アイリス あいりす 

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「魂の法則」 ヴィセント・ギリェム著~愛の法則 (part 1)

2019-09-16 10:32:37 | 魂の法則

 https://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf (日本語訳全文)

 

「魂の法則」 ヴィセント・ギリェム著~愛の法則 (part 1)

P110~P133

(P110~P133)

第四の法則: 「愛の法則」

• 魂の目的は、自身の自由な決断で、無償の愛の経 験を通して、幸福になることである。

• 愛なくして進化はなく、愛なくして叡智はなく、 愛なくして幸福はない。

• 愛は、霊的宇宙を調和し躍動させる力である。

 

 

*くりかえし、「愛の法則」と言われていますが、あなたにとって愛と は何ですか。

 愛は広義では、他者のことを自分自身のことのように感じる能力だと 定義される。

*でも、愛は実在するものですか、それとも単なる抽象的な概念なので しょうか。

 愛は実際に存在し、「生命の本質」または「魂の素」の強い振動とし て顕れ、霊的次元からメンタル・アストラルを経て物質次元へと、全て の存在次元に伝わる。 愛の顕現は、エネルギー的には最高の振動エネルギーで、星の光のよ うに最も明るい光となる。この振動・愛の波動は、光のものと同様に、 伝送し知覚することが可能だ。

*愛として、具体的に経験できるものは何ですか。

 人は真の愛を体験すると、充足して完全な幸福を感じ、えも言われぬ 波動と力と感覚で満たされる。そしてもうそれ以上、他には何も必要と しなくなる。愛に感化された魂は、他者を自分自身の一部のように感じ るので、他の人にも愛の至福を伝え、幸せになる手助けをしたいと望む。 愛に満たされると、アストラル体の振動が高まるので、オーラは非常 に大きくなり、さらに輝きを増す。愛の度量が大きければ大きいほど、 その人の波動は高くなり、伝送可能なエネルギー量も増える。

 人が愛す時には、この愛の波動を相手に伝えているのだ。受け手が敏 感であれば、熱くはないが温かい強いエネルギーが波のように押し寄せ る感覚と、体中を巡る波動を感じる。それは、魂の気孔の一つ一つを満 たすように、自分の一番奥深い隅々まで行き渡り、ぞくぞくさせ、平和 と調和の雲に包まれている感じにさせる。 このように内面が安定した状態では、人は楽観的で朗らかで、寛いで いて冷静で、自分自身の問題はそれほど深刻ではないと理解するのだ。

*お話を聞く限りでは、とても神秘的な体験のようです。僕たち人間に、 どの程度達成可能なものか分かりません。

 手は届くのだが、君たちは非常に物質的になっているので、愛を直接 与えたり感じたりする感受性に欠けている。ドリルが音を立てている脇 で、ラジオを聴こうとするようなものだ。 

 そのため大半の人は、愛を感じるというよりも、愛がゆえになされる 行為を評価する。もっとも、一体何が人をそう駆り立てているのかが理 解できていないのだが。

*愛がなぜ、「魂の法則」なのですか。

 魂の内部に、そう刻まれているからだ。魂は、幸せになるために愛を 必要とする。愛が欠如すれば、魂は、根っこから引き抜かれた花のよう に枯れてしまう。 「自由意志の法則」で、魂が幸せでいるために自由が必要だとしたら、 「愛の法則」では、魂が幸せでいるには愛すことが必要となる。これら 二つの法則を統合すれば、魂は幸せでいるためには自由に愛すことが必 要となる、と言えるであろう。

*魂の幸福のために愛が必須であるなら、皆が愛せるように生まれつい ていないのはなぜですか。

 愛せる能力というのも、魂が自分の進化において、独自に発達させな ければならない能力の一つなのだ。説明した通り、魂の火種は、創造さ れた時点で無数の能力を秘めているのだが、それらを発達させる必要が あるのだ。その一つが愛せる能力だ。愛すという能力を発展させること は、魂の進化の工程にとって最も重要な目標である。愛は、霊的宇宙を 調和し躍動させる力である。

*愛はどのように、宇宙の調和に影響するのですか。

 我々霊的な存在は皆、愛の所業によって存在しているのだ! 愛は、創 造しようとする衝動の全てを養う力である。 愛は、宇宙の魂の連帯を支える基礎となるものだ。愛に感化された魂 は、宇宙の全ての生命の進化を手助けし、愛から溢れ出る至福を誰もが 体験できるようにと願う。本当のものと永続的なものは、愛の基盤にの み構築できるのだ。

               

愛 VS 我欲

 

*愛せるようになるために、最初にするべきことは何ですか。

 愛すためには、自分自身でいなくてはならない。そして自分自身でい るためには自分を知らなければならない。 他者を愛したければ、自分を知り、自分を愛すことから学びなさい。 自分自身を愛せない者には、他者を愛すことができない。

*でも僕は、他者を愛すためには自分自身を放棄しなくてはならない、 と理解していたのですが。

絶対にそんなことはない。君がしなくてはならないのは、我欲を放棄 することだが、感情を放棄することではない。 君たちは、愛とエゴとを混同しているので、愛についての概念が、間 違ってしまっているのだ。自分を愛すというのは、自分が他者より優れ ていると思い込み、利己的な気まぐれを満たすことに専心することでは なく、自分の情緒的な必要性や感情を認めて、それを人生の原動力とな るように発展させていくことだ。

 だからこそ私は、真に愛すためには、自分自身を知ることが非常に重 要だと言っているのだ。自分を知るということは、感情と思考とを区別 できることを意味し、感情から生まれるものと我欲から生まれるものを 認識できることだ。

*それでは、愛と、愛ではないものをどう区別するのですか。

 愛は、その最高の顕現において、無条件でなければならない。本当に 愛する者は、何の見返りも期待しない。私益で行動する者は、本当には 愛していないのだ。 愛は自由でなければならず、そうでなければ愛ではない。人を強制し て、愛すように仕向けることはできない。 愛したいと願う者は、自我を放棄することも望まねばならない。愛と 我欲は、お互いに両立し得ない正反対の概念だ。エゴとは実際には愛の 欠如なので、エゴを放棄しなければ愛せない。愛すことを学ぶというの は、我欲からの脱却を学ぶに等しい。愛す能力を高めれば我欲は減少す るが、その逆も、また然りだ。

*魂はどうやって、愛すことを学ぶのですか。

 それは、長い時間をかけて進歩させてゆく永続的な工程だ。魂は、人 間の段階になる前に学び始めるが、愛に関して新しく学ぶことは尽きな いので、この工程も決して終わることがない。 話すことを学ぶ時のように、他者との絶え間ない相互作用による以外 には、愛を発達させることができない。 魂がほとんど成長していない初期の段階では、自分より進化している 存在から受ける愛を情緒として体験する。それを快く感じるのだ。また、 愛の欠如、すなわち自分のようにまだ愛すことができない者の我欲も体 験する必要がある。これは不快ではあるが、愛の欠如と愛の存在を認識 して両者を区別し、愛の実在を評価できるようになるので、自分の感情 を発達させるための刺激とはなる。 つまり、魂は、愛せるようになる前に、愛の送り手として手本を示し てくれる、自分より進化した者の愛の受け手として、感受性を磨く。ま た、愛の欠如という手本を示してくれる、自分と同等、あるいはもっと 利己的な者とも共存しなければならない。このような相互作用を総合し て、魂は最初に情緒を、それから感情を、成長させることができるのだ。

 魂が他者からの愛を認識できるようになるのは、愛の送り手になる準 備が整った時だ。最初に初めての愛情が芽生えるのは、自分を愛してく れた人(通常は家族の一員)に対してであり、自分に利己的な態度を取 った者には敵対心を抱き、関わりを持たなかった人は何の関心もないた だの人となる。この段階での魂は、愛すと情熱的であるが、愛を失うと 報復的で恨みがましい。 魂は、より進化した次の段階では、苦しみ自体が愛とは相容れない否 定的なことだと気づく。そしてもはや、自分を傷つけた者に害を与える ことを望まず、被った痛手を賠償させる手段であった復讐を放棄する。 この段階を、進歩した条件付きの愛、と呼べるだろう。

 そのうち魂の理解力と感受性のレベルがかなり高まると、自分を憎み 蔑んで、耐え難い苦痛を与えた者たちも含めて、この世の全ての存在を 愛す、という大きな飛躍を遂げる準備が整う。すなわち、イエスのよう な進化した存在たちが「汝の敵を愛せよ」と言って伝道したのと同じ、 無条件の愛に達する最終段階に入るのだ。 もちろんこれは一朝一夕にできることではない。最初の段階から最終 段階に到達するには、途方もない歳月が必要となろう。

*理解できるように、これらの段階を要約していただけますか

 いいだろう。この道程は継続的なものだと言ったが、良く理解できる ように、以下の段階に分けてみよう。

1.愛の受け手としても、送り手としても鈍感。

2.愛の受け手として部分的に敏感であり、送り手としては鈍感。

3.愛の受け手として敏感で、送り手として部分的に敏感(条件付きの 愛)

4.受け手としても送り手としても、とても敏感(進歩した条件付きの 愛)

5.受け手としても送り手としても、完全に敏感(無条件の愛)

 

*情緒と感情の源泉となるものは何で、両者はどう違うのですか。 

 魂は進化の初期の段階では、情緒を感じることしかできないが、通常、 このような情緒は、外界からの刺激に反応しているに過ぎない。 情緒の感知力は、人間以前の段階から発達し始めている。実際、犬や 牛や馬やイルカなど、多くの高等哺乳類が、様々な形でかなり深い情緒 を感じたり表現したりしているのを、認めることができるだろう。 情緒を感じる体験を重ね、決断をする際に情緒に配慮するようになる につれて、魂は感情を発達させ始める。感情は、情緒の進化した形態、 と考えてもらって良いだろう。

*情緒と感情の違いと、両者の関係を、より詳しく説明いただけますか。

 情緒の継続時間は短く、一般的には、外部または内部の何らかの刺激 によって誘発される。 感情はもっと長く続き、魂により深く根ざしており、外界からの影響 を受けるとは言え、外部の誘因が必ずしもその原因ではなく、魂自体の 意志による。 感情と情緒は緊密に結びついている。感情は、情緒を呼び覚ますこと が可能だ。感情は、情緒を湧き出させる内なる泉のようで、その意味で は、情緒は感情の表現形態の一つである。また、外界からの影響で感じ られた情緒は、特に感情に影響し、感情を起動させたり抑制する刺激剤 となる。 最も発達した感情は、愛である。無条件の愛の感情を体験するに至る と、それは永遠に尽きない感情なので、それを目覚めさせたり育てるた めに外界からのいかなる刺激も必要としなくなる。

*情緒や感情は、魂のどの部分で生まれるのですか。 

 愛の情緒や感情は、霊体で生まれる。 利己的な情緒や感情は、霊体で感じ取られるものの、エゴ的な要素は メンタル体で付加される。

*お話が分かりませんが、利己的な感情や利己的な情緒とは何ですか。

 利己的な姿勢から生まれる、否定的な感情や情緒だ。実際には、利己 的な態度は思考であるので、頭で生まれる。

*それでは、感情と思考は、別々の源から生まれるのですか。僕はこれ まで両方とも、頭脳の産物だと思っていました。

 それが実は、同じ源ではないのだ。 感情は魂(霊体)から生まれ、思考は頭脳(メンタル体)から生まれ る。

*我欲は頭脳で生まれ、愛は魂で生まれるということでしょうか。

 そうだ。今言った通り、利己的な情緒や感情は霊体で感じ取られるが、 エゴ自体は頭脳で生まれるのだ。

*その点を明らかにして下さいますか。どうしてエゴが頭脳から生じて、 そういう利己的な感情や情緒は魂で感じられるのか、分からないのです。

 もちろんだ。ガラス張りの丸屋根の下で懐中電灯をつけている人を思 い描いてみよう。 屋根のガラスが透明ならば、懐中電灯が発する光も、外から内部に入 る明かりも、ガラスを通って変化することはほとんどないだろう。しか し、丸屋根のガラスが透明ではなく不透明だとしたら、内部から外部へ 出る光も、外から丸屋根の中に入る光も、そこを通過することで屈折し てしまう。 懐中電灯を持った人は霊体に相当し、ガラスの屋根はメンタル体に相 当する。丸屋根の不透明さが我欲を象徴している。

 利己主義は、他者の感情や情緒(入ってくる光)をそれらが霊体に届 く前に変化させてしまうので、その捉え方が変わってしまうだけでなく、 霊体から生じる感情や情緒(発信される光)やそれらの表現の仕方さえ も変えてしまい、頭脳を通過する際の利己的要素にまみれたままで、他 の人に受け取られてしまう。

*愛と我欲の関係が、人間の本質にどう作用するのか、まだ良くイメー ジできません。一体なぜ人は、愛することも利己的になることもできる のですか。この点を、どうか明らかにして下さい。

 ああ、もちろんだ。人間というものが玉ねぎで、芯に愛という光を放 つ魂を持っていると想像してみなさい。 中心の光の発信元は何重もの層に包まれていて、その各々が少しずつ 光の進行を妨げるので、全部の層に覆われてしまうと、外に出て行く光 はほぼ完全に遮られてしまう。 これらの層の一つ一つは我欲を表しているのだが、最終的に愛という 光を輝かせ、その最高の表現が可能になるように、序々に取り除かれて いかねばならない。層を除去していくにつれて、内部の光(愛)は外に 出易くなる。

 一番外側の層は、最も原始的で表面的な我欲に相当する。それは、虚 栄心である。中間層は自尊心であり、一番内側のものは尊大である。 人はそれぞれ、我欲を消去する工程の様々な地点にいる。 地球に住む魂の大半は、最初の層の幾つかを除去できたに過ぎない。 中間層の何枚かを取り除くことに成功した者もいるが、我欲の最も深層 部を排除する過程にいる者は僅かである。 この工程は連続的なもので種々様々なレベルの魂がいるとは言え、大 きく三つのグループに種分けしてみることができる。 層の除去段階に従って、親切で見栄っ張りな魂、寛大で気位の高い魂、 愛情深く尊大な魂に分けられる。

*なぜ、肯定的な形容詞と否定的な形容詞の二つを使って分類するので すか。

 分類によって、魂の利己的な部分を際立たせるのではなく、各段階の 魂が発達させている資質も認めるようにしたいからだ。最初の形容詞は、 魂が愛の育成に努める際に到達可能な代表的な資質を表し、二番目の形 容詞は、魂の我欲の段階を示している。 虚栄心に満ちた者は大変親切になれ、自尊心の強い者はとても寛大に、 また尊大な者は、自我に打ち克ち感情のために戦おうとする時には、と ても愛情深くなれるのだ。 我々一人ひとりの中に我欲が存在することを認めて、それを自覚して 克服するために定義づけをすることは、何も悪いことではない。 魂にとって悪いのは、自我の存在を認めようとしないことだ。つまり、 本当に愛し真に幸せになるために除去すべき利己的な部分を全員が持っ ている、という現実を認めないことである。アルコール中毒者が自覚しない限り治療できないのと同様に、認めないものを克服することはでき ないので、我欲を認識できないと霊的に停滞してしまう。

*あなたが、虚栄・自尊・尊大と呼んだ我欲の三つの顕現形態のそれぞ れの特徴について、さらに詳しく説明して下さいますか。

 いいだろう。虚栄心・自尊心・尊大という風に、最も低俗なものから 巧妙なものへと、少なくとも三つの形態に我欲を分類することが可能だ。 我々は、通常の会話の中でこの三つの言葉を頻繁に使用しているが、 これから見ていくように、霊的な概念はずっと幅広く奥深く、多くの面 で通常使用する意味とは異なっている。これからその一つ一つを定義し て、顕現形態を分析してみよう。

*虚栄心とはどういうもので、どんな顕れ方をするのでしょうか。

 虚栄心は我欲の最も原始的な形態だ。これは、若い魂と、知的面では 充分進歩したにも関わらず、感情面ではまだ初心者の魂に特有なものだ。 虚栄心の最大の特徴は、自分本位なことだ。特に自分が必要とするこ とや基本的欲求を満たすことに熱心で、他者の必要性にはほとんど、あ るいは全くというほど関心を示さない。多くの場合に、他者の自由意志 を侵害していることには気づかず、自分の自由意志ばかりを優先しよう とする。 見栄っ張りな人は自分が中心であろうとして、他の人たちから注目さ れることを望む。愛をほとんど知らないので、真の愛とおだてとの違い が良く分からない。愛よりも要求が多い。

 それゆえ、人間関係では、愛 され愛すことよりも、知名度や賞賛や賛美を求め、おだてられたり自分 の要望が叶うことを好む。 見栄っ張りな人は常に自分と他者とを比較し、いつも人よりも上位に 立とうとする。能力や物的面で自分より下だと見なした者を馬鹿にした り蔑むことが多く、自分にとって有益だと思う人を過剰に賞賛する。 常に自分の利益を優先し、不公平な行動を取ることが多い。

 そして、 利己的な行為をカモフラージュしようと、しょっちゅう事実を曲げる。 感情が未発達なので自分自身に不満を覚えることが多く、孤独になるの を極端に嫌う。 他者を大いに必要とし、自分の必要性のみならず趣味や気まぐれまで を満たそうと、しばしば相手を操り思い通りにするので、周囲の人を肉 体的にも精神的にも隷従させてしまうほどだ。しかし、期待する満足感が得られなければ、直ぐにその人間関係に飽きてしまう。そのため、家 庭では伴侶や子ども、仕事では部下などの弱者を、自分の影響下から逃 れられない所有物のように見なし、蹂躙することがしばしばである。

 自分に値すると思っていた注目が得られない場合には、被害妄想や攻 撃、脅しや嘘など、思いつく限りの策を弄し、いかなる手段や代償を払 ってでも、注意を引こうとする。 この欠点が顕著に顕れると、そのネガティブな息詰まる波動で周りの 人びとが消耗してしまうので、虚栄心というものを知らず、どう扱って いいのか分からなければ、長時間我慢できる人など滅多にいないだろう。 これが、彼らには知人は多いのに、余り友人ができない理由だ。誰も 何もせず自分だけがどれほど頑張っていることか、としょっちゅう自慢 するにも関わらず、努力が要ることには直ぐに飽きて、他者に責任を負 わせようとする。

 私心なく人にさりげなく尽くすことは稀で、いつもそれを誇示し、一 般的に自分の行為以上の返礼を見返りに求める。見栄っ張りな人は、善 い人になるつもりはなく、そう見せかけようとしている。

*それなら、そんな人が余りいないことを願いますよ。

 実のところ、人類の四分の三はまだこの初期の進化段階にあり、君た ちの世界の政治家層の一番の欠点が虚栄心なのだ。もっとも、自認でき ること自体がより進歩していることになるので、今話したことが自分に 当てはまると言う人はいないと思うがね。君たちの惑星がこんな状態な のも、そのせいだ。

*そんな風に利己的な人と暮らすのは、耐え難いでしょうね。

 このようなものや、もっと目立たないエゴから、君自身が無関係だと でも思っているのかね? 進化していない人と一線を画そうとして、理解 しかねると言い切ること自体に、君自身の我欲がチラついている。 虚栄心の段階は、その後の自尊心と尊大という段階と共に、完全性へ の道程において、全ての魂が一つ残らず通過しなくてはならないものだ。

 これらの段階を超えられた者は、ある時点で自分の欠点に気づき、克 服の努力をしたのであり、高次の人の見習うべき手本のお陰で、それを 成し遂げることができたのだ。進化した魂たちが自分たちだけで前進し て、進歩の遅い同胞を見捨てたとしたら、一体どんな愛を育んでいると 言えるのだろうか?

 このように露骨な説明をしてしまうと、大変手厳しく思えるだろう。 しかし私には、誰かを差別したり除外する意図はなく、君たちが虚栄心 という我欲の形態を理解し、その知識を自己改善に役立てるよう望んで いるのだ。

*この場合は、虚栄心になって顕れる我欲のことですが、魂は、自分の エゴをどのように自覚して、克服していくのですか。

 通常は、自分と似たレベルの者の利己的な行為を、身を持って痛感す ることによる。「霊的裁きの法則」(♬”愛の法則の”後に投稿する予定です。 )は、他者の行為を通してであろうと、 各人を自分の行為と向き合わせ、自己改革のために最大の恩恵が得られ るようにする。 魂は実際に苦しむことで感受性を高め、特に自分と似通った状況を経 験した他者の苦悩を、より敏感に感じ取れるようになる。その者に対し て芽生える連帯感は、愛の萌芽なのだ。

*魂は、自分の行為が生み出した苦悩を必ず実体験して、それらの行為 が他者に有害であった、と学ばねばならないのですか。

 いや、自分の行動が他者に与えた害を自覚でき、自分の過ちや他者の 経験から学ぶことができれば、理解したことになるので、その必要はな い。しかしそのためには、感受性や愛が充分に発達していなければなら ない。なぜなら、愛がある場合にのみ、他者の気持ちを苦悩も含めて、 自分のことのように感じられるからだ。 初歩段階の魂の場合は、自分の利己的な行為を自分自身が味わって苦 しんだ方が、速く進歩することができる。一方、愛を育むことができれ ば、自分の過去の体験や他者の体験を理解することで、もっと速く進歩 できるのだ。

*理解によって、虚栄心を克服するにはどうしたらいいのですか。

 最初の一歩は欠点を自覚することで、その次は態度を是正することだ。 自分の欠点を認識したからと言って、それが表面化しないようにでき る訳ではない。自覚し認めるだけではなく、我欲に従った行動を避け、 その言いなりにならずに気持ちに従って決断するなら、我欲は次第に力 を失い、最終的には克服されるだろう。自覚すれば、虚栄心がどういう ものかを深く認識でき、それがどのように自分に顕れ、何によって増長 されるのかを知ることができる。

 幸せになるためには周囲の注目の的となるのが重要で、皆から褒めた たえられたりちやほやされて、喜びや贈り物や注目を山ほど貰うのがい い、と信じることで、虚栄心は増大する。 虚栄心は、幸せになるためには、物であろうと人であろうと身の周り の全てのものを所有する必要がある、と自分にも他人にも思い込ませる ように現実を変えてしまう傾向となって顕れる。 虚栄心は、進路にある全てのものを吸い込む掃除機みたいに自分に溜 め込みはするが、持っているものを何一つ評価しない。それは、見たと ころ世界一素晴らしくそれなしには幸せになれそうにないおもちゃを買 ってくれと、地団太踏んで親に要求する子どものようだ。だが、おもち ゃを手に入れると、何分とも遊ばず、直ぐに飽きて壊してしまう。

 したがい、感情を呼び覚ます努力をせず、自分の気まぐれを満たすこ とばかりに夢中でいる限り、彼らは常に不満・空虚・不幸であり、他者 から愛されてもそれが分からず評価もできない。 自分自身の努力や意志によって成し遂げることでなければ、それを本 当に理解して評価することも楽しむこともできないが、虚栄心の強い者 は、何に対してもほとんど努力をせず、他人が自分のためにしてくれる のを望む。 目的を持った場合には、外見的・物質的・表面的なものが多く、魂の 内面的目標であることは滅多にない。

 見栄っ張りな者は、自分で火を起こすのが面倒なので、いつも隣人の 焚き火で暖を取る人に似ている。常に他人に依存し、自分自身では何も しない。自分に独自の火を起こせば、他人に頼って暖まる必要はない。 この火は、霊的次元では愛の炎であり、魂を慰め暖め、進歩して本当に 幸せになる力を与える。

*でも、幸せになろうとして成功を求める人は大勢いますが、彼らに言 えることはありますか。

 自分自身を偽っていると言いたい。成功は虚栄心を満足させるが、感 情にとっては落とし穴となる。幸福を勝ち取る唯一の方法は、自分を愛 で満たすことだ。

*理解を通して虚栄心を克服するにはどうするべきかを、短くまとめて いただけますか。

 いいだろう。虚栄心の強い者が欠点を克服する第一歩は、幸福は外部 にあるのではなく、内面次第なのだと理解することだ。

 

我々全員が学ぶべき大切な教訓は、 真の幸福とは、他者が自分を愛す かどうかで決まるのではなく、自分が愛せるかどうかによるということ だ。だから幸せになりたければ、他者が自分を愛してくれるのをがむし ゃらに求めるのを止め、自分自身の感情を目覚めさせるようにしなさい。

*見栄っ張りな人にはどう助言して、自己進化に役立ててもらいますか。

 他者の賞賛や慈しみ、成功や信任を得ることでは、絶対に幸せになれ ない。 自分の人生に不満足で、孤独感や虚無感があるとしたら、不幸の原因 を外部に探さないことだ。原因は外にあるのではなく、自分の中にある からだ。 満ち足りることは絶対にないので、他者の火で暖まろうとしてはいけ ない。他者が君のためにしてくれたりしなくなることに自分の状態が左 右されないように、自分自身の炎を起こしなさい。 利己主義は脇に置いて愛しなさい。内面の虚無感を満たす唯一の方法 は、無条件に愛すことなのだ。

*今言われたことは、前に話されたことと矛盾しているようです。他者 から愛されることを放棄したとしたら、どうして自分を愛せるのでしょ う。

説明が良くなかったかもしれない。愛されるのを放棄する必要はない。 間違ったやり方で幸せを求めている、と言いたいのだ。天秤の片方の皿 にだけ重りをかけて、均衡を保つように要求しているのだ。

*どういう意味かがはっきり分かりません。理解できるように例を示し て下さいますか。

 良いだろう。世界にある全ての愛を分配するために、全人類を巨大な 広場に集合させたとしよう。 そして先ず「愛が欲しい人はいますか」と聞くのだ。すると、100% の人が「僕だ、僕だ。最初に僕だ。僕が最も必要としている」と訴えな がら手を挙げることだろう。 しかし次に「愛を与えようという人はいますか」と聞けば、広場は直 ぐに空っぽになり、手を挙げようと居残る者は僅かだろう。 分与できるものは何か? 少数の者が与える愛だけだ。 これが君たち人類に起こっていることで、大半は愛を受け取るつもり しかないので、世界を支えているのは僅かな者の愛なのだ。しかも大半 の者は、愛を受け取っているのではなく、主に我欲を満足させているだ けなのだ。

 我々は主体性に欠け、愛が外からやって来るのを待っているのだ。外 部からの愛が、あたかも魔法のように我々に達して幸せにしてくれて、 秘薬のごとく何をする必要もないと思い込んでいるのだ。

 しかし、必要なものを全て受け取っても、受身であり続けて我欲を克 服しようと努めないのであれば、内面の全てを与えて君を愛してくれる 存在が現れても、「まだ足りないよ。僕はまだ幸せではない。もっと愛 してもらう必要があるよ」と言うだろう。そして、絶対に内面の虚しさ を満たすことができないので、もっともっと、と要求するのだ。 くれたものは決して評価せずに、貰っていないものばかりにこだわる。

 人生のどんなに些細な障害であろうと、文句の口実となる。朝起きた時 に、曇り空なら寒いとぼやき、天気が良ければ暑いと愚痴るのだ。 これは、幸福の求め方が間違っているからなのだ。自他に対して能動 的に呼び起こす愛のみが、空虚な感覚を満たすことができるのだ。それ ゆえ、幸せになるためには、愛を受け取るだけではなく、愛を与える必 要があるのだ。

 *虚栄心の問題に戻りますが、虚栄の段階にいる全ての人に同じ特徴が あるとは言えないと思うのですが。

 同じ特徴ではなく、虚栄には様々な段階がある。 虚栄の初期の段階では、我欲は、強欲(自分の持っているものを他者 と分かち合いたくない)、貪欲(他者を犠牲にしてもどんどん欲しが る)、羨望(自分が欲しがる物的なものを持つ人を拒絶する)といった、 より原始的で物質的な顕れ方をする。

 魂が感情面を認識して進歩した次段階では、物質的な利己心は、霊的 なものへと変化する。この段階での魂は、まだ我欲にしがみついてはい るが、同時に感情も発展させ始めている。まだ愛を与えようとはしない が、愛の存在を認知し心地よいと分かっているので、愛を受け取ろうと する。 強欲が執着(特定の人からの思いやりや愛を他者と共有したくない) に変わるのはこの時で、貪欲は独占(皆が自分だけに注目して優しくし てくれるのを望む)に変わる。一方、羨望はもっと上手く化けて、自分 にはないが欲しいと思う美徳を持つ人たちに対する反感へと変わる。

 感受性が強くなって正義の概念はもっと発達するものの、我欲から離 れられていないため、損得が絡むと、故意に自分の得になる不公平な行 動を取ることが多く、自覚している分だけ余計に罪深いと言える。

*根本的にどのように進歩すれば、虚栄心の段階を克服したと言えるの ですか。

虚栄と自尊とを区別する主な進歩は、魂の愛を目覚めさせることであ る。 虚栄心の強い者は一方的に愛を受け取るだけだが、自尊心の強い者は、 もう愛の送り手となれる魂である。それは、かなりしっかりと主体的に、 本当に愛すことができる能力を獲得したことを意味する。

*虚栄心の強い者は愛すことができない、または愛を体験したことがな い、ということですか。

 もちろんそうではない。全ての魂は愛すことができる。実際、自尊心 のレベルに達した魂は、全てがそれ以前に、虚栄心の段階を経ている。 また当然のことながら、一夜にして愛の発信者となったのではなく、 愛の炎を灯すか消すかという、感情の発露とエゴとの葛藤が長く続いた 期間があったのだ。 虚栄心の強い者の炎は弱く、絶えずついたり消えたりをくりかえす。 感情面で努力する確固たる意志に欠け、利己的な気まぐれを満たすこと にまだ一生懸命なので、炎を育むことに力を注がないのだ。

 別の言い方をすると、虚栄心の強い者がまだ自分の炎を灯せず活性で きずに、他者の火で暖まろうとする一方で、自尊心の強い者は、すでに 自分の内面に炎を起こす方法を発見している。また、その火が力強く燃 える時に生じる真の愛の片鱗を認識し経験したことがあるので、より鮮 明な体験ができるように、確固たる意志で炎が消えないように努力して いる。

*魂はどうやって、自分の火を起こす方法を学ぶのですか。

 自分自身の体験と、進化した魂たちを手本にして学ぶのだ。 虚栄心の強い魂は、通常、身近に転生した愛の送り手となるもっと進 化した魂によって、手ほどきを受ける。それは自分の伴侶であったり、 父親や母親、息子や娘、兄弟や姉妹などの家族である。多くの場合、他 者が自分に尽くすことに慣れ切っている進化の遅い魂は、その時点では 与えられていることを自覚できずに、もっともっとと要求し...遂に は失う羽目になる。

 その時になって失われた愛を懐かしみ、かつての愛を再び味わいたい と願い、愛されていたのに評価できなかったことを自覚し認識し始める。 この欲求によって、自分をそれほど愛してくれた人たちに対する最初の 感情が芽生え、それが以後の転生に持ち越される。つまり、人が愛を与 えられるようになるには、最初に愛を受け取れなければならない。 要求ばかりしていた魂は以後の転生では、自分より進化の劣った者と 身近に共存する体験を課され、過去に他者に求めたのと同じように要求 されるであろう。

 こうして、他者の利己的な行為の中に自分のエゴを認 識し、自分自身と向き合うことになるのだ。 この学習は、愛の受け手または送り手という、主な役割を転生ごとに 交代しながら、数え切れないほど継続することもある。送り手として与 えれば与えるほど、受け手として受け取れるようになる。 愛の道を歩むのか、それとも我欲の道を続行するかは、魂の意志次第 なのだ。

*虚栄の段階を超えた魂は、他にはどんな進歩ができたことになるので しょうか。

 虚栄心から充分に解放され、完全に自尊の段階に入った魂が成し遂げ たことを大まかに説明しよう。それは、しっかりとした愛の送り手にな り、感情を理解できる魂になったことで達成できたものだ。 先ず、正義の概念がもっと進歩している。自尊心に達した人は、外見 的なものよりも本物で公正なものに気づいている。一般的に気位の高い 者は、より公平に行動する。不平等になりそうな場合は、自分が得しよ うとはぜず、他者が被るであろう損害も考慮して決断する。 もはやちやほやされたいとは思わず、真に愛され愛すことを求める。 気位の高い者が獲得した見栄っ張りとは反対の資質は、控えめになる ことであり、目立つことはしようとせずに、公正で寛大であることに満 足を覚える。 自尊心の強い者は、自分が愛する者には寛大である。それゆえ、人間 関係においても注目の的になろうとはしない。百の表面的なつき合いよ りも、一つの本物の友情を望むのだ。

*気位の高い人は、見栄っ張りな人よりも霊的に進化しているので、進 化の仕方も速いということでしょうか。

 そのようなことはない。進化の速度は、我欲から脱却して愛そうとす る、魂の意志と力のかけ方によるのだ。

 自尊心の強い者でも進化が止まってしまって、多くの転生で停滞した ままになることもあるし、虚栄心に満ちた者でも大いに努力して、素早 い進歩を遂げることがある。 だが、感情面の知識や自覚が大きいので、進化した者の方が能力があ ることも確かだ。彼らは進化しようとする意志がより一層固く、停滞す ると苦しみが募るので、その不快感に後押しされて前進する。 多くの転生経験を持つ進化した魂と、まだ若く余り進化していない魂 とを比較することは、七歳の子どもと十五歳の若者に同じ知能検査をし て、その結果の有効性を信じることのように、馬鹿げている。七歳の子 がどんなにIQが高くても、普通は十五歳の方がいい結果を出すだろう が、それは、その子の方が年上で学習にかけた時間が違い、肉体的にも 精神的にももっと発達しているためで、比べることには何の価値もない。

 それゆえ、他者と進化度合いの比較はするべきではなく、自分自身が 前回からどれだけ進歩できたのかを比べるべきだ。進化のレベル差は、 どれだけ速く学んだかだけで決まるものではなく、魂がどれだけの時間 をかけて進化してきたのかにもよるからだ。 霊的な年齢は人それぞれだが、一般的には、古い魂の方が若い魂より も進化している。それは進化にかけた時間がその分長いからだ。 しかしながら、若い魂が大変速く進歩して、自分より年上の魂を追い 抜くという特別なケースもあるし、その反対に、大変古い魂が霊的に長 時間停滞してしまって、もっと若い世代の魂に追い抜かれるということ もある。

*進化レベルと進化速度との違いがはっきりする例を出していただけま すか。

同地点からスタートする二台の車のうち、一台が、もう一台よりも一 時間早く出発するようなものだ。初めは二番目に発車する方が遅れてい るが、もっとスピードを上げれば、いずれ一台目に追い着けるだろう。 走った距離が魂の進化レベルに相当し、速度がその時々の進化のリズ ムだ。

*自尊心の問題に戻りますが、自尊とは何で、どういう顕れ方をするの でしょうか。

 自尊心の強い者の最大の問題は、他者に感謝されなかったり、利己的 に振舞われたり、愛してもらえないことを、なかなか受け容れられないことだ。

 特に、愛情の絆を築いてしまった場合は、そうすることが難し い。 気位の高い者は、自分を愛してくれる者は容易に愛せるのだが、自分 を愛してくれない者を愛すことがまだ難しい。そのため、自分が好きな 者を在るがままに認めようとはせず、その美徳にも抵抗があるが、特に 欠点は認めがたい。 また、自分の考えが間違っているかもしれないと認めるのが、本当に 難しい。 報われない愛、すなわち、どんなに愛しても利己的な態度を改めても らえないことが、我慢できない。

 両親・兄弟・伴侶・子どもなど、非常 に身近な家族の場合は、特にだ。彼らを変えようと自分が努力して変化 を期待するのだが、何も変えられないと絶望し、気落ちして怒ったりす る。 思いやりのあるちょっとした態度を示されると意のままになるのに、 操られていたと気づくと激怒し、その人に恨みを抱く。 表面的には自分の行為の代償は求めていないが、感謝されなければ、 たとえば、相手を助けようと一生懸命やったのにその代わりに殴られた りすると、気持ちをどう整理していいのかまだ分からない。

 そのため、気位の高い者が感謝をされなかったり、失恋したりという 目にあうと、自尊が次々に形をとって顕れる。感情を害されたり傷つい たりすると、自分の殻に閉じこもり、人間関係から孤立する。そして、 怒り・憤り・無気力・意固地・恐れ・罪悪感が目覚める。 自分の奥深い感情を傷つけられるのが怖いので、気持ちを表現するの を恐れ、感情や情緒を隠そうとする傾向がある。憐れみの対象になりた くないので、否定的な感情は抑圧し、弱みにつけ込まれ傷つけられるの が嫌なので、他人に弱さを見せようとしない。

 一方、見栄っ張りな人た ちの嫉妬を買って睨まれたくないので、肯定的な感情も抑制する。肯定 的な感情を抑制しがちなことで、彼らは不幸な気持ちになる。 否定的な感情を抑圧したり隠したりして黙って耐えると、突発的に、 激怒・憤り・怒りなどが爆発してしまうが、その後で罪悪感を覚える。 人を信用せず、いかなる問題も自分だけで対処できると思い込む態度 が、最も他の人たちから孤立させることとなる。

*自尊心が最も有害な形で顕れるとどうなりますか。

 自分には、真に愛されたり愛を受ける価値がないと信じ込んで、愛す ことも無意味だと思うようになる。これは、自分自身で孤立してしまう態度で、寡黙で無気力、臆病、陰気、憂鬱で怒りっぽく、生きる気力の ない人へと変貌させてしまうこともある。

 前に、虚栄心の強い者は愛されてもそれを評価できないと言ったが、 自尊心の強い者は、愛されることを拒んでしまう。だから、どちらの理 由であろうと、その人たちは欠点のせいで、愛されていても愛されてい ると感じられないのだ。 虚栄心の強い者は、愛情を受け取るよりも、自分の我欲を満たしても らうことに夢中だからだ。

 そして自尊心の強い者は、傷つけられるのを 避けようと自分の殻に閉じこもってしまい、どんな愛情ですら受け取ろ うとはしないからだ。 それは子どもの時から、僅かな注意を引くために、あらゆることをす る必要があったためかもしれない。だから、もっといいことはないし、 在るがままに愛されることもない、と自分を納得させてしまったのかも しれない。 そしてどうなると思うかね? 自分が何をするかに関係なく、無条件に 在るがままに愛してくれるという人が現れると、驚いて自分の内に隠れ てしまうのだ。ただ単に信じられないので、拒絶してしまうのだ。

 「僕を利用しようとせずに、愛してくれるなど信じられない。これは きっと罠に違いない。受け入れようと心を開けば、きっとグサッと刺さ れて、もっと苦しむに違いない。だから心を開く甲斐はない」と思うの だ。 こうして幸せになるために必要とされるものがあり、それを評価でき るにも関わらず、気位が高いとそれを拒んでしまう。そして、苦しみた くないと苦悩し、感情を優先しなかったことで苦しむ。

*自尊心を克服するにはどうしたらいいでしょう。

 虚栄心の場合と同じで、最初の一歩は欠点を自覚することで、その次 は態度を是正することだ。 欠点を認識してそれがどのように具現するかの知識を得ただけでは、 その出現を防ぐことはできないが、認識できさえすれば、人生で決断を 下す際に、自尊心に従った行動を回避する助けにはなる。我々が心が命 じるままに決断するとしたら、自尊心は徐々に弱くなり、最終的には制 覇されるだろう。 自覚すると、自尊心とは何か、自分にどのように顕れるか、何がそれ を増長させるのかを深く知ることに繋がる。

自尊心は、恐れ・不信・自己充足から発展し、孤立や感情の抑制とい う形態で出現する。自尊心は、魂の感受性にとっては鎧のようで、難攻 不落の城壁のごとく魂を取り囲み、感情の出入りを妨げる。それゆえ、 この鎧を剥ぎ取る努力をせねばならない。 気位の高い者が自尊心を克服するために最初にするべきことは、自分 には愛される資格はないし本当に愛してくれる人に出会うこともない、 という思い込みから自由になることだ。

 真の相思相愛を求める者は、遅 かれ早かれそれを見つける。似通った魂はお互いを探し求めるし、出会 った時にお互いが分かるからだ。 だが、悪いことから身を守ろうとして扉をピッタリ閉じてしまうと、 固く閉じ過ぎたがために、善いことも経験できなくなるので、辛抱強い 揺ぎない努力が必要だ。危害が及ばないように慎重になるのは良いが、 感情を放棄しては駄目なのだ。

 忘恩を忘恩で返したり、憎しみを憎しみで、恨みを恨みで返すのも良 くない。我々を苦しませることは、他者をも苦しませるからだ。感受性 が発達して苦悩をより良く理解できた者は、自覚がないままに苦痛を与 える者よりも、苦しみを生み出す責任が重い。 すでに言ったが、くりかえしておこう。君たちは独りではないのだ。 我々は一人残らず全員が、神や守護霊やその他無数の霊的存在や友人、 そして肉体の有無を問わず霊的な家族に、深く愛されているのだ。しか もそれだけではない。

 つまり 君たちの一人ひとりには、魂の伴侶である 双子の魂が存在し、それを介して、純粋な無条件の愛の目覚めを体験す るのだ。ただ、そのことを自覚すればいいだけなのだ。

 また、自分を傷つけた恩知らずでも、赦すことを学ばねばならない。 気位の高い者は、まだ気づけていない者を理解する力があるので、かつ ては自分も同じ状態であったと認識すべきなのだ。 同時に、本当の自分自身になる恐れを手放さなくてはならない。 口では愛していると言いながら、従わせたいだけの人が仕掛けた罠か らは自由にならねばならないが、反対の道を選んでもいけない。つまり、 苦しみを恐れて、人間関係で孤立するのも良くない。 愛して欲しいと望むのは悪くはないが、皆の愛の能力が同じではない、 と知っておかねばならない。報われたいがために、親族だからとか一緒 に暮らしているからという理由だけで、相手に自分と同じ強さで、愛し たり尊重してくれるように要求してはならない。

愛情がない場合に、もっと責任が重いのはどちらだろう? 愛すことを 知らずに愛さない者(虚栄心が強い者)か、それとも愛せるのに欠点の ためにそうしない者(自尊心の強い者)だろうか。 自己の自由意志を放棄してしまうことになるのであれば、他者を喜ば せるために過大な努力をしないことも大切だ。相手のまだ目覚めていな い感情を覚醒できると信じて、報われないのに過剰な努力をすると、い ずれ失望や悲しみ、幻滅や苦々しさ、怒りや無力といった形のつけを払 わされる。

 すでに言ったが、真の愛は、何の見返りも期待もせずに無条件に与え るもので、お返しする気のない人や全く与えることのできない人に、愛 を強要できないのだ。

*進化に役立ててもらえるように、気位の高い人に簡潔に言えることは ありますか。

 悲しみや虚しさを感じる時には、自分自身に閉じこもらないように。 感じさえしなければ苦しみが緩和されるだろうと考えて、感情を抑圧 してはならない。そうすればもっと苦しむことになるし、解消できない 不毛な苦悩となるからだ。 考えたことではなく、感じたことに従って生きようとしなさい。他者 を思いやらねばならないが、その期待に沿おうとするのではなく、自分 の気持ちに従うこと。 人から傷つけられたことを口実にして、自分の不信感や孤立を正当化 してはならない。自分の感情を利用したいのだと思う者には慎重になり、 誠意を持って近づいてくる者には心を開くのだ。

*人の意のままにならずに、他者を傷つけないようにするにはどうした らいいのですか。

 相手の苦悩が我々の利己的な行為によるものなのか、それともその人 自身の我欲、つまり我々の意思や自由意志を尊重したくないためなのか を知る必要がある。 我々の利己的な行為が原因なら、我々が是正の努力をするべきだし、 相手の我欲のせいなら、苦しみを生み出しているのはその人自身なので、 その人が改善しなければならない。他者のせいで苦しんでいると思って いても、独りで苦しんでいるのだと知るべきなのだ。

*でも、その人が変わりたくなければ、どうしますか。

 その人にとって自己改善することが有益であっても、そう強制すれば 本物ではなく自由意志を侵害してしまうので、相手に強要はできない。 そうは言っても、その人に、他の人の意志を曲げる権利がある訳ではな い。だから、自分本位な人の利己的な態度に従わされている人は、自分 の感情や信念を曲げるべきではないのだ。

*たとえば、ある人といざこざがある場合に、相手がその人自身のエゴ で苦しんでいるのか、それとも僕の利己的な態度によって苦しんでいる のか、どうやって見分けられるのでしょうか。

 相手の立場になって、どう感じるだろうか、その状況でどうして欲し いだろうかと分析してごらん。 自分が発信者・執行者となって行おうとしていた行為についての判断 が、その行為の受け手となれば変化するのなら、君の態度に何らかの利 己心や不公正な部分があったということだ。送り手としても受け手とし ても同じ姿勢でいられるのなら、公正に近い判断だ。 でも大抵のケースは様々だ。つまり、両者に利己的な部分があり、双 方が自分のエゴを改めねばならないのだが、自我によらなければ確固と した態度を保ち、相手の利己的な行為に屈してはならない。 最終的には「自分にして欲しくないことは他者にしてはならない」と 「苦悩の原因であり意志の侵害だと知っていることを、他者が、自分や 自分の庇護下の者にしないように尽くせ」という金言に要約できるだろ う。

*よく理解できるように、例をいただけますか。

よろしい、例を挙げよう。教育の一環として子どもを叩く母親を想像 してごらん。子どもに与える肉体的・精神的苦痛を考慮していない母親 によると、それは、子どもを従わせる方法だそうだ。 もし本当にその方針が正しいと信じているのなら、自分が夫に殴られ ることも問題なく容認できるということで、彼女が子どもに使ったのと 同じ論拠を夫が持ち出して正当化しても、承服できることだろう。だが 誰でもそうだが叩かれれば痛いので、彼女はこの状況を苦々しく嘆き、 当然だが非常に苦痛なので、夫が殴り続けることには同意しないであろ う。 この母親は、夫に殴られて痛いのであれば、彼女がそうする時も子ど もは同じように痛いだろうと気づくべきだ。そして現実から学ぶ気があ れば、叩くことは苦痛を生み正当化できないので、それ自体が悪いこと だという結論に達するであろう。

この女性には、どんな解決策があるだろうか? 子どもに対する暴力の 行使を放棄するのだ。そうすることによって、自分自身のエゴを克服し、 力づくで弱者の意志を曲げようと懸命になることもなく、同時に、自分 の自由意志を踏みにじる、暴力的で利己的な夫の支配から逃れることに 力を尽くせるのだ。 攻撃する者がいじめる対象を失って苦しむのであれば、それは相手に 苦しめられているのではなく、他者の意志を力ずくで曲げたいという我 欲を放棄するのが嫌なだけなのだ。

*先ほど、他者を喜ばせようと過剰な努力をしてはならないと言われま したが、誰かを愛すと、その人が幸せでいられるようにあらゆることで 喜ばせてあげようとすることと、矛盾しませんか。

喜ばせてあげればあげるほど愛していると考えるのは、大きな間違い で、善意ある者の多くが陥る大きな罠だ。 愛している人には、その人を喜ばせる以前に、援助し、理解し、尊重 しなければならない。 喜ばすのと支援することの違いを知っておくことは大切だ。と、言う のは、誰かの機嫌を取る時に、手を差し伸べる代わりに弊害を与えてし まって、喜ばせたのは相手の我欲だけだった、ということもあるからだ。 しかも、自分の自由を失って、相手の我欲に自分の意志を服従させて 機嫌を取る時は、自分自身を犠牲にしているのだ。

*手助けと機嫌取りとを、どう見分けるのですか。

 自分で超えなければならない試練や状況を背負っている人を、喜ばす だけで助けなければ、能力を試す機会を奪うことになるので、その人の 魂の停滞に一役買ってしまう。 真の手助けというものは、その人自身で試練や状況を解決できるよう に、支え励ましてあげて、前進できるようにしてあげることだ。

*援助することと機嫌を取ることの違いがはっきりする例を挙げて下さ いますか。

そうしよう。先生に学校の宿題を家でするように言われた同じクラス の二人の子どもをイメージしてみよう。二人ともずっと遊んでいたいし 宿題はうんざりするものなので、しないで済ませようとする。 

一人の父親は、息子が怒らないように、しかも宿題をやらずに学校に 行くという羽目にならないように、自分が代わりにやることにするが、 その間子どもは楽しく遊んでいる。 もう一人のお父さんは、子どもがしばらくの間遊びを止めなくてはな らなくても、子ども自身が宿題をするように、一緒に座って手伝ってあ げることにする。 最初のお父さんは、息子が嫌いな作業をしてあげているので機嫌を取 ってはいるが、宿題は子どもに課された状況であり、その子の学習に必 要なものなので、援助をしてはいない。この父親は、息子が怠惰で依存 的で我がままになり、どんな状況でも自分の問題を解決してくれる人を 求めるようになることに、加担してしまっているのだ。

 二番目のお父さんは自分の姿勢によって、遊びを中断したくない息子 が怒る可能性を冒しているので、機嫌を取ってはいない。だが、子ども が学んで自己責任を受容することに寄与しているので、子どもを援助し ていることになる。

*それなら愛する人を喜ばすのは、いけないことなのでしょうか。

いつも悪いとは限らない。自分自身の自由を犠牲にしてしまう場合と、 相手が独力で超えねばならない試練の肩代わりをして魂の停滞に加担し てしまう場合が良くないのだ。

*自尊心についてに戻りますが、自尊の段階を超えた魂は、どんな進歩 を遂げたことになるのですか。

 魂はもっと自信に満ち、自分の感情を自覚し、幸せに生きるためには 気持ちに従って生きねばならないことを認識している。 自分をありのままに見せることを、以前ほど恐れない。そのため、以 前より打ち解け、明るく、自然で自由で、感情の防壁が少ない。 自分の内にこもらなくなり、感謝をされなくても気にしなくなる。 他人に、より共感できるようになる。 ご機嫌取りに過大な努力を払わない、つまり、人の思い通りにされる ことが少なくなり、簡単に言いなりにならないので、恨みや怒りを覚え ることも減る。 愛しても見返りを期待しなくなる。 心を開いて自分に向けられる他者の愛を感じ取り、心を許して自分の 愛を他者に与える。 否定的な状況にあまり影響されなくなり、以前より受け容れることが できる。 肯定的なことをもっと楽しめるようになる。

(P110~P133)

 

(著者あとがきをご覧ください)

 https://blog.goo.ne.jp/y-hne/e/d644c9fe4a68408429a35f4b1e30b3ea

 

♬著者ヴィセント・ギリェム氏は、広めることを希望していますので、抜粋して投稿しています。氏および翻訳者のご厚意に感謝いたします。


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「魂の法則」 ヴィセント・ギリェム著~自由意志の法則

2019-09-14 21:54:04 | 魂の法則

  https://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf (日本語訳全文)

「魂の法則」 ヴィセント・ギリェム著~自由意志の法則

P87~P92

(P87~P92)

*多くの説明の中で、自由意志を、尊重すべき重要なものとされていま すが。

 その通りだ。

*でも、厳密に言うと、自由意志とは何でしょうか。

 魂が、自分自身でしたいことを決められる能力だ。

*それでは自由意志を尊重するのが、なぜそんなに重要なのですか。

 それが基本となる「魂の法則」の一つで、魂の進化向上の支柱となる からだ。

*では、「自由意志の法則」とは何ですか。

 「魂の法則」の一つで、魂には自分自身で自己の運命を選ぶ自由があ る、とするものだ。

*なぜ、自由意志によって、魂が進化向上するのですか。

 なぜなら霊的な進歩は、本人自身の決断でそれを心に誓った時、つま り何の強制・強要もなく、魂の自由意志で進歩しようと決めた場合にの み、本物となるからだ。

*なぜ、そうなのですか。

 進歩が強いられたものなら、強制または強要していたものが失われる や、魂は元の状態に戻ってしまい、あてがわれた環境には順応できない からだ。

*「自由意志の法則」が「魂の法則」なら、なぜ地上ではこれが適用さ れていないのでしょうか。

 適用されているよ。「魂の法則」は、各魂の真髄に刻まれている。 魂には、常に幸福を求めるように駆り立てる力があって、幸福を追求 することによって進化する。魂は本質的に自由な存在なので、愛がなけ れば幸せになれないように、自由でいられなければ、霊的に完全に幸せ でないのだ。 神が魂に自由でいることを望まなければ、奴隷であっても幸せでいら れるような性質に創ったことだろう。しかし、実際は、全くその逆なの だ。すなわち、魂は、どのような形であろうと隷属していると不幸なの で、自由であるために創造された、と結論づけられる。宇宙のどこでも そうであるように、地球でも、魂は自由なのだ。

*しかし現実には、僕たちの惑星の大半の人は、自由に行動するどころ か、無理をしてやりたくもない事をしたり、そうするように強いられた りしています。

 全くその通りだ。君たちの世界ではそうなのだ。 大多数の住人がほとんど進化していないために、「自由意志の法則」 は、いつも守られることがない。それは、人がまだこの法則を知らない せいか、自由意志を尊重するには我欲の放棄が不可欠なので、故意にこ の法を尊重したくないかのどちらかだ。 霊的学習の狙いの一つに、他者の自由意志の尊重があるが、自分の自 由意志も尊重しなければならないのだ。

*「自由意志の法則」は、もっと進化した他の世界では、住人側から理 解され、尊重されているのでしょうか。

 その通りだ。これは、宇宙レベルの「魂の法則」なのだから。 そして、それらの世界では、他の「魂の法則」と共に、自由意志の尊 重が重視されるがゆえに、君たちのよりもずっと幸せなのだ。

*彼らにこちらに来て、幸せの秘訣を教えてもらえませんか。

 進化した魂は、「自由意志の法則」を理解し尊重し遵守しているがた めに、進歩が少ない魂が住まう世界と関わる時は、特に、この法則に違 反しないように非常に気を遣うのだ。 害を与えるつもりがなくても、関与し過ぎると、進歩の遅れた魂や文 明がより高度なものに依存してしまい、その惑星の進化を停滞させてし まう。 そのため、霊界や高次の世界から下級界に与えられる援助は、いつも とても精妙でなければならず、絶対に要請側の意に反してはならず、そ の自由意志を無理強いしてもならない。それぞれが、支援を受けて成長 したいという意志表示をする必要があるのだ。

*問題の焦点がはっきりしないのですが、分かり易く例を示して下さい ますか。

 いいだろう。高度な世界から地球に人がやって来て、皆がその人の能 力を認めて、地球の政府を明け渡し、全ての問題を解決してもらおうと 決めたと想定しよう。 その出身地では、魂の諸法が理解され、動物を尊重し、その殺傷を禁 じ、菜食主義であったとする。そのため、その人が、そのやり方を模倣 し、狩猟や闘牛、肉の消費などを禁止する動物保護法の奨励を決めたな ら、君たち地球人は、自ら進んでそれを放棄するだろうか?

*どうするか、分かりません。賛同する者も反対する者もいると思いま す。

 どんなに甘く見ても、現状では人類の80%以上が、その方策に反対す るだろう。そして新しい法律の導入を阻止しようと、地球上で、酷く暴 力的な抗議運動や反乱が起きるだろう。 ジレンマに陥った主導者は、どうすべきであろうか? 人民を満足させ るために、自分自身の信念を放棄すべきか、またはその反対に、大多数 が反対しても法律を押しつけるべきだろうか? 最初の選択をすれば、自分の意に反したことを行う必要があるので、 自分自身の自由意志に背くこととなる。二つ目を選べば、民衆の意に反 する法律を課すので、彼らの自由意志に背くことになる。

*それは、解決策のないジレンマですね。

 実は解決法はあって、現にそうなっている。つまり君たちの世界では、 進化した者が統治していない、ということだ。 君たちレベルの世界で、実際に進化した者が政治の要職に就いていな いとしたら、それは単に、君たちの大半が彼らに指導されたくないか、 それとも、その改革案を受け入れたくないからなのだ。そして彼らも、 強制しても無駄なことを知っているので、自分たちの意志を強要しよう としない。 君たちの惑星の歴史では、ある程度正直な者たちが権力の高職に就い て、より良い方向に舵取りをしようと試みたケースが数多くあった。そ れなのに、どうなってしまったろうか? 短い期間しか存続できなかった のだ。周囲の者が、彼らを排除してしまったのだ。 だから進化した魂は、助言を与え、強要せずに手本を示して説得する に留まり、それぞれの人が、納得したものを選ばなければならないとい う訳だ。

*地上に「自由意志の法則」を適用して、進化した世界のように、僕た ちがそれを守ることを決意したとしたら、どんないいことがありますか。

 隷属・強要・抑圧・懐柔・傷害のあらゆる形態がなくなるだろう。 進化した存在は、絶対に他者の生命の権利を侵すことがない。それゆ え、戦争や死刑、殺人や堕胎など、他人の命の権利を侵害する行為はな くなるだろう。子どもや大人への暴力や性的虐待もなくなるだろう。よ って幼児偏愛・強姦・売春や、他者の意志を捻じ曲げたり強要する性行 為 ―特にもっと弱く無防備な場合― の全ての形態が消滅するだろう。

 思考や感情の自由な表現を阻む全てのものが消えるだろう。よって、 検閲、操作、詐欺、弾圧や誘拐も存在しないだろう。 人種・宗教・文化・経済・政治やその他の違いから、他人への抑圧・ 攻撃・統制・暴力を正当化する利己的な宗教・哲学・学説は、どれも消 滅する。それゆえ、人種差別、全体主義、ファシズム、宗教的狂信、軍 国主義、帝国主義、資本主義なども、少数の者の利得がその他大勢の苦 悩の上に成り立つイデオロギーなので、なくなるだろう。 魂を強要して隷属させる形態は、それが物的であろうと精神的なもの であろうと、どれも失敗に終わるだろう。 なぜなら、魂の内面は、隷従させられるものに反抗し、遅かれ早かれ、 自由を求めて全力で戦うからだ。魂の「自由意志の法則」を尊重しない 教義・宗教・イデオロギー・政治及び経済体制の、どれもが不安定で短 命なのはこの理由による。一方、「魂の法則」に基づいたものは、安定 しており永続的だ。 家族の輪の内外を問わず、親が子をまたは子が親を、夫が妻をまたは 妻が夫を、上司が従業員を、強者が弱者を、奴隷化したりや肉体的・精 神的に虐待することは、全てなくなるだろう。 他の生き物に苦痛を与えたり殺したりする趣味や気晴らしは、どれも なくなる。特に高等哺乳類など進化が近い存在に対する、闘牛、狩猟、 釣りや、発展国での畜産など、それをしなければ人間の生存が脅かされ てしまうと反論できないような行為はなくなるだろう。

*でも、法則に従うには、それを知るのが大事ですよね。どうすれば興 味のない人たちに、何らかの形で強要せずに、教えることができるので すか。登校を拒否する反抗的な子どもに、学校に行くよう強制するのと 同じようにする必要はないでしょうか。

 「自由意志の法則」を守るのは、魂が自由に決断することを尊重する ためだ、と言ったばかりだろう。どんなに霊性の高い法則でも、それを 押しつけてしまえば、法則自体に違反することになるので、本質的にそ うできないのだ。 強要するのは、最善策ではない。くりかえすが、押しつけたり強制し て得られたものは、強制力がなくなると、失われるのだ。魂は本来の姿 に戻ってしまい、あてがわれた環境には順応できないのだ。

 輪廻転生をして前世の記憶を忘却するのは、まさしく、魂が自由意志 を経験し、何の規制も受けずに自分の力で進化するためのものだ。その こと、つまり前進するか否かや、進歩するための試練の種類を決めるの は、魂自身の自由であることは、前に充分話しただろう。 君が言った、子どもと学校の例に関しては、霊的に最も進化した教育 の潮流では― それは君たちの世界にも届いているが ―学習を退屈なもの ではなく魅力的にして、強制せずに子ども自身の能力を刺激する方法を 模索している。義務ではなく熱意、それが、子どもが学ぶ一番いい方法 だ。

*それなら、どれが、「魂の法則」を教える正しい方法でしょうか。 

 唯一の方法は、手本を示して説得することで、それが地球に転生した 高次の存在が行ったことだ。 私は、「愛の法則」や「自由意志の法則」、その他の「魂の法則」を 教えるために地上に転生した、イエスや仏陀やクリシュナ、ゾロアスタ ー、アントリオンや、他の神格者など高次の者のことを言っているのだ。 彼らは、法則を個人的に適用した自分自身の生き方で、魂の諸法と協 調した生活の手本を示した。しかし、それを真似するように人を強要す ることは決してなかった。

*イエスの信奉者だとされる人たちには、「自由意志の法則」は、きち んと伝わらなかったようですね。暴力や強制や恐怖を通して、自分の信 仰を、他者に力づくで押しつけたのですから。宗教裁判や十字軍を行っ た、カトリック教会を指しているのですが。

 それは、信奉者たちが、授かったメッセージのレベルに達していなか ったのだ。しかしそれは、イエスやその他の神格者のせいではなく、総 体的に進化が乏しい君たちの世界の我欲のせいで、それが特定の人たち に元は真実であった教えを独占させ、他人を支配し操るために、教え自 体を歪めてしまったのだ。 押しつけたり強要する宗教や信仰は、魂を進化させることなどできな いし、真実だとも、神や高次の霊性と調和しているのだとも考えられな い。「自由意志の法則」を破る者は誰であれ、神の仲介者であろうと、 神の意向に沿う者とも見なすことができないので、時間が経てば、成す 術もなく地上から消えるであろう。しかし、それはかなり大事な話にな るので、別の機会に特別に扱おう。

*でも、高次の存在が関与してくれたにも関わらず、この世界で、物事 が大きく改善されたようには見えないのですが。

幾らかは改善されたよ。過去の時代には、人間が食用に、家畜のよう に飼育されたこともあったが、今の君たちには、嫌悪すべきことに思え るだろう。今日地上では、事実上、人肉食は淘汰された。 合法的な奴隷制度が存在し、全世界で奴隷の売買が行われていた時か らまだ二百年も経っていない。現在では別の形の隷属化が存在するとは 言え、少なくとも合法的な奴隷制は全ての国々で追及され罰せられたの で、法の陰に潜んでいる。 世界ではまだ複数の地域で、宗教上の理由から迫害されることもある が、激しさも残虐性も緩和され、宗教改革以前の欧州では想像もできな かった信仰の自由の権利を保障する法規が、多くの国に存在する。 懲罰の方法としての死刑は、多くの国で廃止された。 国連のような国際組織で、人権宣言憲章が草稿され承認されたことは、 それが実際に遵守されている訳ではないが、蹂躙できない基本的権利に 同意できる進化した魂が、君たちの惑星にも存在するのを示す明確な例 だ。 その中では、自由意志の行使を保障する権利がはっきりと具体的に記 載され、人類の自由意志を侵害するものを阻止する行動を確約するよう、 諸国に要請している。 それゆえこの憲章は、「自由意志の法則」が上手く応用されたもの、 と見なすことができる。十戒の中でも、「殺すなかれ」「盗むなかれ」 のように、自由意志に言及した戒律が幾つかある。 しなくてはならない事がまだまだ沢山あるとは言え、過去の時代の状 況と比較すれば、進歩しているのだ。

(P87~P92)


 

(作者あとがきをご覧ください)

 

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♬著者ヴィセント・ギリェム氏は、広めることを希望していますので、抜粋して投稿しています。氏および翻訳者のご厚意に感謝いたします。

 




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「魂の法則」ヴィセント・ギリェム著~(進化した文明とは)

2019-09-14 13:40:14 | 魂の法則

 https://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf (日本語訳全文)

 「魂の法則」ヴィセント・ギリェム著~ (進化した文明とは)

(p80~P85)

(p80~p85)

*地球が経験するかもしれない進化の大飛躍についてお話し下さったの で、その素晴らしい未来のことをもっと詳しく知りたいです。でも、現 在の地球と人類の悲惨な状況からみると、それは随分先のことのようで、 正直言えば夢物語に思えます。

 実現しそうにないその未来こそ、何十億もの惑星では現実なのだ。確 かに地球と人類の現状は嘆かわしいものだが、二三百年の間に物凄い展 開があり得るのだ。例を挙げようか? 人類の科学技術レベルを、西暦1800年当時と2000年とで比較してご らん。本当に驚くべき進歩を遂げた。しかし、君が二百年前に遡って当 時の人びとにそのことを話したとしても、誰も君を信じようとはしない だろう。だから、人間が、知的・物的発展に注ぎ込んだのと同じ意志力 と熱意を、霊的進展に応用したとしたらどうなるかを、想像して見たま え。 地球は今、霊的覚醒の時代を生きている。覚醒したいと願う魂が全員 目覚めて実行に移せば、物事は急速に変わるだろう。

*そうでしたら、僕たちが手本や模範にできるか、「愛の法則」に沿っ た進化した文明ではどのように暮らしているのかお話し下さい。

 喜んで。ちょうど、君たちより一段または二段上の進化レベルの文明 について話そう。それ以上進んだ文明での暮らしを話したとしても、君 たちには理解し難いだろうからだ。いずれにしても、完全に同一の文明 はないのだと思っていなさい。 だが、進化した文明全てに共通する事柄はあり、それは精神面に関係 するので、そのことについて説明しよう。中でも最も重要なのは、それ らの文明が個人及び集団の霊性進化の工程を自覚していることで、全力 を向けて、個々の住人や人類全体の霊的進歩に務めているのだ。そのた め、全ての規則や法律、政治や資源管理の形態などは、「愛の法則」や その他の魂の法則に感化されたものだ。 結果的に、憎しみも、個人や集団のエゴも、いかなる暴力も存在せず、 誰にも虐待されることがない。ゆえに、戦争やテロや犯罪行為は一切存 在せず、皆が兄弟だと認め合っているので、殺人・売春・誘拐・独裁 制・軍制・奴隷制もないのだ。

*まるでユートピアです。それで、どのようにしてそれを成し遂げたの ですか。

  自分本位の考えは破壊や苦悩しかもたらさず、真に幸せになる唯一の 方法は愛すことだ、との結論に達することができたからだ。そして、彼 らは、愛を育てることと心の中のエゴを徐々に除去することに全エネル ギーを注ぎ、その世界を調和のとれた暮らし易い我が家へと変化させた のだ。 しかし、そこに到達するまでにバラ色の道をたどれた訳でなく、困難 な進化のプロセスを経てきたのだ。彼らも自分たちの利己的な行為の結 果を味わわねばならず、君たちのような苦難をなめなければならなかっ た。 利己的で愛が欠如している道を通ってはどこにもたどり着けないとい うことにどれだけ早く気づけるかが、どういう世界になるかの違いだ。

*彼らの政府と政治・経済の構造についてお話下さいますか。

 通常、どの惑星にも惑星全体の政府がある。地域ごとに歴史的独自性 を保持し、中央政府に組み入れられている自治体はあるものの、独立し た政府を持った国家や民族という区分は存在しないのだ。 中央政府は、公共の福祉を達成するために惑星の住人の必要性に応じ て、生産手段の管理と運営をする。要するに、多くの人を犠牲にして一 部だけを優遇する利己心がないので、民間企業は存在しない。したがい、 企業利益を維持するために広告を通して、製品を消費するように過度に 煽る必要性もない。 特定の消費財を購入できるように、労働時間に見合う労力の価値を測 量する方法はあるが、それ自体に独立した価値があるお金そのものは存 在していないので、銀行や証券などの投機的金融事業を通して利潤を追 求する経済活動は排除された。それゆえ、インフレーションも通貨の切 下げ・高騰もなく、利子という概念も存在しないのでその増減もなく、 経済は非常に安定している。 ある製品の代価が変化するとしたら、それは生産に必要な資源の保管 量だけが原因だ。しかし、事前に準備を整える能力が優れているので、 特定の原料や枯渇燃料の依存からは脱却している。環境をとても大事に するので、汚染しない再生可能エネルギーを徐々に適用した。それらは 僅かな残留物しか残さないが、それもほとんど 100%再利用される。 社会面では、食糧・住居・教育・仕事といった最低限の権利は、単に 生きているだけで誰にでもその権利がある。したがって、飢えも「ホー ムレス」も、ローン・貧困・失業・未就学も存在しない。住民たちの物 的生活レベルはかなり快適で、惑星全域のどんな場所でも住人でも似通 っている。これらの惑星の住人には我欲がないので、富や物的財産を蓄 積したいという気持ちがないのだ。

*働くとしたらですが、人びとは何に従事するのですか。

 大多数の人は公益のために、教育や科学・テクノロジーの研究に従事 し、全地域の全住人の生活レベルを可能な限り改善させ、個人と集団の 霊性進化を促進させようとしている。 第一産業と第二産業、つまり農業と工業で一番負担となる労働は完全 に自動化されており、専門家の仕事は生産過程を監督することとなる。 一日の労働時間は君たちの惑星よりもずっと短いが、不快な仕事に就く 者も才能が活かされていない者もいないので、ずっと生産的だ。また、 自分の仕事で公共の福祉に貢献するのが皆の喜びなので、他人に食べさ せてもらうような怠け者は一人もいない。 さらに、社会形態自体が製品を宣伝する必要がないので、地球に存在 する売買に関わる販売業や広告業などの特定の職業は存在しない。必要 とされるものだけが生産され、もっと多くまたは少なく消費しろとプレ ッシャーをかけられることもなく、各人が相応分を取る。 結果として流行は存在しないので、消費の傾向が気ままに変わること はなく、住人の健康や内的・外的な健全性が向上するより良い製品がで きた時だけに変わることになる。余計な活動を取り除けば、個人として も物質的・破壊的で利己主義な活動に従う必要がなくなるので、世の中 は、テクノロジーにおいても霊性においても急速に進歩できるのだ。

*説明を聞く限りでは、地球上の複数の国での共産主義または社会主義 の経済システムに似ているようです。

 幾つかの点においては確かにそうだ。

*でもこのシステムは、地球では完全な失敗に終わったのです。

 社会主義を導入した地上の国々では、暴力でそれを強行し、精神的な 概念がなく物質面だけに基づいていたことを考慮すべきだ。その一見し た集団性にも関わらず、実際には、不平等を生み出す基となる各人の我 欲が、自己のイデオロギーを他者に押しつける優勢な階層を出現させて いたのだ。 社会主義が本物となり機能するためは、物質面だけでなく精神面でも そうする必要があり、各自が納得して採り入れなければならない。君た ちの世界で起こったように、力づくでの強制によってではいけないのだ。

つまり、各人の心から我欲を根絶して愛に置き換えなければならず、そ うして初めて、内面の変化の論理的な結果として、集団レベルでの物的 な変化が自然に現れるのだ。地上の利己的・物質的で無神論な社会主義 に対して、これらの世界では「精神的社会主義」と呼べる生き方をして いる。

*それで、政府のシステムはどのようになっていますか。民主制や共和 制や王制などなのでしょうか。

 これらの名称ではどれも適切に定義をすることができない。これは、 最も進化した者たちの政府なのだ。叡智と愛において一番能力のある者 に、最も責任を与えるのだ。 *地上に、それと似たような政府がありますか。 一番似ているのは、長老会議を行うアメリカンインディアンの部族の ものだ。

*統治者はどのように選ばれるのですか。

 それは各惑星で異なる。通常は、様々な分野の代表者からなる色々な 審議会があって、その中での理事の投票によって調整役を決める。この 調整役は交代制であったり、任期が長期に及ぶなど、惑星により様々だ。

*どうやってこれらの閣議の一員となるのですか。

 幼児期に示した能力によって、特定の人に、指導業務に焦点を当てた 教育を施す。そして、その能力が開発されていくに従って、段々と責任 が大きい職に就き、幹部の役目の要請に応じるのだ。

*政府が階級組織化しているようで、余り民主的な制度には見えません。 人民が選出するのではなく、上層の人たちが自分たちの後継者を選んで いるように思えます。

 これらの世界の人びとは、政府が最も賢く愛情深い人びとの手中にあ ると知っているので、この政府の形態に合意している。 統治者には、君たちの世界のように、支配したり抑圧したり権力を濫 用する意思などなく、全くその反対なのだ。彼らは、同胞の進化を助け るチャンスだと思い、自分の能力の最大限を発揮するのだ。統治者は、 富や特権を積むために権力にしがみつく気は毛頭ないが、思いもしない だけではなく、そのような役職に就いても、他の住人と比べて何の特別 な恩典もないのだ。しかも、市民全体に影響を与えるような決定は、国 民投票でなされる。

*少数の選ばれた者だけが統治できる寡頭政治に思えますが。

確かに、それらの世界では、誰もが統治業務に参加できる訳ではない。 だが、地球では権力エリート階層は、最も裕福で経済的な支配力を持つ 家族で構成され、一般的に霊性が低く極端に自我が強く、権力と富に野 心を燃やしているが、これらの世界では正反対なのだ。指導権はまさに、 最も我欲が少なく、最も愛のレベルが高く、一番謙虚で智慧のある者た ちに与えられるのだ。

*それでも、同じ人たちが余りにも長い期間統治をする、階級制度化し た政府組織に見えます。

 君がそう見るのも無理はない。地球では、権力の座に一定期間いた者 は、最初はそうでなくても腐敗してしまい、自己の利益や特定の支配グ ループのためだけに権力を行使するので、君たちはその他の者が損害を 被るのを見慣れてしまっているのだ。だが、あちらの世界ではそうでは ない。

*まだはっきり分かりませんが。

 それでは、理解できるように君自身の世界での例を挙げてみよう。 君たちの世界ではある人が医者になるには、何年間もの専門教育が要 求され、最低限の経験を積んだ後に専門家であることを証明したり、大 変厳しい倫理上の規範を守る約束をしなくてはならない。こんなにも準 備をした後で、四年毎にポストから外されるとするなら、それは大変な 無駄となる。君が盲腸を患って手術を受けなければならないと想像した まえ。今話したような人が外科医であって欲しいと望むかい、それとも 外科教育を受けていない人の中から執刀医が選ばれる方が好ましいの か? 君たちの世界は後者の例のように、良心の呵責のない人が誰でも統治 任務に参入できるようになってしまっているのだ。だが、進んだ世界で は、君たちが医者に要求するのと同じように、経験があり特定の愛のレ ベルに達していることを実際に証明してみせるよう、統治者に要求する のだ。

*それでは、民主主義が進んだ政治形態だとは思われないのですか。

 私の説明の仕方が悪かったのかもしれない。 特定の人に強制されることなく、人びとに政府を選ぶ力があるという 点は、霊的にはやや進歩している。実際、先ほど説明した内閣は、それ らの世界の市民に自由に選出されたもので、新たに導入される重要な変 革には必ず会議と住民の賛同が必要だ。

 しかし往々にして、代表者を選ぶために定期的に選挙をするというこ とが、自由で民主的であることにはならない。もしかすると、裏で権力 を操る者たちにとって都合のいい者の中から、候補者がある程度事前に 選出されているかもしれないし、他を虐げて特定の政党をひいきする宣 伝がなされているかもしれない。スターリンとヒトラーが候補者である 選挙ならどう思うかね?

*白紙で棄権した方がいいでしょうね。

 ともあれ、地球の政治家層に蔓延する腐敗レベルを見る限り、同じ人 を長い間権力に就かせておくのは好ましくないので、君たちの世界では 今のところ、定期的な選出制度が一番進んだ政治形態だろう。

*待ってください。裏で権力を操る者たちについて何か言われていまし たが、それはどういう意味ですか。

 時には政治の要職にある者が本当の統治者ではなく、取り替えのきく 操り人形に過ぎない、ということに気づくべきだ。定期的に選挙をした り野党が存在すると見かけ上は民主主義に思えるが、それは、人びとを 無知蒙昧に放置したまま搾取し続ける目的しかない、エリート層の独裁 の隠れみのに過ぎないのだ。

*教育はどんなですか。

 精神・頭脳・身体を総括して能力の最大限まで育成し、才能に応じて 各人を指導する。これらの世界では、五感以外の知覚能力が大変発達し ているので、そのお陰で教師も生徒をずっと良く理解し、個々の力量や 才能や関心事を知ることができる。学業教育以外では、透視力・テレパ シー・念動力など君たちが容認しないような個人の可能性を開発し、そ れによって生徒は高次の霊性との繋がりを発展させようとする。

*それで、どんな信仰を持っているのですか。

 宗教自体は存在しない。宗教を、特定のドグマを信じ特定の規範を強 要する、司祭や教義で構成された組織で、何らかの形でそこに入会しな くてはならないもの、と理解するとしたらだが。 先にも言った通り、彼らは、霊的な真相、各人の起源と目的地、宇宙 を司る諸法則を明確に自覚しているのであり、それが惑星で実施される 教育・経済・政治などの活動に反映される。

(P80~P85)



(作者あとがきをご覧ください)

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♬著者ヴィセント・ギリェム氏は、広めることを希望していますので、抜粋して投稿しています。氏および翻訳者のご厚意に感謝いたします。




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「魂の法則」ヴィセント・ギリェム著~他世界での生

2019-09-14 13:03:48 | 魂の法則

 https://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf (日本語訳全文)

 「魂の法則」ヴィセント・ギリェム著~他世界での生

 P74~P79

 

 

(p74~p79)

 他世界での生

*最初に、万物の生命を包括する計画のことや、各惑星に対応するアス トラル球体のことなどをお話し下さいました。...しかも、あなたの 回答の多くに、「進化した世界で」起こることについての付け足しがあ ります。まだ取り上げられてはいないのですが、以上のことから、他の 惑星には知的生命体がいるのだと推察するのですが。

もちろんだ。宇宙は広大だ。宇宙全体には、絶えず進化し続ける無数 の魂がいて、完全性を目指して進むために物質界で転生する必要がある。

*どうして、地球外の文明や人類が存在するという確固たる証拠がない のですか。

進化レベルが君たち以下、または同等の文明では、他の世界に旅した り交信したりする科学技術の手段を、まだ持ち得ていない。 また、より進化した人類は、君たちの惑星を訪れて交流する能力があ ったとしても、君たちの進化に干渉しないように心がけていて、もっと 精妙な方法で関与している。 それでも、よその世界の存在からコンタクトがあった証拠は、大変古 い時代から数多く存在し、多くの文明の聖典に記載されている。当前だ が宇宙人という呼び方ではなく、神々とか神の使者としてね。現在でも、 今の君たちの科学技術の成果を大幅に凌駕する移動能力を持つ宇宙船の 目撃例は無数にある。また、君たちへの支配権を失う恐れからどの政府 も隠そうとしているが、よその世界の存在とコンタクトしたという人び との証言も無数に存在する。

*あなたが、より進化した人類と言う時は、テクノロジーの面でもっと 進化しているという意味ですか。

霊性面で、もっと進化している人類という意味だ。もちろんテクノロ ジーの面でも君たちよりもずっと進化しているが。

*技術面では進化しているのに、霊性が僕たち以上に進歩していない人 類とか文明もあり得ますか。

そうだ、実際に存在する。だが「愛の法則」に従っていなければ、科 学技術を内紛や近隣の文明に対して悪用して、結局は自己破滅してしま うのだ。 愛と自由意志の尊重を基盤に築かれた文明だけが、破壊活動には時間 も資源も労力も浪費することなく、建設に専念するので、永続するのだ。このように結局は、霊的に進化した文明の方が、科学技術面でもさらに 進歩しているのだ。

*「愛の法則」に従わずに自己破滅してしまった文明に住んでいた魂は、 どうなってしまうのですか。

すでに言ったように魂は不死だから、もちろん、霊的次元で生き続け る。文明が破壊され遺物となった跡に転生して、進化を続けるのだ。 その惑星が完全に破壊されてしまった場合は、転生が可能となる自分 の星に似た別の惑星のアストラル次元に移転させられるのだが、これは 君たちの世界で、都市が洪水で壊滅した場合に危険の少ない地域に生存 者を収容するのと同じことだ。 通常、最も進化が遅れている者は、生存環境がずっと苛酷なさらに後 進の惑星に移動させられ、一度は手にしていたのに維持できなかったも ののありがたみに気づくように学ばされるのだ。

*それでは、他の惑星出身の魂が地球に転生したり、逆に、地球のもの が別の惑星に転生することもありますか。

それはあり得るし、破壊された惑星のような極端なケースだけではな い。自己の進化レベル以上の惑星には転生できないという制限つきだが、 ある惑星から別の惑星への定期的な魂の移行は起こる。 移行できる星は、自分の出身惑星と同等か下のレベルでなければなら ないのだが、自分のレベルよりも後進的な惑星の場合には、同時に、波 動対応の問題が生じる。つまり、進化した魂が下位の惑星に転生する時 には、その星特有の肉体に顕現できるように、自分のアストラル体の振 動パターンを再調整しなければならない。魂の振動レベルが惑星のもの よりもずっと高い場合には、この調整は実質的に不可能となる。 君たちに分かり易く例えれば、普段着ているものよりも二サイズも小 さい服を着ようとするようなものなのだ。だから、地球に転生できる進 化した魂のレベルは、君たちよりほんの一段高いかだけに過ぎないし、 特別の場合でも二段階上が限度だ。

*破壊されなかった惑星出身の魂は、どんな目的で別の惑星に転生する のですか。

一般的には霊的進化を促進するためだ。進化した魂は、自分より進化 の遅い惑星に転生して、その惑星生まれの魂の霊的成長を促進すること ができる。 ある魂がその惑星の魂の平均よりも速く進化してしまい、自己のリズ ムで進化し続けるには、そこが物足りなくなることもある。そうすると、小学校の最終学年を終えると中等教育を受けるために学校を変わるのと 同じように、自分のレベルに合うもっと進化した次元に転生する。 また、特別な時期には特定の惑星で、自分の能力を試して進化の工程 を速められるような恵まれた環境が整えられる。ある惑星に、集団的な 飛躍を遂げようとする魂が大勢いる場合には、その新たな段階に生まれ てきた魂の要請に応じるために、惑星自体が再編される必要がある。あ る惑星がこのような状況におかれている時には、同等な進化レベルにあ る他の惑星の沢山の魂が魅力を感じ、それを体験して自分の霊的成長に 役立てようと、その星への転生を希望する。

*他の惑星の魂たちにとって、そんなに魅力的な環境とはどういうもの ですか。

実は、君たちの惑星は、レベル変化をする可能性に近づいているのだ。 第三レベルの惑星から第四レベルに移行するかもしれない。 もしも充分な数の魂が、魂の目的や魂が不死であることや、皆が兄弟 であることを自覚し、愛を学びこの世の諸悪の根源である我欲を放棄し て、霊的に進化するために転生するのだと気づけるなら、この飛躍を実 現させられるかもしれない。 そのような存在は、物事を行う上での新しい方法を地球にもたらし、 愛に基づいたやり方で、社会・経済・政治などの全ての面で世の中を変 えようと力を尽くすことだろう。...しかし同時に、世界を操る権力 者のように我欲を捨てたがらない者が大勢いるので、進化した魂による 改革の試みを全力を挙げて阻止しようとするだろう。彼らは、同胞を搾 取して得た権力や物的財産を放棄するのが嫌なので、何の変化も望んで いないのだ。 各々の魂は、愛のために戦うのか、それともエゴのために戦うのかを 決断すべきで、選んだもののために精力的に活動すべきだ。 これは、愛の党派を選んだ魂の成長にとっては、特別なチャンス、素 晴らしい環境となる。なぜなら、まだ我欲に執着していてあらゆる手段 を講じて目標を達成させまいとする者の無理解・中傷・暴力など、無数 の障害と対峙しなくてはならないからだ。そして、これらのあらゆる種 類の攻撃や屈辱や非難にも関わらず、愛を信じ続けられるならば、無条 件に愛せるようになるという、魂の最大の目標に一歩近づけるのだ。

*ええ、その事なら知っています。映画では善人が勝つこともあるので しょうが、現実では平和主義の善人は虐殺されてしまって、最後にはいつも悪人が勝つのです。歴史を見ればそんな話で一杯です。初期のキリ スト教徒とか、カタロス派とか...

確かにこの戦いが永遠に延長されれば、利己的な集団は変革の全ての 試みを永久的にボイコットするかもしれないので、愛情深い集団に霊的 な停滞と、無益で不毛な苦悩をもたらすであろう。 しかし、このように熾烈な戦いは無期限には続かない。最終的には二 つのグループの分離が必要となろう。 分離するということは、二つのうちのどちらかのグループが、自己の 進化レベルの条件に見合った別の惑星に生まれ変わるために、立ち去ら なくてはならないということを意味する。君たち人類は今、このような 過程を経験していて、最終的には話しているような魂の選別が行われる だろう。

*聖書の黙示録の最後の審判を思い出しますが、何か関係があるのです か。

聖書に記されている最後の審判とは、起こり得る地球の未来のヴィジ ョンとしてこのプロセスを垣間見た作者が、自分の能力の範囲で書き表 わしたもので、個人的な解釈の一つと言える。 一周期のおしまいは、もちろん世界の終末ではなく、一つの段階の終 わりに過ぎない。 また、今のところは我欲を放棄しないと決断していても、それが最終 決定となる訳でもない。人はいつでも好きな時に意見を変更できるし、 今その機会を活用しなくても、後でそうすることも可能だ。よって、 「善人を右に、悪人を左に分ける」選択するのは神ではなく、自分自身 の決断なのだ。霊界は、皆に同じだけの機会を与えているので、何をし たいのか、どんな世界に生きたいのかを決めるのは、自由意志を持った 自分自身なのだ。 意志の力と努力がどちらに向いているかで、得られるものが決まる。 愛の中で暮らしたい者は、愛に基づく世界に生きる。我欲の中で暮らし たい者は、そのように生きることが自分を不幸にすると気づいて変更を 決意するまでは、エゴに基づく世界で生きるだろう。

*それで、どれが去るグループでどれが残るグループなのですか。

場合による。二つの選択肢がある。 進化できた魂の数が、惑星を愛の方へ向かわせるのに充分でなければ、 惑星全体での進化の飛躍は遂げられない。惑星は現在の振動レベルを保ったったまま、飛躍を遂げなかった魂を留めるので、もっと高い進化レベル の惑星に移されて転生するのは、飛躍を遂げた者となろう。その場合、 地球は相変わらず第三レベルの惑星であり続け、エゴからの脱却を望ま なかった魂によって占住され続けるので、再び何千年もの間、克服でき なかった試練と同じ類のものに向き合うことになるのだ。 一方、我欲の放棄を願った愛情深い魂は、各自が到達できた進化レベ ルに応じて上位の惑星に転生する。彼らはそこで、自己の内面と調和す る他の存在と出会え、誰にも邪魔されずに自分の愛を表現できるので幸 せになれ、さらに高次な目標に挑戦できるのだ。 前のケースと反対に、進化できた魂の数が、人類が「魂の法則」に従 って前進し統治できるようになるために充分であるなら、惑星自体が進 化の躍進を遂げるだろう。その場合は、進化の跳躍を遂げた者が地球に 残ることになり、進化できなかった者が同等の進化レベルの別の惑星に 移転させられて、そこで生まれ変わるのだ。 これが、イエスが山上で行った説教の中での「柔和な人たちは、幸い である。彼らは地を受け継ぐであろう」の意味である。この一文は、輪 廻転生や、進化の法則や「霊的裁きの法則」の知識がなければ理解でき ないであろう。柔和な人びとが地を所有できるとは、どういうことであ ろうか? 我々は、圧制者・権力者・暴君が、常に土地に対する権力と支配を誇 示し、「柔和」な平和主義者は虐殺されたくなければ紛争から逃れねば ならないのを見飽きてきたので、理解し難いだろう。 それは他ならず、イエスが、進化レベルに応じた選別の過程に言及し ているからで、将来は地球に愛と平和において進歩した(柔和な)魂を 連れて行く、という意味なのだ。一方、「愛の法則」に従わない者は自 己進化レベルに見合った惑星で転生するように、移転つまり「追放」さ れるのだ。

*ここに留まれない魂は、どのように他の世界に移転するのですか。

ゆっくりとした段階を踏むだろう。地球の波動レベルと調和できない 魂は、死後は地上で転生するのを止め、自分と同じ進化レベルの他の惑 星に生まれ変わるようになる。地球がレベルを上げた場合には、波動レ ベルの上昇自体が、その域に達しなかった魂がこの世に生まれ出ること を不可能にするので、彼らは自己振動レベルに相当する別の世界に生ま れなければならない。ある時期からは、同じ波動パターンの子どもだけ が生まれることになるだろう。

*それでは、別の惑星に移動するには、死を待たねばならないのですか。

通常はそうなるが、常にそういう訳ではない。惑星レベルでの大災害 の場合には、その惑星から別の星へと大規模に人びとを移動させるに足 るテクノロジーを持った地球外文明の関与によって、肉体をまとった魂 の移動が可能になる。それは、地球の特定の地域で天災が起こった際に、 被災地の生存者を治療したり避難させるために、人道支援の任務を開始 するのと似たやり方だ。

*進化の飛躍ができなければ、惑星が霊的に停滞することになるのでし ょうか。

全くそういうことはない。何千年か経てば、進化の飛躍をする別の似 たようなチャンスが巡ってくるだろう。その時には、現在の自分勝手な 魂の大半も愛に目覚めるに足る充分な経験を積んでいて、前回にはした いとも思わなかった進化の飛躍が可能となるのだ。 地球には過去にも、このような集団的な進歩のチャンスが幾つかあっ た。人間が充分な進化を遂げた一番最後の時には、それが君たちの星で は少数派だったために、別のより進化した惑星に移住させられ、地球は 進化を成し遂げられなかった存在の住み家となったのだ。同じような状 況をたどっていた他の惑星は、その時の地質学的な変動を利用して、惑 星間の大移動を行った。地球は、それぞれの惑星で進化の跳躍ができな かった人類グループの避難所のようになったのだ。

*それは、地球上の多くの種族が僕たちの惑星出身ではなく、他の世界 からやって来たという意味なのですか。

そういうことだ。またこの事から、君たちが全員兄弟であることを認 識することもできる。宇宙の多くの場所での生命の発達形態は、地球の ものと大変似通っていて、様々な惑星由来の種族間の違いも最小なので、 お互いに交流し合って兄弟として共存することが可能なのだ。

*そう認めるのは難しいですが。

人類の歴史に関する君たちが知り得ない過去の事象が沢山あるので、 そう思うのが普通だ。過去に犯した不正を人民に知らせず、過ちから学 ばせまいとする様々な時代の支配者によって、歴史的な記録は、数え切 れないほど抹消されてきたからだ。無知な民ほど扱い易いのだ。「歴史 を忘れた民は同じ過ちをくりかえす」と、格言にもある。 だが良く観察すると多くの文化に、地球外の星々からやって来た人種 がその民族や種族の起源だとする、世代から世代へと語り継がれてきた 先祖由来の伝承が存在している。

(p74~p79)

 

(作者あとがきをご覧ください)

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♪青春の影 (720P)

2019-09-13 22:19:27 | 魂の法則

青春の影 (720P)


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「魂の法則」 ヴィセント・ギリェム著~霊界との交信・低級霊

2019-09-13 15:09:27 | 魂の法則

https://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf (日本語訳全文)

 「魂の法則」ヴィセント・ギリェム著~霊界との交信・低級霊 

P63~P66

 

(P63~P66)

*それなら低級霊も、僕たちに影響できるのですか。

そう、低級霊もだ。肉体を持った者は全て、霊媒であろうとなかろう と、霊魂からの影響や助言を受けるが、それには低級霊も含まれている。 だが高級霊の場合と同様に、彼らを甘んじて受けない限り関与されるこ とはない。 低波長の存在は、自分が波動を下げた時にだけ同調してくる。魂の弱 点や欠点のスキをつかれて、つけ込まれるのだ。有害な感情や「愛の法 則」に反する行為などが、つけ込まれるきっかけとなる。

*でも低次の霊は、いつも嫌がらせをするために、たとえば霊媒などに 近づくのですか。

そうとは限らない。辛い環境から抜け出すための助けを求めて、近づ くこともある。彼らは、何かの理由で物質生に強く執着を残してしまっ た魂で、霊界から直接援助が提供されていることに気づけないのだ。 苦しむ彼らにとっては、霊媒は霧の中の灯台のようで、霊界の目的地 に向かって彼らを前進させるために必要な援助を与える仲介役となる。

*霊媒力はこの世では余り評判はよくありません。

そうだね。君たちの進化レベルの世界ではよくあることだ。

*どうしてですか。

色々な理由がある。 一つには、隠れた私欲を満たすために低級霊を引き付けて霊界との交 信を利用しようとした者や、金儲けのためにいかさまをした者などが、 悪い手また、地上の権力者にとっては霊媒力が発達してしまうと不都合だっ たので、あらゆる手段で弾圧し、蔑んだのだ。霊界から直接与えられる 知識によって人類が覚醒してしまい、霊的な真相や人生の真の目的を自 覚して進化を阻む鎖から解放されようとしたら、権力者は、私益のため に人類を騙し操り搾取し続けてきた全ての影響力を失う羽目になるから だ。

*でも誰もが霊界との独自の繋がりを持っているのだとしたら、他者と の媒体となる特別な繋がりを持つ人がいるのはなぜでしょう。

全ての人間の霊界とのチャンネルが開いていたとしたら、他者のため の媒体になろうとして、魂が転生する意味も余りないだろう。 だがこの世の多くの者は、意志力が足りないためか、疑念や怖れのせ いか、自分の繋がりを作動させるのが非常に難しく、必要とする援助を 受けられないでいるのだ。そこで霊界は、肉体に宿った魂に進化上必要 なメッセージを伝えるという明確な使命を担って生まれて来た特定の魂 を、代弁者として利用する。 はっきりさせておきたいのは、霊界と人間世界との交信は、常に存在 し続けるということだ。どのようにどんな形でそれが行われるのかには 関わらず、転生した魂は、霊的な援助を受けて進歩する必要があるのだ。

*でも霊界には、助けてくれようとする善意ある霊魂だけでなく、進歩 させまいと画策する低級霊もいて、彼らも僕らと交信できるのですよね。 相手がどちら側の者で、どういう意図があるのかは、どうやって見分 けるのですか。

メッセージの質を吟味することが、相手の能力を把握する一番いい方 法だ。 心に届き愛を育むために役立つ善いメッセージなら、善良な霊からの ものに疑いはない。 メッセージによって我欲の感情が引き起こされるのなら、相手がイエスや聖母や聖テレサなど、どんなに偉大な名を語ったとしても、それは 善い意図など持たない詐欺師だと考えて間違いない。 イエスが言ったように「実を見て木を知るのだ。健全な木に腐った実 はならないし、腐った木もいい実をならせることはできない」のだ。

*どの霊と交信するかは何で決まるのですか。

霊との交信は、インターネット上の人と通信することに良く似ている が、それはどちらの場合も、話し相手を見ることができないからだ。両 方とも遠くの場所の人たちと連絡を取れるが、その人たちを知らないの で、善意の人もいるだろうし、我々を騙そうとする悪意ある人もいるだ ろう。 我々の興味の対象により、連絡する人のタイプが変わる。特定のテー マに関心があれば、その話題のチャットや掲示板を求めて、同じ趣味の 人たちと交信するだろう。 たとえば、他者を支援する非営利団体に加入したいと思っている人は、 そのテーマのサイトや掲示板を探すだろう。これは、善意のない者が興 味を持つ話題ではないので、このような掲示板で悪意のある者に出くわ すことは余りない。 だが、た易く金持ちになれると触れ込んだり、写真で恋人選びをする ようなところであれば、何もいいものは得られないと確信すべきだ。 それと同じように、霊媒であろうとなかろうと、各人の思考や行為の 近似性によって、どういうレベルの霊魂の影響を招くのかが決まるのだ。 つまり、賭け事やくじにはまっている人は、死後も依存性が抜けない 賭博狂の霊の影響を引き付け、これらの霊が自分たちの期待を満たすた めに当事者の悪癖を増長するのだ。 その反対に他者を助けたいと思う人は、善意ある霊魂の影響を受けて、 目的を果たすように支援してもらえるのだ。 したがって、高次で善意ある霊魂と通信するには、自他の魂の改善に その交信を役立てたい、という誠実な思いを持つことが一番確実なのだ。 気高い気持ちや思考になると、チャネラーとその周りには高い波動が生 じるので、善意を持たない低波長の霊は近寄れなくなるのだ。

*でも、霊媒であろうとなかろうと、有害な霊の影響を被ってしまって、 更生したいと思っても、彼らのせいで正しい方向に戻れなくなることは ないでしょうか。

そんなことはない。どの道を選ぶかは自分次第だ。 確かに、いじめる対象を失いたくないがために影響を及ぼし続けよう とする、昔の悪い仲間と手を切るのは難しいだろうが、各人の「自由意 志の法則」は侵害できないので、彼らは、本人の意志以上の影響を及ぼ すことができない。 しかも話した通り、我々全員には、魂を指導し守護してくれる、高度 に進化した個人的なガイド霊がついているのだ。宗教では「守護神」と 呼ばれる者だ。

この存在は、多くの低級霊を束ねたよりも強い力を持ち、正しい道へ と我々を導くために、常に我々の傍にいる。その気になれば、絶えず邪 魔しようとしている低級霊たちなど、簡単に追い払ってしまえるのだ。 だが多くの場合、人はこの援助を欲しがらず、本人の自由意志が尊重 されているので、「守護神」は自分の生徒がつき合いたい仲間と一緒に いることを容認し、生徒が再び意見を聞きたくなる時まで待機するのだ。 また、それほど高次ではなくとも、手助けしようと見守ってくれる別 の存在もいる。彼らは、愛する仲間や亡くなった家族や友人、または知 らない人の場合もあるが、必要な者を助けようとする善意の霊たちなの だ。 しかし、くりかえすが、本人が彼らの声や援助を受け付けないのであ れば、時が熟すのを待つしかないのだ。

*どうしたらこのようなネガティブな霊の影響を振り払えますか。

君たちの態度でだ。「愛の法則」に従って感じ、考え、行動しながら 生きるようになればなるほど、高次の霊の影響を引き付けるようになる ので、低級霊に嫌がらせをされる機会を与えなくなるのだ。

(P63~P66)

♬著者ヴィセント・ギリェム氏は、広めることを希望していますので、抜粋して投稿しています。氏および翻訳者のご厚意に感謝いたします。


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「魂の法則」 ヴィセント・ギリェム著~霊界との交信

2019-09-12 12:02:51 | 魂の法則

https://www.uv.es/vguillem/Tamashii_no_Housoku.pdf (日本語訳)

「魂の法則」ヴィセント・ギリェム著~霊界との交信 P58より


(P58~p59)

*では、霊界から助けてもらうにはどうしたらいいのでしょう。

とても簡単な事だ。ただそう頼めばいい。心からの願いをテレパシー で霊界に送って、何が起こるかを待てばいい。ただ単純に、自分の状況 や必要なことを話して、助けを頼むのだ。 指導霊たちは、これらのメッセージを受け取って対処するためにいる のだ。心から誠実に、霊的進歩を達成したいという思いで頼むのであれ ば、返答が得られるだろうかと疑う必要はない。 これが本当の祈りなのだ。神やイエスや聖母を崇め祭るお祈りを何回 となくくりかえすのが祈りではないし、それは君たちとっても霊界にと っても全く意味をなさない。

*ガイド役の魂たちとはどう交信するのですか。僕は、言葉でもヴィジ ョンでも他のいかなる方法でも、ただの一度も聖霊と交信した覚えがな いのですが、霊界からの援助とはどういうものでしょうか。

君は、私と交信を始めるまでは、と言いたいのだろう。今では私も肉 体を持っていないからね。だがこれは通常の交信方法とは違うので、君 の言いたいことは理解できるよ。 受け取る支援が明確でないとしたら、それは君たちの自由意志に干渉 しないように、非常に精妙な方法で与えられるからだ。それに、魂が本 当に必要としていて、受け入れ態勢がある時にだけ、手助けされる。 ガイド役の魂は、良心のささやきを介して、頭の中で君たちに話しか ける。他の魂たちも頭の中で話しかけ、悩み事の種類に応じて助言する。 よって、各人の良心の声の中には、ガイド霊や霊的な兄弟などの霊界か らの声も一部に含まれていることになる。だが、無数の転生で培った叡 智を宿した自分自身の魂の声も含まれているのだ。 いずれにせよ、この心の声は、問題を解決するための助言や援助とな って、人生が辛かろうが幸せであろうがいかなる状況であろうと、そこ から君たちが霊的進化のための最大の恩恵を引き出し、我欲を取り除く 工程や無償の愛についての学習に役立つようにしてくれる。援助を受けるには、それが可能だと確信し、答えを見出す必要のある質問をして、 良心のささやきがもたらす返答に耳を貸さなければならない。

これは、瞑想と関係しますか。

瞑想も有効だ。霊的観点から言えば、瞑想は、日常の問題から頭を解 放して内面の声が聞けるような冷静な状態に達することだ。それは、自 分の欠点を見つめ改善し、気持ちを大切にし始めるのに役立つ。 瞑想は、自分自身を知るために自己分析をすることでもあり、いつ我 欲のままに行動し、いつ心に従って行動したかを認識できる。それが分 かるのであれば、どんな瞑想法を用いるかは、重要ではない。見栄えが 良かろうが悪かろうが、構わない。 人は往々にして、本質的なものではなく、表面的なものにこだわるが、 何をするかではなく、どういう意図でするのかが問題となるのだ。 こんなことを言うのは、深い呼吸をしながら頭を空にして、何時間も 蓮の姿勢のまま座って我慢していられる、大変器用で柔軟な人たちは沢 山いるのだが、瞑想状態から離れるやいなや霊的な悪癖に戻ってしまい、 特定の技法を行っているだけで自分をスピリチュアルだと思い込んでい るからだ。それは瞑想ではなく、そのふりをしているだけなのだ。

*でも、どうやって良心の声を聞くのですか。僕には大変難しいことに 思えます。一体どのように、良心の意思と頭の中の他の一般的な思考と を見分けるのですか。全く簡単には思えませんが。

良心の声を明瞭に聞くには、しばらくの間頭の中のおしゃべりを止め させ、その間日常的な心配事から頭を解き放とうとしなければならない。 一日に独りになれる静かな時間を設け、自分の欠点やその日の行動を内 省してみる。そして、心から願えば、必要な答えを見出す助けや、試練 にしっかりと立ち向かえる力が与えられる。 良心の声は、我々をおだてるものではなく、ひいきもせず嘘もつかず、 我々のエゴを不快にするようなことも言う。 霊的に交信できるチャンネルが開いている人もいるが、それは、この 受信方法を信頼して能力を改善しようとしたからだ。そういう人は、自 分で熟考して得た答えと指導霊たちから貰った答えとを見分けることが でき、彼らと意識的に対話ができる。

(P58~P59)

♬著者ヴィセント・ギリェム氏は、広めることを希望していますので、抜粋して投稿しています。氏および翻訳者のご厚意に感謝いたします。

 Risultati immagini per ヴィセント・ギリェム                

 著者、ヴィセント・ギリェム は、スペイン、バレンシア大学 で化学博士号を取得し、現在 は、がん遺伝子の特定に関する 研究をしている。個人的に自由 になる時間を使って、無償でレ イキ治療や全国講演を行うな ど、無私無欲に活動している。                

                作者のあとがき

見返りを求めない無条件の愛の趣旨通り、本書が、全ての人に無私の 志で届いてくれることを切に願う。 そのため、内容を変更せず営利を目的にしないという条件で、本書を 自由に頒布し、現在利用可能な全てのメディアによって、全体あるいは 一部を随意に複製することをこの場で許可し、その活動を後押しするも のとする。 皆の協力によって、輪が広がっていければと思う。霊性や愛のテーマ に関して質問がある場合には、それが個人的なものでも一般的なもので も、遠慮なく聞いてもらえれば嬉しいし、可能な限り返事をしたいと思 う。

また、できるだけ多くの人びとにメッセージが行き渡るように、本書 を他の言語に訳してくれる、私心のない人たちにも協力をお願いしたい。 本の話を直接聞きたい人の数がある程度まとまって、君の町や村に僕 らに行って欲しいと思う場合には、遠慮なくそう教えて欲しい。君の町 や村が、他の国や別の大陸にあっても構わない。僕らのできる範囲で、 要請に答えたいと思う。 講演会をしても、依頼者側の費用負担は全くない。完全に無私無益の 活動なので、旅費や宿泊費も僕らが持つ。誰でも興味のある人が、自由 に無料で参加できることが条件だ。

連絡先: ヴィセント ギリェム・プリモ Vicent Guillem Primo ウェブページ: http://lasleyesespirituales.blogspot.com (日本語サイト: http://tamashiinohousoku.blogspot.com.es )

このサイトでは、電子書籍の形態で無料で本をダウンロードしたり、 印刷版を要請したり、講演会の日程を調べることが可能だ。 君に、愛の全てをこめて。また会うときまで。 本書は、全世界の人びとに贈る愛のメッセージだ。 メッセージがどのようにしてもたらされたのか、また誰から伝えられたの かということは、重要ではない。問われるのはその内容だろう。 これをどう扱うかは、各人の自由だ。無視しても、批判しても、検証して も、あるいは君自身の人生に適用してもらっても構わないが、君の心に届く ように、真心をこめて書いたつもりだ。 君が自分自身を知り、感情を目覚めさせてエゴを解き放つと共に、人生の 目的を知り、自分に起きたことや今後起こる出来事を理解するために、役立 てて欲しい。希望を持ち続け、他の人びとへの理解を深め、いつかは皆を愛 せるように。また、自分が生きる世界を理解し、最も悲惨な状況からも最大 の恩恵を引き出し、愛において成長できるように。 つまり、君が本来の自分になれて、自由で、自覚しながら真実の愛・無条 件の愛を体験でき、そしてそれによって、さらに幸せになってくれることを 願う。 全ての愛をこめて。


「魂の法則」 by Vicent Guillem is licensed under aCreative Commons Reconocimiento-NoComercial-SinObraDerivada 3.0 Unported License. Creado a partir de la obra enhttp://lasleyesespirituales.blogspot.com.es/.


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