アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(下)013 最終章2‐1

2012年04月23日 00時57分48秒 | 富の未来(下)
最終章 終わりに-始まりは終わった を抜粋せずに全編を2回に分けて紹介します。

 2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
終わりに ー 始まりは終わった   富の未来(下)P.330~P.340
悲観論をとなえるものは、賢明さを装いたい人にとってとくに便利な方法のひとつだ。そして、悲観的になる材料は山ほどある。だが、いつも悲観論をとなえていては、考えることを放棄する結果になる。
「悲観論者が天体の神秘を解明したことはないし、地図のない土地を発見したことはないし、人間の精神に新しい地平を切り開いたことも無い」と、ヘンレ・ケラーは書いている。幼児のときに視力と聴力を失いながら、世界三十九か国を訪問し、十一点の本を書き、その人生を描いた二本の映画がオスカー賞を受賞し、視聴覚障害者の権利のために八十七歳で死ぬまで戦った人物だ。
ドワイト・アイゼンハワーは第二次世界大戦でノルマンディ上陸作戦の指揮をとり、戦後にアメリカの第三十四代大統領になったが、もっとあけすけにこう語っている。「悲観論で勝てた戦いはない」
 二十一世紀の今後、恐ろしい事態になりうる点をあげていけば、きりがないように思える。中国とアメリカが戦争に突入する可能性。1930年代型の世界的大恐慌で何千万人もが失業し、数十年にわたる経済発展が無に帰す可能性。テロリストが核兵器、炭素菌、塩素ガスを使うか、企業と政府の決定的なコンピュータ・ネットワークへのサイバー攻撃を仕掛ける可能性。メキシコからイラン、南アフリカにいたる世界各国で水不足が深刻になる可能性。対立するNGOの間で武力衝突が起こる可能性。ナノ・レベルの新たな病気が蔓延する可能性。マインド・コントロール技術が広まる可能性。クローン人間が大量に生まれる可能性。そしてこれらが組み合わされ、収斂する可能性。これら以外にもちろん、地震があり、津波があり、森林破壊があり、地球温暖化がある。
 これらはすべて、心配する価値があることだ。だが、いまの悲観論の多くは流行にすぎない。19世紀半ばに産業革命がヨーロッパ全体に波及し、反対派に恐怖を与えた時期に似ている。近代化への恐れと怒り、近代化に伴う世俗主義と合理主義の拡大への恐れと怒りから、ロマン派の悲観主義が生まれ、バイロンやハインリッヒ・ハイネの詩、リヒャルト・ワグナーの音楽、ショーペンハウワーの悲観論哲学で表現された。忘れてはならないのはマックス・シュテルナーだ。アダム・スミスの著作をドイツ語に訳した無政府主義哲学者だが、何よりも悲観論の専門家であった。母親は精神障害に苦しんだ。妻は出産の際に子供とともに死亡した。再婚した後、妻の資産を投資して全額を失った。そして二番目の妻も死んでいる。

ノスタルジア軍団
新しい文明が古い文明を浸食する時期には、二つをくらべる動きが起こるのは避けがたい。過去の文明で有利な立場にあった人や、うまく順応してきた人がノスタルジア軍団を作り、過去を称賛するか美化し、まだ十分に理解できない将来、不完全な将来との違いをいいたてる。
見慣れた社会の消滅で打撃を受け、変化のあまりの速さに未来の衝撃を受けて、何百万、何千万の欧米人が工業経済の名残が消えていくのを嘆いている。
 職の不安に脅え、アジアの勃興に脅えているうえ、とくに若者は映画、テレビ、ゲーム、インターネットで暗黒の未来のイメージにたえず接している。メディアが作り上げ、若者の憧れの的とされている「スター」は、街角のチンピラや傍若無人な歌手、禁止薬物を使うスポーツ選手などだ。宗教家からはこの世の終わりが近いと聞かされている。そしてかつては進歩的だった環境運動がいまでは大勢力となり、破局の予言をふりまいて、「ノーといおう」と繰りかえし呼びかけている。
 だが、これからの時代にはあらゆる種類の驚きが満ちあふれ、善と悪、良いものと悪いものという区分がつきにくくなるだろう。そして何よりも大きな驚きとして、本書で論じてきた革命的な富の体制と文明によって、さまざまな問題があっても、もっと素晴らしく、健康で、長生きで、社会に役立つ人生を送る機会を数十億の人類が得られるようになるだろう。
 本書で強調してきたように、通常の経済学の枠組みでは新興の富の体制は理解できず、この制度の将来をかいま見るだけのためですら、先史の昔からいままで、そして将来まで、あらゆる富の創出の土台にある基礎的条件の深部に注目する必要がある。
 これも本書でみてきたように、基礎的条件の深部には仕事の種類、分業、交換、エネルギー供給、家族制度、特徴的な自然環境などがある。だが、基礎的条件の深部にある要因のうち、ほとんど検討されていないが、将来にとってとくに重要なものに、時間、空間、知識があり、いずれも専用の図書館が必要になるほどのテーマである。
 毎日のニュースでワン・フレーズの形で取り上げられる経済学は、エコノランドでいや
というほど議論されているが、経済の現実のうちごく一部に焦点をあてているにすぎないのは明らかである。本書ですら、ひとつの本という制約があるので、富の創出というテーマで考慮すべき要因を常識的な見方よりはるかに拡張しようと試みたものの、完全な像を示すまでにはまったくなっていない。
 それでも本書では、いま仕事の場でも家庭でも、時間が極端に不足していると感じる人が多い理由を示した。毎日のスケジュールが不規則になり、企業に時間を盗まれ、無給の「第三の職」を押し付けられていることを示した。商品を市場に出し、やがて引き揚げるペースが変化していることも示した。そして本書で示したように、活動の一部を同時化することで、他の部分でかならず非同時化が起こり、そのためにどれだけのコストがかかるかは分からない。いま、富の基礎的条件の深部にある時間要因で、革命的な変化が起こっているのである。
 それと同時に、富の空間的な場所が劇的に変化し、富を生み出す企業と技術の空間的な場所も劇的に変化している。これも本書で示したように、いまの反グローバル化の活動家が全員、荷物をまとめて家に戻ったとしても、経済統合の動きは遅くなり、経済以外の面では世界的な統合の動きが速まるだろう。これも、時間と空間の接点が変化し、非同時化が起こっている例のひとつである。
 しかし、これらの変化も知識システムで起こっている革命的変化との関連でみていかなければ、いま起こっている変化がもつ革命的な変革力の全体像をかいま見ることもできない。いまの変化は経済だけに影響を与えるものでなく、企業にとって、「知識管理システム」を作ればそれで安心というわけにはいかない。
 いまの変化は決定を下すときの方法に影響を与え、決定の基礎に有る真実と嘘の見分け方にまで影響を与える。いま、真実と嘘を見分ける長年の基準すら、攻撃を受けている。そして知識のうち、経済の発展にとくに重要な自然科学が大規模な攻撃を受けている。
 自然科学は前述のように、ほとんどの人が考える以上に厄介な状況にある。基礎研究に割り当てられる資金が減っているといった目先の問題より、はるかに深刻な危機に陥っている。自然科学が生き残っているのは、それを受け入れる文化があるからだ。そしてその文化が自然科学に敵意をもつようになってきた。この点をよく示すのは、進化論に対する攻撃が強まっている事実だ。1925年のスコープス裁判で決着がついたとみられていた創造論者による攻撃が復活しているうえ、いわゆる「知的計画」運動による攻撃がくわわっている。
 自然科学はいま、ポストモダン思想の残滓と大はやりのニュー・エイジ宗教を中心とする主観主義の砂嵐を浴びている。自然科学の影響力を弱めている要因にはさらに、科学者と製薬会社などの企業との関係で不祥事が起こっている事実である。マスコミが繰り返し、科学者を悪魔として描いている事実がある。今後予想されるバイオ技術の発達で、人間とそれ以外を分ける基準が脅かされるという恐れがある。
 それ以上に重要な点として、科学的方法が攻撃されている。攻撃しているのは「真実の管理者」であり、神秘的な啓示から政治的、宗教的な権威まで、自然科学以外の基準に基づく判断を好んでいる。真実をめぐっていま起こっている戦いは、基礎的条件の深部にある知識との関係が変化していることの一部である。

生産消費者の経路
 このように時間、空間、知識の使い方が革命的に変化している事実を背景に、もうひとつ、予想されていなかった歴史的な動きが起こっている。本書で論じてきたように、「生産消費」が復活しているのだ。
 太古の昔、われわれの祖先は食料、衣料、住宅をみずから生産していたのであり、通貨が発明されたのははるかに後のことだ。当時、消費する必要のあるものは自分で生産していた。その後、何万年もの間に徐々に、人類は生産消費を減らし、通貨と市場に依存するようになった。この点を考えた人の間でも、生産消費は減少しつづけるというのが常識になっていた。市場外で非金銭的な価値を生み出す人はさらに減少し、無視できるほどになるとみられていたのだ。
 だが、正反対の動きがいま起こっている。生産消費は第一の波の形では減少しているが、新しい第三の波の方法で急速に増加しているのである。生み出す経済的価値が増え、金銭経済に提供する「タダ飯」が増え、その経路も増えている。金銭経済の生産性を高めているのであり、WWWとリナックスの例が示すように、世界でもとくに強大な政府や企業の一部にすら挑戦している。
 生産消費によっていずれ、たとえば失業という問題の扱い方が変わる可能性もある。1930年代の大恐慌とケインズ経済学の勃興以来、公的資金を金銭経済に注入し、消費需要を刺激し、それによって職を生み出すことが失業問題の典型的な解決策の一部となっている。この政策では、百万人が失業しているのなら、百万の職を創出で問題が解決するというもっともな想定が基礎になっている。
 しかし、知識集約型の経済では、この想定は成り立たない。第一に、アメリカでも他国でも、いまでは失業者が何人いるかすら分からなくなっているし、失業者という言葉の意味すら分からなくなっている。いわゆる「職」と個人事業主とを組み合わせていたり、無給の消費活動で価値を生み出したりしている人がきわめて多くなっているからだ。
 第二に、それ以上に重要な点として、たとえ五百万の職を創出しても、百万人の失業者が新しい労働市場で求められている知識やスキルをもっていなければ、失業問題は解決できない。失業は量の問題ではなく、質の問題になっているのである。職業訓練や再研修すら考えられるほど役立つわけではない。新しいスキルを学び終わったときにはすでに、経済で求められる知識が変化している可能性があるからだ。要するに、知識経済での失業は工業経済での失業と違っている。構造的なものなのだ。
 ほとんどの場合に見逃されている事実がある。失業者すら、実際には働いているのである。失業者も現代人の例にもれず忙しく、無報酬の価値を生み出している。この点も理由のひとつになって、富の体制のうち金銭セクターと非金銭セクターの関係を再検討する必要が生まれている。この二つのセクターはいってみれば、未来の頭脳経済を構成する右肺と左肺のようなものである。
 強力な新技術によって生産消費の生産性が向上する。生産消費による金銭経済への刺激の効率をもっと高めるにはどうすればいいのか。富の体制を構成する二つの部分の間で価値がもっとうまく流れるようにする方法はないのだろうか。リナックスとWWW以外にモデルはないのだろうか。報酬が支払われてこなかった貢献に報酬を支払う方法はないのだろうか。おそらくコンピュータを使った多角的なバーターか、ある種の「準通貨」が使えるのではないだろうか。

悲観論者の代表
 新しい問題を解決するには、既存の知識の限界を超える思考が必要であり、悪化を続ける世界的エネルギー危機ほど新しい思考を必要としている問題はない。
 いま、既存のエネルギー・システムは明らかに、最終的な大崩落に向かっている。エネルギー需要が増えているからというだけではない。インフラが集中型になっており、独占が行き過ぎているからである。このどちらも、工業経済には適していたし、おそらくいまでも適しているだろう。だが、無形資産への依存度を高めている分散型の知識経済には、まったく適していない。
 中国、インドなどの国で経済が発展し、エネルギー需要が増加する一方、石油掘削のコストが上昇しており、化石燃料への依存度が高まって環境問題が深刻化している。そして、原油が世界でもとくに政治的に不安定な地域で生産されているという問題にもぶつかっている。
 21世紀初めに、年に推定約40京BTU(英国熱量単位)のエネルギーが世界のエネルギー市場で取引されている。石油、天然ガス、石炭、核燃料が中心であり、このなかでもっとも多いのは石油で、全体の約40%を占める。アメリカのエネルギー省が2004年に発表した予想では、2025年には世界のエネルギー需要が62京3千兆BTUになり、54%増加するとみられている。
 需要がここまで増加しても、化石燃料価格は「比較的低い水準に止まる」とエネルギー省は予想している。ただし、京都議定書で規定された温室効果ガスの排出削減が実行された場合にはそうはならず、その場合には「原子力が、そして水力、地熱、バイオマス、太陽、風などの自然エネルギーがもっと魅力的になるだろう」という、要するに、興奮するようなことは何も起こらないとエネルギー省は予想する。
 これをエネルギー産業専門の投資銀行家として影響力があり、悲観論者の代表といえるマシュー・R・シモンズの予想と比較してみよう。シモンズはエネルギーの将来を示すものとして石油の状況を分析し、世界の主要な油田で埋蔵量の減少が「深刻」になっており、業界が発表する推定埋蔵量は信頼できず、新たな油田の発見のコストが上昇し続けていると論じる。
 そのうえ、タンカー、製油所、掘削リグ、人員がいずれも「稼働率が100%に近い」状態になっており、この問題は「解消に10年から数10年かかる」という。それだけでなく、石油会社と電力会社も他の業界の企業と同様にジャスト・イン・タイムに移行しており、供給予備力をぎりぎりまで絞っていて、大惨事が起こりかねない状況になっていると語る。
 前述のように、エネルギー危機には非同時化が生み出した劇的な結果という側面がある。業界と市場の予想よりはるかに急激にアジアの需要が増加した結果なのだ。この点で、タンカーの建造が遅れ、製油所が不足し、緊急時用の備蓄が不足している理由が説明できる。
 シモンズは説得力のある分析を示した後、この世の終わりのシナリオから離れ、楽観的にこう語る。「人類が創造力をとくに発揮するのは、深刻な危機の時代のようだ」
 だが、これらの予想は、全体像を良い方向にか悪い方向にか大きく変えうるさまざまなシナリオを適切に考慮していない。たとえば、中国やインドで社会が混乱し、経済が減速するシナリオ、感染症が蔓延して人口が大幅に減少するシナリオ、中国がマラッカ海峡など、産油地帯の中東からアジアまでの海上までの海上交通路を支配するシナリオがある。そして、ほとんど注目されていない技術変化によってエネルギー需要が減少するシナリオがある。たとえば、製品の小型化がさらに進み、重量が減り、輸送と保管の必要が低下する可能性がある。
 それ以上に重要な点は内燃機関の時代が終わり、水素を使う燃料電池に代わる時期が近づいていることである。アメリカ連邦議会下院で科学委員会の委員長をつとめたロバート・ウォーカーはこう語る「何年かたてば、中国で百万台の燃料電池車が使われるようになるだろう。アメリカとくらべて、中国では既存のガソリン流通システムの重荷がはるかに小さい。いずれ110キロワットの燃料電池を積んだ車が、補助電源としても使われるようになる。今後の道筋にはいくつもの失敗があるだろうが、化石燃料の時代は終わろうとしている。

アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(下)0012

2012年04月18日 00時41分46秒 | 富の未来(下)
2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
第10部 地殻変動 P.310~P.329

第50章 目にみえないゲームのゲーム
 革命的な富の将来は、個々人にとっても世界にとっても、市場の相互作用だけで決まるわけではない。誰が何を得て、誰が何を作るのかは、いくつかの理論でそう論じられていることはあるが、実際には市場の力だけで決まったことはない。富はどこでも権力、文化、政治、国によって形作られている。世界のレベルではこれまで数世紀にわたって、国家が基本的な要因になってきた。(中略)
 各国政府は慣れた領域で、国民国家ゲーム盤とも呼べる領域で、これまで以上に激しく争っていくが、これはどの国にとっても、勝てる望みのない戦いになる。国民国家の政府がどう思おうと、国という制度は力を失う方向にある。大国といえども、それほどの力をもたなくなっている。アメリカも例外ではない。

新しいゲーム
 その理由は、新しいゲームでもはや、国が唯一の強力な要素ではなくなっていることにある。(中略)ゲームのルールは単純な線型ではなく、個々の動きの後に変化し、その最中にすら変化する。~重要なのは国のゲームと企業のゲーム、そして両者の相互作用だけではない。国と企業は、急成長する非政府組織(NGO)など、新しい勢力にも対応しなければならない。

急成長のNGO
 多数のNGOがモンサント、マクドナルド、シェルなどの企業と戦っている。前述のように、自由貿易と再グローバル化に反対している。平和運動を行っている。クジラを守るため、森林を守るために運動している。こうした運動がマスコミに取り上げられる。
(中略)
 NGOはコンピュータ、インターネット、最新の通信機器を駆使し、弁護士や医師、科学者などの専門家の支援を受けて、国際的な勢力として急成長しており、国や企業は今後、NGOと権力を分け合わなければならなくなっていく。(以下略)

明日のNGO
 いまのところ地方か国の範囲で活動しているNGOも近く、世界の舞台で活動するようになると予想できる。環境保護運動、女性解放運動、公民権運動なども、まずは地方の運動としてはじまり、やがて全国的な運動になり、その後に世界的な課題だと主張するようになっている。(中略)間もなくあらわれてくる倫理的な問題はきわめて深刻だし、感情的になるものなので、そこから新たに狂信的な運動が生まれ、世界的なテロ組織になることも容易に想像できる。いまですらNGOは全体として、情熱、アイデア、早期警戒信号、社会的イノベーションが良いものも悪いものも煮えたぎる大鍋のようになっている。すでに、政府やその官僚制度よりも素早く組織化し、行動できる(これも非同時性の重要な例だ)。今後、世界経済での富の生産と分配に大きな影響、それも大部分が予想外の影響を与えることになろう。そこで、最大のNGOともいえる宗教についてみていくことにしよう。

宗教経済学
 世界人口の増加率は低下しているが、世界の二大宗教、キリスト教とイスラム教では信者数の伸び率が上昇している。どちらも今後数十年に、技術の進歩と世界の富の劇的な再分配から影響を受けることになる。宗教と金銭の関係でもっとも関心を集めているのは、テロリズムのコストに関する点である。オサマ・ビン・ラディンはイスラム教徒過激派による9・11の攻撃で、アメリカ経済に1兆ドルを超える打撃を与えたと自慢した。しかし、実際にアメリカが被った損失ははるかに小さい。~自然災害の場合にそうなるように、復興がはじまればコストの多くは取り戻せるのだから、損失とみえても、実際には資金が経済のある部分から別の部分に振り向けられたにすぎないものが多い。(中略)
 だが、原理主義のテロリズムが魔法のように消えたとしても、今後十数年、宗教は世界経済に大きな影響を与えるだろう。

移動する神
 アメリカはイスラム教過激派からは「信仰心がない」と非難され、ヨーロッパ人からは「宗教的すぎる」と評されているわけだが、今後の世界は、世俗主義が強まった工業時代とは逆の方向に動いていくと見られる。(中略)キリスト教でもイスラム教でも、地理的に、つまり空間要因でみて、大きな変化が起こっている。~宗教が成長し、空間的に移動していることは、歴史的な出来事であり、今後、世界全体で富が移転する動きに少なくともある程度の影響を与えるし、逆にこの動きから影響を受けるだろう。
(中略)何世紀にもわたって、世界経済でのイスラム世界の力は、中東がアジアとヨーロッパを結ぶ貿易の主要な中継点として、戦略的で高付加価値の位置を占めていることに起因していた。ヨーロッパなどの貿易商が先進的な航海術によって中東を迂回し、アフリカの南端を通る航路を開発したことから、中東は経済的に有利な立場を失った。現在、中東はふたたびもっとも重要な富の源泉を失おうとしており、それとともに、金融、文化、宗教の面でも影響力を失おうとしている。この場合の富の源泉とはもちろん、石油である。

石油の時代の終わり
 中国、インド、そしてあまり注目されていないがブラジルが経済力をつけてきたことから、2005年には原油価格が急騰し、2002年の水準の2倍になった。この結果、代替エネルギーの競争力が高まった。また、原油資源がいつまで続くのかが疑問になっている。(中略)中東各国の政府がいまの段階で、石油後の知識集約型経済に向けた計画を立てなければ、中東地域から巨額の富が流出し、貧困と絶望感がさらに深刻になって、テロがさらに活発になりかねない。(中略)サウジアラビアの支配層は巨額の石油収入を、イスラム教でもとくに戒律の厳しいワッハ-プ派の影響力を世界各地に広めるために使ってきた。この資金は、イスラム教徒の若者が経済的に価値の高いスキルを獲得できるように教育するために使えたはずだ。
 そうせず、宗教だけを教える学校に資金を注ぎ込んだ結果、アフガニスタンでタリバンが生まれ、世界各地に職がなく、希望がなく、怒れる若者が増え、いま、サウジアラビア政府の転覆を目指しているテロリストすら生まれた。外部からみれば、イスラム社会ではすでに戦争がはじまっている。ただし、この戦争では、「敵」は反イスラム教で帝国主義のアメリカではないし、他の非イスラム国でもない。欧米ですらない。中東各国の多くを長年にわたって支配してきた指導者、貪欲で偏狭で近視眼的な指導者、第三の波に乗って明るい未来を築くために石油マネーを使おうとしなかった指導者なのだ。

過去のユートピア
 中東各国の指導者がどうすべきだったか、そして意気消沈したイスラム世界の若者に希望を与えるにはどうすべきかを、エコノミストでヨルダンの元副首相、国連開発計画(UNDP)アラブ局長のリマ・ハラフ・フネイディがこうまとめている。「知識は富と貧困、能力と無力、達成と挫折を分ける要因になってきた。知識を活用でき、広められる国は開発の水準を急速に高めることができ、すべての国民が成長し繁栄できるようにすることができ、21世紀の世界の舞台で適切な地位を確保できる」(中略)概要はアラブ世界の現状を冷静に分析し、「アラブの経済活動はかなりの部分、一次産品に集中しており、たとえば農業は大部分が伝統的なものである。そして、資本財産業や高度技術を使う産業の比率が低下を続けている」と指摘する。(中略)基礎的条件の深部にある時間、空間、そして何よりも知識との関係で、イスラム教原理主義のテロリストは外部世界に殺人をもたらすだけであり、イスラム世界の内部には惨めさをもたらすだけだ。以上でイスラム教と中東に、そこで失われた機会にページを割いてきたのは、これがいま緊急の課題になっているからだが、アフリカと中南米も未来に直面しなければならない。アフリカと中南米では、大土地所有、都市の貧困、アグリビジネス、先住民族、民族性、環境をめぐって波の衝突が煮えたぎっており、人種差別とドラッグ密売組織のテロのために、問題がますます複雑になり激化している。アメリカは中東に関心を奪われて、他の火山の鳴動には無関心すぎる状況にある。とくに南アメリカでは、怒りが爆発寸前になっている。
力の脆弱さ
 いずれ避けがたい危機は、前述のゲーム盤のそれぞれで起こり、しかも、単純な線型ではなく、複雑さを増し、相互作用が深まり、変化が加速していく「メタ・ゲーム」を背景とするものになるだろう。そのため、中国、アメリカなどの国がどれほどすぐれた国家戦略を策定しても、NGOや宗教など、メタ・ゲームの他の参加者の動きを考慮していない場合には、効果が薄くなるか、逆効果になるか、意味のないものになりかねない。アメリカがイラク政策で失敗を重ねているのはかなりの部分、国の役割を重視しすぎ、反戦NGO、宗派、部族など、国以外の勢力の役割を過小評価した結果である。
(中略)
 だが、この見方は単純すぎる。もっと重要な問題は、脆弱ともいえるアメリカの富がどこまで経済的な支配的地位に依存しているのかである。(中略)アメリカはいま押し寄せてくる経済、政治、文化、宗教の強力な変化を管理できない。最善でも、自国の経済と国内の制度を変えながら、外的な脅威を防ぎ、あらゆる人が直面している共通の危険のいくつかを和らげる努力ができるだけである。

ナノ秒のいま
 陰謀論によれば、アメリカには資本主義者の秘密結社があって、世界を乗っ取り、世界経済の方向を管理する戦略を練っていることになっている。実際には、アメリカは一貫性のある戦略や長期的な戦略に近いものすらまったくもたないまま、歴史上はじめて三つの富の体制に分かれた世界に直面している。アメリカだけではない。そうした戦略は、誰ももっていない。~現在の大急ぎのながら族にとって、「いま」ははるかに短く、「ナノ秒のいま」になっている。
 アメリカの政治家もごくまれに長期的な観点から問題を指摘することがあるが、たいていは個別の制度や狭い分野の政策が対象になっていて、国全体の将来にかかわる問題は対象にしていない。任期を超える期間にわたる問題を取り上げると、頭が混乱し、夢を語るだけで、非現実的だと反対勢力に嘲笑される。アメリカ政府のある高官は、数十年先の大きな問題を考える人物だが、こう嘆いている。「議会は一年か二年の予算が戦略だと考えている」(中略)
 戦略も、欠陥のある人間が作るものなのだから、かならず欠陥がある。そしてもちろん、柔軟でなければならず、素早く改定できなければならない。戦略を賢明なものにするには、いまの変化の速さを考慮するのはもちろん、今後、変化がさらに加速することを考慮しなければならない。もちろんこれは、言うは易く行うは難しの典型のようなことだ。だが戦略を捨てて敏捷さを重視するのは、近くの空港に大慌てで駆けつけ、そのときの人の流れに乗って、行き先を確認しないまま、飛行機に乗るようなものだ。もちろん、行き先がどこでもいいのであれば、これでいい。テキサスでも東京でもテヘランでも、荷物が一緒に運ばれれば地の果てのティンプクトゥでもいいのなら。だが実際には、どこでもいいというわけにはいかない。行き先をしっかり確認すべきだ。未来を手中にできるのは、行き先をしっかり確認した人なのだから。アメリカの内部でも外部でも。



アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(下)011

2012年04月10日 10時20分52秒 | 富の未来(下)
さて、最終章に近づいてきました。第49章アメリカ国外の情勢を抜粋添付します。
第48章アメリカ国内情勢から次回紹介する第50章目に見えないゲームのゲームを
3章通して読まないと理解できないと思います。第48章に目を通した上で、今般
の第49章を読んでください。では。

******************************************


2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
第10部 地殻変動 P.283~P.309

第49章 アメリカ国外の情勢
 世界的な世論調査を行うと、アメリカの膨大な富は世界の貧乏人から搾り取ったか盗んだものだと信じている人がきわめて多いことが分かる。反米、反グローバル化の抗議運動で使われるスローガンでも、この見方が前提になっていることが多い。そして、同じ見方が前提になって、一見学術的な本や論文が大量に書かれており、アメリカは新しい「ローマ帝国」、典型的な帝国主義の最新例だと主張されている。中国が好む表現を使えば、新しい「覇権国」だとされている。
 この類推の問題は、21世紀モデルのアメリカの現状にあわないことだ。アメリカがそれほど豊かで強力な覇権国なのであれば、2004年にアメリカ国債の40パーセント近くを外国人が保有しているなどということがありうるだろうか。ローマ帝国が世界を支配していたときもそうだったのだろうか。大英帝国もそうだったのだろうか。
(中略)
 アメリカは確かに強力であり、世界中で確かに影響力を行使している。だが、アメリカを、そして世界をこのように描き、理解することにはどこかに問題がある。いまだに農業時代と工業時代の感覚で考えているのだ。知識集約性が高まるとともに、世界を舞台に戦わせるゲームは、ルールも参加者も様変わりしている。そして富の未来も様変わりしているのである。

古いゲーム
 イギリスは工業時代に「太陽の沈むことのない帝国」と呼ばれたころ、どう動いていたのだろう。遅れた農業経済の植民地、たとえばエジプトから綿花を安く買い叩く。綿花をリーズからランカスターの工場へ送り、そこで加工し、付加価値を高めた綿織物にしてエジプトに送り返し、高くつり上げた価格で売る。こうして得られた「超過利潤」をイギリスに送り返し、工場の新設に使う。イギリスの強力な海軍、陸軍、行政組織が植民地内の反乱を抑え、植民地外からの競争を排除する。もちろんこれは、はるかに複雑な過程を戯画化したものである。だが、帝国のゲームでカギになるのは、その時点での最先端技術の成果、たとえば綿紡績工場をリーズやランカスターに維持することであった。これに対していまは、先進的な経済は知識に基づくものになり、工場の意味は低下している。重要なのは工場ではなく、工場が依存している知識である。(中略)外国人留学生のうち本国に帰る人の比率が上昇しており、その際には大規模ネットワーク技術、ナノテク、遺伝子工学などの最先端の科学技術知識を本国に持ち帰っている。帝国主義や新植民地主義の国が過去に行ったこととは違っている。

「高貴な行動」
 第二次世界大戦によって、工業時代の典型的な植民地主義の終わりがはじまった。
 (中略)戦争が終わって3年の後、いまでは「帝国」と呼ばれているアメリカが変わった行動をとった。
 ドイツに賠償を要求して残された工場設備や鉄道車両、産業用機器を根こそぎ持ち去るのではなく(共産主義国家ソ連はそうしたが)、競争相手の弱みにつけこむこともなく、マーシャル・プランと呼ばれるヨーロッパ復興援助計画を開始したのだ。この計画のもと、アメリカは4年間に130億ドルをヨーロッパに注ぎ込み、うち15億ドルを西ドイツに注ぎ込んで、生産能力の再建、通貨の強化、貿易の再開を支援した。日本にはこれとは別の計画のもと、総額19億ドルを援助し、うち59%を食料、27%を産業用資材と輸送用機器の提供にあてている。第二次世界大戦期にイギリスを率いた偉大な指導者、ウィンストン・チャーチルはマーシャル・プランを「歴史上もっとも高貴な行動」と呼んだ。だが、戦争中の同盟国と敵国をともに支援したのは、慈善のためではなかった。長期的な経済戦略の一部であり、それが見事に成功している。
 (中略)
 1950年代初め、世界の人口のわずか6%を占めるに過ぎないアメリカが、世界のGDPの30%近くを占め、工業生産の半分を占めていた。そして競争に直面することはほとんどなかった。

反発と混乱
 現在の世界は当時と様変わりしている。世界のGDPは1990年基準の実質ベースでみて、1950年の5兆3千億ドルから2004年の51兆ドルに増加した。そして、世界の金銭経済におけるアメリカの役割は劇的に変化している。ヨーロッパ、中国などの地域は経済が回復するとともに、強力な競争相手になった。~だが、これは相対的にみたときの話であり、絶対ベースでは事業が大きく違っている。1950年代半ば以降、アメリカの富は金額ベースで(いうまでもなく、時代後れで不適切な経済指標でみたものだが)、急増している。実質GDPは1952年の1兆7千億ドルから2004年の11兆億ドルに増加した。知識に基づく技術、プロセス、組織、文化の寄与に関する統計は「ソフト」で異論も多いが、アメリカは工業大国というだけであれば、軍事的、経済的な競争力を維持できなかったはずだ。いまのような反発と無理解にはぶつかっていなかったはずだ。(中略)上記に関連してアメリカが浴びているもうひとつの非難、「文化帝国主義」とその背景にある経済的利益に対する非難である。~アメリカは批判者がいうように、他国に文化を押しつけているのだろうか。それとも何か別の動きが起こっているのだろうか。

均質化の反転
 その答はすでに述べたように、二つのアメリカがあるというものである。均質化を追求しているのは過去のアメリカ、大量生産のアメリカであって、未来のアメリカ、非マス化のアメリカではない。前述のように、大量生産では、画一的な製品を繰り返し製造するか販売し、製品をできるかぎり変更しないようにすることで規模の経済を確保できる。(中略)
要するにカスタム化のコストがゼロに近づいており、消費者が個性を重視するようになっているので、画一性への流れが逆転し、多様性への流れが中心になるだろう。
(中略)
 要するに、文化の均質化は、アメリカのうち、急速に衰退している大量生産部分が伝えるメッセージだ。異質性、非マス化、個人化がアメリカのうち、急速に成長している部分のメッセージであり、この部分は多様性を必要とし、多様性を作り出している。そしてこれは物理的なものやコミックだけの話ではない。 
(中略)
いまほんとうに問題になっているのは、アメリカがどこまでの均質性を作り出すのかではない。他国の政府や文化、宗教が多様性をどこまで抑圧するのかである。
アメリカが現在、世界で唯一の超大国だといえるかもしれない。しかしアメリカは、過去の超大国が直面しなかったし、想像すらしなかったほどの制約と複雑さに直面している。
アメリカは自国の利益だと考えるもの(往々にしてそう誤解しているもの)に基づいて行動しており、革命的な富の勃興とともに、新たに多層的な世界秩序を作りだしている。これは前の世代の指導者が予想したものとは大きく違っている。まずは、過去に例のない目に見えないゲームのゲームについてみていこう。

アルビン・トフラー ハイジ・トフラー 共著 富の未来(下)010

2012年04月05日 23時09分06秒 | 富の未来(下)
第48章 アメリカの国内情勢を抜粋紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
第10部 地殻変動 P.283~P.309

第48章 アメリカの国内情勢
 革命的な富に基づく新しい生活様式はまだ、アメリカで完成の途上にある。モジュールのように素早く着脱される職、ギラギラで派手派手、そしてスピード。
 商業主義、1日24時間週7日の娯楽、そしてスピード。
 大気の浄化、テレビの醜悪化、学校の腐敗、そしてスピード。
 医療制度の破綻、平均寿命の伸び、そしてスピード。
 完璧な火星着陸、情報過多、複雑化、人種差別軽減、超高機能食品、天才少年少女、そしてもちろんスピード。
 この複雑さに、アメリカ社会の数々の矛盾がくわわる。バイアグラのCMと中絶反対のデモ。自由市場とアメリカ企業に有利な関税や補助金。外国語が下手で、他国文化に無関心なアメリカ人の偏狭さとグローバル化の大合唱。
 この騒々しい混乱ぶりをどう理解すべきか、外国人には分からない。(中略)
 アメリカについては、世界でもっとも強力な国だというだけでなく、社会と経済に関する世界最大の実験場でもあるという観点から眺めてゆくと理解しやすくなるかもしれない。~同時にアメリカは富の基礎的条件の深部にある3つの要因のすべてでも、実験を行っている。スピード、スピードというのはそのためだ。
 目の回る忙しさから逃れたいという人がこれほど多いのはそのためだ。
 機械がもっと速く、人はもっとゆっくりと動く必要があるのはそのためだ。
 アメリカは空間についても実験を進めており、空間をどう区切るべきかを実験している。経済的な境界の壁が低くなっている点をみればいい。そしてもちろん、何よりもでーた、情報、知識から富を生み出す無数の方法を実験している。
 アメリカは失敗が許される国であり、失敗からときに、経済的、社会的に価値の高い突破口が開かれる国である。~大実験場ではいくらでも失敗できる。失敗するリスクを恐れていては、未来を追及することができない。そしてアメリカは未来を追及しているのだ。(以下略)

波の戦争
 アメリカをはじめとする豊かな民主主義国では、波の衝突は通常、貧しい国での衝突のように激しくはならない。それでも衝突があるのは確かだ。エネルギー政策、輸送、企業の規制、そして何よりも教育など、さまざまなレベルにあらわれる。(中略)
 アメリカは先進的な知識経済を築くために急速に動いている。だが、工業時代に作られたエネルギー・システムの重荷を負わされている。世界有数の規模と政治力をもつ企業がこのシステムを守っており、基本的な変化を求める国民の不満の高まりを押さえつけている。この戦いは通常、そうは呼ばれていないが、実際には第二の波と第三の波の戦争の一例なのだ。

240億時間
 同時に、これと関連する衝突がアメリカの輸送システムをめぐって起こっている。(中略)この巨大なインフラは大衆社会に対応して作られたものである。つまり、大量生産、都市化、そして大量の労働者が同じ時間に同じコースを行き来する必要をもたらす仕事のパターンを背景としている。2000年には、1億1900万人のアメリカ人が通勤のために年間240億時間を浪費したと推定される。(中略)アメリカのインフラの主要な要素、そしてそのサブ・システムは同期がずれており、工業時代の既得権益集団と革命的な富の体制を発展させる画期的なイノベーションを起こそうとする集団の間で主導権争いが続いている。ここにも波の衝突がある。
 同様の衝突が経営慣行をめぐるさまざまな戦いにもあらわれている。~以上にあげたのはごく一部にすぎず、アメリカのほぼすべての制度で現在、技術と社会の高速の変化に対応する試みをめぐって、静かな波の戦争が起こっている。そのなかでアメリカの教育制度をめぐる戦いほど、重要な意味をもつものはない。

将来を盗む
 アメリカが世界の富の革命で最先端の地位を維持するためにも、
世界大国の地位を維持するためにも、 
貧困を減らすためにも、
工場型の教育制度を新たな制度に置き換える必要がある。改革では不十分なのだ。 
(中略)
 おそらく、アメリカの波の衝突でもっとも大きなコストを負担するのは、5千万人に近い子供たちであろう。子供が強制的に通わされている学校では、いまや存在しなくなった職につくための教育が行われており、その点ですらあまり成功していない。子供の「将来を盗む」ような教育が行われているのだ。(以下略)

名前のない連合
 いまでは大衆教育制度は評判が地に落ちているが、それが作られた時点には、工業が発達する前の時代の現実から前進したものであった。当時、学校に通うのは子供のうちごく一部にすぎず、貧乏人の間では読み書き計算できる人がほとんどいなかった。工業時代に入ってからも、子供をできるかぎり早く低賃金の工場で働かせるのではなく、学校に通わせるまでに、何世代もの時間がかかっている。
 いまでも何千万人もの子供が工場型の学校に通っているのは、少々考えにくい組み合わせの努力が作った連合、名前のない連合が、それを望んできたからだ。(中略)要するに企業にとって、工業時代の大量生産経済を築くために、画一的な教育で若い世代をマス化することが決定的な意味をもつようになったのである。
 20世紀に入って工業経済がさらに発展すると、大規模な労働組合が結成されて労働者の利益を守るようになった。労働組合は通常、公教育を強く支持した。子供たちがしっかりした教育を受けて良い生活を送られるようになることを組合員が望んだからでもあるが、それ以上に公教育を支持する裏の理由、おそらくそうとは意識していない理由があった。労働力人口が少ないほど、職をめぐる競争は緩くなり、賃金は高くなる。労働組合は児童労働の禁止を求めて戦い抜いただけでなく、義務教育期間の延長を求める運動を展開し、何百万人、何千万人もの若者を長期にわたって労働市場から排除することに成功してきた。その後に教員の大規模な労働組合が生まれ、工業時代向けに設計された公教育制度を自己利益のために強く支持するようになった。
(中略)
 サー・ケン・ロビンソンはこう語る。「公教育の仕組みはほぼすべて、工業主義の必要とイデオロギーによって作られており、労働力の需要と供給に関する古い想定に基づいている。この制度の特徴は段階性、体制順応、標準化・・・・である」

変化を求める力
 いま、新しい波の衝突が起ころうとしている。これはアメリカだけの現象ではない。今後の衝突では、既存の工場型教育機関を守ろうとする勢力と、これに代わる新しい教育制度を築こうとする運動がぶつかることになる。教育の一新を求める運動は力をつけてきており、4つの主要な勢力で構成されている。
 第一が教師である。既存の教育制度では通常、教育は機械的で、教科書と標準的な試験にしばられていて、教師と生徒の創造性をすべて奪い去ってしまう。いまの学校には燃え尽きた教師が何百万人もおり、現状に甘んじながら引退できる日を待っている。(以下略)
 第二が両親である。両親にも、古い連合から離反する動きが明らかにあらわれている。(中略)工業時代の学校制度が荒廃して、知識経済の必要に対応できなくなると共に、親の抵抗が強まっていくだろう。(以下略)
 第三が生徒である。何世紀か前の大衆教育を求める運動では、子供たちはたいした力になっていない。だが、いまの子供は工業時代の教育制度を崩壊させる動きに参加できる。すでに、教育制度に対して反乱を起こしている。反乱は二つの形をとっている。ひとつは教室外の反乱、もうひとつは教室内の反乱である。~ほとんどではなくてもかなりの生徒は、いまの学校がこれからの社会ではなく、これまでの社会に役立つ教育しかしていないことを直観的に理解している。
 まず目につく反乱は中退である。生徒は学業を放棄し、それまでにかかった経費を納税者に押し付ける。(中略)もうひとつの反乱は教室内でのものだ。(以下略)
 第四の勢力は企業だ。学校が企業に、工場での仕事のために訓練された労働力を年々送り出していた間、工業時代の学校を支持する連合は磐石だった。だが、20世紀半ば以降、新しい富の体制が普及するとともに、これまでとは違ったスキルが必要になった。既存の学校の大部分では教えられないスキルが求められるようになったのである。(
中略)
 第二の波の企業と第三の波の企業の間で、利害が大きく食い違うようになった。このため、1世紀以上にわたって不可能だったことがいま、可能になったとも思える。怒れる親、不満をかかえる教師、適切なスキルを持つ人材を求める企業、教室でイノベーションに取り組む教師、インターネット教育者、ゲーム開発者、子供が新しい連合を形成し、組み立てライン型の教育を改革するのではなく、一新する力をもつ可能性がでてきたのである。

つぎの段階
 エネルギー・システム、輸送インフラ、学校の例を取り上げてきたが、工業時代の圧力団体によって前進を阻まれている制度はこれだけではない。(中略)制度の変化がこれに歩調をあわせていかないかぎり、同時性が破壊され、アメリカが実験場の役割を果たせなくなり、今後、実験場が国外に移ることになるだろう。中国に移るのだろうか。ヨーロッパに移るのだろうか、イスラム圏に移るのだろうか。そこで、アメリカ国外の情勢をみていくことにしよう。









アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(下)009

2012年04月02日 00時42分58秒 | 富の未来(下)
「第47章 ヨーロッパの失われたメッセージ」を抜粋紹介します。

フォトチャンネルの菅前総理の件で、お尋ねがありましたので、この根拠の一部を添付します。
立法府で国費を費やして活動する議員は、その職責の有り様が批判をされるのは当然であり、
『議論を尽くして先送り』したり『待った無しの課題が1年以上もまとまらない』といった停滞
する状況を打破するのも議員です。
基礎的条件の深部にある「知識」・「時間」・「空間」に分けて、この硬直した立法府の責任者の有り方を考えてみてください。パフォーマンスをしている最中に、多くの国民が硬直化した制度、仕組みに悩まされ、塗炭の苦しみに喘いでいる、一年前も、今も、そして未来は。
*****************************************
2012年03月15日 菅直人の政治パフォーマンス「薬害エイズとカイワレ騒動」
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51337564.html#more

「すっから菅総理」のスタンドプレー 飯島 勲 「リーダーの掟」プレジデント 2011年7.4号
なぜ不信任案が出されたのか

6月2日、菅内閣への不信任決議案が否決された。被災地から「なぜこのタイミングで政争をするのか」と批判の声が上がったが、私は直ちに菅内閣が退陣することが、東北の復興にとって近道であると信じている。被災地と永田町にこれだけの温度差が出てしまうのは、菅直人総理の繰り出すスタンドプレーが原因だ。
国家備蓄としてガソリンがあるにもかかわらず、被災地には届かない。タンクローリーが手配できない海江田万里経済産業大臣の指導力不足として、以前、この問題を本連載で指摘したが、結局被災地へガソリンを届けたのは、野党自民党の二階俊博衆議院議員だった。二階議員は業界団体に迅速に連絡を取り、経産省と被災地を結んだのだ。このことは、複数の関係者から証言を得ているが、二階議員はその成果について表立って誇るようなことをしていない。菅直人総理も、このような姿勢をとれば、官僚はこの人のために命をささげようと決意するものだ。しかし、自分の延命ばかりが気になって、部下の手柄を取り、怒鳴り散らすようでは人心は離れていく。浜岡原発停止、総理視察、太陽光発電など、PRに執念を燃やせば、その場の評価を得られる。ただ、政まつりごと事は一歩も進むことはできない。この数カ月間、そんな菅総理の実像を永田町や霞が関は嫌というほど見せられてきた。だから不信任決議案を出したのだ。
菅総理は、1996年に厚生大臣に就任し、薬害エイズ、カイワレ大根問題を通して広くマスコミに注目されるようになった。菅総理にとって唯一の「栄光の時代」について、今回私は真実を明らかにしたい。スタンドプレーの原型が、まさにこのときにできあがったのだ。
薬害エイズ訴訟は、95年にまだ十代の少年だった川田龍平さん(現参議院議員)が原告団の一人として実名を公表してからマスメディアでも注目が高まった。当時は自社さ連立政権で、対応にあたったのは日本社会党(現・社民党)の森井忠良厚生大臣だった。森井大臣はこの事件を厚生省創設以来の危機ととらえて、どこかへ消えてしまった薬害エイズに関する資料を探し、毎日少しでも時間があると省内を歩いて回っていた。大臣の真摯な姿勢に打たれ、ヘタをすれば自分たちを不利な立場に追い込みかねない官僚たちも次第に協力するようになった。当時、荒賀泰太薬務局長は、仕事を終え、退庁を示すランプをつけた後で局内を探し回っていた。さらにその資料の捜索に、全省のノンキャリアが動きだした。官僚の働きについて、キャリア官僚ばかりが注目されがちだが、実務を担当するノンキャリアの実力は侮れない。ノンキャリアの人事には、大臣も事務次官も官房長も口を出せない慣習になっていて、その裁量はノンキャリアの“ボス”に任されている。どんなに優秀なキャリア官僚でも、ノンキャリアをバカにするような態度をとれば、仕事ができない部下を集められ、出世レースから脱落してしまうのだ。ノンキャリアの支えがあって初めて、日本の行政機構は機能する。
95年末には厚生省のノンキャリアの“ボス”の指示により、全省が一斉に薬害エイズ資料を血眼になって探し始めたのだ。森井大臣と荒賀局長の執念がノンキャリアを動かしたのだ。しかし、年が明けた96年1月11日、村山総理の退陣を受けて橋本内閣が発足。森井大臣は退任し、菅厚生大臣が誕生する。
大臣が代わっても、資料捜索は続いていた。2月に入り、とうとう官僚の一人が“郡司ファイル”を見つけた。背表紙にボールペンの手書きで「エイズ」と記されていたのを、当時のニュース映像で見た人も多いかもしれない。発見場所は、薬務局から遠く離れた保健医療局の地下の倉庫の資料棚の裏。古い木造の建物から現在の合同庁舎5号館に引っ越しする際に、棚の裏に置き忘れられていたらしい。このファイルは薬害事件発生当時の生物製剤課長・郡司篤晃氏が私的にまとめていたメモで、ファイルにはナンバリングもなく、公文書でないことは明らかだった。発見当時の多田宏事務次官と山口剛彦官房長(2008年、元厚生事務次官宅連続襲撃事件で死亡)は、資料の分析の必要性があるとみて、官房会議にかけようと、新しく就任した菅大臣に報告に行った。しかし、菅大臣は資料を取り上げ、内容を分析することもなく、記者会見で「官僚がずっと隠していたものが、私が就任したから見つかった」とファイルを公表した。もし、ずっと隠したいのなら、菅大臣に報告をする必要はない。菅大臣が官僚を裏切り、スタンドプレーに走ったのは明白だ。

すぐ言い返す、すぐ怒鳴る……
以来「総理にふさわしい人」として菅大臣はマスコミの寵児となった。一方でファイル探しに汗を流した前大臣は無能呼ばわりされ、キャリアとノンキャリの壁を超えて探し回った官僚たちは情報隠ぺいの犯人扱い。菅大臣はこのときから他人の手柄を横取りし、自らが発表するという手法を確立していたのだ。厚生大臣時代を振り返るとき、もう一つ忘れてならないのが、カイワレ大根の風評被害事件だろう。薬害エイズで人気絶頂となった菅大臣をO-157の食中毒問題が襲った。果断な発表は支持率アップにつながると、2匹目のドジョウを狙い「O-157の原因としてカイワレ大根の可能性が否定できない」と記者会見した。あっという間に全国のスーパーからカイワレ大根が消え、カイワレ栽培農家は大騒ぎとなった。特に大阪の農園経営者は、厚生大臣ではなく、菅個人を訴えると激怒した。
あわてた菅大臣が思いついたのがカイワレを食べるパフォーマンスだった。しかし、関東地方の店先にはカイワレは一パックも残っていない。全国中を探し回り、ようやく数パックのカイワレが見つかった。あわててノンキャリアを買いに走らせたが、このときの交通費などが6万円かかっている。無論、国民の血税からの支出だ。大臣がカイワレをドレッシングもかけずに涙目でむしゃむしゃと食べたところで、風評被害が収まるはずもなく、カイワレ農家は国を提訴した。
パフォーマンスの効果は、農園経営者の訴訟の被告を菅個人から厚生省に変更させた程度にとどまった。菅大臣にはそれでよかったのだろう。

最高裁は04年12月、国に賠償総額2290万円の支払いを命じる判決を言い渡した。菅は、カイワレに関して、合計で2296万円の損害を国に負わせたことになる。自殺者まで出したカイワレ事件。驚くべきことに最高裁で敗訴が確定しているにもかかわらず、本人はこれを成功体験ととらえているらしい。目立つことさえすればマスコミに賞賛される。それを感覚として知っているのだ。菅大臣退任後、厚生省官僚のどん底まで落ちたモチベーションの問題は少しずつ改善されたが、ひとつ困った置き土産があった。クレーマー化した市民運動団体の来訪だ。本当に困っているのであれば、全力で助けるのだが、国を叩くことだけが目的の集団が押し寄せてくると手のつけようがない。
私自身が対応していて感じたのは、問題のある市民運動家には(1)すぐ言い返す、(2)すぐあげつらう、(3)すぐ怒鳴る――という3つの共通点があることだ。第三者が何か指摘すると、相手が口をはさめないほどのスピードで反論する。些細な矛盾を血眼になって探す。相手が納得しないと声を荒らげて怒鳴り散らす。相手をやり込めることが目的では問題も解決のしようがなかった。震災後の菅総理を見ていて、市民運動家の3カ条に付け加える必要があると考えた。それは、上手く立ち回れなくなると、「すぐ誤魔化す」だ。

※すべて雑誌掲載当時
「知恵、頭を使ってない。霞が関なんて成績が良かっただけで大ばかだ」。菅直人副総理兼国家戦略担当相は31日、民主党都連の会合での講演で、激しい言葉で官僚を批判した。
「効果のない投資に振り向けてきた日本の財政を根本から変える」と財政構造改革に取り組む決意を明かした菅氏は、官僚から「2兆円を使ったら目いっぱいで2兆円の経済効果だ」と説明を受けたことを紹介した後に、「大ばか」発言が飛び出した。官僚嫌いで知られる菅氏は、学業は優秀でも過去の例にとらわれて柔軟な発想に欠けると言いたかったようだが、官僚の反発を招きそうだ。

****************************************

では、本文を

****************************************

2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
第10部 地殻変動 P.254~P.265

第47章 ヨーロッパの失われたメッセージ
 グザビア・ド・Cはスパイだ(姓は公表されていない)。冒険家、学者でもあり、いくつもの政府に助言してもいる。そして、ヨーロッパにとって驚くべき提案も行ってもいる。「欧州合衆国」を結成し、「アメリカの力」をうまく利用して新しい超大国を作り、世界各地の野蛮人を押さえつけるために協力すべきだと提案したのだ。
 才知あふれるエッセーでこう提案し、フランスのエゴの行き過ぎと考えるものを痛烈に批判するとともに、フランス国籍を放棄してアメリカ国籍を取得した理由を説明した。
 グザビアはヨーロッパとアメリカが合併したときの利点をさまざまにあげており、たとえば文化や軍事協力で有利であり、ヨーロッパ人がくわわってアメリカの税収基盤が拡大する点で有利だと説明する。それだけでなく、ヨーロッパ人はアメリカの選挙で投票権を得られる。グザビアの見方では、ほんとうに重要なのはこの点だけだという。
 このエッセーに対して、フランス国内の民族右派や左派から激しい非難の声があがった。この提案を額面通りに受け取ったからだが、実際にはグザビアは架空の人物であった。エッセーを書いたのはレジス・ドブレであり、1960年代にチェ・ゲバラやフィデル・カストロの生の声を伝えたことで有名な異端の論客である。
 だが、グザビアことドブレが論じなかった点がある。欧米の合併という提案の経済面は分析するそぶりすらみせていないのだ。合併後の欧米に、ヨーロッパは経済面でどのように寄与できるのか。その見返りとしてヨーロッパが得られるものは何なのか。今後数十年にアメリカとヨーロッパの経済はどのような方向に進むのか。富はどちらからどちらに流れるのか。

過去最低
 欧米の合併という提案にどのような理論的利点があるにせよ、アメリカとヨーロッパの関係は緊密化するどころか、悪化しているのが現状だ。(中略)中国が勃興して、世界という池に大きな石が投げ込まれたような状況になり、強力な波が起こって、すべての主要通貨と貿易関係に影響を与え、長年の関係が混乱している。過去には、ヨーロッパとアメリカは互いに最大の貿易相手であった。ところが1985年からは、ヨーロッパもアメリカも中国などの新興工業国との貿易を増やしたため、欧米間の貿易はそれぞれの貿易に占める比率が低下してきた。(中略)2004年、CFO誌は「通常の貿易問題でも、アメリカとEUの関係は過去最低の水準にある」と伝えた。(以下略)

拡大する溝
 欧米の関係の悪化は通常、イラク戦争をめぐるきびしい対立の結果だとされている。だが、はるかに根深い力が働いている。欧米の同盟に亀裂が生じたのは、西ヨーロッパがソ連の侵攻を恐れなくなり、自国を守るためにアメリカの軍隊と納税者に頼る必要がなくなったときだとされている。これは事実だろうが、これですら、いま起こっていることは説明できない。欧米の亀裂の拡大はそれより数十年前、アメリカが基礎的条件の深部にある要因との関係を変え、知識に基づく経済を築きはじめたときにはじまっている。ヨーロッパの主要国は当時、第二次世界大戦後の復興と、その後の工業経済の拡大を中心課題としていた。~だが、指導的な地位にある経営者や政治家が後ろ向きであり、工業時代の指導原理を信望していて、そこから抜け出すことができなかった。(中略)
 日本の例でみたように、先進的な知識経済で成功を収めるには企業と政府の組織を柔軟にしていく必要がある。ところがEUは工業型の中央管理を特徴としており、加盟国の予算と財政についてすら、そうした管理を押しつけている。~2005年に、フランスとオランダの国民投票で欧州憲法の批准が否決された。この憲法は400ページもあり、官僚的な行き過ぎの典型である。アメリカの憲法は権利憲章をくわえても10ページにならないのにと批判されている。

スローモーションのような加速
 西ヨーロッパとアメリカの間で格差が拡大しているのは、基礎的条件の深部にある時間に対する姿勢が対照的なことを背景としている。ヨーロッパとアメリカでは活動の速度が違っている。ヨーロッパは在宅勤務を取り入れて従業員が働く時間を調整できるようにする点で、アメリカに大きく遅れている。店舗や事務所ですら、時間の柔軟化や1日24時間週7日の連続型活動などの動き、つまり工業時代に一般的だった時間の使い方から脱却する動きが、はるかに遅れている。企業が現在のグローバル市場でうまく競争していくには、労働力の柔軟性が必要である。だがヨーロッパでは、労働者も雇い主も融通がきかない時間の使い方から抜け出せていない。
 この違いは休暇が長く、週労働時間が一般に短く、生活のペースが全般にゆっくりしていることなど、ヨーロッパ人、とくにフランス人が誇りとしている点だけにあらわれているわけではない。食事についての見方にすらあらわれている。アメリカで生まれたファースト・フード産業が世界に広まっているのに対抗して、ヨーロッパは「スロー・フード」運動を開始した。(中略)時間と空間に関する欧米の違いは、ヨーロッパの防衛産業と軍にも影響を与えている。~したがって、生活様式や文化から軍事まで、そして何よりも事業と経済まで、ヨーロッパとアメリカの速度の違いが拡大しているのだ。どちらも、経済の加速と基礎的条件の深部にある時間要因とに、それぞれ大きく違うペースで対応しているのである。

過去の中核地帯
 ヨーロッパとアメリカは基礎的条件の深部にある空間との関係でも、大きく違った方法をとっている。
 大きいことは良いことだという工業時代の信念に基づいて、EUは地理的な範囲を東へ東へと拡大しており、加盟国を増やし続けている。人口が増えるほど豊かになるとEUの指導層は考えているようだ。だが、ヨーロッパは規模の拡大を追求するなかで、以前の時代の見方で空間要因を扱っている。(中略)だが、ナチスの東方拡大もEUの拡大も、「中核地帯」を制するものが世界を制するというかつてもてはやされた地政学理論を思い起こさせる。~規模を拡大すればかならず経済力が拡大するという陳腐化した想定に固執している。(中略)地理的に近接していないアメリカと日本だけで「超国家組織」を作った場合でも、「ジャメリカ」とでも呼ぶべきこの組織のGDPは、EU加盟25ヵ国の合計を3兆6千億ドル上回る。皮肉なもので、EUは規模と地理的な境界の拡大に懸命になっているが、加盟国のうち知識経済の方向にもっとも進んでいるのは、周辺に位置する中小国である。フィンランドはノキアで、スウェーデンはエリクソンで、共に通信機器に強みをもっている。アイルランドはソフトウェアに強みをもつ。
 
リスボンの夢
 ヨーロッパとアメリカは、基礎的条件の深部にある時間と空間との関係で違いが大きくなってきただけでなく、知識との関係でも違いが拡大している。知識集約型製品もそのひとつだ。(中略)
 2000年、ヨーロッパ各国の指導者がリスボンに集り、2010年までにヨーロッパに「世界でもっとも競争力がありダイナミックな知識経済」を築くという大胆な目標をようやく宣言した。
 「これほど大笑いするのは、共産党政治局がまったく非現実的な目標を発表したとき以来だ。似たような動きだ」と、宣言が発表されたとき、ポーランドのラデク・シコルスキ元外務次官が語った。
 2001年の調査で、欧州委員会はこう結論づけている。~EUとアメリカの生活水準の格差はいま、過去25年で最大になった。
 2003年に欧州委員会は、ヨーロッパがバイオ革命の「ボートに乗り遅れ」かねないと警告した(以下略)
 2004年、欧州委員会はまたしても叫び声をあげ、「イノベーションは経済の成功のカギだが、この分野でヨーロッパはアメリカに大幅に遅れている」と論じた。
(中略)
 2005年には、2010年の目標は急速に忘れ去られようとしており、ヨーロッパの指導者はいまだに研究開発、科学、科学教育に投じる資金をけちっており、いまだに「ニュー・エコノミー」を無視し、脱工業化を「製造業の衰退」だととらえて嘆いているのである。(中略)
 フランスの地政学者、エマニュエル・トッドは2003年の『帝国以後』で、ヨーロッパについて「世界一の工業地域」だと記している。確かにそうだ。だがアメリカは世界一の「脱工業大国」である。そしてヨーロッパは、いくつかの重要な例外はあるが、いまだに基礎的条件の深部にある知識との関係を適切に変えていない。そして、革命的な富の体制との関係も。(中略) 
 西ヨーロッパの問題のひとつは、技術に対する根深い不信感と敵意である。(以下略)
 ヨーロッパでも東に目を向けると、旧共産圏の小国では技術恐怖症はそれほど目立たない。(中略)東ヨーロッパのEU加盟国が間もなく、動きの遅い西ヨーロッパからハイテクで高付加価値のニッチ産業を奪うようになり、西の近隣諸国を追い抜く可能性を探るようになる可能性がある。(中略)
 ヨーロッパ統合の動きを賛美する意見を信じるのであれば、アメリカの力が強すぎるとみられている現状に対して、ヨーロッパがいずれ世界的な対抗勢力になるだろう。だが、地政学的な力は経済力と軍事力を前提としている。そして、経済力も軍事力もいまでは、あらゆる資源のなかでもとくに無形の性格が強いもの、知識への依存度を高めている。
 残念なことだが、ヨーロッパはまだ、昔ながらの郵便で送られたはずのメッセージを受け取っていないようだ。