1996年に私は、バスツアーで韓国の板門店(パンムンジョン)
に行きました。
まだ、テレビではあまり拉致被害者のことが騒がれる少し前です。
その時の話です。
バスは女性ばかりの日本人のツアーでした。
無論北朝鮮側には、そのことは、すでに告げられて
いると説明がありました。
板門店の展望台に登って、両国の会談する建物を見降ろして、
その向こうの丘にある北朝鮮の建物がすぐそこに見えました。
すると、その建物の横にバスがやってきました。
北のものとは信じがたい程の真新しいバスです。
最新型のものだと、私たちの目にもわかりました。
「すごい新しいバスね」「あんなものがあるのね」
などと話していると、
そのバスから、女性が沢山降りてきました。
そして、にぎやかに弾んだ笑い声まで、聞こえてきたのです。
しかも、着ているものも、まるで想像していたものとは違って、
彼女たちの服装は、日本の街で見かけるのと同じ
スタイルでした。
「???」「・・・・」
その時、誰か言いました。
「日本語よ。」
展望台にいた、私たちは全員耳をそちらに集中させました。
あろうことか、日本語で楽しそうにまるでピクニックにでも
出かけたように、建物の中に入っていくのです。
しかも、誰ひとりとして、南を見る人はいません。
たったこれだけでしたが、
私たちは帰路のバスの中で心なしか、口数が減りました。
北朝鮮の芝居だったのは言うまでもありません。
きっとそれを計算して、「あっ!!」っと言わせたかったが
為の芝居だったに違いないのです。
不自然な、可笑しな可笑しな北朝鮮を肌で感じた日でした。
北朝鮮の世代交代があり、体制が変わること、拉致被害者が
一刻も早く帰国出来ますように、祈っています。
に行きました。
まだ、テレビではあまり拉致被害者のことが騒がれる少し前です。
その時の話です。
バスは女性ばかりの日本人のツアーでした。
無論北朝鮮側には、そのことは、すでに告げられて
いると説明がありました。
板門店の展望台に登って、両国の会談する建物を見降ろして、
その向こうの丘にある北朝鮮の建物がすぐそこに見えました。
すると、その建物の横にバスがやってきました。
北のものとは信じがたい程の真新しいバスです。
最新型のものだと、私たちの目にもわかりました。
「すごい新しいバスね」「あんなものがあるのね」
などと話していると、
そのバスから、女性が沢山降りてきました。
そして、にぎやかに弾んだ笑い声まで、聞こえてきたのです。
しかも、着ているものも、まるで想像していたものとは違って、
彼女たちの服装は、日本の街で見かけるのと同じ
スタイルでした。
「???」「・・・・」
その時、誰か言いました。
「日本語よ。」
展望台にいた、私たちは全員耳をそちらに集中させました。
あろうことか、日本語で楽しそうにまるでピクニックにでも
出かけたように、建物の中に入っていくのです。
しかも、誰ひとりとして、南を見る人はいません。
たったこれだけでしたが、
私たちは帰路のバスの中で心なしか、口数が減りました。
北朝鮮の芝居だったのは言うまでもありません。
きっとそれを計算して、「あっ!!」っと言わせたかったが
為の芝居だったに違いないのです。
不自然な、可笑しな可笑しな北朝鮮を肌で感じた日でした。
北朝鮮の世代交代があり、体制が変わること、拉致被害者が
一刻も早く帰国出来ますように、祈っています。