並木たより

写真付き日記

同窓会

2006-04-23 01:52:00 | 日記・エッセイ・コラム

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不思議な集団だ。これほど境遇に差のある人々の集まりも稀であろう。功なり名遂げた金持ちがいる。その横には、零落して生活苦にあえぐ困窮者がいる。

消息のみ寄せて顔を見せない者もいる。仕事は債権取立て業とか。日雇いで今日の参加費を稼いでから駆けつけた者もいる。極めつけは、自分はさっさと天国に行って、女房を代わりに参加させた奴もいる。

それでも、現在の境遇など一切支障にならない。会えばたちまち笑顔がこぼれる。あの校庭代わりの草原で、子犬の様にじゃれあった少年の日々のそのままの仲間たちなのだ。

それぞれが自分の分身だ。人生のいろんな分岐点で、「別の道を選択していたらどうなっていたろう」と思う、その「もしも」の実例が集まっている。多くの分岐点のうち、特に大きなのは、カーライルの三大決断、即ち、就職・結婚・入信。そのうち最大の分岐点は「入信」。若い日の主との出会いが他のどの選択よりも重要である。なぜなら、これは「質」の選択であり、他は「種類」の選択なのだから。
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「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」(伝道の書12:1)
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今日のお弁当
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今日の笑顔
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中国将棋

2006-04-22 01:13:15 | 日記・エッセイ・コラム

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中国(清王朝)の皇室、愛親覚羅の一族であるT氏は、自他共に許す中国将棋の名人であった。天津の御殿で育った少年時代から、戦後、共産革命を避けて日本に亡命した晩年まで、中国将棋で人に負けたことがなかった。

ところが、1950年代半ばのある日、戯れに中国将棋を教えてやった一人の日本人の少年Mに負けてしまった。一瞬、彼は、対戦相手のMは稀代の天才少年であるに違いないと思った。

興奮がさめた後、彼は人生最大の「自己覚醒」を体験する。「今までずっと、相手がわざと負けてくれていたのだ」。それまで半世紀以上の間、彼は周囲から「特別扱い」されて、「一人前」には処遇されていなかったことに気付いた。

その時、もうひとつの、「永年の謎」が解けた。それは「日本の魚には骨があるのに、中国の魚には骨が無いのは何故か?」という疑問。中国で(貴族として暮らしていた頃)彼が食べたすべての魚は、あらかじめ料理人がすべての骨を抜いてくれていたのだ

「鞭を控える者は自分の子を憎む者。子を愛する人は熱心に諭しを与える」(箴言13:24)

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竹島

2006-04-21 00:14:22 | 日記・エッセイ・コラム

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何という「外交音痴」だろう。拉致問題でやっと日韓提携ができると心ある人々が期待と祈りを込めていたのに、「ドジ」としか言いようの無い外交失策だ。

今、韓国と事を構えて、喜ぶのは北朝鮮の首脳だけだ。海上保安庁ばかりでなく、小泉も安倍も自分のしていることが分かっているのだろうか?

そもそも、竹島の日本領土編入決定時期が1905年と聞いただけで、日本の言い分に利(理)が無いことが明らかである。第二次日韓協約(乙巳(ウルサ)保護条約)を強制し、韓国の外交権を奪い、統監府を設置し、初代統監に伊藤博文が就任した年ではないか。

北方領土と竹島の権利主張は矛盾している。ロシアに北方領土の返還を求める我が国の主張は、そのまま韓国の独島(竹島)領有権主張につながる。逆の立場なのに、あれもこれもというのは、理屈も通らず、身勝手すぎる。

「地図の上、朝鮮国に黒々と墨を塗りつつ 秋風を聞く」(石川啄木)

「正義は平和を生じる」(イザヤ書32:17)

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いろんな緑

2006-04-20 00:40:21 | 日記・エッセイ・コラム

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木々が若葉で色付いている。黄緑、浅緑、深緑、そして、萌黄(もえぎ*1)に萌葱(もえぎ*2)・・・・、いろんな緑がある。こんなに様々な緑があるなどとは、砂漠で生活する人々には想像もつかないであろう。     

       *1:strong yellowgreen   *2:dark green

そういえば、聖書の「魚」には種類がなく、「魚」と「大きい魚」(ヨナ書1:17)しかないそうだ。一方、エスキモーには「雪」の種類が100もあって、それぞれ別の言葉で表現しているとのこと。

その話を聖地ガイドの榊原茂牧師にしたところ、「アラブには「ラクダ」という言葉が300もある。否、もしかすると3千位あるかもしれない」と、いささかオーバーな返事が返ってきた。

どの言語も、関心のある対象には沢山の言葉があり、関心の薄い対象は一語で片付ける。日本語には、「秋の虫」に、松虫、鈴虫、轡虫、コオロギ、馬追い・・・と沢山の種類があって、蝉もキリギリスもゴキブリも同じというヨーロッパ語とは隔絶している。一方、日本語には「愛」も「痛い」も一語しかなく、これらの対象には極めて「ボキャ貧」(ボキャブラリー貧乏)なのだ。

「兄弟愛に愛を加えなさい」(ペテロ後書1:7)

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食育の日

2006-04-19 02:32:58 | 日記・エッセイ・コラム

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4月19日はゴロ合わせで「食(4)育(19)の日」だそうだ。提唱者の服部幸應医学博士は「日本の食糧自給率は40%(カロリーベース)、残飯廃棄率は世界一」と警告する。(「食育のすすめ 豊かな食卓をつくる50の知恵」より)

写真は老老介護の姉夫妻に届けている弁当。もう2ヶ月も毎日届けている。左と中は家内自慢の特性弁当(なかなか人気がある)。右は小生が整えた手抜き弁当(炊きたてご飯に錦松梅、おかずはJUSCOの六色惣菜)。

山本七平氏は「食欲ほど重大な中毒は無い」と書いている。アル中やニコチン中毒どころでない。満腹しても、わずか半日で「薬切れ状態」になる。3日も絶食すると、盗んでも食べたくなり、4日ガマンすると「殺しても食べたい」となる激しい中毒である。

4歳で母が亡くなり、十代半ばの姉が母親代わりで毎日の食事を工面してくれた。戦後の食糧難の時代をどうやって凌(しの)いだのだろう。6歳からは学校の給食で、ララ物資の粉末ミルク(養豚用飼料とかで猛烈に臭かった)を鼻をつまんで飲んだ覚えがある。「飢餓」は体験しなければ理解できない。

「わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない」(ヨハネ伝6:35)