ただ今NHK総合テレビで、トランプ大統領とバイデン偽大統領とのディベートライブ放送中です。
金曜 10時27分
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金曜 10時27分
Unchained Melody [日本語訳・英詞付き] Bobby Hatfield / The Righteous Brothers
投稿者: Seawitch [メールを送信]
日付: 木曜日、2024年6月27日 01:34:47
www.rumormill.news/242514
♫非編集バージョンより、私は抜粋して転載しました。非編集バージョンは転載元のサイトでご覧ください。
ジュディ注: ドナルド・トランプを逮捕し、選挙に出馬できないようにするための巧妙な罠が仕掛けられていたようだ。この罠は、6月27日木曜日の夕方、トランプが大統領選討論会の最後にステージから降りた後に作動するように仕掛けられていた。
この罠の詳細は、先週の月曜日6月24日、アイリーン・キャノン連邦判事が、トランプ氏が機密文書事件について話すことに関して口止め命令を発令するための議論を聞いたときに明らかになり始めた。キャノン判事が口止め命令を発令し、トランプが木曜日の討論会で機密文書事件に関する質問に対して自己弁護しようとすれば、その口止め命令に違反し、逮捕されることになる。
しかし、ドナルド・トランプの逮捕計画は長くは続かなかった。来週の月曜日、2024年7月1日にトランプは米国の正当な大統領に復帰すると予想されていた。その月曜日にクラレンス・トーマス判事が数か月、あるいは数年前に最高裁に持ち込まれた2件の訴訟に関する最高裁の判決を発表すると噂されていた。
シドニー・パウエルが提出したケースには、2020年の透かし入り投票用紙の軍投票集計から得られた議論の余地のない証拠が含まれていました。公式集計では、トランプ氏が50州のうち46州で80%の差で勝利したことが示されたと言われています。2020年11月8日(日):量子ブロックチェーンシステムによる投票の再集計でトランプ氏の勝利が検証される | 政治 | Before It's News(beforeitsnews.com)
2つ目は、2020年の選挙を認定する前に、議会が50件の公式な不正投票疑惑を調査しなかったとされるブランソン事件に関するものだった。議会が調査を怠ったことは明白な事実であったため、最高裁の判決は間違いなく肯定的な判決となるはずだった。
どちらか、または両方の訴訟に関する最高裁の判決が発表されれば、バイデン政権と全議会は自動的に解散され、米国は軍法の下に置かれ、新たな選挙が実施されるまでトランプ政権が復活することになる。
不思議なことに、5年という長い年月を経て、トランプの復職が予測される直前に、ジュリアン・アサンジは突然刑務所から釈放された(所持している証拠を破棄するという条件付き)。彼はもともと、オバマ、バイデン、クリントン、ペロシがホワイトハウスから運営する小児性愛者の児童性的人身売買組織に関する情報を暴露した後に逮捕された。2021年4月26日(月):オバマ、バイデン、クリントン、ペロシのホワイトハウス小児性愛組織がウィキリークスによって暴露される | 政治 | Before It's News(beforeitsnews.com)
もう一つの驚きの逮捕:イスラエルのネタニヤフ首相が最近イスラエル警察に逮捕され、イスラエル領土への偽旗攻撃を扇動したとして戦争犯罪者として起訴された。
さらなる驚きの逮捕が計画されていた。207カ国を金や資産に裏付けされた通貨にリセットする世界通貨リセットは、カバールの国際的な麻薬、銃密輸、児童性的人身売買、臓器やアドレノクロム採取組織を自動的に閉鎖する効果があると言われていた。それは、イルミナティの「汚れたお金」が、すでに私たちの上空に浮かぶ500以上のスターリンク衛星上の銀行から独立して機能している新しい世界金融システムでは受け入れられないからだった。
· 「世界は今後数週間で変化し、震えるでしょう!今日は言います。恐れることはありません。すべての資産は整っています。真実は光です。闇を打ち負かします。バイデンは弾劾されました。トランプQが支配しています。私は生きています。彼女は生きています。彼は生きています。私たちは静かな戦争の中にいます。それは地球全体をめぐる最後の戦いです。時間がかかります。辛抱してください」。…テレグラムの17番目の手紙(JFKジュニア)2024年6月26日水曜日:
https://t.me/The_17_Letter_Q
https://en.wikisource.org/wiki/Potsdam_Declaration より
(1)我々、アメリカ合衆国大統領、中華民国政府主席及び英国首相は、数億の我が国民を代表して協議し、日本国にこの戦争を終結させる機会を与えることに同意する。
(2)アメリカ、イギリス帝国、中国の膨大な陸海空軍は、西側諸国の陸軍と航空艦隊によって何度も増強され、日本に最後の打撃を与える態勢を整えている。この軍事力は、日本が抵抗をやめるまで日本との戦争を遂行するというすべての連合国の決意によって支えられ、鼓舞されている。
(3)世界の目覚めた自由人民の力に対するドイツの無益で無分別な抵抗の結果は、日本国民に対する恐ろしいほど明白な例である。現在日本に集中している力は、抵抗するナチスに適用されたときにドイツ国民全体の土地、産業、生活様式を必然的に破壊した力よりも計り知れないほど大きい。我々の決意に支えられた我々の軍事力の完全な適用は、日本軍の不可避かつ完全な壊滅と、同様に必然的に日本本土の完全な荒廃を意味する であろう。
(4)日本は、愚かな計算で日本帝国を滅亡の瀬戸際に追い込んだ、わがままな軍国主義顧問団に今後も支配されるのか、それとも理性の道を歩むのか、決断すべき時が来た。
(5)以下は我々の条件である。我々はこれらから逸脱しない。代替案はない。我々は遅延を許さない。
(6)日本国民を欺き、世界征服に乗り出すよう誤導した者たちの権威と影響力は永久に排除されなければならない。なぜなら、無責任な軍国主義が世界から駆逐されない限り、平和、安全、正義の新しい秩序は不可能であると我々は主張するからである。
(7)そのような新しい秩序が確立され、日本の戦争遂行力が破壊されたという説得力のある証拠が得られるまで、連合国によって指定される日本領土内の地点は、我々がここに提示する基本目的の達成を確実にするために占領されるものとする。
(8)カイロ宣言の条項は履行され、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及び我々が決定するその他の小島嶼に限定される。
(9)日本軍は、完全に武装解除された後、平和で生産的な生活を送る機会を得て、各自の家庭に帰還することを許されるものとする。
(10)我々は、日本人を民族として奴隷化したり、国家として滅ぼそうとは考えていないが、我々の捕虜に残虐な行為を行った者を含め、すべての戦争犯罪者に対しては、厳正な処罰が下されるものとする。日本政府は、日本国民の間に民主主義的傾向を復活させ、強化するためのあらゆる障害を取り除くものとする。言論、宗教、思想の自由、および基本的人権の尊重を確立するものとする。
(11)日本は、自国の経済を支え、正当な現物賠償の請求を可能にする産業を維持することが認められるが、戦争のために再軍備を可能にする産業は認められない。この目的のため、原材料へのアクセスは認められるが、原材料の管理は認められない。日本が世界貿易関係に参加することは最終的に認められる。
(12)連合国の占領軍は、これらの目的が達成され、日本国民の自由に表明された意思に従って平和志向で責任ある政府が樹立され次第、日本から撤退するものとする。
(13)我々は日本政府に対し、ただちに日本軍の無条件降伏を宣言し、その行動に対する誠意を適切かつ十分に保証するよう求める。日本にとって、それ以外の選択肢は、迅速かつ完全な破壊である。
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ポツダム宣言または日本降伏条件を定める宣言(ポツダム協定と混同しないでください)は、1945 年 7 月 26 日にハリー S. トルーマン、ウィンストン チャーチル、蒋介石によって発表された声明であり、ポツダム会談で合意された日本の降伏条件を概説しています。この協定では、日本が降伏しない場合、「日本は即時かつ完全な破滅に直面する」と規定されています。
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この作品は、地方政府または外国政府の勅令であるため、米国ではパブリック ドメインです。Compendium II: Copyright Office Practices の § 313.6(C)(2)を参照してください。このような文書には、「立法制定、司法判断、行政裁定、公布条例、または同様の種類の公式の法的資料」のほか、「公務員が職務の遂行中に作成した翻訳」が含まれます。
これらには、米州機構、国際連合、または国連の専門機関の著作物は含まれませ ん。Compendium III § 313.6(C)(2) および 17 USC 104(b)(5) を参照してください。
♫また日本語版のウィキにはこのように書かれています。日本語でも全く分かりませんね。これが支配者一族の意図です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80
戦後79年も経つのに、これらを読むと未だに日本は変化していないこと、或いはこのころそのままの状態にあると言えます。
6月27日 木曜
ただ今の時間は、16時19分です。
強い宇宙からのエネルギーが注がれており、床にバイブレーションが響くほどです。
作業は夕餉のしたくもそろそろしないと、と思うのですが、作業は休んでしばらく横になります。
ただ今の時間は、11時36分です。
地球からのC♯のエネルギーが注がれています。下からビンビンと音とバイブレーションが伝わっています。
ただ今の時間は 5時01分です
おはようございます。今朝は早く目覚めましたが、すでに宇宙からの強いエネルギーが注がれて、部屋いっぱいになっています。
https://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=793
以下はこちらのサイトへ
https://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=793
♫ここに載っている写真で、横顔の写真を見ると違う人だとわかります。
ご成婚時の美智子さまではなくなっていたのです。第一子出産後に、第二子出産は残念な結果となって、長期療養後に
秋篠宮誕生となると、やせた美智子妃の登場となり、ファッション的に見た目もよくなっていました。
それは宮中に住んでいるので、それなりに成長した証ともとれますが、横顔の鼻やあごの形、耳などは別人だと
わかります。美智子妃は沢山の影武者が用意されているらしく、その時々で交代していたのかもしれません。
英国のエリザベス女王は双子で、妹はリリベッドといい、隠されてきましたが、リリベッドは温和な顔立ちをしていました。
ですから、それなりにわかるものでした。
世界はここまで、芝居をしているという典型だと思います。何のために?国民コントロールの為です。
其の2:元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌: ハザール=ユダヤ人とロシア人の関係について。
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/884.html
投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2006 年 4 月 30 日 00:11:49
第5章:スターリンとジューコフ元帥の反乱
ユダヤから離れて暗殺されたスターリン
スターリンはその頃からユダヤ人のやり方に反発するようになった。スターリンの妻はカガノビッチの妹であり、その前のスターリンの2番目の妻も同じくユダヤ人だった。それにもかかわらず、スターリンはユダヤ人に対抗していった。戦争の勝利で自らのイメージが上がったこともあり、ユダヤの横暴なやり方に我慢できなくなって、反ユダヤの態度をとりはじめたのであった。1949年から亡くなる1953年までの間、スターリンは実際にそうした行動をとり続けていった。
スターリンの身辺には常にベリヤがいた。ベリヤは国家保安省のリーダーであり、スターリンと同じくグルジア人だったが、ユダヤとのハーフであった。ベリヤは終始スターリンの見張りを怠らず、スターリンの行動をすべてカガノビッチに報告していた。そのため、スターリンはベリヤに隠れて密かに反ユダヤの陰謀を画策していった。◆
1952年、「医者事件」が起こった。「医者事件」とは、1948年、ユダヤ人の医者たちが多くのロシア人の新生児、それも男児を毒殺した事件である。そのときに殺された男児の数はかなりの数に上った。とくに大都会のレニングラード、モスクワ、キエフなどで多くの男児が殺された。
なぜユダヤ人たちはこのような暴挙をやるのか、このまま多くの男児が殺されるならば、いったいどのようなことになるのか──。
スターリンは1952年、この事件に関係した医者をすべて逮捕し、ユダヤ人自身がつくった収容所に送って、その半数を殺したのであった。◆
スターリンは更に大きな反ユダヤのプランをもっていた。シベリアの極東地方にビロビジャンというユダヤ人の自治州があったが、彼は大都会からすべてのユダヤ人を集めて、シベリアのビロビジャンに送ろうとしたのである。が、それが実行に移される前に、彼はベリヤによって暗殺された。1953年3月のことであった。
スターリンは自然死であるという説があるが、実際はそうではなかった。ユダヤ人による暗殺であった。ベリヤによってスターリンは殺されたのである。スターリンの息子ワシーリーは空軍の将校だったが、彼はこの事実をよく知っていた。彼は隣人にこの経緯をすべて話している。しかしワシーリーもまもなく暗殺されてしまった。
ソ連の全権を握ったカガノビッチ
ユダヤ人は強大な力をもっている。彼らは世界的な規模で力をもっており、ユダヤ民族が不利な状態になったときには一致して攻撃に出ることができる。スターリンは強力な独裁者といわれたが、その実は彼らに操られたロボットであり、自ら独裁者ぶりを発揮したとたんにユダヤによって暗殺されたのである。◆
スターリンが亡くなって後、ベリヤはカガノビッチの真の右腕になった。カガノビッチはハザールの王であり、、この2人はスターリンが暗殺されてから130日間、実質的にロシアを支配していた。この間、彼らは何をやろうとしていたのだろうか。それは、ソ連の分裂への策謀であった。ベリヤが逮捕されて後に、こうした計画のあったことが発覚している。
今から40年前の1953年、カガノビッチは当時のソ連の全権を掌握した。このとき、ロシアは本当のユダヤ国家になってしまったのである。
ロシアのユダヤ人とアメリカのユダヤ人たちはこうした事態を大いに喜んだ。なぜならば、ロシアのユダヤ人もアメリカのユダヤ人も、いずれもアシュケナジー・ユダヤ人という同胞であり、すっきりと手を組むことができるからだった。
ユダヤ人たちはソ連とアメリカという2つのユダヤ国家が力を合わせれば、全世界を支配できると考えた。当時の誰がこのような陰謀を阻止できただろうか。
その当時、国家保安省のエージェントはあらゆるところにいた。そして、密告が制度として国民の義務となっていた。当時のロシア人は、こうしたユダヤのネットワークには、何らの抵抗するすべをもたなかった。
ユダヤ権力を壊滅させたジューコフ元帥
しかし奇跡が起こった。第二次世界大戦におけるファシズムとの戦争で勝利をもたらしたジューコフ元帥が、1953年にユダヤとの戦いでも勝利を収めたのである。
1953年7月27日、モスクワ郊外でジューコフ元帥は陸上演習を行なっていた。この演習の途中で、ジューコフ元帥は突然、自ら戦車部隊二個師団を率いてモスクワ市内に入り、国家保安省本部に向かって進撃を始めたのである。国家保安省はこの動きをまったく感知していなかった。そのため、ジューコフはあっという間に国家保安省本部の占拠に成功することができたのであった。
ジューコフ元帥はまずベリヤを逮捕した。そしてその次にカガノビッチらを逮捕した。これはまったく異例の事態であった。ロシア人の民族性からすると、こうした過激な反発行動に出ることはあり得ないことであった。しかしジューコフは、誰にも相談せずに、自らの判断で直ちに戦車部隊二個師団を動かし、モスクワに入って国家保安省本部を乗っ取ったのである。
そのときからロシアは新政府となり、ユダヤ人は国家保安省や軍隊の司令部を含めて、あらゆる組織から追放された。少なくとも1960年まで、ほとんどの政府機関からユダヤ人が一掃されたのである。
ようやく、ロシアをロシア人が指導するところとなった。一時的にではあったものの、明らかにロシア人の勝利であった。このとき1953年から、1985年にゴルバチョフが書記長となり、翌年にペレストロイカ(改革)が始まるまでの間、ロシア国内にハザール国家は存在することがなかったのである。ユダヤ人たちはそのままロシアに住んではいたが、もはやユダヤ人たちが国家内国家をつくるようなことはなかった。
ブレジネフの時代はロシア人にとって歴史上非常に安定した時代であったといえる。ユダヤ人たちはこの時代を「停滞」時代という。革命が起きていなかったので、彼らにとっては「停滞」と呼ぶにふさわしい時代なのである。
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第6章:ソ連崩壊の舞台裏 (ロシア人とユダヤ人の対立)
1991年8月のクーデターは「ユダヤ第二革命」だった
共産主義体制崩壊後のロシアの政治を、日本では、改革派(民主系)と保守派(旧共産党系)の対立を軸にしたものとしてとらえ、そこに中間派系、民族派系などの諸派が絡んだ政争の流れとして見ている。しかし、本当の問題は民族闘争なのである。ロシア人とユダヤ人の対決、それがロシアで起きていることの根本にあることである。◆
1991年8月、世界を揺るがしたソ連のクーデターはあっけない失敗に終わった。しかしその結果起きたことは、紛れもない革命だった。これはユダヤ人によるクーデターであり、「ユダヤ第二革命」と呼ぶべきものだった。過激派のユダヤ人たちは、穏健なゴルバチョフ政権を倒して自らが政権を握ろうとしたのである。クーデター失敗後、エリツィン・グループが政権を握ったが、エリツィン大統領を取り巻くロシア政府高官のほとんどがユダヤ人であった。
エリツィンはユダヤ人の妻を持つが、彼自身は純粋のロシア人である。しかし彼は頭が悪く、しかもアルコール中毒である。彼は使われているロボットにすぎない。彼の補佐官は80%がユダヤ人であり、彼の補佐官の中には20人のアメリカ人がいた。そのアメリカ人の中でも指導的な役割を果たしているのは、ジェフリー・サックスというハーバード大学の教授であり、もちろんユダヤ人である。
ロシア国内のユダヤ人たちは、8月クーデターでロシア政府内の実権を握ったことを幸いに、次に海外のユダヤ人と相呼応して、ロシア経済を支配下に置こうとした。そのため、欧米の、中でもアメリカのユダヤ資本が怒涛のようにロシアになだれ込むことになったのである。
エリツィンと取り巻きのユダヤ人たちは、8月クーデター以後、急進的な市場開放路線を議会で承認させると、ガイダル政権を発足させた。そして年末の連邦崩壊・CISの形成を経るや、一気に市場開放、価格自由化というショック療法を実行に移したのである。その結果ロシアでは、国際派ユダヤ人による猛烈な「ゴールド・ラッシュ」が起きた。1991年8月クーデター以後しばらくの間、ニューヨークからモスクワ行きの飛行機は、ほとんどユダヤ人たちに占められていた。
やがてロシア人の解放運動が巻き起こるだろう
8月クーデターで、彼らユダヤ人たちは再びロシアの権力を握ったと思っているだろう。しかし、70年余年前の10月革命のときとは、その事態には根本的な違いがあることに彼らは気付いていない。
ユダヤ人たちは1917年10月革命当時には大きな力をもっていた。しかし今日のロシアのユダヤ人たちには力がない。彼らは二度目の革命を起こしたが、今日のロシア人は75年前のロシア人とは異なっている。当時のロシアは農業国家であった。多くの農民たちは読み書きができなかった。しかし今は違う。共産主義時代に受けた教育レベルは非常に高いものである。ロシア人の年輩者もそして若い人たちも、ますますユダヤ問題がわかってきている。そして愛国心の高まりとともに、ユダヤ人に反発する行動をとるようになり始めているのである。◆
ユダヤ人はモスクワやサンクト・ペテルブルグ、キエフなどの大都会では力があるが、農民や労働者の中にはユダヤ人は一人もいない。これは喜ばしいことである。さらに、ユダヤ人たちの影響はまだ地方にまでは及んでいない。ロシアの地方には本当のロシアが残っている。
ロシア人たちの反発は、ロシア人によるユダヤからの解放運動として、すでに地方に広がりはじめている。ロシア人たちは必ず自分たちのロシア人のリーダーを選ぶだろう。
以前ゴルバチョフはペレストロイカは地方からの革命ではなく「上からの革命」であると言った。しかしこれは「革命」というよりは反ロシア的な陰謀であった。決して下からの解放運動、革命ではなかった。
私たちロシア人はすでに革命の歴史をもっている。最初の10月革命、これは明らかにユダヤ革命だった。そしてまた、2年前の1991年8月にあった革命も、ユダヤ革命であった。ロシア人たちはユダヤ革命はもう十分だと思っている。我らはもうこれに我慢できない。ロシアのユダヤ人たちは、ロシアにおいて悪質なことをやってきたし、今もやっている。しかし彼らはすでにやりすぎている。
今後、ロシア人とユダヤ人との闘いは、もっと激しくなっていくにちがいない。やがてロシア人の解放運動が巻き起こるだろう。私(イワノフ)は固く信じている。〈後略〉
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb500.html
http://www.gameou.com/~rendaico/marxismco/marxism_gissenriron_roshiakakumeiko_urashikan.htm
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【私のコメント】
ロシア革命もソ連崩壊もユダヤ人がロシアの政府を乗っ取るための革命であったというこの主張は陰謀論と笑い飛ばすには余りに説得力がありすぎる。スターリン後のソ連がユダヤ人からロシア人が権力を取り戻す過程であったのと同様に、プーチンのロシアもユダヤ人から権力を取り戻しつつあるという見方ができる。
ところで、1929年のウォール街発の世界恐慌は米国政府をユダヤ系金融資本が支配するFRBを介してユダヤ人が乗っ取る第一次ユダヤ革命という性格を持っていた。2001年のブッシュ政権成立と同時多発テロの自作自演はネオコンが米国政府を乗っ取る第二次ユダヤ革命とも言える。ロシアでの革命に十年余り遅れて米国で革命が起きるというユダヤ革命の歴史が繰り返されている。
(以上、阿修羅掲示板:カテゴリー ホロコースト2より転載しました)
元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌: ハザール=ユダヤ人とロシア人の関係について。
http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/884.html
投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2006 年 4 月 30 日 00:11:49
元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌
ハザール=ユダヤ人とロシア人の関係について。
──元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌──
1993年夏
旧ソ連時代、駐日ソ連大使館に勤務する外交官だったアレキサンドル・イワノフ氏は、1993年夏に日本を訪問しました。そして全国各地で講演を行ない、これまでのロシアでは何が起きていたのか、今のロシアで何が起きているのか、そもそもロシアのユダヤ問題とは何であるかについて、熱を込めて語りました。
イワノフ氏はモスクワ大学を卒業し東京大学大学院を修了した、日本事情にも詳しいロシア人外交専門家です。彼の講演には、私たち日本人がおよそ耳にすることのなかった驚くべき内容が数多く含まれていました。彼は私たち日本人に、知られざるハザール=ユダヤ人とロシア人の戦いの歴史を余すことなく語ってくれたのであります。
以下は、彼が行なった講演内容をまとめたものです
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第1章:ハザール王国 vs ロシア帝国
8~9世紀、ロシア人はハザール王国と戦った
6世紀後半、中央アジアのヴォルガ川流域に強力な民族が台頭しはじめた。のちにハザール(カザール)王国を形成するハザール民族である。「ハザール王国」は7世紀にハザール人によってカスピ海から黒海沿岸にかけて築かれた巨大国家である。9世紀初めにユダヤ教に改宗して、世界史上、類を見ないユダヤ人以外のユダヤ教国家となった。一方、当時はロシアもまだ帝国としては存在していなかったが、ロシア人はすでにキエフなどに定着していた。
6世紀から8世紀にかけて、ハザール民族はカスピ海の北方に進出すると、ロシア人とたびたび衝突するようになった。ハザール人はロシア人を支配下におき、奴隷にして、カスピ海の北にあるイティルというハザール人たちの首都に連れて行った。イティルでは当時、ロシア人の奴隷がいとも安価で売買されていたという。
8世紀になり、ビザンチン・キリスト教とイスラムの圧迫を受けたハザール民族は、王から奴隷にいたるまで国を挙げてユダヤ教に改宗し、ハザールはユダヤ国家になった。そして彼らは自らをユダヤ人と名乗るようになったのである。現在、世界のユダヤ人の大半を占めるアシュケナジー・ユダヤ人は、このハザール人の子孫である。
8世紀から9世紀にかけて、ロシア人とハザール王国は数回にわたって戦争をしたが、965年、ついにロシア人がハザール王国を占領した。そして、首都イティルをほとんど壊滅させてしまった。それ以来、ハザール国家は再びかつてのような強国となることはなかった。
13世紀に入ると、タタール(モンゴル)がハザール王国を完全に滅亡させた。ユダヤ教徒ハザール人、すなわちアシュケナジー・ユダヤ人たちはロシアが近かったので、その多くがロシア領内に逃げ込んだ。
ロシアのユダヤ教徒ハザール人たちは、すでに12世紀に、ロシア国家の中でロシアに対する陰謀を画策するようになっていた。そして1174年、彼らはロシアの最も有名な皇帝、アンドレイ・ボゴリュプスキー皇帝を暗殺したのである。当時のロシアは多くの国々の集合体だったので、それぞれの国の皇帝が集まり会議が行なわれた。その結果、彼らはロシアにいるユダヤ教徒ハザール人を弾圧することに決定した。そして、多数のユダヤ教徒ハザール人が殺されることになったのである。
ポーランドへ移ったハザール=ユダヤ人
ヨーロッパの歴史を振り返ると18世紀の末、1772年から3回にわたって、ポーランド分割が行なわれている。ポーランドは3つに分けられ、当時の強国であったロシア帝国はポーランド領の一部を自らの領土内に組み込んだ。ところがそのポーランドに、ハザール=ユダヤ人たちが「国家内国家」を形成していたのである。◆
大規模なユダヤ・コミュニティは、15世紀まではスペインの中にあった。もっとも、このスペインにいたユダヤ人は、そのほとんどすべてが聖書でいう本当のユダヤ人、すなわちスファラディ・ユダヤ人であった。1492年、スペイン政府がスファラディ・ユダヤ人を国外に追放したことによって、スペインの中のユダヤ国家は消滅した。スペインを追われたスファラディ・ユダヤ人たちは主に、北アフリカ、オランダ、イギリスなどへ渡って行った。
一方、ロシアから追放されたユダヤ教徒ハザール人たちは、そのほとんどがポーランドに移っていた。そのため、15世紀にはユダヤ教徒ハザール人たちの政府はポーランドの中に設けられていたといってもよい。
15世紀の終わりから16世紀にかけて、ポーランドのユダヤ人たちはポーランド人よりも強大な力をもつようになっていた。彼らは実際、ポーランドの国内に自分たちの政府、自分たちの国会、自分たちの教会などをつくっていた。
一般のポーランド人たちはもちろんのこと、ポーランド政府でさえも、そうしたユダヤ人たちの国家内国家に対しては、一切手をつけることができない状態にあった。
■■ポーランド分割でロシアへ入ったハザール=ユダヤ人
ロシアは18世紀の終わりに、こうしたユダヤ人の国家内国家が存在するポーランドの領土の一部を自国の領土としたのであった。領土を得たのはよかったが、領土とともにユダヤ人の政府をも取り込んでしまったのである。このときにロシアは、きわめて危険な毒を飲み込むことになってしまった。
こうして、18世紀からロシア国家の内部には、再びユダヤ問題が生じるようになったのである。◆
ロシアのユダヤ人問題は昔も今も、最も難しい民族問題である。それは、ロシアにとってのユダヤ問題が、10世紀以来のロシア対ハザールの確執を含んでいるからである。ロシアが抱え込んだユダヤ人は、スファラデイ・ユダヤ人ではなく、アシュケナジー・ユダヤ人であり、彼らはユダヤ人ではないにもかかわらずユダヤ人と称する人々である。つまり彼らがユダヤ教徒ハザール人であるところに、この民族問題の複雑さがある。
その当時、ロシアに入ったハザール=ユダヤ人は300万人ぐらいであった。そのほとんどがロシアの西側、すなわちウクライナ、西白ロシア、あるいは旧ポーランド領に住んでいた者たちである。
それでも、ユダヤ問題は18世紀には、まだそれほど大きな問題ではなかった。19世紀の終わり頃から、ロシアのユダヤ人たちは熱心に革命運動に参加するようになった。革命運動を指導していた政党、社会民主党や社会革命党などのリーダーおよび活動家たちは、ほとんどすべてがハザール=ユダヤ人であった。◆
古来からロシア人は戦闘的、革命的な要素をもたない民族であった。一方、ユダヤ教徒ハザール人にとってロシアは敵国であり、ロシア文化は敵国の文化であった。したがって、彼らはロシア国家に対しては常に戦闘的、革命的であった。
ユダヤ教徒ハザール人たちは、古い過去の歴史をすぐに引き合いに出す。現在の歴史と古い歴史を同じように並べたて、3500年前の「出エジプト」(エジプトで奴隷となっていた古代ユダヤ人がモーセに率いられてエジプトから脱出した)の事跡などを持ち出してくる。
ユダヤ人は過去の歴史の中に生きているといってもよいだろう。だからこそ、ユダヤ教徒ハザール人は、かつてロシア人がハザール王国を崩壊させたことをよく覚えている。そのためユダヤ人の中には、常にロシアに対する復讐の思いがある。ロシアで革命を起こし、国家を転覆させることは、ユダヤ教徒ハザール人にとって最も重要な課題であった。◆
当時のロシアの知識人の中には、すでにそうしたユダヤ教徒ハザール人の動きをキャッチしていた人々がいた。たとえばロシアの作家、ドストエフスキーの著作を読むと、彼は繰り返し「ユダヤ人は革命を起こすだろう、ユダヤ人はロシアの中に入った毒であり、悪魔だ」と強調している。ドストエフスキーは「必ずユダヤ革命が起きる」と断言していた。
しかしロシア政府は、そうした動きをまったく感知していなかった。そして、ほとんどのロシアの知識人たちは、ユダヤ人と戦わずにユダヤ人と一緒になって革命を準備したのだった。
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第2章:ロシア革命はユダヤ革命だった
日露戦争を画策したハザール=ユダヤの狙い
1905年、日露戦争が勃発した。日露戦争はユダヤ人の画策により、隣同士の2つの国が衝突することになった戦争である。当時、イギリスのユダヤ人が挑発的な行動に出て、日本もロシアも知らないうちに戦争に巻き込まれていった、というのが実際のところである。日本とロシアの歴史的な関係は、決してよい関係とはいえないかもしれない。が、そこにユダヤ人の画策があったことを考慮に入れなければならない。そう主張するロシア人は少なくない。たとえば、ロシアで出ている『日露戦争におけるユダヤの役割』という本なども、そうしたユダヤ人の動きを論じたものだ。
日露戦争当時、ユダヤ人たちは「ロシア政府の敗北」というスローガンを掲げて革命運動を展開した。このスローガンによって、ユダヤ人の革命家たちは、ロシア政府の敗北を望む日本やアメリカから革命資金を導入することを容易にもしたのである。日本の資金力はそれほど大きなものではなかったため、主にアメリカの資本が投入された。アメリカの大資本家であり、アシュケナジー・ユダヤ人であるヤコブ・シフが、ロシアのアシュケナジー・ユダヤ人の革命家たちに多額の援助を与えたことは知られている。
こうして第一次ロシア革命の嵐がロシア全土を襲ったが、1906年5月、ロシア政府はストルイピンを首相とする新政府を構成した。
このストルイピンという人物は、民族主義者・国家主義者であったため、強固な反ユダヤ的な政策をとって革命運動を鎮圧していった(そのためレーニンもジュネーブに亡命している)。ストルイピンは「強いロシアをつくろう」というスローガンを掲げて、今日のロシアの「改革」とはまったく異なる、ロシア人によるロシア人のための政治・経済改革を進めていった。
しかし残念なことに、1911年9月、ストルイピン首相は暗殺されてしまった。ストルイピンがキエフに行った際に、ニコライ2世とともに劇場でオペラを見ていたときのことである。彼の席の近くにボグロフというユダヤ人がいた。彼は反体制派、社会革命党の党員で政府の警察のエージェントでもあった。彼はストルイピンの席近くへやって来るや、ニコライ2世の面前で、ピストルを2発、ストルイピンめがけて撃ったのである。◆
ストルイピンが亡くなったことによって、ロシア人によるロシア人のための改革も終わってしまった。
その頃、ロシアの資本主義経済はかなり強くなっていた。すでに、世界の資本主義諸国の中でも、決して引けをとることのない資本主義国家になっていた。当時のロシアの経済成長率は11~15%で人々の生活水準も高かった。それは10月革命以前のことである。
ユダヤ人が担ったロシア10月革命
ストルイピンが暗殺されると、ユダヤ人たちはもう一つの革命の準備に入った。1917年11月6日の「10月革命」である。
この10月革命はユダヤ人による革命であった。これは疑いの余地がない。いうまでもなく、革命を指導した者のほとんどがユダヤ人だからである。10月革命の前に、トロツキーをリーダーとする70人のユダヤ人グループが、ニューヨークからやって来ていた。アメリカのユダヤ人資本家ヤコブ・シフは、このトロツキーのグループを支援していた。ユダヤ人金融業者ヤコブ・シフは、アメリカ・ユダヤ人の中心的存在だった。ロシアのユダヤ人革命家たちに多額の援助を与えた。
そのときロシアは、ドイツとの戦争の真っ最中であった。第一次世界大戦である。ドイツの方面からも、レーニンのグループがロシアに入った。このグループもまた、ほとんどがユダヤ人だった。10月革命は、アメリカとドイツの金によってユダヤ人が実行した革命であった。
それにしても、ロシア革命はなにゆえにひと握りのユダヤ人指導者の下に、容易に推し進めることができたのだろうか。ロシア人は黙って見ていただけなのだろうか。当時の革命政府には、ロシア人はほとんど参加していなかったのである。レーニン自身がその事実を述べている。
10月革命が起きてのち、ロシア人は新政権の成立にはほとんど関わることをしなかった。ロシア人としては、このような反民族的なシステムには入りたくなかったのである。
レーニンは、政府の官僚として誰を起用するかをじっくりと考える必要はなかった。当時は戦争中だったので、西側からユダヤ人が続々とロシアの中央に移って来た。ソ連の新政権にユダヤ人は約150人参加した。そして、政府のトップ・クラスの人々はすべてユダヤ人であった。政権内部のロシア人は2~5%ときわめて少なかったのである。
レーニンの祖母はユダヤ人だった。レーニン自身がユダヤ人とのハーフだったのである。ロシア10月革命後の新政権では、そのメンバーのうち99%をユダヤ人が占めていた。しかし、アメリカとドイツからロシアにやって来たユダヤ人たちは、革命家、あるいは共産主義者であり、ほとんどがユダヤ教を信仰していたわけではなかった。◆
その頃のユダヤ運動には2つの流れがあった。1つは共産主義である。共産主義者、革命家たちはユダヤ教を信奉しない。もう1つはシオニズムである。シオニズムとは、ユダヤ教徒が自分たちの宗教本部であるエルサレム(シオン)を中心として、自分たちこそ世界を支配しなければならないとする思想である。そのような人々をシオニストという。
10月革命後、ユダヤ人たちはこの2つの流れでともにロシアを支配していたのである。やがてそうしたユダヤ人の中に摩擦が生じるようになった。
1920~1930年代、アメリカやドイツからやって来た共産主義者のユダヤ人たちと、ロシアにいた150万人のユダヤ教徒との間に、激烈な闘争が巻き起こったのである。革命家たちはユダヤ教を信仰していないため、ユダヤ教徒たちは共産主義者を批判し共産主義者と闘うようになった。
レーニンやトロツキーたちとともに来た人々は、この戦いでほとんど消えてしまった。革命政府の中心にあった者たちは、ほとんど殺されてしまったのである。こうして第二次世界大戦勃発以前に、このユダヤ人の間の闘いには決着がついたのであった。
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第3章:ハザール王室直系の子孫、カガノビッチの暗躍
スターリンを操ったモンスター、カガノビッチの正体
10月革命以降、特に1920~1930年代に、ユダヤ人はロシアで「国家内国家」をつくっていった。それはまさしく、8世紀~10世紀ごろに栄えたハザール王国の再現であった。
ロシアにはハザール王国の皇帝の子孫がいたのである。スターリンは傀儡であり、ユダヤ人たちのロボットであった。スターリンは表向きの指導者であって、ユダヤ国家には陰の指導者がいたのである。その陰の指導者がすべての実権を握るほんとうの支配者であった。
それは誰か。 世上、スターリンの片腕といわれたユダヤ人、ラーザリ・カガノビッチである(カガノビッチはいかにもロシア的な姓のように「ビッチ」を付しているが、祖父の時代にはカガンと名乗っていた)。カガン(可汗)とはハザール人たちの言葉で、ユダヤ教の宗教の指導者、皇帝などを意味している。ハザール王国もハザール・カガン国と名乗っていた。カガノビッチの元の姓がカガンであるということは、彼がかつてのハザール王国皇帝の直系の子孫であることを示している。
ハザール王国は数世紀前に消滅したが、その皇帝の直系の子孫が生きていたのである。
スターリンは共産党書記長というポストについていたが、カガノビッチはただの書記にすぎなかった。しかし、実際にはカガノビッチやカガノビッチの補佐官が、すべての政策を取り仕切っていた。スターリンはこのカガノビッチの政策の執行者にすぎなかった。
ハザール王国では宗教的権威をもつカガン(皇帝)のほかに、実際の政務を行なうビャク(執行者)があった。その意味でも、当時のソ連政府はまさしくハザール王国の再現であった。
一般に「スターリンの独裁」とよくいわれるが、事実はハザール人のハザール王国の指導者による独裁だったのである。この事実は決して触れられることがない。
ハザールの王・カガノビッチがロシアを支配した
カガノビッチはどのようにしてロシアの国家内国家、すなわちユダヤ国家を指導していったのだろうか。共産党によったのではない。共産党も表向きの形式にすぎなかった。実際には裏の組織があった。それが国家保安省(後の国家保安委員会=KGB)である。国家保安省の幹部のすべてがユダヤ人だった。トップだけではなく、中間層も下層も、ほとんどがユダヤ人で占められていた。
国家保安省にはベリヤというきわめて危険な人物がいた。彼はユダヤ人とのハーフで、グルジアの北コーカサス出身のユダヤ人であった。ベリヤはカガノビッチの従兄弟にあたる。カガノビッチはベリヤ、すなわち国家保安省を通して、ロシア=ハザール国家を支配していったのであった。
またその頃、ユダヤ人は国家保安省の中に収容所という新しいシステムをつくった。ソルジェニーツィンの著書『収容所群島』には、このシステムについて詳しく述べられている。各収容所の所長は9割がユダヤ人だった。収容所システムを初めに導入した人物は、フレンケルというユダヤ人の革命家である。収容所はロシア人の奴隷を収容するためにつくられた施設だった。
革命が成功すると、ユダヤ人たちはロシア人を完全に支配下におこうとした。そのためにはロシアの「頭」を切り落とさなければならない。「頭」というのは日本でいえば天皇であるように、ロシアでいえばツアー、すなわち皇帝であった。
ユダヤ人はまず当時のツアー、ニコライ2世を家族もろとも全員暗殺した。革命の翌1918年7月、ユダヤ人はウラル山脈のエカテリンブルグ(現在のスベルドロフスク)のある家の地下室で、ツアーとその家族をすべて銃殺に処した。
そして、その家の壁にサインを書き残したのである。それはヘブライ語で「皇帝は暗殺された、国家は破壊された」と書かれていた。私(イワノフ)はそのサインを自分の目ではっきりと見ている。
エリツィン大統領は当時、その町の第一書記だったが、このエリツィンの命令によって、ツアーが殺害された家は完全に破壊されてしまった。今はもう誰もこのサインを見ることはできない。家も壁も残されていないからである。
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第4章:ロシア文化を徹底的に破壊したハザール=ユダヤ人
革命はロシアの頭脳を流出させロシアの文化・宗教を破壊した
ロシアの「頭」はこうして切り落とされた。では彼らの次の目標は何か。その次に彼らは何をしなければならなかったのだろうか。
ロシアの伝統、習慣、歴史と、それを存続させている貴族を殺すこと、それが彼らの次の課題であった。が、ロシアの貴族はそのとき、幸か不幸かほとんどが国外に亡命していた。少なくとも300万人の貴族がアメリカやヨーロッパなどに脱出したが、彼らはいわばロシアの頭脳ともいえる人々だった。要するに、革命によってロシアの頭脳が全て国外に流出してしまったのである。◆
アメリカには世界でも有数の技術を発見した学者たちが多くいる。あまり知られていないことだが、それらの学者たちの中にはロシア人が最も多いのである。少なくとも彼らロシア人が20%を占めている。
たとえばヘリコプターの発明者のシコルスキー、ノーベル賞をもらった経済学者ワシリー・レオンツェフ、また作曲家のラフマニノフなど、挙げていけばきりがないほどだ。ロシアの頭脳はほとんどアメリカに行ってしまったのであった。アメリカは革命によってロシアの頭脳を獲得したのである。
優秀な実業家、デミドフ、ストロガノフ、エリセエフなども外国に行ってしまった。ロシアはユダヤのために優秀な実業家たちをすべて失ってしまった。ロシア人の「頭」の代わりにユダヤ人の「頭」が、ロシアの体、すなわちロシア人の国家の上に乗せられたのである。◆
さらにロシアの古い伝統、習慣、文化をもっているのは誰か。農民である。彼らは個人の農地をもっていた地主であった。しかしユダヤ人は革命を推し進めるためには、農業システムを破壊しなければならないとして、各地にコルホーズ(集団農場)やソホーズ(国営農場)をつくっていった。その結果、ロシアの農業システムがすべて破壊されたのである。
こうして、文化人も、優秀な実業家も、伝統的な農民もロシアからいなくなった。全部ユダヤ人のやったことである。またロシア正教もほとんど壊滅の状態にまで弾圧された。ロシア正教はロシア人にとって最も神聖な宗教である。少なくとも1000年の歴史をもっており、ロシア人に大きな精神的影響を与え続けてきた。しかし革命後、ユダヤ人はロシア正教会の90%を破壊してしまったのである。
ロシアでは10~11世紀にかけて、ロシアの伝統的な建築技法によって美しい多くの教会が建てられた。今では12世紀に建てられた教会が、わずかに破壊されずに残っているが、古い教会のほとんどがユダヤ人によって破壊されてしまった。破壊されたものの中には、建物以外に絵画や9~11世紀のイコンもたくさんあった。
こうした破壊はロシアにとっては耐えがたい残酷なる悲劇であった。
軍幹部と知識人の粛清
第二次世界大戦が始まる前に、ユダヤ人たちはもう一つの陰謀を企てていた。それはロシア軍隊の幹部たちを粛清することだった。少なくともその当時、約3万人の将軍や将軍クラス、大佐クラスの軍人が殺された。彼らはちょうど第二次世界大戦が起こる1、2年前に殺されたのである。◆
ユダヤ人たちはヒトラーからの侵略の脅威を感じなかったのだろうか。ロシアを外敵から守る必要がありながら、なぜ優秀な軍人を殺すことに躊躇しなかったのだろうか。
彼らにとっての問題は国外ではなく国内にあったからである。ロシア人の将軍や大佐などが赤軍を指導し、反ユダヤ感情が高まってきたために、ユダヤ人たちは危険を感じて軍隊の幹部たちを殺した。実に第二次世界大戦が起こる直前のことであった。それら将軍の中にはユダヤ人も交じっていたが、ユダヤ人であろうとも、不穏な動きを一掃するためには無差別に殺されていったのであった。◆
戦争が始まった。優れた司令官をすでに失っていたロシア軍は、はじめの1、2年間は敗北を重ね、モスクワまで撤退して敵を迎え撃つ戦法をとることにした。そして、後のモスクワ戦線では激烈な戦闘の結果、最終的にロシアが勝利を収めたのだが、そのときには、ようやく世代交代がなされ、次世代の優秀な軍人たちが指揮をとっていた。それらの指令官の中でも、最も優れた司令官がジューコフ元帥だった。◆
1941年10月、ドイツ軍はモスクワ大攻撃を開始した。それに対して、その年の12月、ジューコフ元帥の率いるロシア軍が大反撃を行なったのである。これをロシアでは「モスクワの祖国戦争」という。戦争は1943年2月まで続いたが、ついにドイツ軍は降伏し、ロシア軍の勝利の第一歩が印された。ジューコフ元帥の果たした役割は、すべての戦争において最も大きいものだった。
戦争が終わると、急速にロシア人の民族的自覚が高まっていった。ドイツとの戦争で勝利を勝ち取ったからである。ユダヤ人はロシアを恐れた。
危機を感じたユダヤ人は1948年、ロシア人に対して攻撃を開始した。優秀な政治家たちを次々と裁判に送り、ロシア人知識階級を殺していったのである。カガノビッチがそれらの指揮をとっていたが、スターリンもそれに同調していた。
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チャネリング*マルタ
こんにちは、愛する愛する子供たちよ!
今日は、準備が必要なコミューン生活の特徴について話を続けたいと思います。
心理的な性質の困難とそれを尊厳を持って克服する能力に加えて、多くの人がまったく新しいビジネスを習得しなければならないという事実にも直面する必要があります。
これは主に、目立った能力を持たない人々に関係するものであり、彼らは状況に適応し、現時点でコミューンの住民にとって最も重要で必要なことを行わなければならないことを意味します。
したがって、自分の利益や欲望だけでなく、何よりも社会的なニーズを考慮する準備ができている必要があります。
同時に、新しい仕事が自分にとって大きな負担にならないように、心の準備をしておくことが非常に重要です。
したがって、たとえば、農業をしたことがない人や料理が好きではない人が、突然庭師や料理人にならなければならない場合があります。
しかし、新しい仕事があなたに喜びをもたらすためには、特別な態度が必要です。
確かに最初は、新しい技術のすべての複雑さを教えてくれる経験豊富な指導者がいるでしょう。
そして、あなたにとって主なインスピレーションの要因は、自分の仕事を通じて、自分が長い間夢見てきたコミュニティの発展という共通の目的に実行可能な貢献をしているという考えであるべきです。つまり、言い換えれば、今あなたはそうしているのです。エネルギー的にだけでなく、物理的にも、すべての人にとって最高の利益となるように創造します。
この姿勢は、新しい仕事を素早く簡単に習得するのに役立ち、他の人からの感謝があなたの仕事に対する主な報酬になります。
徐々に、コミューンが形成され、発展するにつれて、すべてが適切な位置に収まり、住民のそれぞれが必ず自分の好きなものを見つけるでしょう。
しかし、旅の初めに自分の活動や習得したスキルが多様であればあるほど、自分が最も得意なことは何なのか、何が自分に最大の成果をもたらしてくれるのか正確に理解できるようになるため、将来的にコミュニティ内で自分の居場所を見つけるのが容易になります。これは喜びと帰還になります。
したがって、親愛なる皆さん、どんな仕事でも恐れずに挑戦してください。新たに得られる経験ほど価値のあるものはないからです。
これは、自分自身を見つけ、最終的に自分の目的が何であるかを理解するのに役立ちます。
今日はここで終わります。
あなたを計り知れないほど愛する絶対神父があなたに語りかけました
2024 年 6 月 25 日にマルタによって承認されました
Источник: https://vozrojdeniesveta.com/dve-realnosti-obshhestvennye-potrebnosti/#ixzz8eJsUvwud
Сайт "Возрождение"
https://blog.goo.ne.jp/kimito39
♫その日は今日、日本時間明日になるでしょうか。
https://x.com/i/status/1805535802946195956
♫エルビスとは従兄弟だということですが、若い時のトランプ大統領の顔は、エルビスと似ています。バロン君がハンサムなのも!
知っていれば分かる。死者は生きている。生きている者は死んでいる。今回は彼らは許されない。
配信 読売
新型コロナウイルスのワクチンを接種した後遺症が2年以上続いているとして、県内の50歳代女性が、国や製造元の米製薬大手ファイザーの日本法人などを相手取り、計約1300万円の損害賠償を求める訴訟を岡山地裁に起こした。
提訴は21日付。訴状によると、女性は3回目のワクチンを接種した2022年2月以降、発熱や倦怠(けんたい)感が続き、同年4月以降、四肢に水ぶくれをともなうあせものような症状が繰り返し表れているという。
提訴後、女性は代理人を務める木原功仁哉弁護士と佐野栄紀・高知大学医学部特任教授と岡山市内で記者会見。女性は「接種前の私の体は戻ってこない。腹立たしく思う」と語った。
佐野特任教授は「患部からはmRNAワクチン由来の(有毒な)たんぱく質が検出されており、症状とワクチン接種の因果関係は明らか」と主張した。
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♫ようやく「提訴」に踏み切った女性を、ゴミウリ 読売が記事にしました。これらがテレビニュースになっているでしょうか?
もっと早い段階で、こうした報道がされていれば、被害者を食い止めることができたのに、残念でした。マスメディアも犯罪に加担していたと思わざるを得ない状況だと、誰もが考えるでしょう。
そして、反ワクチン接種の発言を隠したり、またそれを攻撃してきた人達の反省も必要でしょう。
そして、市民ジャーナリストが沢山の情報を拡散してくれています。
https://blog.goo.ne.jp/kimito39
こんにちは、愛する愛する子供たちよ!
コミューンにおける人々の関係についての会話を続けて、今日はコミューンのもう 1 つの特徴についてお話したいと思います。
実際、異なる振動の世界における人々の関係は、互いに根本的に異なります。
文字通り空中に漂う否定的なエネルギーの影響で、情熱がどこからともなく燃え上がることがある二重世界では特に苦痛を伴います。
その結果、完全に穏やかでバランスの取れた人々でさえ、混沌が支配するエネルギー空間にいることに気づき、不適切な行動をとり始めます。
これが宇宙の法則、つまり「引き寄せ」と「反射」の仕組みです。
高次元の世界では状況が異なります。
これらの世界の高振動空間を支配する主なエネルギーは、無条件の愛と感謝のエネルギーであるため、これらの世界の住人の思考や感情は常にこれらの神聖なエネルギーによって養われており、どのような条件や状況であっても調和のとれた状態を維持するのに役立ちます。
だからこそ私は、コミューンの創設を成功させる主な条件を、そこに含まれる人々の振動レベルが均一であると呼んだのです。
この共通の高波動の「キャンバス」からの損失は、コミューン全体の調和のとれたエネルギー「背景」の侵害を伴います。
その結果、コミューンのメンバーの一人によって引き起こされる、低波動の思考や感情の連鎖反応が始まる可能性があります。
これがまさに、未来のコミューンをすでに構築しようとしている、あるいは構築しようとしている人々の現在の失敗の主な理由です。
では、低い波動でコミューンの生活に不調和をもたらす人々に対してはどうすればよいのでしょうか?
すぐに彼らと別れるべきではありません。
一人一人に、今起こっていることに対する態度を変える機会が与えられるべきです。なぜなら、おそらくこれらの人々は、あなたと同じように、高い波動の新しい世界で幸せな生活を夢見ていたからです。しかし、彼らの思考と行動の惰性により、彼らは浮かんでいられなかったのです。
彼らは、自分自身を正すために少なくとも 3 回そのような試みを与えられるべきです。
しかし、もし誰かが何度も故障し、それによってあなたのコミューンの調和のとれた雰囲気を乱す場合は、それにより他の人の利益のために、あなた方はその人と別れるべきです。
そして、これはあなたの側の残酷ではありません。なぜなら、あなたはこの人に他の人のレベルに達する機会を与えたのに、彼はこの機会を利用しなかったのですから、つまり、彼は意識的により低い波動でもって、この世で人生を続けることを選択したということになります。
今日はここで終わります。
あなたを計り知れないほど愛する絶対神父があなたに語りかけました
2024 年 6 月 23 日にマルタによって承認されました
Источник: https://vozrojdeniesveta.com/dve-realnosti-ujti-ili-ostatsya/#ixzz8eFryhiN7
Сайт "Возрождение"