アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
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第一の波から第二の波の正面衝突

2024年07月26日 21時22分33秒 | 第三の波
もう一度、本書を読み返してみます。
「目次」第二の波・第2章文明の構造:暴力的な解決~肉体的労働に頼っていた動力(38ページ~42ページ)まで。

第一の波の数百年続いた農業型社会が、第二の波の産業型社会に取って代られる様を「暴力的な解決」「肉体的労働に頼っていた動力」の小節で解いています。小節全文を載せます。
※「-38」は本書ページ数ですので、今後読む際は無視してください。

アメリカの南北戦争も、日本の西南の役から明治維新の勃興も、ロシア革命による社会主義国家誕生も、その真相は「第一の波と第二の波の正面衝突」であるとする論は、納得のいく展開です。産業革命により農業文明の世界は一変した。そして農業型社会の循環可能なエネルギーは、産業型社会は産業革命により再生不可能な使い捨て、公害をもたらす石炭・石油エネルギー(原子力含む)へと大きく変化して現在に至っている。では第三の波では???

2012年公開の「レ・ミゼラブル」(ミュージカル映画)で、主人公のジャン・バルジャンが、トゥーロンの徒刑場(帆船場)で船を引き上げる作業から始まる風景(ルック・ダウン~)が、まさに第二の波が押し寄せる以前のフランスを象徴する「肉体的労働に頼っていた動力」のシーンです。小説全編を読んだ方は理会できると思いますが、このトゥーロンの徒刑場に囚人を送るために、ナポレオン法典以来の悪法で、パンを一切れ盗んだために「禁錮5年」などとして徒刑場に主人公を送り込んで「肉体的労働」を課していたのです。小説ではパンを盗んだのではなく、飢えてひもじい思いをしていた姉の子供のためにパンを盗もうとして窓ガラスを割っただけの話だったのです。そして脱走を試みて失敗し、追加刑19年が経過して、やっとトゥーロンの徒刑場から仮出所してレ・ミゼラブルのストーリーが始まります。しかしジャン・バルジャンにとって、トゥーロンの徒刑場での生活がけっして無駄でなかった事は、縷々ビクトル・ユゴーが書いています。徒刑場で文字の読み書きを覚え、法律というものも学習し、庭師であった主人公は今の世の中の仕組みを覚えることが出来たのです。そしてマドレーヌと名前を変えて第二の波の産業型社会の波頭の経営者となる・・・後は映画を観てください。法律と良心、自身と正義のあり方、これは第三の波の思考にも通じる小説展開です。小説は大作ですが、よく読みこむとおもしろいですよ。


暴力的な解決

 第二の波がさまざまな社会に押し寄せるにつれて、過去の農業社会を守ろうとする人びとと、未来の-38産業社会のパルチザンとも言うべき人びととの間で、血みどろの、長い戦いがはじまった。第一の波と第二の波は正面衝突を起こし、両者の激突の途上にいた旧時代の人びとは、駆逐され、しばしば大がかりな殺戮の対象となった。
 アメリカでは、この衝突は農業による第一の波の文明を確立しようとするヨーロッパ人が入植してきたことによってはじまった。白人による農業文明の潮流は、情容赦なく西へ西へと押し寄せ、インディアンを追い立て、遠く太平洋岸まで、つぎつぎと農場と農村を生み出していった。
 しかし、農民のすぐ後に続いて、来るべき第二の波の時代の先兵とも言うべき初期産業人たちがやってきた。ニューイングランドと大西洋岸中部諸州には、工場や都市が急激に出現するようになった。19世紀半ばまでに、東北部は工業地帯として急速な発展を続け、銃器、時計、農機具、繊維製品、ミシンなどの製品をつくり出した。反面、そのほかの地域では、まだ農業の勢力が支配的だった。第一の波と第二の波との間で、経済的、社会的緊張が高まり、1861年には、ついに武力闘争にまで発展したのである。
 南北戦争は、多くの人が考えているように奴隷制度をめぐる道徳的論争や関税問題といった、狭い経済的対立だけが原因だったわけではない。あの戦いが決着をつけようとしたのは、もっとはるかに大きな問題であった。つまり、豊かなこの新大陸を支配するのは農民なのか、それとも産業主義を支持する人びとなのか、第一の波の勢力に屈服するのか、それとも第二の波の勢力が勝利を収めるのか、それが戦いの真の原因だったのである。未来のアメリカ社会が、基本的に農業型社会になるか産業型社会になるかの分かれ道であった。北軍の勝利によって、賽は投げられた。アメリカの産業化が確定したのである。その時以来、経済の面でも政治の面でも、あるいは社会生活、文化生活の面でも、農業は後退を続け、産業は興隆-39への道をたどることになった。第一の波は後退し、第二の波が鳴物入りで押し寄せてくることになった。
 同じような二つの文明の衝突は、ほかの国にも起こっている。日本では、1868年にはじまった明治維新のそれで、過去の農業時代と未来の産業化時代との間の相克の、まぎれもない日本版であった。1876年に実施された士族の家禄廃止による封建制の終焉、1877年の薩摩藩の反乱による西南の役、1889年の西欧型憲法の公布、これらはすべて日本における第一の波と第二の波の衝突を反映する出来事であり、日本が世界の第一級産業国へと進んでいく、第一歩だったのである。
 ロシアにおいても、第一の波と第二の波の勢力の間で、同じような衝突が起こった。1917年のロシア革命は、南北戦争のロシア版であった。一見、主要な争点は共産主義体制をとるかどうかにあったように見えるが、実は、ここでも問題の中心は産業化であった。ボルシェビキは、最後の最後までしぶとく残っていた農奴制と封建領主の専制にとどめをさすと、農業を背後に押しやって、意識的に産業化を推進した。ボルシェビキもまた、第二の波にくみする政党になったわけである。
 さまざまな国で、第一の波と第二の波の勢力がつぎつぎに衝突し、政治危機、動乱、ストライキ、クーデター、戦争などが起こった。しかし、20世紀の半ばまでに第一の波の勢力は粉砕されてしまい、第二の波の文明が、地球を制覇したのである。
 今日、産業主義に立脚する社会は、地球上の北緯25度線と65度線の間にベルト状をなしている。北アメリカ大陸では、およそ2億5千万の人間が産業社会的生活様式にしたがって暮している。西ヨーロッパでは、スカンジナビアの南からイタリアにかけて、やはり2億5千万ほどの人間が産業主義にもとづく社会を形成している。東に向かうと、「ユーラシア」工業地帯、つまり東ヨーロッパとソビエト西部が産業主義文明圏であり、ここでも2億5千万の人間が産業社会特有の生活を送っている。そ-40最後にあげなければならないのが、アジアの産業地域で、日本、香港、シンガポール、台湾、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、中国本土の一部の地域を含み、ここにもまた、2億5千万の産業社会人口がある。結局総計すると、産業文明に属する人間はおよそ10億にのぼり、地球全体の人口の約4分の1に相当する。
たしかにこれらの国は異なった言語、文化、歴史、政治形態を持ち、その根深い相違が戦争にまで発展しているのも事実だが、第二の波に属する社会には、共通の特徴がある。だれでも知っているような相違の背後に、実は、共通の基盤とも言うべき類似性がひそんでいるのだ。
 そして、現在の体制と衝突をくりかえしている今日の変革の波を理解するためには、われわれは、これら社会に共通な構造、表面からは見えない、第二の波の文明の骨組みを、はっきりと見きわめなければならない。なぜなら、ほかならぬこの産業社会の基本構造そのものが、いま粉砕されようとしているからだ。


肉体的労働に頼っていた動力

 新しい文明にせよ古い文明にせよ、あらゆる文明の前提条件はエネルギーである。第一の波が生み出した社会では、エネルギー源は、人間や動物の筋力という「生物による動力源」か、または太陽熱、風力、水力といった自然の力に頼っていた。炊事や暖房のために、森林が伐採された。水車がひき臼をまわした。なかには潮の干満を利用した水車もあった。田畑では、灌漑用の水車がギシギシと音をたててまわっていた。家畜はすきを引っていた。フランス革命の頃でさえ、ヨーロッパでは、エネルギー源として1400万頭の馬と2400万頭の牛がいたと推定されている。このことは、第一の波の社会で利用され-41ていたエネルギー源が、すべて再生可能だったということを意味する。伐採した森林はいつかは自然が回復してくれたし、帆をはらませる風も汽船の外輪を廻す川の流れも、自然によって循環した。エネルギー源として酷使された家畜や人間も、交代要員にはこと欠かなかった。
 これに対して第二の波が生み出した社会はすべて、石炭やガス、石油といった、一度消費してしまえば再生不可能な化石燃料にエネルギー源を頼るようになったのである。1712年、イギリスの技術者トマス・ニューコメンによって実用にたえる蒸気機関が発明されて以来、革命的変化が起こった。有史以来はじめて、文明が単に生みだす利子で生きていくだけでなく、自然の貯えてきた資本を食いつぶしはじめたのである。
 地球が貯えてきたエネルギーを少しずつ食いつぶすことは、産業文明を成立させるにあたって、目に見えない補助金の役割を果たした。これによって産業文明は、非常に急速な経済成長を実現した。第二の波が押し寄せた国は、古今東西を問わず、いずれも安い化石燃料が際限なく手に入るという想定のもとに、壮大な科学技術の体系と経済機構を打ちたてた。資本主義社会であろうと社会主義社会であろうと、また東洋であろうと西洋であろうと、明らかに同じ転換が起こったのである。つまり、どこにでもあるエネルギーから特定の場所に集中しているエネルギーへ、再生可能なものから不可能なものへ、種種雑多な種類の資源や燃料からほんの数種のエネルギーへという変化が起きたのである。化石燃料は、第二の波に属するあらゆる社会の、基礎エネルギーとなった。


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