とこのへや

とこの雑貨と、とこのお洒落着。とこは樺太に住んでいたことがあります。とこの嫁の体験談、日記、備忘など。

まなび

2018-04-23 23:44:33 | 日記

こんばんは。

先週末体調の悪かった夫は、少しは回復したようだ。
内科循環器科へ受診し、その「気持ち悪い」という体調不良は、
どうも血圧ではないのかということだった。
以前から不整脈あり、また母親がペースメーカーを入れたことなど不安要素を
伝えて、心電図をとったけれど、特に問題ないとのこと。
血圧が下がった状態で次回受診できるように降圧剤を処方されたそうだ。

病院へ向かう途中、少し「キた」らしいけれど、食欲はもどりつつあるようだ。
安静にして疲れを取るように願っていたけど、今日は息子の大学の授業料を振り込んでくれたようだ。

その振り込んだ領収証を息子に見せたら、息子の反応が、夫にとってやや新鮮だったようだ。
彼は大きくうんうんと頷いて、こういうの(領収証)を見たほうが「やる気がでる」というようなことを言ったという。

私は、ははぁ、と思った。

お金を払っているんだから、無駄にはできないという意味だろう。

私は常日頃、息子にお金を意識するよう話してきたつもりだ。
こんなに時間をかけている仕事、毎日長時間会社に縛られて、貰っている金額はあっという間に使い切れる額でしかないと。
通帳も見せたし、分からないだろうけれど、給与明細も見せたことがある。

生家の小売りの店を興した祖父の訓示「なんでも銭(ぜに)だ」が、
私の父にも、私にも、染み込んでいるのだと思う。
と、いっても私が生まれたのは祖父の死後だから、会ったことはないのだけれど。

夫は息子の父親として、その言いっぷりを、頼もしく思ったようだ。
そして、自分が彼の立場だったら、「学費を払った」と言う父親に対して
そんなふうなことを言うこともなく、反発心が湧きおこるだけで、
感謝するようなこともなかっただろうと。
ああいうふうに言ってくれると、いいなと思うよと言った。

私もそういう夫の言葉をきいて、
自分が高校へ進学する時のことを思った。
私の父は、二人いる娘のどちらでもいい、父が昔あこがれた女子高に入ってほしかったようだ。私はそれを、なんて邪(よこし)まなんだと思ったものだ。
…まぁ、一方で女子高の校庭がのぞき見できる塀の周囲をウロウロとしたという父の若いころを想像してクスリと笑ってしまうのだけれども。

そして、姉は父の言う通りくだんの女子高を受験したが叶わず、結構落ち込んでいたはずで、私は初めからその学校ではなく共学の学校を選んだ。

共学の高校に入学を許可されたよと言っても、父はツーンとして、こちらを見ることもなく、意地悪気に「中学までと違って義務ではない学校に行くということはお金がかかるということだ」といい、重ねて、「お前は俺を喜ばせるように、お返しをしなくてはならない」と言った。私が辞めたがっていたソフトボール部に入部することが条件だというのだ。私は身売りする気分になった。
這いつくばって、ありがとうございます、お世話になりますと、「言えばいいんだろ?」と思った。

私から生まれてきた息子が、いともあっさりと、そういうものを凌駕して、
「こういうのを見ることは必要だ、ちゃんと勉強する気になる」
と思って口に出して言ってれた。
それは単におざなりな「ありがとう」を言ってもらうよりも、納得感がある。
私の父も、あの時の私に、そういって軽く笑ってあしらってほしかったのだろう。
卑屈になることなく、ね。

これを学ぶのに、私は一体何年かかったのだろうねぇ。

まなびは尊くて、涙がでるわ。 息子にも、そして父にも、ありがとう、だな。


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