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時代に 隠元禅師 が 豆 を日本に持ち込んだことから インゲン豆 と呼ばれ、隠元禅師
の命日にちなんで、4月3日は インゲン豆の日 とされている。 江戸時代 にどんな
荒れ地にも育った、この強い野菜は各種栄養面にも優れ、 飢饉 の時におおいに役立った。
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が衰退しており、それを案じていた 長崎・興福寺の三代目唐僧・逸然や 長崎の唐寺の檀家
たちは、高名な隠元禅師による新たな禅宗の伝来を願い、来日を懇願する書状を数回にわたり送り
届けた。 長崎の唐寺からの度重なる懇願に心を打たれ 承応3年 (1654年)、 63歳 の隠元は
30名の 弟子 をはじめ 仏師 、 絵師 など職人らも一緒に引き連れ来日した。 長崎に着くと
逸然をはじめ唐僧たちや長崎奉行、檀家らの大歓迎を受け、大勢の聴衆に 禅学思想 を伝えた。
来朝した禅師は、 後水 尾法皇 や 徳川家綱 の崇敬を得て、 京都宇治 の9万坪の寺地に、
寛文元年 (1661年) 黄檗山おうばくさん萬福寺 を創建した。 隠元は 建築 や 書画、
煎茶 や 普茶料理 (ふちゃりょうり=中国僧の精進料理)を伝えるなどの功績を残している。
インゲン豆をもたらした隠元禅師 より