20240607投稿で、スマートホン対応でお
願いしますとのご要望があったので、今後の書式
を以下に統一します。(22P)再投稿○
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
未来学と楽観主義
アルビン・トフラーとユヴァル・ノア・ハラリの
共通点は、楽観主義を基本として未来を語って
いるところである。未来を語る上で、悲観主義的
な事柄を述べていては未来が無い。
知的な楽観主義で未来を思考することが最も重要
だと私は主張したい。
双方著者の著書物発行は、40代からのもので共
通点がある。
更には、アルビン・トフラー逝去の年に、ユヴァ
ル・ノア・ハラリは、サピエンス全史を世に問う
わけである。彼の著書が数年単位で発行されてい
る点で、21LESSONSまでの構想があったもの
だと思われる。
それは、「未来の衝撃」刊行40周年を迎え2010
年、トフラー夫妻が発表した「40 FOR THE
NEXT40」(今後の40年を左右する40の変化)
である。
____________________________________________
○アルビン・トフラー著作年代
1928年10月4日生まれ
2016年6月27日逝去88歳
著 書 年代(和訳)発行 年齢
未来の衝撃 1970年(S45) 42y
第三の波 1980年(S55) 52y
未来適応企業 1985年(S60) 57y
パワーシフト 1991年(H 3) 63y
戦争と平和 1993年(H 5) 65y
第三の波の政治 1995年 (H 7) 67y
富の未来 2006年(H18) 78y
生産消費者の時代 2007年(H19) 79y
○ユヴァル・ノア・ハラリ著作年代
1976年 2月24日生まれ
2024年 現在48歳
著 書 年代(和訳)発行 年齢
サピエンス全史 2016年(H28) 40y
ホモ・デウス 2018年(H30) 42y
21LESSOONS 2019年(R 1) 43y
緊急提言パンデミック 2020年(R 2) 44y
__________________________________________
「40FOR THE NEXT40」(今後の40年を左右
する40の変化)は、書物としては発刊されず、
ネット上でしか読むことができなかったが、
World Voice プレミアムでは、「世界各地で政治、
経済、社会、テクノロジーなど分野ごとに行なっ
た分析調査をベースに導き出された予測であり、
国家や企業そして個人が未来を左右する原動力を
知り、いかに生きるべきかを考察するための道
しるべともなるものだ。~」と解説している。
政治分野、社会分野ごとにまとめていたが、急速
な世界状況、社会状況の変化は、これらの議論を
はるかに超えた大きな第三の波がAIの登場で一
変するわけである。LLM(ラージ・ランゲージ・
モデル)からMMM(マルチ・モーダル・モデル
)へと進化を続けているAIはわれわれの日々の生
活に衝撃を与えている。言葉を理解して話すだけ
ではなく、目を持ち、物事をアルゴリズムで理解
するようになってきたのだ。臭覚や知覚をセンサ
ーで感ずるようになれば、より人間に近い情感を
持つ事が出来る???ユヴァル氏は、これを根本
的に否定している(ホモ・デウス)。この件は、
かなり後からの議論としたい。
「汝自身を知れ」から始まるユヴァル氏のサピエ
ンス全史の論説は、「国家や企業そして個人が未来
を左右する原動力を知り、いかに生きるべきかを
考察するための道しるべ」となる意味合いを深く
掘り下げている。
ところで、ユヴァル・ノア・ハラリ氏について、
『あいつはゲイである』『変態だ!』などと人格
否定から著書までを貶めて不評を語る者も多い。
本も読まずに気分だけで他者を否定する無知蒙
昧な男性至上主義の輩は、どんな国・地域にもい
るものだ。第二の波の底で、沈殿し続けるヘド
ロのような存在であり、未来を語るに値しない。
LGBTIQの権利を著しく毀損しているのだ。
参考資料として、exaBase コミュニティ AI新
聞の公開資料を参照されたい。
ユヴァル・オードリー対談(2020.07.12)
「民主主義と社会の未来」全和訳
ユヴァル氏はゲイ、オードリー氏はトランスジェ
ンダーという性的マイノリティーの話題から対談
は始まっている。AIメンターによるサポート、そ
してユヴァル氏は未来を見つめる中世の歴史家、
オードリー氏は現在をハッキングする技術者とし
て地球規模の問題を解決するために、ユニークで
個性的な特性や違いを消し去ることなく、未来に
向けて新しい共有の「物語(価値観)」を思考して
いる。
更にはユヴァル氏はイスラエル人、オードリー氏
は台湾人として双方共に政治体制、紛争当事国の
環境下にある。
二十一世紀の共通の価値観、古い物語の奴隷にな
るなとユヴァル氏は述べ、オードリー氏は
Internet of things(物のインターネット)を見たら
、Internet of being(人間のためのインターネット)
を考えよう。バーチャルリアリティを見たら、リ
アリティの共有を考えよう。機械学習を見たら、
コラボ学習を考えよう。ユーザー体験を見たら、
人間体験を考えよう。特異点が近いと聞いたら、
多元性がここにあることを忘れないようにしよう
- と文章をまとめている。
○「新しい人間」の登場○
この流れは、「第三の波」に描かれている。
『-第三の波- 結論
第26章 人間性の未来 543ページ~
新しい文明が日常正確に急速に入り込んでくるに
つれて、われわれは、自分自身がすでに時代お
くれの存在になっているのではないか、と自問せ
ざるをえない状況におかれている。生活習慣、物
事の価値、日常の生活態度までが問いなおされる
ようになると、時として、われわれ自身が第二の
波の文明の遺物ではないのか、過去の存在になっ
てしまったのではないかと考えたくなるのも、無
理からぬところがある。しかし、アナクロニズム
としか言いようのない人びとがいるのも事実だと
して、一方には、来るべき第三の波の文明を待望
している「未来を予見する市民」もいるはずであ
る。われわれの身のまわりに起こった過去の退廃
や崩壊を振り返って見れば、期待される未来の人
間像の輪郭がみえてくるのではなかろうか。言っ
てみれば「新しい人間」の登場である。
~第三の波の文明が成熟するとともに、われわれ
がつくり出すのは過去の人間を見いだすユートピ
ア的な男女でもないし、ゲーテやアリストテレス
のような(ジンギス汗やヒトラーと言ってもよい)
スーパーマンでもない。ただ人間と呼ばれるにふ
さわしい人類を希求し、人間的な文明を願望して
いるにすぎない。しかし同時にそうした人間らし
さを、誇りをもって追求していくわけである。
では、こうしたのぞましい変革の結果を期待でき
るのだろうか。すぐれた、新しい文明への移行は
可能なのだろうか。これは、政治変革の必要性と
言う、決定的な命題をどう解決するかにかかって
いる。われわれは最後に、この、一面では恐ろし
く、また一面では期待に満ちた展望について触れ
ることとしよう。未来の人間性は、未来の政治と
ともに考えざるをえないのである。』
この視点から、「第27章 時代おくれになった政
治体制」「第28章 二十一世紀の民主主義」へと
すすみ、結ばれている。
後年、トフラーは「第三の波の政治」1995年 (H 7)
6月27日を発刊したのは、「二十一世紀の民主主
義」の内容を改訂増補したものである。
この箇所も、「民主主義と社会の未来」の基盤とな
っているところで、この課題をどう乗り越えてい
くのかがわれわれの鍵となるのだ。
ただし、「新しい人間」とは、今、日本国内で企業
献金等で物議をかもし出している政治屋(金満政
治家)の事ではない。
かれらは、「古い人間」であり、法の支配に基づか
ない、スピード感の無い、分かりずらい、有権者
に寄り添わない、歳費という名の税金を消費する
「無生産大消費者」なのである。トフラーが生き
ていたら激怒しただろう。
願いしますとのご要望があったので、今後の書式
を以下に統一します。(22P)再投稿○
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
未来学と楽観主義
アルビン・トフラーとユヴァル・ノア・ハラリの
共通点は、楽観主義を基本として未来を語って
いるところである。未来を語る上で、悲観主義的
な事柄を述べていては未来が無い。
知的な楽観主義で未来を思考することが最も重要
だと私は主張したい。
双方著者の著書物発行は、40代からのもので共
通点がある。
更には、アルビン・トフラー逝去の年に、ユヴァ
ル・ノア・ハラリは、サピエンス全史を世に問う
わけである。彼の著書が数年単位で発行されてい
る点で、21LESSONSまでの構想があったもの
だと思われる。
それは、「未来の衝撃」刊行40周年を迎え2010
年、トフラー夫妻が発表した「40 FOR THE
NEXT40」(今後の40年を左右する40の変化)
である。
____________________________________________
○アルビン・トフラー著作年代
1928年10月4日生まれ
2016年6月27日逝去88歳
著 書 年代(和訳)発行 年齢
未来の衝撃 1970年(S45) 42y
第三の波 1980年(S55) 52y
未来適応企業 1985年(S60) 57y
パワーシフト 1991年(H 3) 63y
戦争と平和 1993年(H 5) 65y
第三の波の政治 1995年 (H 7) 67y
富の未来 2006年(H18) 78y
生産消費者の時代 2007年(H19) 79y
○ユヴァル・ノア・ハラリ著作年代
1976年 2月24日生まれ
2024年 現在48歳
著 書 年代(和訳)発行 年齢
サピエンス全史 2016年(H28) 40y
ホモ・デウス 2018年(H30) 42y
21LESSOONS 2019年(R 1) 43y
緊急提言パンデミック 2020年(R 2) 44y
__________________________________________
「40FOR THE NEXT40」(今後の40年を左右
する40の変化)は、書物としては発刊されず、
ネット上でしか読むことができなかったが、
World Voice プレミアムでは、「世界各地で政治、
経済、社会、テクノロジーなど分野ごとに行なっ
た分析調査をベースに導き出された予測であり、
国家や企業そして個人が未来を左右する原動力を
知り、いかに生きるべきかを考察するための道
しるべともなるものだ。~」と解説している。
政治分野、社会分野ごとにまとめていたが、急速
な世界状況、社会状況の変化は、これらの議論を
はるかに超えた大きな第三の波がAIの登場で一
変するわけである。LLM(ラージ・ランゲージ・
モデル)からMMM(マルチ・モーダル・モデル
)へと進化を続けているAIはわれわれの日々の生
活に衝撃を与えている。言葉を理解して話すだけ
ではなく、目を持ち、物事をアルゴリズムで理解
するようになってきたのだ。臭覚や知覚をセンサ
ーで感ずるようになれば、より人間に近い情感を
持つ事が出来る???ユヴァル氏は、これを根本
的に否定している(ホモ・デウス)。この件は、
かなり後からの議論としたい。
「汝自身を知れ」から始まるユヴァル氏のサピエ
ンス全史の論説は、「国家や企業そして個人が未来
を左右する原動力を知り、いかに生きるべきかを
考察するための道しるべ」となる意味合いを深く
掘り下げている。
ところで、ユヴァル・ノア・ハラリ氏について、
『あいつはゲイである』『変態だ!』などと人格
否定から著書までを貶めて不評を語る者も多い。
本も読まずに気分だけで他者を否定する無知蒙
昧な男性至上主義の輩は、どんな国・地域にもい
るものだ。第二の波の底で、沈殿し続けるヘド
ロのような存在であり、未来を語るに値しない。
LGBTIQの権利を著しく毀損しているのだ。
参考資料として、exaBase コミュニティ AI新
聞の公開資料を参照されたい。
ユヴァル・オードリー対談(2020.07.12)
「民主主義と社会の未来」全和訳
ユヴァル氏はゲイ、オードリー氏はトランスジェ
ンダーという性的マイノリティーの話題から対談
は始まっている。AIメンターによるサポート、そ
してユヴァル氏は未来を見つめる中世の歴史家、
オードリー氏は現在をハッキングする技術者とし
て地球規模の問題を解決するために、ユニークで
個性的な特性や違いを消し去ることなく、未来に
向けて新しい共有の「物語(価値観)」を思考して
いる。
更にはユヴァル氏はイスラエル人、オードリー氏
は台湾人として双方共に政治体制、紛争当事国の
環境下にある。
二十一世紀の共通の価値観、古い物語の奴隷にな
るなとユヴァル氏は述べ、オードリー氏は
Internet of things(物のインターネット)を見たら
、Internet of being(人間のためのインターネット)
を考えよう。バーチャルリアリティを見たら、リ
アリティの共有を考えよう。機械学習を見たら、
コラボ学習を考えよう。ユーザー体験を見たら、
人間体験を考えよう。特異点が近いと聞いたら、
多元性がここにあることを忘れないようにしよう
- と文章をまとめている。
○「新しい人間」の登場○
この流れは、「第三の波」に描かれている。
『-第三の波- 結論
第26章 人間性の未来 543ページ~
新しい文明が日常正確に急速に入り込んでくるに
つれて、われわれは、自分自身がすでに時代お
くれの存在になっているのではないか、と自問せ
ざるをえない状況におかれている。生活習慣、物
事の価値、日常の生活態度までが問いなおされる
ようになると、時として、われわれ自身が第二の
波の文明の遺物ではないのか、過去の存在になっ
てしまったのではないかと考えたくなるのも、無
理からぬところがある。しかし、アナクロニズム
としか言いようのない人びとがいるのも事実だと
して、一方には、来るべき第三の波の文明を待望
している「未来を予見する市民」もいるはずであ
る。われわれの身のまわりに起こった過去の退廃
や崩壊を振り返って見れば、期待される未来の人
間像の輪郭がみえてくるのではなかろうか。言っ
てみれば「新しい人間」の登場である。
~第三の波の文明が成熟するとともに、われわれ
がつくり出すのは過去の人間を見いだすユートピ
ア的な男女でもないし、ゲーテやアリストテレス
のような(ジンギス汗やヒトラーと言ってもよい)
スーパーマンでもない。ただ人間と呼ばれるにふ
さわしい人類を希求し、人間的な文明を願望して
いるにすぎない。しかし同時にそうした人間らし
さを、誇りをもって追求していくわけである。
では、こうしたのぞましい変革の結果を期待でき
るのだろうか。すぐれた、新しい文明への移行は
可能なのだろうか。これは、政治変革の必要性と
言う、決定的な命題をどう解決するかにかかって
いる。われわれは最後に、この、一面では恐ろし
く、また一面では期待に満ちた展望について触れ
ることとしよう。未来の人間性は、未来の政治と
ともに考えざるをえないのである。』
この視点から、「第27章 時代おくれになった政
治体制」「第28章 二十一世紀の民主主義」へと
すすみ、結ばれている。
後年、トフラーは「第三の波の政治」1995年 (H 7)
6月27日を発刊したのは、「二十一世紀の民主主
義」の内容を改訂増補したものである。
この箇所も、「民主主義と社会の未来」の基盤とな
っているところで、この課題をどう乗り越えてい
くのかがわれわれの鍵となるのだ。
ただし、「新しい人間」とは、今、日本国内で企業
献金等で物議をかもし出している政治屋(金満政
治家)の事ではない。
かれらは、「古い人間」であり、法の支配に基づか
ない、スピード感の無い、分かりずらい、有権者
に寄り添わない、歳費という名の税金を消費する
「無生産大消費者」なのである。トフラーが生き
ていたら激怒しただろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます