最近、テレビで立て続けにドリフの特集をやっていた。
ドリフというと、お子様向けのお笑いコントという印象だが、やはり原点はコミックバンドだ。私が小学校1~2年生のときは、音楽コントを結構やっているのをテレビでみた記憶がある。
有名な話では、このブログでも取り上げたがビートルズ武道館公演での前座出演であろう。
ただ、当時の記録をみるとそのコミックバンドのセンスはクレージーキャッツに比較すると
どうしても落ちる。
音楽センスもあって、ギャグもうまいとなると、加藤茶しかいないと思う。
このドリフの歴史を調べるについては、いかりや長介の「だめだこりゃ」(新潮文庫)が
適切だ。印象深いページは以下の通り。
前期ドリフターズというものがあるとすれば、加藤が一人で引っ張り続けたのかもしれない。私が唸ってしんぎんして考え抜いたネタを加藤はいとも簡単に実演してくれた。
あまり積極的にアイデアを出すタイプではなかったが、実演に関しては外すということが、間というのかリズムというのか、拍子というのか、抜群のセンスだった。・・125P
1964年(昭和39年)、新生ドリフが五人で再出発を誓ったとき、最初のけいこの後で
「何があっても、このメンバーでやっていく。俺から辞めろということは絶対言わない」そう誓った。替えの利くミュージシャンではない、替えの利かないコメデイアンを目指したのだ。この誓いを、今でも守っているのだ。・・205~206P
技量がそれ程高くなくても、勤勉な練習と創意工夫はそれを補うことができると
ドリフの歴史を見て思った。
ドリフというと、お子様向けのお笑いコントという印象だが、やはり原点はコミックバンドだ。私が小学校1~2年生のときは、音楽コントを結構やっているのをテレビでみた記憶がある。
有名な話では、このブログでも取り上げたがビートルズ武道館公演での前座出演であろう。
ただ、当時の記録をみるとそのコミックバンドのセンスはクレージーキャッツに比較すると
どうしても落ちる。
音楽センスもあって、ギャグもうまいとなると、加藤茶しかいないと思う。
このドリフの歴史を調べるについては、いかりや長介の「だめだこりゃ」(新潮文庫)が
適切だ。印象深いページは以下の通り。
前期ドリフターズというものがあるとすれば、加藤が一人で引っ張り続けたのかもしれない。私が唸ってしんぎんして考え抜いたネタを加藤はいとも簡単に実演してくれた。
あまり積極的にアイデアを出すタイプではなかったが、実演に関しては外すということが、間というのかリズムというのか、拍子というのか、抜群のセンスだった。・・125P
1964年(昭和39年)、新生ドリフが五人で再出発を誓ったとき、最初のけいこの後で
「何があっても、このメンバーでやっていく。俺から辞めろということは絶対言わない」そう誓った。替えの利くミュージシャンではない、替えの利かないコメデイアンを目指したのだ。この誓いを、今でも守っているのだ。・・205~206P
技量がそれ程高くなくても、勤勉な練習と創意工夫はそれを補うことができると
ドリフの歴史を見て思った。