アルビン・トフラーとユヴァル・ノア・ハラリの
共通点は、楽観主義を基本として未来を語ってい
るところである。未来を語る上で、悲観主義的な
事柄を述べていては未来が無い。知的な楽観主義
で未来を思考することが最も重要だと私は主張し
たい。
双方著者の著書物発行は、40代からのもので
共通点がある。
更には、アルビン・トフラー逝去の年に、ユ
ヴァル・ノア・ハラリは、サピエンス全史を世に
問うわけである。彼の著書が数年単位で発行され
ている点で、21LESSONSまでの構想があっ
たものだと思われる。
それは、「未来の衝撃」刊行40周年を迎え2010
年、トフラー夫妻が発表した「40 FOR THE
NEXT40」(今後の40年を左右する40の変化)
である。
_____________________________________
○アルビン・トフラー著作年代
1928年10月4日生まれ
2016年6月27日逝去88歳にて
著 書 年 代(和訳)発行 年 齢
未来の衝撃 1970年(S45) ? 42y
第三の波 1980年(S55)10月 1日 52y
未来適応企業 1985年(S60) 3月 7日 57y
パワーシフト 1991年(H 3) 10月18日 63y
戦争と平和 1993年(H 5) 1月23日 65y
第三の波の政治 1995年 (H 7) 6月27日 67y
富の未来 2006年(H18) 6月 7日 78y
生産消費者の時代 2007年(H19) 7月25日 79y
○ユヴァル・ノア・ハラリ著作年代
1976年 2月24日生まれ
2024年 現在48歳
著 書 年 代(和訳)発行 年 齢
サピエンス全史 2016年(H28) 9月30日 40y
ホモ・デウス 2018年(H30) 9月30日 42y
21LESSOONS 2019年(R 1) 11月30日 43y
緊急提言パンデミック2020年(R 2) 10月30日 44y
_______________________________________
「40FOR THE NEXT40」(今後の40年を左右
する40の変化)は、書物としては発刊されず、
ネット上でしか読むことができなかったが、World
Voice プレミアムでは、「世界各地で政治、経済、
社会、テクノロジーなど分野ごとに行なった分析
調査をベースに導き出された予測であり、
国家や企業そして個人が未来を左右する原動力を
知り、いかに生きるべきかを考察するための道
しるべともなるものだ。~」と解説している。
政治分野、社会分野ごとにまとめていたが、急速
な世界状況、社会状況の変化は、これらの議論を
はるかに超えた大きな第三の波がAIの登場で
一変するわけである。
日本にあっては、20110311の東日本大震災で
ある。
「汝自身を知れ」から始まるユヴァル氏のサピエンス全史の論説は、「国家や企業そして個人が
未来を左右する原動力を知り、いかに生きるべきかを考察するための道しるべ」となる意味合い
を深く掘り下げている。
ところで、ユヴァル・ノア・ハラリ氏について、『あいつはゲイである』『変態だ!』などと人格
否定から著書までを貶めて不評を語る者も多い。本も読まずに気分だけで他者を否定する無知蒙
昧な男性至上主義の輩は、どんな国・地域にもいるものだ。第二の波の底で、沈殿し続けるヘド
ロのような存在であり、未来を語るに値しない。LGBTIQの権利を著しく毀損しているのだ。
参考資料として、exaBase コミュニティ AI新聞の公開資料を参照されたい。
http://cyber-price.com/buddha/2020/12/06/yuval-noah-harari/
ユヴァル・オードリー対談(2020.07.12)「民主主義と社会の未来」全和訳
ユヴァル氏はゲイ、オードリー氏はトランスジェンダーという性的マイノリティーの話題から対
談は始まっている。AIメンターによるサポート、そしてユヴァル氏は未来を見つめる中世の歴史
家、オードリー氏は現在をハッキングする技術者として地球規模の問題を解決するために、ユニ
ークで個性的な特性や違いを消し去ることなく、未来に向けて新しい共有の「物語(価値観)」
を思考している。更にはユヴァル氏はイスラエル人、オードリー氏は台湾人として双方共に政治
体制、紛争当事国の環境下にある。二十一世紀の共通の価値観、古い物語の奴隷になるなとユヴ
ァル氏は述べ、オードリー氏はInternet of things(物のインターネット)を見たら、Internet of
being(人間のためのインターネット)を考えよう。バーチャルリアリティを見たら、リアリティの
共有を考えよう。機械学習を見たら、コラボ学習を考えよう。ユーザー体験を見たら、人間体験
を考えよう。特異点が近いと聞いたら、多元性がここにあることを忘れないようにしよう-
と文章をまとめている。
この流れは、「第三の波」に描かれている。 -新しい人間の登場-
『-第三の波- 結論 第26章 人間性の未来 543ページ~
新しい文明が日常正確に急速に入り込んでくるにつれて、われわれは、自分自身がすでに時代お
くれの存在になっているのではないか、と自問せざるをえない状況におかれている。生活習慣、
物事の価値、日常の生活態度までが問いなおされるようになると、時として、われわれ自身が第
二の波の文明の遺物ではないのか、過去の存在になってしまったのではないかと考えたくなるの
も、無理からぬところがある。しかし、アナクロニズムとしか言いようのない人びとがいるのも
事実だとして、一方には、来るべき第三の波の文明を待望している「未来を予見する市民」もい
るはずである。われわれの身のまわりに起こった過去の退廃や崩壊を振り返って見れば、期待さ
れる未来の人間像の輪郭がみえてくるのではなかろうか。言ってみれば「新しい人間」の登場で
ある。~第三の波の文明が成熟するとともに、われわれがつくり出すのは過去の人間を見いだす
ユートピア的な男女でもないし、ゲーテやアリストテレスのような(ジンギス汗やヒトラーと言
ってもよい)スーパーマンでもない。ただ人間と呼ばれるにふさわしい人類を希求し、人間的な
文明を願望しているにすぎない。しかし同時にそうした人間らしさを、誇りをもって追求してい
くわけである。
では、こうしたのぞましい変革の結果を期待できるのだろうか。すぐれた、新しい文明への移行
は可能なのだろうか。これは、政治変革の必要性と言う、決定的な命題をどう解決するかにかか
っている。われわれは最後に、この、一面では恐ろしく、また一面では期待に満ちた展望につい
て触れることとしよう。未来の人間性は、未来の政治とともに考えざるをえないのである。』
この視点から、「第27章 時代おくれになった政治体制」「第28章 二十一世紀の民主主義」
へとすすみ、結ばれている。
後年、トフラーが「第三の波の政治」1995年 (H 7) 6月27日を発刊したのは、「二十一世紀の
民主主義」の内容を改訂増補したものである。
この箇所も、「民主主義と社会の未来」の基盤となっているところで、この課題を-新しい人間-
が、どう乗り越えていくのかがわれわれのテーマとなる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます