アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(下)008

2012年03月24日 22時14分52秒 | 富の未来(下)
「第46章 韓国の時間との衝突」を抜粋紹介します。

前回紹介した「我が子を就職難民にしないために、今、親がすべきこと」セミナーについて意見メールが多数届きました。昨年ジョブトレ講習に参加した大卒の方からは「これはひどいです。『親がビジネスマンの大先輩』じゃない場合は諦めろってことですか?」、「母と子って言いますが、うちは父子家庭で父はそんな余裕はありません」「たまたま、うまくいった事例を日経電子版に載せているだけでしょ」と言った辛口なものでした。この事例を紹介したのは、就活ママを批判するためではなく、何度も出てきた「革命的な富の基礎的条件の深部」にある「時間」・「空間」・「知識」に当てはめた場合、どう解釈するかという点です。

「知識」から見れば「ビジネスマンの大先輩」である父母の知識がこれに当たるでしょうか。でも、この父母がビジネスマンであってもダメ社員であった場合の「知識」はどうなるのか?また、それが「死知識(オブソレージ)」で使い物にならなかった場合はどうなのか。たとえば昔、一流企業で破綻した「山一證券」や北海道で都市銀行となりながら破綻した「北海道拓殖銀行」の例を見るまでもなく、高額な報酬を得て傲慢な経営で破綻した企業マンの知識は即オブソレージとなるわけです。

「空間」という点からみれば、就職希望先が自分が住んでいる地元企業なのか、東京などの大都市に有る大企業なのか、はたまた海外の中国、韓国、東南アジア、インドなどの勃興企業と言った空間が異なる場合は、父母がビジネスマンの大先輩であっても、渡航経験や諸事情に精通していないかぎり、まったく役に立ちません。逆に「家から通えないような会社に就職するな」なんて子離れしていない親が就職の邪魔をした場合、「若年無業者」になります。これは問題ですね。

「時間」、これが一番大事になりますが、22歳の大卒者が常に好条件で就職できる企業は、これからも益々減少します。今までのトフラー論をよく読んでいる方は、御承知の通り、富の空間は、アメリカや日本から、韓国へ中国へインドへと移動していることです。日本の上場企業も興亡を繰り返し、中小企業が勃興する未来となりつつあります。50代の私の年代の例を取ると、通信教育の大学から、3年次(専門課程)に昼間部へ移行し、大学を卒業し未上場企業に就職、彼は卒業までの年数は通常の倍かかりましたが、努力家であったことが会社に認められ、その後の企業統合、合併でも生き残り、現在は上場企業の役員として在籍しています。また看護士で仕事をしながら、25歳から夜間大学に通い、法学博士となって40歳にして大学で教鞭をとっている女性教授など、「基礎的条件の深部である時間要因」は常に直線でエスカレータのようなものではないことを経験しています。何が、「無業者」と言うのか、どうなんでしょうか。トフラーも「無業者」時代を経験しています。

親心としては、「つつましく、おだやかに、波に乗るように、エスカレータのように」、順風満帆な人生であってほしいと思うのですが、世の中の変化は、トフラーが述べるように、波は波状の形を変えて複線化し激変を繰り返し、エスカレーターは上階の鉄骨から外れて落下、今までの経験則が全く通用しない時代に突入しているのです。
さて、3・11から1年 特別インタビューをダイヤモンド・オンラインから引用します。
この引用記事も、「知識」・「時間」・「空間」に分けて読んでみてください。では。
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3.11あの日から一年次世代に引き継ぐ大震災の教訓 特別インタビュー
ダイヤモンドオンライン    【第15回】2012年3月21日 目黒公郎東京大学教授

目黒公郎めぐろ・きみろう/東京大学大学院 情報学環 総合防災情報研究センター教授。
専門は都市震災軽減工学、都市防災マネジメント、地震を中心とするハザードが社会に与える損失の最小化のためのハードとソフトの両面からの戦略研究。研究テーマは、災害リスクマネージメント、ユニバーサル地震災害環境シミュレーション、防災制度設計、防災マニュアル/災害情報システム、災害時最適人材運用法、国際防災戦略など。「現場を見る」「実践的な研究」「最重要課題からタックル」がモットー。途上国の防災立ち上げ活動にも従事。

“巨大地震連発で被害総額100兆円超”に耐えられる?財政破綻しかねない
「スケール感なき防災対策」の罠 

 これから数十年の間に、首都直下型地震、東海・東南海・南海地震などの巨大地震の発生が懸念されている日本。東日本大震災の復興財源捻出が難航を極めているのは周知の事実だが、こうした巨大地震の発生が相次げば、多くの国民の命が危険にさらされるのはもちろんのこと、圧倒的な資金不足によって復興どころか国家の破綻さえ導きかねない。都市震災軽減工学の第一人者である東京大学の目黒公郎教授は、「今の日本における防災対策は今後の巨大地震のスケール感をまったく理解していない」と語るが、日本が最悪の事態を避けるために、行政はどのような防災体制を早急に築くべきだろうか。
       (聞き手/ダイヤモンド・オンライン 林恭子)

被災人口は東日本大震災の5~8倍に
 今の防災対策は「スケール感」がない

――現在、首都直下型地震、東海・東南海・南海地震など超巨大地震の発生が懸念されています。将来の地震災害を最小限に留めるために、どのような視点から防災対策を行うことが必要でしょうか。

 地震学的に活動度の非常に高い時期を迎えている今、最も重要なのは、被害額や被災地域の大きさ、被災者数の規模を理解することだ。東日本大震災の被災エリアは非常に広範囲にわたったが、人口密度が高い地域ではなかったため、被災人口は面積のわりには少なかった。しかし、首都直下型地震や東海・東南海・南海地震が発生すれば、被災人口は東日本大震災の5~8倍になる。このスケール感を正しく理解できなければ、防災対策でも大きな過ちを生むだろう。東日本大震災直後から自衛隊は最大規模の10万人オペレーションを実行した。では、被災人口が5倍や8倍になれば、それに対応する規模のオペレーションができるだろうか。今回の活動を踏まえ、様々な課題を解決しても、人的制約から10万人を大きく超えるオペレーションは無理だ。また、今回被災した地域内で最も大きな都市は仙台市だが、中心部が大きな被害を受けたわけではなかった。首都圏も被害を受けたとはいえ、損傷程度は軽微であったので、それぞれ被災地を支援することができた。だが、首都直下地震や東海・東南海・南海地震が起こった場合には、高い人口密度と重要な機能が集約するエリアが被災地になる。その意味とスケール感を理解できていなければ、対応はうまくいかない。そう考えると、現在の日本国内における防災対応力だけで足りうるかは大いに疑問である。全壊・全焼建物数約13万戸、経済被害25兆円と言われている東日本大震災では、被災自治体の支援に入った被災地外の自治体の数と規模を調べると、被災自治体の被害程度に応じて、例えば、被災建物率(100×被災建物数/被災自治体の全建物数)を用いると、被災建物率10%の自治体には、最低でもその自治体の職員数と同じ数の職員数を持つ自治体群が、被災建物率が80%、90%というエリアでは、最低でも自分の職員数の10倍規模の職員数を有する自治体群が支援している。将来の大規模地震災害時に、これだけ多くの職員を動員することができるだろうか。
 もちろん、行政対応だけではない。政府中央防災会議は、首都直下型地震と東海・東南海・南海地震によって、全壊・全焼建物が約200万棟、経済損失が200兆円規模の被害を想定している。直後のガレキ処理から復旧・復興を担うのは建設業の人たちだが、近年の建設業の市場縮小とともに、就労人口は減少、大規模プロジェクトの豊富な経験とスキルの高い団塊世代も引退している。数が縮小し、質も低下している状況下で、この規模の災害からのスムーズな復旧や復興は労働力の点からも非常に難しい。
もはや国内で数と質の維持が難しい今こそ、若い優秀な人材を組み込んだジャパンチームを組織し、大規模プロジェクトのある中東や北アフリカ、中国、インドなどへ派遣し、自らの技術進展や維持と同時に、他国の技術力アップの指導、そして“シンパシーづくり”をすべきだ。私はこれを「21世紀型いざ鎌倉システム」と読んでいるが、建設技術者の圧倒的な人材不足を補うこうしたシステムを築き、日本が危機的な事態になれば海外からすぐに彼らが駆けつけてくれる仕組みづくりこそ、スケール感を理解した防災対策になる。すなわち、「今後30~50年程度の間に、日本は○○規模の地震災害に見舞われる。その際は△△の条件で、すぐに駆けつけてくれ」というシステムづくりだ。

有限の時間と予算が生む「リスクの落とし穴」
このままでは“奇跡の復興”は不可能

 地震による被害規模は、国によっては自国のGDPを超えることもあり、そうなれば自力での復旧・復興は不可能となる。外国からの支援に頼らざるをえない。100兆、200兆円という日本の経済被害も簡単に復旧・復興できるレベルではない。だからこそ、「被害抑止」、「災害対応/被害軽減」、「最適復旧/復興戦略」の三者をバランスよく組み合わせた防災対策を行うことが重要だ。しかし一方で、私たちは大規模地震災害に備える対策を、無限の時間と予算を持って行なっているわけではない。有限の時間と予算内で行うには必ず優先順位づけが必要になり、通常は「リスク」の概念でこれに対応している。しかしこの考え方には、適用制限があり、これを忘れると “落とし穴”に陥る。リスクとは、「ハザード(危険性)×バルネラビリティー(脆弱性)」で評価される。ハザードは「外力の強さと広がり×発生確率」であり、地震でいえば、震度が「強さ」でその震度が及ぶ範囲が「広がり」、津波ならば津波の高さが「強さ」でそれが及ぶエリアが「広がり」になる。バルネラビリティーとは、ハザードに曝される地域に存在する「弱いものの数」だ。なぜ「弱いものの数」が重要か。それは、災害が “弱いものいじめ”だからである。
 最終的に、リスクは「発生時の被害規模×発生確率」となるが、起これば巨大だが、発生頻度の低い巨大地震災害は、結果的に「リスクは大きくない」と評価され、その対策は後回しにされることが多い。
 しかし、リスクの概念で優先順位づけが可能なのは、発災時の被害規模が自力で復旧・復興できる範囲まで。それを越える規模の災害は、国の存続を前提にするならば、事前の被害抑止力を高めて発生する被害量を抑えない限り、事後対応だけでは対処できない。この理解にも災害のスケール感が不可欠である。
 1923年の関東大震災の被害額は、当時の我が国のGDP比40%前後と巨大なものであった。しかし「日本は奇跡の復旧・復興を遂げたので、(今後、巨大地震が起きても)大丈夫」という人がいるが、これは正しい理解ではない。なぜなら、今と当時では時代背景が全く異なるからだ。
 まず、日本の世界経済に対する相対的な影響力が異なる。当時の日本はすさまじい経済発展途上にあったが、現在に比べれば世界経済への影響は小さかった。もう1つは、当時の世界情勢の中で、日本の早急な復旧・復興が重要と考える国々があり、アメリカなどが巨額の資金援助したことだ。しかし、今地震が起きたら、日本は当時と同様な経済的支援を受けられるだろうか。楽観視できる状況でないことは明かだ。国債の発行も現在の国の負債額や低下した格付けなどを考えれば、国民の貯蓄額を考慮しても、問題は多い。だからこそ、事前の被害抑止力を高めるとともに、早く「21世紀型いざ鎌倉システム」を確立すべきだ。とはいえ、人間は自分が想像できない事態への適切な備えや対応などは絶対にできない。そこで、スケール感の理解とともに重要になるのが、災害状況の想像力、すなわち「災害イマジネーション」だ。これを首相や首長をはじめとした政治家や行政、研究者やマスコミ、そして一般市民が、それぞれの立場で持つべきだ。
 防災は、「他人事(ひとごと)」をいかに「自分事(わがこと)」にできるかが大切。現在は、災害時に「何が起こるかわからない」、だから「何をすればいいのかわからない」、だから「何もやらない」というスパイラルに陥っている。これを断つために、災害を自分事として捉え、状況を適切に想像する能力、「災害イマジネーション」が不可欠なのだ。人はこの能力が向上すると、現在の自分の防災上の問題が理解でき、地震までの時間を使った防災対策を自然と始め、これを継続する。発災後は時間先取りで状況を認識し、自分が受ける影響を最小化する対応をその都度実施できるようになる。

災害イマジネーションなき「耐震補強支援制度」と
「被災者支援制度」の問題点

――現在、行政が行っている防災対策には災害イマジネーションがあるといえますか。
 残念だが不十分である。防災では「自助」「共助」「公助」が重要だが、基本は「自助」にあり、わが国では自然災害からの自力復興が原則になっている。しかし、防災制度設計においては、近視眼的には一見良さそうだが実際は防災力の向上に貢献しないとか、将来の巨額の公的資金の支出を生むような制度が、「災害イマジネーション」不足によって生み出されている。これでは、納税者に説明責任が果たせないし、被害の軽減にも結びつかない。
 その1つが、自治体が事前に資金を用意して、市民に補強をお願いする現在の「耐震補強支援制度」である。この制度は、耐震補強が必要な建物数(都道府県あたり10万~100万戸)を考えると、必要な予算額が高額(1000億~1兆円)になり現実的ではない。この規模の予算を地震の前に用意できる自治体は日本中どこにもない。もし多くの人々が手を挙げたら成立しない制度である。さらに建物の数を限って施しても、公的資金が導入された耐震補強家屋の品質を、継続的に確認するインセンティブが行政に発生しない「やりっぱなし」の制度であり、「悪徳業者」を生む可能性を高くする。さらに高額の補助金を出す自治体では、市民がなるべく高い資金援助を得るために所得が低くなるまで補強を先送りしたり、高い支援金を見込んだ業者によって、耐震補強費が他地域より著しく高額になる問題が生じている。
 もう1つは兵庫県南部地震の後に設立された「被災者生活再建支援制度」だ。これは自然災害の被災者の生活再建支援を目的としたものだが、再考すべきだ。私は被災地で困っている人を助ける制度を否定しているのではない。この種の制度を考える場合には、同時に事前に自助努力した人が被災した場合に報われる制度を整備しないと、「自助」のインセンティブがなくなり、被害が増大し莫大な公的資金の出費が必要になることに警鐘を鳴らしているのだ。
 この制度は、最初は上限100万円で始まり、その使い道も公的資金の利用原則に従い、個人資産としての被災建物の修復などには利用できなかった。しかし、金額と使途制限に対する反対が現場からあがり、それに対応して額が300万円に増額されるとともに被災建物の修復にも利用できるようになった。これで公的資金の利用原則が破棄され、さらに所得確認の手続きの簡略化のために、所得制限も撤廃された。これで、大規模災害時の財源が全く足りない状況になった。対処すべきスケール感の欠如が生んだ制度設計と言える。私は、被災者生活再建支援制度が設立、改訂されていく中で、ずっと言い続けてきたことがある。それは次のようなものだ。 「起こって欲しくはないが、この制度の下で最初に起こる地震災害が数十万棟の全壊・全焼建物を生じるようなものであれば、自助努力を前提条件としない支援制度の問題を多くの人々が認識できるだろう。なぜなら、これが被害抑止に全く貢献しないばかりか、莫大な予算を必要とすることがはっきりするからだ。問題は、数百~数千世帯程度が支援を受ける程度の地震が起こった場合だ。マスコミは支援を受けた被災者に支援制度の感想を尋ねるだろう。支援を受けた被災者は、タックスペイヤーの視点はなく、タックスイーターの視点から、『支援は本当にありがたい。このような制度があって本当に助かった』と涙ながらに答えるだろう。
 マスコミはさらに質問を続ける。『この制度に関して何か要望や意見はありませんか?』支援を受けた被災者は、『300万円はありがたいが、これだけでは不十分だ。何とか増額して欲しい』と答える。このような発言を受けて、マスコミや一般社会、そして政治家はどう対応するだろうか?
 現在の地震学的な環境と地震被害のメカニズムを十分理解した上で、タックペイヤーの視点から適切に発言している人は限られている。残念ではあるが、『もっと増額すべきだ』的発言や世論が出てくることは想像に難くない。被災者が傍らにいて、このような議論になった場合に、この流れを止めるのは容易ではない。だからこそ、今、タックスペイヤーに対して、責任ある説明ができる制度を十分議論しなくてはいけない」

努力した人は優遇され、本当に弱い人を助ける 
シンプルな防災支援体制「目黒の3点セット」を

――では、被害を軽減するための建物耐震化を進めつつ、被災者を支援する行政の財政負担を軽くする制度をつくる方法はあるのでしょうか。

 私はこうした問題を解決する制度として、「行政による新しいインセンティブ制度」(公助)、「耐震補強実施者を対象とした共済制度」(共助)、「新しい地震保険」(自助)の3つ、「目黒の3点セット」を提案している。我が国では「自力復興の原則」があるにもかかわらず、実際に被災すると、ガレキ処理や仮設住宅建設をはじめとして、行政による各種の公的支援が行われる。その総額は、阪神・淡路大震災の際には、住宅が全壊したケースで最大1400万円/世帯、半壊でも1000万円/世帯の規模である。これらのほとんどは、建物が被災しなければ使う必要のない公費だ。そこでまず、「公助」である「行政による新しいインセンティブ制度」は、持ち主が事前に自前で耐震補強して認定を受けた住宅、または耐震診断を受けて補強の必要がないと評価された住宅が、地震で被災した場合に、損傷の程度に応じて行政から優遇支援される制度だ。この制度は、事前に努力した人が被害を受けた時は、努力をしていなかった人より優遇するというシンプルな考え方だ。
 この制度により被災建物数が激減するため、行政は全壊世帯に1000万円を優に越える支援をしてもトータルの出費を大幅に軽減できるうえ、行政が事前に巨額の資金を用意する必要がない。また、行政は事前に契約を交わした物件が将来の地震で被害を受けた際にお金を支払う義務が生じるので、その後のメンテナンスを継続的にチェックするシステムが生まれる。これは社会ストックとしての住宅群の品質管理上、大きな意味を持つとともに、「一発勝負のやりっぱなし」の悪徳業者を排除する。つまり、地元に責任あるビジネスを提供し、地域の活性化に貢献する。さらに、耐震補強に関して、現在多くの人々が抱える次のような不安を解消し、補強に踏み切る後押しをする。
「耐震改修を行った住宅の耐震性が平均値として向上することはわかるが、安くはない費用をかけて補強した自分の建物の耐震性がどの程度向上したのかよくわからない。しかも、将来の地震時に被災しても誰も補償してくれない」
 政府・財務省は私のこの提案に反対した。公的なお金を“私”の財産の復旧・復興に使うことは公的資金の使途上の問題があるからだ。結局、「入り口の原則論」に終始して、災害の後に発生する巨額の公的出費を大幅に軽減できるというメリットにまで話が及ばなかったが、現在では先に説明した公金を“私”の財産の復旧・復興に使うことができる「被災者生活再建支援制度」が成立している。防災の制度であるにもかかわらず、将来の被害を抑止する効果がゼロ、しかも莫大な公的財源が必要なこの制度と、将来の人的・物的被害を大幅に軽減できるとともに、仮設住宅や復興住宅も不要になり、大幅な公的出費の軽減が実現する提案制度のどちらの防災効果が高いかは自明である。

耐震補強は1平米1万5000円ほどで可能
 家主と行政が共に得する「耐震補強制度」とは

 お金の問題を耐震補強が進まない最大の理由のように言っている人たちも多いが、私はこれも正しくないと思っている。耐震補強と無関係なリフォームは、戸建住宅だけでも年間約40万棟、平均350~400万円のお金をかけて実施されている。耐震補強をリフォームの機会に一緒に行えば、補強分の費用は格段に安くなる。そして提案制度を利用すればいい。
 確かに耐震補強をするキャッシュが手元にない人たちもいるが、その中には土地付き住宅や生命保険を持っている人たちも多い。彼らには、土地や生命保険を担保に、金融機関からお金を借りて耐震補強をしてもらう。しかし翌月からの支払いが難しいので、それを行政が貸し付ける。払い戻しは、世帯主が亡くなった際に担保したものからから払って貰えば、行政の実質的出費はない。放置しておいて建物が崩壊すれば発生する巨額の公的支出が大幅に軽減できるし、借金までして耐震補強した家の持ち主も、被災した場合には優遇支援が受けられる。将来の被害が大幅に減るだけでなく、家の持ち主と行政の両者が大きな得をするこの制度が「行政によるリバースモゲージを活用した耐震補強推進制度」だ。
 賃貸住宅については、家主が耐震改修をした方が得だと思える制度を作るべきだ。たとえば耐震性や耐震補強の実施状況の情報を開示し、質の良いものが高く貸せるようにする。私の調査では耐震補強をした場合、家賃の5~10%アップを許容する人が全体の3分の2だ。これは耐震補強費が10年で捻出できることを意味する。売買でも同じだ。耐震性の高い建物や土地が高く評価され物流上有利に展開する仕組みが重要だ。不動産売買時の重要説明事項に「耐震性」や「地震に対するリスク」を組み込む制度を考えるべきだ。
 耐震化を進めるには、既に説明した「災害イマジネーション」と「制度」、さらに適切な「技術」が必要だ。「技術」には「補強技術」と「診断技術」があるが、「補強技術」としては高性能であっても高価格では問題解決の決定打にはならない。一方で安すぎてもいけない。施工者に応分な利益が上がることが重要であり、“安ければ安いほどいい”では悪徳業者しか入ってこない。そして、耐震補強前後での性能の違いが簡便かつ高精度に評価できる「診断技術」の整備が重要で、これによって悪徳業者が入り込む余地はなくなる。現在の耐震改修費は木造で1平米あたり1万5000円が目安だ。100平米なら150万円。最近ではもっと安い工法も提案されている。自家用車の価格と比較して欲しい。これで長期にわたって家族の生命と財産を守ることができる。
自動車を購入する際は、多くの皆さんは強制保険はもちろん、任意保険にも入るだろう。それは間違って事故を起こしたときの悲惨さがイメージできるからだ。しかも巨大地震が頻発する危険性の高い我が国では、耐震補強費と将来の被害軽減額の期待値は自動車保険の期待値に比べてはるかに高く、その値が5~10倍という地域と物件もざらである。耐震補強は経済的にも得をするということだ。

数万円の積み立てで全壊時に1000万円 
新しい「共済制度」と「地震保険」で盤石に

 次に、新しい「共助」として提案しているものが「耐震補強実施者(現行の基準を満たす建物に住む人を含む)を対象としたオールジャパンの共済制度」である。現行の耐震性を満たす建物が被災するのはおおむね震度6以上の場所のわずか数%程度。巨大地震が発生しても、震度6以上の揺れにさらされる地域に存在する建物は 全国の建物の数%以下で、地域内の耐震補強済みの建物が被災する確率は、全国比でせいぜい数百分の1程度だ。つまり数百世帯の積み立てで全壊世帯1軒、半壊世帯2、3軒を支援する割合になる。私の試算では、東海地震を対象にすると、耐震補強時に2万円ほどの積み立てを1回するだけで全壊時に1000万円、半壊時に300万円の支援を受けることができる共済制度が成立する。東海・東南海・南海の連動地震を想定しても、耐震補強時に4~5万円程度の積み立てを1回だけすれば、同様の支援を受けられる。ところが耐震補強を前提にしない現行の共済制度では、地震時に被災するのは脆弱な建物なので、自助努力した人から集めたお金が努力していない人に流れるだけで、耐震補強へのインセンティブを削ぐ。しかも補強を前提にしていないために被災建物数が多くなり、十分な積立ても難しい。最後の「自助」は「新しい地震保険」である。耐震補強済みの住宅が揺れによって壊れる可能性は著しく低い。また既に説明した公助と共助の制度から、揺れで被災した場合には建物の再建に十分な2000~3000万円という支援が得られる。問題は震後火災だ。そこで私の提案する「新しい地震保険」は、揺れによる被害を免責にする地震保険で、揺れには耐えて残ったが、その後の火災で被災した場合に役立つ保険だ。全壊率と初期出火率は比例する。全壊すると初期消火が難しくなるので延焼確率はさらに上がる。建物の耐震性が高まると初期消火活動の条件が向上するので、延焼火災数は大幅に減少する。これらの条件を考慮して保険を設計すると、揺れによる被災建物を免責にした場合の補償対象建物数は、簡単に100分の1程度、すなわち年間10万円の保険料が1000円になる。これならば地震保険の割高感もなくなるし、火災保険の30~50%という地震保険の補償制限も撤廃できる。
 今まで紹介した一連の制度を「弱者切り捨ての制度」と言う人がいるが、それは全くの誤解で、むしろ逆だ。我が国が直面している現在の地震危険度と想定される被害の規模を考えると、今求められる制度は、「国民1人ひとりが事前の努力でトータルとしての被害を減らすしくみを作った上で、努力したにもかかわらず被災した場合に手厚いケアをする制度」である。このような制度で、被害を大幅に減らさないと、本当に弱い人を助けることができない状況であることを是非理解していただきたい。

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では、本文を。韓国と北朝鮮はまさに対照的?時間の速度が違う両国と「時間要因」という基礎的深部を学びましょう。

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2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
第10部 地殻変動 P.254~P.265

第46章 韓国の時間との衝突
 地政学シナリオの構築に熱中している専門家の間で、朝鮮半島ほど関心を集めている地域はまずないし、恐ろしくはあるが実現可能性の低いシナリオがこれほどさまざまに作られている地域もまずない。
 朝鮮半島の二つの国の将来はどうなるのだろうか。同じ民族という意識は強いが、経済や政治体制、文化がまったく違っている。一方の国は、知識に基づく第三の波の経済と文化に移行しようとしており、この大きな動きの最先端にある。もう一方の国は、第一の波と第二の波の飢饉と貧困の間をさまよっている。
 一方の国は世界のリーダーであり、もう一方の国は仲間はずれにされている。一方の国では、国民が高度な知識を身につけており、世界各国を自由に旅し、世界のどこに住む人とも高速のデジタル通信で連絡をとりあっている。もう一方の国では、国民を沈黙させ、厳重に閉じ込めている。一方の国は高速の未来を探究している。もう一方の国は、慎重に経済改革を進めてはいるが、過去の遺物のような状況にあり、王朝を受け継いだ国王のような金正日総書記に支配されている。
 一方の国は、明日の革命的な富の体制を構築する動きの一翼を担っている。もう一方の国は、時代後れの反革命的経済にしがみついている。
 韓国も北朝鮮も世界的な「超大国」ではない。だが、北朝鮮はミサイルと核技術をもっているので、両国の関係がどうなるかが世界の多くの地域に影響を与える可能性がある。だからこそ、ワシントン、北京、モスクワ、台北、東京、ニューデリーなどで軍事専門家、外交専門家、ジャーナリスト、小説家、情報機関、国際機関が朝鮮半島の将来について、驚くほど多様なシナリオを構築しているのである。(中略)
 朝鮮半島の問題とそれが経済に与える影響は論じつくされ、語りつくされているので、新しい論点を示す余地などないように思える。だが、革命的な富の基礎的条件の深部に視点を移し、本書で一貫してそうしてきたように、時間、空間、知識に注目すれば、多数の問題をこれまでとは違う新しい観点から検討できるようになる。
 空間と知識への影響は簡単に見つかる。たとえば、国境という空間要因が変化すれば、アメリカ軍が中国の戸口に駐留することになりうる。北朝鮮が長距離ミサイルを開発すれば、同国の活動空間が拡大する。知識の役割に関していうなら、韓国は経済の知識基盤を日々、劇的に拡大している。北朝鮮はそうしていない。
 だが、基礎的条件の深部の要因のうち、理解と研究が最も遅れているのが、時間要因である。そして、時間と時期は朝鮮半島の将来にとってカギになる可能性がある。
 たとえば、各国が応酬する言葉の裏にあるものをみていくと、北朝鮮の核兵器をめぐって北朝鮮、韓国、中国、ロシア、日本、アメリカが断続的に行っている六カ国協議が、時間に関する想定の対立を前提にしていることが分かる。これらの点をみていけば、現在の動き、そして今後の可能性について、新鮮な見方が得られる。

時間をめぐる衝突
 戦術的な政策の水準では、時間は決定的な意味をもっている。アメリカは日本の支持を受けて、北朝鮮の核開発の進展を止める形で問題を素早く解決するよう望んでいるが、北朝鮮にとって、交渉を速めることは利益にならない。
 北朝鮮が実際に核兵器とそれを搭載するミサイルを製造しているのであれば、六カ国協議を長引かせるほど技術開発が進み、武器の精度が向上し、交渉力が強まる。交渉を長引かせるほど、明らかに有利になる。
 この点から、北朝鮮が提案を行い、それを撤回し、交渉相手を非難し、協議への参加を拒否し、しばらくたって復帰し、またしても引き延ばし策をとるといった動きを続けている理由が説明できる。アメリカの軍事攻撃の脅威が差し迫っていないのであれば、北朝鮮は交渉を遅らせるほど有利になる。
 韓国が北朝鮮の核兵器増強を真剣に懸念しているのであれば、交渉を速めるほど有利になる。だが、韓国の有権者のうちかなりの部分、とくに若者の多くは北朝鮮よりアメリカを嫌っており、金正日総書記の引き延ばしをとくに懸念していないようだ。
 韓国国民の多くはもはや、北朝鮮を脅威だとは感じておらず、いずれ、南北統一が実現すると見ている。北朝鮮が統一にあたって核兵器を持参するのを歓迎する見方もある。六カ国協議をできるかぎり引き延ばすのが得策ではないだろうか。北朝鮮と韓国にこのような利害があるので、北朝鮮の核開発をめぐる交渉は、もっともゆっくりと踊った選手が勝利を収めるタンゴ競技会のようになっている。

時間の矛盾
 韓国の南北統一戦略と北朝鮮の対応にも、これと同じ引き延ばし政策が使われている。
(中略)
 韓国では、北朝鮮をきわめてゆっくりと包容していく政策への支持が増えてきた。朝鮮半島を超えた世界で大きな変化が起こっていることがその理由だ。たとえば、1991年のソ連崩壊によって、北朝鮮が強硬な共産主義経済政策を見直すことになると考えた人が多かった。これは当然の見方だが、そうならないとしても、中国の変化をみれば、経済改革によって大きな可能性が開けることが示された。そして、朝鮮半島の恐怖を経験していない若い世代が権力を握るようになったことでも、包容政策への支持が強まってきた。(中略)韓国は、第一の波の農業経済から第二の波の工業経済への飛躍を、ほぼ30年で達成し、そのスピードで世界を驚かせたのだが、第三の波への移行にあたって、さらにスピードを上げている。(中略)韓国の生活のペースが極端に速いことは、外国からの訪問者にはとくに目につく。ファイナンシャル・タイムズ紙はこう伝えている。「韓国はダイナミックそのものだ。生活のペースは『バリバリ』(速く速く)という言葉に象徴されており、長く立ち止まっている人はいない」(中略)ハーバード大学韓国研究所によれば、「速さに敏感なこと」が「現代の韓国が体得した感覚のなかで決定的に重要だ」。極端に急速な変化によって、「韓国ではスピードが共通の感覚だとの確信が生まれている」という。
 これに対して北朝鮮では生活のペースがきわめて遅く、脱北者が韓国に到着するとまずは定住支援施設に入り、「生活のペースの違いに慣れるようにする」とコリア・ヘラルド紙は伝えている。(中略)韓国のスピードの文化を考えれば、統一に関する世論が今後数十年にわたって変わらず、統一の動きが直線的に、慎重に管理されたペースでゆっくりと進んでいくとの見方は疑わしく思えてくる。いまの統一政策は策定された時点では適切だったが、その後に先進国の経済と国際政治体制は超高速で変化するようになった。いまでは、歴史は待とうとしない。

韓国のキムチ、ドイツのザウアークラウト
 東西ドイツの統一に関する文献は大量にあり、朝鮮半島の状況と比較した文献も多い。だが、これまでの研究のほとんどは、朝鮮半島の内部についても外部についても、通常の経済分析を行うだけで、変化の加速と非同時化の影響は取り上げていない。
(中略)
 時間は、狩猟採取の時代から現在まで、すべての経済体制と社会を支える基礎的条件の深部のなかで、もっとも重要な要因である。韓国が高速の文化や経済と、意識的に低速にしている外交との間の矛盾をどう扱うかが、韓国と北朝鮮の未来に大きな影響を与えるだろう。
 旧ソ連も韓国も、経済と政治の変化について、理性的な提案を行った。どちらの提案も、30年の期間にわたって、ゆっくりと段階的に改革を進めていくというものである。
 しかし、人びとが環境の変化に順応できるように十分な時間をかけて前進していく合理的な試みと、変化が加速する世界の圧倒的な現実との間には、大きな矛盾がある。
 協議の参加者の間にはさまざまなシナリオ、姿勢、複雑さ、矛盾があるが、もっとも重要な参加者は時間という要因なのかもしれない。


アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(下)007

2012年03月22日 22時42分58秒 | 富の未来(下)
第45章「日本のつぎの節目」を抜粋掲載します。
現在展開している「富の未来(下)」「第10部 地殻変動」は、本書の核心部分をまとめた最終部です。過去のブログページに「目次」を掲載していますので、参照ください。
下巻最後の第10部は、第44章「中国」、第45章「日本」、第46章「韓国」、第47章「ヨーロッパ」、第48章「アメリカ国内情勢」、第49章「アメリカ国外情勢」、第50章「目に見えないゲーム」、そして「終わりに - 始まりは終わった」で完了します。
昨年5月からスタートしたブログですが、最初に引用した文言が「終わりに - 始まりは終わった」でしたね。様々な理由は、書き込んでいますので参照してください。
この第10部が大切なところですので、今後とも余り速く展開せず、章ごとに参考事例を重ねながら展開していきます。
 上巻 第4部「空間の拡張」を再度読み直すと、何故第10部で中国~日本~韓国~ヨーロッパ~アメリカと展開したか、理会できます。遡って過去のブログを読んでください。
 「ファンダメンタル」という言葉が死語になったように、経済学の未来は飛躍的に変化しているとするトフラー理論は、基礎的条件の深部にある「時間」・「空間」・「知識」の3つを分かりやすく解説し、2006年当時までの最新事情を重ねながら、わくわくするような未来学の展開をしているのです。
さて、今も残る日本の構造的硬直性を日経ビジネス記事から見てみましょう。題して『親が子供の就職の世話をする』という話です。私ごとですが、町内会の役員で「成人式」運営を長年やっていますが、年々「父母同伴で成人式参加はできないのか?」という注文?が増えています。どうなっているんでしょうかね。小学校や高校くらいまでの入学式、卒業式は、まあ仕方ないかと思いますが、成人式に親が来るとか、会社の入社式にも親が出てくる?終いには新婚旅行から墓問題まで親が同伴するんでしょうか?まさに「時間」も「空間」も「知識」も無視したタコツボ硬直化のように見えるのですが。麓幸子先生すみません。これはあくまでも参考事例で否定しているのではありません。
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 参考サイト
 日本経済新聞 電子版へリンクします(無料の会員登録で記事をお読みいただけます)
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では本文を

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2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
第10部 地殻変動 P.232~P.253

第45章 日本のつぎの節目
 1960年代に日本の池田勇人首相がフランスを訪問したとき、シャルル・ドゴール大統領は「あのトランジスターのセールスマンは誰なんだ」と聞いたといわれている。この失言は語り継がれてきたが、1960年代と70年代には、その経済規模と重要性を考えたとき、日本ほど国際社会で過小評価されている国はなかった。1980年代から90年代の初めにかけて、状況が正反対になっていた。突然に、円が基軸通貨としてのドルの地位を脅かすとされ、日本企業がハリウッドの映画会社やニューヨークのロックフェラー・センターを買収し、日本は「ナンバー・ワン」だと称賛された。「超大国」日本への恐れが世界各国のマスコミの経済欄で話題になった。(中略)
 日本がとる道は、アメリカや欧州連合(EU)加盟国、韓国など、知識集約型産業に移行している国すべてにとってとくに重要になるだろう。これらの国は大規模な農業人口という重荷がないので、中国やインド、メキシコ、ブラジルと違って国内が三つのセクターに分かれてはおらず、縮小している工業セクターと成長する知識セクターという二つに分かれている。

カフェラテはいかが
 日本の奇跡が1990年代に突然終わったのはなぜなのか。無数の論者が説明しようとしてきた。日本に起こったのは、なんとも不思議な不況であった。当時、東京の表参道を歩くと、ファッションに敏感な外国人や若者が店に立ち寄って、グランデ・ソイ・ヘーゼルナッツ・バニラ・ラテを飲んでおり、不況の影はどこにもなかった。(中略)日本で起こったことを説明するには、不動産バブルと銀行の不良債権だけでは不十分だ。日本経済を吹き飛ばした時限爆弾は、はるか前から時を刻んでいたのであり、実際には、基礎的条件の深部にある時間要因での失敗によるものなのである。

日本の不均衡な飛躍
 前述のように日本は以前、先進的な情報技術を使って製造業基盤を革命的に変革し、輸出品の品質を劇的に高め、何よりも斬新な製品を世界市場に供給した。それとともに、ジャスト・イン・タイム(JIT)方式など、強力な経営手法を開発した。日本ほど短期間に成功を収めた例はかつてなかった。(中略)だが、本書で強調してきたように、科学と技術だけで先進的な経済が生まれるわけではない。そして知識集約型の経済で成功を収めるには、製造業だけを基盤にするわけにはいかない。先進的なサービス業も必要である。(中略)要するに、日本の経済発展が不均衡なことから、かなりの程度の同時性のズレが生まれており、いまだに日本経済全体に歪みが生じている。製造業とサービス業でいまだに同期がとれていないのだ。~日本はきわめて効率的な輸出産業ときわめて非効率的な国内産業の混合になって、機能不全に陥っている~今の世界で、これはとくに苦しい状況である。世界が変化したからだ。日本が輸出に頼って「奇跡」を起こしたとき、韓国、台湾、マレーシアなどのアジア諸国は、世界市場での競争にほとんど参加していなかった。中国は無関係だった。いまでは輸出市場での競争は行き過ぎではないとしても、熾烈になっている。このため輸出は日本の将来にとっていまでも重要だが、戦略の柱にはなりえない。日本は輸出産業と変わらないほど先駆的な国内経済を築いていかなければならない。成功をもたらした戦略に固執しているわけにはいかない。過去は過去なのだから。

柔軟な国
 経済が加速するなかで重要な点があるとすれば、それは移りゆく状況に対応するのに不可欠な組織の柔軟性である。これは知識経済に移行している国のすべてにいえることだが、とくに日本にとって重要な点だ。工業時代の硬直的な規則によって、柔軟性をもつことがほぼ不可能になっているからだ。(中略)しかしそれ以上に重要な点は、巨大な規模に伴う柔軟性の欠如だ。小さな船なら巨大な戦艦より素早く方向を転換できる。そして変化が加速するいまの環境では、高速の方向転換が生き残りに不可欠である。
 第三の波のこれまでの動きから学べる点があるとするなら、それは、シリコンバレーが示したように、小企業が世界を変えられることだ。~アメリカでは10人に1人が何らかの起業活動に関与している。日本では100人に1人だ。~日経ウィークリー紙によれば、1980年から2000年までに、アメリカでは大学が設立した企業が2,624社あるが、日本ではわずか240社であった。(以下略)

意思決定の遅れ
 柔軟な知識集約型経済の発展を促す環境を作るには、日本はさらに、柔軟性の欠如をもたらしている社会的な規則を再検討しなければならない。そのひとつに意思決定方法の再検討がある(中略)だが、いまでは経済と社会で変化が加速し、複雑さが増しているので、計画を短時間で変更し、決定を素早く下す能力が生き残りのために不可欠となっている。日本の集団決定方式は今後衰えていくだろう。高速の変化から圧力を受け、個性を重視する若い世代が力をつけていくからだ。

男女間の分業はもう古い
 変化が急速で、ときには複雑で混乱した時代に経済が発展するようにするには、役割構造の硬直性を解消していく必要がある。職業や職場での硬直性だけでなく、もっと深い水準にある家族内と男女間でも役割構造を柔軟にする必要がある。(中略)男女間の分業という古い考えは構造的な硬直性のひとつであり、日本経済が革命的な富の体制に向けて前進するうえで障害になっている。いま、知識経済を構築するために世界が競争しているなかで、かつて世界経済のリーダーだった日本は、国内の頭脳のうち半分しか使っていない。これは賢明な方法だとはいえない。

高齢化の波
 起業の硬直性によって、計り知れない可能性をもつ女性の能力が活用されていないうえに、高齢者の能力も活用されていない。(中略)社会保障関連の統計だけに注目し、健康と医療の将来を考えないのは、官僚的な縄張り意識を反映した見方である。さらに、高齢者向けの支出が増えていくとき、他の年齢層向けの支出は減っていくのではないだろうか。~いま日本だけでなく、高齢化が進む国のすべてで必要とされているのは、もっと抜本的で、もっと創造的で全体的な解決策である。(以下略)

フィリピン人かロボットか
 いま必要とされているのは要するに、高齢化の問題にはるかに創造的に対処することなのだ。それには官僚制度の縄張りを越えなければならないこともあるだろう。高齢者についての見方でもっとも問題なのは、「非生産的」な年齢層だとみる点だ。高齢者が非生産的だとはかぎらないし、金銭経済での生産だけではなく、生産消費者として生み出している経済的価値も考慮にいれれば、ほとんどの高齢者は非生産的ではない。(中略)生産消費者は前述のように、ボランティア活動で社会資本を生み出している。日本はこれを大幅に促進する方法を考えることもできる。~かつて小松左京は筆者に、高齢者介護をどうするかは少々無神経な言葉を使えば「フィリピン人かロボットか」の問題だと語ったが、実際にはさまざまな選択肢がある。(以下略)

つぎの節目
 以上に明らかなように、日本はほぼすべての水準で構造的な硬直性という問題にぶつかっており、これを全体的に取り除くのは、銀行の不良債権の処理やサービス産業の技術と組織の後進性の解消よりむずかしいといえる。この構造的な硬直性こそが、急速に訪れる未来の課題に直面する日本にとって、最大の脅威になっている。世界のどの国でもそうだが日本でも、硬直性はどこかの時点で死後硬直になる。
 だが2005年、自由民主党の小泉純一郎首相は驚くほどの政治的柔術を使って、長く続いた死後硬直を打破した。50年にわたって自民党にとって最大の票田であった農村の保守的な有権者に背を向け、都市の有権者の支持を集めて再選を果たしたのだ。
(中略)
 おそらくは、官僚制度の権限、役割、構造について定期的な見直しを義務づける規定も必要だろう。女性の権利を高める規定も必要だ。そして外国からの移民と少数民族の役割と権利を再検討する規定も必要だろう。労働力の不足を補うためだけでなく、考え方と文化の多様性をもたらし、イノベーションを刺激して日本を豊かにするために移民を受け入れるべきだ。
(中略)
 いま、日本はアメリカとの安全保障面の協力関係を強化すると同時に、中国との経済関係を強化しているので、今後、軍事衝突や感染症、環境破壊、宗教対立、テロの脅威にさらされているアジアの中心として、さらに重要性が高まる可能性がある。しかし逆に、アメリカに対しても中国に対しても、交渉力が弱まる可能性もある。
(中略)
 ~今後、日本も「複線」政策をとる必要がある。~知識に基づく革命的な経済と社会への移行を急速に完了しなければならない。国内で劇的な変化を必要とするにしても、そうしなければ、アニメ、漫画、ゲームに熱中する新しい世代は今後、日本が貧しくなり、不安定さをますアジアでの影響力が低下していく状況に苦しむことになろう。
 
 日本は竹のようだといわれることがある。竹が成長していくとき、真っ直ぐで長く青い幹のところどころに、茶色がかった節ができる。真っ直ぐで青い部分は、日本が長期にわたって変化に抵抗するさまを象徴しており、節の部分は突然起こる革命的な変化を象徴しているという。
 アメリカ、ヨーロッパ、中国、東アジアなど、世界各国の富の将来はかなりの程度まで、日本がつぎの節に近づいているかどうかに左右される。


アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(下)005

2012年03月08日 22時01分15秒 | 富の未来(下)
3・11東日本大震災から1年を迎えようとしています。
震災直後、中学生がネットでNHKニュース(動画)を違法配信していたことが、産経新聞ネットで話題となりました。以下引用します。この事象をどう捉えるか、ご意見ください。

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震災直後、中学生がネットでニュース違法配信 NHKは黙認
産経新聞 3月6日(火)9時54分配信
 3月11日の東日本大震災発生直後、大津波警報が赤く点滅するNHKのニュース画面を見ながら、広島県に住む中学2年の男子生徒=当時(14)=は「この画面をネットに流したら、助かる人がいるんじゃないか」と考えた。

 その瞬間、脳裏を懸念と不安が駆け巡った。「相手はNHK、あとでどうなるか」。手持ちのiPhone(アイフォーン、高機能携帯電話)を使って動画投稿サイト「ユーストリーム」で配信した経験もほとんどなかった。しかし、母親が阪神大震災の被災者だったことが、少年の背中を押した。「今、東北には自分よりも不安を抱えている人がものすごい数いるんだ。自分がやらなければ」

 配信を始めたのは、最初の大きな揺れから17分後の午後3時3分。ミニブログのツイッターを介し、「ユーストリームで地震のニュースを見られる」という情報は、またたく間にネットを駆け巡った。

 配信に気付いたユーストリーム・アジアの担当者は迷った。明らかにNHKの著作権を侵害した「違法配信」だ。普通は直ちに停止する。だが、停電などでテレビを見られぬ人には貴重な情報源ではないか。

 この状況を出張先の米国で知らされたユ社の中川具隆(ともたか)社長(55)は、午後4時ごろには、「われわれの判断で停止するのはやめておこう」と指示する。NHKの要請があった場合のみ停止する。中川氏は現場にそう伝えた。

 ツイッター上ではNHKの対応にも注目が集まっていた。NHKの番組宣伝を行う公式アカウント「NHK-PR」は、顔文字やユーモアを交えた「つぶやき」でツイッターの世界では有名人である。

 そのNHK-PRが午後5時20分、少年の無断配信のアドレスを、自分のつぶやきを読んでいるフォロワーに紹介した。そして、こう書いた。「私の独断なので、あとで責任は取ります」

 同アカウントの担当は1人の広報局職員だ。「免職になるかもしれないと少し躊躇(ちゅうちょ)したが、それで助かる人が一人でもいるのならと思いツイートした」。そして、少年。「NHK広報さまのツイートがあったのであそこまでできた。あの中継は、みんなで作り上げたんだと自分は考えます」

 あれから1年、2人は産経新聞の取材にメールでこう答えた。

 NHKは午後6時過ぎ、少年がユーストリームで行ったテレビ画面の無断配信の継続を正式にユ社に許諾した。NHKのデジタル推進部門の責任者、元橋圭哉氏は「放送を届ける使命を果たすためには、誰でもそうしたと思う」と語る。そして、午後9時ごろからはユーストリームで公式に番組の同時配信を開始。前後してTBSなど民放12局も続々と同時配信を始めた。計13チャンネルの視聴は震災発生から2週間で延べ約6800万回にも達した。

 混乱の中、1人の中学生の“暴挙”が引き起こしたネットと放送の融合。ただ、それを再び行うかとなると、関係者から積極的な声は聞こえてこない。元橋氏は「未曽有の災害だったからしたこと。今、同時配信をやりたいということは全くない」。NHKの松本正之会長は「臨機応変に対応していくことが必要だ」と述べるが、具体的な議論が進む気配はない。

 それでも、1年前の出来事が成功だったことは疑いない。テレビの伝える情報の価値は再認識され、ネットは被災者が、そこに書き込むことで、「誰か」と情報や不安を共有し、安心感を得る場になった。

 「あのとき、かつて街頭のテレビに人が群がったように、テレビを中心としたコミュニティーができていた」。元橋氏は語った。

 「ネットの状況は、1年前よりむしろ怖い状態になっている」 

 震災からの1年間は、ツイッターやフェイスブックといった、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の利用が日本で飛躍した期間でもあった。

 現在、2千人規模で各種の被災地支援を行っているプロジェクト「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(西條剛央代表)では、スタッフが現地で被災者の欲しい物資を聞き取り、ウェブサイトに掲載。ツイッターで情報を広め、支援者から被災者に物資を直接届けてもらう仕組みを導入した。さばき切れない物資が自治体の倉庫に積み上がったのとは対照的な、効率の良い支援が実現した。こうした団体は多くある。

 東京都武蔵野市のサックス奏者、武田和大(かずひろ)さん(44)は昨年4月、津波で楽器が流された子供に楽器を届けるプロジェクト「楽器 for Kids」を立ち上げた。「ツイッターで『やろう』と言ったら周りが賛同して、すぐ形になった」といい、フットワークは軽い。

 全国から不要な楽器や部品、寄付金を募り、これまでに200点以上の楽器類を被災地の子供たちに手渡した。「阪神大震災のときと違い、今はネットがあるから老若男女、誰でも何かができる」と武田さん。

 もちろん、ネットには闇の部分もある。

 「1月25日、大地震が起きる」「25日の東海大地震の予知夢を見た」-。今年1月中旬、ネット上をこんな噂が駆け巡った。

 時期が東京大地震研究所の「マグニチュード7級の地震が南関東で4年以内に発生する確率は70%に高まった可能性がある」という研究の報道と重なったこともあり、噂は拡散。「1月25日」に備え、災害用品の買い込みを勧める書き込みまで多数現れた。

 もちろん、この日、大地震は起きなかった。大震災直後にも「千葉で有害な雨が降る」などといったデマがあった。その一方で、「検証サイト」がこうした噂を一つ一つ打ち消していく自浄作用も起きている。

 東洋大の関谷直也准教授(災害情報論)は「災害の流言は不安心理の体現だ。メディアリテラシー(情報を評価、活用する能力)で克服できるものではない」と指摘する。では、そのメディアリテラシーは震災後に積み上げられたネット体験で向上したのか。関谷氏はきっぱりと否定する。

 海外でSNSを通じた呼びかけに端を発した運動が政治体制の打倒にまで発展した。日本でもこの1年、各地でSNSを介した大規模なデモが行われた。以前は実社会での行動には結びつかなかった人々の思いが、今は高いハードルなしに行動に結びつく。SNSが細やかなボランティアを支える一方で、デマは変わらず横行している。

 関谷氏は「ネット上の情報や噂には、より敏感に、慎重にならなくてはいけなくなっている」と警鐘を鳴らすことを忘れていない。(織田淳嗣)

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運命の2時46分発 駅で交差した「生と死」
最終更新:3月6日(火)17時48分

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120306-00000513-san-soci

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2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
第9部 貧困 P.170~208

第42章 明日に向けた複線戦略
 小平が反資本主義の鉄の統制から中国を解放して4年後の1983年、改革派の趙紫陽首相が北京で政策指導者の会議を開き、筆者が提唱した第三の波の概念を学ぶよう呼びかけた。
何人かはマルクス主義理論の枠から踏み出すことを恐れて、趙首相を飛び越して胡耀邦総書記のもとに行き、会議で提案されたことについて、意見を求めた。胡総書記は当時の中国で改革派に属しており、「党内には新しい考えを恐れる人が多すぎる」という意味の発言をしたという。
その後、中国の指導者は、そしてその指導にしたがう何千万人もの幹部は、工業化だけに集中するべきではないとする見方を強く支持するようになった。できるだけ早く知識集約型経済を同時並行して築いていくべきであり、可能な部分では工業化のいくつかの段階を飛び越えるべきだとされるようになったのである。
だからこそ、中国が有人宇宙船を打ち上げたのであり、バイオ大国への道を歩んでいるのであり~
だからこそ、DVDプレーヤー、半導体、コンピュータの規格を独自に設定しようとしているのである~
だからこそ、北京ゲノム研究所が記録的な短期間で稲のゲノムの解析を終えて世界を驚かしたのだ~
 だからこそ、ニューヨーク・タイムズ紙記者のトーマス・フリードマンが伝えているように、大連市は製造業の中心地から知識産業の中心地に変身しているのである~
 だからこそ、中国では年に46万5千人が工学と自然科学の学位をとっている~
 だからこそ、何百もの多国籍企業が中国に研究所を設立し、毎年2百社が新たに研究所を設立している~
 だからこそ、OECDの統計をみても、デジタル機器の輸出額で2003年には日本とヨーロッパを上回り~
 中国は複線戦略をとって、工業で低賃金を武器にするとともに、知識産業を急速に構築するために努力しており、その際に中央計画を減らし、省や市、地方の政府に権限を委譲し、市場の活動を拡大し、どちらかといえば輸出に過大に依存している。
(中略)
 だが中国の指導者は歴史を変える使命があることを自覚している。過去5千年にわたって中国に蔓延していた貧困を終わらせる使命があるのだ。そしてエコノミスト誌によれば、中国では1979年以降、2億7千万人が極端な貧困から抜け出している。
 月並みな言葉を使うなら、グラスはまだ半分空だといえるかもしれない。だが以前には、極端な貧困に苦しむ人はグラスすらもっていなかった。そして未来もなかった。複線戦略は中国だけに適用されているわけではない。もうひとつ、貧困層がきわめて多い国にインドがある。

インドの目覚め
 長い銀髪が耳を覆い、柔和な顔の小柄な老人が壇上にあがり、ネール・ジャケットの襟にマイクをつけて話しだした。声が低く小さいので、スライドをつぎつぎに切り替えて行う講演の内容が、スピーカーを通して聞き取りにくいほどだ。これは2003年、ニューデリーで開かれた「インド - 巨人か小人か」と題する会議の模様だ。
 この老人、A・P・J・アブドル・カラムは国外ではほとんど知られていないが、貧乏な船大工の家に生まれ、ヒンズー教徒が大部分を占めるインドでは少数派のイスラム教徒であり、インドの人工衛星、ミサイル、原子力の開発計画で科学技術の責任者をつとめてきた科学者だ。いまはインドの大統領である。
 カラム大統領は国を治めているわけではない。それは政治家の仕事だ。だが貧乏な家に生まれて成功を収めた人物の象徴として、宗教間の融和を尽くす人物として、幅広い国民に尊敬されている。『2020年のインド - 新千年紀のビジョン』の共著者でもある。
 (中略)
 最先端技術は貧困層に何も役に立たないという見方があるが、知識経済とその技術があったからこそ、インドは独立後50年の停滞から抜け出し、1億人が貧困を脱して、中国を追いかけるようになったのである。(以下略)

バンガロール・セントラル
 世界のメディアはいま、アメリカなどの先進各国からインドへの外注で、驚くような変化が起こっていることに注目している。バンガロール、ハイデラバード、プネー、グルガ-オン、ジャイプ-ルに情報技術関連の仕事が外注されていることが、世界中のマスコミで話題になっている。2004年には、インドはアメリカなど各国の企業からコール・センター、ソフトウェアのプログラミング、事務、会計を請け負い、財務分析すら請け負って125億ドルを得ている。
(中略)
 インドの情報技術産業で働く優秀な若者が貪欲で、自己中心的で、ヤッピーのようだと非難する記事がつぎつぎ書かれている。だが、あまり注目されていない事実がある。バンガーロールのあるカルナカタ州では、コンピュータのお陰で670万人の農民が30セントの手数料を支払えば土地登記書類のコピーを入手でき、土地を収奪しようとする腐敗した地主から自分の土地を守ることができるようになった。
(中略)
 これも貧困層には無縁だと思えるだろうが、シャルマが指摘しているように、人工衛星による遠隔探査と早期警戒システムがあれば、何千、何万の人たちが突然の洪水で命を落とすこともなくなる。
 また、南部ケララ州の州都、トリバンドラムにある地域癌センターの10万人の患者は以前、大変なコストをかけ、はるか遠方から、それもたいていは一度ならず、治療とその後の検査のためにセンターに行っていた。センターはいまでは、6ヵ所に分院を設けている。インターネットを使った遠隔医療システムで結ばれており、治療後の検査のために必要な通院の回数が30%以上減った。
(中略)
 インドでみられる前進の多くは、まだ実験段階か小規模なものに止まっている。いまだにばらばらの動きにすぎず、組織的な動きにはなっていない。だが、知識に基づく富の体制の要素がもっと増えていき、互いに影響しあい強化しあうようになれば、その成果が指数関数的とはいわないまでも、大幅に増えていくだろう。過去に工業に基づく富の体制の社会的、制度的、政治的、文化的な要素が出そろったときにそうなったよう。
 
 インドも中国も同じ社会的、政治的、文化的な課題にぶつかっている。腐敗、エイズ、深刻な環境問題、制度の再構築の必要性、世代間の対立などの課題である。軍事では、中国が台湾問題をかかえているように、インドは政情が不安定なうえ核武装したパキスタンとの対立があり、カシミール地方の分離独立を求めるイスラム過激派との戦いが激化している。さらに、現在の中国と違って、カースト間の対立があり、ヒンズー教過激派とイスラム過激派との流血の衝突も断続的に起こっている。
 こうした問題はあるものの、インドは貧困との新たな戦いを遅らせることはできないし、重化学工業だけではこの戦いに勝てないことを理解している。そして、人口の大部分が生産性の低い農業に従事しているかぎり、小規模な「適合技術」をどれほど導入しても戦いに勝てないことを理解している。第一の波の戦略も、第二の波の戦略も不十分なのだ。

歴史上もっとも偉大な世代になれるのか  
 この点は中国とインドだけではなく、アジア全体、さらには世界全体にもいえる。アジアには注目すべき指導者が輩出した世代があり、この点を他地域の指導者に先駆けて理解していた。
シンガポールの独立の父、リー・クアンユーは、~
マレーシアのマハティール前首相は^
韓国の金大中元大統領は~
(中略)
 知識に基づく経済と社会を目標にしているのである。
(中略)
 だが、ひとつだけ明白な点がある。アジアに、とりわけ中国とインドの農民層にこそ世界の貧困の中核があり、この部分でこそ、知識に基づく富の体制はとくに大きな成功を収められるのである。
 
正しいが正しくない
 インドと中国が技術の力だけで貧困を撲滅できると考えるのであれば、単純すぎる。どの国でも技術だけでは貧困の問題を解決できない。本書で繰り返し指摘してきたように、富の革命はコンピュータとハードウェアだけの問題ではない。経済だけの問題でもない。社会、制度、教育、文化、政治の革命でもある。
 だが、逆もありえない。はるかな昔から続く農村の貧困を解消しようとするのであれば、どの国も農業の生産性を飛躍的に高めるしかなく、すぐれた鍬や鋤を増産するといった程度のことでは、広範囲に生産性を高めることはできない。
(中略)
 最高の条件が整っても、第一の波の農民がいまの農具を使って生み出せる土地生産物には限度がある。
 また、第二の波の機械的な大規模農業でも、環境に深刻な打撃を与えることなく生産できる量には限度がある(環境修復費用を考慮すると、生産性はそれほど高くない)。
 だが、第三の波の知識に基づく農業であれば、生産できる量には事実上まったく限度がない。そしてだからこそ、人類が土地を耕すようになってから最大の変化がいままさにはじまろうとしていると言えるのである。

第43章 貧困の根を絶つ

 どの戦略にもその背景には夢がある。こうあるべきだというイメージがある。貧困根絶を目指す第三の波の戦略は、夢に過ぎないとも思えるだろうが、急速に実現に近づいている可能性が十分にある。
 実際のところ、非現実的なのは旧来の貧困根絶戦略であって、新しい戦略ではない。村落で小さな変化を積み重ねていっても、貧困撲滅に必要な大きな前進は達成できない。
(中略)
 すべての子供に食べ物がいきわたり、すべての人が安全な水を飲めるようになり、貧しい国の平均寿命が少なくとも70歳以上になり、初等教育の目標が達成されてはじめて、貧富の格差の縮小を優先課題にするべきだ。
 いま必要なのは第三の波の戦略であり、少なくとも、いま貧困に苦しむ農村地域を先進的で生産性の高い事業の集積地に変えていくことを目指すべきだ。やせ衰え、年齢以上に老けた両親の肉体労働に頼るのではなく、子供の頭脳の力に頼る地域に変えていくのである。
 この戦略を現実的なものにするには、目先のことに目を奪われるのではなく、いまは芽にすぎなくとも、新しい動きに注目するべきだ。幸い、いま開発されている強力な手段が役立つだろう。まずあげれらるのが、激しい反対を受けながら普及している遺伝子組み換え食品である。

試行錯誤に代えて
 遺伝子組み換え食品の安全を高め、いわゆる交差汚染を防止するよう求める運動は正しいし、社会的に有益である。だが遺伝子組み換え食品の全面禁止を求める運動は無責任であり、きわめて有害なものになりうる。グリーンピースの創設者のひとり、パトリック・ムーアすら、遺伝子組み換え食品の反対運動は「夢想に基づいていて、科学と論理に対する敬意がまったく欠けている」と非難したほどだ。
(中略)
 リチャード・マニングは農業の起源とその影響を描いた『本性に反して』で、農民がはるか昔から交雑を行い、品質を改良してきた事実を指摘している。これはすべて、試行錯誤と幸運に頼るものであった。「今では、こうした曖昧な要因に代えて、植物の性質を決めるにあたって個々の遺伝子が果たす役割に関する正確な情報を利用するようになった。いまでは科学者は望みの性質をもった植物を短期間のうちに作り出せる。これまでなら10年以上かかったのだが」

バナナを使って
 バイオ技術によって、薬効をもつ食品が増え、貧しい国に蔓延している病気の予防と治療に役立つ食品も増えるだろう。(中略)
 コーネル大学の研究者は肝炎ワクチンをバナナに組み入れて、このコストを10セントに引き下げる研究を行っている。間もなく、B型肝炎ワクチンを組み入れたトマトやジャガイモも登場するだろう。
(中略)
 バイオ企業が新しい種子をつぎつぎに開発しているので、農民は市場をますます絞り込んで高付加価値の商品を生産できるようになり、いずれは個人ごとにカスタム化した商品を生産するようになるだろう。
 バイオはいうならば誰もがまだ出発点に立っているにすぎない分野なので、貧しい国が先進国に「追いつく」ことができないとする強い理由はないし、自国の食料を自給するだけでなく、高付加価値の農産品の輸出で利益をあげるまでになることができないとする強い理由はない。だが、これはまだ可能性がでてきたという段階にすぎない。

バイオ経済
 ほとんど注目されていないが、驚くべき研究報告がワシントンにある国防大学の技術・国家安全保障政策研究所から発行され、将来には「農場が油田と変わらないほど重要になる」と論じている。いまでは石油会社の経営者すら、「石油の時代の終焉」を話題にしている。国防大学の研究報告を書いたロバート・E・アームストロング博士はこれを一歩進めて、今後は「バイオに基づく」経済の時代となり、さまざまな原材料や製品の源泉としてだけでなく、エネルギーの源泉としても、「遺伝子が現在の石油の地位を占めるようになる」と論じている。(中略)だがこれは始まりにすぎない。アームストロングはいずれ、農村の各地に小規模な「バイオ精製所」が作られ、植物性の廃棄物から食品、飼料、繊維、樹脂などを生産するようになると予想している。(中略)アームストロングはこう語る。「バイオ精製所は原料の産地近くに作る必要がある。地域の特質を活かした農業が発達し、地元のバイオ精製所向けに特色のある作物を栽培することになろう。・・・重要なのは、農村地域におそらくは農場以外の職が作られることだ」
 アームストロングの結論はこうだ。「バイオ経済は最終的に、都市化の流れを食い止める要因になりうる」

天上の恵み
 農民は愚かではない。愚かでは生き残れない。自分が耕す土地をくわしく知っている。乾期がいつくるかを知っている。だが、農民が知っていることは、知りうることのごく一部でしかない。この格差が農民の貧困の原因になっている。
 豊かな国の優秀な農業事業者すら、労働やエネルギー、水、肥料、殺虫剤を無駄に使っており、深刻な環境破壊を引き起こすと同時に、収穫を最大限に増やすことができない。自分の農地について知らない点があるからである。だが、地上2万キロから救いの手が差し延べられている。
 これまで農民は、農業企業も、農業全体を同じように扱う画一的な戦略をとってきた。
だが間もなく、携帯型のGPS受信機が村に1台あれば(あるいはいくつかの村で共有していれば)、作物1本ごとにではないにしろ、田畑1枚ごとに肥料、養分、水などの必要についてのくわしい情報を、軌道上にある人工衛星から受け取れるようになる。
 そうなれば、農業をカスタム化して、たとえば肥料を必要なときに必要最小限の量だけ与えられるようになる。散水と再利用の方法を改良して、灌漑システムを変えることもでき、特殊な用途のために高付加価値の水を作ることすら可能になる。
 この「精密農業」とカスタム化した水処理方法は農民にとっても環境保護派にとっても朗報であり、これによって非マス化が農業にも及ぶことになる。
 この点からもっと大きく、時代を変える変化が生まれる。工業型の大規模農業は環境を破壊しかねない単一栽培をもたらしてきた。これに対して以上の点は、逆方向への動きがはじまる可能性を示す兆候になっている。しかも、工業化以前の方法に戻ることによってではなく、それをはるかに超えて前進することで、逆方向に動く可能性がでてきているのである。
 少なくとも豊かな国では、市場はカスタム化した食品や健康食品を求めているので、今後は多様な方法や技術がつぎつぎにあらわれ、世界各地の多様な農産物を利用するようになっていくだろう。(以下略)

秘密の価格
 中国安徽省の農村に住む王世武は以前、カゴに商品を入れて近くの村や市場に行き、買い手を探していた。1千年前の行商人や農民とほとんど違わない生活を送っていたのだ。1999年になって、生活が一変した。そのとき、「素晴らしい機会がめぐってきた」という。いまでは逆に、客がきてくれるようになった。「素晴らしい機会」とはインターネットだ。
 王はコンピュータ・マニアではない。52歳だから子供ではない。だが起業家精神にあふれており、間もなく自宅のパソコンでインターネットを使って市場情報を集め、村人に無料で提供するようになった。
 農民なら誰でも、最新の価格情報がいかに大切かを知っている。これまでなら、農民はうまく売れてくれるよう願いながら、作物や家畜を市場に運び、そこではじめて価格が分かる仕組みになっていた。このため、農民の交渉力は極端にかぎられる結果となった。王はその時点での価格情報を農民に知らせて、この仕組みをまったく変えることになった。つぎに、村の農産物をオンラインで販売するようになった。(以下略)

最高の農学者
 中国安徽省から4千キロ離れたインド中部のマディヤプラデシュ州でも、1ヘクタール弱の畑で大豆を栽培するシャシャンク・ジョシが、近くの農民にオンライン価格情報を知らせている。ジョシは、イー・チョウパルという経営的・社会的なイノベーションに参加しているのである。
 インドを代表する大企業のひとつ、ITCは大豆、タバコ、コーヒー豆、小麦などの農産品を輸出しており、国内の購買システムを改善する必要に迫られていた。このため同社は何千もの農家を結ぶ独自の情報技術ネットワークを作り、ジョシらにコンピュータを支給した。支給された農家は自宅をチョウパル、つまり農民が集って話し合い、お茶を飲み、同時に地元の公認市場での最新価格を確認する場所として提供する。もちろん、シカゴ商品取引所の相場も調べられる。(中略)
 インドはアメリカなどの各国からのアウトソーシングでハイテク事業を引き付けることに成功しており、イー・チョウパルなどのイノベーションや実験が進められているが、それでもいわゆる情報技術格差(デジタル・デバイド)という面で、中国よりもさらに道のりが長い。(中略)
 農村の住民は困難にぶつかったときの勇気、度胸、ユーモアについて、きびしい現実に折り合いをつける方法について、部外者に教えられる点を大量にもっている。無知で傲慢な部外者が「支援」をしようと村に入ってきても、馬鹿にされるのが落ちだ。だが、~孤立した人たちが連絡をとる手段も安価になっているので、農村の村が外部から豊富な知識(そして豊富になっていく知識)を吸収できるようにすることが何よりも重要である。(中略)それでも、インターネット、携帯電話、テレビ電話、携帯モニターと、これらの後継技術は、農業の歴史を通じて鋤や鍬が不可欠であったように、将来の農業に不可欠なものになるだろう。

スマート・ダスト
 バイオ、宇宙開発、インターネットといった新技術は、世界各地の豊かな国の研究所で開発されている技術のほんの一部でしかない。他の目的のために開発されている無数の技術のなかに、改良をくわえれば、貧しい国で農業関連の重要な用途に使えるものが無数ある。(中略)また、ごく小さなセンサーが開発され、塵のような「スマート・ダスト」が作られて、農地に撒いておけば土壌の温度、湿度などを知らせるようになると予想する科学者もいる。(中略)さらにナノテクによって、10億分の1メートル以下のセンサーを作り、細胞表面の電荷のわずかな変化をとらえて、生きている細胞の機能を調べる研究も行われている。植物はまさに「生きている細胞」だ。電荷の変化がその性質や収穫にどのような違いをもたらすのだろうか。また、「管理型生物・生物擬態システム」があり、昆虫から情報を集める研究が進められている。ある種の昆虫は空中にある細菌の胞子を体内に取り込む。そこから、作物をどう守るべきかを知るのに使える情報が得られないだろうか。(中略)ナノテクと磁気学の組み合わせから何が生まれるだろうか。科学者はすでに、ナノ・レベルの磁気を使って、細胞のレベルの生物活性を研究しており、分子1個のレベルですら研究が進められている。

ビル・ゲイツの受け売り
 先端技術では貧困の問題は解決できないとする見方がきわめて強い。たとえばこう主張される。「現実的になろう。情報技術と通信技術によって世界の貧困問題に『正面攻撃』をくわえることを示す事実はほとんどない」。ビル・ゲイツすら、この見方を受け売りしている。
 だが、この決まり文句は3つの疑わしい前提に基づいている。第一に、情報技術だけに焦点を絞っており~、第二に、見方が短期的すぎる。~第三に、もっとゆっくりしたペースで起こる動きを無視している。~
 また、この見方は歴史を知らないものでもある。蒸気機関が実用化され、最新機器として鉱業で使われるようになったとき、これが農業に影響を与えると考えた人はほとんどいなかった。そして、何年にもわたって、影響を与えなかった。だが蒸気機関が繊維工場で使われるようになると、綿を栽培する農家に影響を与えるようになった。つぎに蒸気機関を使う鉄道によって、農産物の市場が拡大した。蒸気機関によって、経済に占める農業の地位が変化した。
 したがって、以上で論じてきた点は、技術の進歩で生まれる「即効薬」ではない。もっと複雑で、現実的で、影響が大きいものである。(以下略)

最高の知恵が障害になるとき
 必要な技術の開発は、貧困問題の解決にあたって容易な部分である。はるかに複雑で困難なのは、技術以外の傷害を克服することだ。
 第一の障害は強い伝統であり、伝統を維持している強力なフィードバックの仕組みである。伝統的な農村では、何世代にもわたって、ときには何世紀にもわたって、どの世代もはるか昔の祖先とほとんど変わらない生活を送ってきた。こうした社会では、将来は過去の繰り返しだとする見方が支配的である。
 つまり、過去に最善だった方法が、今後も最善だとされる。そして世界各地の農民は生活にほとんど余裕がなく、一歩間違えれば生き残れなくなるので、合理的に考えれば、リスクを嫌う理由が十分にある。だが、新しい動きに抵抗するために変化が遅くなっており、将来は過去に似ているとする時代後れの見方がさらに強化される。
 第二の障害は教育と、教育が普及していない事実である。もちろん、教育に反対する人はいない。ただし、いくつかの例外を除けば。(中略)工業時代の必要にあわせて設計されたマスプロ教育は、工業化以前の農村の必要も、脱工業化の将来の必要も満たせない。農村の教育は、いやすべての教育は、根本から見直す必要がある。現在の技術を使えば、多様な文化ごとに、少人数の集団や個々人のニーズにあわせて、教育をカスタム化できる。(中略)無知を克服するときにも、技術だけでは目的を達成できない。政治、経済、社会の力も勝つようして、次世代を教育しなければならない。

分散型エネルギー
 もうひとつ、決定的な障害になるのは、農村でのエネルギー不足だ。世界の貧困層は、人手と家畜よりもはるかに強力なエネルギーを利用できるようにならなければ、いつまでも貧困に苦しむことになる。(中略)中国は第二の波の産業と第三の波の産業を同時に開発する複線戦略をとっており、今後16年間に年に2基の原子力発電所を建設する計画だ。(中略)だが教育の場合と同様に、こうした計画は通常、工業時代の解決策を採用している。巨大な電力網を築き、主に工場と人口が集中している大都市に電力を供給するように設計されている。(中略)計画にあたって真剣に考慮されることがほとんどない点だが、今後30年から60年に、他の多くの分野でもそうであるようにエネルギーでも、古い技術と新しい技術の組み合わせによって強力な結果が生まれ、画期的な動きが起こって誰もが驚く可能性が高い。

超農業
 したがって近く、農民型の農業、工業型の大規模農業がどちらも時代後れになり、「超農業」に置き換えられていくことになろう。そして長期的にみて、世界の貧困問題で、農業補助金や関税、援助を組み合わせたものよりはるかに大きな意味をもちうる。世界は変わり、農村の子供たちが活躍するようになるのを待っている。いまなすべきは、その日がくるのを早めることだ。(中略)
 中国とインドは変化を加速しており、農民の生活のゆっくりしたペースに挑戦している。つまり、基礎的条件の深部にある時間との関係を見直しているのだ。中国とインドの発展によって、世界の経済力の重心が太平洋を越えてアジアに移っている。これは基礎的条件の深部にある空間との関係を変える動きである。そして何よりも、中国は経済で知識が決定的な意味をもつことを理解している(インドはそれを学んでいる段階にある)。データや情報、知識を作り出すか、「漏出」されるか、購入するか、盗むかして活用し、それに頼って経済の転換をもたらし、基礎的条件の深部にある知識との関係を変えている。(中略)
 どこでも、どの日にも、世界の貧しい人がいかに悲惨な状況にあるか、目をおおいたくなる話が際限なく繰り返し伝えられている。飢えに苦しむ子供の写真、善意の団体や政府が発表する声明、国連の決議などだ。かわいそうな子供たちをひとりずつ救っていくよう呼びかける政府やNGOの言葉は一見、積極的なものだと思えるが、その背後には強烈な絶望感がある。そして、無力感がある。
 貧しい人は貧困の惨めさを部外者に教えてもらう必要はない。部外者が支援したいと望むのであれば、失敗する戦略を捨て、革命的なツールの開発を速め、絶望的な悲観主義を捨てて、希望の文化を掲げなければならない。
 工業化が18世紀と19世紀に世界各地に広まったとき、地球全体で富と幸福の分布が完全に変化した。革命的な富が以下にみるように、いま地球全体に変化をもたらそうとしている。それも誰もが驚く方法で。