった世代の意見を代表しているといってよい。当時、アメリカ合衆国やヨーロッパは、まだ第二の波の黎明期にあり、産業大衆社会へと転換していく長い道程を、まさに踏み出したところであった。多数決の概念は、こうした当時の社会の要請に、ぴったりと一致していたのである。現在の多数決に基づく民主主義は、大量生産、大量消費、大衆教育、マス・メディア、大衆社会の政治的表現なのである。
  すでに述べてきたように、今日、われわれは産業主義を乗り越え、急速に脱画一化社会へ進みつつある。その結果、過半数を集めることはもちろん、連立政権を成立させることさえ、ますます困難となりつつある。むしろ不可能になってきているといってもよいだろう。マサチューセッツ工科大学の政治学者ウォルター・ディーン・バーナムの言うとおり、アメリカ合衆国において、「今日、何事に係わらず、積極的な意味で過半数を得られるという根拠は見当たらない」のである。
  いくつかの主要な党派が連合して多数派を形成するというピラミッド型社会の代わりに、きわめて多くの、その場かぎりの少数派が渦巻き、一時期同じ行動様式をとるが、肝心な問題についてはめったに51パーセントの過半数にまとまることのない、並列的社会がくるだろう。第三の波の文明の発展とともに、現存の多くの政府は、その存在意義を減じていくだろう。
  多数決は社会正義につながる、というわれわれが信じ込んできた仮説に対して、第三の波は、敢然と挑戦状をつきつけている。第二の波の文明の時代を通じて、多数決を求める闘いは、人間味にあふれた、解放をめざすものであった。南アフリカのように、産業化が現在進行中の国々においては、いまでもそうである。第二の波の社会において、多数決は、ほとんどつねに、貧しい人びとに、より公平な機会をもたらしてきたのである。というのは、これまでは貧しい人びとが、多数派を占めていたからである。 
 しかし今日、第三の波に揺らぐ国々では、多くの場合、事態はまさに反対になっている。本当に貧しい人びとは、いまや必ずしも多数派ではない。多くの国々において、彼らは(ほかの人たちと同様)少数派になっているのだ。第三の波の時代へ移行しつつある社会において、もはや、多数決はつねに正当な原理とはいえず、また、必ずしも人間的でもなく、民主的でもない。
  第二の波のイデオローグたちは、大衆社会の解体を決まり文句で嘆くにちがいない。彼らは、こうした豊かな多様性を、人類発展の好機と見ずに、“手榴弾が炸裂するような分裂”だとか、“かつてのバルカン半島における諸国分裂にも似た細分化だ”と酷評し、多様性を、少数派によって巻き起こされた“利己主義”のせいだという。これは原因と結果をとりちがえた、とるに足りない主張である。少数派の積極的な行動が高まっているのは、気まぐれな利己主義の結果ではない。それはとりわけ、新しい生産方式の必要性を反映しているにほかならず、しかも、この方法が実現するためには、かつてないほど変化に富んだ、多彩な、そして開かれた、まったく新しい社会が必要とされるからである。
  われわれが選びうる道は、第二の波の政治制度を守るために、必死の、しかし無益な努力によって多様性への抵抗を試みるか、あるいは多様性を認めて政治制度をこれに適するように変えていくか、のどちらかに限られている。 
  前者の戦略は、全体主義的な手段によってのみ達成されるものであり、経済不況と文化的停滞を招きかねない。後者は社会の進化をもたらし、少数派に基盤をおいた、二十一世紀の民主主義につながる。
  第三の波の時代に民主主義を立て直すためには、多様化が進めば必然的に社会の緊張が高まり、対立が深まるという、人びとの恐怖心をかりたてる誤った仮設を捨てなければならない。じつは、その逆の場合も十分ありうるのだ。社会における対立は必要なだけでなく、一定限度までの対立は、むしろ望ましいことでもある。もし百人の男が、何が何でも同じ高官のポストに就こうと競争すればそのために争いが起こるかもしれない。一方、百人の目標がひとりひとり別であれば、取引をし、協力し合い、相互の共存関係を作り上げたほうが、彼らにとってはるかに利益が多い。
適切な社会的取り決めさえあれば、多様性は文明をゆるぎない、確固としたものにするのに役立ちうる。
  少数派のあいだの対立がいたずらに深まり、暴力を誘発しかねないほどに泥沼化してしまうのも、今日、適切な政治制度がないからである。少数派を非妥協的にしているのも、多数派の存在をますます困難にしているのも、こうした制度の欠如による。
  これらの問題に対する答は、反対意見を押さえつけることではなく、少数派を利己主義だと非難することでもない。(権力を握っているエリートやそれを支えている専門家集団も、利己主義という点では同罪にすぎない。)多様な立場を調整し、それぞれに正当な場を与えるような、まったく新しい決着の仕方を考えること、変貌し、いよいよ細分化していく少数派の激しい要求を敏感に反映させうる、新しい制度を作ること。答はそこにしかない。
  未来の歴史学者たちが、投票による多数派選びを回顧して、コミュニケーションに関しては原始人同然な人びとが執り行った古代の儀式だ、という時代がくるかもしれない。だが今日、この危険にみちた世界において、全権をだれか特定の人間に委任することはできない。多数派優先のシステムのもとでは、一般大衆の声はきわめて弱いものだとはいえ、それを反映させるシステムを、諦めてかかることはできない。また、一握りの少数派に独裁的な決定権を与え、ほかのすべての少数派を支配させることもできない。 
  捉えどころのない多数派を追い求めていく不完全な第二の波の方法を、根本的に修正しなければならないのも、このためである。少数派の民主主義を考案するための、新しいアプローチが必要である。排他的な投票を行い、論点を詭弁で言いくるめ、選挙を裏であやつり、これによってまやかしの多数派をでっち上げて意見のちがいを誤魔化すのではなく、その相違を明らかにすることを目的とした方法がとられるべきである。つまり、多様な少数派のそれぞれの役割を高め、しかも、そうした少数派が一体となって多数派を形成しうるよう、全システムを近代化する必要がある。 第二の波の社会において、国民の意思を決める投票は、統治者であるエリートにとって、フィードバックの重要なルートであった。大多数が何らかの理由で、ある状況を耐え難いと感じ、51パーセントが投票でそのことを表明すれば、エリートたちは少なくとも政党の交替をはかるとか、政策を変更するなど、何らかの調整を行うことができた。
  しかし過去の大衆社会においてさえ、51パーセントの原理は、きわめて大ざっぱな、量だけを計る手段であった。過半数を決める投票では、人びとの意見の質については、なにも明らかにならない。ある時点で、いかに多くの人がある特定のことを望んでいるかはわかるが、その願望がどの程度切実なのかはわからない。とりわけ、それを手に入れるためなら何を犠牲にしてよいと考えているのかという点については、まったくわからない。これは数多くの少数派によって形成される社会においては、どうしても知っておかなければならない重要なことなのだ。
  また、少数派が、あるひとつの問題に非常な脅威を感じ、生死にかかわる重要な事柄だと考え、そのためわれわれが、その見解にことのほか注目しなければならないときでも、過半数の原理では、これを知ることができない。
  大衆社会において、多数決の欠陥はよく知られていたにもかかわらず黙認されてきたのは、ほとんどの少数派が、このシステムを打ちこわす戦略的な力を欠いていたからである。さまざまな利害関係や考え方が網の目のようにからみあい、われわれすべてが、何らかの少数派グループに属している今日の社会では、このシステムはもはや正当であるとはいえない。
  第三の波の脱画一化社会にとって、過去の産業主義時代のフィードバック・システムは、きわめて不完全なものである。したがってわれわれは、まったく新しい方法で、投票と票決を行わなければならないのだ。
  幸い、第三の波の技術が第三の波の民主主義の道を切り開いてくれる。アメリカの建国の父たちが二百年前に考えた基本問題への取り組みが、驚くべき新しい状況の中で再建されるのだ。第三の波の技術のおかげで、これまで非現実的だと思われていた形態の民主主義を新しいものにすることが可能になるのである。

半直接民主主義
  明日の政治体系を築くための第二の骨組みは、半民主主義という原理にほかならない。選ばれた代表者への依存から、自分たち自身が代表となることへの、転換である。つまり、間接代表と直接代表の双方を取り入れたものが、半直接民主主義である。
  すでに述べたように、コンセンサスが失われたことによって、代議制の概念そのものが崩壊している。有権者のあいだに合意がなければ、代表者とはいったいだれの代表なのか。そのうえ国会議員は法律の制定にあたり、スタッフの補佐や外部の専門家の助言に、ますます頼らざるをえなくなっている。イギリスの下院議員が、ホワイトホールの中央官庁の官僚にくらべて弱体だということは、周知の事実である。こうしたことが起こるのは、彼らには適切なスタッフのサポートがなく、このため多くの権限が議会から選挙によらない役人に移管されているからにほかならない。合衆国連邦議会は、行政官庁の実力との均衡をはかるために、例えば議会予算担当事務局、テクノロジー・アセスメントを執り行う部門など、必要な部局や附属機関を設けている。しかし、これは問題を単に管轄外から管轄内に移したにすぎない。われわれが選出した議員たちは、決定を下さなければならない無数の法案について、知識に乏しく、他人の判断に従わざるを得なくなってきている。議員はもはや、代表とはいいがたい。
  さらに基本的にいえば、立法府というものは、理論上、敵対し合う少数派の主張を調停しうる場であった。自分が代表している国民のために取引をするのが、議員であったはずである。だが、今日の時代おくれになってしまった切れ味の悪い政治的手段を使っていたのでは、議員は自分が代表する小グループに十分な目配りをすることすらできず、ましてはその小グループのために効果的な取引をしたり、仲介の労をとったりすることは到底できない。アメリカはもとより、西ドイツやノルウェーでも、議会に過重な負担がかかればかかるほど、事態はますます悪化している。
  単独の争点をかかげた政治的圧力集団が、なぜ非妥協的になるのか、これはその説明にもなろう。連邦議会や州議会を通じて、込み入った取引や調停の機会がほとんどないことを考えてみると、いまの機構上、彼らの要求にはどうにも対処できないといっていい。代議制政体を最終的な仲介の役割を果たすべきものとする論拠もまた、崩れ去っている。
  交渉は成立せず、問題は解決されなくなった。代議制制度の麻痺状態は悪化の一途をたどり、これが長期化している現状では、少数の見せかけの代表者によって下されている多くの決定が、徐々に選挙民自身の手に移行されてしかるべきであろう。我々が選出した仲介者が、我々のために有利な取引ができないなら、我々は、自らそれをすべきであろう。代表者の制定する法律がわれわれの要求を反映せず、ますます遊離していくならば、我々はそれに代わって自分たち自身で法律を作るべきであろう。そのためには、新しい制度と新しいテクノロジーが必要となる。
  今日の代議制の基礎となる一連の制度を作り出した第二の波の革命家たちは、代議制民主主義に対する直接民主主義の可能性についてもよく知っていた。アメリカの独立にたずさわった革命家たちは、植民地時代からニュー・イングランドに発達していた住民総会による小規模ではあるが組織的なコンセンサスの形成方法についても、よく知っていた。しかし、直接民主主義の短所と限界もよく知られており、当時としてはその印象のほうが強かった。
  合衆国において国民投票を提案しているマッコーレイ、ルード、ジョンソンの三人は、「米国憲法批准促進のための当時の論文集『ザ・フェデラリスト』には、直接民主主義に対する反対理由が、二つ挙げられている。一つは、直接民主主義は民衆の一時的、感情的な反応を抑制し、冷却するための備えを欠いているという理由であり、二つ目は、当時の通信技術では、意見の集約ができないということだった」と書いている。
  この指摘は正当である。例えば1960年代半ばの、挫折し怒りに燃えたアメリカの民衆は、ハノイに原子爆弾を投下すべきか否かについて、どのような投票をしたであろうか。バーダー=マインホッフ一派のテロリストに激怒していた西ドイツの民衆は、そのシンパを強制収容所に収容しろという提案について、どういう反応を示したであろうか、ルネ・レヴェスクが権力を握った一週間後に、ケベックについてカナダ人が国民投票を行ったら、いったいどういうことになっていたか。選挙で選ばれる議員たちは、おそらく、民衆ほどは感情的でなく、またより慎重な態度をとるはずだ。
  しかし、民衆の反応が感情過多におちいりやすいという問題は、さまざまな方法によって克服できる。たとえば、直接選挙民に問う国民投票などの直接民主主義の形態を経て決定された重要議決は、実行に移される前に冷却期間をおくとか、二回目の投票を行うとか、いろいろな方法をとりうるはずである。
  もうひとつの反対理由も解消しうる。というのは、以前のように通信技術上のネックが、広範な直接民主主義をとるための制約になることは今ではなくなったからだ。電気通信技術の目覚しい発展が、はじめて政策の意思決定に直接、市民が参加しうるさまざまな可能性を、一挙に拓いたのである。
  私たちは何年か前に、オハイオ州コロンバス市にあるキューブ・ケーブル・テレビジョン・システムを利用した、世界初の「エレクトロニクスによる住民総会」という歴史的な出来事について、意見を発表する機会にめぐまれた。この双方向の電気通信システムによって、コロンバス市郊外の住民は、地域計画委員会の政治的会合に、エレクトロニクスを通じて実際に参加したのである。地域の区画規制、住宅建設基準、高速道路建設案といった日常生活に関する提案に対して、住民は居間でボタンを押し、ただちに投票をすることができた。プッシュボタンを使って、議長に議題の次の項目に移るよう指図することまでできたのである。
  これは明日の直接民主主義の可能性に対する最初の、もっとも原始的な萌芽にすぎない。高性能コンピュータ、人工衛星、電話、ケーブルテレビジョン、新しい投票技術、そのほかの手段を使うことによって、歴史上はじめて教養ある市民が、みずから多くの政策決定に参加しうるのである。
  論点はどちらか一方ということではない。問題はロス・ペローがいっているような生噛りの“エレクトロニクスによる住民総会”にあるのではない。それよりさらに神経のこまやかな洗練された民主主義のプロセスが可能なのだ。間接民主主義か直接民主主義かとか、他人によって代表されるかみずから代表となるか、というような二者択一的問題ではないのである。 
  このほかにも、直接民主主義と間接民主主義を結びつける、さまざまな手順が考えられる。いまでも、アメリカ連邦議会をはじめとする、ほとんどの立法機関の議員たちは、委員会を設けている。ところが、放置されている問題や議論の焦点となっている問題を処理するために、立法者に委員会を作らせようとしても、市民にはその方策がない。立法者が重要だと思う事柄ではなく、市民が重要だと思う事柄について、立法機関に委員会を設置するよう直接請願する権限が、なぜ選挙民には与えられていないのだろうか。
  こうした空間的ともいえる提案を私が繰り返し行っているのは、何がなんでもこうした方法を実行してほしいからではない。より共通性のある、基本的な事柄を力説したいだけなのだ。つまり、現行のシステムはいまや崩壊寸前の状態であり、それを適切な代議制だと感じている人もほとんど見当たらないほどだが、それでもこのシステムを民主化し、より開かれたものにしていく強力な方法があるということを言いたいのである。しかし、そのためには、過去三百年間使い古してきた、決まりきったやり方を度外視して考え始めなれけばならない。すでに過去となった第二の波の旧態然たる観念、規範、機構では、もはや問題を解決することはできないのである。
  新たな提案には、不確定な要素がふんだんに含まれているはずだから、広い規模で適用する前に、慎重な、地域的実験を行う必要がある。われわれが個々に提案についてどう感じようとも、代議制民主主義への異議が強まりつつあるときだけに、直接民主主義への、古臭い反対意見が弱まりつつあるということは断言できる。
  半直接民主主義は、危険でとっぴなものだと思う人がいるかもしれないが、未来のための、新しい、有効な制度を設定していくうえで、穏当な原理であるといってよいであろう。

決定権の分散
  政治のシステムを、少数派の勢力にもっと開放すること、また市民がみずからの統治に、より直接的な役割を果たしうるようにすること、これらはいずれも必要なことではあるが、必要な方法の一部にすぎない。明日の政治にとって不可欠な第三の原理は、決定にあたっての行き詰まりを打開し、決定権を、それにふさわしい場に移行することをめざしている。これは単に指導者の交代をはかるということではなく、政治的麻痺状態に対する解毒剤である。私はこれを「決定権の分散」と呼ぶ。
  問題によっては、地域レベルで解決できないものもある。また、国家レベルでも答を見出しがたいものもある。各種のレベルで、同時に行動する必要のある問題もある。さらに、問題を解決すべき適切な場は一個所にかぎらず、時とともに変わるのだ。
  今日の決定の行き詰まりは、制度上の過負荷に起因するのだが、これを改善するためには決定権を分け、再分配する必要がある。問題の必要性に応じて、もっと広範囲に決定権を配分し、意思決定の場を入れ代えることが必要なのである。
  今日の政治制度は、この原理に大変そぐわないものになっている。問題は移されても、決定権は移行しない。あまりにも多くの決定権が集中化するため、国家レベルにおいては、制度上の機構がきわめて複雑化する。これとは対照的に、国際政治のレベルでは十分な決定がなされておらず、必要的な機構の整備も、ひどく遅れている。また、国内の地域、州、地区、地方、地理的に区別できない社会集団、といったレベルでは、決定権はなきに等しい。

  三百年前に産業革命がはじまった当時、国家がまだ未発達だったように、今日、われわれは、国際政治のレベルでは、原始的かつ未熟な段階にある。いくつかの決定を国民国家から「上部」に移すことによって、現在われわれがかかえているもっとも困難な問題の多くが、しかるべき段階で効果的に決定されうるし、加えて、意思決定の過負荷にあえぐ国民国家の重荷を、軽減することが可能になる。決定権の分散は不可欠なのだ。しかし決定の段階を上部に移すだけでは、問題は半分しか解決できない。意思決定のかなりの部分を、国家という中枢から下位に移す必要があることも、明らかである。
  この問題もまた、どちらをとるかという性質のものではない。純粋に中央集権対地方分権ということではないのである。現在のシステムは、中央集権に力点をおきすぎているため、新しい情報が中枢の意思決定機関に洪水のように注ぎ込み、にっちもさっちもいかない状況を作り出している。したがって、問題は、決定権をいかに、合理的に再配分すべきかということなのである。 
  だが、地方分権さえ実現すれば、民主主義が保障されるというものでもない。地方においても悪質な専制政治が可能である。地方政治は国政よりはるかに腐敗している場合が多い。また、地方分権と受け取られていることでも、中央集権の座にいる者の利益を守るための、一種の擬似地方分権にすぎないことがよくある。
  しかし、こういう悪い前例があるにしても、中央権力の実質的な委譲なしには、多くの政府が適切な判断を下し、秩序を回復し、能率的な行政を行いうるようになる可能性はない。決定の負担を再配分し、その相当量を下部に移管することが必要である。
  これは、ロマンティックな無政府主義者が「村落民主主義」の復興を願っているからでもなく、また腹を立てた裕福な納税者が、貧しい人びとへの福祉事業を削減してほしいと望んでいるからでもない。中央権力の委譲が必要なのは、政治機構なるものは、いかに多くのコンピュータを備えていてもそれ相応の情報しか扱えないし、質量ともに限られた決定しか行えないからであり、また、決定事項の集中が、政府を圧迫し、いまやその限界を超えるにいたっているからなのだ。
  さらに行政制度は、経済の構造や情報システムなど、文明の主要な要素と、相互に関連を保たなければならない。われわれの今日、生産と経済活動の根本的な分散化を目の当たりにしている。まさに経済の基礎的な単位は、もはや国民経済ではないといっていい。 
  すでに私たちが指摘したように、それぞれの国民経済のなかに、広範な強い結合力をもつ地域的な下部経済が出現している。企業のレベルでは、組織内部の分権化と地域的な分権化とが進行しているのだ。
  これはある面では、社会における情報の流れが、大規模に転換していることの反映にほかならない。前にも述べたように、中央のネットワークの力が弱まるにつれ、通信機関の根本的な分散化が進行しているのだ。ケーブル・テレビジョン、カセット、コンピュータ、エレクトロニクスを使った私設通信連絡システムなどが、驚くべき勢いで普及し、これらすべてが、分散化という同一方向に向かって進んでいる。ひとつの社会において、経済活動、通信機関、そのほか多くのきわめて重要なプロセスの分散化が可能となるためには、遅かれ早かれ、政府の意思決定もまた、分散化されなければならない。
  これは現行の政治制度の、単なる化粧なおしをしようということではない。当然そこには、予算、税金、土地、エネルギーなどの資源の管理について、広範な闘いが予想される。決定権の分散は、容易には実現しないだろう。しかし、集権化しすぎた国々においては、それはどうしても避けて通るわけにはいかない問題なのである。

エリート層の拡大
 「決定の負担」という概念は、民主主義をどのように解釈する場合にも、きわめて重要な要素となる。いかなる社会も、その社会が機能するためには、質量ともに一定の政治的決定を必要とする。実際、それぞれの社会は独自の決定機構をもっている。社会を管理していくのに必要な決定が、おびただしい数にのぼり、変化に富み、頻繁になり、複雑になればなるほど、それだけ政治的な「決定の負担」が重くなる。この負担をどのように分かち合うかにより、社会における民主主義の水準が大きく変化する。
  分業がほとんど行われておらず、変化が緩慢だった産業化以前の社会では、実際にものごとを管理運営していくために必要な政治的、行政的な決定は、ごくわずかですんだ。決定の負担が小さかったのである。封建君主国のたいした教養もなく、専門的知識もない支配エリートでも、下からの助けを借りずに、みずから決定をくだし、なんとかやっていくことができた。
  いまわれわれが民主主義と呼んでいるものは、決定の負担が、旧来のエリートに処理しきれないほどに急にふくれ上がった時代に、突然現れたのである。第二の波の到来は、市場の拡大と大幅な分業をもたらし、社会は飛躍的に複雑さを増した。そのとき、第三の波が今日ひき起こしているのと同じような、決定の過負荷が起こったのである。
  その結果、古い支配グループの決定能力が機能不全に陥ったため、新しいエリートとサブエリートが、決定の負担に対処するために補充されなければならなかった。革命的な新しい政治制度が、この目的のために設計される必要があったのだ。
  産業社会が発展し、その複雑さの度合いが高まっていくにつれ、「権力をつかさどる専門家」である統括エリートは、拡大していく決定の負担を分かち合ってくれる新しい人材を、補充し続ける必要があった。社会の中間層を次第に政治の舞台に引き入れていったのは、目に見えない、だが動かしがたいこの過程にほかならなかった。たえず特権的な場をひろげ、適当なポストを作っては人材登用をはかり、社会的上昇の道を開いたのは、意思決定の必要性がひろがったからである。
  この図式が大局的に見て正しいとしたら、民主主義の拡張は、文化とか、マルクス主義者のいう階級とか、戦場での勇気とか、雄弁とか、政治的意思などによって左右されているのではなく、むしろ、いかなる社会においても、その決定の負担の如何にかかわっているのだといってよかろう。重い負担は、最終的には、より広い民主的な政治参加を通じて分担されなければならない。したがって、社会体系のなかで決定の負担がひろがっていくあいだは、民主主義は選択の問題ではなく、必然の進化だということになる。社会のシステムは、それなしでは機能しえないのである。
 こうしたことを考えてみると、われわれは、まさにいま、民主主義の大きな前進の時を迎えている、といえよう。いまや意思決定の過負荷は、それぞれの国の大統領、首相、そして政府をも圧倒しようとしている。だが、まさにこの過負荷のおかげで(産業革命以来はじめてのことだが)政治参加の急激なひろがりを予測させるエキサイティングな状況が生み出されているのである。
  われわれは政治について新しい制度を求めていると同時に、家庭、教育、企業の新しいあり方を求めている。それは、われわれが新たなエネルギー体系、新たな科学技術、新たな産業を追求していることに深くかかわり合うものであり、また、通信手段の大変革や、非産業世界との関係の組みなおしを求める声にも呼応する。端的にいえば、それは、さまざまな領域において急速に進行している諸変化の、政治的反映といってよい。
  この関連を無視するならば、毎日の新聞をにぎわしているさまざまな出来事の意味を理解することすらできない。今日、もっとも重要な問題は、もはや富める者と貧しき者の闘争でもなければ、支配的な人種と迫害された人種のあいだの闘争でもない。資本主義と社会主義とのあいだのビジョン闘争でもないのだ。今日、決定的意味をもつ闘争は、産業社会を支持し、これを守っていこうとする者と、それを越えて前進しようとする者との間に繰り広げられる闘争であって、それは、明日のための大闘争ともいうべき闘いなのである。

創造者たるべき運命
 ある世代は文明を創造するために生まれ、ある世代はそれを維持するために生まれる。第二の波の歴史的変革をもたらした世代は、時代の要請によって、いや応なく創造者になった。モンテスキュー、ミル、マディソンといった人びとは、今日なおわれわれが何の疑問ももたずに受入れている政治形態の大部分を作り出した。第一の波と第二の波の二つの文明のはざまに捉えられたこの人びとにとって、創造は彼らの背負う運命だったのである。
  今日、家庭、学校、会社、教会など、社会生活のあらゆる領域で、あるいはエネルギー体系や通信機構のなかで、われわれは第三の波の新しい諸制度を創造する必要に迫られている。多くの国で、無数の人間がすでにそうした創造活動を開始している。しかしながら、われわれの政治生活ほど老朽化が進行し、危機に瀕している領域はほかにあるまい。しかも、抜本的変革のために欠かせない想像力、実験、心の準備がこれほど弱い領域も、今日、ほかに見出せないのである。
  法律事務所、実験室、台所、教室、会社などで、自分の仕事を勇敢に刷新しようとしている人びとですら、憲法や政治制度が老朽化し、抜本的に整備する必要があるなどといわれると、たちまち態度を硬化させるように思われる。彼らにとって、政治体制を根底から変えるなどということは、想像しただけでも、ぞっとすることなのだ。いかに現実と乖離し不合理であっても、現状が、考えうるすべての世界のなかで最善のものに思えてくるらしい。
  逆に、どんな社会にも、第二の波の時代おくれの仮説に浸りきった、偽者の革命家というアウトサイダーがいる。彼らは、いかなる変革案が提示されても、十分革新的とは考えない。古典的マルクス主義者、無政府主義的ロマンチスト、右翼狂信者、机上の空論をふりまわすゲリラ、正真正銘のテロリストなどがそれで、彼らは、全体主義的テクノクラシーとか、中世的ユートピアを夢みているにすぎない。われわれが、歴史の新しい領域へ邁進しているというのに、彼らは、過去の政治論文の色あせたページから抜き出した革命の夢を、後生大事に育んでいる。
  この大闘争が激化するとき、そこに待ち受けているものは、往時の革命劇の再演ではない。大衆を引き連れた特定の「前衛党」が、中央からの指令に基づいて、権力の座にあるエリートを打倒することでもない。テロによって誘発される自然発生的な、単なるカタルシスにすぎない大衆蜂起でもない。第三の波の文明にふさわしい新しい政治構造は、たったひとつの大変動がクライマックスに達したときに一気に実現するわけではなく、何十年かにわたり多くの場所、さまざまなレベルで生じる無数の改革や衝突の結果としてもたらされるであろう。
  そうはいっても、明日へ向かうみちすじで暴力沙汰が起こらないという保証はない。第一の波から第二の波への移行は、戦争、暴動、飢饉、強制移民、クーデター、惨事など、血に染まった一連の長いドラマであった。今日、利害関係の対立はいっそう厳しくなっており、短い時間のうちに急速な変化が起こるはずだから、危険はむしろ大きくなっているのだ。
  この危機をうまく乗り切るかどうかは、現在のエリート、サブ・エリート、超エリートたちの、柔軟性と英知にかかっているところが多い。もしこうしたエリート集団が、過去の支配者集団のほとんどがそうだったように、近視眼的で想像力に欠け、そのうえ臆病であるならば、彼らは第三の波にかたくなに抵抗し、そうすることによって、暴力の発生と自滅の危険を増大させるであろう。
 逆に、もし第二の波のエリートが第三の波に適応していくならば、もし民主主義を拡大する必要を認めるならば、ちょうど第一のもっとも知性のあるエリートたちが、科学技術を基盤とした産業社会の到来を予想して、その創造に参加したように、第三の波の文明の創造過程に参加することができるであろう。
  国によって事情は異なる。しかし、現在ほど多数の人間が高等教育を受けた次代は、歴史上かつて存在しなかった。人びとは信じがたいほど広範な知識によって、集団的に武装している。また、これほど多くの人びとが、これほど水準の高い豊かな生活を享受した時代もなかった。この豊かさは、おそらく安定した豊かさとはいえないとしても、人びとに、市民として社会的関心をいだき、行動を起こすだけの時間と能力を与えてくれた。これほど多くの人びとが旅行し、交流し、ほかの文化から学ぶことのできる時代はなかったのである。そして、何にもまして言えるのは、いま必要とされている変革が、根底からの変革でありながら、平和裡に成し遂げられることが保証されているおかげで、かくも多くの人びとが、いまだかつてなかったほど多くの利益を享受してきたということである。
 いかに啓蒙されたエリートであれ、彼らだけで新文明を創造することはできない。全人類のエネルギーが必要である。そうしたエネルギーは、すでに利用できる状態となっており、解き放たれる日を待っている。実際、もし、完全に新しい制度と憲法の創造を次代の確たる目標として掲げるならば、とくにハイテク国家においては、いますぐにでも物質的エネルギーよりはるかに強力な力、すなわち集団的想像力を解き放つことができるのだ。
  前述した少数勢力(マイノリティ・パワー)の重視、半直接民主主義の確立、決定権の分散という三つの原理を基盤とするこれからの政治制度は、早く設計を開始すればするほど、平和裡に現行の制度から移行できる可能性が高くなる。逆に危険度を高めるのは、変革そのものではなく、変革を妨げようとする試みである。流血の危機を生むのは、老朽化した制度を守ろうとする盲目的な試みにほかならない。
 したがって、暴力的な混乱を避けようとするならば、世界的傾向である政治機構の老朽化の問題に、われわれは即刻取り組まなければならない。しかも、憲法学者や法律家、政治家といった専門家にとどまらず、市民団体、労働組合、教会、婦人団体、民族的・人種的マイノリティ-集団、科学者、主婦、ビジネスマンなど、一般大衆にも、この問題を提示していかなければならない。
  われわれは、まず第一歩として、第三の波の文明が求めている新しい政治制度の必要性をめぐって、もっと広範な大衆討議をはじめなければならない。われわれは、会議、テレビ番組、コンテスト、シュミレーション、模擬憲法制定議会などを実施して、政治再建のための、想像力にみちた提案を幅広く集め、新鮮な着想を呼び覚まさなくてはならない。人工衛星やコンピュータから、映像用ディスクや双方向テレビにいたるまで、利用しうる最新の手段をフルに使いこなしていく、積極的姿勢がなければならない。
 未来が何をよしとするか、第三の波の社会において、何がもっともよく機能するか、だれにもその詳細はわからない。したがって、われわれが想定すべきは、一回かぎりの大規模な再編成とか、トップから強要された一回かぎりの革命的な大変革ではなく、無数に分散された、慎重な実験である。そのためには、政治的意思決定の新しい、多様なモデルを、国家あるいは国際レベルに適応する前に、州や県ないし市町村レベルで、試してみる必要があろう。
  それと同時に、国家あるいは国際レベルの新制度についても、同じような実験と革新的な再設計を行なうために、その支持層を作りはじめなければならない。今日、世界各地に広まった第二の波の諸政府に対する幻滅感、怒り、苦々しい思いは、全体主義的指導者を求める扇動者によってファナティックな騒乱へと駆り立てられていくか、あるいは民主主義の再建のために結集されるかのいずれかなのである。
  広範な社会学習を開始し、予想される将来の民主主義について、多くの国でいっせいに実験を試みることによって、われわれは全体主義の攻勢を未然に防ぐことができる。何百万という人間に、前方に待ち受ける混乱や危険に対する、十全の準備を整えさせることもできる。そのうえで、必要な変革を促進するために、既存の政治制度に対して、戦略的圧力をかけることもできる。
  このような下部からの強力な突き上げがなければ、大統領をはじめとする行政官、議員、主要な委員会の委員など、今日の名目上の指導者たちが、既存の諸制度に挑戦することは期待できない。いかに老朽化していようとも、それは彼らに権威や金銭を与え、もはや実体がないにせよ、権力の幻想を与えている制度だからである。長期的展望をもった政治家や役人がまれにいて、政治変革をめざす闘争に早くから支持を表明するかもしれない。だが大部分は、外部からの要請に抗しきれなくなるか、ないしは、すでに危機が高じて暴動に発展しかねないという、せっぱつまった状況にでも追い込まれなければ、動き出そうとはしないだろう。
 ゆえに、変革を起こしていく責任は、われわれが負わなければならない。まず自分のことからはじめなければならないのだ。斬新な考えをもつ人、意外な発想をもつ人、急進的だと思える人に対して、あらかじめ心を閉ざしてしまうことのないよう、自戒しなければならない。それは、思想的暗殺者を排除する闘いである。彼らは、既存のあらゆるものが、いかに不合理で、圧制的、非機能的であろうと、その現実性を理由にそれらを擁護する。その一方で、新しい試みについては、いかなるものをも非現実的であると決めつけて、抹殺しようとするのである。それはまた、表現の自由(たとえ異端であろうとも、自分の思想を表明する権利)を守るための闘いでもある。
  われわれは、とにもかくにも、早々に政治制度の再建に取りかからなければならない。既存の政治制度の崩壊が進行すれば、街頭に独裁者の軍勢が送り込まれ、二十一世紀の民主主義への平和的移行が不可能になってしまうからだ。
  もし、いま改革に着手するならば、われわれとわれわれのこどもたちは、老朽化したこの政治構造だけでなく、文明そのものを再構築するという、心躍る事業に参加することができるだろう。 
 いまは亡き革命家たちと同じように、われわれも創造者たるべき運命を背負っているのである。

第三の波の政治 第8章 第三の波の基本原理

2011年11月18日 18時34分10秒 | 第三の波の政治
本著で、主張する核心部分がこの第8章です。
第二の波のシステムを延命するための思考と第三の波に以降するための思考を区別できるよう、見極め方を5点に分けて述べています。しっかり読みましょう。

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第三の波の政治 中央公論社刊 1995.7.7発行
第8章 第三の波の基本原理 p.141~p.153

激しく渦巻く変化の波に取り巻かれ、よりいっそう迅速に反応することを求められているわれわれ現代人は、あたかも、止めることのできない巨大な波に向かって抜き手を速めようとしているかのような感覚をいく度となく味わう。だが、これは錯覚ではない。現に、そのような事態が頻繁に生じているのである。したがってわれわれは、この波を乗り越えるために、サーファーのように波の力を利用しながら前進する術を、いまこそ体得すべきだと思われる。
これまで述べてきた第三の波が、アメリカを、より市民的で、より民主的な、よりよい未来へと運んでくれる可能性は十分にある。しかしそのためには、国民自身が、第二の波の経済・政治・社会政策と第三の波のそれを峻別することが必要だ。これほどまでに多くの改革が、よかれと思って実施されながら、事態の悪化を印象づけるだけで終わってしまうのは、この見きわめがきちんとなされていないからにほかならない。
われわれがいま経験しているのは、新文明(その制度は、いまだ確立されていない)を創出するにあたっての産みの苦しみなのである。それゆえ、今日、政策立案者と政治家、それに政治活動を行なう市民が現在の自分たちの動きの何たるかを真に理解しようと思うなら、崩れゆく第二の波のシステムの延命を目的とした計画案と、第三の波の文明への移行を円滑に進めていくための案とを区別できるようになることが、まずもって必要なのだ。
したがって、ここでは、両者の見分け方をいくつか取り上げてみることにしょう。

1 工場運営との類似性
 工場は、産業社会を象徴する主要な存在だった。事実、第二の波の制度の大半が工場運営をモデルにして作られた。だが、われわれの知っている、そうした工場も、いまや過去のものとなりつつある。工場が運営上の原則としていたのは、規格化、集権化、最大化、集中化、官僚化などだったが、第三の波の生産は、新たな原則に基づく脱工場生産となる。しかも、この生産は、工場とはほとんど類似性をもたない場所で行なわれる。現時点でもすでに、自宅や会社、あるいは車や飛行機のなかなどで行なわれる生産活動が増加している。
 議会においても、企業においても、第二の波の提案を見抜くためのもっとも簡便な方法は、その提案が(意識するとしないとにかかわらず)依然として工場運営をモデルにしているかどうかを見きわめることだ。
 例えば、アメリカの学校運営はいまだ工場型である。そこでは、原材料(すなわち子供)が、規格化された指示とお定まりの検査のもとで処理されている。したがって、いかなるものであれ、教育を刷新するための案が提示されたときには、それが、単に学校工場の効率を高めるためのものなのか、それとも学校から工場方式を完全に払拭し、個々の生徒を対象にした特別注文型の教育を実現しようとするものなのか、という違いが重要なポイントになる。保健法や福祉法についても、また、連邦制に基づく官僚制の再編をもくろむ、ありとあらゆる提案についても同じことがいえる。いかなる場合にも、アメリカが必要とする新制度は、官僚制を脱した脱工場方式に基づくものであることを忘れてはならない。 
 工場型運営の改善や工場そのものの新設だけを求める提案にも、それなりにいろいろな意味があるかもしれない。だが、それは、断じて第三の波の提案ではないのである。

2 大量化社会との関連
 ハード中心の第二の波の経済のなかで工場運営に携わった人たちは好んで、アセンブリー・ラインに適する、交換可能で従順な労働者を数多く求めた。その結果、大量生産、大量販売、大衆教育、マスメディア、そして大衆娯楽などが社会の全域にひろがり、それに伴い、第二の波そのものも「巨大な塊」を形成するにいたったのだった。
 第三の波の経済が必要とし、将来多くの報酬を出すことになるであろう労働者は、第二の波の労働者とは本質的にタイプを異にする。彼らは思考し、疑問を抱き、古きを刷新し、企業のリスクを積極的に担う。つまり、彼らは、簡単には交換のきかない労働者なのである。したがって、第三の波の経済が好むのは、個人ベースの動き(必ずしも個人主義と同じではない)だともいえる。
 新たな頭脳経済は、必然的に社会を多様化する。例えば、コンピュータ化された特別注文生産は、きわめて多様なライフスタイルを生み出す可能性がある。11万の異なる製品を取り扱っている、各地のウォルマートや、種々のコーヒーを用意しているスターバックスを見ただけでも、ほんの数年前のアメリカとは隔世の感がある。だが、ことは物品の変化にとどまらない。それにも増して重要なのは、第三の波が文化、価値観、さらには道徳さえをも多様化していくことなのだ。非マス化したメディアは、しばしば衝突し合う多種多様なメッセージを文化のなかに送り込む。仕事だけではなく、余暇の過ごし方や芸術様式も多様化するし、政治活動も多様化する。また、宗教・信仰集団の数もふえていく。しかも、アメリカという多民族国家では、民族、言語、社会文化の各面において、集団の細分化も進むことが予想される。そうした流れのなかで、第二の波派は、大量化社会の維持か、ないしは復活を望む。それに対して、第三の波派は、非マス化を己のために活用する手立てを模索するのである。

3 籠のなかの卵の数
 第三の波の社会の多様性と複雑さは、極度に中央集権化した機構の回路を打ち砕く。問題を解決するにあたり、権力をトップに集中するのが、第二の波の常套手段だった。しかし、時に集権化が必要な場合があるにしても、現在みられるような、バランスを欠いた過度の集権化は、あまりにも多くの決定事項という卵を一つの籠のなかに詰め込むため、「過負荷」による決定機能の麻痺を引き起こしてしまう。かくして今日、ワシントンでは、議会と政治が、急速に変化する複雑な問題、しかも彼らだけで理解するのがますます困難になっていく諸問題を手に余るほど抱え込んだ結果、決定を下しきれなくなり、焦りに焦っているのである。
 一方、第三の波の機構は、トップによる決定を可能なかぎり避け、それを周辺に委ねる。企業は、いま急いで社員の権限を強めようとしているが、これは愛他主義に基づくものではなく、下部の人間のほうが、おおむね、よりよい情報をもち、危機に対応するにも、好機に処するにも、上部の有力者より機敏に動くことができるからなのだ。
 卵をすべて一つの籠に入れるのをやめ、それらを多くの籠に分散すべきだという発想はべつに新しいわけではないが、第二の波派はこの考えをひどく嫌うのである。

4 垂直統合型企業組織か、それとも仮想企業組織か 
 第二の波の機能は、長年にわたり職務をふやしつづけた挙げ句、贅肉だらけになっている。第三の波の機構は、職務をふやさずに、削るか、ないしは下請けに出し、スリムな体を保つ。だからこそ、氷河期が近づき恐竜が絶滅しても、それらは生き延びていけるのである。
 第二の波の企業組織は、「垂直統合」(例えば、自動車を製造するには、鉄鉱石を掘り出し、それを製鉄所に送ってはがねにし、しかるのち自動車工場に発送するまでの全過程を統合しなければならないという考え方)を強く志向する傾きがあり、その衝動を自ら抑制することがなかなかできない。それにひきかえ、第三の波の企業は、できるだけ多くの仕事を外注する。下請け先の多くは、より小規模で、より専門化されたハイテク企業か、場合によっては個人となる。そのほうが仕事の質がよくなるうえに、時間がかからず、しかも低コストですむからだ。第三の波の企業は、極限に向かって意図的に空洞化されていく。人員はぎりぎりまで削減され、生産活動が行なわれる場所は分散する。そして、組織そのものが、バークリーのオリバー・ウィリアムソンのいう「契約の絆」へと変貌していく。
ロンドン・ビジネス・スクールのチャールズ・ハンディが論じているように、こうした「目につかないが、最小限の規模で最大の効果を生み出そうとしている企業」が、いまや「現代世界の要」になっているのである。
 ハンディは、さらに、われわれの多くは、直接雇われていなくても、それらの企業にサービスを売るかたちになる、と指摘したうえで、「それゆえ、社会の富は、そのような企業を主体にして築かれるであろう」と結論している。第三の波の情報と通信技術によりはじめて可能になる、この本質的に新しい形態の「仮想」企業組織について言及しているのは、ハンディとウィリアムソンだけではない。
 ところで、本書の著者の一人であるハイジ・トフラーは、かつて「和合」という重要な概念を導入した。彼女は、公共部門と民間部門のそれぞれの組織形態のあいだには何らかの和合性が設けられなければならず、さもないと互いに首を締め合うことになってしまう、と考えたのだった。なにしろ、民間部門が超音速ジェット機に乗って飛び出しているのに、公共部門は、飛行場の入口で、まだ荷物さえ下ろしていないというのが今日の状況なのである。
 政策ないしは計画の評価をするさいには、それを実施するのが、組織の垂直統合を志向する人たちか、それとも仮想企業組織を追求する人たちか、を問わなければならない。この問いに対する答が得られれば、その政策あるいは計画が、機能不全に陥った過去の延命を図ろうとしているのか、それとも未来との出会いへと人びとを導こうとしているのかが容易に判別できるようになるだろう。

5 家庭の強化
 産業革命以前の家族は大家族で、生活は家庭を中心に展開された。家庭は、仕事の場であり、病人を看護する場であり、子供を教育する場であった。そこは、また、家族の憩いの場でもあり、老人を介護するための場でもあった。第一の波の社会では、大規模な拡大家族が社会の中核をなしていたのである。
 家族という強力な制度の衰退は、スポック博士やプレイボーイ誌などの出現とともにはじまったわけではない。それは、産業革命が家庭から、いま述べたような機能の大部分を奪った時点ではじまった。仕事は工場やオフィスで行なわれるようになり、病人を介護する場は病院へ、子供たちの教育の場は学校へ、そして夫婦の娯楽の場は映画館へと移された。また、老齢者は、養老施設に入るようになった。こうしたことがすべて表面化したあとに残ったのが「核家族」である。この家族形態を支えたのは、家族構成員が一つの単位として果たす仕事ではなく、いともたやすく切れてしまいがちな心理的絆だった。
 第三の波は、家族と家庭にふたたび力を与え、かつて家族を社会の中核にしていた機能の多くを蘇らせる。現在、コンピュータやファックスなど第三の波の技術を利用しながら、仕事の一部を家で行なっているアメリカ人の数は、推定で三千万人にも上がっている。子供を家庭で教育しようとしている親たちも多い。しかし、本当の変化がはじまるのは、コンピュータ付きテレビが家庭に入り込み、それが教育手段に組み込まれるようになってからだろう。病人はどうか。妊娠検査や血圧測定など、以前は病院と医院の医療業務だったものが、どんどん家庭で行なわれるようになってきた。こうした現象は、家庭、および家族の役割が強まりつつあることを示している。ただし、ここでいう家族には、核家族、多世代にまたがる拡大家族、再婚者同士からなる家族など、大小さまざまな形態の家族が含まれるうえに、小家族には子なし家族が、子なし家族には夫婦が高齢になってからの出産を計画しているものも含まれる。このように家族構造が多様化していく背後には、すでにみてきたように、第二の波の大量化社会の非マス化に伴う、経済・文化の多様化がある。
 皮肉なことに、現在「家族の価値」を説く人びとの多くは、より強い家族を生み出す方向に動かずに、核家族への回帰を促している。彼らは、第二の波の規範をとり戻そうとしているのだ。もし、私たちが真に家族の強化を望み、家庭をふたたび社会の中核となる機関にしたいと思うなら、顛末な問題を忘れ、多様性を認めたうえで、重要な仕事を家庭に引き戻すよう努めなければならない。それから、もう一つ。テレビのリモコンの管理は、ぜひ親にさせたいものだ。

*      *      *

 アメリカは、新しいことが他の国に先駆けて起こりやすい国である。古い制度の崩壊に苦しんでいるのがアメリカなら、新しい制度を求めて道を切り開いているのもアメリカなのだ。いま私たちアメリカ人は、暗中模索の状態で暮らしている。バランスを崩し、ひっくり返る恐れもある。自分たちがどこへ向かっているのかということについて(また、どこへ向かうべきかということについてさえ)断定できる人はいないのである。
 そんななかでわれわれは、どのグループもとり残さないよう気を配りながら手探りで前進しつつ、われわれ自身のなかに未来を作り上げていく必要がある。以上述べてきた数少ない判断基準だけでも、第二の波の過去に根ざした政策と、第三の波の未来への歩みを後押しできる政策とを区別するのに役立つはずだ。ただし、どんな基準の場合でもそうなのだが、それらを一字一句そのまま機械的に適用したがる狂信的とさえ思える人が出てくる危険性がある。実際に求められているのは、それとは正反対な動きだということを忘れてはならない。
 新たな千年紀への素晴らしい旅に備えて荷造りをするにあたり、ぜひとも必要なのは、過ち、両義性、そしてとりわけ多様性を、ユーモア感覚と平衡感覚に支えられたひろい心をもって見ることである。これらは、私たちが生き延びていくのに欠かせないものなのだ。この旅は、おそらく、人類史上でもっともエキサイティングなものになるだろう。私たちは、いまこそ支度に取りかからねばならない。




第三の波の政治 第7章 支持勢力の衝突

2011年11月11日 12時00分57秒 | 第三の波の政治
第6章 社会主義と未来との衝突の復習の意味で、第二の波の政治を理解する上で、大阪市長選挙という事例を見ることができます。以下ダイヤモンドオンラインから引用
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ダイヤモンドオンライン 地方自治”腰砕け”通信記 第37回
 2011年11月9日 相川俊英

「反ハシズム統一戦線」に共産党まで相乗りする混沌
民意不在、投票率低迷の大阪市長選に何を問うべきか

日本共産党推薦の前市議が出馬を取り止め反橋下戦線が形成される大阪市長選
 11月27日投開票の大阪ダブル選挙に、新たな動きがあった。大阪市長選に共産党推薦で立候補予定だった前市議が4日、出馬の取り止めを表明したのである。「橋下徹氏の当選を阻止するために出馬断念を決意した」と関係者は事情を明かした。
 告示(11月13日)直前での出馬断念は2人目で、現職の平松邦夫市長と橋下徹・前大阪府知事の一騎打ちとなりそうだ。共産党は平松氏と政策協定などは結ばないものの、党の支持者らに平松氏への投票を呼びかけるという。
 これまで、市長選に独自候補を擁立し続けてきた共産党が今回、党の旗を降ろすことになった。1963年以来なので、48年ぶりである。さらに、自前の候補を出さないだけではなく、自民や民主と事実上、共闘するというのである。思わぬ展開に驚きの声が広がったが、方針の大転換の理由として「橋下氏の独裁を阻止するため」「大阪市を守るため」「民主主義を守るため」といったことが、切迫感とともに語られた。こうして現職と前知事による異例の市長選は、地域政党「大阪維新の会」と既成政党の大連合による激突となる。維新への完全包囲網が形成されたといってもよい。それほどまでに橋下氏と「大阪維新の会」は既成政党に敵視されている。なかには大阪の自治を守るための「反ハシズム(橋下的政治手法)統一戦線」だと鼻息荒くする人もいる。今回の大阪市長選の特異性は他にもある。というとやや大仰かもしれないが、市の助役(副市長・
以下同)出身の候補者が誰1人いない点だ。現職市長と前知事はともに民間出身で、行政職員の経験はない。大阪市において助役出身の候補者ゼロの市長選は、何と1955年以来の歴史的な出来事となる。自主財源の乏しい地方自治体の悲哀を表す言葉に、「3割自治」というのがある。国から配分される地方交付税や各種補助金に依存せざるを得ず、自治とは名ばかりの実態を揶揄するものだ。もちろん、固定資産税や法人市民税などに恵まれた有数の富裕自治体である大阪市は、これにはあてはまらない。だが、大阪市は別な意味で「3割台自治」といえる。何かというと、住民自治の土台となる市長選や市議選における投票率である。大阪市での選挙は低投票率に終わるのが恒例化している。たとえば、今回の市長選だ。戦後(1947年から)これまで18回実施されたが、このうち投票率が5割を超えたのはわずかに6回。それも昭和30年代が多く、最後に5割の壁を超えたのは、1971年の市長選挙である。大阪万博の翌年のことで、それ以来、40年間に11回の市長選が行なわれたが、このうち8回が3割台以下の投票率に終わっている。ワーストの投票率は28.45%(95年)だ。つまり、6割以上の市民が市
長選びに関与していないのである。市政に無関心だったり、そっぽを向いてしまったり、さらには参加そのものを諦めてしまっているのである。

投票率が上向くはずもない?選択肢が提示されない「中之島体制」
 ではなぜ、大阪市長選挙の投票率がかくも低迷し続けてしまったのか。選挙戦において、選択肢がきちんと提示されてこなかったことが挙げられる。助役出身者が候補者に担がれ、それを各党が相乗りで支援するパターンが定着したのである。端緒となったのが、1963年の市長選だ。このときは助役出身者同士の保革一騎打ちとなった。市の職員組合と社会党(当時)などが支援する候補と、市の管理職と自民党などが応援する候補が激突し、市役所を二分する激しい選挙戦が展開された。投票率は68%台にまで達し、革新系候補が勝利した。革新系市長はその後、2回の選挙を戦ったが、共産党から対立候補が出るだけの無風選挙となった。この市長が3期目の途中の71年に急死し、急きょ選挙となったが、このときも保革が相乗りで助役を擁立。共産党系の候補を大差で破り、助役出身候補・政党相乗り(自民・公明・社会など)・無風選挙が定着していった。選択肢が提示されない選挙で投票率が上がるはずもなく、3割台選挙が続くことになった。助役出身の市長が5代連続し、在任期間は計44年に及んだ。いわゆる中之島(大阪市役所)体制の確立である。ではなぜ、中之島体制が継続したのか。ポイントは、大阪市の潤沢な税の使い道。税収が右肩上がりする時代の話である。中之島体制の一員となれば、その配分に関与できる。そう考えるのが、人情だ。そして、いったん仲間入りしたら、自ら離脱するのもありえない。逆にメンバーの増加は取り分の減少につながることにもなる。市民の市政への関心が低下することは、むしろ、好都合の面もあった。特定の組織や団体、市民を対象とした税の大盤振る舞いが展開された。

ばら撒く米が尽き市民の目は厳しく熾烈な選挙戦の「本当の課題」とは?
 だが、こうしたバラ色(?)の時代がいつまでも続くはずもない。税収が右肩下がりとなり、大阪市も財政難に見舞われることになった。ばら撒く米が尽きたのである。税の使い方への市民の視線も厳しくなり、市職員への厚遇問題などが噴出した。大阪市役所に非難が殺到し、市政改革の断行を余儀なくされた。その改革の途上の07年に、前回の市長選が行なわれた。自民・民主・公明の相乗り体制はすでに崩壊し、民主党の推薦で現職を破ったのが、平松市長である。しかし、このときの選挙も投票率は低く、43.61%に止まった。市民の半数が市政に背を向けたままだった。さて、今回の市長選挙である。新たに共産党を加えた相乗りが復活し、激しい選挙戦が事実上、始まっている。一方が「反独裁」を叫べば、一方は「大政翼賛会だ」と批判する。互いに激しく
相手陣営を攻撃し合っているが、投票率を上げて民主主義の空洞化の進行に「待った」をかけることこそが、お互いの最重要課題なのではないか。

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自民だ民主だと言われて投票してきたけれども、どっちもどっちじゃないの?
と第二の波の利権政党は、皆飽き飽きしているのではないでしょうか?これは
アメリカも同じことで、来るべき第三の波の政党が現れることを皆期待しています。
では、本文を。

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第7章 支持勢力の衝突 

現代社会が直面する問題は数限りなくある。われわれは、滅びようとしている産業主義文明の退廃の匂いを嗅ぎ、その諸制度が効力を失い、腐敗して、次々に崩壊していくさまを目のあたりにしている。その結果、苦渋に満ちた空気のなかから根本的な変革を求める声がわき起こり、それに応じて、幾多の提案がなされている。いずれも根本的、抜本的な提案であると自称し、なかには革命的な解決策であると公言するものさえある。だが、問題の解決をうたいながら、どれほど新しい規則や法律を作り、計画と実践を繰り返しても、いっこうに成果は上がらない。いたずらに事態の悪化を招き、効果的な対策などないという無力感を煽るばかりだ。この無力感は、かの有名な「白馬の騎士」に対する憧れをかき立てるだけで、民主主義にとっては、きわめて危険なものである。したがって、勇気と想像力を奮って問題に立ち向かわなければ、私たちもまた「歴史のごみ捨場」で朽ち果てることになりかねない。
マスメディアは、アメリカの政治を、二大政党が延々と口論乙駁する舌戦のごとくに描き出す。だが、アメリカ国民は、メディアと政治家の両方に、冷やか、うんざりした、怒りのこもった目を向けており、その傾向は年々強まっていく。大方の国民からみれば、党利党略で動く政治は、金ばかりかかる、腐敗した、誠意のない影絵芝居のようなものであり、誰が勝とうと同じではないかという疑念は深まる一方だ。
確かに、誰が勝っても同じである。が、普通一般にいわれている理由によってそうなのではない。
1980年に発表した『第三の波』に、私たち筆者はこう書いている。
「今日の政治のもっとも重要な展開は、第二の波の文明を守る者と第三の波の文明へ進む者という二大陣営が、われわれの真ん中に生まれたことである。一方は、核家族、公共教育制度、大企業、大労働組合、集権的民族国家、似非代議制政体といった産業主義大衆社会の中核をなす諸制度の維持に、執拗に取り組んでいる。他方は、現制度の能力的限界に気づき、エネルギー、戦争、貧困からの環境破壊や家族関係の崩壊など、もはや産業主義の文明の枠内では解決できない緊急な問題を認識している。
両陣営のあいだには、まだ、はっきりした線は引かれていない。個人としては、われわれの大部分は、両陣営に片足ずつ突っ込んでいる。問題点はまだぼやけていて、相互の関係も明確ではない。そのうえ両陣営とも、長期の見通しを持たずに狭い意識から私利の追求に汲々とするグループがいる。どちらの陣営も、まだ倫理の独占を果たしていない。どちらにも、尊敬に値する人がいる。にもかかわらず、両陣営の深層にある政治構造には、非常に大きな違いがある」(中公文庫『第三の波』より)。

過去を擁護するロビー活動
 国民がこの分裂のもつ重大な意味にいまなお気づいていないのは、じつに、古い体制の利権をめぐってさまざまな第二の波の集団が日常繰り広げる政治的な衝突のみが、過大に報道されているからにほかならない。それぞれちがいはあっても、これら第二の波の集団は、第三の波の勢力に主導権を奪われまいとするときも、すぐさま結束する。
 だからこそ、1984年、民主党の大統領指名選挙に立候補したゲーリー・ハートが、「新思考」を求めてニューハンプシャーの予備選挙で勝利したさい、古い第二の波に属する民主党の大物連が一致団結してハートに反対し、代わりに、生粋の第二の波の思考の持ち主で、いかにも無難なウォルター・モンデールを指名したのである。
 第二の波のネーダー主義者と、やはり第二の波のブキャナン派がNAFTAに反対する共通の理由を見出したのも、同じ理由からであった。
 議会が1991年にインフラ法案を可決した理由もそこにある。この法案により、1500億ドルが道路や橋の建設補修に配分され、第二の波の企業や職場や労組を大いに潤したが、盛んに喧伝されていた電子スーパーハイウェーの建設助成にはわずか10億ドルしか回されなかった。いかに必要なものであれ、道路や橋は第二のインフラの一部にすぎない。それに対して、デジタル・ネットワークは第三の波のインフラストラクチャーの衷心となるものである。ここで問題なのは、政府がデジタル・ネットワークを助成すべきかどうかということではなく、政府部内での、第二の波と第三の波の勢力バランスがとれていないということなのだ。
 片足の爪先を第三の波に濡らしたゴア副大統領が、どれほど努力しても、第三の波の方向へと政府を「改造」できないでいるのも、このアンバランスのためだ。中央集権的な官僚機構は、典型的な第二の波の社会組織形態である。競争原理で動く先進的な企業が、非効率的な機構を解体し、新しい第三の波の経営形態を創始しようと必死に努力をつづけているときでさえ、第二の波の公務員組合に守られた政府機関は、大部分が改革も強化も改造もせずに済ませてきた。つまり、旧来の第二の波の構造を保持してきたのである。
 第二の波の原理を使って富と権力を得てきたがために、この波のエリートたちは、保持できるはずのない過去を、保持したり、取り戻したりしようと躍起になっている。だが、新しい生活様式への転換にさいして俎上に載せられるのは、じつはそうした富や権力なのだ。ことはエリートの問題だけではない。中流、貧困層を問わず、無数のアメリカ人が、時代に取り残されるのではないか、失業し、経済的・社会的斜面をさらに滑り落ちてしまうのではないかという、もっともと思われがちな不安から、第三の波への移行に抵抗しているのである。
 しかし、アメリカの第二の波の勢力がもつ巨大な慣性力を理解するには、筋肉労働に依存する旧式の産業や、その労働者と労働組合に目を向けるだけでは十分ではない。第二の波の部門は、この部門のニーズを満たすウォール街の勢力に加え、やはりこの部門のために存在する財団、業界団体、ロビー団体等の助成金にたかる知識人、学者にも支えられている。彼らの多くは終身雇用を保証されており、その任務は、第二の波の勢力を側面から支えるデータを集め、この勢力のイデオロギーやスローガンをひねり出すことにある。<情報集約型のサービス産業は「非生産的」である><サービス労働者はしょせん「安食堂の給仕」となる運命にある><経済は製造業を中心に回転しなければならない>などといった言葉は、彼らの役割の何たるかを端的に物語っている。
そうした批判を絶えず浴びている二つの政党が、第二の波の思考法から抜け出せないでいるとしても、さして驚くには当たらない。医療制度の改革をはじめとする諸問題で、民主党は反射的に官僚と中央集権主義者の解決策にすがったが、このような姿勢を生み出しているのは、まさに第二の波の効率優先理論なのだ。ハイテクの重要性を認め、かつて「未来に関する議会情報センター」の共同議長を務めたゴア副大統領のような政治家が稀にいるとしても、民主党は、相変わらず第二の波を支持する産業界や官民の労働組合に大きく依存しており、二十一世紀を目前にしたいまも、党としてほとんど機能麻痺の状態に陥っている。
80年代のハートと90年代のゴアの例に見られるとおり、民主党は、中枢となる支持者の妨害で、党内きっての進歩派をリーダーに据えることができないでいる。この党は、依然として、ブルーカラーが描く現実のイメージにとらわれているのだ。
民主党は、自ら未来の党(かつては確かにそうだった)に脱皮できなかったがために、反対党に道を開かざるをえなくなった。一方、共和党は、民主党と違って古い北東部の工業地帯にさほど深く根を下していない分、第三の波の党になる機会に恵まれている。ただし、近年の共和党大統領は明らかにこのチャンスを逃してきたし、党自体も第二の波の論理に寄りかかり、お茶を濁しているのである。
共和党の大幅な規制撤廃政策は、基本的に正しい。いまやありとあらゆる柔軟な政策を打ち出さなければ、ビジネスが世界規模での競争に生き残ることはできないからだ。共和党が掲げる政府事業の民営化政策も、基本的に正しい。政府機関が概してうまく機能していないのは、競争がないからだ。市場経済から生まれる経済のダイナミズムと創造性を最大限生かそうとする政策も、基本的に正しい。だが、この党も、依然として第二の波の経済にとらわれていることに変わりはない。例えば、同党のブレーンである自由市場経済論者たちでさえ、いまのところ、知識の新しい役割や知識が無尽蔵の資源であることを認めるには至っていない。
また、過去の遺物と化した第二の波の巨大企業のいくつかと、その系列の業界団体、ロビー団体、およびその政策立案を担当する「円卓会議」の恩恵を受けているという点では、共和党も民主党も同じだ。
加えて、この党は、将来起こるであろう社会の大混乱を軽視しがちだ。この大混乱は、第三の波の深みで生じる何らかの変動によりもたらされるものである。例えば、技術が一夜にして時代おくれになった場合、高度な技能をもつ専門家をはじめとする中産階級の多くは、おそらく失業することになるだろう。カリフォルニアの軍事産業に従事していた研究者や技術者のレイオフは、その可能性を端的に示す事例だといえる。
ドグマ化した自由市場主義とトリクルダウン(通貨浸透主義)主義では、第三の波に十分対応するわけにはいかない。未来に立ち向かう政党は、来るべき問題について警告し、大混乱を防止するための改革を提案しなければならない。例えば、今日のメディア革命は、姿を見せはじめた第三の波の経済に多大の恩恵をもたらすだろうが、その一方で、テレビショッピングをはじめとする電子サービスは、伝統的な小売部門の単純労働、つまり低学歴の若者の出発点となる職業分野に壊滅的な打撃を与えるだろう。
自由市場と民主主義が未来の騒然たる大変動を生き残るには、将来を見越し、混乱を予防できるような政治が必要になる。しかし、アメリカの政党に次の選挙以上のことを考えよというのは、困難かつ無駄な注文なのだ。
二大政党は共に、改革を提案するどころか、支持者にノスタルジアという麻薬を注ぎ込むのに忙しい。民主党は、最近まで、偉大な1950年代のアメリカ産業の「復興」ないしは「復活」(現実には、第二の波の大量生産型産業への復帰など不可能だ)を唱えていたし、かたや共和党は、文化や価値観に関する問題を取り上げては郷愁をそそる美辞麗句を振りまき、あたかも第二の波の大量生産産業社会に逆戻りすることなく1950年代の価値観や道徳観に回帰することが可能であるかのような幻想を人びとに植え付けているのだ。1950年代といえば、テレビが全家庭に普及する前の時代であり、避妊ピル、民間ジェット機、人工衛星、家庭用コンピュータ等もまだ登場していなかった時代である。要するに、一方はいまなお「リバールージュ」(訳注:ミシガン州の自動車・造船産業の中心都市)の時代を夢み、他方は「オジーとハリエット」(訳注:1952~66年のテレビ・ホームコメディー。古きよきアメリカ中流階級の代名詞的存在)の時代を夢見ているにすぎない。
「伝統的」な真理への回帰を求めている、共和党内の宗教派議員は、「道徳の崩壊」を招いた責任はリベラル派、人間中心主義者、および民主党にあると主張する。だが、彼らは、次の事実をつかみ損ねている。そのような価値体系の危機は、第二の波の文明全体に及ぶ、より全般的な危機の反映であり、大変動に見舞われているのはアメリカだけではないのである。宗教派のリーダーたちにしても、ほとんどが、良識と道徳を備えた、民主的な第三の波のアメリカをいかにして築きあげるのかを問題にするのではなく、理想化された過去への回帰を唱えることに終始している。脱大衆化社会を道徳的で公正な社会にするにはどうすればよいかを問わずに、アメリカ社会の再大衆化を望んでいるという印象を与える者が多いのである。
とはいえ、二つの政党の違いは、民主党の「懐旧派」が同党の中心的な支持層に集中しているのに対して、共和党の「懐旧派」は、おおむね、周辺のウルトラ分子にすぎないという点である。したがって、共和党が変化に対して開かれた、懐の深い党になるという条件付きであるが、同党の下院議長ニュート・ギングリッチが以前から党内でしきりに訴えてきたことである。ただし現時点では、彼の意見に共鳴する者はわずかしかいない。ギングリッチの主張が認められ、一方の民主党が相も変わらぬ前コンピュータ時代のイデオロギーに縛られたままでいた場合、民主党は、よかれあしかれ、政治の墓場に葬り去られることになるだろう。
リー・アトウォーターは、1980年にレーガン大統領の最高政治顧問となり、その後、ブッシュ大統領の時代には大統領のジョギングに伴走し、選挙部長も務めた。彼は、レーガンが当選してまもなく、私たちの『第三の波』をホワイトハウス内に配った人物でもある。そのアトウォーターからの申し出で、私たちは、不定期ながら数年間、彼と一連の会議を行った。1989年に、わたしたちはもう一度彼に会ったが、それは彼が死を迎える少し前のことだった。この最後のインタビューの折、夕食を共にしながら、私と妻は、第三の波のアメリカに関して民主党が明確な展望をもっていないのはアメリカにとって不幸なことだという私たち自身の見解を彼に伝えた。アトウォーターはこの見方に同意し、驚いたことに、すぐさまこう付け加えた。「しかし、共和党も似たようなものですよ。両党とも、はっきりした未来像をもっているわけではない。選挙運動に中身がないのは、そのせいです。」二大政党に先見の明がないために、アメリカのすべてが、ますます貧しくなっているのである。


明日を支持する勢力
 第二の波の勢力が今日いかに強力にみえようとも、その未来は先細りしつつある。産業化時代がはじまった当時は、第一の波の勢力が社会経済生活を支配し、農村エリートが永遠にこの世を支配するかに思われていた。しかし、そうはならなかった。彼らの支配がつづいていたら、産業革命で世界が変わることはなかっただろう。
 今日、世界はふたたび変革期を迎えている。いまやアメリカでは、農民や工場労働者に代わり、何らかの知的労働に携わる労働者が国民の圧倒的多数を占めるにいたっている。また、現在この国でもっとも急速に成長しつつある最重要産業は、情報集約型の産業である。この第三の波の部門に属するのは、すでに高水準に達しているコンピュータ・電子産業と新興のバイオテクノロジー産業だけではない。そこには、あらゆる産業における先端的な、情報集約型の製造業も含まれるし、データの収集をさらに意欲的に進めているサービス産業-金融、ソフトウェア、娯楽、メディア、通信、医療、コンサルティング、技術訓練、教育などの分野に携わる産業-も含まれる。つまり、筋肉労働ではなく、頭脳労働を基準とする、ありとあらゆる産業が含まれるのである。この部門で働く人びとは、まもなく、アメリカの政治を左右する有権者になるだろう。

 産業化時代の「大衆」と違って、台頭しつつある第三の波の有権者は多種多様で、画一化されていない。この有権者層を構成するのは、他者との相違を重んじる個人であり、不均質であるがゆえに特定の政治意識をもたず、過去の大衆よりはるかに統一しにくい人びとである。
 ところで、第三の波の有権者は、まだ独自のシンクタンクや政治思想を形成しておらず、それゆえ学界からの組織的な支持も得ていない。そのような有権者からなる、さまざまな組織やワシントンのロビー活動団体もできてはいるものの、まだ比較的新しいせいもあって相互の連携が十分ではなく、第二の波派に勝利したNAFTAを唯一の例外として、立法の分野では、まだ重要な得点を上げるにいたっていない。
だが、この広範な、来るべき有権者層が意見を共にしうる重大な問題がいくつかある。その筆頭に挙げられるのが、解放の問題-すなわち、古い第二の波のルールや規制、税制、法律など、すでに過去のものとなった煙突型産業の大実業家や官僚を守るために設けられている、すべての制度からの解放-である。第二の波の産業がアメリカ経済の中枢をなしていた時代には確かに有効だった。そうした制度も、いまや第三の波の発展を妨げる障害でしかないのである。
例えば、古い製造工業の圧力で作られた減価償却方式は、機械や製品が長く使えることを前提にしているが、変化の目まぐるしいハイテク産業、とりわけコンピュータ産業では、機械類の耐用期間は数ヶ月ないしは数週間と考えられる。したがって、現行税制はハイテク産業にとって不利な結果を生み出す。また、調査開発に関わる控除も、第三の波の部門が依拠する新進企業よりも、第二の波の大企業に有利にはたらく。現行税制における無形資産の取扱では、時代おくれのミシンを数多く抱えている企業のほうが、物的資産をほとんどもたないソフトウェア会社より優遇されて当然なのだ。政府ではなく、財務会計基準審査会(FASB)の設定した会計基準においてさえ、第三の波の企業の死活にかかわる情報や人的資源などの無形資産に対する投資より、ハードウェアに対する投資が優遇されている。だが、こうしたルールを変えることで、そこから利益を上げている第二の波の企業との激しい政治闘争に打ち勝つ道が開けるのである。
第三の波の企業には特殊な性格がある。まず、企業年齢も従業員の平均年齢も若い会社が多い。次に、第二の波の企業と比べると、労働単位は小規模で、調査、開発、訓練、教育、人材に投資の重点をおく傾向が強い。第三に、競争が熾烈で、絶えず刷新を迫られているため、製品のライフスタイルが短くなるし、人事の異動、機械設備の回転、管理業務の転換も概して速い。このような企業では、社員の頭脳のなかにある記号が重要な資産となる。こうした企業に対して、まさに第三の波の性格のゆえに罰則を科せるようなルールを突きつけ、それに従うよう求めるのは不当である。これこそ、アメリカの手を後ろ手に縛るような行為といえよう。
第三の波の部門の多くはサービス産業に従事し、驚くほど多様多種なサービスを提供している。したがって、サービス部門の台頭を非難し、低生産性、低賃金、低業績の元凶だといつまでも攻撃するのではなく、明確にこの部門を支持し拡大させるべきだし、少なくとも、この部門を古い枷から開放してしかるべきだと思われる。アメリカ国民の生活の質を高めるには、サービス部門の雇用を減らすのではなく、さらにふやしていく必要がある。電子機器の修理やリサイクルの分野でも、健康管理、高齢者の介護、警察、消防の方面でも仕事をふやさなければならない。子守りや家政婦を例にとっても、働いてくれる人間がぜひほしいという共稼ぎ家庭は何百万に上がっている。第三の波の経済政策は、勝者と敗者を選別するためにとられるのではなく、サービスの職業化と開発を妨げる障害を取り除き、ストレスや不満を緩和して、アメリカ人の生活をより人間的なものにするためにとられるべきものなのだ。しかるに、このような考えをもちはじめたといえる政党さえ、いまだ見当たらない始末なのである。
こうした政治の停滞にもかかわらず、第三の波の有権者層の力は、日増しに伸びている。従来、二大政党のいずれにも無視されてきたこの層の人びとは、既成政党の枠外で自己主張する傾向を強めているのだ。例えば、アメリカ各地で数をふやし、影響力を強めつつある草の根組織を担っているのは、この第三の波の人びとだし、インターネットを中心に生まれつつある新しい電子共同体(エレクトロニック・コミュニティー)の中枢を占め、第二の波のメディアを非マス化することにより、それに代わる対話式のメディアを作り出そうとしているのも彼らなのである。それゆえ、この新しい現実を無視する既成政党の政治家たちは、農村地帯における「腐敗選挙区」の議席を永久に確保できると考えていた、19世紀の英国議会の議員さながらに、わきへわきへと押し流されていくことだろう。
アメリカの第三の波の勢力は、まだ声を発していない。したがって、彼らに発言力を与えうる政党が、アメリカの未来を支配することになるだろう。そのような政党が現れたときにはじめて、従来とはまったく異なる、新しいアメリカが20世紀末の荒廃のなかから生まれてくるのである。




第6章 社会主義と未来との衝突

2011年11月04日 00時03分37秒 | 第三の波の政治
さて、「第三の波の政治」へ立ち戻って「第六章 社会主義と未来との衝突」からスタートします。
昨日の新聞紙面で「2011年度版贈賄指数」がNGOトランスペアレンシー・インターナショナルから
発表されました。これは、世界主要28ヵ国・地域の企業が海外進出などの際、相手国の政府高官らにど
れだけ賄賂を支払っているかを数値化したものです。
清潔度第一位はオランダ、スイス、第三位ベルギー、第四位日本と続きますが、注目に値する最下位、
要するに悪徳賄賂国家はアメリカ(自由主義*帝国主義?)ではなく、二十七位が中華人民共和国、
最下位がロシア(旧ソビエト連邦共和国)でした。これはどうしてか?科学的社会主義の理念に照らし
て、古典教室で質問したいところですが、トフラー流に言えば「19世紀の理論にしがみついた老人
に引きづられた」倫理性皆無の知識が国内に蔓延していたからだと言えるのかもしれません。
コグニタリアート(意識労働者階級)万歳!!ロウブラウ古典教室のプロレタリアート崩壊!!と
叫ばれる時代となったようです。さて、社会主義とは何だったのか?第四章~第五章を復習した上で
第六章を読んでください。前著の「パワーシフト」を再度、参照されることもお勧めします。

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第6章  社会主義と未来との衝突 

東ヨーロッパにおける国家社会主義の劇的な消滅、およびブカレストからバクー、それからさらに北京へかけての血塗られた苦しみは、偶然に起こったものではない。社会主義が未来と衝突したためである。
社会主義体制が崩壊したのは、CIAの陰謀や、資本主義による囲い込み、つまり経済的締め付けのせいではない。東ヨーロッパの共産主義政権は、モスクワがもはや彼ら国民を守るために軍隊を使わないというメッセージを送ったとたん、ドミノ倒しのように崩壊したのである。システムとしての社会主義の危機は、ソ連でも、中国でも、その他の国でもきわめて深いところに根ざしていたのだ。
十五世紀半ばにグーテンベルグの発明した活版印刷が知識を普及させ、その結果プロテスタントの宗教改革に火をつけたのと同じように、二十世紀半ばに現われたコンピュータと新しいコミュニケーション・メディアが、ソ連の支配下、強権下にある諸国に対するモスクワの精神的束縛を打ち砕いたのである。
頭脳労働者は“非生産的”だとしてマルクス経済学者から(または古典派経済学者の多くも同じだが)否応なしに排斥された。ところが、この非生産的とみられた人たちこそ、1950年代半ば以降、西側経済の目をみはる活性化に、おそらく誰よりも深く貢献したのである。
今日、彼らに着せられた濡れ衣的“矛盾”はいぜん晴れないままとはいえ、ハイテク資本主義諸国は世界の他の国々を経済的に遥かに引き離した。マルクスのいう未来へ向けての“質的飛躍”を可能にしたのは、煙突型産業の社会主義ではなくて、コンピュータを基盤とした資本主義であった。先進資本主義国で本当の革命がひろがりつつあるのに引き換え、社会主義諸国は十九世紀の理論がしみついた老人たちに導かれ、身動きならない反動ブロックに事実上、閉じ込められてしまっていた。その歴史的事実をはじめて認めたソ連の指導者が、ミハイル・ゴルバチョフだった。
富創出の新しいシステムがアメリカに現われてからおよそ三十年後の1989年のスピーチで、ゴルバチョフは「情報科学の時代には、知識こそもっとも貴重な資産であるが、わが国はいちばん遅れてそれに気づいた国の一つである」と語った。
マルクスは革命の起こる時期について、みずから古典的な定義を下している。
“生産の社会的関係”(所有権と管理権のあり方を意味する)が“生産手段”(大まかにいえば技術)のさらなる発展を阻害しようとするときに、革命は起こるというのが彼の考えだった。
 この考え方は社会主義世界の危機を、見事に説明してくれる。封建主義の“社会的関係”がかつて工業の発展を阻害したように、今度は社会主義者の“社会的関係”がコンピュータやもコミュニケーション、そしてさらに情報公開を基盤にした新しい富の創出システムを利用するのを邪魔したのである。事実、二十世紀における偉大な国家社会主義の実験が挫折した主要な原因は、知識についての時代おくれの考え方にあったといえる。

前時代的マシン
わずかな例外を除けば、国家社会主義は、豊かさや自由、平等をもたらすことはなかった。それによってもたらされたのは、一党政治システム、巨大な官僚主義、圧制的秘密警察、政府によるマスコミ管理、秘密主義、そして知的・芸術的自由の抑圧だった。
 体制を維持するのに必要との理由で流された血の海も大問題だが、それはさて措いて、そのシステムをじっくり観察すると、すでに挙げた要素のどれもが、人民を組織する方法としてだけでなく(より深いところで)知識を系統立てそれを操作・管理するためのものであることがはっきりしてくる。
 一党独裁政治システムは、政治的なコミュニケーションを徹底管理する。他の政党が存在しないため、社会を流れる政治的情報は多様化を阻まれ、フィードバックがせき止められる結果、権力の座にある者たちは問題の複雑さが十分に把握できなくなる。ごく限定された情報のみが許された回路を通じて上にあげられ、命令が一方的に下におりてくるため、システム自身が間違いを見つけ、それをただすのがきわめて困難になるのだ。
 事実、社会主義国のトップダウン式の管理は、次第に、虚偽や誤った情報に基づいて行なわれるようになっていった。悪いニュースを上にあげるのがしばしば危険をともなったからである。一党システムの採用は、とりわけ知識の選択にかかわる問題なのだ。
 社会主義は人間の全生活面にわたって圧倒的な官僚主義を作り上げたが、その官僚主義はまた、知識を制限する装置であり、非公式のコミュニケーションや組織を非合法化する一方、知識をあらかじめ決めておいた間仕切りや整理棚に押し込め、コミュニケーションを“公式”のルートのみに制限した。
秘密警察機構、マスコミの国家管理、知識人への威嚇、芸術的自由の抑圧などはすべて、情報の流れをよりいっそう管理し制限しようとする意図の表れにほかならない。
 実際、こうした政策の背後には、知識についての一つの古い前提、すなわち、党であれ、国家であれ、人びとが何を知るべきかを判断するのは、指導者の務めだ、という傲慢な考えが隠されている。
国家社会主義を取り入れたすべての国家が共有する、以上のような特徴は、経済面でも愚かしい動きを必然的に引き起こすことになった。ところで、この特徴は、サイバネティック・マシンが出現する前の機械概念(社会および生活そのものにも適用された)に由来するものである。十九世紀のマルクスの周囲にあった第二の波型の機械は、そのほとんどがフィードバックなしで稼動するものだった。動力用のスイッチが入れられ、機械が動き出すと外界で何が起ころうと無関係に稼動しつづけたものだ。
それに引き替え、第三の波型の機械は知的である。外界の情報を吸収し、変化を調べ、機械の稼動を変化に合わせて変えていくセンサーを備えている。要するに、自己調整が可能なのである。この技術的な差は、革命的だ。
マルクス主義者は、第二の波の過去にこだわりつづけた。そのことは彼らの言葉からも窺える。マルクス主義者にとっては、階級闘争こそが、歴史の“牽引車”だった。第一に果たすべきことは、“国家という機械”を奪取することであり、そうすれば、それ自身が機械に似た仕組みをもつ社会は、豊かさと自由を生み出すようにあらかじめセットできるはずだ、と彼らは考えていたのだ。レーニンは、1917年にロシアの実権を握るとすぐに、最高の機械技師になったのである。
傑出した知性の持ち主であったレーニンはアイデアの重要性を理解していた。しかし、その彼でも表象生産、すなわち精神そのものさえプログラム化できると考えた。マルクスが自由について書いたのに対して、レーニンは権力を握ると、知識を操作しようと企てた。かくして彼は、芸術、文化、科学、ジャーナリズムなど、すべての表象活動は、原則として、社会のマスタープランに奉仕すべきだと主張した。やがて、あらゆる種類の学習の場は系統的に整理されて、不動の官僚的部局と等級をもつ“アカデミー”に組織され、党と国の管理に従うことになった。また、“文化的労働者”は文化省の管理する機関に雇われることになったし、出版と放送は国の専管事業となった。知識は事実上、国家機関の一部になったのである。
知識へのこうした頑迷なアプローチは、後進段階にある煙突型産業経済下にあってさえ、経済の発展を阻害したのである。したがってコンピュータ時代の経済的発展に必要な諸原則に対しては、真っ向からぶつかることになる。

所有権パラドックス
 いま世界に広がりつつある第三の波型の富創出システムのほうも、社会主義が信奉する三つの柱に戦いを挑んでいる。所有権の問題を取り上げてみよう。
社会主義者は当初から、貧困、不況、失業など産業主義のもたらす悪を、生産手段の私有に起因するものと考えていた。こうした病根を除去する道は、労働者が工場を所有することだった。もちろん、国や集団の手を通してである。
これさえ達成できれば、事態は変わるはずだった。競争という無駄はなくなる。完全に合理的な計画が実施される。生産は利潤のためではなく、必要に応じたものになる。経済を前進させるために、知的投資が行なわれる。人間すべてが豊かになるという夢が、歴史上はじめて叶えられるはずであった。
十九世紀当時にあっては、公式化されたこれらのアイデアは、時代の先端をゆく科学的知識を反映するものと見なされた。事実、マルクス主義者たちは、幻想的なユートピア主義を超え、真の“科学的社会主義”の到来を公言した。ユートピア主義者は原始共産制の村々を夢みていたかもしれない。しかし、科学的社会主義者たちは、発展しつつある煙突型産業経済のもとでは、そのような考えは現実的ではないと知っていた。例えば、フーリエのようなユートピア主義者が、目を過去の農業時代に向けていたのに対して、科学的社会主義者たちの目は、当時考えられた産業化時代の未来に向けられていたのである。
かくして、その後、集団制、労働者経営、コミューンなどの社会制度上の実験が重ねられたのだが、結局は国家所有が社会主義世界における支配的な所有形態になっていった。その結果、どこの国でも、労働者ではなくて国家が社会主義革命の第一の受益者となったのだった。
日常生活での物質的条件を急速に改善するという公約の実現に、社会主義は失敗した。革命後のソ連で生活水準が下がったときには、多少はそのとおりであったが、第一次世界大戦の影響と反革命のせいにされ、その後は、資本主義の包囲が口実となった。さらにその後は、第二次世界大戦のせいだとされた。だが、大戦後四十年経っても、なおモスクワではコーヒーやオレンジのような基礎的食品が不足していたのである。
社会主義国の数はいちじるしく減ってはいるものの、それでもなお産業・金融の国有化を呼びかける声が、世界に散らばる伝統的社会主義者のなかから聞こえてくる。ブラジルやペルーから南アフリカへかけて、さらに西側の産業化された国々のなかにさえも、歴史的証拠が示されているにもかかわらず、共産主義の盲信者というのが残っていて“公的所有”が“進歩的”であると考え、経済上の非国有化、民主化に抗いつづけている。
今日、世界経済はますます自由化され、巨大な多国籍企業を無条件に喜ばせながら拡大しているが、経済自体は不安定で、自由化が必ずしも貧困層に自動的に利益を“もたらす”ようになっていないのも事実である。それにしても国有事業が従業員を酷使し、大気を汚染させ、少なくとも私企業と同程度に巧みに公衆を利用していることは、実例に照らして論争の余地はない。国有事業の多くは、非効率そのものであり、腐敗と欲の汚水だめのようになっている。そして、事業運営の欠陥のせいで、しばしば巨大な闇市が人を多く集めて繁栄し、国の存在そのものをおびやかしているのである。 
しかし、なかでも最悪で、もっとも皮肉なのは、技術開発の分野で先端をゆくという約束にもかかわらず、国有事業がほとんど例外なく、いち様に反動的になっているのだ。もっとも官僚的で、組織や機能の再編にもっとも緩慢で、消費者のニーズの変化への適応にもっとも気乗りせず、市民への情報提供をもっとも恐れ、もっとも遅れて先進技術を取り入れるといった具合なのである。
一世紀以上ものあいだ、社会主義者と資本主義擁護者とのあいだでは、公共所有と私的所有をめぐって激しい論争がつづいた。多くの人びとがこの問題で文字通り、命を賭けさえした。この戦いが、新しい富創出システムの出現により、完全に時代遅れになろうとは、どちらの側も想像しなかっただろう。
 しかし、まさにそうした事態が現実に生じたのである。いまやもっとも価値の高い所有形態は、無形のものとなった。それはスーパー・シンボリックなものとなったのである。知識が、それである。知識は多数の人たちが同時に利用できて、それによって富を創り出すことができ、知識そのものをふやすことさえできる。工場や土地と違い、知識はどう使おうと、使い減りしない。

左巻きネジはどれだけ必要か
 社会主義の理論的殿堂の二本目の柱は、計画経済である。市場の混沌に経済を委ねる代わりに、頭を絞って計画を練り、それを上から下へおろす計画経済は、資源を重要分野に集中でき、技術的発展を加速できるはずだった。
 しかし、知識に依存する計画経済は、そのじつ、早くも1920年代、オーストリア学派の経済学者、ルードヴィヒ・ミーゼスが指摘したように、知識に欠けていた。彼の言葉を借りれば、“計算の困難さ”であり、それが社会主義のアキレス腱であった。
 どんなサイズの靴が何足、イルクーツクの工場で造るべきか。左巻きネジはどれだけ造り、紙の品質はどれくらいにし、キャブレターとキュウリの価格差を、どうするか。何千何万種類の生産ラインの生産段階に、どれほどのルーブル、ズロチ、元を投資すべきか。
 熱心な社会主義者の計画経済担当者は何世代も、この知識上の難問に必死に取り組んだ。彼らはもっと多くのデータを要求し、もっと多くの虚偽の報告を手にした。彼らは官僚主義を強化した。競争市場から得られる需給の目安がないため、彼らは経済をマネーではなく、労働時間で計ろうとし、あるいは種類の多少で数えようとした。後になると、計量経済のモデルや投入量・産出量の分析を試みた。
 何をやっても駄目だった。情報がふえればふえるほど、問題は複雑化し、経済は混乱の度を加えた。そしてロシア革命からまるまる四分の三世紀たってソ連の国家シンボルはハンマーと鎌でなく、消費者の行列となってしまったのである。
 今日では、社会主義国と旧社会主義国のすべてで、市場経済導入レースがはじまっている。方法はまちまちだし、職場を失った労働者に対する救済策も定まっていない。だが、それでも、いまや需給関係で価格を(少なくともある範囲内で)決めれば、中央計画経済では得られなかったもの(つまり経済が必要とし求めているものと、そうでないものとを示す価格指標)が手に入るということを、社会主義改革者たちはほぼ例外なく認識している。しかし、こうした価格指標の必要性をめぐる経済学者同士の議論のなかで見過ごされているのは、いったんこうした制度が導入されると、コミュニケーション・システムに根本的な変化が起こり、コミュニケーション・システムに変化が起こると大規模なパワーシフトがはじまるということである。計画経済と市場経済とのあいだのもっとも重要なちがいは、前者では情報が垂直に流れるのに対して、後者の市場では水平または斜めの情報の流れが多くなり、どの段階であれ買う者と売る者とがその情報を交換し合うことだ。
 この変化は、単に経済計画省および事業経営にあたるマネジメントを脅かすに留まらず、何百万という多数の一般官僚をも震え上がらせる。彼らの唯一の力の拠りどころは、中央への報告という情報管理にあるからだ。
 新しい富の創出法は、知識を多量に必要とし、情報とコミュニケーションもまた多量に必要とするから、計画経済では完全にお手上げなのである。スーパー・シンボリック経済の勃興は、かくて社会主義原理の第二の柱とも衝突する。

歴史の屑入れ
 社会主義で崩壊しつつある第三の柱は、ハードウェアに対する行き過ぎた強調、つまり、煙突型産業経済への完全なのめりこみと、農業および頭脳労働の蔑視である。
 1917年の革命後、ソ連は必要とする製鉄所、ダム、自動車製造工場などの建設資金が不足した。そこで指導者は経済学者、E・A・プレオブラゼンスキーが提唱した“社会主義的初期蓄積”という理論に飛びついた。この理論は、農民の生活からしぼりとれるだけしぼりとって、それで浮いたものを集めれば、必要資本は賄えるというものである。やがて、このカネで重工業を建設し、労働者を働かせることができるものだとした。
 中国が今日いうところのこうした“工業偏重”の結果、農業分野は社会主義国の大半で救いがたい状況に陥り、それはいまもつづいている。表現を変えれば、社会主義諸国は第一の波の犠牲のうえに第二の波の戦略を追求したのである。
 そのうえに社会主義者たちは、サービス関係とホワイトカラーの仕事も誹謗した。なぜならば社会主義のゴールはどこにあっても可及的速やかに工業化を果たすことであり、栄光を担うのは筋肉労働だったからである。このひろく行き渡った、筋力偏重の考え方は、消費より生産を、消費財より資本財をという極度の偏向と強く結びついた。
 マルクス主義者の主流は判で押したように、唯物論的見解をもちつづけた。アイデア、情報、芸術、文化、法律、理論など、頭脳の生み出す無形の産物は、いわば社会の経済的基盤の上に漂う“上部構造”の単なる一部に過ぎないとされた。両者の間にはある種のフィードバックがあることは認めながらも、上部構造を決めるのは基盤のほうであって、その逆ではなかった。この見解に異議を差し挟むものは“観念論者”とのレッテルを貼られたが、このレッテルを貼られることは時にきわめて大きな危険を意味した。
 ただし、社会は機械でもなく、コンピュータでもないから、簡単にハードウェアとソフトウェアとか、下部構造と上部構造というように区分けするわけにはいかない。社会をよりよく例えてみるなら、それは多数の要素がきわめて複雑に絡み合い、つねに変化しつつあるフィードバックグループだといえよう。その複雑性が増すにつれ、知識は、社会が経済的にも生態学的にも生き残るために、ますます欠かせない要素となってくる。
 要するに世界の社会主義は、無数の原材料が主要な要素となる第三の波型の経済の出現に、為す術を知らずというのが実態である。社会主義にとって、未来との衝突は致命的なものだったのだ。
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この章は、前著「パワーシフト第31章 未来と社会主義との衝突」で著している部分を再度、加筆してまとめている。パワーシフト1991.10.18発行 P.588~P.601扶桑社刊
第31章 未来と社会主義との衝突(以下五項目)
破局点、前時代的人工頭脳、所有権パラドックス、左巻ネジはどれだけ必要か、歴史の屑入れ


第三の波の政治 006

2011年08月31日 22時27分15秒 | 第三の波の政治

第5章「物質偏重」を添付します。
この第五章も、「パワーシフト」の「第七章 物質尊重!」を改訂して記載しています。
なぜ「尊重!」が「偏重」と改題したか?おもしろいところです。著者の意図しているところは、まさに「物質ばかりを尊重している愚かさが問題だ!」と言う意味で、「偏重」という訳がぴったり当てはまります。
「失業」をテーマとして「新しい仕事」を目指す者にとって、必読の個所となります。
しっかり、読み込んでください。大切な個所です。

この章の中で、「失業の新しい意味」・「頭脳労働領域」・「低度知識対高度知識」・「ロウブラウ(低度知識)のイデオロギー」・「ハイブラウ(高度知識)のイデオロギー」と順序立てて物質偏重の欠落点をまとめて、知識経済への移行(スーパーシンボリック経済)を促しています。これは次に続く「第6章 社会主義と未来との衝突」で明らかになるところですが、第二の波の煙突産業経済が生み出した共産主義思想(科学的社会主義=唯物史観)を根底から止揚(アウフヘーベン)し、金銭経済学(労働=対価)のいい加減さを端的に述べています。

しかし、この論点(労働=対価とする唯物史観)は、2006年に出版される「富の未来」で具体的に論及しますが、すべての社会事象を金銭経済で括りつけて計画経済を破綻させたのが、社会主義国家ではあるが、逆の資本主義社会にあっても、マネタリスト(貨幣信望者)やケインジアン(ケインズ経済学信望者)らが主張し、今も使用しているその理論もまた、経済を破綻させ、多くの失業者を生むことになると述べています。この根本に「物質尊重主義(物質偏重主義)」があるのだとトフラーは、述べているのです。
本章の後段最後で、
『要するに、生産という概念は、ロウブラウ経済における経済学者や観念論者の考え方より、遥かにその範囲をひろげている。そして、今後時代が進むにつれ、生産に取り込まれ、価値を付加するのは安価な労働力ではなく、知識となるし、また原料ではなく、シンボルとなる。
付加価値の源をこう再定義すると、その影響力は大きい。それは自由市場主義とマルクス主義の前提をともに打ち砕き、その両者を生んだ物質偏重主義をも打ち砕く。』
このようにまとめています。まさに2006年の「富の未来」を書く下地がこの時に出来上がったと理解できる個所です。それはさておき、本書で、語句の訂正をしておきます。87ページの「マニタリスト」は、「マネタリスト」に訂正しています。語句説明は、ウィッキペディア等を参照してください。

さて、「知識」の流行と言えば「もしドラ」が有名ですが、またまた柳の下のどじょう本が出版されましたね。題して「ラーメン屋の看板娘が経営コンサルタントと手を組んだら」
㈱繁盛塾代表取締役 木村康宏著 幻冬社新刊1,365円
タイトルは「うまくいく商売の法則がちりばめられた、笑いと感動の物語!
自己流だと、モノは売れない。
-つぶれかけのラーメン店の大将が、健気なひとり娘とドSな妻に叱咤されて、
店舗再生に挑む。頼みの綱は、衝突してばかりの経営コンサルタント!水と油
の二人のバトルは、奇跡を起こすのか?-」
 となっていました。これも「知識」の成せる技ですね。
文字が読めるということは?先の「第三章 究極の代替物」の初めの部分でトフラーが述べたとおりです。
しっかり、読んでいきましょう!

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第5章 物質偏重
ロナルド・レーガンがまだホワイトハウスにいたころのある日、アメリカの長期的未来を討議するため、ホワイトハウスの家族食堂のテーブルの周りに、小さなグループが集まった。グループは八名の有名な未来学者から成り、大統領のほか、副大統領と、新しく首席補佐官に任命されたばかりのドナルド・リーガンがいた。
会合はホワイトハウスの要請により筆者が手はずを整えたもので、技術的・社会的・政治的問題については学者間に多くの異論があるものの、経済全体に質的な変化が起こりつつあることに関しては見解が一致しているとのあいさつで会議ははじまった。
その会議で、首席補佐官のリーガンが、いきなり、「そうすると今後、われわれは床屋とか、ハンバーグを焼いたりするような職業に就くと、君らはみんな考えているのか。この国の偉大な工業力は、もうおしまいというのかね」とがなり立てたため一同が声を失う場面があった。
大統領と副大統領は、受けて立つのは誰かと、席を見回した。テーブルに付いていた男たちのほとんどが、唐突で不躾な発言に唖然としているなかで、リーガンの質問に応じたのは、ハイジ・トフラーだった。「それは違うのです、合衆国の工業力は依然、偉大でありつづけます。ただ工場で働く労働者の数は減るだろうということなのです」と腹立たしさを冷静に抑えて、彼女は答えた。
昔からの工業生産の方法と、マッキントッシュのコンピュータが造られたさいの生産方法の違いを説明しながら、彼女は、農業に従事する人は二パーセントに満たないけれども、合衆国は間違いなく世界最大の食糧生産国の一つである事実を指摘した。実際、過去百年にわたって農業従事者は他部門との比較のうえで減り続けているが、合衆国の農業力は弱くなるどころかかえって強くなっている。工業力についても同じことがいえないはずがない。
驚くべきことに、合衆国の製造工業における1988年の雇用者数は、1968年とほぼ同数の千九百万人強で、その間に何回もの高下はあったものの、結局変わっていない。国民生産に占める製造工業の割合も、三十年前と同じだ。しかし、労働力全体からみると、より少ないパーセンテージの労働者で生産実績のすべてをこなしていることになる。
さらにいえば、この傾向は今後とも変わらないものと思われる。アメリカの人口と労働力は共にふえる勢いだし、多くのアメリカの製造業者は1980年代から90年代にかけてオートメ化と再編を済ませているから、全体からみた工場での雇用の減少はつづかざるをえない。ある推計によると、次の十年間、アメリカでは一日に一万件の新しい職種が創出されると思われるが、工場関係の分は、もしあったとしてもごくわずかだろうという。同じ過程がヨーロッパと日本の経済をも同様に変えつつある。
にもかかわらず、いまにいたってもなお、ドナルド・リーガン風の言葉が、経営不振のアメリカ工業界の社長連、加盟者の減少を抱える組合指導者たち、製造業の重要性を派手に宣伝する経済学者や歴史学者などのあいだから折にふれて、聞こえてくるのである。
こうした言辞の背後には、概して筋肉労働からサービス、頭脳分野の仕事への雇用の移行は、経済に何らかの悪影響を及ぼすし、その結果生じる製造業分野の縮小(雇用の面で)は、経済の空洞化を招くという考えがある。こうした考えは、工業経済を想像することができずに農業こそ唯一の“生産的”活動であるとした十八世紀のフランスの重農主義者の主張を思い起させる。

失業の新しい意味
 製造業の“下降”を嘆く声の多くは第二の波型の利己主義から出たもので、富や生産、失業についての時代おくれの観念に基づいている。
 1960年代以来第二の波型の筋肉労働から第三の波型のサービスの仕事や超象徴的な仕事への移行は広範囲なものとなり、劇的でかつ、あともどりのきかないものとなった。今日のアメリカでは、新分野の仕事は全体の四分の三を占めるにいたっている。これは世界的傾向で、次の驚異的な事実がそれを如実に示している。世界におけるサービスと“知的財産”の輸出量は、電子工学機器と自動車を合わせたものに等しく、あるいは食料と燃料を合わせた輸出量に匹敵する。
 この方面の著者や未来学者はこのような大変化がやってくることを1960年代にすでに予告していたが、この早めに出された警告が無視されたために、この移行は不必要な混乱を引き起こした。
大量解雇や倒産などが経済を見舞ったのである。アメリカ北部・北東部の在来型のさびついた産業は、コンピュータ、ロボット、電子情報システムの導入におくれをとったうえに、組織再編にも手間取ったため、フットワークの軽い企業との競争に完全に負けてしまった。だが、敗者の多くはその責任を外国との競争や、利率や、強すぎる規制など、ありとあらゆるもののせいにした。
 それらのなかのいくつかが影響していたことは否定できない。しかし同様に責められるべきは、自動車、鉄鋼、造船、繊維などアメリカ経済をあまりにも長く支配してきた巨大な煙突型産業の会社群の傲慢さである。近視眼的なそれらの会社の経営陣は、製造工業の立ち遅れにほとんど責任がなく、しかも自らを守ることがいちばん難しい人たち、つまり従業員たちにその罪をおっかぶせてしまった。
 1988年における製造業の雇用総数が1968年と同じレベルだという事実は、その間に解雇された従業員がそのまま元の職場に戻ったことを意味しない。それとは反対に、より第三の波型の先進技術が必要となって、会社はこれまでとまったくちがった能力を有する労働者たちを必要とするようになった。
 第二の波型の古い工場が、基本的に交替可能な従業員を必要としたのに対し、第三の波型の工場での操業は、多様で、しかもつねに向上する技術を必要とする。ということは、つまり、従業員がますます交替不能になるということにほかならない。したがって、この状況は失業問題のすべてを根本から覆す。
 第二の波型の社会、すなわち煙突型産業社会では、資本の投下や消費者の購買力によって経済が刺激され、雇用が増加した。百万人の失業者がいても、経済に呼び水をさせば、理屈のうえでは百万人の雇用を作り出せた。仕事が交替可能、つまり技術をほとんど必要としないものだったので、誰でも一時間以内に要領を修得でき、失業者はすぐにどのような職にもつけたのである。
 だが、今日のスーパー・シンボリック経済のもとではそうはいかない。現在の失業問題が手に負えなくなって、伝統的なケインズ学者もマネタリストも打つ手がなくなっているのは、そのせいなのだ。思い起こせば、大不況対策としてジョン・メイナード・ケインズは、消費者の懐を豊かにするために、政府による赤字支出を要請した。消費者がカネを手にすれば、物を買いに走る。物が売れれば、製造業者は生産を拡大し、もっと人を雇う。そしてそれは“失業よさようなら”ということであった。マネタリストは、その代わりに利率や通貨供給の操作によって、必要な購買力を増減させるよう進言した。
 今日の地球規模の経済下では、消費者のポケットへ入ったカネは、国内経済を助けることなく、そのまま海外へ流出してしまうかもしれない。新しいテレビやコンパクト・ディスク・プレーヤーをアメリカ人が買えば、ドルを日本、韓国、マレーシアなどの国へ送るにとどまってしまう。カネをいくら使っても、自国の雇用に役立つとは限らない。
 しかし、それにも増して古い戦略には、根本的な欠陥がある。知識よりカネの流通になおこだわっている点だ。だが、仕事の口を単に増やすだけでは、もはや失業の減少に繋がらない。問題は仕事の件数ではないからだ。失業は量の問題から質の問題へと移ってしまっているのである。
 失業者自身とその家族が生きていくのには、どうしてもカネが必要であり、彼らにそれなりの公的扶助を与えるのは、当然かつ道義的義務である。しかしスーパー・シンボリック経済において、失業者数を少なくするのに効果的な方法は、富の問題ではなくて、知識の分配の如何にかかっている。
 しかも、新しい仕事は、製造業のような、われわれの頭にすぐ浮かぶ職種ではない。したがって、われわれは人びとに学校教育をさずけ、実習をさせ、人的サービスというのは、例えば、急速に増加しつつある高齢者たちの介護とか、幼児保育とか、さらには健康管理から、個人的なあんぜん、各種の訓練、レジャー、レクリエーション、旅行にいたるまでのサービスのことである。
 また、人的サービスの仕事に対しては“ハンバーグの引っくり返し”などと意地悪い侮辱的な態度をとらず、これまで製造業の技術に払ってきたのと同じ敬意をもたなければならない。教職、デートのサービス機関、病院のレントゲン・センターの業務など広範囲に及ぶ人間活動全部をマクドナルドで引っくくって象徴できるわけがない。
 さらに付言しておくが、しばしば安すぎると批判される、サービス部門の賃金の問題を解決するためには、製造工業関係の仕事の減少を嘆くことではなくて、サービス業の生産性を高めるとともに、新しい型の労働団体と新しい団体交渉の形態を考え出せばよい。基本的に職工や大量生産向きに作られている現在の労働組合は、完全に体質を変えるか、それともスーパーシンボリック経済に見合った新しいスタイルの組織に変えるべきなのだ。組合として生き残るためには自宅勤務体制、自由勤務体制、ジョブ・シェアリングなどに反対せず、逆にこれらを支持することである。
 要するにスーパー・シンボリック経済の出現は、失業問題の全体像を根本から考え直すことをわれわれに強いている。陳腐な思い込みに挑戦することは、同時にそこから利益を得ている連中に挑戦することでもある。第三の波型経済における富創出システムは、このように企業、労働組合、政府のなかで長らく築かれてきた力関係に脅威を与えることになる。

頭脳労働領域 
スーパー・シンボリック経済は失業についてのこれまでの考え方のみならず、労働についての考え方も時代おくれのものにしてしまう。この経済とそれが引き起こす力の争いを理解するには、新しい語彙さえも必要になるだろう。
 “農業”“工業”“サービス”という産業区分は今日では物事を明瞭にするより、むしろ曖昧にする。現代の急速な変化は、かつては歴然としていた区分をぼやけさせた。産業の古い類別に固執する代わりに、レッテルの背後を覗き込み、付加価値を創り出すのに会社のなかでどういうことをしているのか、訊いてみる必要がある。この質問を発しさえすれば、産業三分野のすべてで現代の仕事がシンボリックな工程、すなわち頭脳労働に依存する傾向を強めている事実がわかる。
 農業従事者は穀物飼料の計算にコンピュータを使い、鉄工場の作業者はコンソールやビデオスクリーンをモニターし、投資銀行家は金融市場をモデル化するさい、携帯用パソコンのスイッチを入れる。経済学者がこれらの作業に“農業”とか、“製造業”とか、“サービス業”とか、どんなレッテルを貼ろうとも、それはたいした問題ではない。
 職業上の分類すら、壊れつつある。倉庫係とか、機械運転士とか、販売担当者とか呼んでみたところで、仕事の内容は、はっきりするどころかかえってわからなくなる。したがって今日、労働者を分類する場合には、職種や、店、トラック、工場、病院、オフィスなど、彼らがたまたま働いている場を問題にせず、その仕事を遂行するうえで、どれだけシンボリックな工程、つまり頭脳労働を必要とするかによって区分けするほうがよほど効果的だと思われる。
 “頭脳労働領域”と呼べるもののなかに含まれるのは、リサーチ・サイエンティスト、金融アナリスト、コンピュータ・プログラマー、さらには、一般の書類整理係などである。なぜ書類整理係と科学者が同じグループに入るのか、との質問が出るかもしれない。
答はこうである。
仕事の目的は明らかにちがい、仕事内容の抽象の度合にも大きな隔たりはあるものの、双方とも -そしてこのグループに属する多くの人がそうであるのだが- 情報を駆使するか、あるいは新しい情報を生み出す以外には何もしない。どちらの仕事も完璧にシンボリックなのである。

頭脳労働領域の中ほどに、大きな部分を占める混合的職種がある。筋肉労働を必要とする一方、情報をも操作する仕事だ。フェデラル・エクスプレスやユナイテッド・パーセル・サービスなどのドライバーは、箱や小包を上げ下ろしし、トラックを運転するが、同時に傍らに置いたコンピュータをも操作する。先進工場での機会の操作員は、高度に訓練された情報操作者でもある。ホテルの事務係や、看護士などの職種は、人間を相手にした仕事だが、勤務の相当時間を情報の創出、入手、送り出しにも充てている。
例えば、フォード販売会社の自動車整備士は、いまだに油で汚れた手をして仕事をしているかもしれないが、まもなくヒューレット・パッカード社でデザインされたコンピュータ・システムを使うようになるだろう。このコンピュータには、故障個所の発見を助ける“エキスパート・システム”が組み込まれていて、CD-ROMに内臓されたデータや100MBの図面を瞬間的に引き出せる。このシステムは修理中の車について、より多くのデータを求めたうえで、整備士が技術的要素がいっぱいつまった情報のなかから直感的に検索するのを許し、また自らも推理する。そのようにして、整備士を修理個所へと導いていくのである。
整備士がこのシステムと情報を交換し合っているとき、果たして彼は“メカニック”だろうか、それとも“頭脳労働者”だろうか。
頭脳労働領域の底辺に位置する純然たる肉体労働は、いまや姿を消しつつある。経済のなかで肉体労働がわずかになった現在、“プロレタリアート”は少数派となり、代わりに“意識労働者階級(コグニタリアート)”が多数を占めるようになった。より正確にいえば、スーパー・シンボリック経済が花開くにつれ、プロレタリアートはコグニタリアートに変身するのである。
今日の仕事に関する重要なポイントは、どれだけ情報を取り入れた仕事か、どれだけプログラム化できるか、どの程度の抽象性が含まれているか、中央のデータバンクと経営情報システムにどれだけタッチできるか、どれだけ自分の判断と責任で仕事を進められるか、ということなのだ。

低度知識(ロウブラウ)対高度知識(ハイブラウ)
 このような大規模な変化は、力の争いを引き起こすことになるが、頭脳労働領域という基準で会社を考えれば、その争いでどの会社が勝ち、どの会社が負けるかが容易に予測できるだろう。
 会社を分類するさい、製造業、サービス業といった各目的なちがいにとらわれず、従業員が実際に何をしているかを基準にする必要がある。
 例えばCSXという会社はアメリカ合衆国の東半分に鉄道網をもっているが、同時に世界最大級の大洋運航のコンテナ船事業も経営している。しかし、CSX社は自分たちの事業が情報ビジネスであると、次第に考えるようになってきている。
 CSX社のアレックス・マンドルは「われわれのサービス事業における情報的要素はどんどん大きくなっている。商品を運搬するだけでは、もう不十分だ。お客は情報を欲しがる。商品はどこで集め、どこで降ろすのか、毎日の何時にどこへその商品を運ぶのか、料金は、関税はどうなっているか、などなど。情報なしでは動かぬ事業である」と言っている。ということはCSX社の従業員中に、頭脳労働領域の中位から上位にかけての仕事をする人間がふえつつあることを意味する。
 このことから考えると、どれだけ知識に頼ることが多いかによって、企業を“高度知識”“中度知識”および“低度知識”の三つに大まかに分けることができよう。ある会社、ある産業は他に比べて富を創出するのに、より多い情報をその工程上に必要とする。となれば個人的職種と同じように、会社もまた必要とする頭脳労働の量と複雑度によって、頭脳労働領域のある一定の線上に位置づけることができる。
 ロウブラウの会社は、一般に頭脳労働をトップと少人数だけに集中させ、ほかのもの全員を筋肉労働や頭を使わない仕事に就かせる。労働者は無知であり、労働者の知識はあくまで生産には無関係だという考えが経営上の前後になっているのである。
 ハイブラウ部門でも今日、「単純作業化」の例がみられる。つまり仕事を簡略化し、できるかぎり細分化し、さらに一工程ごとに製品のでき具合をモニターするのである。しかし二十世紀の初頭、工場で利用するためにフレデリック・テイラーが考案した方法を、いま適用しようという試みは、ロウブラウの過去の波であって、ハイブラウの将来に資するものではない。反復的かつ簡単で、頭を使わずに遂行できる仕事は、すべてロボット化される運命にある。
 経済が第三の波型生産に移行するにつれ、すべての会社は知識が果たす役割の再考を迫られていく。ハイブラウ分野でもっとも賢い企業は、真っ先に知識が果たす役割を再考する会社であり、仕事そのものを再編成する会社である。そういった会社は、頭を使わない仕事を最小限に圧縮し、先進技術に切り替えれば、従業員の潜在能力が最大限に生かされ、生産性と利潤率は飛躍的に増大するという前提に立って経営する。高賃金で、しかもより少ない人数の、より賢い労働力の獲得を目指しているのである。
 仕事上、なお筋肉を使う必要のあるミドルブラウの経営でさえ、知識への依存度をますます高め、頭脳労働領域の占める地位を上昇させつつある。
 ハイブラウな会社は通常慈善的な法人ではない。そこでの仕事は一般的にロウブラウな操業と比べ肉体的につらくなく、環境も申し分ないほうだが、そうした会社は、概して、ロウブラウな会社よりも従業員から多くのものを引き出そうとする。従業員は合理的な考え方をするようにしむけられるだけでなく、自分の感情、直感、想像力をも仕事に注ぎ込むよう勧められる。このためマルクス主義の批評家は、この点を取り上げて、労働者に対する、より邪悪な“搾取”だというのである。

ロウブラウのイデオロギー 
 ロウブラウの工業経済では、通常、富が財貨の所有によって測られる。財貨の生産が経済の中心だと考えられているからだ。一方、シンボリックでサービス的な活動は、必要ではあるものの、非生産的なものと見なされる。
 自動車、ラジオ、トラクター、テレビなどの商品の製造は“男性的”な活動と見られ、実際的、現実的、あるいは手堅いといった言葉が付いて回る。対照的に知識の生産、あるいは生産情報の交換は単なる“書類いじり”と軽んじられる。
 こうした態度から、次のような見方が次々と生まれてくる。例えば -“生産”というのは、物質的原料と機械と労働の結晶である・・・会社のもっとも重要な財産は、形のあるものである・・・一国の富は商品貿易の黒字から生まれる・・・サービス業は商品取引きを助長したときのみ意義をもつ・・・大部分の教育は、それが職業専門的でない限り、無駄である・・・調査研究は実体のない、浮ついたものである。何が大切かといえば、結局それは物なのである。
 こうした考えは資本主義社会の低俗な実業家だけがもっているわけではない。共産世界でも似たような現象が見られる。マルクス経済学者にとって、彼らの枠組みのなかへハイブラウな仕事を嵌め込むことは、なかなかむずかしい。芸術における“社会主義リアリズム”というと、大きな歯車、並び立つ煙突、蒸気機関車といった背景にシュワルツェネッガー的筋肉を盛り上がらせた、多数の幸福な労働者が描かれている。こうしたものがプロレタリアートの栄光であるといい、それがまた前進的な変化の先駆けをするのだという理論は、いずれもロウブラウ経済の原理を反映したものである。
 以上述べたような考えが合体した結果できたのは、個々ばらばらな意見やら仮説やら感情的な傾向やらを寄せ集めた、単なる混合物ではなかった。一つのイデオロギーが形成されたのである。そして、このイデオロギーは、男性的物質主義とでもいうべきもの -がさつで、鼻柱の強い「物質偏重主義」- を土台とし、自己を強化し正当化していったのだった。つまり事実上、第二の波の大量生産のイデオロギーとなっていたのは、「物質偏重主義」だったといえるのである。
 昔であれば、物質偏重主義も意味をもちえたかもしれない。だが、いまは、大部分の製品の真の価値が、製品のなかに嵌め込まれた知識によりもたらされる時代である。そのような時代においては、物質偏重主義は反動的で、かつ愚鈍なものでしかない。物質偏重主義に基づく政策を追求するかぎり、いかなる国家も、二十一世紀には最貧国にならざるをえないのだ。
 
ハイブラウのイデオロギー
 第三の波型の経済に重大な関心と利害をもつ諸企業、諸機関、そして人びとは物を偏重する考えに対抗する首尾一貫した理論的基礎を、まだ形づくっていない。しかし基盤となる考えのいくつかは、形を整えつつある。
 新しい経済学の最初の断片的な基礎は、次のような人びとの、いまだ世間に認められていない著述のなかに垣間見ることができる。故ユージン・ローブルは、十一年間を共産主義国チェコスロバキアの牢獄で過ごすあいだに、マルクス経済学と西側の経済学の双方の仮説を深くかんがえなおしてみた。香港のヘンリー・K・H・ウーは、“富のいまだ見えざる局面”を分析した。ジュネーブのオリオ・ギアリエは将来のサービス業についての分析で、リスクと不確定性原理の概念を導入した。アメリカのウォールター・ワイスコフは経済発展における非平衡条件の役割について書いた。
 今日の科学者は、システムが乱気流のなかでどう動くか、秩序が混沌状態のなかからどう進化するか、発展中のシステムが多様性のある高度のレベルへとどう飛躍するのか、問い続けている。ビジネスや経済にとってこのような問いかけは、まことに的を得たものである。経営管理学の本でも“混沌のうえに築かれる繁栄”について述べている。“創造的破壊”こそ進歩にとって不可欠といったジョセフ・シュムペーターを、経済学者たちは見直しつつある。乗っ取り、企業分割、再編成、倒産、操業開始、ジョイントベンチャー、内的再編成といった嵐のなかで、経済全体は新しい構造をもちつつあり、その構造は古い煙突型経済とは異なり、あっというまに多様化し、急速な変化を遂げ、より複雑化していく。
 多様性の高度なレベルへのこの“飛躍”と、そのスピード、複雑性は同時に、これに対応する、高度で、より洗練されたかたちでの統合を必要とする。ということは、一段と高いレベルでの知識による処理が要求されてくる。
 十七世紀にルネ・デカルトが書いたことに従い、産業主義の文化は問題や過程をより小さな構成分子へと限りなく分解できた人に報酬をあたえてきた。この分解的、分析的なアプローチが経済学に持ち込まれた結果、コマ切れ段階をひとつづきとしたものが生産だという考え方が生まれるのである。
 スーパー・シンボリック経済から生じる生産の新しいモデルは、これとは劇的に異なる。全体的、または統合的な見地に基づき、生産は同時的、合成的なものとする見方がますます強くなる。過程の各部分は完結的でなく、互いに切り離すこともできない。
 “生産”というのは、工場にはじまり工場に終わるものではないことが、あらためて理解されつつある。経済的生産の最新モデルは、かくてそのプロセスを上流と下流の双方へ伸ばしている。 -製品が売れた後までも、その製品に対してのアフターケア、ないしは“サポート”に責任をもつ。自動車を売ったときは修理に関して責任をもち、コンピュータを買った人には後々までサポートをつづけるといった具合である。それほど遠くない将来に、生産という概念は製品を使用したのちの環境的安全廃棄問題までも含むことになるだろう。各企業は、使用したのちの浄化方法までをとりしきり、また部品のデザインを変えたり、コスト計算や製造法を再考したりなどして、準備しなければならなだろう。そうしながら、製造部門よりサービス部門により多く気をくばり、製品価値を増やすことになる。“生産”はこうした機能をすべて含むことになるはずである。
 同様に、そのような生産の定義が後方部門へ延長されれば、従業員の研修、幼児保育への配慮、その他のサービスといった機能も含まれてくる。不遇をかこつ筋肉労働者も“生産的”に変えられねばならない。高度にシンボリックな活動においては、心地よく働く労働者はより多く生産する。したがって、生産性の問題は、従業員が会社へくる前からはじまる。昔気質の人には、このような生産の定義の拡張は、わけのわからぬばかげたものに映るだろう。しかし、生産を孤立した段階とみずに、全体としてシステマティックに考えることに慣れた新しい世代のスーパー・シンボリック型指導者にとって、それはまったく自然なことである。
 要するに、生産という概念は、ロウブラウ経済における経済学者や観念論者の考え方より、遥かにその範囲をひろげている。そして、今後時代が進むにつれ、生産に取り込まれ、価値を付加するのは安価な労働力ではなく、知識となるし、また原料ではなく、シンボルとなる。
 付加価値の源をこう再定義すると、その影響力は大きい。それは自由市場主義とマルクス主義の前提をともに打ち砕き、その両者を生んだ物質偏重主義をも打ち砕く。かくして、物質偏重主義に根ざす二つの思想、すなわち、価値は労働者の背の汗からだけ生まれるという考えと、価値は輝かしい資本主義的企業家によって生み出されるという考えは、ともに、政治的にも経済的にも誤りで人を迷わせるものだとうことが明らかになるのである。
 新しい経済のもとでは、受付係、資本を集める投資銀行家、キーパンチャー、セールスマン、システム・デザイナー、通信専門家といったすべての人が価値を加える役割を担う。さらに重要なのは消費者もそうであることだ。価値はプロセスのなかの切り離された単一の段階がもたらす果実ではなく、全体の努力から生まれる果実となる。
 高まりつつある頭脳労働の重要性は、たとえ製造業の土台が消えていったあとに起こる恐ろしい結果について警告したり、あるいは“情報経済”の考えを嘲けったりするような、幾多の恐怖物語が出版されようとも、消え去るものではない。富がいかにして創出されるか、という新しい考えも同様である。
 なぜならわれわれの目前で起こりつつあるのは強大な第三の波の諸変化の収斂 -資本とマネーの質的変革を伴って到来する、生産の質的変革- だからである。三者は一体となって、この地球上に革命的な富創出の新しいシステムを作り上げていく。