さて、第三の波の政治も、最終章です。
この章は、ご存知の通り、「第三の波」から引用・補足されたものです。
1980年に、このような言論を発表したトフラーは、本当にすごい!
今、読んでみても、未来への深い洞察力を読み取ることができます。
大阪維新の会は、第三の波の政治を実行できるか、創造者たるべき運命
を担い、旧体制の利権に組みする既成政党(自民~共産:思想的暗殺者)
を排除する闘いが可能か、どうか、よく見ていきましょう。
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第三の波の政治 中央公論社刊 19975.7.7発行
P.155~P.192
第9章 二十一世紀の民主主義
建国の両親へ
いまは亡き革命家の方々。あなたがたは男も女も、農民、商人、職人、弁護士、印刷業者、時事論文の執筆者、商店主、兵士もみんな力を合わせ、祖国を遠く離れたアメリカの海岸に、新しい国を建設した。1787年、ともにアメリカの地へやってきてフィラデルフィアのあの焼け付くような夏に、合衆国憲法と呼ばれる驚くべき公文書を書き上げた五十五人も、あなた方の仲間だ。あなた方は未来の創造者であり、その未来がいま、私どもの現在となっている。遠くに未来の音を聞き、一つの文明が死んでゆき、もう一つの新しい文明が生まれてきつつあるのを感じる。・・・・・・・・・・・・・・私たちは、ジェファソン氏のこの見識に対して、とりわけ感謝している。彼は、かくも長いあいだわれわれアメリカ人の役に立ち、そしていま役目を終え、新しい制度に場を譲ろうとしている現在の制度を作り上げることに尽力してくれたのだ。 アルビン・トフラー
ハイジ・トフラー
これは架空の手紙であるが、機会があれば同様の所感を述べる人たちが、多くの国にいるにちがいない。というのは、今日の政府が時代おくれだということは、私ひとりが発見した秘密ではないからである。またそれは、アメリカだけの病弊でもない。
要するに、古い第二の波の文明の残骸のうえに新しい第三の波の文明を築くということは、とりもなおさず、多くの国々において、いっせいに新しい、より適切な政治構造を設計するということである。これは、困難だが必要欠くべからざる事業であり、気も遠くなるほど広範囲にわたり、おそらく完成に何十年もかかる事業であろう。
アメリカ合衆国議会、英連邦諸国の下院と上院、フランスの下院、西ドイツ連邦議会、日本の国会、多くの国々の巨大な省庁と自己保身的な行政事務、憲法、裁判制度など、いわゆる代議制政体といわれるものの多くが肥大化して、ますます融通がきかなくなっている現在、これらの機構を徹底的に解体修理するか、或いはスクラップにしてしまうには、どう考えても、かなりの長期戦を覚悟する必要があろう。
政治闘争のこうしたうねりは、国家のレベルにとどまることはない。これからさき何年間、何十年間にわたって、国際連合から地域の市議会や町議会にいたるまで、「地球上のすべての立法機関」が、高まりつつある再建への、抗いがたい要求に直面することになろう。これらすべての機構は、根本的に改造されなければならない。それは、その機構が本来、弊害を伴っているからではなく、また特定の階級や集団によって支配されているからでもない。硬直化が進んだために、様相が一変してしまった世界の、さし迫った欲求に、もはや対応できなくなっているからである。
新たに柔軟な政府を築き、われわれの生涯でもっとも重要だと思われる政治的課題を達成するためには、第二の波の時代に累積された、常套的発想を払拭しなければならない。さらにわれわれは、次にあげる三つの主要な原理に照らして、政治を考え直さなければならないだろう。
マイノリティ・パワー
現在の考え方からすると異端ともいえるが、第三の波の政治体制を支える第一の原理は、マイノリティ・パワーの重視である。多数決という、第二の波の時代の正統的な基本原理は、日に日に時代遅れとなっている。考慮しなければならないのは多数派ではなく、少数意見なのである。現行の政治体系は、こうした事実について反省を深めていかなければならない。
アメリカ合衆国の独立に携わった世代の信条はどうかといえば、ふたたびジェファソンの話になるが、政府は「過半数の決定には絶対服従しなければならない」というのが彼の主張であった。これは、独立革命に携わった世代の意見を代表しているといってよい。当時、アメリカ合衆国やヨーロッパは、まだ第二の波の黎明期にあり、産業大衆社会へと転換していく長い道程を、まさに踏み出したところであった。多数決の概念は、こうした当時の社会の要請に、ぴったりと一致していたのである。現在の多数決に基づく民主主義は、大量生産、大量消費、大衆教育、マス・メディア、大衆社会の政治的表現なのである。
すでに述べてきたように、今日、われわれは産業主義を乗り越え、急速に脱画一化社会へ進みつつある。その結果、過半数を集めることはもちろん、連立政権を成立させることさえ、ますます困難となりつつある。むしろ不可能になってきているといってもよいだろう。マサチューセッツ工科大学の政治学者ウォルター・ディーン・バーナムの言うとおり、アメリカ合衆国において、「今日、何事に係わらず、積極的な意味で過半数を得られるという根拠は見当たらない」のである。
いくつかの主要な党派が連合して多数派を形成するというピラミッド型社会の代わりに、きわめて多くの、その場かぎりの少数派が渦巻き、一時期同じ行動様式をとるが、肝心な問題についてはめったに51パーセントの過半数にまとまることのない、並列的社会がくるだろう。第三の波の文明の発展とともに、現存の多くの政府は、その存在意義を減じていくだろう。
多数決は社会正義につながる、というわれわれが信じ込んできた仮説に対して、第三の波は、敢然と挑戦状をつきつけている。第二の波の文明の時代を通じて、多数決を求める闘いは、人間味にあふれた、解放をめざすものであった。南アフリカのように、産業化が現在進行中の国々においては、いまでもそうである。第二の波の社会において、多数決は、ほとんどつねに、貧しい人びとに、より公平な機会をもたらしてきたのである。というのは、これまでは貧しい人びとが、多数派を占めていたからである。
しかし今日、第三の波に揺らぐ国々では、多くの場合、事態はまさに反対になっている。本当に貧しい人びとは、いまや必ずしも多数派ではない。多くの国々において、彼らは(ほかの人たちと同様)少数派になっているのだ。第三の波の時代へ移行しつつある社会において、もはや、多数決はつねに正当な原理とはいえず、また、必ずしも人間的でもなく、民主的でもない。
第二の波のイデオローグたちは、大衆社会の解体を決まり文句で嘆くにちがいない。彼らは、こうした豊かな多様性を、人類発展の好機と見ずに、“手榴弾が炸裂するような分裂”だとか、“かつてのバルカン半島における諸国分裂にも似た細分化だ”と酷評し、多様性を、少数派によって巻き起こされた“利己主義”のせいだという。これは原因と結果をとりちがえた、とるに足りない主張である。少数派の積極的な行動が高まっているのは、気まぐれな利己主義の結果ではない。それはとりわけ、新しい生産方式の必要性を反映しているにほかならず、しかも、この方法が実現するためには、かつてないほど変化に富んだ、多彩な、そして開かれた、まったく新しい社会が必要とされるからである。
われわれが選びうる道は、第二の波の政治制度を守るために、必死の、しかし無益な努力によって多様性への抵抗を試みるか、あるいは多様性を認めて政治制度をこれに適するように変えていくか、のどちらかに限られている。
前者の戦略は、全体主義的な手段によってのみ達成されるものであり、経済不況と文化的停滞を招きかねない。後者は社会の進化をもたらし、少数派に基盤をおいた、二十一世紀の民主主義につながる。
第三の波の時代に民主主義を立て直すためには、多様化が進めば必然的に社会の緊張が高まり、対立が深まるという、人びとの恐怖心をかりたてる誤った仮設を捨てなければならない。じつは、その逆の場合も十分ありうるのだ。社会における対立は必要なだけでなく、一定限度までの対立は、むしろ望ましいことでもある。もし百人の男が、何が何でも同じ高官のポストに就こうと競争すればそのために争いが起こるかもしれない。一方、百人の目標がひとりひとり別であれば、取引をし、協力し合い、相互の共存関係を作り上げたほうが、彼らにとってはるかに利益が多い。
適切な社会的取り決めさえあれば、多様性は文明をゆるぎない、確固としたものにするのに役立ちうる。
少数派のあいだの対立がいたずらに深まり、暴力を誘発しかねないほどに泥沼化してしまうのも、今日、適切な政治制度がないからである。少数派を非妥協的にしているのも、多数派の存在をますます困難にしているのも、こうした制度の欠如による。
これらの問題に対する答は、反対意見を押さえつけることではなく、少数派を利己主義だと非難することでもない。(権力を握っているエリートやそれを支えている専門家集団も、利己主義という点では同罪にすぎない。)多様な立場を調整し、それぞれに正当な場を与えるような、まったく新しい決着の仕方を考えること、変貌し、いよいよ細分化していく少数派の激しい要求を敏感に反映させうる、新しい制度を作ること。答はそこにしかない。
未来の歴史学者たちが、投票による多数派選びを回顧して、コミュニケーションに関しては原始人同然な人びとが執り行った古代の儀式だ、という時代がくるかもしれない。だが今日、この危険にみちた世界において、全権をだれか特定の人間に委任することはできない。多数派優先のシステムのもとでは、一般大衆の声はきわめて弱いものだとはいえ、それを反映させるシステムを、諦めてかかることはできない。また、一握りの少数派に独裁的な決定権を与え、ほかのすべての少数派を支配させることもできない。
捉えどころのない多数派を追い求めていく不完全な第二の波の方法を、根本的に修正しなければならないのも、このためである。少数派の民主主義を考案するための、新しいアプローチが必要である。排他的な投票を行い、論点を詭弁で言いくるめ、選挙を裏であやつり、これによってまやかしの多数派をでっち上げて意見のちがいを誤魔化すのではなく、その相違を明らかにすることを目的とした方法がとられるべきである。つまり、多様な少数派のそれぞれの役割を高め、しかも、そうした少数派が一体となって多数派を形成しうるよう、全システムを近代化する必要がある。 第二の波の社会において、国民の意思を決める投票は、統治者であるエリートにとって、フィードバックの重要なルートであった。大多数が何らかの理由で、ある状況を耐え難いと感じ、51パーセントが投票でそのことを表明すれば、エリートたちは少なくとも政党の交替をはかるとか、政策を変更するなど、何らかの調整を行うことができた。
しかし過去の大衆社会においてさえ、51パーセントの原理は、きわめて大ざっぱな、量だけを計る手段であった。過半数を決める投票では、人びとの意見の質については、なにも明らかにならない。ある時点で、いかに多くの人がある特定のことを望んでいるかはわかるが、その願望がどの程度切実なのかはわからない。とりわけ、それを手に入れるためなら何を犠牲にしてよいと考えているのかという点については、まったくわからない。これは数多くの少数派によって形成される社会においては、どうしても知っておかなければならない重要なことなのだ。
また、少数派が、あるひとつの問題に非常な脅威を感じ、生死にかかわる重要な事柄だと考え、そのためわれわれが、その見解にことのほか注目しなければならないときでも、過半数の原理では、これを知ることができない。
大衆社会において、多数決の欠陥はよく知られていたにもかかわらず黙認されてきたのは、ほとんどの少数派が、このシステムを打ちこわす戦略的な力を欠いていたからである。さまざまな利害関係や考え方が網の目のようにからみあい、われわれすべてが、何らかの少数派グループに属している今日の社会では、このシステムはもはや正当であるとはいえない。
第三の波の脱画一化社会にとって、過去の産業主義時代のフィードバック・システムは、きわめて不完全なものである。したがってわれわれは、まったく新しい方法で、投票と票決を行わなければならないのだ。
幸い、第三の波の技術が第三の波の民主主義の道を切り開いてくれる。アメリカの建国の父たちが二百年前に考えた基本問題への取り組みが、驚くべき新しい状況の中で再建されるのだ。第三の波の技術のおかげで、これまで非現実的だと思われていた形態の民主主義を新しいものにすることが可能になるのである。
半直接民主主義
明日の政治体系を築くための第二の骨組みは、半民主主義という原理にほかならない。選ばれた代表者への依存から、自分たち自身が代表となることへの、転換である。つまり、間接代表と直接代表の双方を取り入れたものが、半直接民主主義である。
すでに述べたように、コンセンサスが失われたことによって、代議制の概念そのものが崩壊している。有権者のあいだに合意がなければ、代表者とはいったいだれの代表なのか。そのうえ国会議員は法律の制定にあたり、スタッフの補佐や外部の専門家の助言に、ますます頼らざるをえなくなっている。イギリスの下院議員が、ホワイトホールの中央官庁の官僚にくらべて弱体だということは、周知の事実である。こうしたことが起こるのは、彼らには適切なスタッフのサポートがなく、このため多くの権限が議会から選挙によらない役人に移管されているからにほかならない。合衆国連邦議会は、行政官庁の実力との均衡をはかるために、例えば議会予算担当事務局、テクノロジー・アセスメントを執り行う部門など、必要な部局や附属機関を設けている。しかし、これは問題を単に管轄外から管轄内に移したにすぎない。われわれが選出した議員たちは、決定を下さなければならない無数の法案について、知識に乏しく、他人の判断に従わざるを得なくなってきている。議員はもはや、代表とはいいがたい。
さらに基本的にいえば、立法府というものは、理論上、敵対し合う少数派の主張を調停しうる場であった。自分が代表している国民のために取引をするのが、議員であったはずである。だが、今日の時代おくれになってしまった切れ味の悪い政治的手段を使っていたのでは、議員は自分が代表する小グループに十分な目配りをすることすらできず、ましてはその小グループのために効果的な取引をしたり、仲介の労をとったりすることは到底できない。アメリカはもとより、西ドイツやノルウェーでも、議会に過重な負担がかかればかかるほど、事態はますます悪化している。
単独の争点をかかげた政治的圧力集団が、なぜ非妥協的になるのか、これはその説明にもなろう。連邦議会や州議会を通じて、込み入った取引や調停の機会がほとんどないことを考えてみると、いまの機構上、彼らの要求にはどうにも対処できないといっていい。代議制政体を最終的な仲介の役割を果たすべきものとする論拠もまた、崩れ去っている。
交渉は成立せず、問題は解決されなくなった。代議制制度の麻痺状態は悪化の一途をたどり、これが長期化している現状では、少数の見せかけの代表者によって下されている多くの決定が、徐々に選挙民自身の手に移行されてしかるべきであろう。我々が選出した仲介者が、我々のために有利な取引ができないなら、我々は、自らそれをすべきであろう。代表者の制定する法律がわれわれの要求を反映せず、ますます遊離していくならば、我々はそれに代わって自分たち自身で法律を作るべきであろう。そのためには、新しい制度と新しいテクノロジーが必要となる。
今日の代議制の基礎となる一連の制度を作り出した第二の波の革命家たちは、代議制民主主義に対する直接民主主義の可能性についてもよく知っていた。アメリカの独立にたずさわった革命家たちは、植民地時代からニュー・イングランドに発達していた住民総会による小規模ではあるが組織的なコンセンサスの形成方法についても、よく知っていた。しかし、直接民主主義の短所と限界もよく知られており、当時としてはその印象のほうが強かった。
合衆国において国民投票を提案しているマッコーレイ、ルード、ジョンソンの三人は、「米国憲法批准促進のための当時の論文集『ザ・フェデラリスト』には、直接民主主義に対する反対理由が、二つ挙げられている。一つは、直接民主主義は民衆の一時的、感情的な反応を抑制し、冷却するための備えを欠いているという理由であり、二つ目は、当時の通信技術では、意見の集約ができないということだった」と書いている。
この指摘は正当である。例えば1960年代半ばの、挫折し怒りに燃えたアメリカの民衆は、ハノイに原子爆弾を投下すべきか否かについて、どのような投票をしたであろうか。バーダー=マインホッフ一派のテロリストに激怒していた西ドイツの民衆は、そのシンパを強制収容所に収容しろという提案について、どういう反応を示したであろうか、ルネ・レヴェスクが権力を握った一週間後に、ケベックについてカナダ人が国民投票を行ったら、いったいどういうことになっていたか。選挙で選ばれる議員たちは、おそらく、民衆ほどは感情的でなく、またより慎重な態度をとるはずだ。
しかし、民衆の反応が感情過多におちいりやすいという問題は、さまざまな方法によって克服できる。たとえば、直接選挙民に問う国民投票などの直接民主主義の形態を経て決定された重要議決は、実行に移される前に冷却期間をおくとか、二回目の投票を行うとか、いろいろな方法をとりうるはずである。
もうひとつの反対理由も解消しうる。というのは、以前のように通信技術上のネックが、広範な直接民主主義をとるための制約になることは今ではなくなったからだ。電気通信技術の目覚しい発展が、はじめて政策の意思決定に直接、市民が参加しうるさまざまな可能性を、一挙に拓いたのである。
私たちは何年か前に、オハイオ州コロンバス市にあるキューブ・ケーブル・テレビジョン・システムを利用した、世界初の「エレクトロニクスによる住民総会」という歴史的な出来事について、意見を発表する機会にめぐまれた。この双方向の電気通信システムによって、コロンバス市郊外の住民は、地域計画委員会の政治的会合に、エレクトロニクスを通じて実際に参加したのである。地域の区画規制、住宅建設基準、高速道路建設案といった日常生活に関する提案に対して、住民は居間でボタンを押し、ただちに投票をすることができた。プッシュボタンを使って、議長に議題の次の項目に移るよう指図することまでできたのである。
これは明日の直接民主主義の可能性に対する最初の、もっとも原始的な萌芽にすぎない。高性能コンピュータ、人工衛星、電話、ケーブルテレビジョン、新しい投票技術、そのほかの手段を使うことによって、歴史上はじめて教養ある市民が、みずから多くの政策決定に参加しうるのである。
論点はどちらか一方ということではない。問題はロス・ペローがいっているような生噛りの“エレクトロニクスによる住民総会”にあるのではない。それよりさらに神経のこまやかな洗練された民主主義のプロセスが可能なのだ。間接民主主義か直接民主主義かとか、他人によって代表されるかみずから代表となるか、というような二者択一的問題ではないのである。
このほかにも、直接民主主義と間接民主主義を結びつける、さまざまな手順が考えられる。いまでも、アメリカ連邦議会をはじめとする、ほとんどの立法機関の議員たちは、委員会を設けている。ところが、放置されている問題や議論の焦点となっている問題を処理するために、立法者に委員会を作らせようとしても、市民にはその方策がない。立法者が重要だと思う事柄ではなく、市民が重要だと思う事柄について、立法機関に委員会を設置するよう直接請願する権限が、なぜ選挙民には与えられていないのだろうか。
こうした空間的ともいえる提案を私が繰り返し行っているのは、何がなんでもこうした方法を実行してほしいからではない。より共通性のある、基本的な事柄を力説したいだけなのだ。つまり、現行のシステムはいまや崩壊寸前の状態であり、それを適切な代議制だと感じている人もほとんど見当たらないほどだが、それでもこのシステムを民主化し、より開かれたものにしていく強力な方法があるということを言いたいのである。しかし、そのためには、過去三百年間使い古してきた、決まりきったやり方を度外視して考え始めなれけばならない。すでに過去となった第二の波の旧態然たる観念、規範、機構では、もはや問題を解決することはできないのである。
新たな提案には、不確定な要素がふんだんに含まれているはずだから、広い規模で適用する前に、慎重な、地域的実験を行う必要がある。われわれが個々に提案についてどう感じようとも、代議制民主主義への異議が強まりつつあるときだけに、直接民主主義への、古臭い反対意見が弱まりつつあるということは断言できる。
半直接民主主義は、危険でとっぴなものだと思う人がいるかもしれないが、未来のための、新しい、有効な制度を設定していくうえで、穏当な原理であるといってよいであろう。
決定権の分散
政治のシステムを、少数派の勢力にもっと開放すること、また市民がみずからの統治に、より直接的な役割を果たしうるようにすること、これらはいずれも必要なことではあるが、必要な方法の一部にすぎない。明日の政治にとって不可欠な第三の原理は、決定にあたっての行き詰まりを打開し、決定権を、それにふさわしい場に移行することをめざしている。これは単に指導者の交代をはかるということではなく、政治的麻痺状態に対する解毒剤である。私はこれを「決定権の分散」と呼ぶ。
問題によっては、地域レベルで解決できないものもある。また、国家レベルでも答を見出しがたいものもある。各種のレベルで、同時に行動する必要のある問題もある。さらに、問題を解決すべき適切な場は一個所にかぎらず、時とともに変わるのだ。
今日の決定の行き詰まりは、制度上の過負荷に起因するのだが、これを改善するためには決定権を分け、再分配する必要がある。問題の必要性に応じて、もっと広範囲に決定権を配分し、意思決定の場を入れ代えることが必要なのである。
今日の政治制度は、この原理に大変そぐわないものになっている。問題は移されても、決定権は移行しない。あまりにも多くの決定権が集中化するため、国家レベルにおいては、制度上の機構がきわめて複雑化する。これとは対照的に、国際政治のレベルでは十分な決定がなされておらず、必要的な機構の整備も、ひどく遅れている。また、国内の地域、州、地区、地方、地理的に区別できない社会集団、といったレベルでは、決定権はなきに等しい。
三百年前に産業革命がはじまった当時、国家がまだ未発達だったように、今日、われわれは、国際政治のレベルでは、原始的かつ未熟な段階にある。いくつかの決定を国民国家から「上部」に移すことによって、現在われわれがかかえているもっとも困難な問題の多くが、しかるべき段階で効果的に決定されうるし、加えて、意思決定の過負荷にあえぐ国民国家の重荷を、軽減することが可能になる。決定権の分散は不可欠なのだ。しかし決定の段階を上部に移すだけでは、問題は半分しか解決できない。意思決定のかなりの部分を、国家という中枢から下位に移す必要があることも、明らかである。
この問題もまた、どちらをとるかという性質のものではない。純粋に中央集権対地方分権ということではないのである。現在のシステムは、中央集権に力点をおきすぎているため、新しい情報が中枢の意思決定機関に洪水のように注ぎ込み、にっちもさっちもいかない状況を作り出している。したがって、問題は、決定権をいかに、合理的に再配分すべきかということなのである。
だが、地方分権さえ実現すれば、民主主義が保障されるというものでもない。地方においても悪質な専制政治が可能である。地方政治は国政よりはるかに腐敗している場合が多い。また、地方分権と受け取られていることでも、中央集権の座にいる者の利益を守るための、一種の擬似地方分権にすぎないことがよくある。
しかし、こういう悪い前例があるにしても、中央権力の実質的な委譲なしには、多くの政府が適切な判断を下し、秩序を回復し、能率的な行政を行いうるようになる可能性はない。決定の負担を再配分し、その相当量を下部に移管することが必要である。
これは、ロマンティックな無政府主義者が「村落民主主義」の復興を願っているからでもなく、また腹を立てた裕福な納税者が、貧しい人びとへの福祉事業を削減してほしいと望んでいるからでもない。中央権力の委譲が必要なのは、政治機構なるものは、いかに多くのコンピュータを備えていてもそれ相応の情報しか扱えないし、質量ともに限られた決定しか行えないからであり、また、決定事項の集中が、政府を圧迫し、いまやその限界を超えるにいたっているからなのだ。
さらに行政制度は、経済の構造や情報システムなど、文明の主要な要素と、相互に関連を保たなければならない。われわれの今日、生産と経済活動の根本的な分散化を目の当たりにしている。まさに経済の基礎的な単位は、もはや国民経済ではないといっていい。
すでに私たちが指摘したように、それぞれの国民経済のなかに、広範な強い結合力をもつ地域的な下部経済が出現している。企業のレベルでは、組織内部の分権化と地域的な分権化とが進行しているのだ。
これはある面では、社会における情報の流れが、大規模に転換していることの反映にほかならない。前にも述べたように、中央のネットワークの力が弱まるにつれ、通信機関の根本的な分散化が進行しているのだ。ケーブル・テレビジョン、カセット、コンピュータ、エレクトロニクスを使った私設通信連絡システムなどが、驚くべき勢いで普及し、これらすべてが、分散化という同一方向に向かって進んでいる。ひとつの社会において、経済活動、通信機関、そのほか多くのきわめて重要なプロセスの分散化が可能となるためには、遅かれ早かれ、政府の意思決定もまた、分散化されなければならない。
これは現行の政治制度の、単なる化粧なおしをしようということではない。当然そこには、予算、税金、土地、エネルギーなどの資源の管理について、広範な闘いが予想される。決定権の分散は、容易には実現しないだろう。しかし、集権化しすぎた国々においては、それはどうしても避けて通るわけにはいかない問題なのである。
エリート層の拡大
「決定の負担」という概念は、民主主義をどのように解釈する場合にも、きわめて重要な要素となる。いかなる社会も、その社会が機能するためには、質量ともに一定の政治的決定を必要とする。実際、それぞれの社会は独自の決定機構をもっている。社会を管理していくのに必要な決定が、おびただしい数にのぼり、変化に富み、頻繁になり、複雑になればなるほど、それだけ政治的な「決定の負担」が重くなる。この負担をどのように分かち合うかにより、社会における民主主義の水準が大きく変化する。
分業がほとんど行われておらず、変化が緩慢だった産業化以前の社会では、実際にものごとを管理運営していくために必要な政治的、行政的な決定は、ごくわずかですんだ。決定の負担が小さかったのである。封建君主国のたいした教養もなく、専門的知識もない支配エリートでも、下からの助けを借りずに、みずから決定をくだし、なんとかやっていくことができた。
いまわれわれが民主主義と呼んでいるものは、決定の負担が、旧来のエリートに処理しきれないほどに急にふくれ上がった時代に、突然現れたのである。第二の波の到来は、市場の拡大と大幅な分業をもたらし、社会は飛躍的に複雑さを増した。そのとき、第三の波が今日ひき起こしているのと同じような、決定の過負荷が起こったのである。
その結果、古い支配グループの決定能力が機能不全に陥ったため、新しいエリートとサブエリートが、決定の負担に対処するために補充されなければならなかった。革命的な新しい政治制度が、この目的のために設計される必要があったのだ。
産業社会が発展し、その複雑さの度合いが高まっていくにつれ、「権力をつかさどる専門家」である統括エリートは、拡大していく決定の負担を分かち合ってくれる新しい人材を、補充し続ける必要があった。社会の中間層を次第に政治の舞台に引き入れていったのは、目に見えない、だが動かしがたいこの過程にほかならなかった。たえず特権的な場をひろげ、適当なポストを作っては人材登用をはかり、社会的上昇の道を開いたのは、意思決定の必要性がひろがったからである。
この図式が大局的に見て正しいとしたら、民主主義の拡張は、文化とか、マルクス主義者のいう階級とか、戦場での勇気とか、雄弁とか、政治的意思などによって左右されているのではなく、むしろ、いかなる社会においても、その決定の負担の如何にかかわっているのだといってよかろう。重い負担は、最終的には、より広い民主的な政治参加を通じて分担されなければならない。したがって、社会体系のなかで決定の負担がひろがっていくあいだは、民主主義は選択の問題ではなく、必然の進化だということになる。社会のシステムは、それなしでは機能しえないのである。
こうしたことを考えてみると、われわれは、まさにいま、民主主義の大きな前進の時を迎えている、といえよう。いまや意思決定の過負荷は、それぞれの国の大統領、首相、そして政府をも圧倒しようとしている。だが、まさにこの過負荷のおかげで(産業革命以来はじめてのことだが)政治参加の急激なひろがりを予測させるエキサイティングな状況が生み出されているのである。
われわれは政治について新しい制度を求めていると同時に、家庭、教育、企業の新しいあり方を求めている。それは、われわれが新たなエネルギー体系、新たな科学技術、新たな産業を追求していることに深くかかわり合うものであり、また、通信手段の大変革や、非産業世界との関係の組みなおしを求める声にも呼応する。端的にいえば、それは、さまざまな領域において急速に進行している諸変化の、政治的反映といってよい。
この関連を無視するならば、毎日の新聞をにぎわしているさまざまな出来事の意味を理解することすらできない。今日、もっとも重要な問題は、もはや富める者と貧しき者の闘争でもなければ、支配的な人種と迫害された人種のあいだの闘争でもない。資本主義と社会主義とのあいだのビジョン闘争でもないのだ。今日、決定的意味をもつ闘争は、産業社会を支持し、これを守っていこうとする者と、それを越えて前進しようとする者との間に繰り広げられる闘争であって、それは、明日のための大闘争ともいうべき闘いなのである。
創造者たるべき運命
ある世代は文明を創造するために生まれ、ある世代はそれを維持するために生まれる。第二の波の歴史的変革をもたらした世代は、時代の要請によって、いや応なく創造者になった。モンテスキュー、ミル、マディソンといった人びとは、今日なおわれわれが何の疑問ももたずに受入れている政治形態の大部分を作り出した。第一の波と第二の波の二つの文明のはざまに捉えられたこの人びとにとって、創造は彼らの背負う運命だったのである。
今日、家庭、学校、会社、教会など、社会生活のあらゆる領域で、あるいはエネルギー体系や通信機構のなかで、われわれは第三の波の新しい諸制度を創造する必要に迫られている。多くの国で、無数の人間がすでにそうした創造活動を開始している。しかしながら、われわれの政治生活ほど老朽化が進行し、危機に瀕している領域はほかにあるまい。しかも、抜本的変革のために欠かせない想像力、実験、心の準備がこれほど弱い領域も、今日、ほかに見出せないのである。
法律事務所、実験室、台所、教室、会社などで、自分の仕事を勇敢に刷新しようとしている人びとですら、憲法や政治制度が老朽化し、抜本的に整備する必要があるなどといわれると、たちまち態度を硬化させるように思われる。彼らにとって、政治体制を根底から変えるなどということは、想像しただけでも、ぞっとすることなのだ。いかに現実と乖離し不合理であっても、現状が、考えうるすべての世界のなかで最善のものに思えてくるらしい。
逆に、どんな社会にも、第二の波の時代おくれの仮説に浸りきった、偽者の革命家というアウトサイダーがいる。彼らは、いかなる変革案が提示されても、十分革新的とは考えない。古典的マルクス主義者、無政府主義的ロマンチスト、右翼狂信者、机上の空論をふりまわすゲリラ、正真正銘のテロリストなどがそれで、彼らは、全体主義的テクノクラシーとか、中世的ユートピアを夢みているにすぎない。われわれが、歴史の新しい領域へ邁進しているというのに、彼らは、過去の政治論文の色あせたページから抜き出した革命の夢を、後生大事に育んでいる。
この大闘争が激化するとき、そこに待ち受けているものは、往時の革命劇の再演ではない。大衆を引き連れた特定の「前衛党」が、中央からの指令に基づいて、権力の座にあるエリートを打倒することでもない。テロによって誘発される自然発生的な、単なるカタルシスにすぎない大衆蜂起でもない。第三の波の文明にふさわしい新しい政治構造は、たったひとつの大変動がクライマックスに達したときに一気に実現するわけではなく、何十年かにわたり多くの場所、さまざまなレベルで生じる無数の改革や衝突の結果としてもたらされるであろう。
そうはいっても、明日へ向かうみちすじで暴力沙汰が起こらないという保証はない。第一の波から第二の波への移行は、戦争、暴動、飢饉、強制移民、クーデター、惨事など、血に染まった一連の長いドラマであった。今日、利害関係の対立はいっそう厳しくなっており、短い時間のうちに急速な変化が起こるはずだから、危険はむしろ大きくなっているのだ。
この危機をうまく乗り切るかどうかは、現在のエリート、サブ・エリート、超エリートたちの、柔軟性と英知にかかっているところが多い。もしこうしたエリート集団が、過去の支配者集団のほとんどがそうだったように、近視眼的で想像力に欠け、そのうえ臆病であるならば、彼らは第三の波にかたくなに抵抗し、そうすることによって、暴力の発生と自滅の危険を増大させるであろう。
逆に、もし第二の波のエリートが第三の波に適応していくならば、もし民主主義を拡大する必要を認めるならば、ちょうど第一のもっとも知性のあるエリートたちが、科学技術を基盤とした産業社会の到来を予想して、その創造に参加したように、第三の波の文明の創造過程に参加することができるであろう。
国によって事情は異なる。しかし、現在ほど多数の人間が高等教育を受けた次代は、歴史上かつて存在しなかった。人びとは信じがたいほど広範な知識によって、集団的に武装している。また、これほど多くの人びとが、これほど水準の高い豊かな生活を享受した時代もなかった。この豊かさは、おそらく安定した豊かさとはいえないとしても、人びとに、市民として社会的関心をいだき、行動を起こすだけの時間と能力を与えてくれた。これほど多くの人びとが旅行し、交流し、ほかの文化から学ぶことのできる時代はなかったのである。そして、何にもまして言えるのは、いま必要とされている変革が、根底からの変革でありながら、平和裡に成し遂げられることが保証されているおかげで、かくも多くの人びとが、いまだかつてなかったほど多くの利益を享受してきたということである。
いかに啓蒙されたエリートであれ、彼らだけで新文明を創造することはできない。全人類のエネルギーが必要である。そうしたエネルギーは、すでに利用できる状態となっており、解き放たれる日を待っている。実際、もし、完全に新しい制度と憲法の創造を次代の確たる目標として掲げるならば、とくにハイテク国家においては、いますぐにでも物質的エネルギーよりはるかに強力な力、すなわち集団的想像力を解き放つことができるのだ。
前述した少数勢力(マイノリティ・パワー)の重視、半直接民主主義の確立、決定権の分散という三つの原理を基盤とするこれからの政治制度は、早く設計を開始すればするほど、平和裡に現行の制度から移行できる可能性が高くなる。逆に危険度を高めるのは、変革そのものではなく、変革を妨げようとする試みである。流血の危機を生むのは、老朽化した制度を守ろうとする盲目的な試みにほかならない。
したがって、暴力的な混乱を避けようとするならば、世界的傾向である政治機構の老朽化の問題に、われわれは即刻取り組まなければならない。しかも、憲法学者や法律家、政治家といった専門家にとどまらず、市民団体、労働組合、教会、婦人団体、民族的・人種的マイノリティ-集団、科学者、主婦、ビジネスマンなど、一般大衆にも、この問題を提示していかなければならない。
われわれは、まず第一歩として、第三の波の文明が求めている新しい政治制度の必要性をめぐって、もっと広範な大衆討議をはじめなければならない。われわれは、会議、テレビ番組、コンテスト、シュミレーション、模擬憲法制定議会などを実施して、政治再建のための、想像力にみちた提案を幅広く集め、新鮮な着想を呼び覚まさなくてはならない。人工衛星やコンピュータから、映像用ディスクや双方向テレビにいたるまで、利用しうる最新の手段をフルに使いこなしていく、積極的姿勢がなければならない。
未来が何をよしとするか、第三の波の社会において、何がもっともよく機能するか、だれにもその詳細はわからない。したがって、われわれが想定すべきは、一回かぎりの大規模な再編成とか、トップから強要された一回かぎりの革命的な大変革ではなく、無数に分散された、慎重な実験である。そのためには、政治的意思決定の新しい、多様なモデルを、国家あるいは国際レベルに適応する前に、州や県ないし市町村レベルで、試してみる必要があろう。
それと同時に、国家あるいは国際レベルの新制度についても、同じような実験と革新的な再設計を行なうために、その支持層を作りはじめなければならない。今日、世界各地に広まった第二の波の諸政府に対する幻滅感、怒り、苦々しい思いは、全体主義的指導者を求める扇動者によってファナティックな騒乱へと駆り立てられていくか、あるいは民主主義の再建のために結集されるかのいずれかなのである。
広範な社会学習を開始し、予想される将来の民主主義について、多くの国でいっせいに実験を試みることによって、われわれは全体主義の攻勢を未然に防ぐことができる。何百万という人間に、前方に待ち受ける混乱や危険に対する、十全の準備を整えさせることもできる。そのうえで、必要な変革を促進するために、既存の政治制度に対して、戦略的圧力をかけることもできる。
このような下部からの強力な突き上げがなければ、大統領をはじめとする行政官、議員、主要な委員会の委員など、今日の名目上の指導者たちが、既存の諸制度に挑戦することは期待できない。いかに老朽化していようとも、それは彼らに権威や金銭を与え、もはや実体がないにせよ、権力の幻想を与えている制度だからである。長期的展望をもった政治家や役人がまれにいて、政治変革をめざす闘争に早くから支持を表明するかもしれない。だが大部分は、外部からの要請に抗しきれなくなるか、ないしは、すでに危機が高じて暴動に発展しかねないという、せっぱつまった状況にでも追い込まれなければ、動き出そうとはしないだろう。
ゆえに、変革を起こしていく責任は、われわれが負わなければならない。まず自分のことからはじめなければならないのだ。斬新な考えをもつ人、意外な発想をもつ人、急進的だと思える人に対して、あらかじめ心を閉ざしてしまうことのないよう、自戒しなければならない。それは、思想的暗殺者を排除する闘いである。彼らは、既存のあらゆるものが、いかに不合理で、圧制的、非機能的であろうと、その現実性を理由にそれらを擁護する。その一方で、新しい試みについては、いかなるものをも非現実的であると決めつけて、抹殺しようとするのである。それはまた、表現の自由(たとえ異端であろうとも、自分の思想を表明する権利)を守るための闘いでもある。
われわれは、とにもかくにも、早々に政治制度の再建に取りかからなければならない。既存の政治制度の崩壊が進行すれば、街頭に独裁者の軍勢が送り込まれ、二十一世紀の民主主義への平和的移行が不可能になってしまうからだ。
もし、いま改革に着手するならば、われわれとわれわれのこどもたちは、老朽化したこの政治構造だけでなく、文明そのものを再構築するという、心躍る事業に参加することができるだろう。
いまは亡き革命家たちと同じように、われわれも創造者たるべき運命を背負っているのである。
この章は、ご存知の通り、「第三の波」から引用・補足されたものです。
1980年に、このような言論を発表したトフラーは、本当にすごい!
今、読んでみても、未来への深い洞察力を読み取ることができます。
大阪維新の会は、第三の波の政治を実行できるか、創造者たるべき運命
を担い、旧体制の利権に組みする既成政党(自民~共産:思想的暗殺者)
を排除する闘いが可能か、どうか、よく見ていきましょう。
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第三の波の政治 中央公論社刊 19975.7.7発行
P.155~P.192
第9章 二十一世紀の民主主義
建国の両親へ
いまは亡き革命家の方々。あなたがたは男も女も、農民、商人、職人、弁護士、印刷業者、時事論文の執筆者、商店主、兵士もみんな力を合わせ、祖国を遠く離れたアメリカの海岸に、新しい国を建設した。1787年、ともにアメリカの地へやってきてフィラデルフィアのあの焼け付くような夏に、合衆国憲法と呼ばれる驚くべき公文書を書き上げた五十五人も、あなた方の仲間だ。あなた方は未来の創造者であり、その未来がいま、私どもの現在となっている。遠くに未来の音を聞き、一つの文明が死んでゆき、もう一つの新しい文明が生まれてきつつあるのを感じる。・・・・・・・・・・・・・・私たちは、ジェファソン氏のこの見識に対して、とりわけ感謝している。彼は、かくも長いあいだわれわれアメリカ人の役に立ち、そしていま役目を終え、新しい制度に場を譲ろうとしている現在の制度を作り上げることに尽力してくれたのだ。 アルビン・トフラー
ハイジ・トフラー
これは架空の手紙であるが、機会があれば同様の所感を述べる人たちが、多くの国にいるにちがいない。というのは、今日の政府が時代おくれだということは、私ひとりが発見した秘密ではないからである。またそれは、アメリカだけの病弊でもない。
要するに、古い第二の波の文明の残骸のうえに新しい第三の波の文明を築くということは、とりもなおさず、多くの国々において、いっせいに新しい、より適切な政治構造を設計するということである。これは、困難だが必要欠くべからざる事業であり、気も遠くなるほど広範囲にわたり、おそらく完成に何十年もかかる事業であろう。
アメリカ合衆国議会、英連邦諸国の下院と上院、フランスの下院、西ドイツ連邦議会、日本の国会、多くの国々の巨大な省庁と自己保身的な行政事務、憲法、裁判制度など、いわゆる代議制政体といわれるものの多くが肥大化して、ますます融通がきかなくなっている現在、これらの機構を徹底的に解体修理するか、或いはスクラップにしてしまうには、どう考えても、かなりの長期戦を覚悟する必要があろう。
政治闘争のこうしたうねりは、国家のレベルにとどまることはない。これからさき何年間、何十年間にわたって、国際連合から地域の市議会や町議会にいたるまで、「地球上のすべての立法機関」が、高まりつつある再建への、抗いがたい要求に直面することになろう。これらすべての機構は、根本的に改造されなければならない。それは、その機構が本来、弊害を伴っているからではなく、また特定の階級や集団によって支配されているからでもない。硬直化が進んだために、様相が一変してしまった世界の、さし迫った欲求に、もはや対応できなくなっているからである。
新たに柔軟な政府を築き、われわれの生涯でもっとも重要だと思われる政治的課題を達成するためには、第二の波の時代に累積された、常套的発想を払拭しなければならない。さらにわれわれは、次にあげる三つの主要な原理に照らして、政治を考え直さなければならないだろう。
マイノリティ・パワー
現在の考え方からすると異端ともいえるが、第三の波の政治体制を支える第一の原理は、マイノリティ・パワーの重視である。多数決という、第二の波の時代の正統的な基本原理は、日に日に時代遅れとなっている。考慮しなければならないのは多数派ではなく、少数意見なのである。現行の政治体系は、こうした事実について反省を深めていかなければならない。
アメリカ合衆国の独立に携わった世代の信条はどうかといえば、ふたたびジェファソンの話になるが、政府は「過半数の決定には絶対服従しなければならない」というのが彼の主張であった。これは、独立革命に携わった世代の意見を代表しているといってよい。当時、アメリカ合衆国やヨーロッパは、まだ第二の波の黎明期にあり、産業大衆社会へと転換していく長い道程を、まさに踏み出したところであった。多数決の概念は、こうした当時の社会の要請に、ぴったりと一致していたのである。現在の多数決に基づく民主主義は、大量生産、大量消費、大衆教育、マス・メディア、大衆社会の政治的表現なのである。
すでに述べてきたように、今日、われわれは産業主義を乗り越え、急速に脱画一化社会へ進みつつある。その結果、過半数を集めることはもちろん、連立政権を成立させることさえ、ますます困難となりつつある。むしろ不可能になってきているといってもよいだろう。マサチューセッツ工科大学の政治学者ウォルター・ディーン・バーナムの言うとおり、アメリカ合衆国において、「今日、何事に係わらず、積極的な意味で過半数を得られるという根拠は見当たらない」のである。
いくつかの主要な党派が連合して多数派を形成するというピラミッド型社会の代わりに、きわめて多くの、その場かぎりの少数派が渦巻き、一時期同じ行動様式をとるが、肝心な問題についてはめったに51パーセントの過半数にまとまることのない、並列的社会がくるだろう。第三の波の文明の発展とともに、現存の多くの政府は、その存在意義を減じていくだろう。
多数決は社会正義につながる、というわれわれが信じ込んできた仮説に対して、第三の波は、敢然と挑戦状をつきつけている。第二の波の文明の時代を通じて、多数決を求める闘いは、人間味にあふれた、解放をめざすものであった。南アフリカのように、産業化が現在進行中の国々においては、いまでもそうである。第二の波の社会において、多数決は、ほとんどつねに、貧しい人びとに、より公平な機会をもたらしてきたのである。というのは、これまでは貧しい人びとが、多数派を占めていたからである。
しかし今日、第三の波に揺らぐ国々では、多くの場合、事態はまさに反対になっている。本当に貧しい人びとは、いまや必ずしも多数派ではない。多くの国々において、彼らは(ほかの人たちと同様)少数派になっているのだ。第三の波の時代へ移行しつつある社会において、もはや、多数決はつねに正当な原理とはいえず、また、必ずしも人間的でもなく、民主的でもない。
第二の波のイデオローグたちは、大衆社会の解体を決まり文句で嘆くにちがいない。彼らは、こうした豊かな多様性を、人類発展の好機と見ずに、“手榴弾が炸裂するような分裂”だとか、“かつてのバルカン半島における諸国分裂にも似た細分化だ”と酷評し、多様性を、少数派によって巻き起こされた“利己主義”のせいだという。これは原因と結果をとりちがえた、とるに足りない主張である。少数派の積極的な行動が高まっているのは、気まぐれな利己主義の結果ではない。それはとりわけ、新しい生産方式の必要性を反映しているにほかならず、しかも、この方法が実現するためには、かつてないほど変化に富んだ、多彩な、そして開かれた、まったく新しい社会が必要とされるからである。
われわれが選びうる道は、第二の波の政治制度を守るために、必死の、しかし無益な努力によって多様性への抵抗を試みるか、あるいは多様性を認めて政治制度をこれに適するように変えていくか、のどちらかに限られている。
前者の戦略は、全体主義的な手段によってのみ達成されるものであり、経済不況と文化的停滞を招きかねない。後者は社会の進化をもたらし、少数派に基盤をおいた、二十一世紀の民主主義につながる。
第三の波の時代に民主主義を立て直すためには、多様化が進めば必然的に社会の緊張が高まり、対立が深まるという、人びとの恐怖心をかりたてる誤った仮設を捨てなければならない。じつは、その逆の場合も十分ありうるのだ。社会における対立は必要なだけでなく、一定限度までの対立は、むしろ望ましいことでもある。もし百人の男が、何が何でも同じ高官のポストに就こうと競争すればそのために争いが起こるかもしれない。一方、百人の目標がひとりひとり別であれば、取引をし、協力し合い、相互の共存関係を作り上げたほうが、彼らにとってはるかに利益が多い。
適切な社会的取り決めさえあれば、多様性は文明をゆるぎない、確固としたものにするのに役立ちうる。
少数派のあいだの対立がいたずらに深まり、暴力を誘発しかねないほどに泥沼化してしまうのも、今日、適切な政治制度がないからである。少数派を非妥協的にしているのも、多数派の存在をますます困難にしているのも、こうした制度の欠如による。
これらの問題に対する答は、反対意見を押さえつけることではなく、少数派を利己主義だと非難することでもない。(権力を握っているエリートやそれを支えている専門家集団も、利己主義という点では同罪にすぎない。)多様な立場を調整し、それぞれに正当な場を与えるような、まったく新しい決着の仕方を考えること、変貌し、いよいよ細分化していく少数派の激しい要求を敏感に反映させうる、新しい制度を作ること。答はそこにしかない。
未来の歴史学者たちが、投票による多数派選びを回顧して、コミュニケーションに関しては原始人同然な人びとが執り行った古代の儀式だ、という時代がくるかもしれない。だが今日、この危険にみちた世界において、全権をだれか特定の人間に委任することはできない。多数派優先のシステムのもとでは、一般大衆の声はきわめて弱いものだとはいえ、それを反映させるシステムを、諦めてかかることはできない。また、一握りの少数派に独裁的な決定権を与え、ほかのすべての少数派を支配させることもできない。
捉えどころのない多数派を追い求めていく不完全な第二の波の方法を、根本的に修正しなければならないのも、このためである。少数派の民主主義を考案するための、新しいアプローチが必要である。排他的な投票を行い、論点を詭弁で言いくるめ、選挙を裏であやつり、これによってまやかしの多数派をでっち上げて意見のちがいを誤魔化すのではなく、その相違を明らかにすることを目的とした方法がとられるべきである。つまり、多様な少数派のそれぞれの役割を高め、しかも、そうした少数派が一体となって多数派を形成しうるよう、全システムを近代化する必要がある。 第二の波の社会において、国民の意思を決める投票は、統治者であるエリートにとって、フィードバックの重要なルートであった。大多数が何らかの理由で、ある状況を耐え難いと感じ、51パーセントが投票でそのことを表明すれば、エリートたちは少なくとも政党の交替をはかるとか、政策を変更するなど、何らかの調整を行うことができた。
しかし過去の大衆社会においてさえ、51パーセントの原理は、きわめて大ざっぱな、量だけを計る手段であった。過半数を決める投票では、人びとの意見の質については、なにも明らかにならない。ある時点で、いかに多くの人がある特定のことを望んでいるかはわかるが、その願望がどの程度切実なのかはわからない。とりわけ、それを手に入れるためなら何を犠牲にしてよいと考えているのかという点については、まったくわからない。これは数多くの少数派によって形成される社会においては、どうしても知っておかなければならない重要なことなのだ。
また、少数派が、あるひとつの問題に非常な脅威を感じ、生死にかかわる重要な事柄だと考え、そのためわれわれが、その見解にことのほか注目しなければならないときでも、過半数の原理では、これを知ることができない。
大衆社会において、多数決の欠陥はよく知られていたにもかかわらず黙認されてきたのは、ほとんどの少数派が、このシステムを打ちこわす戦略的な力を欠いていたからである。さまざまな利害関係や考え方が網の目のようにからみあい、われわれすべてが、何らかの少数派グループに属している今日の社会では、このシステムはもはや正当であるとはいえない。
第三の波の脱画一化社会にとって、過去の産業主義時代のフィードバック・システムは、きわめて不完全なものである。したがってわれわれは、まったく新しい方法で、投票と票決を行わなければならないのだ。
幸い、第三の波の技術が第三の波の民主主義の道を切り開いてくれる。アメリカの建国の父たちが二百年前に考えた基本問題への取り組みが、驚くべき新しい状況の中で再建されるのだ。第三の波の技術のおかげで、これまで非現実的だと思われていた形態の民主主義を新しいものにすることが可能になるのである。
半直接民主主義
明日の政治体系を築くための第二の骨組みは、半民主主義という原理にほかならない。選ばれた代表者への依存から、自分たち自身が代表となることへの、転換である。つまり、間接代表と直接代表の双方を取り入れたものが、半直接民主主義である。
すでに述べたように、コンセンサスが失われたことによって、代議制の概念そのものが崩壊している。有権者のあいだに合意がなければ、代表者とはいったいだれの代表なのか。そのうえ国会議員は法律の制定にあたり、スタッフの補佐や外部の専門家の助言に、ますます頼らざるをえなくなっている。イギリスの下院議員が、ホワイトホールの中央官庁の官僚にくらべて弱体だということは、周知の事実である。こうしたことが起こるのは、彼らには適切なスタッフのサポートがなく、このため多くの権限が議会から選挙によらない役人に移管されているからにほかならない。合衆国連邦議会は、行政官庁の実力との均衡をはかるために、例えば議会予算担当事務局、テクノロジー・アセスメントを執り行う部門など、必要な部局や附属機関を設けている。しかし、これは問題を単に管轄外から管轄内に移したにすぎない。われわれが選出した議員たちは、決定を下さなければならない無数の法案について、知識に乏しく、他人の判断に従わざるを得なくなってきている。議員はもはや、代表とはいいがたい。
さらに基本的にいえば、立法府というものは、理論上、敵対し合う少数派の主張を調停しうる場であった。自分が代表している国民のために取引をするのが、議員であったはずである。だが、今日の時代おくれになってしまった切れ味の悪い政治的手段を使っていたのでは、議員は自分が代表する小グループに十分な目配りをすることすらできず、ましてはその小グループのために効果的な取引をしたり、仲介の労をとったりすることは到底できない。アメリカはもとより、西ドイツやノルウェーでも、議会に過重な負担がかかればかかるほど、事態はますます悪化している。
単独の争点をかかげた政治的圧力集団が、なぜ非妥協的になるのか、これはその説明にもなろう。連邦議会や州議会を通じて、込み入った取引や調停の機会がほとんどないことを考えてみると、いまの機構上、彼らの要求にはどうにも対処できないといっていい。代議制政体を最終的な仲介の役割を果たすべきものとする論拠もまた、崩れ去っている。
交渉は成立せず、問題は解決されなくなった。代議制制度の麻痺状態は悪化の一途をたどり、これが長期化している現状では、少数の見せかけの代表者によって下されている多くの決定が、徐々に選挙民自身の手に移行されてしかるべきであろう。我々が選出した仲介者が、我々のために有利な取引ができないなら、我々は、自らそれをすべきであろう。代表者の制定する法律がわれわれの要求を反映せず、ますます遊離していくならば、我々はそれに代わって自分たち自身で法律を作るべきであろう。そのためには、新しい制度と新しいテクノロジーが必要となる。
今日の代議制の基礎となる一連の制度を作り出した第二の波の革命家たちは、代議制民主主義に対する直接民主主義の可能性についてもよく知っていた。アメリカの独立にたずさわった革命家たちは、植民地時代からニュー・イングランドに発達していた住民総会による小規模ではあるが組織的なコンセンサスの形成方法についても、よく知っていた。しかし、直接民主主義の短所と限界もよく知られており、当時としてはその印象のほうが強かった。
合衆国において国民投票を提案しているマッコーレイ、ルード、ジョンソンの三人は、「米国憲法批准促進のための当時の論文集『ザ・フェデラリスト』には、直接民主主義に対する反対理由が、二つ挙げられている。一つは、直接民主主義は民衆の一時的、感情的な反応を抑制し、冷却するための備えを欠いているという理由であり、二つ目は、当時の通信技術では、意見の集約ができないということだった」と書いている。
この指摘は正当である。例えば1960年代半ばの、挫折し怒りに燃えたアメリカの民衆は、ハノイに原子爆弾を投下すべきか否かについて、どのような投票をしたであろうか。バーダー=マインホッフ一派のテロリストに激怒していた西ドイツの民衆は、そのシンパを強制収容所に収容しろという提案について、どういう反応を示したであろうか、ルネ・レヴェスクが権力を握った一週間後に、ケベックについてカナダ人が国民投票を行ったら、いったいどういうことになっていたか。選挙で選ばれる議員たちは、おそらく、民衆ほどは感情的でなく、またより慎重な態度をとるはずだ。
しかし、民衆の反応が感情過多におちいりやすいという問題は、さまざまな方法によって克服できる。たとえば、直接選挙民に問う国民投票などの直接民主主義の形態を経て決定された重要議決は、実行に移される前に冷却期間をおくとか、二回目の投票を行うとか、いろいろな方法をとりうるはずである。
もうひとつの反対理由も解消しうる。というのは、以前のように通信技術上のネックが、広範な直接民主主義をとるための制約になることは今ではなくなったからだ。電気通信技術の目覚しい発展が、はじめて政策の意思決定に直接、市民が参加しうるさまざまな可能性を、一挙に拓いたのである。
私たちは何年か前に、オハイオ州コロンバス市にあるキューブ・ケーブル・テレビジョン・システムを利用した、世界初の「エレクトロニクスによる住民総会」という歴史的な出来事について、意見を発表する機会にめぐまれた。この双方向の電気通信システムによって、コロンバス市郊外の住民は、地域計画委員会の政治的会合に、エレクトロニクスを通じて実際に参加したのである。地域の区画規制、住宅建設基準、高速道路建設案といった日常生活に関する提案に対して、住民は居間でボタンを押し、ただちに投票をすることができた。プッシュボタンを使って、議長に議題の次の項目に移るよう指図することまでできたのである。
これは明日の直接民主主義の可能性に対する最初の、もっとも原始的な萌芽にすぎない。高性能コンピュータ、人工衛星、電話、ケーブルテレビジョン、新しい投票技術、そのほかの手段を使うことによって、歴史上はじめて教養ある市民が、みずから多くの政策決定に参加しうるのである。
論点はどちらか一方ということではない。問題はロス・ペローがいっているような生噛りの“エレクトロニクスによる住民総会”にあるのではない。それよりさらに神経のこまやかな洗練された民主主義のプロセスが可能なのだ。間接民主主義か直接民主主義かとか、他人によって代表されるかみずから代表となるか、というような二者択一的問題ではないのである。
このほかにも、直接民主主義と間接民主主義を結びつける、さまざまな手順が考えられる。いまでも、アメリカ連邦議会をはじめとする、ほとんどの立法機関の議員たちは、委員会を設けている。ところが、放置されている問題や議論の焦点となっている問題を処理するために、立法者に委員会を作らせようとしても、市民にはその方策がない。立法者が重要だと思う事柄ではなく、市民が重要だと思う事柄について、立法機関に委員会を設置するよう直接請願する権限が、なぜ選挙民には与えられていないのだろうか。
こうした空間的ともいえる提案を私が繰り返し行っているのは、何がなんでもこうした方法を実行してほしいからではない。より共通性のある、基本的な事柄を力説したいだけなのだ。つまり、現行のシステムはいまや崩壊寸前の状態であり、それを適切な代議制だと感じている人もほとんど見当たらないほどだが、それでもこのシステムを民主化し、より開かれたものにしていく強力な方法があるということを言いたいのである。しかし、そのためには、過去三百年間使い古してきた、決まりきったやり方を度外視して考え始めなれけばならない。すでに過去となった第二の波の旧態然たる観念、規範、機構では、もはや問題を解決することはできないのである。
新たな提案には、不確定な要素がふんだんに含まれているはずだから、広い規模で適用する前に、慎重な、地域的実験を行う必要がある。われわれが個々に提案についてどう感じようとも、代議制民主主義への異議が強まりつつあるときだけに、直接民主主義への、古臭い反対意見が弱まりつつあるということは断言できる。
半直接民主主義は、危険でとっぴなものだと思う人がいるかもしれないが、未来のための、新しい、有効な制度を設定していくうえで、穏当な原理であるといってよいであろう。
決定権の分散
政治のシステムを、少数派の勢力にもっと開放すること、また市民がみずからの統治に、より直接的な役割を果たしうるようにすること、これらはいずれも必要なことではあるが、必要な方法の一部にすぎない。明日の政治にとって不可欠な第三の原理は、決定にあたっての行き詰まりを打開し、決定権を、それにふさわしい場に移行することをめざしている。これは単に指導者の交代をはかるということではなく、政治的麻痺状態に対する解毒剤である。私はこれを「決定権の分散」と呼ぶ。
問題によっては、地域レベルで解決できないものもある。また、国家レベルでも答を見出しがたいものもある。各種のレベルで、同時に行動する必要のある問題もある。さらに、問題を解決すべき適切な場は一個所にかぎらず、時とともに変わるのだ。
今日の決定の行き詰まりは、制度上の過負荷に起因するのだが、これを改善するためには決定権を分け、再分配する必要がある。問題の必要性に応じて、もっと広範囲に決定権を配分し、意思決定の場を入れ代えることが必要なのである。
今日の政治制度は、この原理に大変そぐわないものになっている。問題は移されても、決定権は移行しない。あまりにも多くの決定権が集中化するため、国家レベルにおいては、制度上の機構がきわめて複雑化する。これとは対照的に、国際政治のレベルでは十分な決定がなされておらず、必要的な機構の整備も、ひどく遅れている。また、国内の地域、州、地区、地方、地理的に区別できない社会集団、といったレベルでは、決定権はなきに等しい。
三百年前に産業革命がはじまった当時、国家がまだ未発達だったように、今日、われわれは、国際政治のレベルでは、原始的かつ未熟な段階にある。いくつかの決定を国民国家から「上部」に移すことによって、現在われわれがかかえているもっとも困難な問題の多くが、しかるべき段階で効果的に決定されうるし、加えて、意思決定の過負荷にあえぐ国民国家の重荷を、軽減することが可能になる。決定権の分散は不可欠なのだ。しかし決定の段階を上部に移すだけでは、問題は半分しか解決できない。意思決定のかなりの部分を、国家という中枢から下位に移す必要があることも、明らかである。
この問題もまた、どちらをとるかという性質のものではない。純粋に中央集権対地方分権ということではないのである。現在のシステムは、中央集権に力点をおきすぎているため、新しい情報が中枢の意思決定機関に洪水のように注ぎ込み、にっちもさっちもいかない状況を作り出している。したがって、問題は、決定権をいかに、合理的に再配分すべきかということなのである。
だが、地方分権さえ実現すれば、民主主義が保障されるというものでもない。地方においても悪質な専制政治が可能である。地方政治は国政よりはるかに腐敗している場合が多い。また、地方分権と受け取られていることでも、中央集権の座にいる者の利益を守るための、一種の擬似地方分権にすぎないことがよくある。
しかし、こういう悪い前例があるにしても、中央権力の実質的な委譲なしには、多くの政府が適切な判断を下し、秩序を回復し、能率的な行政を行いうるようになる可能性はない。決定の負担を再配分し、その相当量を下部に移管することが必要である。
これは、ロマンティックな無政府主義者が「村落民主主義」の復興を願っているからでもなく、また腹を立てた裕福な納税者が、貧しい人びとへの福祉事業を削減してほしいと望んでいるからでもない。中央権力の委譲が必要なのは、政治機構なるものは、いかに多くのコンピュータを備えていてもそれ相応の情報しか扱えないし、質量ともに限られた決定しか行えないからであり、また、決定事項の集中が、政府を圧迫し、いまやその限界を超えるにいたっているからなのだ。
さらに行政制度は、経済の構造や情報システムなど、文明の主要な要素と、相互に関連を保たなければならない。われわれの今日、生産と経済活動の根本的な分散化を目の当たりにしている。まさに経済の基礎的な単位は、もはや国民経済ではないといっていい。
すでに私たちが指摘したように、それぞれの国民経済のなかに、広範な強い結合力をもつ地域的な下部経済が出現している。企業のレベルでは、組織内部の分権化と地域的な分権化とが進行しているのだ。
これはある面では、社会における情報の流れが、大規模に転換していることの反映にほかならない。前にも述べたように、中央のネットワークの力が弱まるにつれ、通信機関の根本的な分散化が進行しているのだ。ケーブル・テレビジョン、カセット、コンピュータ、エレクトロニクスを使った私設通信連絡システムなどが、驚くべき勢いで普及し、これらすべてが、分散化という同一方向に向かって進んでいる。ひとつの社会において、経済活動、通信機関、そのほか多くのきわめて重要なプロセスの分散化が可能となるためには、遅かれ早かれ、政府の意思決定もまた、分散化されなければならない。
これは現行の政治制度の、単なる化粧なおしをしようということではない。当然そこには、予算、税金、土地、エネルギーなどの資源の管理について、広範な闘いが予想される。決定権の分散は、容易には実現しないだろう。しかし、集権化しすぎた国々においては、それはどうしても避けて通るわけにはいかない問題なのである。
エリート層の拡大
「決定の負担」という概念は、民主主義をどのように解釈する場合にも、きわめて重要な要素となる。いかなる社会も、その社会が機能するためには、質量ともに一定の政治的決定を必要とする。実際、それぞれの社会は独自の決定機構をもっている。社会を管理していくのに必要な決定が、おびただしい数にのぼり、変化に富み、頻繁になり、複雑になればなるほど、それだけ政治的な「決定の負担」が重くなる。この負担をどのように分かち合うかにより、社会における民主主義の水準が大きく変化する。
分業がほとんど行われておらず、変化が緩慢だった産業化以前の社会では、実際にものごとを管理運営していくために必要な政治的、行政的な決定は、ごくわずかですんだ。決定の負担が小さかったのである。封建君主国のたいした教養もなく、専門的知識もない支配エリートでも、下からの助けを借りずに、みずから決定をくだし、なんとかやっていくことができた。
いまわれわれが民主主義と呼んでいるものは、決定の負担が、旧来のエリートに処理しきれないほどに急にふくれ上がった時代に、突然現れたのである。第二の波の到来は、市場の拡大と大幅な分業をもたらし、社会は飛躍的に複雑さを増した。そのとき、第三の波が今日ひき起こしているのと同じような、決定の過負荷が起こったのである。
その結果、古い支配グループの決定能力が機能不全に陥ったため、新しいエリートとサブエリートが、決定の負担に対処するために補充されなければならなかった。革命的な新しい政治制度が、この目的のために設計される必要があったのだ。
産業社会が発展し、その複雑さの度合いが高まっていくにつれ、「権力をつかさどる専門家」である統括エリートは、拡大していく決定の負担を分かち合ってくれる新しい人材を、補充し続ける必要があった。社会の中間層を次第に政治の舞台に引き入れていったのは、目に見えない、だが動かしがたいこの過程にほかならなかった。たえず特権的な場をひろげ、適当なポストを作っては人材登用をはかり、社会的上昇の道を開いたのは、意思決定の必要性がひろがったからである。
この図式が大局的に見て正しいとしたら、民主主義の拡張は、文化とか、マルクス主義者のいう階級とか、戦場での勇気とか、雄弁とか、政治的意思などによって左右されているのではなく、むしろ、いかなる社会においても、その決定の負担の如何にかかわっているのだといってよかろう。重い負担は、最終的には、より広い民主的な政治参加を通じて分担されなければならない。したがって、社会体系のなかで決定の負担がひろがっていくあいだは、民主主義は選択の問題ではなく、必然の進化だということになる。社会のシステムは、それなしでは機能しえないのである。
こうしたことを考えてみると、われわれは、まさにいま、民主主義の大きな前進の時を迎えている、といえよう。いまや意思決定の過負荷は、それぞれの国の大統領、首相、そして政府をも圧倒しようとしている。だが、まさにこの過負荷のおかげで(産業革命以来はじめてのことだが)政治参加の急激なひろがりを予測させるエキサイティングな状況が生み出されているのである。
われわれは政治について新しい制度を求めていると同時に、家庭、教育、企業の新しいあり方を求めている。それは、われわれが新たなエネルギー体系、新たな科学技術、新たな産業を追求していることに深くかかわり合うものであり、また、通信手段の大変革や、非産業世界との関係の組みなおしを求める声にも呼応する。端的にいえば、それは、さまざまな領域において急速に進行している諸変化の、政治的反映といってよい。
この関連を無視するならば、毎日の新聞をにぎわしているさまざまな出来事の意味を理解することすらできない。今日、もっとも重要な問題は、もはや富める者と貧しき者の闘争でもなければ、支配的な人種と迫害された人種のあいだの闘争でもない。資本主義と社会主義とのあいだのビジョン闘争でもないのだ。今日、決定的意味をもつ闘争は、産業社会を支持し、これを守っていこうとする者と、それを越えて前進しようとする者との間に繰り広げられる闘争であって、それは、明日のための大闘争ともいうべき闘いなのである。
創造者たるべき運命
ある世代は文明を創造するために生まれ、ある世代はそれを維持するために生まれる。第二の波の歴史的変革をもたらした世代は、時代の要請によって、いや応なく創造者になった。モンテスキュー、ミル、マディソンといった人びとは、今日なおわれわれが何の疑問ももたずに受入れている政治形態の大部分を作り出した。第一の波と第二の波の二つの文明のはざまに捉えられたこの人びとにとって、創造は彼らの背負う運命だったのである。
今日、家庭、学校、会社、教会など、社会生活のあらゆる領域で、あるいはエネルギー体系や通信機構のなかで、われわれは第三の波の新しい諸制度を創造する必要に迫られている。多くの国で、無数の人間がすでにそうした創造活動を開始している。しかしながら、われわれの政治生活ほど老朽化が進行し、危機に瀕している領域はほかにあるまい。しかも、抜本的変革のために欠かせない想像力、実験、心の準備がこれほど弱い領域も、今日、ほかに見出せないのである。
法律事務所、実験室、台所、教室、会社などで、自分の仕事を勇敢に刷新しようとしている人びとですら、憲法や政治制度が老朽化し、抜本的に整備する必要があるなどといわれると、たちまち態度を硬化させるように思われる。彼らにとって、政治体制を根底から変えるなどということは、想像しただけでも、ぞっとすることなのだ。いかに現実と乖離し不合理であっても、現状が、考えうるすべての世界のなかで最善のものに思えてくるらしい。
逆に、どんな社会にも、第二の波の時代おくれの仮説に浸りきった、偽者の革命家というアウトサイダーがいる。彼らは、いかなる変革案が提示されても、十分革新的とは考えない。古典的マルクス主義者、無政府主義的ロマンチスト、右翼狂信者、机上の空論をふりまわすゲリラ、正真正銘のテロリストなどがそれで、彼らは、全体主義的テクノクラシーとか、中世的ユートピアを夢みているにすぎない。われわれが、歴史の新しい領域へ邁進しているというのに、彼らは、過去の政治論文の色あせたページから抜き出した革命の夢を、後生大事に育んでいる。
この大闘争が激化するとき、そこに待ち受けているものは、往時の革命劇の再演ではない。大衆を引き連れた特定の「前衛党」が、中央からの指令に基づいて、権力の座にあるエリートを打倒することでもない。テロによって誘発される自然発生的な、単なるカタルシスにすぎない大衆蜂起でもない。第三の波の文明にふさわしい新しい政治構造は、たったひとつの大変動がクライマックスに達したときに一気に実現するわけではなく、何十年かにわたり多くの場所、さまざまなレベルで生じる無数の改革や衝突の結果としてもたらされるであろう。
そうはいっても、明日へ向かうみちすじで暴力沙汰が起こらないという保証はない。第一の波から第二の波への移行は、戦争、暴動、飢饉、強制移民、クーデター、惨事など、血に染まった一連の長いドラマであった。今日、利害関係の対立はいっそう厳しくなっており、短い時間のうちに急速な変化が起こるはずだから、危険はむしろ大きくなっているのだ。
この危機をうまく乗り切るかどうかは、現在のエリート、サブ・エリート、超エリートたちの、柔軟性と英知にかかっているところが多い。もしこうしたエリート集団が、過去の支配者集団のほとんどがそうだったように、近視眼的で想像力に欠け、そのうえ臆病であるならば、彼らは第三の波にかたくなに抵抗し、そうすることによって、暴力の発生と自滅の危険を増大させるであろう。
逆に、もし第二の波のエリートが第三の波に適応していくならば、もし民主主義を拡大する必要を認めるならば、ちょうど第一のもっとも知性のあるエリートたちが、科学技術を基盤とした産業社会の到来を予想して、その創造に参加したように、第三の波の文明の創造過程に参加することができるであろう。
国によって事情は異なる。しかし、現在ほど多数の人間が高等教育を受けた次代は、歴史上かつて存在しなかった。人びとは信じがたいほど広範な知識によって、集団的に武装している。また、これほど多くの人びとが、これほど水準の高い豊かな生活を享受した時代もなかった。この豊かさは、おそらく安定した豊かさとはいえないとしても、人びとに、市民として社会的関心をいだき、行動を起こすだけの時間と能力を与えてくれた。これほど多くの人びとが旅行し、交流し、ほかの文化から学ぶことのできる時代はなかったのである。そして、何にもまして言えるのは、いま必要とされている変革が、根底からの変革でありながら、平和裡に成し遂げられることが保証されているおかげで、かくも多くの人びとが、いまだかつてなかったほど多くの利益を享受してきたということである。
いかに啓蒙されたエリートであれ、彼らだけで新文明を創造することはできない。全人類のエネルギーが必要である。そうしたエネルギーは、すでに利用できる状態となっており、解き放たれる日を待っている。実際、もし、完全に新しい制度と憲法の創造を次代の確たる目標として掲げるならば、とくにハイテク国家においては、いますぐにでも物質的エネルギーよりはるかに強力な力、すなわち集団的想像力を解き放つことができるのだ。
前述した少数勢力(マイノリティ・パワー)の重視、半直接民主主義の確立、決定権の分散という三つの原理を基盤とするこれからの政治制度は、早く設計を開始すればするほど、平和裡に現行の制度から移行できる可能性が高くなる。逆に危険度を高めるのは、変革そのものではなく、変革を妨げようとする試みである。流血の危機を生むのは、老朽化した制度を守ろうとする盲目的な試みにほかならない。
したがって、暴力的な混乱を避けようとするならば、世界的傾向である政治機構の老朽化の問題に、われわれは即刻取り組まなければならない。しかも、憲法学者や法律家、政治家といった専門家にとどまらず、市民団体、労働組合、教会、婦人団体、民族的・人種的マイノリティ-集団、科学者、主婦、ビジネスマンなど、一般大衆にも、この問題を提示していかなければならない。
われわれは、まず第一歩として、第三の波の文明が求めている新しい政治制度の必要性をめぐって、もっと広範な大衆討議をはじめなければならない。われわれは、会議、テレビ番組、コンテスト、シュミレーション、模擬憲法制定議会などを実施して、政治再建のための、想像力にみちた提案を幅広く集め、新鮮な着想を呼び覚まさなくてはならない。人工衛星やコンピュータから、映像用ディスクや双方向テレビにいたるまで、利用しうる最新の手段をフルに使いこなしていく、積極的姿勢がなければならない。
未来が何をよしとするか、第三の波の社会において、何がもっともよく機能するか、だれにもその詳細はわからない。したがって、われわれが想定すべきは、一回かぎりの大規模な再編成とか、トップから強要された一回かぎりの革命的な大変革ではなく、無数に分散された、慎重な実験である。そのためには、政治的意思決定の新しい、多様なモデルを、国家あるいは国際レベルに適応する前に、州や県ないし市町村レベルで、試してみる必要があろう。
それと同時に、国家あるいは国際レベルの新制度についても、同じような実験と革新的な再設計を行なうために、その支持層を作りはじめなければならない。今日、世界各地に広まった第二の波の諸政府に対する幻滅感、怒り、苦々しい思いは、全体主義的指導者を求める扇動者によってファナティックな騒乱へと駆り立てられていくか、あるいは民主主義の再建のために結集されるかのいずれかなのである。
広範な社会学習を開始し、予想される将来の民主主義について、多くの国でいっせいに実験を試みることによって、われわれは全体主義の攻勢を未然に防ぐことができる。何百万という人間に、前方に待ち受ける混乱や危険に対する、十全の準備を整えさせることもできる。そのうえで、必要な変革を促進するために、既存の政治制度に対して、戦略的圧力をかけることもできる。
このような下部からの強力な突き上げがなければ、大統領をはじめとする行政官、議員、主要な委員会の委員など、今日の名目上の指導者たちが、既存の諸制度に挑戦することは期待できない。いかに老朽化していようとも、それは彼らに権威や金銭を与え、もはや実体がないにせよ、権力の幻想を与えている制度だからである。長期的展望をもった政治家や役人がまれにいて、政治変革をめざす闘争に早くから支持を表明するかもしれない。だが大部分は、外部からの要請に抗しきれなくなるか、ないしは、すでに危機が高じて暴動に発展しかねないという、せっぱつまった状況にでも追い込まれなければ、動き出そうとはしないだろう。
ゆえに、変革を起こしていく責任は、われわれが負わなければならない。まず自分のことからはじめなければならないのだ。斬新な考えをもつ人、意外な発想をもつ人、急進的だと思える人に対して、あらかじめ心を閉ざしてしまうことのないよう、自戒しなければならない。それは、思想的暗殺者を排除する闘いである。彼らは、既存のあらゆるものが、いかに不合理で、圧制的、非機能的であろうと、その現実性を理由にそれらを擁護する。その一方で、新しい試みについては、いかなるものをも非現実的であると決めつけて、抹殺しようとするのである。それはまた、表現の自由(たとえ異端であろうとも、自分の思想を表明する権利)を守るための闘いでもある。
われわれは、とにもかくにも、早々に政治制度の再建に取りかからなければならない。既存の政治制度の崩壊が進行すれば、街頭に独裁者の軍勢が送り込まれ、二十一世紀の民主主義への平和的移行が不可能になってしまうからだ。
もし、いま改革に着手するならば、われわれとわれわれのこどもたちは、老朽化したこの政治構造だけでなく、文明そのものを再構築するという、心躍る事業に参加することができるだろう。
いまは亡き革命家たちと同じように、われわれも創造者たるべき運命を背負っているのである。