座して(ネットで)大事を企画・手配する
まさに運筹帷幄(うんじゅいあく)である
諸葛孔明・大村益次郎等もかくやありなむ
.
国と岩手・宮城・福島三県の防潮堤計画に疑問の声が出ている
予算約1兆円、沿岸300キロに、最高15mの堤を造る計画
地元ヒアリング不要の「災害復旧事業」で、無人島も対象とか
明らかにムダ事業、「受益者」に 「某セメント会社」の名前もある由
.
.
.
.
.
.
最近、CCSの話題が良く出る
苫小牧の天然ガス井に年10万トン以上のCO2を蓄えるとか
長岡の実験場の10倍ではあるが、米国ウェイバーン井の2日分
先方は油井の延命用で日々収益があるが、我が国は予算消化用
6日前の2012年6月26日、民主党の小沢一郎とそのグループが、衆議院で消費税導入法案採決に反対しました。前の選挙でマニフェスト(選挙公約)に掲げた原則とはちがうという主張です。しかしそのマニフェストは、万年野党時代に「政権を奪取すれば実行する」という宣言です。政権運営の実績のない者たちの絵に描いた餅でもあったのです。増税しないでも無駄を省けば財源はあると見ていたようです。
しかし、政権を握り「事業仕分け」で無駄を減らそうとしましたが、官僚の抵抗もあり効果なし。しかも社会保障費の増加、国家債務の累増という重圧が迫ります。その揚句の増税です。やらないと日本が持たないのです。政権運営の経験のある自民党、公明党が賛成にまわったのもうなずけます。やってみればマニフェストと現実はちがうのです。
イエス・キリストの福音もそうです。「マタイ福音書」5章から7章の「山上の説教」は、イエスの宣教の開始に謳いあげたマニフェストです。「ああ幸いだ、悲しむ人たち、その人たちは慰められる」「君たちの正しさが、偉い学者や信仰熱心な連中以上でなければ、天の国に入れない」「みだらな思いで他人の妻を見るだけで、もう姦淫の罪を犯している。そんな目はえぐり出して捨てろ」「君の右の頬を撃つ者に左の頬も向けるんだ」「明日のことを思い悩むな、一日の苦労はその一日で十分だ」。読むだけですがすがしく、しかも心を刺し貫くすごい「マニフェスト」(宣言)です。
しかし、これでわたしは悩みました。実行できないからです。「右の頬を撃たれたら、左の頬は向けられない」と苦しんだのです。そのとき浅田正吉という伝道者が「そんなことが、すらすら出来るようなら、キリストは十字架で死ぬ必要がなかったのです」と言われました。キリストがマニフェストを修正されたのです。
山上の説教で謳われた名言の数々も、実験の結果、罪深い人間には「すらすら出来ない」のです。だから罪ある者が、罪あるままに、罪なしとされるため、イエスがその罪を負って十字架で死なれたのです。マニフェストは金科玉条ではありません。キリストでさえマニフェストを修正されています。それに固執する小沢一郎は、日本国を見ないで、自分が振るえる権力だけを見ている人ではないでしょうか。
「施しをするとき、右の手のすることを左の手に知らせるな」マタイ6・3
藤尾正人翁のブログ「白鷺から」より引用、オリジナルは以下参照。